| 2012年5月15日(火) |
| 日本文藝家協会懇親会 |
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朝から雨の天気である。午後に東京市ヶ谷まで行くのに少々嫌だが、行くと決めれば雨も天気も同じだ。地震や津波、竜巻に比べればなんのその、である。
午前中は、お掃除のMさんと家事をする。棚の上に突っ張り棒を2本取り付けた。住宅リフォーム会社の人の話によると、突っ張り棒は、地震の横揺れには効き目があるが、縦揺れでは外れてしまう由、気休めかもしれないが、ともかく遣るだけのことは遣っておく。その他にも、壁に横長の木製のハンガーを取り付けた。
PM4:00過ぎの電車で東京駅、お茶の水駅経由で市ヶ谷に着く。ホームから外に出る時、間違えて地下鉄の乗り換え口に降りてしまった。下ってまた上がってホームに戻り、それからお茶の水から言うと前方に歩き、今度は上って改札を出て、やっと会場のアルカディアに着いた。5分ほど前で遅刻はしなかった。雨は相変わらず降っていた。
会場にはすでにかなりの出席者が集まっていたが、今日のゲストスピーカー、篠沢秀夫氏の到着がが30分遅れた。出席者は乾杯もせずに篠沢氏を待った。氏は大病を患い、手術でお声を失い、現在車椅子の生活をされているが、パソコンを操作し、専門家の助けで肉声を再生し、会場に備えられた2面のパワー・ポイントのスクリーンの文字と共に講演を行うのである。そのお声は会場の隅々まで響き渡った。
「今こうして病んではいるが、決して自殺したりはしない。私は前に前に進む」
という講演の内容は、とても感動的なものであった。入会当時に比べれば、知り合いの方も大分増えて、色々な方と歓談した。鎌倉ペンクラブからも数名の出席者の姿があった。理事長、副理事長、その他理事の皆様の文藝の発展への熱意には頭が下がる。私も頑張らなくてはならないと痛感した。懇親会は「蛍の光」の音楽が流れるまで、賑やかで暖かい雰囲気が続いていた。帰りはタクシーで東京駅に向かい、まっすぐに帰宅した。無事に1日が終わりほっとした。
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| 2012年5月14日(月) |
| 洗濯機を回しながら |
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昨日ヨーカ堂で買った洗濯用ネットで夏掛けの布団を洗っている。中に入るかと心配したが、きちっと収まった。そしてスウィッチを押すとぐるぐると回り出した。すすぎも終わって干す時に見たが、黒ずみもなくなり綺麗になっていた。日当たりの良い物干しがあるのだから、こうしてクリーニング代を節約しようと考える。
洗濯機を回している間に、1昨日参加した黙想会の感想を書き始める。下書きを何とか拵えておけば、明日は会合で書けないとしても、明後日には仕上げることが出来る。(と思われる) こんなふうに忙しいが、近くで鶯が高らかに鳴くと、耳から優しい風が入って来るようで、思わず窓の外を眺める。5月の盛りに鳴く鶯は、夏鶯というのか、正式な名前があるのだろうが、この季節にふさわしい、エネルギーと気品に溢れた声をこの住宅地に撒き散らしてくれる。近くにまだ木々の多い家が残っているからだろう。出来る限り、これらの住宅の木々が残ってくれるように祈るばかりだ。
ところで、新しいノートパソコンでまだページ設定が出来ていない。時間をかけて探せば見つかるだろうが、原稿書きなどをしようとする時に、すぐに設定が出来ないのは困る。仕方なく、慣れたデスクトップの方で行数、字数を設定して書き始めた。各社サポートについての対応を書くが、パソコンのメーカーや販売店のサポートセンターの電話相談は無料だが、マイクロソフト社への問い合わせ電話は、一件3000円と高い。つまり、ワードやエクセルの相談は有料ということになる。折角、クリーニング代を節約しても、こんなところで損をするのもバカらしい。
午後、美容院に行き、帰ってきてノートパソコンを開きゆっくりと探したら、ページ設定の場所が見付かった。一安心。
大相撲は、横砂白鵬がまた敗けた。心配である。
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| 2012年5月13日(日) |
| 母の日 |
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母の日となると、私は紛れもなく母だが、それは子供たちが感じいくれることで、私は私で亡くなった母のことをしきりに考える。この頃は、いろいろと謎が解けたように分かってくることが多い。今頃? と思う人もあるだろうが、一種の深慮遠謀、と言った母の心の奥の奥が見えてくるようになっている。嫁に来た身であるから、人生の途中は義理の母、つまり姑に教育を受け、姑のことを考えていた時期もある。嫁の務め、という気持ちもあった。しかし、もう解き放たれた思いがある。意識しなくても、婚家の習慣は身に付けて、苦も無く実行している。もう誰憚ることもなく、実の母を思うことが出来る。
「それほど思ってもいないくせに」と、空から母の声が聞こえてくるようだ。そう、確かに、天国に居ると思われる、もはや清らかな存在になった母を思っているわけではない。あくまでも、人間臭い人間だった時代の母を思い出し、思い出しして、母の気持ちを探っているのである。
「いやだねえ」と母は言うかもしれないが、これも物書きの娘を持った因果というものである。それと言うのも、現在の私自身にその心の秘密が大きく関わっているからである。子供の数が多かったので、一対一という時間が少なかった。それ故、遅ればせながら、母と一対一になって考えている。花は、気性の激しい母にしてみれば、ちょっと違うような、桔梗や萩の花が好きだった。母の日に見付けられる季節の花ではない。秋になったら写真の前に飾ってあげることにしよう。
今日は、心身の状態が悪くミサは休んだ。
午後になって、気分転換をしたくなったので、藤沢まで車を走らせた。イトーヨーカ堂で、洗濯用のネットの大小を買った。大きい方のネットで薄い布団や毛布を洗おうと思っている。小さい方はもちろん余所行きのブラウスなどを洗う。他に地震用の支え棒を2ケース買った。
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| 2012年5月12日(土) |
| 五月の黙想会へ |
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カトリック教会で行われる黙想会に行く。午前中に第1講話、昼食をはさんで第2講話、最後に聖堂でミサが行われる。その後時間のある人は茶話会に参加、というほぼ1日を要する黙想会である。そして今日の黙想会の神父は、この由比ヶ浜教会出身の鈴木真神父である。時間になって現れた鈴木神父は、幼顔を少し残しながらも、口元にお髭を蓄えた立派な神父様に成長されていた。しかし黒い服ではあったが、特に司祭服を着ていたわけではなく、とても親しみやすい印象であった。お話の内容はやはり、去年の震災後に組まれたプロジェクトの活動が主であった。企業支援プロジェクトや、ぽっかぽか湯たんぽプロジェクト、などと、聞いただけで心が暖まる活動もあった。Tシャツはすでに7000枚売ったとのことだった。最初はなかなか売れず、日に4・5枚という日もあったという。若者たちと一緒に活動をしているせいか、こちらにサーヴィスをして下さったのか、時々笑わせて下さる巧みな話術であった。
もう少し話を聞きたかったが、午前中90分のお話を聞いただけで、私は教会を後にした。あいにく今日は1か月ほど戻ったような気温で、連日疲れもあって、少し寒気がしたからだ。昼食の時に鈴木神父様とは少しだけお話しさせてもらった。
帰宅したら、娘から1日早いけれど、というメッセージ付きのカーネーションが届いた。明日は母の日である。
大相撲は、横綱白鵬が2敗した。
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| 2012年5月11日(金) |
| 休養とはいかず |
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通夜と吟行の疲れが残っている体だが、丸1日休むというわけにはいかない。午前中は、洗濯機を回しながら、溜まっている日記を書く。何とか追いついている。ノートにメモしたものを清書する感じでまとめているが、時々自分自身の役に立っている、これもまた捨て難い、と思うことがある。書いていないと、何も気に留めずに流れて行ってしまう「時間」を、文字に書き留めて残している、という実感が湧く。ささやかではあるが、そう思う。小説書きはこうはいかず、もっと苦しむが、これもまた書き終えたときの気持ちは格別だ。新作の方向へと気持ちが傾きつつある。しかし猛暑の夏に書き続けるのはいささか辛い。8月は休みたいな、とせつに思う。年齢的にも無理である。でも、イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフ女史いうところの、魔女(Will-O-the-wisp)に「書きなさい」と囁かれれば、魔法にかかってしまい、真夏でもうんうん唸って書くかもしれない。
昼近く、宅配便を1つ送る。午後ははり治療に行く。はりの先生は、「首のあたりが凝っていますね」と言っていた。新陳代謝が促進されたのか、帰りに少しだるくなった。それでも精肉店などを回った。体操は軽く15分ほどした。夕食ではビールを少し飲んだ。
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| 2012年5月10日(木) |
| 戸塚舞岡公園周辺の,吟行へ |
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昨日は帰りが遅くなったが、今日は今日で句会に出席しなくてはならない。それも今日は外での吟行と決まっている。JR戸塚駅から地下鉄に乗り、1つ目の舞岡と言う駅を降りたところが待ち合わせ場所になっている。私は初めて行く場所だが、公園と言ってもハイキング・コースになっているようなところで、周囲は田園地帯になっていた。山々も見えて木々の多い自然豊かな場所だった。地下鉄の駅を出て10分も歩かないうちに、早苗の田んぼや小川が見えて来て、昔風な水車も回るところに出た。その近くには鄙びた神社もある。水田も、いまだ早苗の植えられていないところもあり、すでに早苗が植わっていて、短い苗が風にそよいでいるところもあった。天気も良く、近くの山が逆さの山になって水田に映っている風景が見られた。昼まではその自然に溢れた道を歩き、近くの虹の家と言う施設に入り、それぞれ持参したお弁当を開いた。それから間もなくして、雨が、それもかなり激しく降り始めた。雷も鳴った。このところこういう天気ばかりが続く。しかし、歩いている間に降られなくて良かった。食後はその場所で句会をして雨の上がるのを待った。句会は楽しく熱心に行われた。何とか小降りになったところで、舞岡の駅まで急ぎ、そこで解散した。
拙句を3句載せる。ご笑覧を。
早苗田や 神社の鳥居 傾きて
雑草に 糸張り蜘蛛の 小川越え
水田に 逆さ山見る 五月晴れ
なお、和田先生の話によると、正式の五月晴れは、旧暦の5月の梅雨の晴れ間をさすそうで、一般に使われる五月晴れは、現代用なのだそうである。今やマスコミでは5月の新暦で、五月晴れと言うようになっている。1つ勉強になった。
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| 2012年5月9日(水) |
| 宮下敬三氏の通夜 |
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家族は、仕事で新潟県の長岡市に行く。いつもより出かける時間が遅かったので、その間に今晩の通夜に来ていく服の準備をする。最近は喪服と言っても着物は着ないが、バッグや靴、アクセサリーなど黒に揃えなくてはならない。そしてお包みの上書きも筆できちんと書いた。書道家の佐藤沙音さんと知り合ってから、何となく筆を持つことに気が入る。良い影響を受けているのかもしれない。
その後、私所蔵の、宮下氏が慶応義塾大学旧図書館をスケッチした絵を撮影し、プリンタに取り込み、葉書にプリントした。新しいノートパソコンで、前のデスクトップとかなり要領が違った。しかし何とか刷ることが出来た。家族を送り出しその後は手紙を一通書いた。その相手も三田文学で宮下氏をご存じなので、ご供養になるかと思い、刷った絵を1枚同封させていただいた。
投かんがてら、通夜の支度をして家を出た。定刻少し前に会場に到着した。教会の牧師さんの話によると、宮下氏は死を予期して、エンディング・ノートなるものを作り、残される家族や友人たちのために、数々の事柄を書き残されたとのことだった。いかにも宮下氏らしい心遣いと感心した。しかし、お辛かっただろうとそのお心が思い遣られた。坂本忠雄氏の話によると、1年前から患っていらしたとのこと、だった。遺族のお席には奥様と2人の息子さん、お兄上ご夫妻、お孫さんたちが並んでいた。しかし、さすが愛に溢れた宮下氏ゆえ、その弔問客も多く、会場には入れないくらいの人数であった。三田文学の方々、そして理事長のお姿もあった。私は謹んで献花して最後のお別れをした。心よりご冥福を祈る。
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| 2012年5月8日(火) |
| 吉住侑子さんの『浅茅が宿』(作品社) |
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朝、教会の広報担当者Oさんよりメールがあり、来る12日の鈴木真神父の黙想会の感想を書いてくださいとのこと。16日が締切と慌ただしいが、何とか頑張りましょう、と引き受ける。この季節は行事が多く公私ともに忙しい。
今朝の新聞に、宮下敬三氏の死亡記事が載っていた。胆管癌を患っていた由、心からご冥福を祈らせて頂く。
その後由比ガ浜クリニックに行き、血圧を測ってもらう。ショックのあった後だったが、H医師に測ってもらった血圧は、理想的で安定していた。これで明日9日、藤沢キリスト教会で行われる宮下氏の通夜にも安心して行かれる、と思った。葬儀は明後日の10日だが、この日は絵硝子湘南句会の吟行と重なる。
午後少し体操をする。しかし、昨日より時間が少なかった。
夜、吉住侑子さんより少し前に送っていただいた『浅茅が宿』(作品社)を丁寧に読んだ。2つの中編が収録されているものだが、その最初の1編を読了した。喪服(洋服)の点検もした。
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| 2012年5月7日(月) |
| 宮下敬三氏の訃報 |
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ゴールデン・ウイークではいささか体重を増やした。野菜中心の料理ではなくなったし、きのう書いたように普段のリズムが壊れた。今日から家族は出勤で、やっと1人になった。何よりも今日したかったことは体操である。それもいつものメニューに沿って、筋トレやヨガを丁寧にやりたいのだ。朝から手早く家事を片付け、コンピューターを開いてチェックした後、居間のテーブルを片付けて体操を45分、つまり思い切りやった。かなり、汗を掻いて気持ちが良かった。少しやり足りない気持がしたが、ひとまず終わりにした。
その後また開いたコンピューターのメール受信で、通信教育課程で学んだ時の恩師、宮下敬三氏(慶応義塾大学名誉教授)の訃報を知る。知らされた瞬間、「ああ」と悲鳴のような声を挙げてしまった。三田の300人教室の素晴らしい講義が懐かしく思い出された。その後は、三田文学会の懇親会の名司会者としても、活躍されていた。ドイツ文学者としてのその功績は大きい。2・3の友人にFAXを送った。午後は美容院で髪を切ってもらった。なお、植え替えた菊は、玄関の中で何とか水を上げている。まだ外には出していない。
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| 2012年5月6日(日) |
| 菊よ、頑張れ |
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日曜のミサに行く。通りの酒屋さんの前のポストに手紙を投函する。このポストは旧式の赤いポストである。最近は箱型が多くなっているが、丸型で背の高いものである。この型の方が手紙を送った方に心が通うように思えるのだが、どうだろう?
ミサではバザーの準備などが話される。あいにくだが私はこの日旅行の日程を入れている。早くから決めていたので仕方がない。
帰宅して、昨日植えた菊の鉢を見たら、どの鉢の菊の葉も、下を向いてうな垂れていた。あわてて水を遣り、玄関の中の日の当たらない場所に移した。まだ自力で水上げをしていないようだ。何とか、枯れないで生きて欲しい。菊よ、頑張れ!
今日から大相撲5月場所が始まった。3月場所が盛り上がった記憶も新しいが、早いものでもう次の場所の初日だ。6大関の場所と思いその勝負を見ていると、6大関ともに勝った。もう安心と思って、家族はチャンネルを長寿番組「笑点」に変えてしまった。しかし、夜7時のニュースを見たら、その後横綱白鵬が黒星を喫したらしい。もちろん勝つ、と思っていた。「チャンネルを変えるからよ」と、家族と笑い合った。これでゴールデンウイークも終わりとなる。台所によく立ち、食事作りに奮闘したウイークでもあった。と、書くと美談めくが、普段の生活のリズムが壊れ、その意味では嫌なウイークでもあった。
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| 2012年5月5日(土) |
| 大菊の差し植え |
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今日も休日で、一歩外に出れば、観光客で溢れている街の一角である。家族は早くから庭に出て芝の雑草取りをしている。私は庭の仕事でやりたいことを1つ始める。白い大菊の株分けである。と言っても、他の宿根草と違って初めてやる作業である。この菊は2年前に八幡宮の片隅のテントで販売していた菊の苗を買ったものだ。そして去年やっと花が咲いた。しかし、花芽を摘んでやらなかったので、3つ4つ花が咲いてしまった。元が大輪なので窮屈そうになって咲いてしまった。家族と、「失敗した」と話し合った。今度花芽が付いたら、良いものを残して、1輪にして大きく咲かせてやりたい。その新芽が元の茎の傍から出て、その脇にさらに2つ出てきた。花どころか、新芽も分けてやらなくてはならない。それで、3個の鉢を準備して、底穴にネット、そして底石を置き、土を盛ってそれぞれに差すように植え替えた。根は付いているものの、分けた時に、根の付きが少ないものもあり、丁寧に土を盛って根元をしっかりと押さえた。水をたっぷりと遣って出来上がった。うまく根付いてくれると良いが。菊作りの専門家が、秋に大輪の花を咲かせるためにどれだけ苦労をするかが分かる。
午後少し休んでから、手紙を1通書いた。遠方の方への手紙なので早く書こうと思っていたが、書く暇がなかった。まだ途中なので投函はせず、夕方散歩を兼ねて買い出しに行った。江ノ電が混むので往復を歩いた。道路もバス通りも混んでいた。夜、床の中で読書。
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| 2012年5月4日(金) |
| 孫たちと一日遊ぶ |
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朝からロールキャベツを作り始める。先ずキャベツの葉をはがしていく。春キャベツはしっかりと巻いているのではがすのに骨が折れた。良い形ではがして茹でなければならない。熱い湯気にでも当てて、はがし易くする方法もあるだろうが、私は丁寧にはがしてさっと茹でる。真ん中の芯は包丁で取る。ひき肉にはその時ある材料を入れる。基本的には玉ねぎや人参が入る。つなぎの卵はスープが濁るから、と入れない人があるが、今回は入れた。片栗粉も少し使った。
準備が出来た頃に来る予定だったが、到着が大幅に遅れた。息子からかかってきた電話によれば、江ノ電藤沢駅で、入場制限をしていて、一時間待ちだという。「それでJRに切り替え、大船回りで行きます」とのことだった。ともかく凄い人である。無事に到着したが、大船駅からの横須賀線が大変混んでいて、下の孫はぎゅうぎゅうで窮屈だったと言っていた。上の孫はまた少し背が延びたようだった。1時間も遅れた間、私は上の孫のために買い、由比ヶ浜教会の千葉神父に祝別してもらったロザリオの袋をフェルト生地で作り、完成させた、急ぎ仕事だったが、裏に孫の名前をローマ字でアップリケした。10日がY子の誕生日なのだ。他にもハンカチにポケットの付いたポケットチーフと言うのをプレゼントした。紫がかった色が良いととても気に入ってくれた。キャベツ巻もおいしいと言って食べてくれた。野菜サラダも添えた。電車が混んで本当に大変だった。昼食後は私だけが留守番し、家族と共に青空市を見に行った。商店街の駐車場が解放されているという。そこから材木座のお寺に行くと言っていたが、雨がまた降りそうな雲行きで、そちらは止めて思ったより早く帰ってきた。どうもこの連休は雨に祟られる。雨が降ったとならば、家で遊ぶしかない。家で、Wiiスポーツを初めて、孫2人が代わる代わる体を動かして遊んだ。その間に夕食は孫たちのママが作ってくれた。街で買ってきてくれたタコの刺身が美味しかった。冷蔵庫の中の、ウインナ・ソーセージ、カボチャ、ブロッコリーなども使った。上の孫は昼の残りのロールキャベツを食べたいと言った。大人たちはビールで乾杯した。8時過ぎ帰って行った。寝る前に床の中で少し本を読んだ。
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| 2012年5月3日(木) |
| 朝から大雨 |
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朝から大雨が降る上に、雷の音が2回3回と鳴った。午後までは降るらしい。無理して買い出しに行かない方が良いと思って、スーパーに配達を頼もうと、電話をした。その電話の途中、子機の電池が切れたのか、ピッ、ピッと音がして会話が途切れた。そして電話が切れた。その後
先方からかかってきて、急いで親機を取り、用事は無事に済んだものの、子機の電池を入れ替えることとなった。1年前に業者から送ってもらった電池を探し出し、家族に入れ替えてもらった。この子機は使う頻度が高く、呼び出し音の大小の設定も、時々狂ってしまうようになっている。電池だけの問題ではないのかもしれないが、取りあえずは手当てをした。
その後家族が外出した間、洗髪をした。外側だけでなく頭の中がすっきりして気持ちが良かった。
午後は、雨が上がったので、家族と買い出しに行った。明日は息子一家が来るという。何か一品を先に拵えておかないと、その場は話をしたり遊んだりと忙しい。ロールキャベツを作ることにして、先日リニューアルした肉店でひき肉を買い、八百屋さんでは大きなキャベツを買った。街はすごい混雑だった。子供連れも外国人観光客も混じっていた。江ノ電には乗らず、歩いた。帰宅してから、Wiiふいっとの筋トレと、ヨガを合計で34分した。これはWiiの記録であって、実際には45分になった。
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| 2012年5月2日(水) |
| 久しぶりの英作文 |
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朝から雨の音が聞こえている。家族を送り出してから、かつての英会話教師、メリーランド州のSissonさんにメールを送信する。久しぶりの英作文で骨を折った。日本語の森の中に潜っていたから、と言うと弁解になるが、外国語はあまり得意ではない。それでも何とか近況報告をした。孫の背が私より高くなったと知らせた。ついでに日記を3日分書いて公開した。1週間以上溜まると辛くなるが、何とか頑張っている。健康に恵まれている間は書くつもりだ。
夕方郵便受けを見たら、三田文学春季号、小説の著者の1人から手紙が届いていた。嬉しく拝読した。三田文学は我々の世代亡き後も、繁栄させていかなくてはならない。若い人にぜひ頑張ってもらいたい。体操を20分、そのあと読書をした。家族の帰りは早く、これも珍しく、スパゲッティ・ミートソースと、ポテトサラダを拵えた。ポテトには、スライスし塩と酢であく抜きした紫玉ねぎを加えて、大人の味にした。ビールも少し飲んだ。
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| 2012年5月1日(火) |
| 『鉛のバラ』読了する |
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あっという間に5月になった。去年の5月はまだ自粛ムードで静かだった。その反動もあるのか、観光客の数は膨れ上がっている。外に出ても負けない体力と神経を養わなくてはならない。鎌倉市の5月は、住民にとっては戦争のようなものだ。
午前中は、お掃除のMさんが働くそばで、衣服の片付けをする。主に夏冬の衣服の入れ替えをしている。1階の座敷から、2階の納戸までMさんに重量のある衣服を運んでもらった。階段で転ぶのは困る。以前、灯油を入れたファンヒーターのタンクを運んで、前のめりに転んだ。下りではなく、上りで転んでしまったのだ。幸い大事にはならなかったが、それから注意している。合着や薄物の衣服を出して、入れ替えは一先ず終了した。結構汗を掻いた。
午後近くのスーパーを往復した。かつおの刺身が並んでいて5月の風を感じた。家族が喜ぶので小さなパックを1つ買った。帰宅して少し休み、夕方体操を30分した。
なお、予定と違って家族の帰りが遅かったので、夕食後は読書をした。丸山健二著『鉛のバラ』を読み終えた。孤島の海と少女の笑顔が目に残るラストシーンであった。次に何を読もうか、と考えると楽しい。
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| 2012年4月30日(月) |
| 3連休最後の日 |
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街の混雑を見る度、ここから脱出しなくてはならないと思うが、旅行の段取り、そして準備も大変だ。以前はH会というグループがあって、その担当者がすべて計画してくれたので楽だったが、もうその会も解散してしまった。個人の旅行となると、自分で企画しなくてはならない。しかし、ネット検索にしても、旅行本を広げるにしても勉強になることは確かだ。不勉強や不準備で事故は起こしたくはない。……、そんなことを色々と考えると少し面倒になる。幸い、娘がネット検索をして、情報をメールで送ってくれる。旅館やホテルは何とかなるが、アクセスを調べてくれるのは助かる。
今日は、一応の準備をして、家族と電車のチケットを買いに行った。乗り換えが多い場所なので、往復買うと枚数がかなり多くなった。出発まで無くさないようにしなくてはならない。
江ノ電が混んで乗れないので、歩いて帰ったが、バス通りの車も渋滞していた。途中疲れて「オリーヴの木」という店で休んで、アイスコーヒーを飲んだ。顔馴染みの女主人が居て、店の書棚に置いてある拙著『明日は晴れる』に関心を示した客が居た、と話してくれた。三田文学春季号を持って来て、置かせてもらおうか、と思った。地元の人は有り難い。
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| 2012年4月29日(日) |
| 教会も経営が大変、と |
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今週もミサに行く。サボろうと思うが、今週も1つ用事があり、行かないわけにはいかない。上の孫の誕生日が近いし、神父に祝別してもらいたい品物がある。その用事はもミサの終わった後として、聖堂の中に入っていく。この頃は腰かける場所は大体決まっている。熱心な(といつも思っている)古い信者さんたち、お顔馴染みの信者さんは前の方の席に座っている。私はいつもその方々の背中を見ているのだが、今度の『タッパーと海』(三田文学春季号)を書くに際して、人の背中を見るばかりではなく、後から来る人たちにも、自分も良い背中を見せなくてはならない、と痛感した。その思いが、少しでも書けていれば、私としては、個人としても物書きとしても、少しだけ成長したことになる。(と思っている。)祭壇のキリスト像、そして神父の姿はこちら向きだが、背中の存在も貴重なものだ。信者として、どことなくノンポリのような気分でいる自分が恥ずかしくなってくる。
C神父の今日のお話は、教会もその台所は苦しい、という話であった。屋根の修繕もしなくてはならないと聞いている。信者が高齢化すると、事務の手伝いが不足するとも言う。「こんなことは言いたくないが、言わなくてはならないことです」と前置きをして、この話が始まる。広報の手伝いを、1年と少しで辞めた私としては心苦しいが、諸事情はよく分かっている。出来る限りのことはしなくてはと改めて思った。終わってから、神父にロザリオの祝別をしてもらい、それからS神父の黙想会と講話の会の申し込みをした。S神父は、息子と同年齢で、この教会の出身者の方だ。少し黙想して、頭を落ち着かせようかと考える。
なおこの日、関越道で観光バスの事故があった、と伝えられた。
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| 2012年4月28日(土) |
| 娘夫婦来る |
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テレビや新聞では、今日からゴールデンウイークです、と繰り返している。そして空港や高速道路が映し出される。こちらは大騒ぎするほどの実感もなく、普通の休みの日のように、朝食を拵える。幸い晴れの日となった。家族は歯医者に出かけていく。留守の間に私は洗髪をする。何度も書いているが、入浴時に洗髪をすると風邪を引く恐れがあるので、あまりしない。もっともこれは大病をした時に教えられたことで、もう10数年経っている。洗い終えたころに娘から電話が入った。今日の予定はと聞かれる。午後からなら空いていると答えた。どの道、ウィークデイは夫婦とも働いている娘の出足は遅い。こちらの用事が終わって、娘たちと合流したのは4時過ぎであった。それから、家で雑談をし、これから行く旅行のアクセスなどをスマホで検索してもらったりした。薄暗くなってから、4人で外に移動して、一緒に食事をした。今月半ばに婿殿の誕生日があったので、その祝いを兼ねた食事会だった。婿殿は飲めないが娘は少し飲める。飲んだ後、ほんのりと赤くなった瞼のあたりが色っぽくて面白かった。
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| 2012年4月27日(金) |
| クリニック、手紙書き、はり治療など |
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朝一番に、近くの内科クリニックに行き、血圧を測ってもらう。このところ忙しかったが安定していた。これが一番嬉しい。
帰宅して、お世話になった人に手紙を書いた。丁寧に書き、書き終えて投かんに行く。雨が降っていたのでポストの縁で万年筆書きを濡らすのが嫌で、ヴィニールの袋に入れてバッグに入れた。そのままポストに放り込んだ。頂いた手紙が、我が家の郵便受けで濡れて、葉書の文字が滲むことがある。室内のポストではないから仕方ないが、その都度残念に思う。ともかく出来るだけ濡らしたくないと思う一心だ。ついでに銀行振り込みをした。午後ははり治療の予約が入っているので、急いで帰宅した。スーパーの1階の名品街で買った魚の干物を冷蔵庫に入れなくては、寄り道は出来ない。ともかく買った品物を仕舞ってほっとした。その足で、バス通りのビルの中のはり治療院に行った。走り回って行ったせいで、マッサージの間、少しうとうとした。
夕食は、野菜としてブロッコリーを茹でた。このところブロッコリーはよく使う。1個の半分はすぐに食べる。野菜を食べすぎておなかを壊すことは、先ずない、と思うが。夜は読書を少しした。
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| 2012年4月26日(木) |
| 無事ホームページ・ビルダーのソフト移動 |
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午前10時過ぎ、サポートのNさん来る。すでに3回目で顔馴染みになっている。すぐに作業に取りかかった。今回はデータの移動と言っても、元はソフトをインストールしたものなので、簡単にはいかなかった。
サポートのNさんに、「その時の、ホームページ・ビルダーのCDがありますか?」と尋ねられ、はたと考えた。すぐに場所が思い当らなかったのである。CDを使うとは思っていなかったし、昨夕の今日ゆえ、準備万端というわけにはいかなかった。しかも今週は出たり入ったりと多忙だった。「この書斎の中にあるはずだけれど」と言って、探し始めた。先にその前のバージョン、ホームページ・ビルダー12が見つかっているので、どのくらいのサイズの箱か、分かっている。派手なデザインで見付けやすい筈なのに見付からない。マニュアル本も入っているから、そう小さい箱ではない。私は書斎を一通り探し、隣の部屋までも探したが、見付からなかった。困った、どうしよう。Nさんが無駄足になって、しかも、出張費は払わなくてはならない。……と、思った時、サポートのNさんが「あっ」と声を挙げた。「あったァ」と木製の椅子の下から、ビルダー14の入った箱を取り上げた。中にはインストールのCDもちゃんと入っていた。この椅子は、昔、娘が使っていた椅子で、下に物入れが付いている。そこに入っていたのだ。娘はいつも私の困った時の福の神である。それからはとんとん拍子に、ソフトがインストールされ、そこにデータが移動した。移動が完了してから、1、2行日記を書き、データ公開のテストもして無事終了した。
「本人が探せなかった箱を見つけてくれて、本当に有難う」とお礼を述べた。「こういうのは、第3者のの方が見付けられるのかも」と、Nさんは笑っていた。ともかく今日のヒットは、箱を見付けてくれたこと、そしてそれによって作業が上手くいったことであった。支払った料金が安く感じられたほどだった。夕方はほっとして体操をした。
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| 2012年4月25日(水) |
| ホームページ・ビルダーを移動したいが |
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去年暮れに買った、Windows7のノートはまだ十分に使いこなしていない。しかし、パソコンに張り付くようにその前に座って、いろいろと操作を試みる時間がない。分からなくても何とかなる話、パソコンで遊べます、などと言う機能の研究は、特に急ぐことはないが、気になっていることが1つある。この「あんばら庵」の日記を書いているホームページ・ビルダーのソフトの移動である。
思い出せば去年の8月、マザーボードが壊れ、修理に出した悪夢の記憶である。怖いのは、今年の夏である。パソコンの環境に適した気温は、32度ぐらいと聞いている。現在、ホームページ・ビルダー14のソフトは、古い方のデスクトップに入っている。まだ8月までは間があるが、ソフトが使えなくなると困るので、親元のJ社に電話してみた。しかし、混んでいてなかなか繋がらなかった。どうしようか?前に来てもらったサポートの人に来てもらおうか、などと考えた。昔は何でも1人で試みたが、最近は時間がない。しかも年を取って、電話を片手にメモを取り、前進する意欲も乏しくなっている。ノート・パソコンを購入した大型電気店に電話したが、これも要領を得ない。階下に降りて電話子機に打ち込んである電話帳を見たら、幸いサポートの番号が登録されていた。ラッキーであった。すぐに電話したら、明日来てくれるとのこと。一先ずほっとした。
午後は銀行その他の用事で駅周辺を回った。
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| 2012年4月24日(火) |
| 新竹の子が届いて |
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朝8時過ぎの電話で、材木座のSさんが庭で取れた竹の子を持って来てくれるという。家族を送り出す時間と前後して、Sさんの到着を待つ。待ちながら塀の外の落ち葉を掃いた。家族は出かけ、Sさんは到着した。すでに皮を剥いた竹の子と、これも庭で、というソフトレタスを持って来てくれた。有難く頂戴して、少しお話をした。しかし、この季節出かける用事があり、それも鎌倉での昼食会なので、訳を話し、またの日にお会いすることにした。私はこの昼食会は幹事兼連絡係なので、欠席するわけにはいかない。しかも店は初めて行く店だ。
街は、言葉で「混雑」と書いても、おそらく有りのままは伝わらない、と思われるほどの賑わいだ。失業者の数が増えた、東北の復興もまだまだ、がれきの処理も儘ならない、と言っても、鎌倉に観光に来る人たちを見る限りは、レジャーへの旺盛な意欲が感じられて、ただただ圧倒される。歩いた距離よりも人の数に押されて疲れてしまう。
昼食の店は、元観光会館の結婚式場だったところで、建物の造りは良く、料理も野菜が多くて栄養満点であったが、天井の一部がガラス張りになっていて、日除けがなく、そこから差す日に悩まされた。友人Nさんの席が一番強く日が当たり、食事の後半は席を移動したほどであった。この点は一考を要する店だ。2次会はいつもの紅茶店。
帰宅してから、『鉛のバラ』(丸山健二著)を読む。大分面白くなってきた。
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| 2012年4月23日(月) |
| 井上ひさし「闇に咲く花」観る |
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4月はいろいろと忙しい。しかし、温かいと体も心も動く。しかし、今日は少し雨が降っている。
今日は新宿で観劇をする予定なので、朝から家の用事をこなす。その上に、どうしても今日書いておきたい手紙を1通書いた。そして近くのポストに走って行き投かんした。出かけるついででも良いのだが、江ノ電からJRに乗り換える時に、一度外に出なくてはならないので、忘れることがしばしばある。前にも書いているが、手紙は書いても投かんしなくては意味がない。「投かんを忘れた」という言い訳は大嫌いだ。
それで安心して、家族と一緒に、湘南新宿ラインの車中の人となった。観劇のお仲間は、いつもの演劇研究会のOB、OGの方々である。本日は9名で比較的少ない方である。
芝居の感想を言えば、昭和22年の辛い時代を明るく、笑いを誘うように作られたドラマで、役者さんたちの溌剌とした演技も相まって、ラストまで引き込まれた鑑賞することが出来た。冒頭のシーンが特に面白かった。闇米を買って神田猿楽町の神社に戻って来る戦争未亡人たち。未亡人であるにも拘らず、4人とも大きなおなかを抱えた妊婦である。それは腹の中に買ってきた米を隠し持っているからである。あの、おなかを空かせた時代の人物が、男女ともに生き生きと描かれていた。終了後は、合評会と称して、天ぷらやへと移動した。往復の電車は定刻通りに走った。帰宅したら留守電が1件入っていた。
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| 2012年4月22日(日) |
| ミサはサボらずに |
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疲れていたが、日曜のミサはサボらずに出かけて行った。それと言うのも、昨夜、三田文学に小説を書いている若手の作家(男性)に、「教会に行きたい、と思っている」という言葉を聞いたからだ。今時、殊勝な心がけだ。近くなら一緒に行ってあげることも出来るが、その男性は埼玉県に住んでいる。ミサの後、C神父にその男性の話をした。神父は、「最初にその教会に電話をして、都合の良い時間を聞いて行くと良い」と教えてくれた。インターネットで近くの教会を調べてみようと思う。主任司祭の名前や、住所くらいは分かると思う。事によったら写真ぐらい見られるかもしれない。何か分かったら、彼にメールをしようか。
彼のお蔭で、疲れていてもミサに行く気になった。
午後は、家族と日常品の買い物に出て、帰宅後は少し休んだ。街は相変わらず混んでいる。
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| 2012年4月21日(土) |
| 三田文学総会懇親会 |
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天気も良く、早めに三田の慶応義塾大学に到着した。総会会場の近くで、京都からお越しのHさん、都内からのNさんと会う。皆さん早目に到着している。3人で会場に入り、近くの席に座った。総会出席の人数も年々増えているようだ。坂上理事長は、いつものように淡々と、しかし熱心に挨拶をされる。決算、予算などの報告がなされる。私は毎回総会から出席しているので、こういう空気にも大分慣れてきた。とにかく参加することが大切と思う。
30分の休憩があって、北新館ホールで懇親会が行われた。懇親会も「本日は、100人を越える出席者です」と報告されていた。メンバーの1人として嬉しいことである。後から見えたK・M子さん、そして鴨宮からお越しのS・Fさんとお話をする。京都のHさんはお便りで、Sさんはお電話で、Kさんはメールで今号の拙作『タッパーと海』の感想を下さっている。この作品は、頑張って自分を掘り下げただけに、「胸にグーンと来た」[とても良かった」「今までと違う作品でますます面白くなった」などと、技術に未熟さのあるところなどは指摘されず、読み手に響いた、という意味の感想が多かった。
懇親会が始まり、そのアトラクションの朗読が始まった時、前方斜め前の席に、作家の高橋昌男氏が着席されたのに気付いた。お具合が悪かったと来ていたので、ほっとすると同時に嬉しくて胸が躍った。アトラクションが終わってご挨拶をすると、すぐに、「今度の貴方の作品は、これまでの中で一番良い、」と言われた。高橋さんは、ずっと私には辛口の批評を下さっていたので、あまり褒められた経験がない。一瞬驚き、実感がすぐに湧かなかった。そのままを加藤編集長に報告する。しかし、喜んだのも束の間、やはり懇親会ご出席の、元新潮編集長の坂本忠雄氏には「女子の学校のことは分からなくて、面白くなかった。構成も悪く、終わり方にも強さがない。長過ぎる」と言われた。得点と減点をいちどきにもらったようで、少し混乱したが、一先ず賛否両論ある作品なのだと解釈し、後は時間をかけて考えようと思った。100人を越える出席者で、ゆっくりとお話しできない方もあった。またの機会にお話しさせてもらいたいと願う。帰りは前述のK・M子さんとお茶を飲んで、JRの駅で別れた。
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| 2012年4月20日(金) |
| 昨日の続きで三田文学を |
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さらに三田文学春季号を読む。感想を書いて持参しようと思っている。創作特集になっているが、やはり目玉である「ドストエフスキイ『白痴』考」が面白い。加賀乙彦、亀山郁夫氏、辻井喬氏などが、ドストエフスキイについての貴重なご意見を寄せている。午後からはり治療その他多忙になり、美容院、スーパーなどを走り回った。家族の帰りは10時半頃。明日の気温が気になる。平年並みのようだ。
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| 2012年4月19日(木) |
| 河村喜史さんの陶芸展 |
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午前中に、雪の下まで歩き、歌人の故吉野秀雄邸で行われている、河村喜史(きふみ)さんの陶芸展に行く。喜史氏は、先日行った市内山崎の河村坦子さんの息子さんである。始めに、吉野秀雄邸の静かな佇まいとその空気に触れ、展示場になっている座敷から庭の木々そして下草などに目を遣る。応接室の書棚には、ドストエフスキイ全集の背表紙も見える。喜史さんの作品には、花器や酒器、一合枡などもあり、そう高額でもなかったので、次の機会には小さな作品を1つ買いたいな、と思った。
帰宅してから、三田文学春季号掲載の『ベジタブル・シューズ』小林かをる著を読んだ。終始一貫してお金の話を書いているにも拘らず、誰を恨んでいるわけではなく、従ってべとつかない文体で、品格を保っていて、その持ち味に感心した。夜は他の読書もした。
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| 2012年4月18日(水) |
| 晴れて暖かく |
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暖かいので、手洗いの洗濯物をして、物干に干した。体も良く動き、経済的でもある。花柄のブラウスが風になびいて揺れている風景が良い。と言っても、ゆっくりと眺めている暇はない。昨日届いた俳句仲間のHさんからの葉書がとても嬉しかった。その気持ちを丁寧に葉書に書いた。葉書は縦書で普通に書くと7.8行になるが、字をやや小さくして行を詰めると、10行もしくは12行ぐらいは書ける。書けるだけ書いて、しかも、読みやすい字を並べた。下手な字でも、物書きは人に読んでもらえる字を書く。読んでもらえなければ何にもならないからだ。投函がてら駅前まで歩く。銀行にも寄った。時折自分の懐をチェックする。先日、ちょっと失敗をしたからだ。悪い失敗ではないが、うっかりとしたことがある。これからは気を付けよう。
午後は休養した。夕食は、オーブンで糸巻きの豚肉を焼いた。家族は、その豚を漬け込んでいたタレをかけて、さらに粒粒マスタードを加えて食していた。手をかけるといつも喜んでくれる。働けるからこんなことも出来る。病院に人を見舞った後だと、健康が有り難く感じられる。神に感謝!である。
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| 2012年4月17日(火) |
| 帰りは江ノ電で |
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午前中は少しデスクに向う。昼から友人を見舞う約束があるので、早めに切り上げる。
待ち合わせ場所は、JRの藤沢駅改札口。少し早く到着し間もなく友人も到着した。共通の友人が入っている病院には2時頃行く予定なので、その前に昼食を取る店に行く。駅から病院までの間のエリアを昨日ネットで検索して調べた。そこに、携帯で電話をかけながら辿り着いた。小さな店だが、入口まで我々を迎えに来てくれる親切な店だった。店の名は、ブラッスリー・シェ・Ishikawa と言う。ランチコースは食べきれないので、パスタと前菜、そしてデザートと紅茶にしたら、リーズナブルな値段であった。味も美味しかった。鹿料理を提供すると言うので、次はそれを、と話した。
それから、友人の病院まで10分ほどを歩いた。友人は入浴中だったが、すぐにロビーにやってきて、私を見てすぐに、「……子ちゃんね」と言った。そして同行の友人には「二回目ね」と言った。友人は確かに二回目だったので、「良く覚えているわね」と笑っていた。近々、その病院を出るようになっていると話していた。しかし、自宅へは戻らないと言う話だった。ご主人を亡くされた後、ずっと1人暮らしだったのが、体に障ったらしい。同行の友人の話によると、前回見舞った時より、顔つきは落ち着いて見え、良いとのことだった。帰る時は名残惜しそうに、エレヴェーターの入口まで送ってくれた。「又来てね」と言っていた。元気な頃から、個性が強く、少し謎めいたところのある友人であった。場所を変えても又見舞ってあげたいと思った。帰りは江ノ電で帰った。ちなみに今日は亡くなった姑の誕生日であった。
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| 2012年4月16日(月) |
| 1日読書 |
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朝から今日はシチューを煮ようと思っていた。先日の精肉店の売り出しで、シチュー肉を買ってある。シチューは、キッチンの鍋の様子を気にしながら、食堂で本を読むのに最適の料理だ。
三田文学春季号の創作特集を読む。このなかには拙作『タッパーと海』も入っているが、他作品も読まなくてはならない。特に若い書き手には、今後良く育って欲しいという思いがある。
『喋らない男』『in・ザ・プール』『海馬』『ベジタブル・シューズ』などを読む。全部は読み切れなかった。1作1作の感想はまたの機会に書くが、水のイメージが共通していたり、定期代が嵩む、という言葉が拙作と『ベジタブル・シューズ』で重なっていたり、と、作者違えど、同じ思いがあるのか、と興味深く感じた。小説はユニークであることも大切たが、同じことを年齢も性別も環境も違う者が、考えるということも面白いと思った。このことをもう少し深く考えて、調べても見たいと思う。ちなみにシチューは良く煮えた。1日外出はしなかった。読みかけの長編小説も少し読んだ。
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| 2012年4月15日(日) |
| 書家のSさんと表装展に |
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朝はいつも通りミサに行く。昨日の疲れが残っていて(最近は何時もそうだが)何となく祈りに集中力が湧かない。それでも、サボるよりは良いだろう、と思って行く。
C神父の話は、「東日本大震災について、復興という言葉を使うが、それは震災前のように、元通りになる、と言う意味とは違うのではないか。人によって意見は違うと思うが、私は、新しい第一歩が始まった、と思っている」と言っていた。確かに、元通り、は最大級の希望だが、難しい問題が多々あると思う。これだけの大震災が、「無かったこと」にするわけにはいかないのである。震災後の新しい出発、という考え方が正しいのかもしれない。(しかしこの話は、宗教的、精神的な話であって、政治家が知らん顔をして、復興を考えなくて良い、という話ではない)
さて、良い天気のこの日、帰宅後昼からは家族と庭に出ていた。家族は芝の雑草を取り、私は鉢植えに蔓延る雑草を抜いていた……。
そこに突然チャイムが鳴り、書家のSさんが門前に現れた。10日ほど前にお知らせした、市内の表装展にこれから行くという。この表装展は、近くに住む馴染みの表装業の主人が知らせてくれた。せっかくSさんが来てくれたので、私も同行することになった。場所は駅前公民館の地下ギャラリー。家からSさんと歩いて行った。街は相変らず混んでいた。桜は雨で散ったもののまだ少し咲いていた。表装展には、鎌倉文士だった故里見弴氏の書(前後左右)、兄弟である有島武郎、生馬の書、そして井上馨氏など明治の政治家の書も見られた。見学した書や水彩画もさることながら、書家のSさんの熱心さとその姿勢と眼力には感じるところがあった。ジャンルは違う芸術家だが、彼女からは学ぶところが多い。駅前で彼女とは別れた。
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| 2012年4月14日(土) |
| 久しぶりに車運転す |
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昨日と打って変わって悪い天気となった。雨は降りしかも気温が低い。外では、電気工事のクレーン車が来ていて、電柱の上のトランスらしきものを交換している。狭い路地に大型車が入ってくると気になるのは裏に駐車してあるマイカーである。工事の車が引き上げた後、エンジンをかけてみる。エンジンはかかったが、ガソリンがなくなっている。ゲージの針が赤い線の近くに来ている。少し走れるうちに近くのスタンドに行かなくてはならない。家族と相談し、家から1番近くて、なおかつセルフではないスタンドに行くことにする。セルフはどうも苦手だ。午後、下馬四つ角交差点近くのスタンドまで車を走らせた。ほんの数分の道だったが、渋滞していた。ガソリンを満タンにして帰りはスーパーの駐車場に回って、重たい食材、かさ張る雑貨などを買って、車に積んで帰った。運転は久しぶりだったが、長年の訓練でスムーズに行き、楽しくもあった。特に買出しが出来、暮らしの役に立ったという点が嬉しかった。バックも車庫入れも問題なかった。帰宅後は家に居た。雨は1日降っていた。読書を少しした。
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| 2012年4月13日(金) |
| ウイルス対策、はり治療など |
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Mという会社の、ウイルス対策1ヵ月間無料お試し期間、が終った。後数日で終るという頃になると、その後の有料ダウンロードのお誘いがメールで送信される。ああ、又来たか、どうしようかな、と自問自答する。今なら割引が聞きます、などと言う文言も入っている。こういうのは落ち着いて読んで判断しないといけない、と分かっているが、こちらは去年暮に新しいノートパソコンを購入しているので、そちらにウイルスが進入するのはいささか困るのだ。色々と考えた結果、その、今なら割引、というのを購入した。値段は至って安いが、後々、また猛烈なお誘いが来るのが恐ろしい。世の中景気が悪いから、コマーシャルも競争が激しいのだろうが、注意する方もなかなか大変だ。家にいてデスクの前に居ても、外に出てスーパーに足を踏み入れても、うっかりは出来ない世の中になっている。
そんなふうにデスクに向かっている時に、電話が鳴る。鎌倉ペンクラブのKさんからで、三田文学が手に入らない、と言う。それではお送りします、ということで、手元にある本を梱包して郵便局に行く。
午後は、ますだはり治療院に行く。今回から、M治療院は、ますだはり治療院と書く。何故なら、院名を出して良いと、ご了解を得たからだ。そして今日は、ますだ先生に「まだ、毎日日記を書いていますか?」と質問された。もちろん「はい、書いています」と答えた。マッサージを含めて1時間の治療で帰宅した。今日は体操はしなかった。
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| 2012年4月12日(木) |
| 晴天の日、句会に行く |
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晴天の上に気温も高い。久しぶりに申し分ない天気であった。そのせいか、今月の句会は欠席者なしで、W先生を含め11人出席であった。関内に向かう車中も桜の綺麗な場所があり、窓から花見を楽しんだ。句はなかなか良い句が出来ない。句作に命を賭けている人を見ると、ただただ恐縮してしまう。
三田文学を2冊持参したので、句会が終ってから先生とNさんに1冊ずつ差し上げる。読んでくれる人が居るのが何より嬉しい。帰りは横浜に回って少し買い物をした。暖かいので、そんな気にもなった。
以下は、拙句。
進級の 孫はシチューを 御代わりし
耳朶に 老い見て春の イヤリング
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| 2012年4月11日(水) |
| 精肉店のリニューアルに並ぶ |
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午前中はデスク前に座り、パソコンのキイを叩いたり、葉書を書いたりした。その葉書を投函しがてら、駅前まで歩いた。先にS時計店に行き、電池交換をしてもらった。普通ならその足で近くのUスーパーに行くのだが、逆方向に歩き、H精肉店に回った。昨日リニューアルオープン、そして安売りののチラシをもらっている。肉食党ではないが、少し買ってみようかな、という気が湧いた。しかし、大行列だったら止めようと思った。幸い5.6人しか並んでいなかったので最後尾に並んだ。それでも1人の時間が長くて、結構待たされた。安売りは主に牛肉であったが、他の品も安くなっていた。暖かくなったので、主婦の楽しみとも言えるこんなことも出来るようになった。売り出し景品の保冷バックももらった。外の色が焦げ茶色でかっこ良い。ハムやベーコンも混ぜて4種類の肉を買ったので、当分は肉料理に不自由しない。
夕方はストレッチを少しして、それから読書をした。家族は出張から無事に帰って来た。精肉店に並んだ話をしたら笑っていた。夕食のおかずはもちろんすき焼。
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| 2012年4月10日(火) |
| 早速の反響 |
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朝まだ家族が出張する前に電話のベルが鳴った。
受話器を取ると小田原のS.Fさんからだった。「三田文学が届いて、昨夜あなたの作品を読み、心にずーんと来ました。今朝もまた読んでいます」とのことだった。「早速のお電話有難うございます」とお礼の言葉を述べた。もう少し話したかったが、家族を送り出さなくてはならず、数分で切らせてもらった。この小田原のSさんはいつもこうして元気の良い電話をくれる。物書きであると同時に、元病院の栄養士でもある。郷里は熊本市なので、いずれは帰郷されると聞いているが、淋しくなるので出来るだけ帰らないで欲しいと思っている。
午後、銀行に行こうと思って家を出たら、近くのHさん一家にぱったり出会った。これからお花見の散歩をすると言う。一の鳥居辺りから、桜を見て八幡宮方面に向うらしい。それでは途中までとしばらくの間一緒に歩いた。少し遠回りをしたが、改めて市内の桜を眺めることが出来た。
夕食は簡単にして、ストレッチ体操をした。
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| 2012年4月9日(月) |
| 三田文学春季号届く |
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拙作『タッパーと海』(82枚)の載る三田文学春季号が届いた。ページをめくってすぐに私自身の不注意のミスを見付け、ショックを受ける。誤字脱字ではなく、話の前後の辻褄が合わないミスを犯している。何という恥ずかしきことか!文学作品として精一杯の努力をして、胸を張っていられるところは沢山あるのに、一箇所のミスに打ちのめされる。プロとして絶対にしてはならないことだと、心から反省をした。三田文学編集部にはその旨を書いた礼状を送った。
そもそもが、孫たちを迎えた昨日の疲れが残っているので、バーバと庵原高子の切り替えも思うようにいかない。投函の帰りにスーパーに寄った。
夜、背中が凝っていたのでストレッチ体操をした。早く正常な神経に戻りたいと思う。
セブンネットショッピングに本を注文した。この操作はうまくいった。
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| 2012年4月8日(日) |
| 復活祭、そして三つの教え |
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昨日書いた通り、朝起きて家族の味噌汁を作り、朝食を取った後、すぐにホワイトシチューを作り煮込み始めた。大きな鍋でいつもの料理2倍の材料を使った。手間は少しかかるが量が多い方がシチュー自体は美味しくなる。煮込んでいる間に出かける仕度をした。教会は歩いて5分の距離だから、ミサ開始の10時15分前に家を出てば十分である。シチューは何とか仕上がり、火を止めて出かけた。
例年通りだが、聖堂内はミサ参加の人々で一杯であった。C神父の話が心に残ったので、此処に記しておく。
最近ある人の話を聴くことが出来た。震災について、考えるべきこと。それは三つある。
1.亡くなった人たちへの追悼と鎮魂
2.今生きている人たちとの連帯
3.これから生きていく人たちへの責任
と言う。
私なりの解釈をすると、過去、現在、未来、を思いなさい、という声に聞えた。
ミサが終り、教会のパーティには出席せずに帰宅し、息子一家の到着を待った。間もなく到着し、軽く腹ごしらえをして6人で八幡宮の段蔓まで歩いた。人、ひと、で一杯であった。桜は満開のものもあり5分咲きも見られた。八幡宮まで行かずに戻った。どの食べ物店も並んで待っている状態で、家にシチューが出来ているので安心して帰った。ちなみにシチューは好評であった。
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| 2012年4月7日(土) |
| 混雑の街へ |
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明日孫たちが来る。そのための買出し、と言うといささか大げさだが、食料雑貨などを家族と買いに行く。途中時計の電池を入れてもらう店にも行ったが、休みであった。このS時計店は、安くて親切である。又の日に来よう。
街は花見の観光客で溢れていて、とても混雑していた。桜は5分咲きであった。買出しだけでも結構疲れたのに、私は一旦帰宅し、夕方のミサに出かけた。明日の朝のミサは孫たちを迎える準備と重なる、と思った。しかし、復活祭の前夜で、5時からのミサはなかった。7時半からの徹夜祭があると書いてあったので、待つわけにもいかず帰宅した。先週もらった予定表をよく読んでいなかったのだ。この頃は忙しいせいもあるが、よくこういう失敗をする。帰る道々、少し寒かったので、家に帰ってほっとした。ミサはやはり明日朝に行くことにした。その前に起きて、シチューを作れば何とかなる。そのくらい出来る、何しろ年に1度の復活祭なのだから、と自分に言い聞かせた。
夕食後は、テレビで水泳のオリンピック選考会を観た。懸命に泳ぐ選手たちが魚のように見えた。
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| 2012年4月6日(金) |
| 春の嵐の後日譚 |
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昨日、本の注文が出来なかったが、まだ読む本はある。丸山健二氏の『鉛のバラ』(新潮社刊)が読みかけである。映画俳優の高倉健をモデルにして書いた(主演者として)とされている。いつもの通り話の展開も硬質な文体も見事だが、モデルがあることにこちらの想像力が妨げられる、というところが難点である。小説はさまざまな読者に提供するものだし、文章をどう読んで、どう想像するのも読者の勝手なのである。その勝手な読者としては、何となく窮屈な感じがする。映像を提供する映画と、言葉によって構築される小説とはそこが大いに違う。実験的小説として賞賛すべきところは多々あるが、まだ読み書けでも私の印象は、そういうところだ。それでも途中で止めずにページをめくっている。
ところで、4月3日の春の嵐の日、我が息子は帰宅時に眼鏡を風に飛ばされたそうだ。よく探したそうだが見付からなかったという。最近の眼鏡は軽いのだろう。災難だったと思うが、眼鏡が身代わりになってと思えば良いのかも知れない。
夕食は豚肉の塊りを焼く、などした。
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| 2012年4月5日(木) |
| 種々のパスワードについて |
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今朝、辺見庸氏の新作、『眼の海』をAmazon.comに注文しようと思って、コンピューターを開き作業を進めたが、メールアドレスとパスワードがなんど試みても一致しなかった。すると、「一致しません」という言葉の後に、「もし忘れた方は、パスワードを再設定して下さい」とある。気が進まなかったが、本が欲しかったので再設定をした。そのパスワードは2度と忘れないように、ノートに赤鉛筆で大きくメモした。それで申し込みが可能になったが、そこでまたミスが起きた。前の申し込みが残っていて、注文確定した、という文言を読むと、何と2冊注文したことになっていて、料金も2冊分になっている。これは失敗したと思い、急いでキャンセルをした。「キャンセルの理由」を書く欄があり、こちらが欲しいのは1冊で、2冊ではない。パスワード再設定で、こういう始末になったと書き、キャンセルにチェックを入れてクリックした。
折り返し、Amazonからメールが届いた。今度は二冊ともにキャンセルになっていた。そこで新たに注文すれば、1冊が買えるかと思ったが、もう面倒くさくなった。又失敗する恐れもあるし、どうしても欲しければ、市内の書店でも注文が出来る。パスワードは、その人間本人であることを証明するものだが、しょせん相手は機械だ。機械相手に腹を立てても仕様がない。これからは暖かいから街に出て書店回りをすることにしよう。と言っても花見のシーズンの街の混雑は困る。花は綺麗だし人びとの表情も明るくて良いが、時としてとても疲れる。足で歩くことにパスワードは要らないが、街の混雑の状態は常に不透明である。時には想像を絶する混雑になる。まるで正月の初詣並だ。家の仕事も、本探しもいつも1人でやっている。娘がたまにコンピューターの注文(先日は由紀さおりのCDを)を手伝ってくれるが、本の注文は1人だ。問題が解決するパスワードがあったら教えてもらいたいものだ。
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| 2012年4月4日(水) |
| シャーロック・ホームズの世界へ |
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神奈川紙の朝刊文化欄に、「ホームズの世界に旅しよう」という、ホームズ研究家の田中喜芳氏のエッセイを見付けた。氏はビクトリア朝の世相や文化も共に研究されていて、鎌倉ペンクラブの会員でもある。
ロンドン市内の古い絵葉書や、氏の画いた行楽地セント・アイブスの絵も載っている。コナン・ドイルの作品の紹介のご一文と共に、100年前のイギリスの風景を頭に描くことが出来た。映画「シャーロック・ホームズ/シャドウゲーム」も久しぶりに銀幕に帰って来た。ホームズは不滅と言うべきか。鉄道の普及もこの時代ではとても重要であった。世相と共に事件が起こり解決されるところを味わってもらいたい。
天気だったが、スーパーに電話をかけ配達を頼んだ。配達料が300円かかるので少し後ろめたいが、観光客で正月並みに混む街には出たくなかった。家に居ると本も読めるし、考え事も出来る。亡くなった母も、結婚して義母になった亡き姑も、日々のご用聞きに注文をして、配達を待っていた。スーパー・マーケットはその頃にはなかった。それを思うと、私はよく足を使い買い出しに行く。天国で見ている2人の母は、汗水垂らして買い出しに行く私の姿を見てどう思うのか? 1度
聞いてみたいものだ。
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| 2012年4月3日(火) |
| 日本列島は大荒れ |
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天気予報では、午後から大荒れ、という話だったので、葉書を2通書き、まだ傘を差さないで居られる道を歩き、近くのポストに投函する。1キロも歩かないその往復だけで後は家に居た。
午後からの雨風はまさに台風並であったが、気象予報士は、これは台風ではなく、冷気と暖気がぶつかり合って生じる低気圧のなせる業と言っていた。家に居るものはまだじっとしているだけで済んだが、都内の各企業は、社員を早めに帰宅させるように指示をしたと伝えられ、テレビでは交通機関の様子も流された。去年の地震の時の、「帰宅困難者」によって、従来の方針が見直され、トレーニングされていたのだろう。
家族も、6時頃戻り、後に電話やメールで知った息子、娘の安否も、会社の方針で早く帰ることが出来たと言っていた。しかし、強風で転倒者が続出で、怪我人が出たとも報道された。東北の仮設住宅でも被害があったと伝えられた。安全対策をして欲しいものだ。いつも想定外、と言うのでは困る。雨風は夜中まで続いた。
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| 2012年4月2日(月) |
| 疲れの残るマンデー |
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昨日街の埃を吸ったのか、少し咳が出る。虚弱になったな、と思うが年齢的には仕方がない。それでも溜っている「あんばら庵」の日記を書き、それから往復葉書を2通書いた。A紙で募集している旅の招待券だが、大抵は当らない。しかし、往復葉書で応募すると、優待券が送られてくる。それを狙ってというわけでもないし、行くと決めているわけでもないが、何となく送ってみる。こちらで優待券を使わなかったら、娘に回そうと思っている。
午後、総合感冒薬を飲んで美容院に行ったら、途中で眠ってしまった。今度からは飲まないで行く事にしよう。何となく恥ずかしかった。
家族は小田原でゴルフ。いつもより帰りが遅いので、体操をゆっくりとした。
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| 2012年4月1日(日) |
| 受難の主日(枝の主日) |
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今日から4月。気温が低い3月を過ごしたので、やっと4月になった、という気持ちである。
そして今日は、キリスト教では受難の主日(枝の主日)にあたる日曜日である。昨日雨戸に挟んだ指はまだ痛いが、ミサに行く。棕櫚の葉を手にした信者たちは、ミサの始めに神父に聖水をかけてもらうのだ。私は棕櫚の葉を持って通路側に立っていたが、聖水器から小さな捧で振り掛けてくれる聖水の雫が、ちょうど痛めたばかりの私の右手に落ちた。有り難き幸せ、きっと早く治ると思った。この儀式が終って、来週は復活祭のミサになる。
棕櫚の葉は、帰りがけに娘の分ももらった。会った時渡したいと思う。
午後は、家族と2人で、八幡宮に向う段蔓の桜の様子を見に行った。2輪か3輪咲いている程度で、来週辺りが見頃と思った。途中でコーヒーを飲んだが、どの店も混んでいた。
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| 2012年3月31日(土) |
| 大荒れの日、雨戸に手を挟み |
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予報通り朝から大荒れの天気になった。家族は休日で、いつもの通り整形外科のリハビリに行く。僅かな距離だが雨風で大変と思っていたが、帰宅すると「リハビリ・ルームは空いていたよ」と言っていた。なるほど、天候で通院出来ない人が居るわけだ。
その勢いで、というわけでもないが、2人で近くのクリーニング店に行った。冬物をそろそろ出そうと思っていたし、土日はクリーニング料が2割引にもなる。荷物を持ち傘を差して出かけた。途中、雨よりも風がひどく、傘を飛ばされそうになった。帰りに近くの八百屋さんに寄って、無事に帰った。
その後がいけなかった。2階のデスクの前に座り、コンピューターと向き合っている時、風と共に大雨が降り出した。書斎にしている部屋の雨戸は閉まっていたが、東向きの部屋の雨戸か開いていた。雨水の浸入を防がなくてはならない。急いで閉めにいって、ガラス戸を開け、風と雨を顔中に浴びながら雨戸を閉め始めた。1枚目をレールの上に送り、2枚目を右に送った時、右手の中指に痛みが走った。1枚目と2枚目の間に薬指を挟んだのだ。「あっ」と声を挙げて見ると、表側の指の1部と裏側の指の1部が裂けて、血が滲んでいた。滲むというより、今にもばっーと吹き出そうな感じであった。雨戸はそのままにして、急いで下に降り、洗面台の水をジャージャー出して、傷口を冷やすだけ冷やした。その後居間に行き、家族に事情を話しながら、マキロンで消毒して、バンドエイドを巻いた。出血は何とか抑えたが、指の先ゆえ、強い痛みがあり、それはなかなか治まらなかった。
今度の新しい雨戸は、木製ではなく合成の鋼板なのでとても硬い。挟んだのはこれで2度目だ。気を付けなくてはならない。幸い骨折はしていなかったが、いつ何時挟むかも分からない。注意しましょう、と思っても、大荒れの時などは、どうも慌てる。しかし、物を書く時に使う大切な右手、右手様だ。いつもお世話になっているのに、大切にしなくて御免なさい。
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| 2012年3月30日(金) |
| 曇りのち風が吹いて |
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明日にかけて天候が崩れるらしい。午前中は曇っているだけだったが、午後からは風が強くなってきた。庭も少し弄りたいと思っていたが、今日はお預けとする。そして午前中からはり治療に行く。血圧が下がった話を、治療師に話す。治療師と言っても高齢者ではなく、私にとっては息子と同じぐらいの年齢の人である。その人が犬好きと前から聞いてはいたが、今日はその中型犬が治療院のなかにいて、時折鳴き声を上げていた。主人が仕事をしているのが、理解できないのだろう。「お父さん、お仕事」と声をかけていたが、少し気になった。ともかく天候の悪い時は仕方がない。夜になったら、犬好きの家族に話してみようと思った。
今日からプロ野球の公式戦が始まった。巨人は第1戦を落とした。
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| 2012年3月29日(木) |
| 血圧は上々 |
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朝、近くの内科クリニックに行く。血圧は高くもなく低くもなく、理想的と言われた。昨日の体操のお陰か。体操そのものより、体操をする気になっていることが大事なのだ。機嫌よく帰ってくる。帰宅して洗濯物を干してから、葉書を4枚書いた。投函しがてら、郵便局周辺で買い物をした。
帰宅後、コンピューター上の用事があった。それは、ホームページを開いている親元のJ社が、別の親元B社のサービスに移行するという話で、こちらは別に望んでいるわけではないが、先方の都合で手続をしなくてはならないことになっている。前から知らせがあったが、その手続の開始が、今日からで、(6月一杯は旧ドメインで開ける)送られてきたメールに、IDナンバー、パスワードなどを書き込む。パスワードは忘れてしまったが、いつもの大学ノートにメモしてあった。その箇所を探すのに骨は折ったが、何とか照合、一致した。読者には、旧ドメインをクリックしても、ジャンプ機能が付くそうだが、果たして上手くいくか、少し不安である。こういう風に、親元の会社が変わったり、合併することはよくあるらしいが、加入者が振り回されるのは困る。これからも注意しなくてはならないので、一応書いておく。
夕食は、九条葱を使って、焼鳥を焼いた。
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| 2012年3月28日(水) |
| 読書と体操 |
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『鉛のバラ』を少し読む。まだ、序章、七十歳になった主人公が島に帰還するところだが、行間に色気が足りない気がする。やがて芳香が漂ってくる、と思うのだが。
ところで久しぶりに体操を始めた。血圧を上げてはならないと思っている。WIIふいっとを開くと、何日間休んでいたかが分かる。小説を書いていた間だから、その日にちを数字として今書くわけにはいかない。どのくらいの枚数の小説に、どのくらい体操を休んだか、ということは職業上々の秘密なのである。苦労して書き、他のことが考えられなくなったことは確かだが、さらりと書いたように思われたい気持もある。変な見栄なのかもしれない。どの道、こういう話は裏話であって、書き手は読者に作品だけを提供することになる。それだけが全てと思ってくださると有り難い。
中断の後だったが、体操の腕は鈍っていなかった。硬さもすぐに解れた。外出は駅前のTスーパーの往復のみ。家族が毎日飲むヨーグルト・ドリンクは、お1人様2本まで、となっていた。理由はまだ分からない。
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| 2012年3月27日(火) |
| 古書店で、丸山健二著の『鉛のバラ』を見付ける |
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暖かくなってきたので、駅までの道を歩いた。そして途中、大通りの古書店にふらりと入った。この公文堂という古書店は、店内も広く、なかなか良い本が置いてある。その奥の方の棚で、丸山健二の『鉛のバラ』を見付け、それを購入した。定価の半額の値段だったが、古書としては高い方だろう。映画俳優の高倉健を主人公に見立て、実験的に書かれた長編で、高倉健の写真も載っている。楽しみに読むことにしよう。しかし、古書店の天井まで高く積まれている本の数々を見るにつけ、地震があったら大変だな、と思う。ちょっとした地震ノイローゼになっているのかもしれない。
スーパーに立ち寄って帰宅し、それからカレーを煮込み始めた。途中少し体操をした。暖かくなると体操がしたくなる。雑草取りをするにも、柔軟体操をしていないと、持久力がない。ストレッチとヨガを合せて35分頑張った。読書は夜になった。
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| 2012年3月26日(月) |
| 『銀座復興』所収の「遺産」読む |
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大分前に、横浜で買い物をし、その折に頼んだ直しの服を取りに行くのを忘れていた。思い出した以上は取りに行かなくてはならない。午前中はデスクの仕事をして午後から横浜に行った。袖丈の詰めを頼んだジャケットは、思ったより地味目であった。しかし、袖丈はきちんと直っていた。その他はバーゲンのシャツを1枚買っただけで、地下に降りて食材を買って家路に着いた。往復の車中、持って行った文庫本『銀座復興』(水上瀧太郎著)所収の「遺産」を読んだ。坂上弘氏の解説と合わせて読んだ。時間の経つのが早かった。
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| 2012年3月25日(日) |
| 少し腰痛残る |
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昨日の雑草取りで少し腰痛が残ったが大したことはない。日曜のミサだけは休んだ。サボると後ろめたい気持ちにはなるが、心身とも楽になる。残念だが年齢的には仕方がない。昼頃、家族と電車に乗って藤沢市に行った。大型電気店に寄って、浴室暖房機をチェックしたが、それらしい品物が全くなかった。浴室で使うものには感電の問題など厳しい条件がある、と店の人は話していた。家族と、それなら馴染みのリフォーム店に当ってみようか、と話した。これからは暖かくなるので良いが、今度の冬までには考えておかなくてはならない。そんなことを考えながら昼食はいつもの店で取った。スパゲッティのトマトの酸味が舌に快く染みた。往復とも、江ノ電は混んでいた。観光シーズンなのだろう。
帰宅して少し雑草取りをして、それから大相撲千秋楽のテレビ中継を観た。関脇鶴竜が本割りで負けて、やはり本割りで買った白龍と決定戦になった。そして白龍が勝って、22回目の優勝となった。負けた鶴竜は大関昇進が決まりとなった。去年の大相撲のトラブル、と1場所の中止を思うと、この春場所の盛況は何よりと思う。力士たちの心身の健康を祈って止まない。
用心のため、湯上り時、腰に湿布を張った。
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| 2012年3月24日(土) |
| 母の誕生日 |
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もう何度も書いているが、今日は母の誕生日である。もう私以外に母の誕生日を覚えている人は居なくなった。つまり子供は私だけになってしまったのだ。しかし、暖かくなりつつある頃で、良い日が誕生日だったと思っている。子供の数が多かったから、母は何人も孫の顔を見ていたが、末っ子の私の子供たちには会うことがなかった。今になると、何としても見せてあげたかった、と思う。それに別れたのが二十歳そこそこだったということもあるが、母には何も恩返しをしていなかったと思う。今の年になると、そのことがとても悔やまれる。母は、私の小説『降誕祭の手紙』が芥川賞の候補になった時、とても喜んでいたというから(姉の話)、天国の母のためにも良い小説を書かなくてはならない。
そんなことを考えながら、午前中は、雑草取りを少しと、ヨーグルト・ドリンクの買出しなどをした。
午後は娘夫婦が来て、鎌倉坂ノ下の御霊神社まで散歩に行った。この辺りは最近終了したテレビドラマの背景になった場所で、ちょっとしたブームになっている。団体客なども集っていた。帰りは鎌倉駅に出てスーパーに寄り、買い物をした。娘夫婦とは駅の構内で別れた。
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| 2012年3月23日(金) |
| 雨の日の読書 |
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小雨の日になった。午前中は雑用を済まし、昼前後は、昨日も書いた『銀座復興』を読んで過ごした。文庫本で117ページの作品。解説者の坂上氏のご文も繰り返し読んだ。最後の5、6行が気に入って、いつでも思い出せるように暗記した。氏のご文は言い回しが難しく、暗記しにくかったが、何とか覚えた。これなら台所に居ても、口ずさむことが出来、勇気が湧く。こんなことをするのも久しぶりのことだ。
午後3時よりはり治療に行く。このところ、金曜日は何時も天気が悪い。そして寒い。帰宅して湯豆腐を拵える。
夕食後、孫のH子より電話があった。誕生日プレゼントのお礼である。この頃は声が大人になって、お姉ちゃんと間違えるようになった。風邪はまだ少し残っているような……。
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| 2012年3月22日(木) |
| 『銀座復興』水上瀧太郎著(岩波文庫)届く |
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今日の昼、一冊の本が届いた。文庫本である。よくご本を寄贈して頂くが、この本には心当たりがなかった。しかし、梱包の表紙をよく見ると、「解説者代送」となっていた。ページをめくりすぐに分かった。作品の解説者は坂上弘、となっていた。三田文学理事長である坂上弘氏がお手配し、ご恵送下さったのだ。久しぶりに読む氏のご文には感慨深いものがあった。水上氏の作品『銀座復興』には、大正12年9月1日の関東大震災後の、灰と化した銀座の街の様子が描かれている。最初にトタン屋根で飲み屋を立ち上げた店に、集ってくる人びと、焼け出された者、焼け出されなかった者が集ってきて、少しずつ復興してくる様子とその日日の人びとの気持ちが描かれている。この作品は去年の暮に、三田文学と慶応義塾主催で、久保田万太郎脚色の朗読会を行った。東日本大震災と重ね合わせて、観衆は共感を持って聴いた。この文庫本はそれがきっかけとなって、発刊の運びとなったらしい。事実を事実として受け止めようとする1人のサラリーマンの姿勢が好もしく思える作品である。他に『九月一日』などがある。この日、作者の水上氏は、鎌倉市の由比ガ浜に居たという。その作品には、滑川(なめりがわ)、一の鳥居、などという市民には親しみのある地名が出てくる。地震の描写などは、我々市民にとっていささか怖い作品でもある。
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| 2012年3月21日(水) |
| 陶芸家のお家へ |
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雛祭りの宴で同じテーブルだったのがご縁で、やはり同じテーブルだったS・F子さんとご一緒に、北鎌倉の陶芸家のお家にお邪魔することになった。お相手は、故河村又次郎様の奥様、そして息子さんご夫婦である。昼過ぎ、鎌倉のある場所で待ち合わせ、若奥様の車に乗せて頂く。北鎌倉と大船の間の、分かりにくい場所とのことで、たまたまこちらの方角に来る用事があったとのことだった。つまりお言葉に甘えたわけだ。
到着してすぐに、邸内庭奥のトンネルを越えた場所の、釜場を見せていただいた。思っていたより大きな釜場で、1度に沢山焼けるような大きさであった。木々も繁っていて栗鼠が枝の上を走る風情ある場所だった。
それから、かつては北大路魯山人が住んでいたというお屋敷内の一室で、お薄を頂き、しばし歓談した。故又次郎氏は、仕事も遊びも好きな方だったそうで、浜尾枢機卿とも交流のあった方とも伺った。未亡人になられた奥様は、少しお淋しそうだったが、八十を越えても矍鑠としていて、お話もきちんとしていた。その上、筆の書が見事で、昨年お葉書を頂いて、そのご達筆に感心した。息子さんは陶芸家の跡を継ぎ、若奥様は美しく教養のある方で、この方が三田出身で、3月3日の雛の宴に参加されたのかと思った。帰りは北鎌倉の駅まで車で送って頂いた。めったに経験出来ない経験をしたという日であった。
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| 2012年3月20日(火) |
| 無名塾の芝居を観に |
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春分の日の休日である。
家族と久しぶりに東京銀座に出る。ル・テアトル銀座にて、仲代達矢主宰の無名塾の公演を見るためである。かつて此処は、テアトル銀座という映画館があった場所である。劇場は新しい建物の上階にある。演目は「ホブソンの選択」。お仲間はいつもの大学演劇部OB会の皆様である。
小説書きに忙しく、家に籠っていたから、考えてみると今年初めての銀座であった。仲代はそのホブソン役を演じた。ストーリーはその3人娘の縁談がらみに進んでいく。イギリス、ヴィクトリア時代、まだ主人と使用人の身分の違いが色濃くあった時代だ。仲代は少し年を取ったかと思ったが、動きも軽くまあまあ好演していた。
帰りは二次会の軽食を済ませ、四丁目の三越に寄って帰った。往復の電車など特にトラブルはなかった。
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| 2012年3月19日(月) |
| もう1つフェルトの袋を作る |
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街に出たついでに、手芸店に寄った。更にフェルト生地を買うためである。幸い、20センチ角ぐらいのフェルト生地がある。10枚買うと安くなると言うので、色取り取りを10枚選んだ。しかし、数え間違えたのか<11枚になっていた。どれか1つを返すのも憚られ、結局11枚買ってしまった。帰宅して、また手芸をした。針は殆どアップリケという動きで進んだが、それは昔取った杵柄で、スムーズに行ったが、問題は、針の穴に糸を通す時であった。1度や2度では到底穴に入らない。何回もトライしてやっと通る。それでも糸の色を変えたい時は、更に針の穴に立ち向かう。やっと通して針を進める。可愛らしい袋が出来上がった.しかし、これは息子のためなので、色はやや地味目にした。飛行機に乗る時、地震に遭った時には、これを持って祈るように、手紙を添えるつもりだ。
息子は小さい時、モーターの音が嫌いで、当時町内を回っていた殺虫剤を散布する車が大嫌いだった。大きなモーター音と共に、散布車が路地に入ってきて、門を開けて各家に殺虫剤を散布する。瞬間、モーター音のボリュームが上る。効果はあるが、人の声も何も聞えなくなるほどの音響で、おまけにしばらくは家中薬臭かった。その時のことを思い出すと、その後息子は、成長過程でどうやって怖がりを克服したのか、と微笑ましく思う。まあ、この手作りの袋で、少しは温かみを感じてくれれば良い、と願う。
夕食は、紐で巻いた豚肉をオーブンで焼いた。家族に好評であった。
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| 2012年3月18日(日) |
| コンタツ(ロザリオ)を祝別して頂く |
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日曜のミサに行く。その折に前もって準備してあったロザリオとメダイを持って行った。ロザリオは、昔コンタツと言った。ラテン語で数えるという語らしい。英語の、Count、と同じような意味か。C神父は四旬節の行事で忙しそうであったが、
「お忙しいところ済みません」と言って、祝別をお願いした。神父はすぐに引き受けてくださり、その場でロザリオ、メダイに祝福をしてくれた。この短い時間の祈りの儀式によって、只の物が、聖霊を持った物になる。(と、昔、実家の母に教えられた)今回は、その祝別をしてもらって、とても安心した。というのは、下の孫の誕生日にフェルト生地でお守り袋を作り、なかにマリアのメダイを入れて贈ろうと思っていたからである。
ミサが終り、家に帰り、すぐに買っておいたフェルト生地でお守り袋を作り始めた。元々は、H子に作ってもらったものだ。それと同じに作ってあげる、と正月に約束をした。約束は祖母として守らなければいけない。1時間と少しで可愛らしいお守りが完成した。なかには小さなメダイが1個入った。
夜になって、その孫と電話で話をした。今日は一家で原宿に行った、と言っていた。上の孫が「原宿に行ってみたい」と申し出でたと言う。そういう年頃なのだろう。良い日曜日であった。
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| 2012年3月17日(土) |
| 雨の日の読書 |
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家族の休日は雨になった。それでも歯医者に行ったりと忙しい。帰って来た家族は、歯科医に、「とても良い歯だ」と言われたと言っていた。私もそろそろ検診に行かなくてはと思っている。これまでお世話になったS歯科医が亡くなって約1年になる。今度の先生は若い歯科医だが、家からとても近く、家族もすでに通っている。2人ともまだ煎餅などはポリポリと噛んでいる。幸せなことと思う。
雨で買出しに行きたくなかったので、冷蔵庫の中のもので工夫して3食を拵えた。合間の時間は、丸山健二氏の初期作品集を読んで過ごした。氏が最年少記録で芥川賞を受賞した年は、2人目の子供を産んだ頃で、私は髪振り乱し子育てをし、読書をする時間もままならなかった。今頃になって、それらの空白の時間を埋めようとするのも可笑しいが、何もしないよりはまだ増しである。(と言い訳して)受賞作『夏の流れ』と、『その日は船で』を読み終えた。『その日は船で』では、主人公の妻が人工中絶をする時の切迫した気持ちと、船が入港する海の描写、近くの山の描写などが、夫の視点から淡々としかし悲しく、描かれている。読みながら、私のこの時期の、子育ての煩雑さがダブって頭に浮ぶ。ああ、どうして人の世の時間は、短く悲しく過ぎていくのだろう。それにしても、この素材を男性の視点で書いた小説は始めて読んだ。ジェイム.ジョイスの手法、意識の流れがところどころにある。
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| 2012年3月16日(金) |
| M社のヨーグルト・ドリンクが品薄 |
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家族が毎朝飲んでいるM社のヨーグルト・ドリンクが最近品薄である。時にはスーパーのその棚だけが空になっている。この状態は去年の地震直後以来のことである。あの時は工場に被害があったとか、品薄の理由が納得できたが、今回の理由はあまりよく分からない。今朝はそんなことで、スーパーの開店時間少し前に出かけて行って、入口で2.3分待ってオープンと同時に入店した。幸いM社のドリンクは置いてあったが、買い占めるわけにも行かず、5本買って帰った。牛乳が飲めない家族にとっては、貴重な栄養源なのだ。しかし、朝は大抵デスクの仕事をしていて、買い物は午後が普通のペースである。午後にスーパーに買出しに行っても、M社のドリンクが品切れでないことを祈る。買い物が終って、少し読書をした。
午後はM治療院にはり治療に行った。首の辺りが非常に凝っている。
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| 2012年3月15日(木) |
| 不意に山川方夫の話を |
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朝1番に、近くの内科クリニックに行った。血圧はまあまあの数値であった。次に待つ患者さんも居なかったので、医師と少し話し込んだ。書く時間は夜か昼か、などと聞かれた後、不意に「山川方夫さん」という言葉が医師の口から出た。そして、「高校生の時、山川氏の『愛のごとく』を読みました」と話を聞かせてくれた。
こんなところで、山川方夫さんという言葉を聞くなんて…、と私は思い、大変嬉しかった。去年か一昨年の日本ペンクラブの会合で、お会いした著名な作家Aが、「山川方夫、……知りませんなあ」と言ったので、非常に腹が立った。「それでも作家か」と言いたい気持だった。そんなことがあったのでなおさら嬉しかった。
一旦家に帰った。午後は、最近知り合ったばかりの、徳島出身の書家、佐藤文子(沙音)さんと一緒に「冬青、小林勇展」に行った。場所は鎌倉御成町のドローウイング・ギャラリー。小林さんの娘さんの小松美沙子さんも見えていた。佐藤さんは小林さんの書や絵がお好きとのことだったが、展示されていたものには若い頃のような、人を誘い込むものがない、ただ画けるから画いた、というものが多い、言っていた。厳しいご批評に、こちらは耳が痛い、気持ちであった。
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| 2012年3月14日(水) |
| パスワードについて |
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インターネットに何かを登録、または申し込みをするに際し、こちらのメールアドレスと、パスワードを書き込んでください、と要求されることがある。自分である、ということを証明するため、人に勝手にパソコンを開けられないために、など理由は色々あるが、それはあちら側の要求で、こちらの問題としては、ノートにメモをするなど、記憶することが大変になってくる。他のことでも暗証番号を使う場合があるが、これはまあ一応記憶している。困るのは新しいシステムの新しく要求されるパスワードである。
例えばローマ字だけでなく、半角英数字を混ぜて下さい、とか、8文字以上、16文字以内にして下さい、とか、そのつど注文が違ってくる。最近私は、本を取り寄せるAmazon.comをはじめとして、旅行会社、パソコンウイルス防御の一ヵ月無料体験、などにアクセスした。そのどれもパスワードを必要とする。
それらの要求が微妙に違っていて、パスワードが3件3様になった。ノートに赤いボールペンで記したから、一応後でも分かるようになっているが、諳んじているかと言うと、怪しい。今は分かるにしても、そのうちにメモしたことも忘れるかもしれない。ともかく今日はこのことを、忘れないためにも書いておく。
今日は銀行に行く道、隣家のN夫人に会った。拙作の話をさせてもらった。
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| 2012年3月13日(火) |
| 午前中の忙しさ |
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朝まだ家族が居るうちに電話がかかる。書家の佐藤さんから明後日の、冬青小林勇展を観に行く件の打ち合わせをした。
電話を切るとすぐに台所口に人が来た。鍵を開けると、明日に延期したはずのお掃除のMさんが居る。どうやら日を間違えたらしい。私は今日昼に食事会がある。しかし、せっかく来てくれたのだからと、出かける時間まで仕事をしてもらった。30分ぐらい少なくなったが、次の日に多くやりますと言って帰って行った。
食事会は予約をしないでぶっつけに中華の店に入ったが、6人の席は確保出来た。予約をしないと料理が安くて済む。しかし、テーブルが6人では少し狭かった。.一長一短だ。
二次会はいつもの紅茶の店に行った.。たまのことなので皆よく喋った。
帰宅して読んだ朝日夕刊の文芸時評に、震災から1年、作家たちの表現百出、という見出しに心惹かれた。震災に対する思いは本当にそれぞれだ。1人として同じ視点がないところが面白いし興味深い。記事を切り抜いて何べんも読んだ。私の新作品もその一端を担っていると思うと、安閑としてはいられない気持ちになった。私たちの世代を一括して言うと、戦争体験があり、その喪失感があっての上の、この東日本大震災、の経験ということになる。大きな違いは、戦争は人間が起こしたもの。震災は自然災害。しかし原発事故はやはり人間の作ったものによる事故。その違いはきちんと区別しなくてはならないと思う。
夕方、Amazon.comに注文した本が届いた。
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| 2012年3月12日(月) |
| 休養の日 |
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昨日は、自分としてかなりハードな1日を過ごしたが、今朝体重計に乗ったら少々増えていた。この理由が分からない。反って家で静かにしている方が減ることもある。疲れて腎機能が鈍くなり、浮腫むということもあるのか。体の原理、具体的には肥満の原理が分からない。体重増はストレスから、ということに落ち着くのか。気ままにごろごろしていた方が、健康には良いのかもしれない。しかし、ストレスのない暮しなどはあり得ない。
今日は、インターネットでの国内旅行の予約、美容院に行くなど、どちらかと言うと自分本位に時間を過ごした。午後、友人にFAXを送ったが、「応答がありません」という文字が出て来た。その人に電話をすると、そちらにはエラーという文字が出るとのことだった。私もインターネットはやるが、FAX機能にはあまり強くない。面倒くさくなってFAX送信は止めた。
夜はシチューを煮た。
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| 2012年3月11日(日) |
| 東日本大震災から一年 |
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ミサに行く前に、郵便局に行った。日曜日でもゆうちょの窓口は1つだけ開いていた。隣の八百屋市場(農協)が賑わっていた。時間が早いと品物も豊富だ。蕪と人参を買ったので徒歩で一旦家に戻る。野菜を置いてその足で教会に向った。
神父は冒頭で、今日のミサは東日本大震災で亡くなられた人たち、そして被災された人たちに捧げると言った。そして途中のお話では、一年経ったからと言って、決して終ったと思ってはならない。震災は現在も進行形である、と付け加えた。全くその通りだと思った。
帰宅するとひと休みも間もなく、家族と菩提寺に墓参りに行く。家族の父の祥月命日が7日だった。菩提寺の墓の裏山では鶯が高らかに鳴いていた。義理の父に手を合せ、祈った。私は生前に会っていないが、きっと空から見守ってくれていると思った。家族は墓参りを欠かさない親孝行息子だ。そのお陰で皆安泰に暮している。帰りは、かつての愛犬ムムちゃんの墓にも行って祈った。その帰り道、寺の境内の孔雀の檻の前を通ったら、いつもは羽根を閉じている孔雀が突然羽根を開いた。急いで、携帯で写真を撮ったが、携帯の写真昨日に慣れていないことと、檻の網目が邪魔をして、良い写真は取れなかった。残念!
なお、我が家の車は、あまり乗らなかったので、バッテリーが上ってしまった。近くのHさんの息子さんが来てくれ、対応してくれた。夜はテレビの大河ドラマ、「平清盛」を観る。俗世時代の西行法師、(佐藤義清))が出家するまでの話が放映されていた。この人1人だけでも、1編の小説が出来るものを、脇役では勿体ないな、と思いながら観た。
今日は一日で8800歩記録した。
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| 2012年3月10日(土) |
| 東京大空襲の日 |
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今日3月10日は東京下町の大空襲のあった日だ。関係者の証言などがテレビで伝えられている。3月11日の震災の記憶は真新しいが、戦災の記憶はだんだんと風化されている。昭和20年は、日本全体が敗戦国になり、それまでの価値観が覆された年でもある。我々の年の人は、この戦争体験と、去年の震災体験の両方を知っている。伝えられるだけのことは伝えていきたいと思っている。
昼頃、原稿を持って書店と郵便局に行く。家族にもその旨を伝えた。その足でスーパーに寄り、長葱など野菜を買った。ガスのグリルを使って今夜は焼鳥でもしようか。
午後は、岩手県大槌町のFさんご無事の件を、忘年会などの事務局長でもある、I.Sさんにメールした。男性同士の友情に期待する。
夜、校正で1つ気になるところがあり、葉書をしたためる。これを明日ミサに行く前に、郵便局に持って行く予定。
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| 2012年3月9日(金) |
| 一日中仕事 |
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朝、鎌倉ペンクラブのTさんより電話があった。毎年鎌倉かるたの読み札を読んでくれる人が、今年は欠席とのこと。適任と思われる人がいるので紹介させてもらった。果たして引き受けてくれるかどうか。ちなみに私は仕事で欠席をする。その仕事で今日は1日潰れた。
2日後が東日本大震災のあった3月11日なので、テレビ新聞の報道はその事ばかり伝えている。直接の被害者ではないが、日本人の1人として、そして文筆に携わる者として気が重い。復興はまだ序の口とも言えない。文筆に何が出来るか。書けることは書いていかなくてはならない。表現はさまざまだが、1人1人がどこかで繋がっている気がする。
そんなわけで体操もせず、就寝時間になってしまった。
1つだけ、楽しみの部類に入ることをした。それはインターネットで旅会社Jに会員登録をした。ニックネームを緑野菜の名前にした。すぐにJ社から、緑野菜(仮称)さん、ようこそ、というメールが来た。このネットから宿泊の申し込みが出来る。さて、何処にいくか、何時にするか?
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| 2012年3月8日(木) |
| 句会に行く |
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落ち込んだ気分を振り払い、朝8時44分発江ノ電に乗り、そのままで鎌倉大船、大船関内という電車で、句会会場に行く。一旦出かけると思ったほど落ち込んでいないのが分かる。
句会は前回よりも順調であった。提出された句は55句、それらの句をそれぞれが5句ずつ選ぶ。最後にW先生が選ぶ。私の句の2句が、W先生に選ばれ、なかの1句が特選になった。びっくりした。
以下はその2句。
震災を 畏れ畏れず 春を待つ
拙文の 活字蒲公英(たんぽぽ) 羽根になれ
帰りは横浜に出て高島屋に寄った。ずっと書いていたので、今年初めてのデパートで、心が弾んだ。少し買い物をした。
帰宅したら編集部からゲラ稿が届いていた。家族は会合で遅し。疲れたので仕事は明日から始める。
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| 2012年3月7日(水) |
| 俳句5句と読書など |
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朝、家族を見送った後、庭の枯れ枝を少し切った。菊の枯れ枝の下からは、もうこの秋に咲く菊の新芽が出ている。枯れ枝を切ってやらなくては新芽が育たない。暖かいが少し曇っている。元気出して行こうと思う。
娘よりメールが来る。行こうとしている旅の情報を知らせてくれた。サンキュー!
午後、御成の道を歩き、小林勇展が行われるギャラリーをチェックする。小さなギャラリーだった。その後書店に行き、目差す旅の本を1冊買った。家に帰って明日の句会のために俳句を5句作る。家族の帰りは遅く。時間があり、読書も出来た。「日と月と刀」丸山健二著、下巻はもう終りに近く、読了寸前である。また同じ作者の本をAmazon・comに注文しようと思う。家の小さな血圧計で血圧を測る。大して高くないが、ちょっと気にしているようだ。
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| 2012年3月6日(火) |
| 腹立ちの経験はブラスに |
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警察署に新しい免許証をもらいに行く。これで最後になるかならないか?二年経ったら考えよう。
その他にも婦人科検診の結果を聞きに行った。子宮、乳房、ついでにした大腸がんの検診もOKであった。しかし、婦人科の医師に、高血圧のチェックをされ、その対応が優しい感じでなく、質問をぐいぐいとするので参った。こんな風だと反って血圧が上ってしまう。病人はナーヴァスだと知っておいて欲しい。しかし、腹が立った時は、その経験をブラスに変えていこうと思う。注意して生きていこう。午後また軽い散歩をした。
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| 2012年3月5日(月) |
| 耳鼻科に行って嬉しく |
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雨強く寒い。朝、書家のSさんに電話した。小林勇展の知らせが届いたので、氏の作品に惹かれているというSさんにその旨伝えた。場所は御成町のドロウイング・ギャラリー、日時は3月15日から25日までとのこと。
午前中に耳鼻科に行った。その前に書いた葉書を持って投函し、A耳鼻科に行った。薬だけの治療ではなく、鼻の奥や喉に薬を塗ってくれる治療が嬉しい。鼻も喉も薬にちょっと沁みて、効き目があるように感じられる。しかも医師は息子の小学校の同級生で、昔話に花が咲いた。看護師さんたちも笑っていた。クリニックも行って良かった所とそうでないところがある。願わくば行って良かったという所ばかりであって欲しい。
雨は1日降っていた。家族の帰りも早かった。雨のなかご苦労様。
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| 2012年3月4日(日) |
| 「笑点」のネーミングの由来 |
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日曜のミサは休んだ。そう無理は出来ない。午前中は少しだけ二階に居た。デスク前に座ると落ち着くが、知らないまに疲れていることがある。書くことが好きなので、自然とそうなる。気を付けなくてはならない。
その後は昼ご飯を簡単に拵える。休日は3食作ることになるが、昨夜の夕食が雛祭りで済んだから、2日間で5食となる。50年余、よく食事を作ってきたと思う。しかもこれからも続く。まあ、食事が作れるうちが幸せなのだろう。
日曜のテレビ番組は、長寿番組の「笑点」と大河ドラマの「平清盛」だ。この「笑点」のネーミングは、北海道出身、在住の作家、故三浦綾子氏の代表作、そしてベストセラーにもなった『氷点』から、付けられたと今知っている人がどれだけ居るだろうか?発足当時はそれが話題になったものだった。司会者も数人代っている。
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| 2012年3月3日(土) |
| 雛祭りは大仏様で |
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鎌倉三田会婦人会主催の雛祭りに今年も出席した。雨が続いていたが、幸い晴れてくれた。
今年は家族も伴って行った。会場は大仏殿に向って右側の広いお座敷である。山を背にしたお庭も奥ゆかしく、畳の会場に入って行った。雛祭りと言っても、男性の出席者も多く、去年よりも賑やかな会場であった。ゲスト・スピーカーは鎌倉ーソウルを歩いた塾員の雨宮氏で、コンピューターのパワー・ポイントを駆使しての映像を披露してくれた。床の間その他に飾られている古式豊かな雛人形も素晴らしかった。更に幸いだったことは、席が去年と同じ、そしてそのテーブルの近辺に座った人も同じで、会食の時、陶芸家のご一家、そして昼食会の友人とお従姉さんという、S、F子さんと話が弾んだことだった。終ったのは午後八時頃、数人の人たちとバスで、鎌倉駅方面に向った。
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| 2012年3月2日(金) |
| 鳩サブレーを送る |
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雨、寒い日。
朝、防災タンクに水を張りトイレに置く。停電ばかりを考えていたが、断水も考えなくてはならない。
午後、駅前の豊島屋に行き、鳩サブレーを大槌町に送る。あちらからリクエストがあったので、考えずに済んで助かった。雪のせいで2日ほどかかるとのこと。帰りに魚など食材を買って帰る。昼食後少し休み、夕方はり治療に行く。はりの先生と色々と話した。寒いので家族の帰りも早い。夕食は豚肉の料理など。
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| 2012年3月1日(木) |
| 岩手県大槌町と電話繋がる |
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朝一番で、近くの内科クリニックに行く。血圧は正常だった。しかし喉はまだ少し赤いとのこと、総合感冒薬はあと2日程飲むようにと言われた。この内科に来ると何となく安心する。
帰ってメールを開くと菊野美恵子さんより返信が届いていた。感謝!
午後、美容院に行った帰り、市役所の1画にある、確定申告提出所に行った。少々の還付金をもらえるので、書類に書き込んであったものを提出した。簡単なので、質問などはされなかった。ひと仕事終り、こちらはほっとした。
夜、家族の帰りが遅く、時間があったので、通信教育時代の友人で岩手県大槌町の住人に電話をかけた。幸い電話が繋がって、今は実家の方に居る、震災の時は船に乗っていて、沖に避難し9日間居たそうで、皆さんに心配かけたが、一家無事との声を聞いた。ご自宅は流されたという話だったが、とてもしっかりしたお声を聞いて心強く思った。お子さんが2人いるという話も聞いた。一緒に学んでいた頃、このFさんはまだ独身だった。震災から1年ぶりに、案じていた友人と話が出来てとても嬉しかった。
これは、3月1日の出来事。さあ、今月はどんなことが起きるか?
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| 2012年2月29日(水) |
| 朝から雪が降り積もり |
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今日で2月は終りというのに、朝から雪が降っている。それも目覚めて雨戸を開けた時は、すでに庭に数センチ積もっているという有様。思いがけない雪景色に声も出ない。(と言っても、最近はあまり大きな声を出さないが、)テレビの交通情報を観て、出勤出来るかどうか、考えている家族の横で、私はスーパーに電話をし、配達を頼む。無理して買い物に出て転倒などしたら困る。早めに決断したら、昼ごろスーパーの配達さんが来た時、「今日は配達の注文が多くて、遅い電話の方はやむなくお断りしました」と言っていた。即決即断が誠に良かった。お陰でいつも通りの食事を準備することが出来た。
しかし、寒いので寝室のエアコンを点けっぱなしで寝たら、夜中に咳き込んで起きた。むせたような感じだった。家族が起きて背中を叩いてくれた。有り難き幸せであった。もう夜中の2時過ぎていて、日付は3月1日になっていた時間だった。ともかく寒かった2月は終る。しかし、私の誕生月で、幸運も得た月であった。感謝!
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| 2012年2月28日(火) |
| 久しぶりにはり治療に |
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火曜日になり、少し元気が回復した。
お掃除のMさんが来てくれて助かる。塀の内外などを掃いてもらう。風が吹くと土が溜る場所がある。塀の前は散歩の犬が汚物を落とす。飼い主は拾っていって欲しいと願う。その他はいつも通り水回りを頼んだ。
午後は久しぶりにはり治療に行った。1時間ゆっくりとマッサージとはりをしてもらう。その間話を聞いてもらえるのが良い。一対一の丁寧さが身に沁みた。やはりはり治療には来た方が良いと思った。
夜、友人の1人と電話で話をした。病んでいる共通の友人のことをお互いにずっと気にしていたが、この程、落ち着く先、つまり病院が決ったとのことだった。ご自宅の近所とのことで、お見舞いの許可もお身内の了解も取ったとのこと、ひとまず安心した。
夜更けて、Amazon・com で購入した本「日と月と刀」のレヴューを書いた。
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| 2012年2月27日(月) |
| テープレコーダーがやっと上手く動き |
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階下のレコーダーが上手く使えなくて、菊野美恵子さんから届いたDVDが階下のレコーダーで観られず、2階のノートパソコンWindows7で見たことはすでに書いたが、昨日留守番をしている間に、再トライをしたら、階下のレコーダーで観られるようになった。失敗の原因を簡単に言うと、リモコンの向きが、レコーダーのセンサーに当っていなかったのである。テレビやCATVのボックスの方角に向けていたのはやや上の方角で、レコーダーのセンサーは、そのずっと下の右の端だったのである。つまり、当てるべきところにリモコンを当てていなかった。センサーが動けば、すぐに再生スタートが始まる。機械は人間と違うから、セオリーに反すると働かない。1度電話をかけて操作を聞いた息子にも、成功してから電話をし報告した。家族が帰ってからその話をしたら、「ふうん」と言っていた。しかし、何時もこうしてじいっと考えて、マシンと対決する私を、少しは可哀そうと思ってくれ、と嘆くように言った。普通なら、女性は機械に弱い.のひと言で片付くものを、どうしてこんなに頑張るのだろう?と自分でもそう思っている。家族はわたしのボヤキを黙って聞いてくれているが、果たしてそんな私の気持を分かってくれているのか、疑問だ。苦労して小説を書き終えた後で、何となく人に甘えたくなっている私でもある。嗚呼!
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| 2012年2月26日(日) |
| 頂いたロザリオに祝別を |
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2週間ぶりに日曜のミサに行く。木綿の生地(端切れ)の寄付を頼まれていたので、それを持って時間より少し早く行った。それを聖堂入口に居合わせたSさんに渡した。そして、同じ場所にまだ私服姿の神父がいたので、新しいロザリオの祝別をお願いした。ロザリオは、孫のママの母上から頂いたものだ。ピンク色でとても綺麗に輝いている。しかし、このまま使ってはならない。亡き母の話に寄ると、十字架の像やロザリオ(母はその頃、コンタツと呼んでいた)は、そのままではただの物になってしまう。必ず神父に頼んで「祝別」(シュクベツ)してもらうように、と教えられた。そのものに対し祈ってもらい聖霊を籠めてもらう、と知った。母上のせっかくのお志なので、この機会を逃すまいと神父にお願いした。C神父は快く聞いてくれて、その場で、
「この者の持つロザリオを祝したまえ」と祝福してくれた。良い機会があって幸いと感謝し喜んだ。これからは、何処で地震や災害に遭うかもしれないのだ。この新しいロザリオを肌身離さず持って祈ることにしたいと思う。
ミサが終ってから、出口で手作りのママレードを2個買った。紅茶に入れたりパンに塗ったりすると美味しい。毎年信者さんたちが作っているものだ。
さらに門を出て、通りに出ると、十字路に近い場所のオープンスペースで、大震災の救済のため東北の物産展が行われていた。そこで小さな蝋燭を数本買い帰宅した。
午後は家族が会合で外出し、1人留守をした。留守の間、友人から2度電話があり、その他は読書をし、テレビを観て過ごした。
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| 2012年2月25日(土) |
| 家族の帰りを待つ |
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今日も雨である。家族の帰りの前に、傘を差して駅前スーパーなどに行く。1人だと朝ごはんは簡単に済ませる。私はそもそも飲食にあまり執着がない。2人暮らしゆえ、相手のペースに合せて、食事を作りそれで食べ過ぎている。まあ、これも運命のようなものと、思っている。パンなどを買って帰宅すると家族は戻ってきていた。買ってきてくれてた駅弁を一緒に食べた。とても美味しかった。その後家族にもらった南天のと飴が鎮静剤の役を果たし、ウトウトと眠った。よく眠る私だ。夕食は、昼に食べなかったカツサンドやパン、そして残り物とヨーグルトと苺で済ませた。体操は昨日より多くした。
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| 2012年2月24日(金) |
| 「バルチック艦隊の真実」のDVDを観る |
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出張に行く前に整形外科のリハビリに行く、という家族に付いて、一緒にリハビリに行った。かかとの痛みは最後のところで治っていない。行かないと治らないのか、行っても治らないのかよく分からないが、リバビリ・ルームの場所が近くて保険が効くので、ずるずると続けている。
それにしても、このところ書くことと、医者へ通うばかりで、遊んでいないなぁ、と思う。まだ小説を書き終えたばかりだし、精神的に張り詰めたものが、元に戻っていないところもあるが、エクササイズ、旅行などで、心身をほぐしていかなくてはと思っている。友人たちも老いてきたし、気軽に誘える人も少なくなってきた。ストレス解消を考えていかなくてはならない。
夕方、友人の菊野美恵子さんが送ってくれたDVD「バルチック艦隊の真実」をやっと観た。階下のレコーダーでは観れず、2階のノートパソコン、Windows7で観られた。真ん中辺りに菊野さんが登場し、当時商社勤務だったご祖父の話を聞かせてくれた。現地の様子を軍部に知らせる役目をしていらしい。彼女の話し方にも品の良さが滲み出ている良い映像であった。夜は体操を少しした。その後娘から電話があり、鎌倉を舞台にしたテレビドラマの話など、しばし交歓した。
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| 2012年2月23日(木) |
| 執刀医、成毛医師の優しさを思い出す |
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雨が降り寒い。外に出たくない日であったが、前から行くと決めていた婦人科の検診に行く。2年に1度市から検診の知らせが来る。それを持っていくと費用もさしてかからない。いつも、なんでこんなに真面目に健康診断をするのだろう?と思うが、それで肺がんも発見され、今日まで生きているのだから、これからもそうするしかない。性分というものだろう。
婦人科クリニックも家の近くにある。傘を差して歩いて行った。少しボーっとしていたようで、到着して何枚かの書類に名前を書き込んでいる時、いつもより多いな、と思ったが、書き込んで診察室に入った。その結果、いつもはY内科クリニック、またはS会中央病院でする基礎検診を受けることになった。受付の女性が思い違いをしたらしい。こちらもボーっとしていて悪かった。採血、採尿、心電図など取ってもらった。その後婦人科の検診2種をしてもらい、そして大腸検査のケースをもらった。結果は10日後に分かるとのこと、普段のデータのないクリニックの内科診断で、色々と質問をされ嫌な気持になった。患者に対する話しかけのお上手だった、私の執刀医、故成毛医師の優しさが思い出された。此処の医師に罪はないが、馴染みがあると、心の準備もある、と思う。患者の心理はデリケートなのだ。帰路はスーパーに寄る気にもならず、まっすぐに家に向った。
雨は午後上がったが、そのまま家に居た。暖かくなったら、成毛先生のお墓参りに行こうと思った。
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| 2012年2月22日(水) |
| 書道の先生のお宅に行く |
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今日は市内材木座の書家、Sさんのお宅にお邪魔した。お連れは夏目漱石研究家のKさん、どちらも女性である。お2人とは1月の鎌倉ペンクラブの新年会で知り合った。Sさんは徳島から来たということを、新会員の挨拶として話していた。その印象に何となく惹かれた。そんなことで今日の訪問の話がまとまった。お家に飾られてあるSさんの書は、予感通り歳月の修練を感じさせる奥行のある作品であった。書いた文字だけではなく、余白を大切にする姿勢を感じさせられた。漢詩や哲学、そして美術にも造詣が深い。材木座の山の上の静かなお宅であった。「芸術家は長く生きなくては、」と話し合った。
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| 2012年2月21日(火) |
| 『日と月と刀』は下巻になる |
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朝1番に、添付メールを送る仕事をした。練習の方も本番もうまくいった。送り先に電話はしなかったが、送信記録にはきちんと残っているから大丈夫と思う。これで後はゲラ待ちとなる。
午後、徒歩で行かれるスーパーを往復した。帰宅してからは休養の体制に入った。風邪を完全に治さなくてはならない。体操も再開しなくてはならない、など、もとのペースに戻すまでには時間がかかる。
しかし、ソファでごろごろしても眠れず、点けたテレビも面白くなく、結局、読書を始めた。ずっと読んでいる『日と月と刀』(丸山健二著)は下巻に読み進んでいる。1400枚もの長編だが、途中退屈するところが殆どない。文体にもストーリーにも豊かさと緊張感があって飽きさせない。面白いと同時に学ぶところが多い。
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| 2012年2月20日(月) |
| お年玉年賀葉書は4枚当り |
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お年玉年賀葉書の番号を調べた。家族と合せて頂いた年賀状のうち4枚が切手シートに当っていた。郵便局で切手と交換しがてら、買い物、そして美容院に行った。髪の毛が綺麗になってさっぱりした。
家に帰って、少し休養し、夕方二階に上って、デスクに向かっている時、電話があった。原稿が届いたという連絡で、タイトルもこれで良い、など良いお返事を頂いた。年末年始、そして二月と家族にも迷惑をかけていたので、周囲のためにも本当に良かったと思った。ちなみに本日は大安である。残る仕事は、データを添付メールで送ることだ。それは明日でも良いと言われた。先ず自分のアドレスに送信して、練習しておかなくてはと思う。パソコンは確実を第一とする私である。
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| 2012年2月19日(日) |
| やっとタイトル決る |
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作品のタイトルがやっと決った。内容を把握した上で、出来る限りシンプルなタイトルになった。タイトルを見て、読者がどれだけ想像力を働かしてくれるかが問題だ。小説は最初からテーマが決り、タイトルもすんなり決るものもあるが、今回は地震の混乱から出発したので、いわゆる胸のなかのもやもやが重層的になっていたので、ほどいて客観視するのに手間と時間がかかった。苦労した作品と言ってもいいだろう。
午後には、その作品もやっと私の手元を離れた。日曜だったが郵便局の本局の窓口は開いていた。ほっとしてTスーパーの1F・2Fと買い物をしたと言うものの、何となくこれまでにない感動を覚えている。重層的なもやもやを書き込んだこと、文京区に数ヵ月居た間のことが、新しい言葉で表現出来たこと、その他、新しい言葉によって1歩も2歩も踏み込めたことが嬉しい。編集長との距離も以前より近くなった気がする。今度お会いしたら、そう伝えることにしようか。お祈りも沢山した作品だった。
夕食はスパゲッティ・ミートソースなど。テレビの「平清盛」も観た。
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| 2012年2月18日(土) |
| 内科クリニックに行き |
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朝9時過ぎに、内科クリニックに行き、2度目の風邪薬をもらった。この薬を飲んでいるうちには回復するような気がする。帰宅して今度は家族を歯医者などに送り出す。交代でクリニックに行っている。しかし、家族も私も歯は丈夫な方である。ただ、歯科医師の方が新しく若い医師に代ったので、様子を見ているところだ。そのうちに私も行かなくてはならない、検診をしてもらわなくてはと思っている。
作品のタイトルは、形容詞を変えたりしたが、結局形容詞は無し、という方向に進んでいる。その方がイメージが限定されなくて、広がる。風邪の具合はやや良くなっているが、鏡を見ると疲れた顔をしている。
年齢で老けるのは仕方がないが、げっそりした顔になるのは良くないと思う。夜、一筆箋に手紙を書く。その後はテレビを観てのん気に過ごした。美容のため、というわけでもないが。
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| 2012年2月17日(金) |
| 風邪が続き |
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外は晴れているが寒い。鼻の奥と耳にかけての通路と思われる辺りが重たい。鼻咽くうという場所らしい。クリニックでもらった抗菌剤が5日目になっているが、効き目が現れてこない。仕事を抱えている以上治らないのかと、思う。それは分かっているが、仕事を止めるわけにはいかない。つまり、風邪薬を飲みながらの原稿の手直しだ。因果な仕事だ。生きる目標があり、精神力は強くなっているが、「それで良い」というほど簡単なものではない。「書かずなば、楽な人生在りしものを……」と嘆き節を詠いたくなる時もある。
しかし、タイトルが、1歩前進した。使う名詞に形容詞を付けるか付けないか、というところまで来ている。これで何とか納まりそうだ。もうひと息だ。今日も家族の帰りは早く、ほっとした。
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| 2012年2月16日(木) |
| お兄さん、有難う |
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今日は亡くなった兄の誕生日である。生きていれば96歳になる。私にとって親代わりであった兄の影響は大きい。一生を左右したと言っても言い過ぎではない大きな存在だった。小説にも主人公の兄としてしばしば登場している。しかし、小説の世界では1人の「支配者」そして「家長」として描いているが、実生活ではすでにその影響から遠くなっている。(と思っている)今、何をひと言で言うか、と言うと、「お兄さん、有難う」である。これは入浴中のリラックスした時の気持ちだから、また変わることもあるだろうが。
風邪薬のせいか、一日中あまり食欲がなかった。配達を頼んで、今日は外出をしなかった。作品のタイトルはまだ確定していない。家族の帰りは早かった。またも今日は鍋料理。
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| 2012年2月15日(水) |
| 作品のタイトルは二転三転 |
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作品のタイトルに苦慮している。二転三転どころではない。こんな経験もはじめてだ。日常の言葉の奥、沈黙の世界の言葉を探っていると、そこに辿り着くまで「これだ」という納得の言葉に巡り会わない。風引きの最中辛いが頑張っている。
主人公の奥に巣食う業について、無意識のうちに持つ秘密について考える。考える、ではなく、すでに分かっているものの影の言葉を探っている、という感じか。作品中の具体的な事件とも連携することなので、探る作業は苦しいばかりではなく、探検のようで楽しくもある。
コンピューターのディスプレイを見ると元気になるが、耳の鼓膜に感じる風邪の症状はまだ治っていない。
家族は茨城県に出張で、1人の夜、娘から電話があり、少し話した。とても嬉しかった。
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| 2012年2月14日(火) |
| バレンタイン・デーも風邪引きで |
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バレンタイン・デーだが、風邪引きでどうしようもない。抗菌剤は飲んでいる。H医師の話だと、首から上に効く薬とか。鼻、耳、喉が治ってくれることを願いながら飲む。
明日の昼食会を中止にしたので、東京の友人より見舞いの電話をもらった。有り難きことと感謝した。
火曜なので来てくれたお掃除のMさんにはお使いに行ってもらった。これも助かった。
そんなこんなしている時も、手直しのことは考えている。今日はひとつ良いことが浮んだ。大学受験の折の運の悪さを嘆く主人公の胸に、根強く巣食っていた意識、に気付いたのである。籠の鳥のように思っていた学校から、外に出たい、飛びたいと思っていた強い気持ちを言葉にしてみると、あながち人(環境)のせいには出来ないことが分かってくる。それは業というものだったかもしれない。そういう星の下に生れたと認識しなくてはと、思いながらその1行をを付け加えたら、作品が落ち着いた。自分でも納得した。少なくとも独り善がりの小説にはならない、と思う。
夜は粕汁を拵えて飲み、暖まった。
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| 2012年2月13日(月) |
| やっとクリニックに行き |
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月曜になり、オープンしているクリニックに行ってやっと抗菌剤をもらった。今その薬を飲んだところである。今日は結構手直しを頑張った。しかしタイトルはまだ決らない。苦しんでいると言っても良い。寝る前に入浴をして、湯冷めをしないようにすぐに寝室に行くようにしているが、入浴中に色々とヒントが降ってくることがある。今夜も一つタイトルが浮んできたが、100パーセント納得とはいかない。それでも核心に近いところまで行っている。もうひと息、書きながら核心を見つけていかなくてはならない、と思っている。家族の帰りは早く、寒いので顔を見るとほっとする。今夜も冷え込んでいる。
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| 2012年2月12日(日) |
| ミサは病欠する |
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祈りたいことは沢山あるが、体調を考えて休んだ。最近は聖堂のなかも節電であまり暖かくない。贅沢は言えないが、上着を脱ぎたくない温度である。
いつもはミサに行き、観ない時間のNHKテレビを観ていると、ザ・タイガース再結成の話と、由紀さおりさんとピンク・マルティーニがコラボして作った「1969」というCDが爆発的に売れているという話、などが流されている。おお、懐かしき沢田研二も中年太りしてしまったが、人柄の良さと美声は昔のままである。由紀さおりさんは、「ポップスではなく、演歌でもない、歌謡曲というものをもう1度歌ってみたかった」とコメントしている。このヒットしたCDを買ってみようかな、と思う。
日中は手直しを1時間半ほどした。タイトルには苦慮している。ずっとタイトル「P」としてしてきた小説は、タイトル「T」になりつつある。T、の下の言葉がまだ決っていない。
夕方は久しぶりに4chのテレビ番組「笑点」を観た。笑う門には福来る、である。
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| 2012年2月11日(土) |
| クリニックは休診 そして地震 |
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風邪薬をもらおうとクリニックに行った。いつもは土曜日はお昼までオープンしているクリニックだ。しかし、入口まで行ってびっくり、何と休診の札が下がっているではないか。考えてみると今日は、建国記念日、つまり国民の祝日であった。土日が勤め人の家族の休日なので、いつもの通りの土曜日と思ってしまったのだ。すごすごと戻って来た私を見て家族も「ああ」と気付いたようであった。のん気なものだ。
しかし、その後茨城南部を震源地とする、震度3の地震があった。地震のニュースはほぼ毎日ある。いつ何が起こるかと思うと、そうのん気にもしていられない。
風邪の具合はあまり良くなく、姑の命日である今日、私は休養することにして家族のみの墓参となった。鼻が詰まっていて耳の鼓膜がボーっとしている。抗菌剤は月曜日にもらいに行く。家には総合感冒薬しかない。食料の買出しも家族にしてもらった。原稿の手直しもあるし、高熱を出して寝込むわけにはいかないと思う。申し訳ないが家族に甘えさせてもらう。
ところで、読みかけの本『日と月と刀』丸山健二著が面白い。鼻が詰まっていても耳がボーっとしていても読みたくなるほど面白い。喉の痛みはないせいか発熱はしていない。
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| 2012年2月10日(金) |
| 大槌町に葉書を送る |
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昨日は句会から帰って、午後はまたエアコンの修理人が来た。外付けのモーターを交換してくれて、無事にエアコンは動きだした。保証期間中で無料であった。
安心したところで、昨日Nさんより聞いた大槌町のFさんの葉書を書いた。他の返信葉書と合せて3通を持ってポストまで投函に行った。大槌町には、祈りを籠めて投函した。
帰りに、整形外科のリハビリに寄った。少し風邪気味なのか、腰の牽引中咳が出た。ベルトできつく締めているので、治療の最中に咳が出るのは好ましくない。昨日の外出で風邪をこじらせたか。少し静養しなくてはと思った。
午後は、ソファではなく寝室で眠った。しかし、寝入りばなにコマーシャルの電話で起こされた。編集部からの電話は来ないと、思っていたら、夕方見に行った郵便受けのなかに、編集部からの速達便が入っていた。まさに予想外である。2月20頃までに、少し手を入れるようにとのことだった。気持ちとしては、大波小波の一日だった。
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| 2012年2月9日(木) |
| 久しぶりの句会 |
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2ヶ月休んで、久しぶりに句会に行った。和田先生始め、お仲間の皆さんはお元気であった。なお、元K大の通信教育で学んだN・K子さんの話で、去年の地震で消息の分からなかった岩手県大槌町の男性Fさんがご健在と知った。誠に喜ばしい。しかし、家は流されたそうである。新住所を教えてもらった。葉書でも書こうかと思っている。句会が始まった。寒さにちなんだ良い句がたくさんあったが、散文ばかりを書いていた私の句は切れ味がなく撃沈した。当然のことと思い、特にがっかりはしなかった。人間はそれほど達者ではない。特に私は不器用で、適当な仕事が出来ない。2つのことをしているという意味では、主婦業を50余年続けているから、これで勘弁してもらうしかない。句会終了後、そのビルの近いの和食処に行き、皆で昼食を取った。
天ぷらそばを目の前にした時のこと。正面に座っていたS・S子さんの口からある言葉が出た。それは私の新作のタイトルの一部に使っている「T」という言葉だった。こういう偶然はなかなかない。以前にも1回同じ偶然があった。その時は掲載された。娘のS子も私の小説に関しては福の神である。昔、「夢は野原」という作品を書いている時、後ろを通ってそのタイトルを読み、口にしてくれた。それも掲載された。色々な人に支えられ助けてもらって、何とか私の作品は日の目を見ている。全ては縁起良し、と解釈し、K・S子さんと帰途に付いた。乗換駅の大船のスーパーで少し買い物をした。
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| 2012年2月8日(水) |
| エアコンの修理人来る |
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午前10時にエアコンを買った店に電話をした。店の人は話を受けてくれて、メーカーの方に連絡をすると言った。そちらから連絡があるとのこと。一先ず安心した。その連絡が昼過ぎに入り、午後3時には早くも修理人が来た。点検してくれて、外置きのモーターの故障と分かった。買ったのは3年半前で、幸い5年保証に入っていた。無料になるらしい。また買い換えなくては、とか、修理代が高いのか、とか考えた昨夜の憂鬱が吹っ飛んだ。現金なものだ。しかし、ちょっした良いことでも、元気がもらえることがある。何でもプラスに考えよう。修理人は明日、外置きの部品を持って付け替えに来るとのことだった。親切な人で、助かった。
買出しは往復電車を使った。夕食は鶏鍋。鶏と野菜のだしが混じったスープが美味しく、体が暖まった。
読書『日と月と刀』丸山健二著、は面白くなってきた。散文を一生懸命書いて後、読書の味もさらに増したが、自分の書くものの未熟さが分かり、辛くなるところもある。それでも読むことは止められない。
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| 2012年2月7日(火) |
| 雨風強く |
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気温は少し上がったが、雨風の強い朝となった。ビンとカンをゴミ置き場に出す日だったが、僅かな距離を歩くだけでも、風に飛ばされそうになった。これは春一番なのだろうか?特に発表はされていない。昼近くやっと風が治まったので、クリニックに行って風邪薬の追加をしてもらった。血圧は順調であった。
帰宅してから、Uスーパーに配達を頼んだ。この天気では買出しもままならない。
夕方になって気付いたが、二階の書斎のエアコンが効かなくなっている。一応フィルターを洗って綺麗にしたが、それでも効かない。外置きの音を聞いたら、モーターが回っていない。昨夜からの風雨でやられてしまったのか。明日にでも買った店に電話しよう。家族の帰りは、知り合いと会食するので遅い。スーパーの配達は無事に届いたが、1人夕食でまた出費が嵩むと思い、憂鬱であった。読書を少しする。
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| 2012年2月6日(月) |
| ジョージア・ウッドラフさんからメール |
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朝コンピューターを開いたら、メリーランド州のジョージァさんからのメールが入っていた。私の名前宛のものだが、Facebook経由のものと分かった。開いてメッセージを見たかったので、次へ、次へをクリックしていたら、姓名とメールアドレスを打ち込むことになった。あまり気が進まなかったが、ジョージアのメールが見たかったので登録を済ませた。すぐに、「ようこそ、Facebookへ」というメールが来た。さらに進めると、自己アピールをしなさい、とか経歴を書きなさい、とかいう欄があったので、それは記入しなかった。アメリカの現地では流行っているのだろうが、英語をよく読んで確認しないと、うっかりして有料のサイトに関ってしまうことになる。このサイトは此処で止めて、元から知っているジョージアさんのメールアドレスに切り替えて、直接メールを送った。恐らくこのアドレスはイキていると思う。近ごろは気を付けないとなにが起こるか分からない。
今日は土日の疲れで、1日家にいた。疲れていても、コマーシャルの電話があったり、インターネットの勧誘があったり、ある程度は緊張していないとならない。困った世の中である。
夕方友人よりの電話一件。家族は私の体調を心配して早く帰ってきてくれた。風邪薬を飲んでいる。
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| 2012年2月5日(日) |
| 誕生日は日曜日 |
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今年は一月の元旦が日曜日であった.そういう年は日にちから言って、私の誕生日が日曜日になる。
いつも通りに日曜のミサに行った。聖堂に入ってすぐにS・H子さんと顔を合せたら、「お誕生日おめでとう」と言われ、メッセージの入ったカードを2枚頂いた。誕生日が日曜と重なるのも何かの恵みであろう。今年はきっと良い年になると信じて頑張ろう。ちなみにSさんの誕生日は3月5日とのこと、忘れないように此処に記しておく。
昼過ぎに、息子と下の孫H子が来た。お姉ちゃんは宿題があり、ママは風邪を引いている、とのことだった。簡単に昼御飯を食べ、皆でWIIスポーツをして遊んだ。H子は卓球がとても上手になった。夕方、2人を送りがてら、江ノ電に乗り藤沢市まで行った。デパートのなかの洋食レストランで夕食を取った。H子は大人並に完食した。食後デパーとの地下に寄って少し買い物をし、小田急線方向の陸橋前で別れた。大河ドラマ「平清盛」の時間には家に着いていた。2日間、皆に祝ってもらい、少し疲れたが、皆の好意と幸せに感謝している。
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| 2012年2月4日(土) |
| 立春 |
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午前中はデスクに向かい、昼までに10枚の原稿をプリントした。元の原稿がさらに磨き上げられたと思う。それを持って郵便局に行き投函し、帰りに八百屋市場とケーキ屋さんに寄って帰る。午後から娘夫婦が来るという連絡が入っている。正月に八幡宮に行かなかったので、破魔矢をもらいに行くのだと言う。正月は混雑でどうしようもなかったのだろう。昼食を軽く済ませて待っていると、3時頃に夫婦は到着した。2人とも元気そうであった。明日が私の誕生日なので、娘は私に暖かい靴下を贈ってくれた。父親にはビールのつまみになりそうな生姜入りのチョコレート、そしてオレンジ・ピール入りを探してきてくれた。まだ味見していないが、生姜入りはちょっと辛そうだ。最近は色々なチョコレートが市場に出回っている。テレビで観たが、揚げたワカサギにチョコをかけてまぶしているシーンがあった。どんな味になるのか。他に、チョコ入りラーメンもあるという。もうじきヴァレンタイン・デーが来るし、チョコレート業界は忙しいことだろう。釣られて買って食べ、太らないようにしなくてはならない。
ケーキと紅茶で娘と雑談を交した。テレビドラマの話で、私の知らない話を聞いた。我が市がドラマの背景になっている番組がある、と言う。江ノ電沿線の寺などが映っているそうなので、「次は見ましょう」と答えた。夜は眠くなるし、最近は長編小説を抱えているので、テレビドラマはNHKの朝の番組と大河ドラマ「清盛」ぐらいしか観ていない。しかし、娘や孫からの情報だと、気持ちが甘くなって「見ようか」と思う。こんなことが、私の日常を支えている。いや、支えられている。ともかく口コミの情報は、老夫婦暮らしには有り難い。
夕食は4人で中華料理店に行った。
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| 2012年2月3日(金) |
| 節分で 鬼を払う |
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やっと節分になった。季節の冬と春を分けるから「節分」と言うらしい。気温は冬だが「春」という話だけでも、温かくなった気がする。昔の人の知恵なのだろう。
「鬼は外、福は内」と言って撒く豆はすでに家に届いている。酒屋さんに2袋届けてもらった。その豆の袋に紙製の鬼の面が付いていた。小さな子供でも居たら輪ゴムを付けて顔に付けられるようになっている。昼間その面を見ていたら、鬼の顔がそれぞれ違っていることに気付いた。赤い顔に2本の角はどちらも同じだが、片方は縮れ毛で片方は縮れていない。そして牙のような歯は、片方は下に2本、片方は上に2本になっている。それだけの違いだが、見た印象が全く違っている。髪の毛が縮れていず、下の牙の鬼の面の方が、何となく可愛らしく感じられた。鬼の顔にも色々あるものだと改めて知った。物書きのおばばにじっと見詰められた鬼は、さぞ怖かったことだろう。観察力だけは幾つになっても負けないぞ、と思っている。
家族の帰りは早く、老夫婦で豆まきをした.1階でも2階でも窓を開けて力いっぱい撒いた。恵方巻きも用意してあったが、北北西がどの辺りか分からず、丸齧りもせず、普通に包丁を入れて頂く。鰯の丸干しも焼いて添えた。
午後は、仕事の関係の1件にメールをし、もう1件には電話をした.どちらももうひと息というところである。
一方で、十字架のキリスト像に祈ることがあり、手を合せ祈る時間が多かった。風邪の調子は大分良い。
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| 2012年2月2日(木) |
| 喉が赤い |
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午前中クリニックに行ったら、医師に「喉が真っ赤ですね」、と言われた。血圧もいつもより高かった。どうやら風邪を引いたらしい。風邪薬をもらい、それを飲んで1日ごろごろした。具合が悪いと考えることもマイナス思考になる。過去のこと、その折に悔しかったことなどが思い出される。記憶というものは恐ろしいものだ。何十年前のことでもすぐに甦ってくる。最近は、人の犯した罪の時効も緩やかになり、その法律に抗議する人もある。宗教で言えば、人を赦すことが一番大切と説いている。世の中の仕組みや現実はどんどん変っていくのに、人の記憶だけは変わらない。もちろん上手く忘れていく人も居るだろうが、体調が悪いと、つまらないことを考える。これは体のせいと思い、眠って脳を休めることにしよう。大切なのは今日明日のことである。電話をかけなくてはならないところがある。そのことを色々と考えて夜になった。長編の読書は続けている。
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| 2012年2月1日(水) |
| 今日から2月 |
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風のある2月となった。最近は地震の揺れに敏感になっているので、家が揺れるとドキッとするのだが、今日は強い風によって家が揺れ、ガラス戸が音を立てている。テラスのヴィニール屋根のビスが外れているのか、そちらの音は煽られたような音になっている。落ち葉も埃も舞い上がるので、庭は荒れた光景になっている。
そんな天気を見て、外出は止めようかと思ったが、整形外科のリバビリに行った。行けば行っただけのことがあるのだが、何時も行く行かないの葛藤がある。しかし、行ってしまう。怠けることにも意味があるのだが、時間と行動の選択の出来る主婦業には、前向きに動く、という大前提があるように思われる。動きたくなくなったら、何処にも出かけたくなくなったら、全てが終わってしまうような不安を感じる。しかし、その反対に、1人で、「さあ、ご自由に」と言われたら困る、という不安はない。家族の居ない日中、いつも1人で決めて、行動している。威張っているわけではない。仕方なくそうなっただけだ。そう考えると、人間って、元々孤独なんだな、と思う。
午後からは、整形外科に行った。リハビリが効いているのかよく分からないが、リハビリテーション師のスタッフは皆親切に対応してくれる。家からも近いし、有り難く思わなくてはいけない。
帰りは買い物に足を延ばした。夕食は小松菜と鶏肉で温かい汁を拵えた。どんな2月になるか?
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| 2012年1月31日(火) |
| 普通自動車免許更新 |
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今朝、地元の警察署に行き、普通自動車免許をやっと更新した。すでに昨年11月に、高齢者講習を受け、それはパスしているのだが、行く暇がなかった。講習完了の書類と免許証を持参して行った。安全交通協会の会員継続費などを含めて、約5000円支払った。車はあまり乗らないと言っても、全然乗らないわけではない。しかし、これで後2年間は運転することが出来る。
これで最後の更新か、と思うが、まだ決めているわけではない。去年の東日本大震災で、直接の被害はなかったものの、1年分より多く年を取った気がしている。気がしている、という程度よりもう少し実際的に衰えが来ているように思われる。それに今年の寒さは特別だ。寒さのなか、特に寒風が吹く中、歩いて肺炎になった人もいるという。気を付けなくてはならないが、その割にはよく歩いている。あまり静養、休養に傾くのは好きでない。大事に至ると大変だが性分だから仕方がない。ともかく、普通自動車免許更新手続が終り、1月にするべき仕事が全部終った。忙しい1月だった。
夕食は温かい豚汁を作ったが、家族の帰りは遅く(連絡あり)、1人夕食の後、ずっと読書をした。
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| 2012年1月30日(月) |
| 『日と月と刀』(文芸春秋社刊)丸山健二著 |
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午前中はデスクに向かい、溜っている「あんばら庵」の日記、その他を書く。この日記を何日まで続けようか、と考えることもあるが、まだ決心がつかない。今年の4月で丸9年になるが、10年まで続くか、今は全く分からない。小説を書くエネルギーに食い込むことは避けたいと思っている。暢気に書いているのなら良いが、負担になったら止めるべきか、と思うが、今は結局書いている。ダラダラとしてもやっぱり書いている。読んでくれる人は誠に有り難い人、と感謝する。
午後からは整形外科のリハビリに行く。やはり牽引、マッサージなどしてもらうと調子が良い。
Amazon.comで取り寄せた本を読み始める。丸山健二著の『日と月と刀』は時代劇で、1000枚を越え、2冊の本になる大作である。主人公の名前は「無名丸」(むみょうまる)。しかし、長さをあまり感じさせないのは、不思議だ。読み手であるこちらとの相性もあるのかもしれない。厚さのある単行本は重いので電車の中などは読めず、(最近は目の問題もある)もっぱら家で読む。かぞくがテレビを観ていても読むことがある。読書の環境は静かに越したことはないが、これも慣れである。ベッドに入ってからも少し読む。そして眠りに就く。頭のなかに仕入れた作品の残像が消えないうちに眠りに就く。つまらないことを考えずに眠れるのは幸せだ。
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| 2012年1月29日(日) |
| ミサと、傾聴の会 |
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10時のミサに行く。亡くなった姉の誕生日なので、その姉のために祈る。
ミサはおよそ1時間で終るが、その後15分休んで、今日は「傾聴」について語る講演がある。つまり人の話を聴くために、どういう心構えそして態度が必要か、という聴き役の勉強をしている人のお話だ。
昨夜も外出したし、少しスタミナ切れであったが、昼までのお話だけ参加することにした。午後はそのお話のエクササイズがあると言うことだったが、家族の昼食も気になって中途半端のまま帰宅した。それでも、グリーフ・ケアなどの仕事をしている人の一端を覗くことが出来た。詳しい内容はまた日を改めて書く。聴いた話に全て守秘義務がある。自分の話はしない。しかし、反対意見を言ってもよろしい。などと言う話には頷けるものがあった。
ただし、こうした傾聴の会、は別として、普通のお付き合いの場所で、人の話を聞くことは本当に難しい、と思っている。
午後からは寒いなか、家族と買い出しに行った。夕食は野菜スープを拵えた。
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| 2012年1月28日(土) |
| 鎌倉ペンクラブの新年会 |
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土曜日は家族の休日だ。ゆっくりと寝ている家族を寝室に置いて、私1人起きて居間に入った途端、ぐらりと揺れた。第1回目は数秒で治まったが、約10分後にやや大きな揺れがあった。テレビを付け、地震速報を観ると、震源地は山梨県とのことで、震度5弱、小田原は4、鎌倉、横浜は3と発表された。震源地は陸底なので、津波の心配はないが、何となく不穏な気持ちになった。去年の3月11日以来、余震と発表された地震が続いたが、最近では余震、と言わなくなっている。その辺りがどうも不安な要素になっている。しかし、気にしても仕方がない.切り替えて朝食を作る。
昼前後に少し休息し、夕方から市内で行われる鎌倉ペンクラブの新年会に出席する。昨年夏の納涼会は都合で欠席したので、何人かの人に、「久しぶりですね」と言われた。出来るだけ出席したほうが良いと思う。そして幸いにも、初めての出席者(新会員)数名とお話しすることが出来た。前からの親しい会員、Kさんの娘さんとそのご主人。(ご主人はNHKで働くイギリス人)徳島出身の女性書道家Sさん、などである。
「孫が書道を習い始め、達者な字を書くようになった。それに比べ、筆を持つのが苦手な私は、芳名録に署名する時などは、とても恥ずかしい…」 と話したら、
「書の字は、自信を持って書くことが大切。字にはその人の人生が現れるもの。」
と励ましの言葉を頂いた。なお、この書道家の家は、私の家から歩いても行かれる距離だ。
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| 2012年1月27日(金) |
| ベージュ色のシチューに |
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久しぶりにM治療院ではりを打ってもらおうかと思ったら、保険の証明書の期間が切れているとのこと、内科に行って、新たに書いてもらわなくてはならず、面倒なので予約はしなかった。家でエクササイズをするのが1番だが、寒いとなかなかやらない。
切り替えて、午後からの整形外科のリハビリに行った。此処はずっと保険が効いているので安くて済む。その上、お気に入りのKさんにマッサージをしてもらって機嫌よく帰ってきた。はりはまた暖かくなったら行くとしよう。夕食はホワイトシチューを煮込む。しかし、玉葱を炒める時に少し焦がしたのか、色が付いてしまい、ホワイトシチューがベージュ色のシチューになってしまった。夕食を家族と取る時に、「そういうわけで、こんな色が付いて」と弁解を繰り返した。言い訳、弁解は禁物、と平素思っている私としては恥ずかしき次第であった。ちなみに味には問題がなかった。
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| 2012年1月26日(木) |
| 日本海側は大雪 |
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日本海側の地域では大雪が続いているというニュースが流れている。被災地の仮設住宅にも影響があると聞く。行政や地域の自治体の支援があることを祈るばかりだ。
午前中に、デスクに向っていると、電話がかかり、しばし仕事が中断した。「お仕事中いいかしら」と言われるが、たまのことなら電話は大歓迎である。物書きは何時も1人で仕事をしているし、内部に人恋しさを隠し、感情を押さえて頑張っているのである。少しだけ雑談を交して温かい気持ちになった。
午後、駅前まで歩いて、農協市場などを覗いたが、寒さで冷えたのか途中腹痛になった。簡単な買い物に切り替えて、早々に帰宅した。少し休んでから温かいシチューを拵えた。冬の間は暖かい食べ物が体に良い。おなかは家に帰って落ち着いた。
夕方、インターネットで検索し、Amazon.comに新しい本を注文した。幸い在庫があった。1日か2日で家に届くので便利だ。
寒いので家族の帰りも早い。暖房のそばで読書が1番の季節である。
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| 2012年1月25日(水) |
| 『眠れ、悪しき子よ』を読了す |
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以前も書いたが、丸山健二著『眠れ、悪しき子よ』(文芸春秋社刊)上下巻をやっと読み終えた。年末年始の家事多忙と、原稿手直し多忙の時期であったが、夜眠る前のひとときや、家族の帰りを待つ間の楽しみの読書であった。600ページ余の長編であったが、読むのに苦労は全くなかった。むしろ楽しかった。生誕の前後に発生する、「宿命」というものが主題で、その展開が静かに動いていくところと、その思わぬ展開、その文体に魅せられて、読み進んだ。想像力が自分がこの世に誕生する「事情」に向いていくところに、この小説の世界がある。人は誰でも子として生れ、親になっていくわけだ。しかし、親になれなかった人間も居る。その後悔の念と罪の意識が、この作品の底には流れている。それらの人間を繋ぐ文体に、自然描写の文体が見事に絡まっている。1行1行が完成された文章になっている。読後には静かな感動があった。
今日はお掃除のMさんが来た日で、夜は家族の出張で1人だった。そんなわけで珍しく時間があった。
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| 2012年1月24日(火) |
| 冬の蓮池も良いもの |
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朝から寒い。こちら神奈川は雨であったが、東京は雪が降ったらしい。テレビのニュースでは、真っ白になった渋谷駅近くの交差点が映し出されている。そんなところに友人の1人から電話が入った。東京在住の人なので、今日の集まりには欠席するとのことだった。雪で、道路が滑るのでは仕方がない。
昼食会の待ち合わせは正午だが、その前にいつも通りのデスク仕事をこなした。手直しの他、手紙も1通書いた。寒いので外出の服装は防寒を優先する。伊達の薄着、という言葉は最近あまり使わないが、昔はよく言った。そんなことはもう出来ない。風邪から肺炎になったら大変だ。マフラーを首にぐるぐると巻き、毛の帽子を被った。
早めに家を出て、郵便局近くの農協市場に寄り、鎌倉野菜という温野菜にすぐ使える詰め合わせを買った。使い切りに出来るので便利なパックである。友人たちの分も買って、待ち合わせ場所に行くともう全員来ていた。最近は遅れる人が居なくて、早く来る人ばかりになっている。年のせいなのか。時間より早かったのに私が一番遅くなった。現地に着いてから野菜の詰め合わせを皆に渡したが、「こんなのがあるのね」と喜んでもらえた。誰もが少人数の世帯になっている。
昼食会をした後、散歩がてら八幡宮の中を通り抜けた。蓮池の蓮の葉が全部枯れてなくなり、水面には鴨と思われる水鳥が泳いでいた。寒かったが、冬の八幡宮境内そして庭園もなかなかの景色であった。そのうちにこの辺りの風景を句にしたいと思うが、果たして出来るか。
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| 2012年1月23日(月) |
| 昨日は大相撲千秋楽 |
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昨日書き残したが、大相撲の千秋楽であった。
杷瑠都が14勝1敗で初優勝した。横綱白鵬は12勝3敗、稀勢の里は、11勝4敗であった。個人の成績はともかくとして、1年前の相撲人気の落ち込みがやや改善したか、と思われる、盛り上がりのある場所であった。各力士は身を謹んで、今後の稽古に励んでもらいたいと思う。1相撲ファンとしてそう願っている。
さて、今日はまた原稿の手直しを続ける。午前中はそれで手一杯となった。言葉と書きたいことを照らし合わせて、寸分違わないものにしていると時間はすぐに経ってしまう。辛いが飽きることがないのは不思議だ。
午後は銀行など外回りをする.寒いので能率良く動くようにしている。帰宅して手紙を1通書く。夕食後、また書斎に上がり、4枚ほどプリントをし直した。粘れるだけ粘ってみようと思う。
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| 2012年1月22日(日) |
| 息子の誕生日 |
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今日は息子の誕生日である。息子が子供だった頃は、その誕生日が嬉しかったのだが、いい年になった息子の誕生日は、何となく心配でもあり、こちらの年令も意識するので、複雑な気持ちになる。しかし、孫たちはパパの誕生日と祝ってくれるらしい。まあ、年寄りの気持ちなどは、この際どうでも良いのである。ともかく健康に過ごして下さい、と書きカードを送った。たった1つ変化を言えば、そのカードは筆ペンで書いた。いつもは万年筆なのだが。下の孫が習字を習っていて、それがとても上手くなった。小学4年生とは思えないしっかりとした達筆なのである。私は「ああ」と溜息を付く。同じ年の頃、私は茨城県に疎開して、東京での習字の勉強を辞めてしまった。村立小学校では、普通の授業に加えて農作の仕事を手伝ったりした。藁で縄を綯う、時間もあった。習字は楷書で終ったから、草書が書けない。詰まり大人の字が書けないのである。
恥ずかしい限りだが、そのまま稚拙な字を書いて恥を晒している。その私が筆ペンを持ち、「お誕生日おめでとう」と書いた。孫におばあさんが刺激されたわけだ。何十年も前の習字の挫折が、よみがえってきたのかもしれない。孫は有り難い。
稽古事は、続けることに意味がある。続いているのは、結婚生活と売れない物書き、だけだ。それでもまだ増し、かもしれないが。戦争には悲しい思い出がつきまとう。更なる震災が伝えられるこの頃、孫たちの人生の安全と豊かな実りを祈ってやまない。
今日はミサを休み、家族の用件で車を出した。行きも帰りも道路の状況は良かった。
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| 2012年1月21日(土) |
| 雪の名残りで寒い |
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雪の名残りで寒い日となった。
近くの内科クリニックに行き、血圧を測ってもらう。寒い日にしては安定していた。H医師に「ばっちりです」と言われた。
入れ替わりに家族が整形外科のリハビリに行った。私は今日は行かない。原稿の仕上がりを控えているし、「あんばら庵」の日記も溜っている。日記は溜めてもせいぜい10日か2週間で、それ以上溜めると、復旧が難しくなる。毎日のことは、ホームページのアクセス数を記しながら、その大学ノートにメモをしている。しかし、相当な走り書きで、自分以外の人には読めない字になっている。それでも、日記が溜った時はこれが役に立つ。そうでないと、この年で10日前のことなど覚えてはいられない。2、3日前のことでも大きな出来事でもない限り、思い出せない。
午後1人で買出しに行ったが、寒くて早めに帰ってきた。今夜家族は、市内のもM会の会合に出席するので、食事は要らない。私は1人で食べる惣菜を買って帰った。しかし、食べずに夜も2時間デスクに向った。やっと下に降りて箸を持った時、家族は戻って来た。少しご酩酊であった。
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| 2012年1月20日(金) |
| 教会婦人会新年会 |
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教会の婦人会新年会の最初は、ミサから始まる。
夜半から雪になったので、寒い朝となったが、出掛けて行った。寒いのに数十人のご婦人が聖堂内に集っていた。しかし、私を誘って下さったTさんの姿は見えなかった。坂の上のお住まいだそうで、外出が難しかったのか。お礼を言おうと思っていたので少しがっかりした。会場を聖母会館内に移して、新年会が始まった。神父の挨拶、祈り、会計報告などの後、食事歓談となる。私はお弁当代と婦人会費を支払って、やっと安心した。と言うのは、この婦人会は、敬虔で真面目な人が多く、少しばかり苦手だったのだ。しかし、今年は何故か行く気になった。一口に言うと、亡き母の遺してくれた場所、という気持ちになってきたのだ。ある意味では精神的な財産でもある。そして皆、同じ神を崇め、信じているのだから、これほど安心出来る場所はない。年を取って、物事をシンプルに考えられるようになったのかもしれない。ともかく亡き母に感謝、である。
食後、ビンゴゲームが始まった。私のもらったカードの数字がどんどん出て、穴が空き、全体のなかで5番目にビンゴになった。商品はゴブラン織り風の小さなバッグだった。とても可愛らしい。じゃんけんゲームでも、ピンクのプリムラ(桜草)を頂いた。たまに来たのに、恐縮の至りであった。来年もまた来ようと思った。帰途の街は雪で白くなっていて、寒かった。
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| 2012年1月19日(木) |
| 久しぶりの先輩の声 |
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原稿のプリントを机の前に置き、いつものパソコンとの対面目線ではなく、上からの目線でチェックを始める。目線ばかりではなく、白い紙と黒い活字の印象が、電気に光るデスクトップ画面とはかなり違ってくる。前半の直しが多く感じられた。後半はやや疲れたのかもしれない。いや、実際に直すところが少なかったのかもしれない。ともかく80パーセントのページにチェックが入ったから、直しながら双方を確認する。最後は印刷をするわけだが、出来るだけ手書きのコツコツ感を残したいと考えている。まだまだ粘れると考えながら、一歩一歩進む。
途中、電話が入った。「誰だと思う?」という問いかけだった。「Y・M子よ」と言う。
何としばらくぶりの先輩からの電話だった。「目が治ったのよ」と続ける。
何年か前に、「もう目がよく見えないから、年賀状は書かないで失礼するわ」と電話してきた。それで、賀状は遠慮してきたのだが、手術をして見えるようになったとか。しかし、その間、私の娘からは賀状が届いていたと言う。娘は、M子さんご夫妻に、小さい頃可愛がってもらった。「こんな年寄りのことを忘れないで、いい子だねえ」と言っていた。娘はもう「子」と言える年ではないが。明るい声にこちらも嬉しくなった。目に関する医学が進歩してきたのだろう。ともかく喜ばしいことだ。孫の話などしばらく雑談をした。声は昔のままの若い声だった。
午後美容院に行く。帰りはそのままスーパーに向った。
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| 2012年1月18日(水) |
| カラリオ・インフォメーションに電話 |
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新しいプリンタ(エプソン、EP-704A)の使い方が、まだ完全に分かっていない。全印刷は出来るが、ページ印刷が出来ない。1枚だけ2枚だけという場合が多々ある。原稿の場合はそれがなくてはならない。全ページ印刷をしても、まだ直したいところがあると、その箇所をチェックして直す。印刷する。そしてまた直す。また印刷、という繰り返しをする。1月始めに1度全ページ印刷をして、それを机に置いて何度も読み、鉛筆で添削をした。この場合は、全ページを添削したから、全ページ印刷をしたが、紙も無駄になるし、長い小説の場合、そうそう全ページ印刷を繰り返せない。旧パソコンと旧プリンタでは、何度も指定したページの印刷をした。そこで、今回も同じようにと思ったが、ページ印刷が上手く出来なかった。カラリオ・インフォメーションに電話をした。操作はすぐに分かった。全ページ印刷の下の空欄に、ページ数を半角英数で打ち込むのである。それでページ印刷が出来た。マシンには色々の約束事がある。習得すればなんでもなく出来るが分からないと困る。しかし、どのメーカーのサポートも親切に教えてくれる。その点は助かる。手直しと、その繰り返しだけは、サボってはならない。と心に決めている。
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| 2012年1月17日(火) |
| 阪神淡路大震災から17年 |
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阪神淡路大震災から17年になる。この地震は早朝に起きたので、その時間に合せて黙祷している人たちの姿が、朝のニュースで流されている。そのシーンが、東北の被災者へと連携されて、映し出される。なんとも悲しい報道だが、生きる希望をなくさないで欲しい、と願う。
昼までデスクに向う.午後は整形外科のリハビリに行く。今年2度目である。寒いから家に居て、デスクの仕事をしたい気もしている。帰りはそのまま、駅前のスーパーに行く。家族のビール缶を2本買ったら重くなった。
夕方は相撲中継を少しだけ観て、またデスク前に座った。もうひと息というところだが、それがなかなか終らない。その点、足の痛みとどこか似ている。
相撲は、稀勢の里が琴奨菊に勝って、横綱白鳳が関脇鶴竜に敗けた。
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| 2012年1月16日(月) |
| S会中央病院へ |
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病院にAM10:00という予約ゆえ、家は8時に出た。家族より一足先に家を出た。ストーヴのスウィッチを押す、などを家族に頼んだ。火の用心はしなくてはならない。到着してすぐに血液検査のみをする。1時間待って結果が出た。前回の半分の数値になっていたが、まだ高い。しかし、地元のクリニックで測った時の数値が、とても低かったので、あまり心配する気にならない。
K医師は「重大な病気の場合、決して数値が下がることはない」と言うので、一先ず安心ということにする。次の検査は、半年先で良いということになり、6月の予約をした。病院からタクシーに乗り、JR田町駅へ、そこで本を1冊、「これでお終い」佐藤愛子著を買った。エッセイだが、力強い文章に励まされる。そして品川駅まで行き、駅の中のレストランで昼食を取った。選択したランチメニューは、本日当たり、であった。検査の後はこれくらいしか楽しみはない。
大相撲が始まっている。応援している稀勢の里は、現在八勝一敗である。
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| 2012年1月15日(日) |
| ミサに行き、靴褒められる |
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寒いが、日曜のミサに行く。聖堂のなかは暖房が効いているが、温度設定が低いのかさほど暖かくはない。聖体拝領の時間までコートを着ている人も居る。私もしばらくコートを着たままで居た。
聖堂のなかにいつものお馴染みの方々を顔を見て、何となく安心する。信者さんの平均年齢が高くなったので、ご健康が案じられる。もちろん高齢者の自分も含めて、である。帰りがけに、何時もすぐ後ろに座っている信者さんに新しい靴を褒められた。ファッション性ではなく、足の痛みに良いという靴を買い履いて行った。「その靴ならきっと直るわよ」と言われた。皆さん、足の痛みや靴で苦労しているらしい。共感が出来て少しばかり嬉しかった。
昼食は、簡単に掻き揚げを拵え、天麩羅うどんを拵え、夕食はカレーを拵えた。家族は昼の残りのうどんで、私はパンにカレーを付けて食べた。それぞれ好みが違う。
その後は明日、検査に行くのでその準備(主に服装)をした。
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| 2012年1月14日(土) |
| 今年初めてのリハビリ |
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今日は、今年初めて、整形外科のリハビリに行った。家族は大抵、土曜日午前中に行くが、私はその時間留守番し、コンピューターに向っている。午前中のほうが頭が冴えている。長年、サラリーマンの妻をしてきたせいで、朝は起き、夜は眠るという習慣が付いている。つまり夜鍋仕事が得意でない。どうしてもという時は、夜は眠って、早朝に起きて、「朝勉」をする。アサベン、とは自分で勝手に言っている語で、昔の高校生言葉をそのまま使っている、と思われる。ともかく朝のコンディションが良い。整形外科から帰ってくると、家族はクリーニング店に行く。配達制とは違う、セルフ・サービスの店である。つまり出したり入れたりの労力はこちらで負担する。家族のその仕事が終ると、我が家はやっと休日らしくなる。のんびりとソファに転がってテレビを観る時もあり、外出する時もある。何をしているのか分からないままに時間が立つこともある。それが休日なのかもしれない。
午後になって、ふとその気が湧いて、私は今年初めてのリハビリに行った。電気治療の変わりに、ウォーターベッドに寝かせてもらったら、そのマッサージの振動がとても気持ち良かった。特に肩甲骨の辺りが……。
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| 2012年1月13日(金) |
| 昨夜のヒントを言葉に |
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朝、洗髪をした。頭がさっぱりして気持ちが良い。昨夜は眠る寸前に、ヒントが湧いた。午前中から、そのヒントを言葉に変えたが、色々と考えて、ある部分のエピソードをカットした。恨み辛みは出来るだけ省こうと思う。ひどい仕打ちをする人は世の中に多いが、年齢に相応しい慈愛のある作品にしたいと考える。嫌なシーンをカットしたらすっきりした思いになった。
午後、駅前に買出しに行った。行きは歩き、帰りは江ノ電に一駅乗った。荷物を持つゆえ自然にそうなる。
夕方、相撲中継を観ていたら、ニュース速報が入った。広島の刑務所を脱走した犯人が捕まったという。「良かった」と思わず手を叩く。孫のママの実のお姉さんが、広島に住んでいる。子供が2人いる。さぞ心配だろうと、この3日間案じていたのだ。
夜は鰯の煮付け、トマト、蕪の漬物など。昨日遅かった家族は、今日早く帰ってきた。
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| 2012年1月12日(木) |
| 今日も忙しく |
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新パソコンには、まだ分からないことが多い。筆ぐるめのバージョンは数字が上ったものが内蔵されているが、ホームページビルダーは、新たにインストールしなくてはならないようだ。それでまだこの「あんばら庵」の日記は、旧パソコンで書いている。しかしこの「あんばら庵」の日記が溜ってしまっている。理由は簡単だ。小説の方が忙しくてそちらに気持ちと時間が回らないのである。 元々、12月と1月は主婦業で忙しい。頑張っていても、何処かにしわ寄せが来る。家事も寒い時はそう手は抜けない。栄養のある野菜スープなどはこまめに拵え、風邪のウイルスへの抵抗力を付ける。家族のために、ヨーグルトドリンクは買っておき、毎朝飲んでもらう。これは、お世話になった私の執刀医、故成毛医師が勧めてくれた栄養源だ。お陰で現在まで2人とも風邪を引いていない。野菜ジュースは今冷たくておなかに良くない。
ホームページビルダーの移動の件は、二月に入ったら、ゆっくりやろうと思う。
今日も手直しと家事に明け暮れた。
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| 2012年1月11日(水) |
| 投句のみ |
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明日は新年の句会だが、1日(実際には半日と少し)潰して出かける気持ちと時間の余裕がない。総務の仕事をお願いしているSさんに、欠席のメールをしなくてはならない。しかし、欠席が2回続いたので、今度は投句ぐらいしなくては申し訳ないと思う。僅かな時間で拙い句を5句作り、プラスもう1句お詫びの句を添えて、送信した。夜にはSさんから返信が届き、
「了承」とありほっとした。
詫びの句を、下に記す。漢字ばかりの句になったが、これは偶然の産物で意図したわけではない。
去年今年 散文夢中 発句御免 (こぞことし さんぶんむちゅう ほっくごめん)
ご笑覧を。
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| 2012年1月10日(火) |
| お掃除Mさんが遅刻して |
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いつものお掃除のMさんが遅刻してきた。電車を一台乗り遅れたと言っていた。しかし、無事に正月を迎えたと言い、元気そうであった。一緒に少し働いたが、昨日天から降りてきたヒントを文章化しなくてはならず、Mさんが居るうちにも二階に上がり、パソコンを開いた。何とかさらなる手直しが進んでいる。
Mさんが帰ったらほっとして、少し休息をした。午後になって読書。「眠れ、悪しき子よ」(文芸春秋社刊)丸山健二著の下巻を読み始めた。長編小説にしては展開が少ないかと思って、上巻からずっと読み進んできたが、なかなかの展開になってきている。とても面白い上、1行1行の文章が独特で新鮮だ。もう少しで読み終わるところだが、あれこれと忙しい。日記も少し書いた。家族の帰りは遅かった。夜はのんびりと入浴した。
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| 2012年1月9日(月) |
| ヒント色々の日 |
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3連休の最後の日。休日はそもそも働く人のために作られているから、こちらは最後のご奉公という気持で、家族と行動を共にしている。 ともかく朝昼晩の食事を作っている。レトルト食品、インスタント食品は殆ど使わない。午前中はそれでも少しデスク前に座った。パソコンは新旧共に動いている。
午後は家族と、駅前スーパーTの眼鏡売り場に行った。この売り場はかなり安いと聞いている。家族が行ってみようと言うので、付いて行った。待っている間、私用に眼鏡ケースを1つ買った。これは読書用の眼鏡のために使う。読書の時間が眼鏡によって長くなるのは嬉しいことだ。今年は沢山本を読みたい。と思っている。食材も色々と買って往復歩いて帰宅した。電車が混むためだ。沢山歩いたせいかどうか分からないが、夜になって、現在手直ししている小説の良いヒントがあった。ある雑誌のページを開いたことによる。忘れないようにメモをして、枕元に置いて眠った。しかし、1つのヒントでも、全体を書き直すようになることもある。ヒントも色々である。
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| 2012年1月8日(日) |
| ミサと、孫たちの家 |
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日曜のミサは、現在午前10時からのミサしかない。以前は午前7時もあったが、大分前に無くなった。午前10時から1時間のミサは、半日潰れると思ってよい。カトリックの教義上は、安息日は「働く許しなし」となっているが、外出の機会があると、それを控えることは難しい。
今日は、息子の家に誘われているのだが、下の孫の塾のない日は、日曜だけとなっているので、今日が最適の日となった。娘夫婦も参加するので、正月に会わなかった8人が集合する。
そんなことで、10時ミサの終了後、江ノ電和田塚駅で家族の待ち合わせて、ミサの帰りのまま藤沢に向った。藤沢で乗り換えて、小田急線の快速特急に乗る。忙しいが、今年は出来るだけミサに参加しようと思っているので仕方ない。
無事に息子の家に着いた。息子と下の孫が入口まで迎えに来てくれた。ほぼ同時に娘夫婦も到着した。孫たちのママの手作りの料理とケーキを食べ、後はゲームやピンポンをして遊んだ。皆元気であった。午後6時に息子の家を後にした。乗継が良く早く帰れたので、今日から始まるNHKの大河ドラマ、「平清盛」が少し観られた。前作「江」に比べて、男性のドラマという感じか。私としてはどちらでもいい。忙しい1日であった。
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| 2012年1月7日(土) |
| 火災保護の聖人 |
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晴れの日が続いている.その分乾燥しているということか。火の元には気を付けよう。ちなみに、私のクリスチャン・ネームである聖アガタは、火災保護の聖人とされている。アガタ様に祈ることにしよう。
ところで、プリンタを新パソコンに接続したために、旧パソコンからはプリントが出来ない。従って、旧で保存したデータを新に取り入れなくてはならない。その方法を知るべくN社に電話をした。その前に1人で試みたが上手くいかなかった。方法は簡単で、教えてもらいすぐに成功した。外付けフロッピーから、原稿を開く。それから取り入れるものをクリックして、色を反転させ、右クリックする。ぶら下がりの袋に出る、送る、をクリックする。次に保存したい場所をクリック反転させて、貼り付け、をクリックする。それで新パソコンに保存出来る。それから確認のためマイコンピューターを開き、さらにプリントをしてみた。全部OKでひと安心した。
その後少し、原稿をチェックした。この原稿をプリントするために、色々と手間をかけている。目的がはっきりしているから、面倒なことも何とか乗り越えられる。幸せと言うべきか。
午後は家族とスーパーまで買い物に行く。沢山歩いたのだが、携帯を充電器に置いたままだったので、万歩計が計測されず、残念であった。なお、今日は実母の命日だ。亡くなったのは昭和35年。明日のミサで祈ることにする。
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| 2012年1月6日(金) |
| 血圧は上々、プリンタも調子良く |
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初のクリニック診療で、血圧は正常と分かる。年末年始は平素の生活のリズムが壊れるので、精神衛生上はあまり良くない。しかし、新年を迎えられることは目出度いことだし、感謝しなくてはならない。台所の女として忙しいのは、長生きの税金みたいなもの、と思うようにして、文句は言わないことにしている。
UクリニックのH医師やM薬局の人たちとも話をした。1月3日の夜に、雨戸を閉めようとして手を挟んでしまった。そのまだ紫色の右手を見せた。骨折しなかったのは幸いでした、と言われた。最近の合板の雨戸素材は、保温性などはあるが、固いので挟むと痛い。まあ、笑い話程度で済んで良かったが。
帰宅してから、今古いパソコンで書いている原稿を、新しいパソコンで印刷するための方法を、メーカーに電話して聞く。電話の前に1人でやったが上手くいかなかった。
手順は、旧パソコンで保存したフロッピーディスクを、新パソコンに移し、そこから新パソコンのマイドキュメントに保存する。そしてその方法は如何に? である。
新パソコンの手順は、右クリックして、送る、送る場所を反転させて、貼り付け、をすると教えられた。その通りにして上手くいった。後は1人でやれるように、ノートにメモをした。これで原稿はプリントできることになった。プリンタも調子も良い。
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| 2012年1月5日(木) |
| 初のゴミ出し、と、サポート |
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暮れから正月にかけて、生ゴミ収集日が1日抜けた。つまり休みがあったわけだ。その間に溜ったゴミを、今朝やっと出せることになった。ゴミは、孫たちの作った古い工作品などもあり、孫の了解を得て捨てていいものを袋詰めにした。野菜の皮などの料理ゴミを合せて、大袋4個、中袋3個のゴミ出しとなった。今日から出勤する家族にも手伝ったもらい、50メーターほど離れた収拾所まで3往復して運んだ。ただし今年は、生ゴミをごみ焼却機に入れて、堆肥にしたので、量的にはかなり少なくなっている。ともかくキッチンが片付き、広くなりほっとした朝であった。
そして家族の初出勤を見送って、大型電器店から派遣されるパソコン・サポーターが来るのを待った。パソコンの設定、保存、移動などに関しては、長いこと電話相談のみで独りの力でやってきたが、忙しさと年齢も重ねた故、(家族にも勧められ)有償のサポートを頼むことになった。去年も書いたが、今日が2回目である。
筆ぐるめの住所録、お気に入り、マイドキュメントの移動
それとプリンタへの接続をしてもらった。
値段は思ったよりずっと安かった。とても助かった。ともかく葉書印刷は楽になった。問題は少し残っているが、少しずつやっていくつもりだ。
夕方はいつものように散歩がてら使いに出た。
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| 2012年1月4日(水) |
| 日記のCD保存など |
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北陸、山陰、四国などの各地に雪が降っている、と天気予報士は言う。テレビの映像を観ていると本当に寒そうだ。しかし、こちらは晴天である。昨年の震災以来、わが市は地震による津波の心配が生じてきたが、平素は温暖な地で、その点は幸せに思っている。ただし、観光客の混雑は別として。
今日はまだ家族が家に居るが、午前中だけデスクに向う。「あんばら庵」の日記を少し書き、CD保存を試みた。ノートにメモしてある通りに操作して、何とか成功した。2台目のコンピューターに移すためだが、このホームページビルダーに関しては、新パソコンにも内蔵されているので、いずれ時間のある時、親元のJ社に電話して、丸ごと移さなくてはならないと思っている。
午後は少し休息する。エアコンその他の暖房のせいか、鼻の奥が乾いて気持が悪い。居間では加湿器を付けているが、付けていない部屋もある。重症にはなりたくないので、軽い風邪薬を飲んだ。それでも遅い午後に街に出て少し買い物をした。夕食は納豆うどん、など温かく栄養のあるものをこしらえた。
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| 2012年1月3日(火) |
| 初に車出す |
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わが市は正月に交通規制をしている。そして我々住民は、警察に行き、通行許可証をもらい、それをフロントグラスの下に置いて走る。今日は藤沢まで行き、その帰り警官が規制をしている場所を通った。許可証のない車は、市内に入れずそこで右折させられる。私たちの車は許可証を持っていたので、直進して市内に入ることが出来た。お陰で道路は空いていて、安全運転し、予定より早く帰宅出来た。
今日は、年賀状の返信と、デパートでの買い物、(カレンダー、足のバランスに良い靴を1足)、サポートセンターへの電話予約、、眠る前に読書を少し、などをした。何時も活字に触れていたい。孫のママからの電話もあった。今度はあちらのうちに呼んでくれると言っていた。
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| 2012年1月2日(月) |
| 年賀状の返信など |
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家族と2人で屠蘇を祝う。
年賀状のチェックをする。最近は1月2日でも年賀状は届く。民営化され「ゆうちょ」になってからのことか。出していなかった方への返信を何通か書いた。それから近くのポストまで投函に行った。午後は娘夫妻が来た。
昨日は書き忘れたが、午後に地震があった。私たちはちょうど鶴岡八幡宮から戻ったところだった。東北から関東地方まで広い地域の地震だった。娘夫婦は婿殿の実家に近い、足利フラワーパークに居たそうである。花の群れがライトアップされてとても綺麗なところだそうだ。春になったら一度行ってみたいと思っている。しかし、そこでも地震はかなり揺れたそうである。教会のミサで「去年の震災を忘れないように」と、言われたばかりだが、元日からグラッと来ると、やはり去年が続いているという気がする。地の底の神の怒りが、まだ鎮まっていないのか、1日も早くおさまることを祈るばかりだ。娘一家ともお屠蘇を交し、新年を寿ぐ。夕方帰るときに、駅まで一緒に歩き見送った。婿殿は4日から、娘は5日から仕事だそうである。我が家の主人も5日から出勤の予定。私は、それから猛然とデスクに向う、予定。
プリンタの調子が悪い。ひとりでやって出来ないことはないが、時間がかかって適わない。早めにサポートの人に来てもらおうと思っている。
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| 2012年1月1日(日) 年が変わりました |
| 教会のミサ、そして初詣と |
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明けましておめでとうございます。2012年、平成24年になりました。昭和が遠くなってきます。
そして、今年は、元日が日曜日になった。
そうでない年は、元日のミサをサボることもあったのだが、日曜日となるとどうしても参加したかった。それで、前日から息子たちと打ち合わせをし、行く前に、お屠蘇を祝おうということになった。夜遅く寝た皆が早起きしてくれたので、午前九時ごろには準備が出来て、お屠蘇を祝い、雑煮を頂き、「新年、おめでとう」の挨拶を、家族そして息子一家と交すことが出来た。それから、後片付けは孫たちのママに頼んで、10時からのミサに駆け付けた。元日のミサは久しぶりだった。思ったより空いていた。皆さん家から出にくいのだろう。私としては気持ちの良いミサ参加であった。ともかく健康で過ごせるようにとひたすら祈った。しかし、今日一日の予定はびっしりと詰まっていて、少し気が散っているところもあった。家の女主人ゆえ、これも仕方がない。C神父はお元気そうで、やはり、「昨年の震災を忘れないように」と繰り返していた。
帰宅してそれから、6人で鶴岡八幡宮へと繰り出した。そちらも思ったより空いていて、例年は警察署のロープ規制が5回待ち、6回待ちだったのが、3回で済んだ。大階段まで上がり、拝殿のそばでおみくじを買った。おみくじは吉てあった。上の孫は大吉と喜んでいたる帰り道は、混雑している小町通を通り、鎌倉駅から江ノ電に乗って家に着いた。
疲れを知らない子供たちは、またそれから遊び始めた。夕食を食べて暗くなってから息子一家は帰って行った。いつもの正月と変わらないと言えば言えるが、孫たちが全くの子供ではなくなっていて、会話や、ふとした時の動作が面白くなったことが、大きな変化であった。これからは一年単位ではなく、めまぐるしく変わっていくことだろう。おばばもぼんやりとはしていられない。
しかし、今年は、二箇所もお参りをしたのだから、良いことがあるでしょう、と思っている。足を始めとした体調はまあまあである。
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| 2011年12月31日(土) |
| 大晦日 |
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朝から、雑煮の下準備などをする。鍋を沸騰させながら、もう一方では今日の昼食のカレーを煮る。息子一家のためである。カレーが出来上がった頃、オーブンで豚肉を焼く。料理は人数が多いと遣り甲斐があるのだが、年末年始特有のゴミが溜るのがなんとも嫌である。紙くずのごみと生ごみを分けて、生ごみはごみ処理機に入れてスウィッチを押す。久しぶりの使用だが、機械は動きだした。しばらくすると、生ごみは堆肥のような塊りに変わる。それは植木の根本に肥料として埋める予定。
そんなことを考えている暇もなく、息子たちが到着す。一緒にカレーを頂く。孫たちは大きくなって、どちらも「お変わり」をするようになっている。
食事の後は、掃除を少し手伝ってくれた。下の孫もよく働いてくれた。
夕食は、皆ですきやきの鍋を囲んだ。孫たちは、NHKのテレビ、紅白歌合戦の前に入浴したいと、2人で急いで入る。出ると同時に、番組が始まる。最初は年代の若いタレントたちが出るのを、すでによく知っていた。その出演者の名前をよく覚えていること、驚きであった。年寄りの私は朝から働いたので、除夜の鐘が鳴る頃には、もうダウンして眠ってしまっていた。
そんなわけで、今年一年有難うございました。
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| 2011年12月30日(金) |
| 水洗いの掃除など |
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朝から、台所の出入り口であるサッシドアの水洗いをした。桟が横になっているのでその上に埃が溜る。車庫からゴムホースを引いて来て、水をかけたら、綺麗になった。ついでに車も水洗いした。働いていると寒さを感じない。
掃除を終えて、家に入ったら、アマゾン・コムに注文した本が届いた。来年になるかと思っていたので、喜んでしばらくその本を読んだ。忙しい時の、僅かな時間の読書は良いものだ。
午後は、上の孫のパジャマを買いに、スーパーの上階まで行った。中学一年生なのだが、背が158センチの私より高くなった。目下163センチぐらいと言う。つまり去年のパジャマが着られなくなった。それに去年は中学受験で、正月は泊りに来ていない。それなら今年は大人と同じMサイズのパジャマを買ってあげよう、と思ったのである。幸い可愛い柄のパジャマで値段もリーズナブルな品を見つけ、帰宅した。そして孫のママに電話をした。明日は早く来てくれるという。夜は来年のカレンダーを取り付けたりして働いた。「あんばら庵」の日記も書いた。
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| 2011年12月29日(木) |
| 郵便局へ |
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やっと賀状が整った。家族と連名のもの、本名のもの、筆名のものと3種類の賀状を刷り、ペン書きもして完成させた。最後に書いた賀状は、福島県双葉郡へのものだった。元のぞみ会(がん患者の会)Yさんのことは、この「あんばら庵」の日記に以前はよく書いたが、2年前にYさんは亡くなった。しかし、ご家族はどうしているだろうか?3月11日の震災以来ずっと気になっている。夫人とはお目にかかっていないが、元のご住所の宛名を書き、「ご消息をお知らせ下さい」と付け加えた。無事に届くことを祈る。元のぞみ会Yさんは、この「あんばら庵」の理解者であり、良き読者でもあった。Yさんのお陰で続けられたと言っても過言ではない。今でも感謝している。ご家族のご無事を祈ってやまない。
なお、プリンタは何とか作動している。原稿の印刷が気になるので、試し刷りをしたらセーフであった。
夜、弱い風邪薬を飲んだ。すぐに眠くなった。
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| 2011年12月28日(水) |
| プリンタのトラブル |
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朝一番でクリーニング店に行く。最近はこのセルフサーヴィスのクリーニング店のみを利用している。今年中に仕上がるのは今日持って行くのが最後になるらしい。よく履くズボンを数枚持って行った。帰りに家族のスーツを引き取って家まで運んだ。重いが、仕事着ゆえ仕方がない。家に来てくれるクリーニング店もあるが、その時間に家に居る時と居ない時があるので、持って行く方が楽なのだ。
やっと家に着いて、二階に上り、賀状を刷ろうとしたら、プリンタがエラーになった。メーカーに電話する。コントロールパネルのプリンタの、丸にチェックの場所が現在使用のE社ではなく、M社になっていたので、そのチェックを移動した。それで準備完了と出た。しかしそれでも作動しないので1度電話を切った。夜に電話をくれると約束した。
しかし、その後、USBケーブルをプリンタ側とパソコン側の両方を外し、それから挿入し直したら、プリンタが作動した。それで、急いで宛名書き(本名のリスト)を印刷した。何とか作業を終えた。夜、メーカーから電話をもらった時、そのことを話した。しかし、コンピューターからプリンタへの通信が悪くなっているので、いずれは新パソコン、Windows7にデータを引っ越して後、そちらにプリンタを接続する、それは来年になるでしょう、と伝えた。「分かりました」という返事だった。
夜は、筆名の方の賀状のペン書きの署名と添え書きを頑張った。家族の帰りを待ちながらで、食堂でテレビの音を耳で聞きながら、ペンを動かしていた。
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| 2011年12月27日(火) |
| 掃除の日 |
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朝からお掃除のMさんとともに働く。日本間は何時も使っていないので、頂き物を置いたりして雑然としているが、孫たちが来ると泊る部屋なので、精一杯綺麗にした。気持が良くなった。
午後からは、小説の手直しを少し、そして賀状刷りに少し時間を使った。今年は時間が足りないまま、27日になってしまったが、そのせいか能率を考えて動いている。それでも何かあると、正月の仕度が整わないので、焦る気持も湧く。しかし、何事にも焦りは禁物。落ち着いて動き、大丈夫、と思っていることが大切である。そうすれば、準備は着々と進む。
午後、到来物のお礼の電話を一件する。懐かしいお声が聞けて楽しい電話だった。夕方になって寒くならないうちに、散歩がてら買い物に出た。魚店に寄った。買った魚を新聞紙に包んでくれる旧式な店だ。しかし、店の人の気風が良く魚の質も良い。カレイを煮付けにするために2人前頼んだ。
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| 2011年12月26日(月) |
| 残すところ後6日 |
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年賀状がまだ全部出来ていない。刷るだけではなく、ペンで署名&添え書きもしたいと思うと、手間ひまがかかる。その上、お名前やご住所を目にするとその人のお顔が浮んできて、あれこれと考えてしまう。荷物の整理をする時に、思い出の品に引っかかると時間が経って仕様がないという人が居るが、年賀状も一人ひとりを目に浮かべると大変なことになる。しかし、人間だから、そうそう事務的になっても居られない。思い出というより、如何お過ごしか?と案じられる人も居る。こちらも年を取っているのだから、かつての先輩諸氏は、皆高齢者となっている。ともかくお元気で居て欲しい、と願う人も多い。あれこれと考えながら、賀状を刷る。失敗すると葉書が無駄になるので、注意深く見ているが、たまに葉書を逆さまに、給紙口に入れてしまうことがある。昔はよく失敗したが、最近はあまりミスをしない。
午後、意識的に休息をして、体と目を休めた。家族の居ない日は、楽をしているようで楽はしていない。つまり忙しい時は、働き過ぎと止める人が居ないので、どこまでも頑張ってしまう。「さあ、お昼休みですよ」と自分で自分に言い聞かせなくてはならない。夕方は駅前スーパーを電車で往復した。スーパーでは、芳香剤を安売りしていた。正月には良い香りを、ということか。
今年も残すところ後6日となった。風邪を引かないように気を付けようと思う。
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| 2011年12月25日(日) |
| クリスマスのミサに参加 |
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所属する教会の信者さんも、年々高齢化している。従って夜半のミサよりも、今日のミサの方が混んでいる。椅子席はいつもより一杯になっていた。お話の時間、C神父は、
「今年の震災を決して忘れないように」
と話す。「新年が訪れるのは目出度いが、それで去年が終ったと安心してはならない。」
と繰り返す。全くその通りだと思う。ミサが終ってから、出口に居た神父に、「悪い数値が下がりました」と伝えた。心配をかけた以上、報告をしなくてはならない。
ミサの帰りに、すぐ脇の道沿いに出来た盆栽店に寄った。娘の主人が好きな盆栽をプレゼントにしようと思う。室内にはどれを見ても欲しくなるような逸品が並んでいる。今度この店に連れて来てあげたいと思う。娘が川崎まで持って帰るので、持ちやすくて可愛い盆栽を選んだ。赤い実と斑のある柊が寄せ植えされたものだ。
その娘は2時頃来た。盆栽はちょうど欲しかった、と喜んでくれた。それから玄関のたたきやガラス戸の掃除をしてくれた。水を使って、土埃を綺麗に流してくれた。助かった。
夕方、帰る時に、駅まで一緒に行った。夜は家族と、テレビの日本フィギュア選手権を観る。浅田真央は1位になった。
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| 2011年12月24日(土) |
| クリスマス・イヴ |
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朝から植木職人が来ている。簡単な掃除をしてくれる。以前も書いたが、我が庭には高級な松の木や柘植の木はないので、費用はかからない。近ごろは職人も心得ていて、安く済ませてくれる。
その間二階で、年賀状の葉書印刷を始める。しかし、プリンタの調子が悪い。「印刷」をクリックしても、エラーになる。面倒だがメーカーに電話をする。
「インストール時に問題があったか?」
と聞く。それならもう一度、メーカーのホームページからダウンロードしましょうと言い、その手順を電話で教えてくれる。というより電話で1つずつ操作を進め、無事ダウンロードに漕ぎ着けた。その証拠にデスクトップのアイコンが一つ増えた。
植木職人は半日で帰った。庭がすっきりとした。
今夜はクリスマスイヴの夜半ミサがあるが、風邪を引くので家に居る。ミサは明日朝10時に参加する。夕方から家族の名前の賀状の裏面を125枚刷った。プリンタは機嫌が良い時は動いてくれる。合間に原稿を直している。夕食は鶏の足を2本、オーブンで焼いたが、1本は明日掃除に来てくれるという娘のために残した。
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| 2011年12月23日(金) |
| 3連休の1日目は留守番 |
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今日は天皇誕生日、陛下は七十八歳になられる。まずは目出度きこと、とお祝いを申し上げる。陛下にとっても震災の被災者を案じた年であってと思う。
そして今日の祭日から土日へと3連休になる。若い人たちへは楽しいクリスマス気分の3連休になると思われるが、辛い思いをしている人たちを忘れないで欲しい。そして今日の私は留守番をすることになった。いつもの芝居を観る会に、今日は家族1人で行く。と言うのは、S病院の検査の数値に驚いて、その時点で次の観劇は不参加と言ってしまったからである。機嫌も悪かったようで、家族の話にむべもなく断ってしまった。ティケットの手配をしていないのだから、事情が変わっても「行きます」というわけにはいかない。午後3時からの開演に合せて、家族は出かけていく。
しかし、全く家にいたわけではなく、江ノ電に乗って藤沢まで買い物に行った。目的の品だけ買って、後は真っ直ぐに戻って来た。途中、寒かったが晴れていて、江の島辺りの空と海が綺麗であった。帰宅後は少しデスクに向った。終ってからフロッピーに保存した原稿を、新しいノートパソコンに移そうと思い、試みたが、不可であった。簡単に言うと、マイドキュメントに保存が出来なかった。きちんとデータを移さないと駄目なのか。Windows7はまだ使いこなせていない。残念!である。あまり面白くない休日であった。家族は観劇の後、二次会の食事をして戻って来た。ちなみに芝居は面白かった、とのこと。
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| 2011年12月22日(木) |
| 午前中はデスクの時間を確保 |
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午前中は、何とかデスクの時間を確保する。雑用のさなかにあっても集中力が途切れないのは幸いだ。作品の枚数が少し増えている。必要上そうなったのだから仕方がない。
午後は、美容院に行く。前からの予約だし、鏡の前で眠って来ようと思い、家を出る。しかし、クリスマス・パーティにでも行こうとしているのか、若い女性が来ていた。1つ置いた席に座っていて、大声で話しそして笑い、それもその状態が繰り返されて、眠るどころではなかった。美容院と言ってもいろいろな世代が来るところだから仕方がない。それでも疲れているのか、少しだけ眠った。髪の毛がかなり短くなった。帰りはまた、スーパーに寄った。1度帰宅してから、整形外科に行き、患部の塗り薬をもらった。
家族の帰りは遅かった。
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| 2011年12月21日(水) |
| 二階に居るとチャイムが鳴る |
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書斎を二階にしてから何年になるか?「あんばら庵」の日記を自分でスクロールして見れば分かることだが、そんな暇もない。ともかく、暮は階段を上ったり降りたりと忙しい。デスクに座って原稿の手直しをしたり、葉書印刷を始めたりしていると、チャイムが鳴る。チャイムと書いたが、本当は電話線に繋がっているちゅる、ちゅる、ちゅるという信号音である。二階に書斎を作った時、二階でも来客その他が分かるように設置してもらった。階下だけに設置された音が、最初は聞えなくて、在宅していたにも拘らず、不在配達書が郵便受けに入っていたこともあった。そんなことで二階にも線を繋いだ。便利になったが、音が聞えたら降りていかなくてはならない。階段には頑丈な手摺りが付いているから、足を踏み外すことはないが、度重なると息が切れる。デスクに戻れば、また集中してキイを叩く。
今日はKDDIの人が2人来た。光ケーブルの必要がなくなったので、丁重に事情を話し、キャンセルさせてもらった。
午後3時より整形外科のリハビリに行った。恐らくこのリハビリが今年最後になるだろう。後は家で、ストレッチ体操などして、痛みへの予防をしなくてはならない。年の暮れだから仕方がない。帰りはその足で駅前のスーパーに行った。
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| 2011年12月20日(火) |
| 足は少しずつ良くなり |
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三田文学の友人、K・M子さんのご祖父も日露戦争に縁のあった人というニュースを知る。彼女とはずいぶん長いお付き合いだが、私の父の話はしていなかったらしい。彼女が、バルチック艦隊を取り上げたNHKのテレビに出るというメールをもらって、始めてそのことを知った次第である。今日はそんなことで、2008年、鎌倉ペンクラブ会報に書いた、「父親の戦場を探して」という拙文を郵送した。
そして郵便局に行く前に、お歳暮の礼状も書き、窓口に運んだ。街は、クリスマス気分の人びとで混みはじめている。クリスマス寒波が来て、寒いのに観光客も減っていない。
クリニックの医師にも挨拶に行った。先日の検査の数値を記したもののコピーをもらってきた。「お陰さまで、よい年越しが出来ます」と何度も礼を言った。その後は、もう一件スーパーまで歩いた。これだけ歩いているのだから、足はどうやら良くなっているらしい。しかし、全く痛まないわけではない。時々痛むのだが、忘れている時もある。忘れることも出来る、という状態か。忙しいので整形外科のリハビリにも行っていない。
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| 2011年12月19日(月) |
| 無事、コンピューターの無線が働くようになる |
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朝9時になった時、プロバイダI・Pに電話をした。これまで使っていた有線のADSLの容量を聞くためである。ビックカメラの人に、「5MBぐらいでは上手くいかないかもしれない」と聞かされていたので、心配だったのだ。しかし、プロバイダの返事は「12MBです。無線を使うには何ら問題はありません」とのことだった。ほっとして午後から来る予定のサポートの人を待った。午後1時過ぎに、サポートの男性は到着した。サポートしてもらった項目は3項目である。
1・無線ランの取り付け、確認
2・インターネットの接続、メール・アドレスは2件
3・1階のテレビの脇にあるWIIフイットへのランの接続
なお、その時に、メール送信者の名前を分かりやすく変更してもらった。つまりペンネームと、本名をきちんと分けた。受信者が混乱するのを避けるためだ。これですっきりとした。
サポートの人が帰ってから、駅前に使いに出た。夜は寒いので豚汁を拵えた。
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| 2011年12月18日(日) |
| 許しの秘蹟を |
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前から、今日はミサの前後に許しの秘蹟を行う、と聞いていた。他教会から、植栗弥(うえくりわたる)神父が来てくれると広報にも書いてあった。金曜日の夕方、健康上の朗報が入った私としては参加しないわけにはいかない、という心境だ。ともかく今は健康が何よりの幸せだ。少し時間の余裕を見て、教会に行った。
すでに許しの秘蹟は始まっていて、椅子席で1人待っていた人がいた。しかし、何故かその人が順番を譲ってくれて、すぐに告解室に入れた。詳しいことは書けないが、何時も気になっている物書きの後ろめたさ、そして子供たち、孫たちの信仰の問題、などを話す。それらは私の責任かもしれない、ということを述べる。神父は優しく答えてくれた。
「カトリックの形式に捉われずに、愛のある子供に育つように、祈り、努力しなさい」と。
そうか。愛のある子供に。それなら何とか出来そうだ。と納得した。
よいクリスマス、年末になったと感謝した。
午後は、車を出し、家族とビックカメラに行き、出張サポートの話を聞いた。料金表ももらった。1人でやれば無料だが、何かの時には役に立つ。コンピューターもだんだん複雑になり対応が難しくなる。その上こちらは年を取ってくる。追いかけっこするのはなかなか大変だ。結局明日サポートの人が来てくれることになった。これもまたひと安心した。その後はデパートの男性靴売り場にも寄った。
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| 2011年12月17日(土) |
| 今朝は気持ち良く |
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今朝は気持ちよく目覚めた。
午前中家族が整形外科のリハビリに行っている間、私は新しいWindows7をセットアップする。起動は出来たがインターネットがまだ繋がっていないので、マイクロソフト社などには電話登録して、面倒だった。早くインターネットを接続しなくてはならない。
一先ずこれで新パソコンは止めにした。古い方のワード2003には、原稿が沢山入っている。これをお引越しさせるのは多分来年になるだろう。
午後、精肉店、魚店を回り、暮れの注文書を届けた。事前注文をしていないと、暮れの忙しい時に並んで買わなくてはならない。他にも用事を済まして帰宅したら、電話があり、下の孫がマイコプラズマ肺炎になってとのこと。しかし、天皇陛下のように入院はせず、自宅療養しているとのことだった。孫のパパ、ママとも電話で話した。その後娘からも電話があったので、その話をした。クリスマスに掃除に来てくれると言っていた。
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| 2011年12月16日(金) |
| クリニック、H医師からの電話 |
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午前中はデスクでずっと書いていた。
昼に駅前の郵便局に行ったついでに、JRに乗って藤沢に行った。ビックカメラ藤沢店に行き、無線のルーターを購入した。その折に、時間があると言った店員と小1時間話した。話の内容を簡単に書くと、現在使っているADSL(有線)の容量が分からないので、無線機器に対応できるかどうか、分からない。出来ない場合は、回線を変えないといけない。と言うのである。元々この店は、KDDI系列で、その勧誘が熱心なのだが、現在我が家はすべて(携帯はau)電話線はNTT回線を使っている。NTTの回線のままで、メールアドレスなどは変えないで行きたいな、と思いながら、ルーターを1つ買ってくる。慣れないことなので、ドキドキした。ただし料金はポイントが溜っていたので、安く済んだ。
健康上のことを考えていて、数値など心配なこともあるのに、前に向かって仕事はどんどん進んでいく。これも半分落ち込みながら、半分は元気ということか。
帰宅して、少し休息をする。夕食の下準備を済ませて食堂に座っているとき、電話のベルが鳴った。
取ると、クリニックのH医師からだった。昨日の検査の結果が出たと言う。一瞬どきっとしたが、80もあった数値が23.6になっていると言う。わざわざ電話をして頂くとは思ってもいず、さらに数値がこんなに下がっているとは思いもせず、驚くやら嬉しいやら恐縮するやらで、何度も礼を言って電話を切った。
逆効果どころか、思い切って検査してもらって本当に良かった!
これで良い正月が迎えられる。夕食は湯豆腐を美味しく頂いた。
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| 2011年12月15日(木) |
| 血液検査 |
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晴れているが寒い。しかし、外出はしている。
午前中に近くの内科クリニックに行く。血液の検査をしてもらうためだ。
「反って、逆効果になりますか」
とH医師に心配され、迷ったが、自分の意志で検査をしてもらう。S会病院で高かった数値が、さらに上っていたらショックが大きいと思われるが、検査してもらいたい気持ちも湧く。くよくよしても仕方ないので、してもらうことにした。そのとき緊張したせいか血圧はやや高かった。気が小さい人間だ。
クリニックを後にして、郵便物を投函したり、と他の用事も済ます。
帰宅して、新しいプリンタの件で、MyEpsonに登録をする。何とか出来た。パスワードその他はメモをし、さらにプリントもした。
午後に新しいノートパソコンが届いた。NEC製品のLavi、Windows7のノートパソコンである。古いパソコンからの保存データ「お引越し」の機能がある。しかし梱包は解かず、二階に置いて、食材の買出しに行く。駅前スーパーで食材に加え暖かい下着を1枚買った。(5%引きの日)
夜、小説の加筆ヒント1つ湧く。、有難う!だれに言うの?ヒントの内容から、姑に、という心境だった。
体操は控えめに少しした。食後はあまり頑張ると、消化が悪くなる。
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| 2011年12月14日(水) |
| 起動はしたが…… |
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雨のち晴れの天気。コンピューターも天気のように変わり、今朝は起動した。こういうことがたびたび続くと困るので、「あんばら庵」の日記のCD書き込みを行う。マイドキュメントの「新しいフォルダ2」をクリック、そのなかのDiary Essayをクリックして中味を確認し、またもとの画面に戻して、右クリックで「送る」をクリックする。その「送る」の垂れ下がりのなかから、CDのマークをクリックすれば、書き込みが始まる。書き込みが完了し、さらなる内容確認は、音が静まるまでゆっくり待つ。慌てると失敗する。
以上、忘れないようにメモしておく。その後はまた、ワード画面を開き、小説の手直しをする。
昼から、駅前スーパーと、もう一軒寄って洗顔石鹸などを買う。娘にもらった手作りの石鹸があるが、人に勧められたので買ってみる。果たしてお肌に良く効くか、どうか?
夕食は寒いので玉葱とトマトで温かいスープを作る。食後は床にマットを敷いて、軽くヨガをした。
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| 2011年12月13日(火) |
| コンピューター起動せず |
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午前中はお掃除のMさんが来て、一緒にダンボールの始末などして働いた。そんな状態で、二階に上り、コンピューターのスウィッチを押したら、なんと起動しなかった。驚いてメーカーに電話した。電話に出た人は、
「本体と繋がっている電源、USBケーブルなどすべて外して、90秒待って、(放電するため)また差し込んでください」
と言う。言われたとおりにしたが、起動はしなかった。大変だ、ついにマイコンピューターは壊れてしまったのか!電話の相手は、今後の修理に関して、ハードディスクの保存専門の会社の電話番号を教えてくれて、電話を切った。
2時間ほどショックを受けていたが、お掃除のMさんが帰って落ち着いてから、電源を押したところ、いつも通りに起動した。本当ですか?先刻の電話の人は、もう絶対駄目、という話だったが、……という心境だった。しかし、そろそろ危なくなっているのか?次のコンピューターを考えなくてはならないか?色々と考える……・。
午後、電車に乗って、ビッグカメラ藤沢店に行った。ノートパソコンを一台決めて帰ってきた。しかし、古いデスクトップは動いている。そんなことで少し早いが、夜になって年賀状の裏面を100枚印刷した。今年は年賀と言っても、東日本大震災の被災者の方々の気持ちを思い、無神経で明るいデザインも憚られる。少し考えて私なりに工夫した。
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| 2011年12月12日(月) |
| 父の命日 |
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父の命日は12が2つ並んでいるので覚えやすい。しかし、私はもう実家を離れているので、何か供養をするわけでもない。教会でも何かするとだれからも言って来ないので、一人胸のなかで思い、祈るだけだ。もちろん思い出してもいる。それは他の日でも思い出す。父の好きな食べ物でも買って来て、写真の前にえようかと思ったが、あっという間に1日が経ってしまった。不肖の娘だが、元気で充実した時間を過ごしているから許してくれるだろう。
本日こなした仕事は、タイトル「P」の小説を半日、午後は買出しと、整形外科のリハビリに行った。何時までリハビリに通うのか、そろそろ止めようかと思っているが、まだ決めていない。家のなかで歩くのはもう大丈夫だが、靴を履いてアスファルトを踏む時はまだ少し痛い。歩く、という時に人間の足はどれだけの衝撃を受けているか、考えると怖い。
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| 2011年12月11日(日) |
| 息子一家の記事 |
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朝起きたら、先に起きた家族がすでに新聞を読んでいた。そう言えば、今日はA新聞に息子一家の記事が出ると聞いている。
「これだよ」というので、その箇所を見ると、A新聞の教育欄に、息子一家のことが出ていた。テーマは家のお掃除で、「パパどうする?」という話だった。ママが「家事に参加する?しない」のセミナーを聞きに行き、そこでインタヴューされた結果の記事ということらしい。思ったより大きく取り上げられていたので、少し驚き残りは楽しく読んだ。電話をして「読んだわよ」と伝えた。当人の家はA新聞を取っていなくて、まだ読んでいないと言っていた。
それから、朝食を取り、片付けをしてから日曜のミサに行った。何時も近いところに座る人から、足に良い靴のメーカーを教えてもらった。感謝する。家族は大学演劇のOB会に出かけたので、午後はデスクに向った。午後6時頃家族は戻って来た。夜はテレビで、「坂の上の雲」ー二百三高地ーを観る。しかし、少し戦闘のシーン、特に戦場の大砲の炸裂の映像が多く、何となくつまらなく感じた。一緒に観ていた家族も同じ意見であった。そもそもこの小説は、テレビ向けに脚色して十分に表現出来る作品なのかどうか、疑問に思う。もう少しきめが細かい作品だと思っている。
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| 2011年12月10日(土) |
| 5000歩と 、ヨガ少し |
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晴れているが寒い。休日の家族はデンタル・クリニックの他内科、整形外科などを回って帰ってくる。しかし、私はデンタルの治療だけで戻ってくるのかと思い、少々帰りが遅いので心配した。3箇所も回れば遅くなるのは仕方がない。家族はいたってのん気な顔をして「ぜぇーんぶ、回ってきました」と言っていた。A型の私と違って落ち込まない性分なのか。ともかく安心した。待つ間、私はデスクに向っていたが、後半は階下に降りておろおろ、そしてウロウロとした。
昼食後は私1人で駅前に買い物に出た。スーパーでは雑貨などの階にも上がり、年末の商品をチェックした。ポイント2倍、3倍などと謳うスーパーはいつも混雑している。しかし、本当に得するのか、しないのか良く分からない。わが市には、スーパーは何軒もあるから、一軒に片寄らないせいもあると思う。往復で5000歩歩いた。夜も少しヨガをやった。
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| 2011年12月9日(金) |
| ヨガ再開する |
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午前中に「あんばら庵」の日記4日分書く。まだ追い付かない。丁寧に書き出すときりがないが、短く書くと、何となく思いが残る。これも性分だから仕方ない。その後は小説の手直しを続ける。だらしのない仕事はしたくないが、背負っているものもある。無理せず、落ち着いて過ごさなくてはと思っている。
昼食後バスで駅前に行く。江ノ電はもう嫌になった。混む上に、車両が狭く、観光客、修学旅行生などのマナーが悪い。優先席の表示も小さいので、だれも見ていない。日中が特に混む。ともかく、住民が弾き飛ばされる乗り物になってしまっている。バスに乗ったらそんな嫌な空気も感じられず、駅前広場で下車することが出来た。広場から数分の気に入りの魚店と、Uスーパーに行った。帰りもまたバスで帰った。しかし、バス停は家までは少し遠く、江ノ電下車よりも歩くことになる。足の踵の痛みが大分良いので、こんなことも出来るのだが、購入した食材を持って歩くのは大変だ。しかし江ノ電に乗らないのは嬉しい。ちょっとした「江ノ電ノイローゼに」になってしまっている。
ところで、夕食後、しばらく休んでいたヨガを再開した。もちろん健康のため、悪い数値を下げるためである。無理なところはやらず、体のストレッチを主にしている。久しぶりのストレッチで、終った後はとても気持ちが良くなった。明日からは毎日ヨガをするつもりだ。
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| 2011年12月8日(木) |
| 真珠湾攻撃の日 |
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12月8日は真珠湾攻撃の日でもある。今の若い人は知らないだろうが、日本が大きく変るきっかけになった日でもある。戦争によって命を落とした無名の戦士たちに心から哀悼の意を捧げたいと思う。
朝の9時に地元のクリニックに検査の結果を知らせに行った。悪玉コレステロール値などは範囲内で、中性脂肪も少しだけ範囲を上回っている程度である。問題は1つだけということを医師と共に確認をした。H医師に、
「ベッドに横になって下さい」と言われ、胃や腹部の触診をしてもらうが、異常はなし、とのことだった。そして、血液検査はクリニックでも出来るとのことで、「気が向いたら来て下さい」と言われた。しかし、まだ行くかどうか決めていない。落ち着いて良く考える。血圧も異常なかった。
少し気が楽になって、帰宅してから、新しいプリンタと古いプリンタを入れ替えた。パソコンにプリンタ付属のCDも取り入れた。茶道と印刷の確認もした。家族は出張から無事に戻った。
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| 2011年12月7日(水) |
| 超音波の検査 |
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早く家を出て、港区のS病院には午前10時前に着いた。先にK医師と会い、少し話をした。それから検査室に移動して、超音波の検査を受けた。正面、両横など丁寧に診てもらった。ショックはあるが、親切にしてもらっていることも確かなので、感謝をしなくてはならない。神に祈る気持ちも沸いている。しかし、今日その結果を待つわけではなく、帰って良いと言われた。来年の1月に再採血をする予約をした。執行猶予、という感じになったが、ともかく年末年始は越せそうだ。
朝から飲食をしていなかったので、途中昼食を取った。食欲はなくはない。その後電車に乗ったら眠くなった。家に帰ってもまだ眠かった。ソファで、1時間ほど眠った。家族から電話があったので報告した。
しかし、夜は少しデスクに向った。
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| 2011年12月6日(火) |
| 昼食会と夕方の電話 |
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曇りのち雨という1日なった。膝を悪くした友人は道が滑るので、欠席で良かった、と思った。出席の人数は少なく淋しかったが、食事会での会話も1つになって、楽しかった。人数が多いと、テーブルの右側、左側と分かれて話が2つになることもあるのだ。そのために2次会の席があるのかと思う時もある。座る席が替わると、気分が変るのである。2次会は1人減った。猫をクリニックに連れて行くという人が先に帰った。その頃は、かなりの雨になっていた。スーパーで傘を買おうとしたら、ピンクの傘しかなかった。仕方なくそれを1本買った。後で使えるかしら?
薄暗くなって、帰宅すると間もなくS会病院のK医師から電話があった。
「検査の結果、数値の高いもの1つあり、念のため明日超音波を取りましょう、朝食は取らないで来て下さい、」
とのことだった。電話をもらうとは思っていなかったので、いささかショックを受けた。食欲もなくなった。と言っても昼食でおなか一杯食べてきたので、夕食を取る必要もなかった。家族の帰りを待つ間、二階で少し仕事をした。
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| 2011年12月5日(月) |
| 何時ものマンデー |
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休日が終り、ほっとしたと同時に、自分の仕事が始まる。12月はやらなければならないことが山ほどある上に、小説の手直しをしているから、気が急いて困る。しかし、落ち着くように、と自分に言い聞かせている。年寄りが慌てるのはあまり良くない。
朝、友人からの電話で、膝を痛めたという話を聞く。その友人は東京に住んでいる。従って明日の昼食会は欠席とのことである。それから2人で、長いこと病んでいる共通の友人の話をした。
その後は昼までデスクに向った。午後手紙を1通書き、同時に朗読会に欠席したため、支払えなかった金1000円を三田文学に郵送した。本当に申し訳なかった。投函のついでにクリーニング店などにも寄った。
午後は整形外科のリハビリに行った。腰の牽引やマッサージをされると、その日によってだるくなることがあるが、今日もだるくなった。真っ直ぐに帰宅した。後は何もせず、夕食の仕度のみ。しかし、栄養のバランスなどは考えて拵える。家族の帰りは早く、夕食は一緒に取った。
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| 2011年12月4日(日) |
| 待降節第2主日 |
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ミサに行く。すでに待降節に入っている。聖堂内にはクリスマスの飾りつけもされている。
主任司祭のC神父は、今年3月の大震災を語りながら、
「いつ何が起きるかも分からない。心して生きるように」
と説く。全くその通りである。
日曜日で家族は休みだが、午後少ししデスクに向う。
夕方家族と買い物に出る。散歩を兼ねてと言ったところ。
夜はまたテレビで、「坂の上の雲」ー旅順への戦いー、を観る。第3軍司令官の乃木稀典の他、第2軍司令官の奥保かた(おくやすかた、)将軍もやっと登場した。この将軍は愛知県など日本中部地方の兵士を統括したと言われている。
従って愛知県出身の私の父も、この軍にのどこかに所属したと思う。こちらの方の調査はまだ進んでいないが……。
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| 2011年12月3日(土) |
| 冬が来た |
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雨が強くなり、雪が降りそうな寒さである。家族は昨夜帰りが遅かったが、今朝の健康診断に出かけた。晩酌を欠かさない人だから、肝臓の数値は高いと思われるが、他は安定している。今回もそんな感じと思っている。しかし、いい気になってはいけない。と自分を含めて戒める。踵の痛みは少しずつ減っているが、まだリハビリに通うのを止める気にはならない。
今日は三田で、朗読劇があるので申し込んでいたが、行かないことにする。数日中に、編集部のAさん宛てに観覧料の1000円を送らなくてはならない。
そう決めて、午後からの整形外科のリハビリに行った。外はまさに冬が来たという寒さだった。
夜は、テレビで、「坂の上の雲」第2部の総集編を観る。第3部が始まるので、その宣伝をかねているようだ。
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| 2011年12月2日(金) |
| 友人の電話の話 |
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今日も小雨の天気になる。午前中に近くのクリニックに行く.血圧は正常で安定している。H医師に東京の病院の検査に行き、結果は来週になると伝えた。
帰宅したら、通信教育過程で一緒に学んだ友人の1人から電話があった。再婚同士で結婚する予定だったお相手が、急病で倒れたと言う。かなりショックを受けているらしい。慰める言葉も浮かばなかった。その友人は私より1回りぐらい若いのだが、幸せになってもらいたいと願っている。
電話で話した後は、デスクに向かい、作中の人物と向き合いながらキイを叩く。
夕方は駅前まで往復し、煮込みうどんの材料を購入する。寒いので暖まる食事を取りたくなる。
家族は会食が会って遅くなる。家族は家族で、やはり明日の検診を控えている。大丈夫かな、と思いながら待つ。
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| 2011年12月1日(木) |
| 定期検診に |
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小雨の日。東京都港区S会病院で検査を受ける。CT、血液、尿などの検査。結果は来週になる。待ち時間が少なく、検査はスムーズに受けられたが、2日続きの東京行きで疲れた。帰りに最寄の駅の虎ノ門書房で、本を2冊買った。一冊は哲学者の池田晶子さんの本、もう一冊は井上ひさしさんの本。帰りの車中では池田さんの本の方を読んだ。帰宅したら疲れがどっと出て、ソファに倒れこんだ。(少々大げさだが)小一時間眠ってから目を覚ました。
夕方になって、そう言えば今日から12月、と気付く。忙しい師走がとうとうやって来てしまった。大掃除に、年賀状におせちの準備など、考えるとぞっとするが、家族揃って年越しが出来ることを感謝しなくてはならない。
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| 2011年11月30日(水) |
| 若松英輔さんの会に |
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若手の評論家、若松英輔さんを励ます会が、三田で行われた。若松さんは三田文学の新人賞評論部門の受賞を経て、最近の活躍が目覚しい若手である。三田文学の加藤編集長、理事長の坂上弘氏、女性の書き手の加地慶子さん、菊野美恵子さんらもご出席だった。若松さんはカトリック信者でもある。しかし、最近奥様を亡くされたそうで、お気の毒であった。
と言っても、書き手としての力には満ちていて、マイクの前に立ったコメントでは、「皆さん、東北の被災者に頑張れ、と声をかける前に、亡くなった死者の声を聞きましょう」、と発言していた。存在しているだけで精一杯の人に、頑張れ、と言っても仕方ない。我々の代りに死んで行った人たちの声を聞いてみましょう、という主張には感ずるところが多<、若手に励まされた気がした。
良い会だったと思いながら、帰路に着いた。明日は検査でまたこの近くの病院に来る。
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| 2011年11月29日(火) |
| 雨漏りの職人など |
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お掃除のMさんの他、午前中は、雨漏りの職人と、リフォーム会社の人と2人来て、騒がしかった。雨漏りは十月の台風に続き、先日の大雨の日に発覚した。しかし、原因が分からず、今回は雨漏りの専門家という人を連れてきてくれた。時間をかけて原因を調べ、修理をしてもらった。修理の時間は1時間を過ぎるほどで、かなり丁寧に目貼りその他をしてくれた。「これで大丈夫と思います」と言って帰ったが、大雨と共に大風が吹かないと実際には分からない。その日を待つことにするか。
そんなことで、今日はリハビリには行かなかった。午後はデスクに時間を使った。
夜のニュースで、沖縄の現場のトップが更迭されたと知る。理由は不適切な発言により、とされている。困ったものだ。
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| 2011年11月28日(月) |
| 稀勢の里大関に |
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家族が出勤したので、午前から昼までデスクの仕事をした。昼食もそこそこにまだデスクに戻った。2時半までで切り上げて、整形外科のリハビリに行った。帰宅して大根を鶏肉などとに始める。鍋の火を細くしたまま、読書をする。丸山健二さんの「眠れ、悪しき子ら」(文芸春秋社刊)など。
夜のニュースで稀勢の里が大関になったと報道される。三場所の勝利の合計が33勝にならず、1勝足りなかったが、相撲協会の事情があるらしい。日本人力士を育てなくてはならないのだろう。まあ、それも悪くない。家族は12月の会合で遅く、1人大根を食べた。
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| 2011年11月27日(日) |
| プリンタ買う |
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前々からチェックしていた新しいプリンタをついに購入した。エプソンのEPー704Aという後方給紙の製品である。店員から色々と説明を受けたが、前方給紙より便利な点が多々ある。例えば一枚ずつのカードが名刺として刷れる。前方給紙はA4の用紙に8枚並んだ名刺しか刷れない、など。それでこの製品を選んだ。名刺は自分で裏表刷る。しかし自動的には刷れないので、表を100枚刷ってから裏返して刷る。それでも業者に出すよりはずっと安く仕上がるし、デザインなど楽しむことも出来る。安売りなのでUSBケーブルは付いていず、別売りで細身の2メーターケーブルと予備のインクを買った。
しかし、藤沢のビッグカメラの1階から、数分の駐車場までは大変重く、家族に手伝ったもらう始末だった。
帰宅して大相撲の千秋楽と、大河ドラマ「江」の最終回を観た。相撲は横綱白鳳が優勝した。「江」の脚本は、最終回らしく良くまとまっていた。U22サッカーもシリアに勝利した。スポーツ好きの家族に付き合ったというところだ。
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| 2011年11月26日(土) |
| スイートポテト頂く |
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午前中に、家族をリハビリに送り出して、留守番をしていると電話のベルが鳴った。先日市の避難訓練にご一緒した町内会の組長の夫人からだった。その折、私はスナップ写真を写した。偶然組長ご夫妻が写っていたので、プリントして数軒先の御宅のポストに投函させてもらった。そのお礼に伺うと言う。間もなく組長ご夫妻が見えて、夫人から手作りのスイートポテトを頂いた。しかもそのさつまいもは滋賀県から届いたものと言う。そのお気持ちが嬉しかった。これから、防災の問題は重要になってくるだろう。それにはご近所との連携が大切だ。そんなことを少しお話もさせてもらった。海辺に住むものには、いつ何が起きるか分からない重要な問題だ。ともかく足腰は鍛えておかないと、と痛感した。
夕方は、味噌など買いに、駅前のスーパーに行った。
昨日早くも横綱白鵬の優勝が決った。
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| 2011年11月25日(金) |
| 登場人物 |
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小説の中に、登場人物というのがあるが、その人数というものが難しい。やたらに増やしても消化が出来ない恐れもある。枚数にも関係するが、焦点が分散しかねない。
そう考えて、普段注意しているのだが、今回、どうしても登場人物を1人増やす必要が出てきた。重要なことに絡む人物だと考えたからだ。しかし、その新人物加入が、作品の流れやリズムを損ねそうで難しいことになっている。そんなことを考えて、あれこれと言葉を並べ替え、苦労している。基礎工事がいい加減だったのか。小説は気を付けて書き始めなくてはいけない。このことは、もう少し経ってからまた書くつもりだ。
午後は整形外科のリハビリに行った。治療中も色々と考える。帰りは往復歩いて買い出しに行った。
家族は、今日会社の大事な用事があり、帰宅は遅くなった。
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| 2011年11月24日(木) |
| 磯見辰典さんのご本届く |
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磯見辰典さんの『鎌倉小町百六番地』(かまくら春秋社刊)が届いた。戦前からの古い鎌倉の風景が書かれている。写真も白黒だが沢山載っている。興味のある方は是非読んでいただきたい。
読書の前に手紙を1通書き、投函がてら駅前まで歩いた。スーパーと魚店に寄った。1度帰宅し、それから整形外科に行き、リハビリをしてもらった。帰ってきたら、上の孫に送った封書(避難訓練の写真が10枚入っている)が、料金不足で戻ってきていた。切手を貼り足して、近くまで投函に行った。こんな風に街を行ったり来たりしているだけで、すぐに5000歩は歩いてしまう。そのわりには体重が減らない。デスクの前に座る時間が長いからだろう。その間に巡らす考えは、書けそうで書けない。書いている世界の中で、もがくように動いているせいかもしれない。
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| 2011年11月23日(水) |
| 日記のCD-保存する |
勤労感謝の日。日記は何とか書き続けているが、CD保存が面倒だ。しかし、パソコンに何かあると、コツコツと書いた日記が消えてしまうので、時々頑張って保存する。今日は休日で、気分が乗ったので、何とかマイ・ドキュメントから、送る、CD、をクリックして、保存をした。成功した方法は、いつもの大学ノートにメモしてある。一安心して、昼食後、1人で藤沢に出かけた。大型電器店、ビッグカメラに寄り、プリンタのチェックをした。機器の進歩の具合と値段を見た。これまでは、後部から給紙する機器が主流だったが、最近は前方給紙の機器が出来ていると知った。値段も、休日は客寄せで安くしているようだったが、買わずに出た。後はスーパーに寄り、少しだけ食材を買い、電車で戻った。
大相撲九州場所、白鳳ー稀勢の里戦は、横綱白鳳が勝った。 |
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| 2011年11月22日(火) |
| 体重計の電池入れ替え |
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朝、起きてすぐ体重計に乗ったら、電池切れなのか数字が出てこなかった。朝と寝る前に体重を測る習慣がある。増やさないためで、特に効果を期待しているわけではない。それでも、体重が測れないのは淋しい。新しい単3電池を探したが、4個必要なのに3個しか見付からなかった。仕方なく、WIIふぃっとのボードに入っている単3電池を1個取り出して、体重計に回した。後は買ってきて補充しよう、と考えた。
無事に体重計が動き出し、乗ったところ、なんと1キロ近く減っていた。昨日は雷で早足で歩いたり、ポリフェノールの入った赤ワインを飲んだりしたものの、本当に減ったのだろうか?と怪しんだ。新しい電池が入ったので、体重計がサーヴィスしてくれたのか。それとも前が鈍感になっていたのか。ともかくその数字を受け入れることにして、デスクに置いてあるメモノートに書き込んだ。
それから朝食の仕度をした。
家族を送り出し、私はインフルエンザの予防注射をしてもらいに、内科クリニックに行った。事前に熱を測ったり、書類にコンディションを書き込んだりした。注射は少し痛かったが、まあこのくらいは仕方ない。
帰りは、内科のH医師に紹介してもらった新しい歯医者さんを探して歩いた。場所は一の鳥居の脇の新ビルの二階にあり、すぐに見付かった。名刺をもらってきた。長いこと世話になったS歯科医はこの夏に亡くなっている。今度の先生はI歯科医と言い、医院の名前はP・デンタルクリニック、と言う。この探検は、家族のためで、私のためではない。帰宅して家族に連絡し、改めて予約を入れることになった。
午後、もう1度買い物に行った。夕食は紐で括った豚肉をオーブンで焼き、他にはハスのきんぴら、ほうれん草のひたしなどを拵えた。
そう言えば、今日は「いい夫婦の日」だそうだ。
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| 2011年11月21日(月) |
| ボジョレー・ヌーボー |
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昼ごろ、避難訓練の折のスナップ写真をお向かいのN夫人に届けた。その折、夕方に、新ワイン、ボジョレー・ヌーボーを開けるからいらっしゃい、と誘われた。「お伺いします」と答えて家に帰った。デスクの仕事を少しこなして、それから美容院に行った。買い物は昨日沢山したので、今日はしなくても済む。シャンプーとマッサージが気持ちよく感じられた。帰り道は雨になり、美容院で傘を借りた。家に着くまでに雷が鳴り出す始末であった。足が痛むので最近は遅い足になっているが、雷嫌いとしては、久しぶりに早足で歩いた。その間、3回ほど、稲妻と落雷があった。
5時の約束には十分間に合う時間に帰宅出来た。しかし、雨が止むのを待ちながら、ゆっくりと紅茶を飲んでいたら、時間が経ってしまい、催促のお電話を頂いた。
すぐに出かけて、ボージョレー・ヌーボーを開けて2人で乾杯をした。(と言っても、先年亡くなったご主人様にも乾杯をした)つまみも家では買わないような豪華な品(フォアグラ、など)があり、恐縮しながらも美味しく頂いた。一時間と少し飲みながらお話をし、それから帰って家族の夕食の準備をした。間もなく家族が帰ってきたが、早くも私は赤い顔をしていた。その理由を話したら、「へえ」と笑われた。そして、「こちらは大分降ったらしいねえ。東京は全然降っていなかったよ」と言っていた。
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| 2011年11月20日(日) |
| 司教団も原発反対を |
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昨日と変わって、暑い日となった。少しだるかったが、ミサに行く。C神父は、今日はいつも通りにミサを行った。お話の冒頭で、日本の司教17名一致の、原発反対の声明文を読む。17名だと、意見が揃わないことがよくあるが、今回は全員一致し、この声明文となった、とのことだった。
帰りは、家族と待ち合わせて、近くまで買い物に行った。体調が良くないので来ないかと思っていたが、教会近くの店の前で待っていた。夏のような日差しで、少し歩いただけで汗をかいた。帰りは電車に乗ったがとても混んでいた。江ノ電のタンコロ祭りが開催されている、とアナウンスされていた。しかし、子供連れが多かったわけではなかった。一般の観光客が多いのだろう。午後は少し休んだ。
夕方、もう1度徒歩で買い物に出た。しかし散歩という感じでもあった。海岸通りは夕方でも混んでいた。
夜は日本シリーズ最終戦をテレビで観た。ソフトバンクが勝ち、日本一になった。内紛のないチームのようで、オーナーも、前監督も嬉しそうにしていた。
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| 2011年11月19日(土) |
| 雨の休日に |
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朝から雨の休日になった。それも風を伴い台風のような天気だ。
ゆっくりめの朝食を取る。家族が、物を噛む時に動く関節が痛むと言っている。心配なので食後にクリニックに送り出した。整形のリハビリにも回ると言っていた。留守番をしながら二階に上り、コンピューターを開く。そして、避難訓練の折写した写真をプリントした。ご一緒した3夫人の分もプリントした。雨が上ったら届けようと思いながら。
家族が戻ってきて、「心配ない。ふっと直ることがある」と言われたとか。始終、あちこちの痛みに襲われている私だから、仕方ないと思うが、家族のことだとやはり気になる。噛み易い食事のメニューを考えなくてはならないと思う。
雨の中、1人駅前スーパーに行き、お粥のレトルト食品や鶏のひき肉などを買う。ひき肉はそぼろ煮にしようか。小さな梅干も買った。
帰宅してもまだ雨はひどくなっていた。郵便受けに手紙を取りにいく。コマーシャルのものや葉書が届いていたが、雨に少し濡れていた。1通私宛のものを発見し、慌ててティッシュで拭いた。何とか文字は判読できた。大雨に備えて、郵便受けを修理または取り替えなくてはと思った。
休日は、スポーツ好きな家族と、いくつかのスポーツ番組を観る。付き合わないものもあるが、今夜は相撲と野球(日本シリーズ)を付き合った。
日本シリーズは、中日が勝ち、成績は3勝ずつになった。なお、応援している稀勢の里は勝った。読書はベッドに入ってから少しだけした。
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| 2011年11月18日(金) |
| 納豆うどん |
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午前中に内科クリニックに行く。避難訓練iに参加した昨日の今日だが、血圧は安定していた。医師も喜んでくれた。その折に、昨日の避難訓練は、集合場所までの坂道がかなりきつかった、と話した。
日中は休んだり読書をしたり、と時間を使った。午後は銀行とスーパーに行き、用事を済ませる。スーパーでは納豆を買い、今夜は納豆うどんにしよう、思う。鍋で茹でた熱々のうどんを納豆で食べる。(細めのうどんの方が納豆に絡みやすい。念のため)家族は納豆に卵を入れるが私は入れない。寒い時は何よりも暖まる。もちろん栄養もある。元は東北の家庭料理と聞いているが、我が家では冬のメニューの定番になっている。他に金目鯛の煮つけを添えた。帰りを待つ間、読書をした。今、読んでいる本が面白い。まだ読了していないが……。
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| 2011年11月17日(木) |
| 大津波に備えて、市の避難訓練に参加 |
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午前10時に、近くの消防署のサイレンが鳴った。避難訓練のサイレンである。それほど大きな音ではなく中程度の音量であった。実際の時はもう少し大きく鳴らすのかもしれない。仕度はしてあったのですぐに外に出た。
近くのN夫人、T夫人にもう1人知らない夫人も加わって、総勢4人で避難場所のO中学グランドに向った。荷物は軽めにした。他の夫人たちはバッグのみであった。道を歩いて行くとあちこちから人が参加して、人の波が出来た。
目的地への道は2通りあり、最初は右回りのO通りを通っていく。そこからだと左折して突き当たる。もう1つは左回りで住宅街を直進して右折、左折する。こちらは道が狭いが、車の交通量が少ない。一長一短という感じだ。
O中学の門までは、以前練習で歩いたが、門が閉まっていた。今日は門は開いていて、すでに人が大勢来ていた。しかし、その門から、グランドまでの坂が大変であった。グランドまで上がった時、市の職員に「此処は、海面から33メートルあります」と教えられたから、20メートルは上ったことになる。途中息切れがしたので1度休んだが、実際に波が後ろに迫っていたら、休んでも居られない。町内の係りの人に家からの所要時間を22分と伝えた。のんびり歩いたからだろう。早足なら15分と言ったところだ。
日中だから、これで何とか辿り着いたが、深夜だったらどれほど混乱することか。何よりも先ず必要と思った物は、懐中電灯であった。午後は整形外科のリハビリに行った。帰りにケーキ屋さん寄った。疲労して甘いものが食べたくなったのか。夜になっても疲れは取れず、家族の帰りを待たずに入浴し、眠ってしまった。実際の被災者のことを思うとこんなことでは済まされない、と思いながら……。
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| 2011年11月16日(水) |
| ぼうっとしながら、考える |
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家族が一泊の出張に出かける。泊る場所などはきちんと聞いてある。しかし、心細さと、気楽さとが入り混じるいつもの気持ちが訪れる。戸締りなどは気を付けるが、先ず第一に食べ物の問題が楽になる。私は何を食べていても1日2日は暮らせる人間だ。夕方になったら、値引きセールをするスーパーに行こうと決めて、読書をする。
午後は、ぼうっとしていたら、たまたまチャンネルを変えた7chの映画が面白くなり、ラストまで観た。久しぶりのことだ。たまには息抜きになって良い。しかし、その間にも何か考えている。話の導入部、ラストシーン、などは気を付けて観ている。楽しみで見ている範囲で言うと、映画のラストシーンは、絶対ハッピーエンドが良い。現実は、そうはいかないとしても。人間は、いつもそう悲しい気持ちになっていられないものだ。
夕方、家から1番遠いUスーパーまで歩いた。足の痛みを試すように歩いた。足の方は何とかクリアしたが、当てにしていたお惣菜がそこの売り場に置いてなかった。それで、5分ほどまた歩いて(駅の方角に戻って)、Tスーパーに行き、やっと買いたかったお惣菜に巡り会った。幸い50円引きになっていた。1人で過す夜は、こういう楽しみがあって良い。弁解するようだが、食材を買って料理をするには、それなりのプランや構成力、実行力が必要なのである。そこに気力も加えれば、ものを書く力を奪うことにもなりかねない。家族のためなら頑張って料理はするが、自分のためにはしたくないのである。自分なら、手を抜いても誰にも文句は言われない。
夜もまた1人、ぼうっとした。
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| 2011年11月15日(火) |
| 雑用の合間に読書 |
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お掃除のMさんが来ている間にも、門のチャイムが鳴る。消防署からだと言う。出て行くと、若い男が1人。きちんと制服を着ていたが、一応「身分証明書を見せて下さい」と言った。すぐに見せてくれた。写真の横に、市職員、と書いてあった。この頃は悪い人が多いので、止むを得ない。用件は火災報知器の取り付け、についてであった。我が家のはすでに壊れていて、新しいのは設置していない。ホームセンターにでも行って購入し、取り付けて下さいと言われた。最近は知らない人が来ると、何となく不安になる傾向がある。物騒な世の中だ。
午後、市から知らされている17日の避難訓練について、お向かいのN夫人に電話をした。その結果、南隣のT夫人と3人で参加することにした。N夫人は最初、
「津波が来て、お魚に食べられてもいいわ」などと言っていたが、
T夫人に「そんなこと言っては駄目よ」と言われたそうだ。
それぞれ、災害に関して色々な思いがあるのだろう。まあ、連れが決ってほっとした。しかし、東北地方では、「津波てんでんこ」という言い伝えがあるそうだ。てんでん(それぞれ)に逃げろ、人を待ったり誘ったりしてはいけない、という意味だそうだ。1分でも1秒でも早く高台に逃げなさい!という先祖が残した教訓なのだろう。しかしまあ、訓練だから隣近所と親睦を図るのも良い、と思う。午後のリハビリには行かず、少し読書をした。
その後観たテレビの国会中継は、首相のあら探しばかり、という印象を持った。それ以上に凄かったのは、北朝鮮における、日本対北朝鮮のサッカーの試合であった。日本の国歌、「君が代」斉唱の折の、ブーイングは全くもって礼儀知らずだ。日本の選手は良く我慢した。
日本シリーズは、2連敗の後のソフトバンクが勝った。
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| 2011年11月14日(月) |
| 電話2件 そして読書 |
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午前中に、事務的な電話の用件を済ませた。役所からの書類が私の苗字の漢字を間違えて送ってきたので、電話でそのことを告げた。先方は、「分かりました。送り直します」と言っていた。
午後は、もう一件、連絡の電話をかけた。少々気弱さの出る電話であったが、昨日聖堂の中で十字架に向って、「電話する」と約束したことなので実行した。強くならなくてはいけないと思う。
P・M3:00にリハビリ・ルームに行く。超音波の後のマッサージ担当が、いつものK・Sさんでなくて少しがっかりした。これも仕方がない。
帰宅して、紅茶を入れて飲み、それから読書をした。読書用の眼鏡をかけると、長時間になっても殆ど疲れを感じない。読んだ本が、そうだったというわけではないが、ふと、作品の中の「色気」そして「艶」というものについて考えた。老いても、それは失ってはならないものと考える。
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| 2011年11月13日(日) |
| 日曜のミサに、参加する |
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久しぶりに日曜のミサに行った。聖堂に入るやいなや、O・S子さんに、「しばらくお姿が見えないので、どうなさったのかと、案じていました」と言われた。どうやら顔が知られてしまっているようだ。もっとひっそりと生きて、影のように動いていきたいのだが、困ったものだ。主婦であると同時に、ものを書いている暮しが、読書などの勉強も含めて、どれだけ時間を使っているか、周囲の普通の方々に説明の出来ないのが辛い。この「あんばら庵」の日記を読んで下さっている方々は少しお分かりかと思うが、いつも時間が足りないと思っている。誠に心苦しかったが、O・S子さんには、
「週3回のリハビリ・ルーム通いと、高血圧治療をしておりまして」
と話した。
あいにく、主任司祭であるC神父はご用事らしくお休みで、国際派で主にアジア地方を飛び回っているY神父が代役を務めていた。タイにもよく出かけていた方ゆえ、今回の洪水も憂慮されていることと思う。福音の聖書朗読は、有名な「タラントンの教え」で、その内容の解説に耳を傾けた。そして十字架に向って色々と祈った。自分の気弱さ、反対の図々しさ、を思いながら、話しかけるように祈った。
ミサが終わり、帰ってから昼食となったが食欲なし、であった。午後は少し休息し、夕食は近くで外食をした。帰りは10数分の道のりを家族と歩いた。足の調子はだんだんと良くなっている。寒くも暑くもない良い夜であった。
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| 2011年11月12日(土) |
| 眼鏡店に行くなど |
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午前中に整形外科のリハビリに行った。土曜日は午後も開院しているが、料金が少し高くなる。休日診療になるのか。
帰宅して、家族の昼食を拵える。休日は、外食しない限り3食作ることになる。珍しく、昼食として炊飯器で御飯を炊いた。従ってメニューは和食となった。
その後、一人で電車に乗り、藤沢市に出かけた。眼鏡の修理がとうの昔に出来ているが、取りに行っていなかった。受け取りがてら、食料も少し買って来ることになる。電車は休日で混んでいて、途中まで座れなかった。デパートの地下では、魚と肉、漬物を買った。荷物を軽くするつもりだったが、結構重くなった。それだけでまた電車に乗って帰ってきた。始発駅の藤沢駅では混んでいなかったが、途中(と言っても殆どは長谷駅で)乗客が大勢乗り込んできて、椅子に座っていた私が、それらの人をかき分けなければ出口のドアに向えない、という混雑振りであった。やっと下車して家に到着した。すでに夕方になっていた。
夜は、テレビでフィギュア・スケートを観戦した。日本勢は、鈴木明子1位、浅田真央2位の結果となる。観ている方は楽だが、当人たちは大変だろうな、と思いながら。
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| 2011年11月11日(金) |
| プリンタ作動せず、そして11・11・11の日 |
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小雨の日となった。相変らず書いている。家事を少々と、デスクに向う地味な一日だ。
一方、政局の方は、今日TPP参加を表明し、明日その野田総理は会議に向けてハワイに向かう、と報道されている。新聞の見出しを横目で見て、二階に足を運ぶ。もう1つ、ややレベルの低いニュースとして、読売巨人軍の内紛があるが、これはどうでもいい。上役の態度に、我慢しきれない人は爆発させるのもいい。しかし、組織の人間だから、あまり効果がないことを覚悟すべし、などと考える。末っ子の私としての個人的な意見は、「あまり威張る人は、好きでない」と、言いたい。
ところで、自分の書いた物は、コンピューターの画面に向き合って見ている。対面書き、そして対面で読み推敲する。しかし、それだけでは見通しが利かないことがある。これは、以前K編集長にも言われたことだが、プリントした原稿を、以前の手書きの原稿用紙のように机に置き、上から眺めチェックする必要がある、という。確かな意見だが、対面書き、推敲、書き直しにも大分慣れてきた。今回はぎりぎりまでプリントをしないで、綿密な推敲を重ねた。
さて、これでプリントして、さらにデスクに置いて読み、推敲しようと思っていた。ところがである。
そのプリンタが作動しない。いつものようにワードの画面に原稿を出し、その上でプリンタの電源を入れて「印刷実行」をクリックしたが、「このドキュメントの印刷は失敗しました」の文字が出て、作動する音がまったくしない。あまりプリンタを使わなかったので、怒ってしまったのか。そんなことはないにしても、困ってしまった。
マニュアルを持ち出して、プリンタのノズルチェックをしてみる。これは出来た。接続の差込を見たが、差し込まれている。印刷プレビューは出るが、印刷が出来ない。
ついに、マニュアルの裏に記されてあるE社のセンターに電話をした。
その電話口に出た人は、「1度、パソコン本体の差込を外して下さい」と言った。それからもう1つの相談窓口の電話番号を教えてくれた。
その電話を切ってから、プリンタと繋がっている差込を、再び本体に戻した。その折、差込の先端の表裏をきちんとチェックした。音楽のトーン記号のようなマークが付いている面があるのだが、そのマークを他の差込と同様の位置に合わせた。そして差し込んだ途端に、プリンターの音がして作動し始めた。止めようと思っても動き出し、どんどんと印刷された紙が送り出された。
接続に問題があったのだろうか。最初の接続の時「デバイスの1つが接続されていません」という文字が出た。それで、はっと気付き、差込の方向を確かめた。
……ともかく原稿はプリント出来た。
思いがけず時間を取ったが、トラブルがあると情熱を燃やし、妙に元気になる私である。
さらに、意欲を燃やして、プリントされた原稿をチェックしたのは言うまでもない。
夕方買い出しに出ると、外は雨が降っていた。街を歩きながら、今日は何の日か、トラブルがあったから仏滅かしら?と思い、帰宅してカレンダーを見たが、先勝という普通の日であった。しかし、夜のニュースをテレビで観て、今日が2011・11・11日であることを知り、若い人などが大騒ぎしている日と知った。今日は、いい日だったのかな?
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| 2011年11月10日(木) |
| 結婚記念日も忙しく |
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朝、いつもよりゆっくりめに出かけると言う、家族を階下に置いて、二階の書斎に上った。朝、家族の食事を作って送り出す時間は大体決っていて、その習慣で時間になると、体と気持ちが仕事に向って動いてしまう。
デスクの前で、しばらくキイボードのキイを叩いてから気が付いた。
「そうだ、今日は、結婚記念日だぞ」と。
しかし、抱き合って喜ぶという年齢ではない。ともかくこの年まで、双方とも元気でいるということが目出度いのだ。
階下に降りて、「何の日か、思い出した」と、家族に知らせた。そして2人で、仏壇に向って手を合わせた。
実家、そして婚家の母親に、「お世話になりました」という心境だった。結婚は当人同士だけで出来るものではない。まして昔の話だ。どちらも未亡人だったから、どれだけ大変だったことか。今になると良く分かる。
しかし、家族を送り出すとまたデスクに戻った。何と忙しい記念日か。昼食も軽く済ませ、二階に上る。
夕方、整形外科のリハビリに行き、その足で駅前スーパーに行き、お赤飯と紅白のまめはんぺんを買って帰った。この紅白はんぺんは子供たちが小さい頃好きだったな、と思い出しながら葱と一緒に澄し汁を拵えた。赤と白が浮き上がって綺麗だった。赤ワインなど買う暇はなかったが、夜はビールと梅酒で乾杯した。
忙しくしている間に、政治はTPP(Trans Pacific partnership)交渉に参加するかしないかで、動いている。今日発表の予定がどうやら明日に延びたらしい。参加に賛成する者、反対する者の顔がテレビに交互に映し出されていた。
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| 2011年11月9日(水) |
| 曇り、やや寒く |
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朝から曇りで、やや寒い日となった。暖房は点けないで、上着を一枚増やして、またデスクに向う。
家族が静岡に日帰りで行く、と言うので、朝早く送り出したが、帰りは距離から言って当然遅くなる。
私は昨日得たヒントに沿って、また書き始める。1日中書き、家から1歩も出ず、もちろん買出しもリハビリ・ルームにも行かず、小説を書いた。合間に溜っている「あんばら庵」の日記を4日分書いた。しかしまだ、1週間ほど追い付かない。小説が終らなければ、日記まで頭が回らない。しかし、こちらもギブ・アップはしたくない。そのうちに書いて追い付く。
家族は夜の11時半ごろ戻って来た。寒かったと言っていたが、仕事はうまく行ったらしい。
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| 2011年11月8日(火) |
| 友人の目出度い話 |
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今日は、朝勉はしなかった。昨日はフル活動したので疲れが残った。エネルギーの配分をしなくてはならないが、興が乗る時もある。人間は機械ではないのだから仕方がない。
午前中は、JR鎌倉駅東口方向に行き、その近辺の用事を済ませた。
帰宅して、昼食を取る。いつものようにパンと野菜、そして紅茶という簡単な昼食だ。紅茶はティー・ポットで入れる。そのほうが美味しく飲める。昼食の楽しみの1つだ。食後少し休んでいたら、電話のベルが鳴った。
「U・T子です」、という声。通信教育の大学で一緒に学んだ友人からの久しぶりの電話だった。
「私、年貢の納め時なの」と言う。何のことかと思ったら、「結婚する」、という。どちらも再婚同士だが、子供はすでに親の手を離れて、独立している。T子さんは私よりは若いが、言ってみれば高齢者同士の結婚となる。
「まあ、おめでとう!」
私は何度も祝いの言葉を繰り返した。結構長く話したのだろうか。古い電話機の子機が、電池切れになってピッ、ピッと音を立て始めた。T子さんは、ずっと東京下町に住んでいたが、滋賀県の琵琶湖のほとりにお嫁に行くという。淋しくなるが仕方がない。その続きはまた電話をかけて(または会って)聞くことにする。合間にまたデスクに向う。
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| 2011年11月7日(月) |
| 良い気分転換 |
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今日も、早朝、午前、午後とデスクに向った。その間、家族の食事の仕度はしている。後片付けは簡単に思う時もあるが、気が重くなる時もある。それでたまには食洗機を使う。節電、とも言っていられない忙しさである。体の忙しさ、だけを言うのではなく、精神的なキャパシティを言っているのである。その点、主婦の側から見れば良くない主婦になるが、書き手としては精一杯の集中力を傾けていることになる。どちらの世界の人にも完全とは言われない。何と言われても、いまさら仕様がない。二足の草鞋を履いている者の宿命だ。中途半端になりたくないので、頑張るしかない。
3時頃、江ノ電で往復してスーパーに行く。帰宅して食材を冷蔵庫に仕舞い、それから整形外科のリハビリに行った。待合室には人が大勢いた。いつもより少し時間が遅れたので、学校帰りの中高生が来ていた。珍しくリハビリ・ルームで待たされた。しかし、独り居の家と、デスクの仕事の1日にしては、ここへ来ると、患者さんをはじめ、治療士、マッサージ師と沢山の人に会える。特にマッサージの女性、K・Sさんとはお馴染みになって、丁寧に右足のマッサージをしてもらっている。それで癒されることにもなる。以前も書いたが、それで料金も保険価格で安い。まあ、良い気分転換になる。少しずつ踵の具合も良くなっている。
家族の帰りは遅い、と聞いていたので、帰宅してから夜もまたデスクに向った。こんなことも珍しい。独り静かに入浴して、温めの湯に入り、頭のなかで作中の言葉を並べ入れ替えたりしていた。
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| 2011年11月6日(日) |
| 句会は欠席と送信した |
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気持ちが乗っているので、早起きして午前6:00から、デスクに向った。通信教育の学生だった頃、よく人がまだ起きていない早朝から勉強したので、私はこの習慣を、「朝勉」と名付けている。朝勉は、休日に寝坊している家族が起きてくるまで、続けた。
休日であったり、人との約束があっても、いつも書いていることに変わりはない。いつも頭のなかで、書いている小説の世界を考えている。筆が進むに連れ、だんだんと穴倉に潜っているような気持ちになる。髪の毛も洗うに洗えない。そんな感じだ。(入浴はするが)
こんな状態では、今週木曜日の句会に参加出来ない、遠方まで出かける気にもならない、時間も惜しい、と思い、早めに経理担当のS・S子さんに、申し訳ないが欠席させて頂く。投句することも出来ない、とメールを送った。このところ無欠席なので、残念だが止むを得ない。12月は何とか出席するつもりだ。
高齢者講習から、続いていて疲れているので、家族に買い出しに行ってもらった。買ってきてくれたゴマ入りのお稲荷さんが、とても美味しかった。
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| 2011年11月5日(土) |
| 娘夫婦と墓参り |
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午前中に内科クリニックと整形外科のリハビリと二軒回った。内科での血圧測定は、昨日の講習が終りほっとしたのか、正常値で安定していた。誠に嬉しい。帰宅して、元気に洗濯(マシンと手洗い)までしてしまった。
午後からは、娘夫婦が来たので、家族と4人で食事をし、それから墓参りに行った。良い天気であった。娘が可愛がっていたムムという名の柴犬の墓参りもした。動物たちの墓は、墓地の敷地内にある。その近くに孔雀の大きな檻がある。近付いていくと2羽いて、どちらも羽をすぼめていた。ピーピーと鳴き真似のような声を出すと、首を微かに動かして近付いてきた。しかし、羽は広げない。どんな時に、あの美しい羽を広げるのか?息子や孫と来た時も、羽を広げていなかった。繁殖の時などに広げるのか。ほかの理由でも広げるのか、今度調べてみよう。出来たら、美しく広げた羽にお目にかかりたい、と思う。
帰りは、ドイツ料理、やパンで有名な店でコーヒーを飲んだ。そこで少し休んでから娘夫婦とは別れた。電車に乗っていく姿を見送って、私たちは家まで歩いた。夕方と夜と、デスクの仕事をした。
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| 2011年11月4日(金) |
| 高齢者講習 無事終了 |
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大船にあるSモーターズ・スクールに8:50分集合ということで、7:30に家を出る。送迎バスの時間に合わせて、教えられた場所に行き、5分ほど待ってやって来たマイクロバスに乗ることが出来た。
ともかく遅刻しないで、集合場所に着いた。3度目だから様子は分かっていたが、今回初めての検査が1つ加えられていた。
なんと、認知症の検査である。綴じた紙が配られる。先ず、今日は何年何月何日か、を記す。年は西暦でも日本の元号でもどちらでも良い。それから、あいうえお、かきくけこ、さしすせそ、を逆さまに書きなさいと言う。空欄が横書で、左から書き込む様式だったので、面倒くさいから全部右から書き込んだ。それで正解になった。
次は、4枚ずつ組み合わせの絵を見せる。それを4回続ける。4×4で合計16個の絵を見せられる。そして閉じられる。次のページをめくりなさいと言われる。16個の空欄があり、そこに記憶した絵の名前を書きなさいと言う。16個中、13個の名前を書き込んだら時間になった。と言うより、他は思い出せなかった。もう1つ、そのなかの種類(野菜、果物、動物、乗り物など)を書きなさい、という検査もあった。
その後は、視力の検査を3種(静止、動体、視野)した。それから、ハンドルの付いた機械の前に座り、動く画面に従って、アクセル、ブレーキを踏む検査をした。
最後が、外の練習場で実地検査を1人15分ずつした。(車庫入れ、クランク走行、一時停止など)3時間たっぷりの検査の結果、無事、講習終了証を受け取った。これを持って、地元の警察署に行き、更新が成立する。その終了証の冒頭には、
「あなたは認知症の心配はありません。」
という1項目も明記されていた。時と場合によっては、医師に相談しなさい、と書かれることもあるそうだ。ぞっとする話だが、まあ、丁寧にチェックしてくれるのは交通安全上、良いことだと解釈した。
帰りは、大船回りで買い物でもしてと思っていたが、すっかり空腹になり、思わず鎌倉の駅西口行きの送迎バスに乗ってしまった。湘南モノレールの下を通り、古い神社の脇を左折して、あっという間に駅に着いた。降りてから近くのスーパーで少しだけ買い物するのが精一杯、という有様だった。 我ながら、ご苦労様!と言いたい。
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| 2011年11月3日(木) |
| 息子と昼食、墓参りは留守番 |
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文化の日、快晴の天気であった。私は午前中に、これから来る息子のために買出しに行った。往復は江ノ電で、息子の好きな鯵のフライを買う目的だった。行く店は、高級スーパーと言われる店で、揚げ物が美味しい。良い油と材料を使っている。店に入り、揚げ物コーナーに近付いてみると、鯵のフライが幾つか並んでいた。「あった」と思い、
「その鯵のフライを下さい」と言うと、女性店員がなにやらモグモグと言い訳をしている。良く聞くと、「これは、カマスのフライなんです。本日、鯵のフライはございません」と言う。形が似ているようだが、少しだけ縦長のカマスのフライだった。仕方ない。そのカマスを人数分、そして息子の分のコロッケを一つ加えた。食べる量を年寄りの胃袋で計算するわけにはいかない。他にも色々と買って帰宅した。息子はそれからしばらくして到着した。家族と3人でいつもよりは賑やかに昼食を取った。
結果を言うと、カマスのフライはさっぱりしていて美味しかった。家族も息子もそう言っていた。しかし、揚げ物コーナーで、頭からカマスを鯵のフライと思い「鯵を下さい」と言ったという話をしたら、「怖いおばさん、と思われたのだろう」と笑われた。そう言われても、先入観があったのだから仕方がない。新米の御飯も美味しく炊けて、良い昼食になった。
それから、息子は車を運転して、家族と墓参りに行った。私は留守番をしていた。息子は買ってきたケーキでティー・タイムまで付き合い、夕方帰って行った。
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| 2011年11月2日(水) |
| 珍しく1000歩しか歩かず |
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朝起きて、ホームページ「あんばら庵」を開いたら、日記その他は開けたが、アクセス・カウンタが通信不可になっていた。何回も開いたが、結局11月2日のアクセスは0数になった。カウンタ会社に文句を言っても始まらないので1日様子を見ることにした。明日は恐らく通じるだろう。
今日も昨日と同じスケジュールをこなした。整形外科に行って超音波を踵にかけた後、すぐにマッサージをしてもらう。その担当の人がとても上手で、気持ちが良い。保険の効く治療とは思えないほど力が籠っている。そのお陰で、治療が終って家に帰ったら少しだるくなった。時間はないがソファで少し眠った。
夕食には、ぐるネットで届いたシューマイを暖めて食したが、パッケージしてあるものだったので、少し味が違うように思えた。まだ、配達されたものに舌が慣れていないようだ。野菜サラダは自分で拵えた。そんなことで、今日は珍しく1000歩しか歩かなかった。ペンは進んだものの、何となく侘しい数字だった。
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| 2011年11月1日(火) |
| ぐるネットの手間 |
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書く時間が欲しいので、インターネットのぐるネットを注文しようとしたが、ネット掲載の食品の写真があまりにも多過ぎて、どれを買い物カートに入れて良いか、まごつくことがある。分類は、肉、魚、野菜、パン、調味料、惣菜などあるが、卵はどこに属するのか、分からない。調味料のなかのポン酢などは、味噌、醤油の後の、後に出て来るので、スクロールに時間がかかる、などまだ慣れないのか不便を感じる。かと言って、無駄な買い物は家計上出来ない。これまで、自分の足を使い、目で確かめて買い物をしてきた主婦としては、思うように行かないところがある。そのうちに時間のある時に、手早くオーダーが出来るコツを覚えよう。
今日は午前中一杯、午後少し書いて、3時からの整形のリハビリに行った。そこでしてもらう牽引、電気などのベッドでリラックスし、同時に休んできた。少し気分転換が出来た。整形外科が家から近いので、こんなことも出来る。
そう言えば、午前中に孫のママからメールがあった。パパだけが休日の3日(木)に来るという。もちろんOKはしたが、翌日の4日(金)が、早朝から出かける予定になっていると返信した。私の、普通自動車免許更新に際する、高齢者講習の予約が入っている。決められたCモーターズ・スクールでは、前回は実地検査があったから、今回も恐らくあるだろう。遅刻は出来ないし、少し緊張している、と伝えた。夕方には娘よりメールが入った。市内のレストランの名前を幾つか聞かれた。婿殿が仕事で使うらしい。2つほど名前を書いて返信した。家族の帰りははやや遅かった。
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| 2011年10月31日(月) |
| 10月も最後 |
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今日で10月も終りになる。3月11日の東日本大震災で、自粛、延期となった会合がこの秋に集中し、家族も私も忙しく過した。私より家族のほうが忙しかったと思う。
と言っても、こちらも怠けてはいられない。デスクのある部屋は二階で普段は人が居ないかから寒い。それに物干の出口にもなっているから、日差しが強い。暑さ寒さが厳しくなると、エアコンを使うようになる。我慢出来る間はスウィッチを入れないが、その後はONにする。しかし、何となく居心地が悪い。居心地と言うより、仕事心地が良くない。我侭を言えば、暑くもなく寒くもない時が1番良い。それ故、このところ平均気温が高いが、それを喜んで仕事をしている。今日も午前中早くから「P」と言うタイトルの作品を進めた。自由、というものについて考えている。仕事の自由、結婚の自由、個人の自由、会社の自由など色々ある。難しい問題だ。作品の上で、自由という言葉を使うのはさらに難しい。読書の秋でもある。冬が来る前にすることが沢山ある。
他のことは、近くのスーパーの往復の徒歩と、ヨガを45分試みたのみだった。
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| 2011年10月30日(日) |
| 朝早く目が覚めた |
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昨日のシンポジュウムの印象が頭に残っていたのか、早朝に目が覚めてしまった。起き上がって居間へと移ったが、パジャマのままだと風邪を引くので、そっと服に着替えた。家族はまだ眠っていたからだ。しばらく階下に居て目を覚まし、それから二階にあがりデスクに向った。夏以来書きかけだった「P」というタイトルの続きを少し書いた。
震災の後、3つほど、書きたい作品の素材が浮んだが、その中でも1番強いイメージのあるものだ。しかし、イメージが強過ぎて、すぐにその中心にドーンと入っていかれない気持があった。徐々に進めていくつもりで、序章のようなところかに書きはじめたが、弱い印象になってしまった。気の弱さ度胸のなさがそのまま作品に出てしまった感がある。やはり思い切って掴んだテーマに飛び込まなくては、と痛感する。昨日のシンポが良い刺激になったのかもしれない。
朝勉は二時間ほどで終りにし、それからは家族の休みの日曜日らしく過した。食事を拵え、買出しにも行き、ヨガもトライした。足の痛みは良くなっているような、良くなっていないような、微妙なところだ。買出しの折の街の混雑にはやはり苛々する。混雑、とは若さの集団とも表現できるが、その若さに付いていけなくなったのか?それでも、日々の暮しは、子育てを別にすれば、若い時と変わらないように送っている。今朝は早起きをしたが、1日ずっといつもと同じに頑張った。
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| 2011年10月29日(土) |
| 慶應義塾大学・三田文学会共催シンポジュウム |
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三田文学のシンポジュウム&懇親会に出席した。元々、総会&懇親会は春に行われるものだが、3月11日の東北大地震のため、秋に延期になった。
さて、そのシンポジュウムのテーマは、「危機と絆――言葉はどこまで力を持つか」である。場所は、新しくなった三田の南新館ホール。パネラーは、福島県飯館村村長はじめ、作家・三田文学理事長の坂上弘氏、やはり作家で福島の寺の住職でもある玄侑宗久氏、作家、文学部教授の荻野アンナ氏、文学部長、関根謙氏、教授、安東寿康氏の6名。正面にスクリーンを備え、コンピューターのパワーポイントを駆使し、震災現地の映像も展開しての活気あるシンポジュウムとなった。他にも、現地の漁業関係の方の話、文学部の男子学生さんで、実際に津波に流された人の体験談など聞くことが出来た。これまで見てきたテレビの映像の数は多いが、こうした場所で、それぞれの人の生の声を聞くのは初めてで、真に迫るものがあり、予定の2時間が30分延長になるほどだったが、興味深い発言に耳を傾け、退屈することはなかった。学生さんたちも、教授と共に現地の人びとからの聞き取り調査をしている、と言っていた。若い人たちの勉強の機会にもなるので、続けて欲しいと願った。
続いて、新人賞の授賞式と当選作品の詩の朗読会があった。詩の募集は今年初めてで、小説、評論、だけの時と趣が違っていた。戯曲部門は該当作品がなかったとのことだった。
しばらく休んで、それから1階下のカフェテラスで懇親会が行われた。書き手の友人はじめ、編集長さんともお話が出来た。私は少し早めに会場を後にした。
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| 2011年10月28日(金) |
| シチューを煮る |
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明後日には、三田文学のシンポジュウムと懇親会がある。場所は港区の慶応義塾大学のキャンパスだ。私が留守の間の日中、家族は、女優中井貴恵さんの語りを聞きに、北鎌倉の寺へ行く。語られるのは小津安二郎監督の映画作品の一節である。家族の先輩のY氏が、小津作品の解説をする、渋いイヴェントだ。
そこで、シチューを煮ることになった。今の季節なら、良く火を通せば2日は食べられる。三田の懇親会は夜にかかるので、夕食は家族と一緒に取れない。シチューがあれば安心ということになる。シチューと言っても、シチュー・ド・ボーというルウを使う。本格的ではないが、結構美味しく出来る。夕方、シチューを煮終えてから、またヨガをトライした。少しずつ慣れてきているが、どうにも出来ないポーズもある。しかし、何となく気に入っている。いつも娘に影響されている母親である。
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| 2011年10月27日(木) |
| 体重減る |
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食事の量か、ヨガ・ベーシックスをトライしたせいか、体重が1キロ減った。ともかく嬉しい。
洗濯は、マシン1回、手洗い3枚する。近くのスーパーの往復を歩く。クレンザー、バスマジックリンの補充を、お掃除のMさんに頼まれた。もう1つ、ボディ・シャンプーを買ったので、ずっしりと重くなり他の物はあまり買わなかった。歩く距離よりも、荷物の重さのほうが足に堪える。しかし良い季節になり、歩くのには最高と言ったところだ。
午後から、整形外科のリハビリに行き、マッサージなどしてもらった。帰ってから、またヨガをトライした。鼻から呼吸をしながら瞑想が出来て、心が落ち着く。ヨガのポーズには、色々と名前が付いているようだが、犬のポーズ、猫のポーズの他はまだ良く覚えていない。そのうちに覚えるつもり。WIIふいっとの、ヨガとはまた少し違う感じである。しかし、体重測定は、WIIの方でしている。ソフトを入れる場所がそれぞれ違うので、2つやるのは結構面倒だ。
家族の帰りは早く、ぶりの照り焼きなどで夕食を取った。アルコールは飲まずにいた。
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| 2011年10月26日(水) |
| ぐるネット開始 |
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踵の痛みもなかなか完治しない。毎日の買出しが困難になっている。鎌倉の町の混雑は一向に変わらない。観光客に占領される江ノ電の混雑が、日々のストレスになっている。
そんなことで、今日は隣市のSデパートの、ぐるネットを検索した。配達をしてくれるという。ただし手数料として315円を支払う。我が町の高級スーパーは500円の配達料を取るのだから、そう高くもない。ともかく医者代、薬代には変えられない。
IDとパスワードを決めただけで、簡単に会員登録が出来た。後は、アマゾン・コムの買い物のように、写真の品物を選んで「カートに入れる」をクリックすればよい。しかし、のんびりとしていたので、早い時間の配達は終っていて、PM6:00~8:00の時間帯になった。品物は7:40分に届いた。これで、一安心だ。重たい物(野菜、味噌、瓶ものなど)はこの、ぐるネットで頼める。
そんなことで、時間と体力が温存出来て、今日は夕方、娘が送ってくれたCD、ヨガ・ベーシックスをプレイヤーに挿入し、トライすることが出来た。BGMの音楽にも癒され、ハードな箇所はカットして、心地良い時間を過した。
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| 2011年10月25日(火) |
| 一貫校のクラス会 |
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春に予定されていた母校のクラス会が、この10月にやっと行われた。ご存じのように3月11日の東日本大震災のため、春の企画が流れてしまった。元々毎年行われていたわけではない。2年に1度ぐらいだったと思う。それで1度欠席すると、4・5年は会わなくなる。前回は確か、大腿部神経痛の激痛のさなかで、欠席をした。今年も踵の痛みを覚えているが、歩けないことはないので出席の返事を出した。行ける時に行っておかないと、何時行かれるか分からない.そういう年齢になっているのだ。
場所は、東京の地下鉄銀座線の、外苑前駅近くのレストランであった。私は新橋からの地下鉄乗換えで、比較的行きやすく、迷うことなく現地に着いた。約30名の出席者の皆さんは、そう老いても見えず、お元気そうであった。恐らく欠席の人々の方に、それぞれの事情があるのではないかと、推察した。
ところで、我が母校は、幼稚園から小、中、高、短大(当時)までの一貫校である。いくら大人になっても、老いてきても、幼稚園児でお洩らしをしたり、転んで泣いたり、小学生でお転婆したり先生に叱られたり、中高で思春期になり、秘密めいた話をしたり、と脳裏に記憶として刻まれていることは沢山ある。そしてその記憶が、顔を合わせると、昨日のことのように浮かんでくる、不思議な感覚がある関係である。ともかく、偉そうな顔は出来ない。そんなお仲間との再会のひとときであった。なかには、月1度の昼食会のお仲間や、別の機会に会っている人もいて、色々と話を交わした。仕事を持っている人は少なく、居ても少数で後はほとんど家庭の主婦だ。
私の実感で言えば、もうかつてのように濃厚な感情はなく、淡々とした友情が芽生えていて、暢気な時間を過した。ものを書いているお陰で、心に余裕、というものが出来たのだろうか?それだけではないかもしれない、家族、子供たち、孫たちのお陰かもしれない……。
最後に全員写真を撮ってもらった。屋上の池のそばで、落ちないかと冷や冷やした。帰りは真っ直ぐに帰った。幹事の皆さま、ご苦労様でした。
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| 2011年10月24日(月) |
| 協会より、申さんの記事のコピー届く |
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トーク・サロンのことは21日の「あんばら庵」の日記に書いたが、その日本文藝家協会の方に頼んでおいた、申京淑さんの記事のコピーが届いた。見ると、あいにく我が家では購読していない新聞社の記事ばかりであった。道理で知らなかったわけだ。改めてきちんと読むことが出来て嬉しかった。協会のご厚意に感謝する。雑用が多いなか、このコピーと読書によって、トーク・サロンの刺激を大切にしたいと思う。それにしても、時間の流れは速く、流されてしまいそうになる。心して生きていかなくてはならないと思う。
今日は、午前中電話が一件あったので整形のリハビリは昼近くになった。帰宅して昼食、そして午後は銀行へ行き、最後に美容院に着いてほっとした。頭皮のマッサージをしてもらい、やっとリラックスした。こんな時は、小説の書き出しなど、良いヒントが浮ぶことがある。忙しいのはあまり良くない。発想が貧しくなる。こんなことを言う私は、平素真面目に働き過ぎるのかなあ…、と思う。手の抜き方をすこし考えなくては、と思うが、どうだろう?
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| 2011年10月23日(日) |
| お土産のお裾分けを |
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広島からの土産が食卓に並んだ。先ず第一に、紅葉饅頭だ。今は牡蠣のシーズンではなかった、穴子を沢山食べたと家族は言っている。私にも穴子弁当を1つ買ってきてくれた。そして漬物は広島菜、ピリ辛で美味しい。他にも孫にちょうど良いような、宮島の景色を書いたレターセット、などがあった。和菓子はもう1箱白餡のものがあり、それらを段ボール箱に詰めて、孫の家に宅配で送った。朝、電話をしたら、ママが、
「上の孫が、この頃良く食べるようになった」
と言っていた。こちらは体重コントロールのため、甘い物はない方が良い。しかし、ほんの少し残しておいた。これは楽しみにして食べる。
宅配便を出しながら、コンビニの振込みを1つした。昼食は、家族とJR駅近くで空いている店を探し、その店で冷やしとろろ蕎麦を注文した。街は相変らず混んでいた。若い人たちの足の力の元気なこと!足が悪いこちらはすれ違うだけでびくびくする。留守番の間、外出が多かったので、足にも疲れが溜まってぃる。
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| 2011年10月22日(土) |
| 眼鏡を再度 |
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留守居の3日目。
午前中に整形のリハビリに行き、終って近くの和田塚駅から江ノ電に乗って、藤沢に行く。一昨日受け取った新眼鏡が、どうも目に合わない。強すぎて道を歩くのが怖いのである。遠方は良く見えるが、近くが歪んで見える。もう少し度を落としてもらうために、デパートの眼鏡売り場に行った。
結局もう1度、視力を測りなおし修正することになった。しかし、先方の言うことによると、度の修正ではなく、乱視の角度を変えるとのこと、だった。微妙な問題なのだろう。こちらは、また費用がかかるかと心配したが、レンズの取り替えは無料とのことだった。しかし、現在、タイの洪水でレンズ工場が機能しなくなっているため、10日ほどかかると言われた。自動車の工場のことは、テレビで洪水の様子を観ていたが、レンズもまたか、と思った。世界の事件が、日本の末端に生きる我々にも影響してくる時代なのだろう。しかし、これで用事は1つ済んだ。
そんなこんなで、家に帰っての昼食が2時過ぎになった。
昨夜からの疲れも残っているので、少し休んでいたら、宅配が立て続けに届き、眠るどころではなかった。
家族は、6時少し前、無事羽田に着いたと連絡してきた。家の到着は7時40分頃で、それから広島の土産話が始まったが、こちらはグロッキーで、ボーっとしていた。
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| 2011年10月21日(金) |
| 第3回文芸トークサロン |
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午前中は、整形外科のリハビリに行く。
帰宅して昼に少し休み、夜の外出のため体力を整えた。
PM6時から、紀尾井町の文芸春秋新館5階で、第3回文芸トークサロンがある。参加申し込みは事前にしてある。午後4時過ぎ、小雨の中を出かけて行った。
本日のゲストは、世界ベストセラー小説『母をお願い』(集英社文庫)の作者、申京淑(シンギョンスク)さんで、”韓国、母、文学”について話そう、とご案内には書いてあった。サロン会場に到着して、私はすぐに販売されていた御本を購入した。予備知識がなく、少しでも内容を読んでおきたかった。
上京中のソウルで行方不明になった母を捜す一家の物語の冒頭は、母が居なくなった、という一行目から始まっていた。しかし、遅読の私は、トークがPM6時、評論家川村湊さんの司会で始まるまで、たったの23ページしか読めなかった。それでも作者の香りは十分に感じることが出来た。他には、翻訳者のきむ ふなさん、そして通訳者の4人によってトークが進行した。
最初のうち申さんは、準備をまったくしていない、言語の壁もある、と言って、話辛そうにしていた。しかし、少しずつ、気持ちがほぐれたのか、色々なことを話してくれた。
16歳のときに、電車の中で、疲れた顔をしている母親を見て、
「この母のことを、作家になって書いてあげられたら……」
と思ったそうである。家族のために、その夢が叶ったこと、それは素晴らしい現実だ。いつも美味しい食べ物を作ってくれる母が、全編の各所に出てくる。それも、キムチなどの漬物のに始まって、たくさんの食べ物の作り方、味などが詳細に描かれている。という。その特徴が、翻訳された各国でも評判になっていると、訳者のきむさんが話してくれた。日本在住なのか、日本語が達者で笑顔が魅力的な女性であった。日本と文化が違うとは言うものの、家族、母、という普遍的なテーマに心惹かれ、耳を傾けた。韓国語は聞き取れなかったが、話している申さんの心の言葉は、良く聞き取れた。家族で囲む鍋の話は興味深かった。
そして最後に「この本を書いた後、よく、貴方のお母さんは生きているのですか、死んでいるのですか、と聞かれるが、それは意味のないことで、ここに書いた母は、シンボルとしての母なのです」と語っていた。だれの中にもある母、それも国境を越えて伝わってくる母、を書いた作品と受け留めることが出来た。
私も成人した2人の子供の母親で、(かつては自分の母も存在していた)小説家でもあり、共感することは多くあった。質問はしないよりしたほうが良いと思い、1度させてもらった。そして答を頂いてから、「お話に共感することが多かった」と感想も述べた。司会の川村湊さんはじめ、翻訳者、通訳者の皆さんには、とても良い印象を持った。このサロンのことを、家族や友人にもっと話してみようと思った。(普段はあまり話さない…)
帰途もまだ雨は降っていた。東京駅に着いて、駅中地下でお弁当を買い、家に着いて遅い夕食になった。手作りの梅酒も少し飲んだ。
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| 2011年10月20日(木) |
| 血圧下がる |
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午前中に、近くの内科クリニックに行った。夏以来上がり気味だった血圧がやっと下がった。
心配していたH医師はとても喜んでくれた。そして、
「最近は、ご友人が亡くなったりすると、うつ病になる高齢者が多いのです」
と話してくれた。ショックが大きいのだと思われる。
「私の周辺では、病人が出ていますが……」と答えた。
難しい問題があると思う。肉親でなくても愛情を持って付き合っている人程、その人を失うのは悲しい。しかし、悲しみと一緒に、自身の生きる方向性を失うのはもっと困る。何があっても、自分は「まだ生きている」ということを、しっかりと意識しなくてはいけないと思う。
幽明境を異にする、(ゆうめいさかいをことにする)という言葉がある。幽界と明界の一線は歴然としている。亡くなった人の供養をしながら、明界(この世)に生きる人たちは、健康管理をして出来る限り楽しいこと、心の張りになることを見付け、日々を過していくべきだ。悲しみのなかでも、生きる力を持って欲しい。そんな気持ちを、H医師にも話した。そして、
「精神的には、大丈夫ですが、足はまだ少し痛い」と付け加えた。もしかすると、物書きとしての心の痛みが足に出ているのかと思ったが、その言葉は心の中に仕舞った。
娘より、ヨガ・ベーシックスのCDが届いた。早速CDプレイヤーに入れて少し観た。家の古いCDプレイヤーでも、再生可能であった。娘に感謝!
午後は、美容院、電車で藤沢行きと忙しかった。夜は、自家製の梅酒を水割りにして飲んだ。良く眠れた。
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| 2011年10月19日(水) |
| 過去の記憶と、現在の現実と |
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昨日の鵠沼の風景はまだ目の奥に残っている。
昨日の「あんばら庵」の日記に書かなかったことが1つある。その診療所(当時はY医院と表示されていたが、ベッド数はかなりあった)には、私の実姉も入院していたことがある。実母の亡くなった後で、婚家の縁故を頼って、療養していたと思われる。その姉もすでに亡くなっているが、今考えると、当時は近辺に病人が居るのが当たり前の感覚になっていた。苦労だとは思っていなかった。不思議な気持がする。もう1度あの時代の事を考えて見たいと思う。
さて、以上は、過去の記憶だが、今日は現実的な暮しの問題で、コーナン、鎌倉大船店(大船フラワーセンター傍)まで車を走らせた。朝刊に入っていた広告を見て、電気を使わない暖房器具が安く売り出されることを知り、行くことにした。我が家にある暖房器具は、ファンヒーターなど電気によるものばかりで、3月11日の地震以降の停電には、寒くて参った。その頃は、電気要らずの暖房器具は品薄で、買うことも出来なかった。その後は気温が上がり、夏になり秋になり、今日に至ったわけだ。
最近は1人で車を出すこともなかったが、元気のある午前中でもあったし、無事にK社製の暖房器具を1個買って戻った。売り場から広い駐車場までは、台車を貸してくれるので自分で運べたが、車に乗せるのに少し手間取った。ダンボールの箱がかなり大きい。足も腰も痛いのでもたもたとしていたら、隣の駐車スペースに居た初老の男性が、「入れてあげますよ」と言って手と力を貸してくれた。ダンボールはその男性の手で後部座席でも上手く納まった。家族と一緒でないと、他所の男性に親切にされて嬉しい。この年になっても痛感する。
往復の道路も空いていて、問題なく家に着いた。車から家のなかには、自分で運び、居間に置いた。ホームセンターには普通のスーパーも併設されていて、野菜なども少し買い、ミニ・シクラメンの鉢も買った。シクラメンの鉢を1度横に倒してしまい、花の付いた茎を1本折ってしまったが、ミスはそれだけで済んだのは幸いであった。シクラメンさんごめんなさい。
夜、帰りが少し遅い家族を待って、キリスト教のコンタツの入ったお守り袋のほつれを直した。家族はまた空路で出かける。他にも、毛布カヴァーのほつれに針と糸を通した。
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| 2011年10月18日(火) |
| 鵠沼の住宅街を歩く |
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いつもの昼食会の場所が、たまたま鵠沼のS学園の近くだったので、帰りがけに久しぶりにその近辺の住宅街を歩いた。新しい住宅も並んでいたが、松が多いので有名なM地区には古く広いお屋敷もまだ残っていて、とても懐かしい気持ちになった。
1つは10代の思い出、もう1つは20代の思い出である。
この住宅街には、実家の母の友人のお屋敷があった。戦後間もなく、母とそのお屋敷を訪ねたことがある。そのT家の奥様も、母も、かつては東京麹町の住人で、同じカトリック教会に通っていた。そしてどちらも山の手の大空襲で焼け出された。後に私が結婚する時、Tご夫妻にはお仲人になっていただいた。ご恩のある方が住んでいたところだ。
もう1つの思い出は、姑が病気で入院していた診療所である。その診療所も、S学園の近くにあった。嫁の私は何回か通った。臨月で大きなおなかを抱えて、1度見舞った記憶がある。無事に出産し、現在は孫たちのパパになった男の子を生んだが、2年後に姑は亡くなった。
お仲人さんの家、そしてY診療所は、今あるかどうか分からない。その敷地前を通ることもなかったが、その街を歩いているだけで、あの頃の空気を十分に吸うことが出来た。新しい刺激を受けた気もした。
帰りは、小田急の鵠沼海岸駅から、藤沢に向かい、お目当てのヨガマットを買って帰った。
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| 2011年10月17日(月) |
| 雑用をこなしたマンデー |
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洗濯はマシンを1回で干した。暑さは昨日ほどでない。それからデスクの仕事を少々(日記、メール送信など)した。
その後は外出して、銀行とゆうちょに行き、最後はTスーパーに寄って帰宅した。
昼のニュースを観ながら昼食を取る。朝から働いたので、午後は眠くなった。眠っても、30分から1時間のあいだぐらいで起きることにしている。それ以上眠るとだるくなるし、時間が勿体ない。そして、少々でも眠った後は歯磨きをする。しないと気持が悪い。 午後3時から整形外科のリハビリに行く。やっと、此処のルームの空気に馴染んできた。しばらくは続けるつもり。
夕方、娘から電話があり、頼んでおいたヨガ・ベーシックス、というCDを送ったとのこと、届くのが楽しみである。ヨガマットを買わなくてはと思う。フローリングにじかに座るとお尻が痛くなりそうだ。
明日の昼食会のことで、友人と電話で話した。溜っていた雑用をこなしたマンデーであった。
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| 2011年10月16日(日) |
| 一転して、夏のような日に |
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夏のように暑く、日差しも強い1日であった。
家族と、日吉で行われる連合三田会に行く。わが市の三田会は、早起きして芝生の広場に良い場所を取ったとのこと、日吉会堂に向って右手のところにテーブル席が作られてあった。そこで地元でお馴染みの方々と挨拶をした。それから沢山並んでいるテントの店にお弁当を買いに行き、また戻ってきて席に座り、軽食を取った。大会の抽選は、1番ビリのお楽しみ袋しか当らなかったが、大きな紙袋には、コーヒー、シリアル、など色々な品が入っていた。
しかし、その席の日差しがあまりにも強くて、私は来往舎のなかの室内広場の隅に避難して、階段の一角にしばらくしゃがんでいた。それから地下のファカルティ・クラブに降りて、野菜ジュースなどを飲んだ。間もなく娘が来て、
「広場では今、勝間和代さんがお話をしていて面白いから、」
と言われ、また上に戻った。ステージでは、評論家の勝間和代さんと、ファンタジー作家の鈴木光司さんが対談をしていた。テーマは、この慶應義塾大学を創設した、福沢諭吉さんの『学問のすすめ』に沿った話で、「学問は、ただ机の前で書物を読むことにはあらず、見聞を広げよ」、という観点から話を交わしていた。1つ覚えた言葉は、「自尊感情」という言葉で、自分を尊ぶものは、何かの弾みで、レストランなどの食卓で、、自分の前にコップの水が置かれなくても、僻むことなく平然と「自分の前に、水が来ていない」と言える、と勝間さんは話していた。私は、個人的には、こういう前向きの話は好きだが、人間だから僻んだり、落ち込んだりすることも良いのではないか、と思った。自尊も普通のレベルで良い。自尊し過ぎると、生き辛くなるような気がする。しかし、今をときめく勝間さんの目は輝き、声の張りもしっかりしていた。
やがて、家族と合流し、近くにある娘の家に寄って、お茶を飲んだり、ヨガのCDを見せてもらったりと楽しんだ。それから家路に着いた。足はあまり痛まなかった。
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| 2011年10月15日(土) |
| 雨風強く |
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夜半に続いて朝も、雨と風が強い。庭の木々はまた木の葉を散らしている。あとの掃除を考えるとうんざりする。
出張の家族が無事に戻り、こちらはほっとしているが、本人は思ったより元気で、整形外科のリハビリやクリーニング店に出かけたり、している。ぼうっとしているうちに昼になる。昼食も有り合せの食材で済ました。
午後は、家族と共にテレビのゴルフ中継、日本オープンを観た。2人ともソファに座ったり、寝転がったりと、のんびりとしていた。番組が終了し、2人で散歩がてら買い物に出た。場所は駅裏のスーパーだが、往復歩いたので、帰りは少々足が痛んだ。マイ・ペースでないと、どうも疲れる。途中歩きながら、「私は、ゆっくり歩くわ」などと、言い争いをする。元々の私は早足だったから、それが普通と思われても仕方ない。ともかく、ゆっくりと歩いて帰宅した。その頃はもう雨は上がっていたが、それからエクササイズをする気にならなかった。夜、明日のことでまた、娘より電話があった。
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| 2011年10月14日(金) |
| 秋晴れから雨に |
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天気が良いので、手洗いの洗濯を2枚、そしてマシンのスウィッチを1回入れ、物干に干した。
それから、整形外科のリハビリに行った。終るといつものようにだるくなった。そうなると、リハビリのついでに、買い物になど出られないのでちょっと困る。自分を病人、と思えばいいのだが、そうもいかない。
午後4時には、家族から羽田空港に着いたと連絡があった。しかし、都内で1つ会合があるので、そちらに回るとのこと、1人の夕食となった。しかし、ともかく飛行機は無事に飛んでくれてほっとした。
その後娘からの電話が入った。用件は明後日の連合三田会の件。こちらの予定を聞いてきたので、2人共行く予定と話した。その頃から天気が崩れて、雨が降り出した。家族は11時頃帰ってきた。少しアルコールが入っていたが、まあまあ、元気そうであった。四国では、かづら橋を渡ったと言っていたかづら橋とは、かづらの蔓で出来た吊り橋で、渓谷に渡され、揺れてとても怖い橋だ。私も数年前に渡り、顔面蒼白になった。
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| 2011年10月13日(木) |
| 句会、そして世田谷の放射線量 |
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句会に行く。投句1名、出席10名合わせて55句の句会だった。あまり良い句が出来なかったと思っていたが、拙句のなかの3句は結構点が入った。小説書きも、暮しも、体調もすべて含めて、苦しい気持のなかで作った句で、その内面が伝わったのかもしれない。怪我の功名、というところで、そう喜ぶわけにはいかない。ともかく、創作は続けることに意味がある。
帰りは、Kさんと一緒に大船方面に向った。Kさんは、途中の港南台駅で降りる。洋裁のTさんを紹介してくれたのはKさんだ。
鎌倉の家に着いて、テレビのニュースを観ると、世田谷区弦巻の民家前の、高い放射線量について報道されていた。孫が世田谷区の学校に通っているので、孫のママに電話をしてその話をした。弦巻に住んでいる友人も居る、と言っていたが、どうしようもない、と言っていた。
しかし、夜になって、高い放射線量の原因は、その民家の床下のラジュウムと分かった。かつては、夜光塗料にこのラジュウムが使われていたそうで、それらの瓶が何本か放置されていたらしい。ともかく安心した。
エクササイズを頑張って、多めにしたが、夜は帰って寝付きが悪くなった。困ったものだ。
拙句2句 どちらも2点句。後者はW先生の特選に。
百よりは まだ若き我 秋さなか
一番の 本気が今か 老いの秋
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| 2011年10月12日(水) |
| 加地慶子さんの作品「鋏」 |
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出張に行く家族に手作りの野菜ジュースを飲ませて送り出す。今回は空路なので、キリスト教のお守りを持って行ってもらう。仏教徒の家族もこのお守りだけは空路に必ず持って行く。神と仏の間に境界線はないのかもしれない。
留守居の私は、午前中に整形外科のリハビリに行く。いつもの通りのメニューをこなした。顕著な効き目はないが、行かないより良い、と思っている。無茶しないためにも良いのかもしれない。
帰宅してから、三田文学秋季号掲載の、加地慶子作「鋏」を読む。加地さんは古い書き手で、新人賞の人ではない。横浜の街並みと、男女の再会と別れが書かれている。一昔前の文芸作品に比べると、男を愛する女の気持ちが、淡々と書かれているように思えた。時代の風潮なのだろうか?
午後、葉書1通書く。投函がてら使いに出る。1人の夕食なので、お惣菜でも買おうかと、のんびりと考える。帰ってから、エクササイズを21分。何とか毎日頑張っている。そして明日の句会の句も、チェックした。現地に着いたという家族からの電話もあった。飛行機は揺れなかったそうだが、その前の空港バスが遅れたと言っていた。
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| 2011年10月11日(火) |
| 今日で震災から7ヵ月 |
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野菜ジュースは作り始めて9日目になる。何時まで続くかと思うが、気温が温かいうちは大丈夫だろう。キッチンが寒くなったら、缶入りの野菜ジュースでも買って、風邪を引かないようにするかもしれない、と思う。
今日で東北大震災から7ヵ月になる。気持ちの落ち着きなど、変化はあるにしても、復興はまだまだ先のように思える。間もなく寒い冬がやってくるから、仮設住宅の暖房にも問題が出てくると思われる。政府は万全の対策をして欲しい。
我が家は、相変らずお掃除のMさんと、庭の落ち葉をかき集めて、袋詰めにしている。今日も3袋拵えた。ついでに、潮風で先端が枯れてしまった、グレープフルーツの木を二分の一の高さに切った。枯れ木を袋に入れて処理をしたが、棘が多くて、手の先を何度も刺し、とても痛かった。後は病虫害のスプレーをして、肥料をやって、元気にしてやらなくては、と考える。
お使いから帰って、少し読書をする。その後、エクササイズを20分した。夕食は鰆の塩焼き、スパゲッティ入りサラダなどを作った。サラスパ、として売っている細身のスバゲッティが気に入っている。胡瓜などの野菜と良く馴染む。
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| 2011年10月10日(月) |
| 連休最後の日 |
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今日は家に半分、外に半分というスケジュールをこなした。
午前中は、前から買っておいた地震用の支え捧を洋服ダンスの上に取り付けた。と言っても、私がしたのではなく、踏み台と脚立を用意して、家族に作業をしてもらった。上が和風の天井板の箇所で、有り合せの板を使って、支え捧を2本セットしてもらった。ネジの部分を回すとかなりきつくなった。締めすぎて、壁と木枠の間に隙間が出来そうになり、慌ててネジを戻した。そして何とか取り付けが終了した。気休めかもしれないが、まあ、安心した。他にも頭の上から落ちるものがあるか、調べているる
午後からは、車を出し、デパートの中の眼鏡店に行った。家族の眼鏡の修理が目的だったが、私の自動車免許更新も近いので、度が進んでいるかチェックしてもらうことになった。2年前と大して変わっていなかったが、更新時の目の検査で何か言われると嫌なので、古い眼鏡枠でレンズだけ変えてもらうことにした。少し色も付けてもらったので、日の光も防げる。出来上がりは10日後になる。帰ってきたら、三田文学秋季号が届いていた。春に発表の筈だった新人賞の作品が載っている。小説、評論、詩部門と内容が充実している。ウイークディにゆっくり読もうと思う。眼鏡は読書用のものが別にある。
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| 2011年10月9日(日) |
| ミサに行く |
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猛暑の間、夏休みをしていた教会のミサに行った。後ろの方にひっそりと座ったら、以前カナダ旅行にご一緒した方に声をかけられた。巡礼旅行の懐かしいお仲間だった。帰りがけに、広報の仕事でご一緒したNさんにも声をかけられた。いつぞや差し上げた梅酒が、「美味しかった」ということだった。嬉しくなり、そのまま、教会を後にした。
昼前、駅前の用事に1人で出かけ、1時間後に家族とスーパーの入口で待ち合わせをして、近くで軽食を取った。味は美味しかったが、混んでいて人の声が充満していた。買い物をしてバスで帰った。停留所で降りてから、来た道を戻るように歩いて、Mというケーキ屋さんに寄ったら、「お久しぶりですね」と言われた。夏の前は良くケーキを買いに来ていたが、およそ3ヵ月間ご無沙汰をしてしまった。何をしていたと言っても、暑さと足の痛みで、何も出来なかったのだ。デスクの仕事と、家事だけはしていたが、それで精一杯だった。しかし、何度も人に声をかけられる日になった。家に籠っている時とは違う。
帰ってから紅茶を入れて、家族と飲んだ。
夕食の後、家族とNHKの大河ドラマ「お江」を観た。あまり面白くはないが、孫のY子が観ているかしら、と思い、話が出来るようにしている。……と、家族に言ったら、笑われた。
夜半に雨が降った。
昨日から、Yクリニックの処方が変わった。
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| 2011年10月8日(土) |
| 3連休1日目 |
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連休と言っても、地味に生きている。
朝1番に野菜ジュースを作り、家族と飲み、それから御飯と味噌汁の朝食。副食は鯵の干物、鮭、納豆、または昨晩の残り物などを使う。家族はさらにヨーグルト・ドリンクを飲む。至って健康的のように思えるが、家族の醤油好きは、幾つになっても変らず、私のデスク作業、甘味好き同様、お互い体に悪いことはたくさんしている。
それから、近くの内科クリニックと整形外科のはしごをする。近いから、(どちらも徒歩2・3分)散歩がてら行かれるから良いが、遠かったら多分行かないかもしれない。便利なところに住んでいて幸いと思っている。リハビリ・ルームの足のマッサージは、とても上手だ。男女共に若い人で、力の出し惜しみをしない。
帰宅して少し休息したが、すぐに家族と二人分の昼食を作り、一緒に頂く。
午後、家族が電池入れ替えのために時計店へ行きたい、ついでに日々の仏壇に灯すお線香が無くなったので、買いに行きたいというので、付き合うことにする。しかし、お線香を売るK・T堂は、小町通の奥にあり、遠いので、足の痛い私は、Uスーパーの2Fのカフエで待つことにした。S時計店の前で家族と別れる。
その間、持って行った「サド公爵夫人」(三島由紀夫作)を読んでいた。先日、新国立劇場で、「朱雀家の滅亡」を観劇した折に買った文庫本だ。冒頭から面白く、家族を待つ間、楽しいひとときを過した。約30分で家族は姿を現した。続きはまた読む。
夜はまた、自分の力で眠った。
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| 2011年10月7日(金) |
| 衣更え |
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昔は衣更え、と書いたが、今は、衣替えでも良い。
快晴の今日、夏着の半袖類と、秋の長袖類などを箪笥や衣装箱に入れ替えした。箪笥類はほぼ1階で、ケースなどが置いてある納戸は2階なので、この作業は階段を何度か昇り降りすることを意味する。従って体調が良くないと出来ない。入れ替えをしているうちに、捨てる服や鞄が見付かり、それをキッチンにまで運び、袋詰めにした。大仕事になり昼までかかってしまった。しかし、冷気への準備が出来てほっとした。夕方まで家に居て、それから駅前のスーパーに買出しに出かけた。
家族の帰りは遅かったが、入浴しているうちに帰ってきた。思ったより早かったので嬉しかったが、ほろ酔いの家族と会話が噛み合わず、失望し、その気持ちが眠りを妨げ、寝付けなくなった。一時間ほど不眠と闘ったが、何とか頑張って、やっと眠った。眠れなくたって横になっていれば、疲れは取れる。そのくらいに考えなくては、不眠とは闘えない。それに、不眠もまた良きかな、と思ってみる手もある。気楽に行こう。
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| 2011年10月6日(木) |
| ストンと眠れるようになったら、いいな…… |
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朝、手紙を1通書いて、それを投函しがてら、整形外科のリハビリに行った。リハビリ治療は午前中が良いか、午後が良いか、まだ良く分からない。治療後のだるさは午後の方が強いか?それは、普通の仕事でも、朝型の私には午後が辛いのと同じだろう。
昼食後休息し、2時過ぎ、一番近いスーパーの往復を歩いた。足はやや痛んだが、歩いたことには満足感を覚える。体は総合的なもので、一部分の症状で、じっとしているわけにもいかない。
帰宅してから、ふと、「今朝は良く手紙を書いたな」と実感した。手紙1つと言っても、書けないときと書ける時がある。書ける時は、だれかが背中をポンと押してくれたような気がする。人間の気持ちとは不思議なものだ。その力を与えられたことに感謝する。
夕食は、自分で漬けた梅手酒を水で割って飲み、その微かなアルコールの力のみで眠った。地震以来、時折安定剤を2分のⅠ飲んでいたが、それも止めにした。眠りが浅くて、夢を見ているような、とろとろとものを考えているような気分も、悪くない。少し落ち着いてきたのかもしれない。鎌倉の海岸に来るかもしれない津波への恐怖心にも慣れてきた。その時はその時だ。その前にこちらの寿命が尽きるかもしれない。
たまらなく眠くなるまで起きていて、ストンと眠れるようになったら、いいな、と思っている。
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| 2011年10月5日(水) |
| 電話の多かった日 |
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朝起きた時は、まだ雨が降り出していなかった。昼からかなりの量の雨になったが、朝のうちに、枯葉のごみを4袋収集所まで運んだ。台風で傷んだ木の葉は、驚くほど多い量になって落ちる。そして掃除、また落ちる、いたちごっこである。
朝食は1人だったが、自分用の青汁を作って飲んだ。しかし、家族の好きな味噌汁は作らなかった。
その後は、昨夜来客中にかかった電話の相手に、改めて電話をした。知り合いの病人の話で、話が少し長くなった。そして電話を切り、別のところにかけ、その報告を最初の人にした。結構時間がかかった。元々長電話が好きでないので、少し疲れた。それに病気の話は気が滅入って敵わない。
午後は、家族からの電話があった。出張先から都内の会社に着いたという連絡である。それに続いて、古い着物を洋服に直してくれる洋裁師のTさんからも連絡があり、忙しかった。コンピューターや携帯のメールで連絡する昨今だが、今日は電話の多い日だった。
冷蔵庫に中味があったので、使いには出ず、夕食は豚肉、白菜、えのきだけ、などで、温かいものを拵えた。雨独り居で、色々なことを考えた。秋の物思いか。
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| 2011年10月4日(火) |
| 梅干の先生とワイン飲む |
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朝は、また野菜ジュース作る。家族は出張で静岡県に出掛けて行った。月1回の出張は先月台風で行かれなかった。この秋は、会社もそうだが各団体で、春の震災、そして自粛で流れた行事が行われるところが多い。若い頃から会員になっている三田文学会のシンポジュウムも、新人賞授賞式も、懇親会もその1つだ。それは今月末に行われる予定だ。
そんな大きなことではないが、お向かいの夫人に梅干の漬け方を教わって、漬けて干して、何とか仕上がった。その報告をしなくてはならない、と思っていた。そしてやっと涼しくなった。午前中に小瓶に入れた梅干を持って、お向かいの家を訪問した。「少し塩が多かった」と話し、次は梅の二割にすると言った。(3割りぐらい塩を入れた)その後、広いお庭の彼岸花と、ピンクの芙蓉の花、そして香り始めた金木犀の木を見せてもらった。築山もある心休まるお庭だった。
その時の約束で、夕食に我が家でワインを頂くことになった。日中、爽やかな日和だったので、私はワインとチーズを買いに行き、夕方仕度をして待った。5時半頃、お向かいから夫人は見えて、それからワインを開けて乾杯した。ワインの口をを開けてくれたのは夫人で、私よりずっと慣れているように思えた。8時近くまで飲んで、沢山お話をした。気持がリラックスすると、足の痛みが薄らぐようで、不思議な気持になった。
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| 2011年10月3日(月) |
| 健康的な1日 |
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今朝も野菜ジュース作って飲む。家族のために始めことたが、自分のために良いと感じるようになっている。
昨日は歩き過ぎて足の痛みがあるので、午前中に整形外科のリハビリ・ルームに行った。足裏も、腰もマッサージが力強く、気持ちが良い。月曜なので少し混んでいたが、昼には帰れた。しかし、回復が今1つなので、効き目があるのかどうか考えることもある。根本的な原因を考えると、ストレスを溜めないこと、嫌なことは忘れるのが1番と思う。青汁的な野菜ジュースを作るようになったのも、年長者の体験、意見を聞いて、腸の老化を感じたからで、そうした目の前のことを一生懸命やれば良い、と思う。東北の大震災以来、被害の状況のテレビは良く観る。66年前の戦災と重ね合わせて、思う時もある。長いあいだ生きてきた人間だから仕方ない。災害は、人間の暮らしの営みと同様に、過去、現在、未来に繋がっているのだ。体調の悪い時は、今やれることを、無理に頑張らず、しかし諦めずにゆっくりやっていくしかない。それならば比較的ストレスは少ない。
午後からは、WIIふぃっとの筋トレ&ヨガを合計30分こなした。三角のポーズが、楽になり、かえって気持ち良くなった。夕方、1番距離の近いスーパーの往復を歩いた。夕食は煮魚と茹でたブロッコリーなど作る。足の痛みを除けば健康的な1日だった。
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| 2011年10月2日(日) |
| 野菜ジュース |
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健康上の理由で、朝1番に野菜ジュースを作り、家族と2人で飲んでいる。キッチンに大小のミキサーがあるのに、ほとんど使っていなかった。小さい方はとても使い易いし、洗うのも簡単だ。
今朝は、トマトをベースに、ほうれん草、いんげん、セロリを少しずつ入れ、レモン汁とはちみつを加えて、ミキサーにかけた。水はほとんど使わない。あまり濃くなった時だけ、水分を足す程度加える。最初は家族のためだったが、自分にも役立っているようで、腸の調子が良くなった。もちろん美容にも良い。医療費もばかにならないから、こまめに働けば、野菜を買う材料費などは安くつくと思われる。しかし、果たして何時まで続くか、キッチンが寒くなると、サボることもあるかもしれない。今日のこの気持ちを忘れないようにしたい。
台風による塩害は長く続き、庭の木々の葉が毎日のように落ちる.そして掃除をする。その繰り返しである。嫌になるし、箒を使いすぎて手首が痛くなったりしているが、普段庭の風景で癒されている身としては、そうそう文句も言えない。1度庭箒を持つと、ヴィニール袋1個のごみを集める。疲れるが気持ちは良い。
午後は、家族とテレビで、日本女子オープンのゴルフ中継を観た。最後の女子3名の追い込みが凄く、緊迫した試合になった。珍しく、私も固唾を飲んで観戦した。馬場ゆかりという選手が優勝し、インタヴューを少し聞いてから、夕方の使いに出た。勝負事にエキサイトする気持ち(若さ)はまだ残っているようだ。
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| 2011年10月1日(土) |
| 彼岸花が咲いて、良い季節 |
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暑くもなく寒くもない良い季節になった。エアコンが停止している状態が心地良い。天気予報のお姉さんは、外出する人を主に案じて、上着を持って行った方が良い、雨傘が必要だ、などと言う。家に居て、仕事をしている人は、ご注意の対象になっていないようだ。家に居て、自然の空気を吸うのが一番良い環境、と1度言ってくれないものか。
それにしても今年は、庭の彼岸花が良い。量も多く、赤と白の二色が綺麗に咲いている。赤のほうは、20株ほど群れて咲いている。台風の枯れた木々の狭間で、ひときわ目立つ。
ともかく今日から、10月になった。東北の被災者の方々も、寒さが来ないうちに、少しでも秋を楽しんでもらいたいものだ。
こちらも、行楽の季節だからと言って、遊びに行くわけでもなく、地味に過した。2人で交代に近くの整形外科のリハビリ・ルームに行く。気に入りの女性が、担当になり、今日は気分が良かった。洗濯はマシンを1回、手洗いの洗濯を2枚した。空気も乾燥していて、干すとすぐに乾いて嬉しい。乾いた後、アイロンをかけることもある。
夕方家族と、散歩がてら買い物に行く。JR西口のスーパーでは、イタリアンフェアを開いていた。その1つ、クッキーを買って帰った。家に着いて試食したが、軽い甘さで気に入った。
夜は、のんびりとテレビを観て過した。今日は日記も書かず、エクササイズもせず、ぼうーとしていた。こんな日ばかり続けていたら血圧も下がるだろう。
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| 2011年9月30日(金) |
| 友人の江戸勘亭流伝承書展に |
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いつもの昼食会のお仲間の1人が、東京銀座で開かれた書展に御書を出品する。以前にも別の会場に出向いて、拝覧したことがある。すでに師範の腕と聞いている。他のお仲間と合わせて3人で待ち合わせ、JR、地下鉄に乗り、無事に銀座4丁目のSギャラリーに着いた。今年は東日本大震災の被災者に、祈りを籠めて、各人の般若心経の書が多く展示されていた。私はこの、歌舞伎の看板などに使われる、勘亭流の書について詳しくはないが、ゆっくりと一書一書眺めさせてもらうと、同じ流儀の書でも、お1人ひとり、個性があることに気付いた。そのことがとても興味深く感じられた。他にも、源平合戦に縁のある武将の、名札なども、瀬戸内海の地図と共に展示されていた。書き手の祈りが伝わってくる展示会であった。
一軒、デパートの地下に寄っただけで、真っ直ぐに家に帰った。天気が崩れると、報道されていたが、日中はずっと良い天気で、むしろ暑いぐらいだった。久しぶりの銀座も良い。
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| 2011年9月29日(木) |
| また暑くなり |
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彼岸が過ぎたというのに、また暑くなった。内科クリニックに行って、血圧を測ってもらわなくてはならない。と思ったら、心配になっておなかが痛くなった。子供みたいだ。いつもながらやや高めの数値だった。しかし、本人は自覚症状がない。出た足で、スーパーや郵便局に寄る。和菓子店にも寄った。明日の東京行きに、これは使う。スーパーでは雑貨と、食料、おまけに仏花を買ったので、大荷物になった。帰宅して疲れが出た。午後は、寝室で眠った。ソファでウトウトするのと違い、大げさな感じがするが、疲れは取れるし、風邪は引かない。季節の変わり目ゆえ、風は怖い。起きて目を覚ましてから、ヨガと、筋トレを22分した。足は痛くても、こうしたエクササイズはこなせる。不思議なものだ。しかし、無理はしない。
夕食は、北海道産の縞ほっけを焼いた。卵とじの汁を添える。家族の帰りは早かった。今日で9月が終る。
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| 2011年9月28日(水) |
| 整形外科のリハビリへ |
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午前中に、リハビリ・ルームに行く。I整形外科は家から歩いて3分ほどの距離だが、近くても行く気がないと行かない。最近は行く気が湧いているので、行く。何とか、4種類の治療を受けたが、曜日によって担当整体師が替わるのが、以前ほど嫌でなくなっている。慣れてきたのかもしれない。
帰ってきて、洗濯物を干す。さらに、夏掛けの薄い布団を1枚洗濯機で洗った。失敗するか思ったが、綺麗になり、干したらふわふわになった。洗濯機は有効に使うべきだ。しかし、念のため、次に備えて洗濯用の大きなネットを買っておこう。
午後は少し休んで、夕方WIIふいっとの筋トレ、ヨガのメニューを20分こなした。ヨガのストレッチは気持ちが良い。
夕食は、豚肉を包丁でたくさん叩いて、薄くしたイタリーふうカツレツを作る。肉の筋がほとんど切れているので、とても食べ易い。家族も気に入っている。他に生野菜、ほうれん草の浸しなど。
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| 2011年9月27日(火) |
| 瓦職人来るが |
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瓦職人に来てもらい、台風時に雨の洩った箇所を見てもらったが、瓦のせいではない、と言う。サッシ職人も取り替えた雨戸とサッシのせいではない、と言っていたから、さて、どうしようと思う。今度の台風のように、海からの風が巻き、下からも吹き上げると、どこかに弱点が出てくるのか?分からなくなる。しばらく様子を見ることにする。家族にも相談していないし、1人では結論が出ない。もやもやした思いが残る。
職人が帰った後、デスクに向っていると雨になった。かなり本格的に降り始めた。もちろんこの程度の雨で、雨は洩らない。しかし、気温が低くなり、寒くさえなった。長袖のシャツの上に薄いカーディガンを着ている。軽い昼食の後、居間で少しうとうとした。3時からはり治療の予約があり、それには行かなくてはならない。雨は降り続いていて、あまり行きたくなかったが、レインコートを着て行き、治療してもらった。足の踵はまだ痛いが、マッサージが効いているのか良く分からない。待たないで済む予約は、便利であると同時に不便な時もある。傘を差しての往復も億劫だったし、夕食の仕度も気になった。そんなわけで次の予約はしてこなかった。
夕食は鳥のひき肉を団子にして、野菜、牛乳などを使い、スープ・シチューにした。団子は1度茹でたし、野菜は炒めなかったので、油分がなく、さっぱりと仕上がった。温かくて体が暖まった。
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| 2011年9月25日(日) |
| 大相撲千秋楽 |
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洗濯物を大量に干した。気持ちいい。
昨日、夜になって見た郵便物の中に、原稿が届いたという知らせがあった。添え書きもあった。期待していなかったので、嬉しかった。疲れるとマイナス思考になる時もあるが、普遍的で、延びのある素材を使っている作品だ。いくらでも直すことが出来る。自信を持つことにしよう。……なと゜と考える。昼食は2人前の日本蕎麦を茹でて、食す。
それから家族と駅前スーパーに行った。たまたまだが、そのスーパーの5パーセント引きのクーポンを持っていた。室内履き、プリンタのインク、食料などを買った。家族はビール缶の6本入りまで買ったので、2人とも重い荷物を持つことになった。
涼しくもあったし、早めの買い物に出たのは、大相撲千秋楽のテレビ中継を観たいからだった。珍しく、日本人関取、琴奨菊ががんばってぃる。すでに大関昇進はほぼ確定している。希勢の里も横綱に勝って好成績だ。横綱白鵬も二敗したがまだ優勝の可能性がある。それに長いあいだ、大相撲は、賭博事件で低迷していた。今場所も、満員ではない日もあったと聞く。若い頃の、(栃若時代)相撲好きの心はまだ残っている。
そんなことで、時間に間に合うように帰った。その結果、期待の琴奨菊は杷瑠都に破れ、白鳳が日馬富士に勝って、優勝した。だれの面子も潰さず、目出度し、という結果になった。これで、2度目の3連休は終った。
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| 2011年9月24日(土) |
| 三島由紀夫作「朱雀家の滅亡」 |
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いつものお仲間との観劇会である。場所は新宿区初台(京王新線)の新国立劇場小ホールである。
開演は12:00からなので、朝は結構忙しかった。湘南新宿ラインに乗り、予定の時間に新宿駅に着いた。そのJR新宿駅から、京王新線の改札口に行く道がかなり難しい。うかうかすると迷子になる。幸い、昨夜のうちに息子がその道筋を携帯で調べ、メモしてくれていた。簡単に書くと、「JR新宿駅南口改札を出て右折、ルミネ通路を真っ直ぐに歩き、エスカレーターを下ると、京王新線の改札口」とあった。その通りに歩き、無事に着いたが、下りのエスカレーターは曲がってもう1つ下った。途中でサンドイッチをを買った。
お仲間は私たちを含めて12人集った。芝居は、僅か5人の出演者であったが、終戦の昭和20年を挟んだ春、夏、秋、冬の話で、密度の濃い、そして選び抜かれた言葉が、台詞として放たれる格調と奥行を感じさせられるものだった。後半の主人公独白が、役者の声の質からか、少し退屈だったが、ほとんどは惹き付けられて観た。
二次会は前回と同じスポーツ・パブ(テレビ観賞しながら、飲食する)で、ラグビーの試合が流されていて、耳元がうるさかった。しかし、色々とお話を聞くことは出来た。帰りは、また湘南新宿ラインに乗り真っ直ぐに帰った。
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| 2011年9月23日(金) |
| 彼岸の中日 |
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休日の金曜日で、今日から3連休になる。昔で言えば彼岸の中日である。
朝、ビーフシチューを作っておくから、と孫のママにメールしたら、折り返し電話があった。下の孫が台風でびしょ濡れになって戻り、そのせいかやや風邪気味だという。それで、パパと上の孫Y子を行かせますという話になった。それならば仕方がない。2人を待つことにして急いでビーフシチューを煮始めた。途中、ちょっと出掛ける用事がある。何とかシチューを煮終えて、用事のある駅の近くまで行った。大きな八百屋さんの角を曲がったところで、驚くことがあった。古い建物の一角で、古い玩具を商っていて、人気のあった店が、台風によって半壊してしまっていた。もちろん、我が家の孫たちも大好きな店だった。買い物などして帰宅すると、もう2人は来ていて、ビーフシチューを食べ終えたところだった。Y子は、「とても美味しかった、お肉が沢山入っていた」と喜んでいた。すぐに半壊した玩具屋さんの話をした。家族もパパもY子も驚いていた。
それから、パパの運転で、4人で墓参りに行った。長谷の菩提寺、K寺は墓参の人びとで結構混んでいた。Y事パパは熱心に墓の雑草を取って、掃除をしてくれた。ご先祖様はさぞ喜んでいることだろう、と思った。私は、「我が家が繁栄しますように。足が直りますように、良い小説が書けますように」などとお願いし、祈った。
その後、夕食の材料を買いに行きながら、私以外の3人は、半壊の玩具屋さんを見に行った。その時間は他にも見物客があったそうで、結構賑やかだったと話してくれた。8時ごろ2人は帰って行った.明日は学校だそうである。
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| 2011年9月22日(木) |
| 庭の木の葉を掃き集め |
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朝、家の表裏を見ると、折れた小枝や散った木の葉で一杯になっていた。近所からも箒でごみを掃き集める音が聞えている。家族を送り出した後、表と裏の掃除をして、ヴィニール袋一杯の台風ごみを片付けた。洗濯物も、日常のものに加えて濡らしたタオルなどもあり、籠に山盛りの洗濯物を干した。台風の後始末で、午前中が終ってしまった。疲れて昼食後は少し眠った。
3時以降に、買出しに出かけた。明日は、息子一家が墓参りをかねて来るという。ビーフシチューなど作ろうと思い、材料を買う。そのほかに冷蔵庫の消臭剤を2個買った。魚好きの家なので、チルドに入れた魚が多くなると臭くなる。チルド用の小さいサイズと、ジャイアントサイズをそれぞれの場所に置いた。夕食は肉鍋をする。すきやきというほど、豪華ではなかったが、白滝と長葱はふんだんに使った。それでもなかなか美味しかった。家族も文句は言わなかった。
テレビのニュースは、昨夜の帰宅困難者の姿を映し、今後の対策などをコメントしていた。都内の企業もそれぞれの立場で考えることになりそうだ。社員が疲労困憊したら、会社としても損をすることになると思うが、どうだろう?
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| 2011年9月21日(水) |
| 台風15号到来 |
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沖縄近海に停滞していた台風15号が、進路を変えて四国、紀伊半島、そして東海地方へと進んできた。
今日は、静岡県のF市に出張する予定になっていた家族は、朝からテレビの台風情報に見入っている。今のところ、新幹線も掛川までは運行しているらしい。しかし、例え行けたとしても、帰りが恐らく運転見合わせになること必至の状況である。午前中はしばらく様子を見ていたが、午後になって台風は浜松市付近に上陸した。雨風は相当強くなっている。家族はもう諦めて、出張先に電話をかけていた。食料は冷蔵庫にあるので、今日は閉じ込められても良いと思い、雨風の音を聞きながら、家事やデスクの仕事をする。そのうちに、階下の居間に少々の雨漏りが、と家族が言う。春に二階の雨戸を変えた時の、桟の真下だ。風が巻いていて、下から吹き上げているのか?業者に電話しなくてはと思いながら、洗面器を置くなどの応急処置をした。後はメールで息子娘一家の安否を尋ねた。孫たちはもう学校から帰っていて一安心だ。娘はまだ会社にいて、東急線の運行を待っていると返事があった。息子は帰宅途中、私鉄電車が止まってしまい、待機と、ママが教えてくれた。(その後、無事に帰ったとのこと)夜になって、東日本の震災時と同じような、帰宅困難者が渋谷駅などに溢れているニュースが放映された。午後3時ぐらいに、業務を終えて帰宅するように指示を出した会社が多かったらしいが、3時では間に合わず、電車は止まってしまった。改札口にはロープが張られ、バスやタクシーを待つ人々の行列が映されていた。
私は家の庭の鉢を玄関内に仕舞ったりしたが、咲き始めたアメジスト・セージの花が、無残に散っていくのを見るばかりであった。その程度の被害で済んで良かったとは言え、非常時の緊張感と、運動不足で肩の凝る一日であった。。
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| 2011年9月20日(火) |
| やっと涼しくなる |
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小雨が降り、気温も低い朝である。やっと涼しくなったと喜ぶ。午前中家事を済ませてから、パソコンのメーカーのご購入相談窓口に電話をした。まだ買うつもりはないが、大型電器店と、メーカー直接購入とどちらがお得か知りたかった。電話口に出た男性は、「大型電器店の方が安いかもしれません」と言っていた。そして、「こちらに電話をする方は、オーダーの方が多いのです」とも言っていた。特別なパソコンを注文する人が多いのだろう。しかし、いずれにしても次に買うパソコンは、Windows7になる。(現在はWindowsXP)「使い勝手がかなり違います。アイコン画面のスタートの場所からして違うのです」と言っていた。それは購入してから慣れるしかない。
午後は、味噌を買いに出る。毎朝の味噌汁で、味噌は絶えず補充している。赤だし味噌ともう一種類ブレンドしている。
1度帰宅して、出直して整形外科のリバビリに行った。今日は踵のマッサージの女性が丁寧に良くやってくれた。帰宅したら少しだるくなったが、夕食の仕度までデスクに向った。涼しさに少し働きすぎたようで疲れた。
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| 2011年9月19日(月) |
| 久しぶりに車を出す |
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しばらく車の運転をしていなかった。冷房の故障も直ったのに、なかなかハンドルを握らなかった。暑くて頭がぼうっとしていたから、自粛していたのかもしれない。しかし、先日高齢者講習の知らせの葉書が届いた。11月始めに行かなくてはならない。車庫入れなどのテストをさせられる。(前回はそうだった)練習するというわけではないが、乗っていないとカンが狂う。毎回書いているの、我が家は路地の奥にあるので、車庫入れは左の縦列駐車、その前に路地を30メートル程バックする。従ってバックも切り返しも、車庫入れも慣れている。前回も試験員に上手いと褒められた。しかし、何時までもこの腕が続くとは思えない。そういう意味で今回は、いささか心配でもある。それでハンドルを持ち、藤沢市まで行った。
大型電器店により、2Fのパソコン売り場に行き、新しいパソコン、Windows7のノート、などをチェックした。こちらはものを書くのが第一だから、動画などは使わない。それらの機能が含まれていなければ、比較的安く買えることが分かり、パンフレットを2つほどもらった。店員に説明もしてもらった。これから色々と研究することにする。
その後は地下に降りて、エプソンのプリンタのインク、用紙、(A4、葉書サイズ)などを買い、デパートの食料品売り場へと移動した。出発が早く、帰りも三時前に藤沢を出たので、道路が空いていて助かった。しかし、長谷の大仏付近はやはり混んでいた。家に入るときの駐車も1回で上手く入った。この腕なら、講習も何とかなるだろう。少しほっとした。
後になったが、息子夫婦から美味しいカニが届いた。そう言えば、今日は敬老の日だったと、思い出した。3連休も終る。
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| 2011年9月18日(日) |
| 彼岸花の芽が出た |
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暑いと言っても、庭のあちこちには彼岸花の芽が出始めている。まさに手を合わせて拝むような形で、地面から顔を出す。残暑の中でも、「ああ秋だ」と感じる瞬間でもある。
いつも、彼岸花の咲く場所を点検したところ、芝が入り込んだり、雑草が蔓延ったりで、出にくくなっているところを見つけた。早速、その辺りの草を引き抜き、整理をした。暑いのは後数日と聞いているが、地面の動きはもう秋になっている。
昨日の疲れが残っているので、午前中はあまり働かなかった。しかも今日は、娘夫婦と夕食の約束をしている。遅ればせの誕生祝である。その時間に元気でいなくてはと、少し休んだ。
娘夫婦は、やはり暑いので出足が遅く、5時頃到着した。ちょうど、黄色の睡蓮の2つ目の花が咲いていて、その花を見てもらえた。(夕方で少し凋みかけていたが)それから、6時予約のAというスペイン料理の店に行った。家から歩いて5分とかからないところに、新しく出来た店だ。しかし、ワインを飲ませる店でもあり、一般的に有名な御飯もののパエリアや、スペイン風オムレツ、などがメニューになく、他の料理でもてなす、という趣向の店であった。知人からの情報で、「アヒージョ」という料理が美味しいと聞いていた。簡単に言うと、魚やにんにくをオリーヴ油で煮込む料理だが、その熱い油にパンを浸して食べる。注文した品は、熱い鍋のまま卓上に運ばれた。その味は思ったよりさっぱりしていたが、食欲をそそる香ばしい味であった。寒い冬ならばいっそう美味しく感じたろう、と思った。娘夫婦も興味深げに、パンを鍋に浸して食べていた。
娘夫婦との食事は久しぶりで、2人の得意なコンピューターの話、こちらのコンピューターの修理の話、そして最近市場に出ている新しいパソコンの話など、色々とした。2人とも元気そうで、仲良く暮している様子だった。
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| 2011年9月17日(土) |
| 再び早乙女貢邸へ |
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この早乙女邸でのお話を聞く会は、正式には、「早乙女貢記念、鎌倉文化サロン」と言う。前回きちんと書かなかったので、改めて記しておく。生前の早乙女貢氏は、鎌倉ペンクラブの会長を務められていた。
そして本日の講師は、早乙女氏の講座の生徒さんでもあったという歴史小説家の植松三千里氏、私から言えばお若い女性である。タイトルは「戦国の姫、お江をめく゜る人びと」、目下放映中の大河ドラマの主人公の話である。この猛烈な残暑は、三連休のあいだ続くと言われているが、私は珍しく家族を連れて行った。話だけではなく、素晴らしい早乙女邸をひと目見てもらいたくもあった。この大仏裏の奥まった場所は、町なかや海岸周辺とは趣の違う、静かな一画である。私たちは早めに到着して、時間前に奥の和室や庭の眺め、そして二階に上がり、多くの名作を書いた書斎も見せていただいた。どれも広く落ち着いていて、亡き氏の執筆の様子が浮ぶと共に、何か特別な空気を吸わせていただいている気持ちになった。
私は、歴史小説家ではないが、若い頃よりは歴史小説に興味を覚えるようになっている。父が参戦した日露戦争のことを調べているせいもある。資料の調べ方についてなど、貴重なお話を聴くことが出来たので、今後に役立てようと思う。隣の席の家族も、興味深そうに資料の系図を見たりしていた。
足はまだ少し痛かったが、帰りは江ノ電長谷駅まで歩いた。帰宅してからも夕食の準備など良く働いた。
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| 2011年9月16日(金) |
| 朝に晩に考えることの大切さ |
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総理大臣が変わってやっと落ち着いたかと思ったら、その野田新総理への野党、そしてマスコミの攻撃が始まっている。美辞麗句を並べる、とか、頭を深く下げ過ぎる、とか、とにかく褒めることはしない。野田総理の味方をするわけではないが、こんなことで良いのか、と思う。ねじれ国会、三党の合意が必要、などと問題は山積していると思うが、頭の下げ方にケチをつける前に、日本人の政治家として、内外に何をすれば良いのか、深く考えてもらいたいと思う。
昨夜は、93歳の中曽根康弘氏が、テレビのニュース番組に出てしみじみと語っていた。その最後の辺りで、
「政治家は、何のために政治家になったのか、朝に晩に考える必要がある」
と言っていた。私も、何のために結婚し子供を育てたのか、何のためにものを書いているのか、朝晩考えているか、と問われると、たじろいでしまうが、そのぐらいの覚悟があってこそ、本物の政治家と言いたいのだろう。人のアラを探すのもよいが、その前に自分を見詰め直す、ことが先決だろう。そうでないと、いつかはまた自分が悪口雑言に晒される。悪口の言い合いが、国会議員の仕事、とは思いたくない。何のために政治家になったのか?国会議員になったのか?
朝晩と言わないまでも、毎日考える必要がある。もの書きの自分の覚悟を再確認する意味でも、この自問自答を書き留めておく。足はまだ歩き始めがかなり痛い。
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| 2011年9月15日(木) |
| サラダをよく作る |
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このところ、手作りのサラダをよく作る.と言っても、ただ生野菜を切って皿に置く、というものではない。セロリ、胡瓜、キャベツなどには少量の塩を振り、水分を出して、その後に水洗いして絞っておく。それに、ホール・コーンやシーチキン、時には茹で卵などの残り物を加えたりする。合えるドレッシングは、忙しければカロリーオフのマヨネーズにレモンの絞り汁程度だが、時間があれば塩コショウ、酢油、香辛料などを使った自家製のドレッシングを作って合える。それを大き目の器に作って保存する。食事のたびに小出しにすると、丸一日は美味しく食べられる。パン食でも、米飯でも付け合せの野菜料理になる。野菜を先に口にすると、満腹感もあり、余計に食べ過ぎることがない。ダイエットにもなるし、暑いから口の中がさっぱりもする。デパートの地下などに売っている、野菜サラダは見た目美味しそうだが、買って食べるとそれ程の味ではなく、しかも高い。時間があれば、サボらないで、栄養があって経費のかからないサラダを作っておきたいと、と思っている。
今日は午後少しうとうとしたが、間違い電話で起こされた。夕方は買い出しに出て、庭の水撒きのための安物サンダルを2足買って帰った。いくら、夕方で涼しくなったと言っても、荷物が重くなると汗をかく。家に着いてから、その1足のサンダルをはいて、思いっきり庭の水撒きをした。万年青、木賊、などの和風の鉢が水に濡れると風情が出る。
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| 2011年9月14日(水) |
| モバイル・サーヴィスの話 |
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朝、今年自分で漬けた梅干の試食をしたら、とても塩辛かった。まだ甘みが出ていないのか。少しがっかりして又干してみることにした。漬け方を教えてくれたN夫人の梅干は、良く乾いていた。漬け汁に戻さないのかもしれない、と思った。
その件は、一先ず置くとして、今日は、8月以来考えていた、モバイル端末取り付け、の申し込みをすることにした。8月に長年関っている、プロバイダIの親会社、E社から封書が届き、その後も電話で勧誘があったが、今はその気がないと断り続けていた。その時は小説を書いている最中でもあった。すでに足は痛めていたが、他のことは考えられなかった。現在、パソコンは2台あるが、二階の書斎でしか使えない。無線ランを使って階下でも使えるようにしたいと思っていたが、無線、そのものに不安があり、無線機を設定することもなかった。(1度娘婿がランを使って試みてくれたことがあるが、機能しなかった)
それ故、現在一階ではパソコンが使えない状態なのだ。片足を痛めて、今のところは階段の上り下りは出来るが、辛くなることもあるかもしれない。私は先のことをのんきに考えられる人間ではない。つまり心配性なのだ。新しいこと(モバイルの端末を、USBに取り付けて、、料金も少し高くなる……などなど)は面倒だが、出来る時にしておけば、後であの時にしておけば良かった、と悔やむこともない。
ということで、今日電話で申し込みをした。その電話に出た人(女性)は丁寧に、その機能の説明をしてくれた。端末を取り付けてからも、不具合があったらそのつど対応してくれる、と言っていた。まあ、一時は新しい問題の取り組みで苦労するだろうが、食堂などでパソコンが出来るのは便利だから、前向きに進んでいきたいと思う。
思った時がやる時だ。というのが最近の私の思いだが、別の意味では、やる気が起きた時がやる時だ、とも言える。パソコンに堪能な娘夫婦に相談もしなかったが、何よりも当事者の私のその気が大切だ。やっとその気になった、それは縁があったとも言える。
午後は、整形外科のリハビリに行った。腰の牽引、マッサージなど、超音波、電気など4種類のことをしてもらう。流れ作業の感があり、顕著な効き目もないが、ここは保険が利いて安い。(4種で350円ほど)
帰ってくると、仕事でゴルフに行った家族から電話があり、「東戸塚にいる、これから帰る」と言う。
帰りを待ちながら、娘のバースティ・ディナーに行く店の、料理情報を検索した。楽しみである。
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| 2011年9月13日(火) |
| はり治療など |
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今日も暑い。昨日の疲れが少し残っている。しかし朝からお掃除のMさんが来てくれたので助かった。クリーニング店の引取りを頼んだ。他にも塀の外の掃除、水回りの掃除など、体力の要る仕事をしてもらった。その間、友人から電話があり、少し話した。内容は人のプライバシーゆえ書けない。最近は、若い人たちの女同士の話を、「ガールズ・トーク」と言うそうだが、我々若くない女同士の会話は「何トーク」と言えば良いのか?特に新語を作らなければ、「元ガールズ・トーク」で良いのかもしれない。(笑い)
Mさんが帰ってから、少し眠った。午後3時にはり治療の予約があるので、早めに起きようと思っていたが、疲れているのでなかなか目が覚めなかった。はり治療院まで徒歩5分というところだが、その間は、午後の日差しが暑くて参った。何時になったら涼しくなるのだろう。はり治療は長めの時間にしてもらった。足だけではなく、首や肩の辺りも治療してもらった。血圧が下がると良いが。終って、真っ直ぐに帰宅したかったが、用事があり、JR駅まで歩いた。足はまだ完全ではない。
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| 2011年9月12日(月) |
| 日本文藝家協会第2回トーク・サロン |
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猛暑がまた戻った東京の夜であった。
第2回トーク・サロンは、7月の前回サロンよりやや多めの参加者があったように思う。そして ゲストは、男女のカップルで、共にボストン在住のアメリカ人、ジョイエル・ミックスウィーニーさんと、ヨハネス・グランソンさん(彼はスウェーデン出身)、であった。
トークの表題は、「多言語の文学を、英語圏に紹介する意義について」。「東日本大震災」を語った、前回とはかなり空気の異なるサロンとなった。
司会の作家中沢けいさんによってトークが始まる。(コーディネーターは伊藤比呂美さん、通訳は山内さん)ゲストのお2人のお話は、それぞれ意欲的で知的な魅力に溢れるものだった。
参加者は、通訳者によってそのトークの詳細を知らされるのだが、その前に、間近で聞くEnglish speakingが、心地良い音楽のように素晴らしく、全身を耳にして聴いた。もちろん全部理解できたわけではないが、中年の一時期、(約10年)英会話に熱中した時期があり、国際交流運動にも参加しているので、久しぶりのHearingが、楽しくて仕方がなかった。内容もアメリカでの詩人の位置、電子図書出現を含めた紙の本の出版事情にも触れ、興味深い話が続いた。この時代に、Actionを起こそうという意味で、Action Publish という会社を夫妻で設立したとのこと、Action というネーミングに思いが籠められているのを感じた。
日本の出版事情は、私なりに情報を得ていたが、海外の批評家、詩人、小説家の声を聞く良い機会であった。
Amazon.com(ネット書店)によって、潰れている書店が多いとされるこの頃、興味深い話が続いた。
女性のジョイエルさんは、
「インターネットで書き物が発表され、そこで意見が交換されることは大切」
とも話す。
ネットの功罪両面を共に感じるのは、我々日本人と同じのようだ。後半になって、
「紙の本が、無くなると思うか?」
の質問に、今日明日にではないが、いつかは無くなる」
というジョイエルさん。その時、中沢さんは、
「その前に電力が無くなるのでは?」
と鋭く切り返していた。確かにその心配もある。先のことはだれにも分からないが、その未来を担う人がいることは心強い。ともかく書き手にとって、出版は無くてはならないものだ。
リサイクル材を使った(捨ててあったダンボールや絵の具を使ったもの)小さな本も、参加者の手元に回し、閲覧させてくれた。 お2人は、この9月の初めに行われた「東京ポエトリー・フェスティバル」、「世界俳句協会大会」などに参加するために、来日中だったという。
残念だったのは、このところ、英会話のレッスンは休んでいて、(休むと、大胆さがなくなる。日本語ばかり書いているせいもあり、気弱になる)せっかくのチャンスなのに、English speaking をしなかったことだった。ボストンには1度国際交流団のメンバーの1人として行ったことがある。
「伝統的な美しい街並みが印象的だった」、「老舗の料理店で食べたクラムチャウダーが美味しかった」
ぐらいは話せたのに、と悔やんだ。しかし、また英会話の勉強を、しようという気になった。これも1つの刺激剤かもしれない。いつ何処で、どんな人に会うか分からないのだ。暑い夏も、もうあと一息だ。
文芸家協会のスタッフの皆さま、ご苦労様でした。Thank you.I enjoyed myself very much.
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| 2011年9月11日(日) |
| 東日本大震災から半年 |
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今日で、東日本大震災から半年になる。早かったような、遅かったような複雑な気持ちがする。日本全体が痛みを覚え、格闘して来たという気がするが、目に見える復興という実感はまだない。日本国の総理大臣も2人目に変わったところだ。国民が痛みを分け合っていても、政治家がしっかりしていないと、政策が立ち上がり、復興が実行されていかない。災害のあらゆるケースに、国会議員全員が自覚を持って対応をして欲しいと願う。鉢呂大臣の失言問題、そして辞任などは、あまりにも子供染みていて、呆れる他はない。皆、耳に入ってくる言葉に敏感になっている。言葉の大切さ、を私も一緒に噛み締めようと思う。文学に携わる人間として、表現力についても考えさせられる。
午後、2時46分、テレビを観てその時刻のサイレンを聞きながら、現地の人たちと一緒に黙祷を捧げた。通信教育時代の学友(大槌町、若い男性)の行方はまだ分からないと聞いている。明日からはまた、暮らしの一歩が始まる。
夜7時からは、なでしこジャパン対中国戦の試合を見た。1ー0で日本が勝ったが、楽勝ではなく、はらはらしながらの観戦であった。今日は歩いた数も、体操もやや少なめであった。
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| 2011年9月10日(土) |
| 黄睡蓮咲く |
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今朝、雨戸を開けたら、庭の水鉢の中の黄睡蓮の花が咲いていた。すぐに写真を撮った。ピンクの睡蓮の時は丸三日間しか咲かなかった。黄色はどうだろう? ともかく、黄色の花はなかなか咲きにくいので、貴重な種の開花に出会えたと感激した。そんなわけで、久しぶりに「あんばら庵」の日記に写真を載せた。娘や若い人の好きな風水によると、黄色は金銭運にも繋がるという。今のところそんな兆しはないが、心で思うだけでも楽しい。
さて、娘の誕生日が近いので、いっしょに食事をする店を探している。しかし、人気の高い店はなかなか予約が取れず、あちこちに電話をした。それぞれの好みや、飲める人飲めない人があって、難しいところもある。しかし、用事の合間に、こまめに電話をかけ、なんとか1軒手ごろな店を見つけ、予約した。すぐに娘にメールで連絡した。
その後、整形外科のリハビリルームに行った。今日の担当とは相性が良くて、気持ち良く患部をほぐしてもらった。いつもこうだと良いが。
夕方は、電車で駅前のスーパーを往復した。1駅だけの乗車で、足代が勿体ないと思えども、暑さと足の痛みの問題でどうしても乗り物に乗ってしまう。涼しくなったら、もっと歩こうと思っている。(写真は、朝の9時頃、筆者撮影)
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| 2011年9月9日(金) |
| 花ジンジャー咲く |
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今年は花ジンジャーの咲くのが遅いと思っていたが、やっと咲いた。居間の正面に一輪だけ咲いた。昼間も綺麗で清楚な感じだが、夕闇の迫る頃が薄い闇に浮き上がるようで、いっそう美しい。次々に咲くのが楽しみだ。
もう一種、開花が楽しみなものがある。夏に大きな水鉢に入れ替えた黄睡蓮の蕾が膨らんできている。元の鉢は直径はあったが、深さがなくて、葉が延びきれない感があり、それが気になっていて、大きくて深い鉢を買った。日の当る場所が良いと、黄睡蓮を買った店の人が言っていたので、日の当る場所にも移動した。春先の肥料(煮干しを泥の根本に差し込む)もきちんとやった。その後、家族が濁った水を少しずつ替えてくれた。これはなかに泳ぐめだかのため、でもあったが。
その結果、数日前に「蕾が出ているよ」と家族に教えられた。「やったぁ」と私は歓声を挙げた。黄色の睡蓮の花なんて、そうは見られない。今日は、日中家のなかの片付けをした。娘とメールの遣り取りもあった。もうすぐ娘の誕生日が来る。出張の家族からも連絡かあった。エクササイズは24分。
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| 2011年9月8日(木) |
| 句会&なでしこジャパン |
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朝出発の句会に、何とか間に合う。5句も持参する。小説に力を注いだ月は、句作までに気が回らないから仕方ないが、ともかく出席はした。残暑厳しいのに、先生を含めて11名の全員出席であった。お仲間は、月ごとに腕を上げているようで、いつもながら好い刺激を受ける。男性が2名いる。
約2時間かけて、55句の講評を聞くのも勉強になる。句会が終って、今日は昼食に付き合わずに失礼をした。家に帰って休みたかった。足はまだ少し痛い。大船で地下のスーパーに寄って帰った。家族の好きな酒のつまみなどを買った。
結構重くなった荷物を持って、また電車に乗って家に着いた。そして遅い昼食を取った。
今日は、これで仕事は終りと思っていたら、午後4時から、女子サッカーなでしこジャパンと北朝鮮戦がテレビ中継される、と思い出した。それまでの時間、WIIフイットのスウィッチを入れ、エクササイズを始めた。句会もテレビも座ってばかりのことだから、ここで頑張らないといけない。関内まで出かけて、気持ちは疲れているが、運動を始めると体はさほど疲れていないことが分かる。WIIの記録上で、32分体を動かした.エクササイズのメニューが変わる時間があるので、実質上は45分ぐらいになる。体重測定も入れると、約一時間の仕事である。汗をびっしょり掻いた。
それから着替えて、テレビを点けたら、試合の前半が終ったところで、0ー0の成績だった。それから少し台所で働いて、またテレビを観たら、1ー1の引き分けになっていた。日本が先取点を取ったのに、ロスタイムで1点取り返されたらしい。ロンドン・オリンピック出場はまだ決らない。
しかし、夜のオーストラリアー中国の試合で、中国が負けたことにより、日本の2位以上が決り、オリンピック出場権を獲得した。その試合は、家族とNHKのBS1で観た。
ほっとしたという感想があちこちから聞えた。
以下は、今月の拙い俳句。
心病む 友の笑顔や 薄(すすき)咲く (2点句)
長月の 海は大島 顕はにし (無点句だが講評で良いと言われた)
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| 2011年9月7日(水) |
| 白いブラウスを手洗い |
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家族を送り出してから、洗面所で、昨日着た白いブラウスを手洗いした。よく手洗いをするので、手洗い用の洗剤がそろそろなくなる。買い物に行った時に、忘れないで買うことにしよう。
そんなことを考えている時に、電話が鳴った。眼鏡店からで、家族の注文した眼鏡が出来ていると言う。受話器を置いてそのままにしておこうかと思ったが、少し考えて家族の会社に連絡した。眼鏡は紛失したために新しく拵えたもので、老眼鏡としても不自由していることは分かっている。本人が会社の帰りに行くことも出来るが、寄り道になる。話し合って、結局、私が藤沢まで取りに行くことになった。昨日に引き続き、江ノ電に乗ることになる。
また、水平線に大島が見えるかと思ったが、今日は見えなかった。これも天候によるのだろう。
ちょっと残念だった。しかし、台風の爪あともなく晴れている空を見るのは、自然現象とは言え、複雑な気持ちだった。この天候も、いつ変わるか分からないのだ。
眼鏡の引取りのほか、衣料に食料などの買い物をして戻った。
ところで明日は句会だが、句が出来ていない!水平線に見えた大島の句を1句作ろうか?
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| 2011年9月6日(火) |
| 7人揃った |
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台風以来の晴天となった。鵠沼まで友人の迎えに乗った江ノ電の途中、七里ガ浜の当たりで、水平線に大島がぽっかりと浮ぶのが見えた。それもほとんど霞まずに、くっきりと見えた。やはり秋の海なのだろう。鵠沼駅のホームにはもう、待ち合わせの友人3人が来ていた。そのまま反対方向の電車に乗り、無事に目的の長谷駅に着いた。もう1人遅れてきた人がいたが、タクシーで駆けつけてくれた。これで7人が揃った。男子なら、7人のサムライと書くところだが、なんと書いたら良いだろう?
「T」という和風料理の店は、雰囲気もご主人でもある板前さんの表情も、もちろん料理の味も良かった。二次会はいつもの紅茶専門店だったが、人数は4人に減っていた。
台風12号の被害は、いまだ全貌がつかめない様子だ。被災者の方々に、お見舞い申し上げる。
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| 2011年9月5日(月) |
| 溜っている仕事を |
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朝、家族に宅配発送を頼まれた。これがなかなか難しい。家に居る日なら何とかなるが、集配時に留守をする時もある。待っていても、業者がなかなか来なくて、足止めを食らうこともある。しかし、文句を言いながら頼まれたことは聞いている。今日も1つ宅配を出してほっとした。待つあいだと出し終わってから、デスクに向って溜っている日記を書いた。5日分書いて疲れて止めた。ノートにメモはしてあるから、数日前の事をまったく忘れているわけではないが、早くしないと実感が薄くなるような気がする。それに、日記が溜ると、どうしても追われるような気になる。これも書き上げるとほっとする。昼食後少し眠ろうとしていると、友人から電話があった。別の友人がいつもの会に欠席する、と話をした。昨日連絡があったのだ。
「迎えに行けば、来るかしら?」「さあ」そんな会話を交わした。
皆、歳を取ってきて、外出が億劫になっている。体調が悪い時もある。仲間で助け合えるものなら、助け合いたい。そんなことも話した。そんなことで、今日は目一杯働かず、少し休養をした。
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| 2011年9月4日(日) |
| 今日は五黄の友引 |
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風が少し残っているが、関東はもう晴れている。しかし、紀伊半島の和歌山、奈良、滋賀の3県の、雨被害がひどい。テレビの映像を観ても、考えられない規模の土砂崩れが発生している。海のそばにいれば海の津波、山のそばにいれば山津波では、何処に身を置いたら良いのか分からなくなっている。こんなに災害続きの年も珍しいのだろうが、自然災害の試練はまだまだ続く、と思われる。
私も頑張っている。60数年前に遡れば、戦災被災者でもある。そんなことを、3月11日の地震は、重ね合わせて思うようになった。今回の小説の主題はそんなことにも触れている。震災への私見、と言っても良い。今日は、初回のプリントは全部捨てて、新たに直し直して、再度プリントをした。家族が休日の日は、出来るだけデスクに(プリンタも含めて)向わないようにしているが、成り行きで気分が高揚している時もある。人間は機械ではないから、土日と休んでまた月曜から仕事、というわけにはいかない。気持ちの継続は大切にしている。
それでも、休日の昼食は作っている。つまり3食の食事を作る。その時に、「夕方、涼しくなったら、散歩がてら買い物に」と話した。計画としては、そのついでに、郵便局に行こうかと思っていたが、日曜日だからと気になって、局に電話をした。局の返事は、「午後3時までです」ということだった。夕方の散歩では間に合わない。まだ1時間と少しある。急いで準備をして、1人で郵便局の本局に行った。郵便物を窓口に出して、外に出て時計を見たら2時15分であった。何で時計を見るのか、特に意味はないが、時刻を確認すると、ほっとする。
もう一つ、今日は帰宅してカレンダーを見た。9月4日(日)五黄の友引、とあった。私はキリスト教徒だが、家族(かつては姑)の影響で、「日が良い、悪い」を気にするようになっている。普通に言えば「大安」、「仏滅」ぐらいは気にする。実家の母もキリスト教徒だったが、よく「あの人は五黄の寅だから、強い」などと言っていた。昔の日本人の習性なのだろう。友引は友を引く、そしてもう1度繰り返しても良い、とされる日だ。まあ、悪そうな日ではない、と勝手に決めた。
帰宅して、家族が庭仕事をしているあいだ、WIIのエクササイズを30分した。足腰を鍛えなくてはならない。数年前に比べ、歩けなくなったら大変、という切迫した気持がある。それからまた、家族と約束の散歩に出かけた。夜になって疲労を感じた。
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| 2011年9月3日(土) |
| 台風の進路変わる |
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風が大分強くなってきた。台風が接近している。しかし、天気図を見ると、その進路が大分変わってきている。真っ直ぐに来れば関東地方直撃であった台風の渦が、西に大きく曲がってしまった。現在は、四国室戸岬近辺にいるらしい。予報士は、「その理由は太平洋高気圧に押されて、…」などと話し、「四国または紀伊半島付近に上陸の恐れあり」、と報道している。どの道、日本列島上陸は避けられない状況らしい。
休日の家族は整形外科のリバビリと買い物に出かけた。
私は、エアコンのクリーニング業者の来るのを一人待つ。新聞販売店のサーヴィスで、安くなる月間である。原稿のプリントをしてみる。原稿は、「机の上に平らな状態で観るほうが良い」と、K編集長は教えてくれた。確かに、縦になったデスクトップと睨み合っているのと、平らな机に置いた原稿を見るのとはかなり違う。別の角度で見る、という以前の問題があるようだ。何度も何度も読み返し、気付いた所は出来る限り訂正した。
間もなく、エアコン・クリーニング業者が来た。作業は40分ほどで終った。今回は経費の都合もあって1台だけにした。
家族は無事に買い物かせ戻って来た。台風は、結局四国を縦断した。そして瀬戸内海に一旦出て、岡山県に上陸する模様となった。速度が遅く、雨の量が多いので、各地に水害が発生している。わが町は1日中、風が吹いていた。湿度もかなり高かった。
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| 2011年9月2日(金) |
| 箪笥支え捧 |
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まだ晴れているが、台風は接近している。雨風に閉じ込められることを怖れて、いつもより大目に、食材の買出しをした。そのついでに、洋ダンスに使う、支え捧のLサイズを1箱買ってきた。2本セット入りになっている。すでに我が家の家具のほとんどには、地震時の揺れに備えて、支えの棒が取り付けられているが、一ヵ所だけ、それをしていないところがある。何故ならばその天井が和風の天井板であって、壊れやすく思えたからである。それが昨日、防災関係のテレビ番組を観ていたら、そういうところには当て板をしてと、実際に平板を使い、天井を傷めない方法の手本を見せてくれた。これなら、我が家でも出来ると思い、支え捧を購入した。板は、風呂場のすのこを作ったときのあまり物がある。それで、家族は「やってやるよ」と言っていた。家具が倒れると、地震時に逃げ道を塞がれることにもなる。気休めかもしれないが、「備えあれば、憂いなし」ということにもなる。
足の踵は完治していないが、歩くスピードが少しずつ速くなっている。治ってきた兆しかもしれない。体重を減らすのが1番良い、と思うが、これが難しい。今はあまり歩かない方が良いと言われている。歩いて減らすことが不可能ということになれば、食事の量で減らさなくてはならない。「しょうがない。やってみるか」、という気が少々湧いている。こんなことを続けていて、歩けなくなるよりも、食事制限の方が、まだましだ、と思いながら。
野田内閣は発足した。
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| 2011年9月1日(木) |
| 今日から9月 |
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9月1日は防災の日である。関東大震災を経験していた実家の母から、その話は何度も聞かされた。その後は、昭和20年の戦災、そして今年の3月11日の東北大震災と、日本人にとって忘れられない災害は続いている。9月11日には、東北大震災から半年目を迎える。復興らしいものはまだ見えていないが、仮設住宅は何とか建ち上り、避難所の閉鎖という声も聞く。1日も早い復興を祈って止まない。
政冶では、官房長官が決った。後は各閣僚が決るだけになった。こちらはそれより台風の接近の方が気になっている。屋根の雨樋は直したばかりだが、また吹き飛ばされる恐れもある。何かあれば費用もかかるし、また業者を呼ばなくてはならない、などと怖れる。しかし、今日も雨は降らなかった。お使いはやはり日傘を差して行った。
夜は、なでしこジャパンのサッカーの試合を、テレビで観た。その結果、3ー0でタイに勝つ。9月早々に縁起が良い。
小説書き、庭の水遣り、体操はいつもの日と変わらない。ともかく8月は乗り切った。
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| 2011年8月31日(水) |
| 8月も終る |
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今日で暑かった8月も終る。年々猛暑や寒さが体に堪えてくる。一山越えるのが大変だ。それでも明日から9月だと思うと、嬉しい。気分だけでも涼しくなる。
いつもの通り、二階でデスクに向った後は、階下に降りてテレビを観る。新総裁のもと、党3役が決りつつあるようだ。政局のニュースの後は、天気予報で台風12号が発生したと知らされる。小笠原諸島近辺から、関東地方に真っ直ぐに来るようだ。しかし、速度はとても遅い。その影響で、午後から雨になると言う予報もあったが、わが町では少しも降らなかった。日傘を差して買い物に出た。晴雨兼用の傘ではなく、日よけ専門の傘を持った。縁にカッとワークのあるものだから、その面は穴が開いている。降ればそこから水が洩ることになる。しかし、最近は傘も時々杖代りになる。杖は持ちたくないので、傘でごまかしているところもある。亡くなった兄は晩年、「杖を持つとくせになるから、持たない」と言っていた。もちろん、本当に足を痛めた方々とは違うが、兄の懐かしい声が聞えてくるようである。
家族は月末ゆえ、打ち合わせその他があるらしく、食事は要らないと言って出かけた。夕方、一人分の食材を買うために、西口のKスーパーに行った。好きなおかずがあったのでそれと野菜(セロリ、大根、トマトなど)を買って戻った。帰ってきて、庭の水遣りと、体操を少しした。
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| 2011年8月30日(火) |
| 首班指名 |
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午前中は内科クリニックに行く。血圧高めは変わらない。原因が良く分からない。猛暑と高齢などが理由にあったとしても、今年に限ってという感がある。東日本大震災のショックが、緒を引いているのか?
塩分控えめ、毎日の体操などは続けている。ものを書くことは日常的なことなので、体調を理由に止める気はまったくない。
さて、その小説のタイトルがやっと決った。タイトルは、頭文字「Y」に落ち着いた。その原稿を、今日もあれこれと推敲した。弄っている、と言っても良い。猛暑のなか、こんなことを続けるのも業と言うべきか。しかし、一歩ずつ完成に近づいてくるのが楽しみでもある。
午後、野田新総裁の首班指名のテレビ中継を観ていたら、眠ってしまった。うつらうつらしながらの目に残った野田氏の表情は、とても落ち着いていた。目が特に良かった。ともかく、災害の後の日本国のために頑張ってもらいたい。
夕方、電車で駅前スーパーの買い物に行く。帰りも電車を使った。何しろ暑い。通勤の家族も暑くて気の毒だ。
庭の水遣りをした。ヴィニールのホースに足を取られないように、注意しながら。
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| 2011年8月29日(月) |
| 今朝もパソコン異常なし |
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今朝もパソコンは異常なかった。交換したマザーボードがきちんと働いているのだろう。安心して感謝した。ただし、温度が高いので、書斎のエアコンを付けるようになった。節電をしたいが、コンピューターの故障は困る。仕事に使う物ゆえ、大事に扱って行きたいと思う。
そして、本パソコンの留守の間、ノートパソコンで書いていた原稿を、フロッピーから移してマイ.ドキュメントに保存し、また、書き始めた。しかし、タイトル「M」の切れ味が感じられなくなっている。色々と考える。本パソコンの前で新たに考えた。タイトルは「M」からさらにタイトル「Y」に変えようか、と思っている。「M」はだれにでも書ける小説だが、「Y」は庵原にしか書けない小説になる。だんだんとその辺りが見えてきた。パソコン修理のあいだ、大分無駄書きをしたが、そのお陰で分かってきたことがある。
午後、党首選のテレビを観る。決選投票の結果、野田佳彦氏が党首に決る。それから、はり治療に行く。治療のあいだ、M先生と政局の話を少し交した。
夕食は秋刀魚焼く。大根おろしを添えて。世界陸上も続いている。
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| 2011年8月28日(日) |
| パソコン無事帰宅 |
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午前10時過ぎ、宅配業者から電話があった。10分後に修理を終えたパソコンを届ける、と言う。待ち構えていたので、受話器を置いて待った。すぐに来て、預けてあったパソコン本体、その接続コード、マウス、キーボード、PCカード、などが運ばれてきた。
しかし、最初の箱の開封の鋏は、「お客様が入れて下さい」とのことで、私が鋏を入れた。トラブルを避けるためだろうか。
業者が帰った後、書斎に運び、本体後部の差込を終え、スウィッチをONにした。無事に起動した。ハードディスクもきちんと残っていた。シャット.ダウンもいつもと変わりなく出来た。すぐに溜っていた日記を5日分書いた。あとの問題は明日朝になってみないと分からない。電源が勝手にONになっていないか、それがまだ心配だ。しかし、一先ずほっとした。
なお、政局は5名の党首選の戦いが始まっている。(野田、海江田、前原氏他5名)前代表の小沢氏のグループが、だれに付くか、話題になっている。
もう1つのニュースは、世界最速の男と言われている、ジャマイカのボルト選手の、100メートル決勝でのフライング、そして失格であった。失格と分かったときの場内のざわめきが凄かった。
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| 2011年8月27日(土) |
| 故早乙女貢邸(大仏裏)へ |
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早乙女貢氏が亡くなって以来、「士魂の会」の方々がその遺志を継いで、時折ゲストを呼んでトークサロンを開いている、と聞いている。
氏が亡くなった直後は30~40名の先着順で、すぐに一杯になり、なかなか予約が取れなかった。しかし、7月のペンクラブの例会で、講師の高橋千剱破さんにお会いした時に、お話をして何とか予約させてもらった。氏の代表作そして大長編である「会津士魂」の外談という表題であった。
鎌倉大仏の裏は、思ったより奥があり、5分はたっぷり歩いた。暑い上に足がかなり痛かった。行きがけに乗ったバスのなかで、鎌倉ペンクラブのIさんとKさんにお会いした。やはり早乙女邸のサロンに行くという。
到着して、その邸宅の素晴らしさに驚いた。広い敷地に洋風の部屋、和風の部屋が広い庭に向ってバランスよく立てられている。邸宅はすでに、一般に開放されていて、和室には氏の数々の功績の歴史と写真が展示されていた。
それらを見学してから、洋風の応接室で、高橋氏のお話を1時間半ほど聞かせてもらった。外談の他に、そのあらすじも聞かせてもらった。「大作なので、途中挫折した方もいるでしょう」と高橋氏は言っていた。かく言う私も全巻は読んでいなかった。「一口に言えば、敗者の側から見た、日本の夜明けの物語です」とも言っていた。この参加をきっかけにぜひとも読了しなくてはならない。 こういう参加は、出来るだけするようにしている。脳の活性化、そして文学的刺激にもなる。終って真っ直ぐに帰った。
夕方はまた、家族と散歩がてら外出した。
世界陸上が韓国で始まった。
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| 2011年8月26日(金) |
| タイトルの変更 |
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目下書いている小説のタイトルは、最初頭文字「P」であったが、「M」の方が良いのではないかと思い始めている。「M」の方が秘密が匂うし、象徴的でもある。
午前も午後も書いて、それから近くの整形外科のリハビリ室に行った。午後3時少し前に待合室に着いた。さして待たずに名前を呼ばれた。
1.超音波 2.牽引 3.マッサージ 4.電気
と4種類をしてもらった。個人のはり治療などに比べて、やや流れ作業の感があるが、リハビリのマシンも、整体師の資格を持った男女多くいる。費用も安い。出来ればこのリハビリに通って直したいが。
帰宅してから、少しだるさを覚えた。
夕方のニュースでは、東京の大雨洪水警報発令と、菅総理の退陣表明が報道された。これから党首選へと移行する、と言う。遅れてわが市も、警報が出たが、すぐに解除された。台風が発生したらしい。
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| 2011年8月25日(木) |
| 机前の整理 |
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朝の家事を終えた後、いつもの通りデスクに向ったが、必要と思いプリントしておいた資料が見付からなかった。あちこちと探しているうちに、2つある机前を整理することになった。所属団体からの封書、プリントした自分の原稿の色々。新聞のスクラップなどなどが溜っている。俳句関係のものは、別のところに仕舞ってある。創作ノートもある。コンピューターの中だけでなく、ノートに書き込んだものがある。古い手紙類、写真なども合わせると、未整理の物は沢山ある。
思い切って片付けてさっぱりした。しかし、問題の資料はそこにはなく、パソコン本体の脇の本立ての、メモノートのあいだに挟まっていた。そんなことですぐに昼になった。
午後からは美容院の予約で、昼食もそこそこに出かけて行った。暑かったので、髪も荒れていたが、綺麗になってさっぱりした。
帰りにスーパーに寄った。夕食は冷やし中華を拵えた。上に乗せる錦糸卵の出来はまあまあであった。
夕方のWIIは23分。
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| 2011年8月24日(水) |
| 五目とろろ汁 |
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昨夜は足が少し痛かった。朝食後は痛み止めを飲む。おできの薬も飲んでいるが、出来るだけ間隔をおいている。薬の専門家ではないから良く分からないが、それぞれの薬が体の中で入り混じって、どうなっていくのだろう?と不安になることがある。しかし、どこか真面目なところがあって、もらった薬を放り出すようなことはしない。それでいつも悩むわけである。
午後、やっと決心して、整形外科のリハビリに行った。此処のリハビリ・ルーム大きくて、整体師なども数名いるが、流れ作業的な感もあって、あまり好きではない。それでも治りたい一心で行ったのに、なんと夏休みで入口が閉まっていた。どうも、行き違いが多い。やはり暑さのせいか。
夕方、徒歩の買い物から戻り、足のリハビリのつもりで、WIIふいっとの筋トレ、ヨガのエクササイズを合計20分した。痛いからと言って何もしないでいるわけにもいかない。ともかく少し体を動かすとさっぱりする。
夜、家族は無事に出張から戻って来た。夕食は表題のように、五目とろろ汁を作った。レシピを簡単に書くと、摺ったとろろに出汁で煮込んだ人参、椎茸、鶏肉、小葱、などを加えたもの、である。栄養満点というところか。
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| 2011年8月23日(火) |
| お掃除のMさん来る |
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お掃除のMさんも、暑いせいか遅刻してきた。しかし、元気そうではあった。厚手のもの、トイレのマットなどを洗濯機で洗ってもらった。普通の洗濯物はいつも自分でしている。
到着時間が遅くなったので、当然のことながら終了時間が遅くなった。昼の時間を回っている。昨夜のシチューは朝も火を入れていたので、十分食べられる。サイドメニューに簡単なサラダを作って、Mさんと一緒に昼食を取った。暑いから、おなかを空かさせてはいけない。めったにない2人の昼食であった。
夕方、JR駅の西口スーパーへ行く。何べんも書いているが、わが市には、スーパーマーケットが4店舗ある。今日行った西口のスーパーはやや高めの高級店である。たまにはそんな店にも行く。入口に向うところの、花店の花々が美しく見事だった。しかし、この花店の値段も高い。眺めるだけで素通りする。
家族は静岡泊。夜には電話があった。電話がない時もあるが。
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| 2011年8月22日(月) |
| 内科クリニックへ |
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今日は血圧は少し下がっていた。神に感謝である。しかし、腿におできが出来ているので、その内薬外薬をもらった。帰宅してその内薬を飲み、いつもの通りデスクに向った。しかし、大きなデスクトップのパソコンは、修理に出してなく、小さなノートパソコンを使った。メールも入る。しかし、送信を試みたら出来なかった。インターネットの接続が出来ていないようだ。しかし、ワードで原稿を書くことは出来る。
昼食後も、ノートパソコンに向っていたら、はり治療の予約時間に遅刻してしまった。こんなことはめったにない。治療院の先生に「ごめんなさい」と謝った。治療後、バスで駅前に行き、買い物をした。夕食はシチューを煮た。(塩分控えめの味付けで)暑い時だが、牛肉が少し余っていた。冷蔵庫の中味の整理、と言ったところだ。今日も1日暑かった。日暮れ間際に、庭の水撒きをする。これが結構負担だが、水によってたちまち生き生きする植物を見ると、サボるわけにはいかない。今年は、節電ムードが高まっているが、節水、とはあまり言われていないから、せいぜい撒くことにする。
早く帰って来た家族はシチューをたくさん食べてくれた。
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| 2011年8月21日(日) |
| パソコンは宅配業者の手に |
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朝は小雨が降っていた。9時~12時のあいだに来るという宅配業者の来るのを待つ。本体は重いので、玄関先まで家族に下ろしてもらった。
他に、渡す物は、キイボードと、マウス、本体接続の電源コード、こちらの書いた数行のメモ、などである。デスクトップは持って行かない。業者は午前10時過ぎに来た。大きなヴィニール性の箱を持って来た。中は頑丈に裏張りがしてあった。パソコンの修理も多くなっているのだろう。宅配業者の方にもパソコン用の箱が出来ていると思えた。しかし、無事に戻ってこなければ、なんとも言えない。
なお、電源コードを壁のコンセントから外す時、コンセント先にアースの爪が付いていて、引っ張っても取れなかった。家族に頼んで、ドライバーのプラスを使って外してもらった。とても助かった。重い本体を階下に運ぶこと、と、このアース爪の取り外しだけが、1人では出来なかった。まあ、仕方がない。
業者からの預り証は受け取った。後はメーカーの修理係からの電話を待つばかりだ。診断はどう出るだろう?料金は?と心配はあるが、一先ずほっとした。
午後、庭のめだかを眺めて心を休めた。大きな水鉢のめだかはとても元気だ。なお、梅の干しは終って、再び甕に戻した。あまり梅干し作りに熱心だったので、パソコンがやきもちを焼いたのかもしれない、と思いつつ……。
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| 2011年8月20日(土) |
| 再びパソコンの不具合が |
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朝7時45分に、二階のパソコンを見に行ったところ、また、あの息苦しいような、妙な音が鳴っていた。知らないまに本体の電源ランプも点いている。その青い色の点滅がなんとも言えず嫌で、気持悪い。
こんなことを繰り返していても仕様がない。やはり修理に出すことにしよう。9時まで待って、コンタクトセンターに電話をした。修理担当に電話を回された。違う人が出てまた色々処置をしたが、うまく行かず、日記の他、大事な小説原稿もフロッピー保存したが、各人のメールアドレスの保存がまだだったので、その保存に取り掛かっている最中に、ウインドウズが勝手にシャットダウンしてしまい、ついにお手上げになった。
修理のための宅配業者は、明日の午前中に来ると言う。そして7日から10日はかかると言う。料金の幅も教えられた。恐らく、マザーボードの交換になるだろう、と言っていた。その金額は少々高いと思った。
しかし、この辺りから覚悟が決ってきて、もうⅠ台あるノートパソコンを起動する方向に動いた。立ち上がりやチェンジのスピードは遅いが何とか起動し、使える。フロッピーディスクのコンセントを繋ぎ変えたら、デスクトップの方で保存の原稿も見ることが出来た。もちろん書き進めることも出来る。そんなふうにバタバタと過したが、運動不足を考えて、WIIフイットを25分頑張った。これをやると、足の具合が良い。
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| 2011年8月19日(金) |
| 今朝は無事、パソコン起動 |
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今朝、パソコンは起動した。しかし、購入からすでに5年経ったマシンだから不安はある。動いているうちに出来る限りのデータ保存をしなくてはならない。それに昨日はかなり慌てたらしく、ホームページビルダーの方にやや乱れが出ている。日記の保存もしなくてはならないし、とホームページビルダーの親会社に電話をした。この親会社は数年前のIBM社から、ジャストシステム社に変わっている。幸いジャストシステム社とは、長い付き合いである。ここでもまた、指導してもらった。3回の相談そして指導は無償とのことだった。長くなるし、パソコンを使わない方には訳のわからない話になるので、電話の遣り取りは省略するが、ともかく、「あんばら庵」の、Diary Essay、はCD-RWに保存出来た。(あんばら庵全体も)しかし、片手に電話機を持って、ノートにメモが取り切れないところもあり、次に一人で出来るか疑問である。出来るだけのことはメモしたが……。
なお、メーカーの修理係の人の話によると、パソコンの動作環境は、摂氏35度までだそうである。出来るだけエアコンを付けたほうが良いとのこと。パソコンも、熱中症になるのか!高齢者並に大事にしてやらないといけない。
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| 2011年8月18日(木) |
| パソコンのトラブル |
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午前中はいくらか涼しい。出勤の家族を送り出し、食器を洗い、洗濯機を回しながら、デスクに向った。途中で選択終了のメロディが鳴るのだが、夢中になって書いていると聞き洩らすこともある。しかしこの炎天下だから、1時間もすればすぐに乾く。しばらくして思い出して干すこともある。
今日はそんなふうに昼までを過した。階下で昼食を取って、午後2時ごろまた2階に上った。暑いので、書斎は窓を開け放しであった。梅干のざるもまだ物干に干してある。
妙な音がしているのに気付いた。見ると、正午頃OFFにしたはずのパソコン本体の電源のランプが点き、フー、ファー、という音を繰り返している。まるで人間が苦しがっている呼吸のようだ。
自分で出来る手当てをしたが、青いランプは消えないし、起動もしなくなっている。
急いで、メーカーの故障診断窓口に電話した。窓口の人も、種々の手当を電話で指導してくれた。しかし、回復しなかった。このままでは、本体が熱くなってしまう。接続電源を外して、それから修理に出す相談をした。宅配業者が取りに来ると言う。値段の概算などが告げられた。
そして、「ハードディスクの初期化はしない」ことを希望し、翌日の宅配業者を待つこととなった。
ところが、電話を切った2時間後、パソコンが回復した。つまり、ONとOFFが正常に働いたのである。どうしてか分からなかったが、ふたたび電話をして修理をキャンセルした。
なお、電話指導の折、パソコン本体裏から外した差込(計10本)は、元に戻すときわからなくなる恐れがあるので、外す前にデジカメで写真を撮った。
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| 2011年8月17日(水) |
| 冷汁の小鉢 |
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駅前スーパーの上階で、冷汁の小鉢を見つけた。1人用、食卓用の器に小さなすりこ木が付いている。良く出来ていると思い2個買ってしまった。暑いと、何とか涼しくなりたいと思い、こんな無駄遣いをしてしまう。それから階下の食料品売り場に行き、他の食材とともに、新しい山芋も、籠に入れた。足はまだ全快ではない。しかし、2年前のように目から火が出るほど痛くはない。何とか家事はこなしている。それにしても、駅の東口、西口周辺は混雑している。
早めに帰ってきた家族は、1人用の小鉢に入ったとろろ汁を見て笑っていた。
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| 2011年8月16日(火) |
| 送り火を焚く |
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梅干はまだ干している。約1週間で、猫や烏にいたずらされないと分かった。それで今日は、干したまま、休みの家族と車を出して、藤沢市に行った。家族のズボンの直しが出来ていると、デパートから電話があったのだ。車のエアコンの修理が終ったので、それを試しに走行した。何とか冷たい空気は流れてきた。古い車なので、少しだけ心配であった。
ところで足の痛い私は、そのデパートの1階で、歩き易いウォーキング・シューズを1足買った。そしてそのままその靴に履き、5年越し履いた靴は廃棄してもらった。これも歩き易いウォーキング・シューズだったので、靴に痛みの原因があるとは考えなかった。しかし、劣化ということもあったのだろう。何しろ戦争体験のある世代だから、物持ちが良い。しかし、さすが新しい靴は履き心地が良くてほっとした。
行きも帰りも、道路の混雑はなく、車庫入れもスムーズに出来た。梅干は無事であった。
夕食は、とろろの冷汁を作ろうと、張り切って出汁を取り、家族が山芋を摺って混ぜたら、とても美味しそうな冷汁になった。さあ、頂きましょう、という時、
「送り火を焚かなくては」
と気付き、お迎え火の時、孫のY以外は忘れていたことを思い出し、また笑ってしまった。すぐに2人で火を焚いた。ご先祖様は、忘れっぽくなった私たちをどこかで見ているだろうか?来年は忘れないで、真っ先に焚こうと思います!
お陰さまで、良い靴も買えましたし。
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| 2011年8月15日(月) |
| 終戦記念日のテレビ番組 |
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今日は8月15日なので、テレビ番組はそれに関連する特集を組んでいる。
毎年、丁寧に観てきたわけではないが、今年は東北大震災、そして原発事故が起きたことで、改めて、
「人の暮しを一瞬にして奪うもの」について、考えるようになっている。終戦以後の平和な時代に生れた人たちは、特に今度の震災がショックだったようである。そして我々のような戦災を知っている者は、その時の体験と重ねて考えるようになっている。人が起こした戦争の被害と、地震、津波などの天災とはやや違うが、福島第一原発の事故は、人災である。
こんなふうに、御託を並べていないで、さっさと現地に行ける人は良いが、被災地に行って自己完結(あらゆる面で、人に迷惑をかけないで働き、過す)出来ない人は、行くべからず、と言われている。確かに、人を助けようとして、助けられる結果になったら、何もならない。
前置きが長くなったが、私の観たテレビ番組は、NHK午後7:30からの「渡辺謙アメリカを行く」であった。
米同時テロ多発以後、差別を受けた在米アラブ・イスラム系の人びとを守ろうと、かって日本の真珠湾攻撃後、差別を受けた日系アメリカ人が立ち上がった、という話である。ワイオミングのかつての日本人収容所跡地訪問、そしてその収容所に居たという、元運輸長官、ノートン・峰田氏の話を聞くという構成は、考えさせられ、退屈しないものだった。
差別とはなんだろう?人に恐怖心や、生理感覚がある限り、すぐになくなるものではない、と思うが。
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| 2011年8月14日(日) |
| 孫たちは無事に帰る |
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相変らず暑い。孫たちは朝から水遊びをし、昼は皆で冷やし中華を作った。残さずに良く食べてくれて嬉しかった。
午後は、孫たちは昼寝をしていたが、大人は麦茶を飲みながらお喋りをした。5時過ぎに仕度をして帰っていった。上の孫のYは、家に着いてから、NHKの大河ドラマを観たいと言っていた。どの電車も夏休みで混んでいるので、移動も大変だと思った。
ところで、私の足はまあまあ、と言った具合である。日曜とお盆の休みで、クリニックも休みが多い。リハビリにも行っていない。足だけの問題なら、休息が一番なのだろうが、体としては、あまり動かないのは良くない。困ったものである。夕食は家族と2人で外食に行った。帰りは家までゆっくりと歩いた。街はまさに夏の夜、であった。
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| 2011年8月13日(土) |
| 8人でお迎え火を焚く |
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昼過ぎに息子一家が、江ノ電の長谷駅に到着して、孫たちの祖父である家族と待ち合わせし、5人で菩提寺の墓参り、ということになった。足の痛い私は申し訳ないが、家で留守番をして待っていた。もちろんキッチンの仕事もある。墓参りを終えて5人が到着したのは午後1:30分頃だった。三輪そうめんを茹でて待っていた私は、皆と一緒に冷たいそうめんの昼食を取った。上の孫はまだ中学1年生なのだが、この夏、ついに私の背を抜いた。(私は1メーター58センチある)しかし、顔がまだ子供で小さくて、手足だけが長い体型になっている。この先どれだけ延びることか。楽しみである。食欲も旺盛である。
食後は、去年と同じに、我が庭に、空気を入れた大プールを広げ、水着に着替え、そこで水遊びを始めた。
大騒ぎが終った頃、娘夫婦が到着した。孫たちは今度は家に上って、パパや娘婿と一緒に、空き箱で工作を始めた。これも昨年と同じ。しかし、造った物は昨年と違い、ビー玉を使って転がす、紙製のゲーム機であった。とても上手に出来ていて、ビー玉は本物のゲーム機のように、点数のあるトンネルを潜ったり、潜らなかったりして下に落ちていった。キッチンの仕事がなければ私も参加したいくらいの、良い出来上がりだった。
何度目かの大騒ぎの後、煮上ったすき焼きを食べようとした時、上の孫に、
「あれ、やるんでしょう?」
と言われ、「ああっ、」と気が付いた。あまりの騒ぎに、肝心要の「お迎え火」を焚くのを忘れていたのである。
「ああ、大変。でもYちゃん、良く思い出してくれたわね、有難う」
と大人は言い、それから8人で門前に出て、オガラを燃やし「お迎え火」を焚き、その火で点けた線香をもち、1人ずつ火を跨いで、家のなかの仏壇に供えた。玄関には先祖の霊の洗う水桶を置く。(最近はプラスティックの桶で、済みません)8人揃ったのも珍しく、良いお盆の夜となった。
そしてすきやきに箸を延ばしながら、ご先祖の話を色々とした。特に嬉しかったのは、娘が私の兄の思い出を語ってくれたことだった。穏やかな性格で、今時の言い方では「癒し系」に当てはまる娘と、気性の激しい兄とは相性が良かったらしい。私は娘のように優しい女性ではないし、どちらかと言えば兄に似ている。お盆の夜で、キリスト教とは宗旨が違うが、娘が好いてくれて、話題にしてくれるのは、兄としても嬉しいことだろう。天国で、大きなくしゃみをしているかもしれない。そう言えば、この兄は長身で、手足が長い。
娘は明日仕事とのことで、婿殿と帰り、息子一家は泊った。
来年もまた、皆揃って、良いお盆が迎えられますように!
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| 2011年8月12日(金) |
| 漬けた梅の土曜干し |
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毎日、猛暑が続いているが、同時に青空とぎらぎらとした太陽が輝いている。つまり、漬けた梅の土曜干しにはもってこいの天気である。
足の踵はまだ痛むが、この機を逃すわけにはいかない。朝の家事が終ってから、新品の平ざるを洗い、物干に運んだ。本当は庭に干したいが、野良猫や烏に悪さをされると困る。なにしろ、大事なマイ梅干なのだから。
そして、台所の甕の中から重しを持ち上げ、真っ赤に漬いた梅を、箸で1個ずつボールに取り出した。そのボールと箸を持って二階に上り、湿ったままの梅を1個ずつざるに並べた。直径60センチぐらいの平ざるに少しずつあいだを空けて置くと、ちょうどいい量だった。梅の甘酸っぱい匂いが漂い、足の痛みも忘れ、幸せな気分になった。物干の板が、梅の汁で赤くなるのも困るので、新聞紙を何枚も敷いた。長時間になると埃がたかると思い、キッチンにあった古い蝿帳を取り出し、傘のように広げて上に被せた。1日目の最初の仕事はこれで完成した。この作業を3日間繰り返す予定である。
その物干にいる時に、教会のC神父よりお電話を頂いた。足の痛みのことで、教会の月報に相当するニュースレター作成の手伝いが出来なくなった、とお詫びの手紙を書いたのだ。その手紙が届いたとのこと、「一年と少し、有難うございました」と言われ、役に立てなかったこちらの方が恐縮してしまった。しかし、健康上の理由は、どうにもならない。こちらとしても、何時まで自分の家で働けるか、それも分からない状況なのだ。
「未信者の夫を抱えていますし、今月はお盆の行事をしなければなりません」
とだけお話した。
その後は梅干を見守りながら、デスクに向った。溜っている日記を少しと、書きはじめた小説を少し書いた。
午後3:00より、近くではり治療をしてもらう。それで元気になったのか、帰宅して久しぶりにWIIフイットの、筋トレ、ヨガを15分をした。
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| 2011年8月11日(木) |
| 句会、そして納涼会 |
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足に少々の不安があるが、月1度の句会を休みたくなかった。今日は暑気払いの昼食会もある。朝少し早めに起きて、朝食を作って取り、すぐに外出の準備をした。家族のやや遅めの出勤時間と同じの出発となる。生ごみを出す日なので、毎回慌しいが、なんとか決めた電車に乗れた。しかし、大船で乗り換える私は、ホームの後方へ、家族は前方へと別れた。ホームで電車を待つ間も足は特に痛まなかった。(と思っていた)
関内の会場まで駅から歩いた。痛くはさしてないものの、足を痛めた人には分かるだろうが、歩道に居ても前方から来る人、自転車の音などが、怖くて仕方がない。上手くすり抜けられるだろうか、ぶつかってきたらどうしよう、などと不安と怯えが高まる。そんななか、無事に句会の会場に着いた。だれもが、「暑い、暑い」と繰り返していた。(会場にはもちろんエアコンがある)しかし、夏、そして暦では秋になる今の季節の句は、なかなかの良い句が集まっていた。1名投句があって、合計55句の中の選句であった。わたしは旅の句が3句、プラス2句で、1句はSさんが特選に選んでくれた。
句会が終って、会場を馬車道の和食店に移し、納涼というより、暑気払いの昼食会を行った。行きはタクシーで、帰りは少し歩いたが、無事に帰宅した。痛みよりも暑さのせいか、頑張ったせいか、ふくらはぎがパンパンになっていた。
以下はその句。1句目は特選の句、2句目は2点句、3句目はW先生が選んでくれた。
特急は 林檎畑の 風になり
ひぐらしと 共に一茶の 散歩道
遠花火 隣家の二階 影ふたつ
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| 2011年8月10日(水) |
| やっと自由に |
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今日はやっとフリーになった。整形外科に半日も辛いし、家に職人が来るのも悪いことではないと言えど、体調が万全でない時は負担になる。
ともかく今日は、自由になった。しかし、用事が1つある。わたし自身はカトリック信者だが、婚家は仏教徒で旧盆の8月に行事を行う。従って、盆行事の品1式を、買って来なくてはならない。昨日一昨日は、暑いのは仕方ないにしても、踵がとても痛くて、買いに行けないかもしれないと家族に言ったが、今日になって何とか行けそうな気がした。家のなかで歩いている分には、痛みはさほど感じないのである。しかし、坐骨神経痛歴が長いと、家のなかの歩きと、靴を履いて大地を踏みしめるのとでは、痛みを感じる度合いが違うのはよく分かっている。しかし、重度の神経痛の時は、家のなかにいても寝てても痛かった。(思い出したくもない)
ちなみに、町のバス通りの生花店でもお盆用品と仏花は配達してくれるが、配達料込みで合計の料金が、スーパーの倍以上になる。ご先祖思いの家族も、高いと言っている。
そんなわけで、楽な靴を履き、江ノ電に乗って駅前のTスーパーに行った。店頭には、蓮の葉をはじめお迎え火を焚くオガラ、ミソハギなど、沢山並んでいた。2階の食料品売り場を回った後、お盆用品一式と仏花を買って帰った。江ノ電に乗ろうと、JRの駅を通り抜けた頃は、荷物も重く人も混んでいて、右足の踵がしくしくと痛み始めていた。江ノ電のホームは相変らず混んでいた。この電車に優先席の表示はあるのだが、表示の張り紙が小さく、乗客が気付かないで座ってしまう。夏休みで混んでいると、子供連れの家族も多く、我先にと車内に乗り込む。年寄りは大抵はみ出してしまう。やっと座っても1駅だから大したことはないが、人疲れをしてしまう。和田塚駅に降り立った時は、足の踵はかなり痛くなっていた。まさに、~行きはよいよい、帰りは怖い~、の歌と一緒である。しかし、まあ、お盆用品が買えて良かった!1年に1度ご先祖様が帰ってくると言うのだから、バチは当るまい。整形外科でもらった痛み止めはまだ朝晩飲んでいる。
ひと休みしてから、明日の句会の句の推敲をする。仕上げ、と言ったら良いか。
家族の帰りは早く、上に乗せる具を丁寧に揃えた冷やし中華を、綺麗に食べてくれた。
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| 2011年8月9日(火) |
| 植木屋さん来てまた1日 |
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朝から植木職人5人来る。今年の猛暑で庭の木々は高く延び、葉も繁って息苦しいほどなっている。切りに来てくれるのは嬉しいが、切ってもらっては困るものもある。これから咲く花ジンジャー、白芙蓉、浜木綿など色々ある。念のためでもこれとこれは切らないで、と注意したい。幸い、職人の来た時間が早かったので、家族はまだ出勤前、スーツ姿で話をしてくれた。何事も1人でないのは助かる。
そんなふうに、起き抜けから緊張していたので、台所口に「お早うございます」という声を聞いて、お掃除のMさんの来る日が今日だった、と気がついた始末だった。そんなことで、職人へのお茶出し、などMさんに手伝ってもらえてこれもまた助かった。人数が多かったせいで、天を突くよう繁っていた木々はあっという間に切り落とされ、すっきりとし、風通しが良くなった。芝も芝刈り機で刈ってくれて、裏の雑草も綺麗になり、帰ったのは夕方になる前だった。もちろん切り取った木の枝葉は、処理してくれる。(有料で、こちらが負担するのだが)
途中、Mさんに留守を頼んで、近くの内科クリニックに胃って血圧を測ってもらったらいささか高かった。こんな時に行くから悪いのだ。夏は海の町の場所柄、どうも忙しい。お盆になると、人が来て家のなかの人口も増える。道路も電車も混んでいるし、頭が上手く働かなくて、困る。内科の医師はかなり心配していた。次回は少し落ち着いた時に行って、測ってもらおうかと思う。
買い物には行かず、Uスーパーに配達を頼んだ。この夏、生きていくのは大変だ。
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| 2011年8月8日(月) |
| 整形外科で半日潰れる |
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朝1番で近くのI整形外科に行く。診察と、レントゲン撮影、診断が出て、次の部屋のリハビリ、そして薬局での薬受け取りを済ませて帰宅したら、昼を少し過ぎていた。診断はかかとの骨が少しは出ているが、今すぐどうという症状ではない。かかとの骨を削ることなどめったにすることではない、リハビリや普段の歩き方などで直しましょう、と言われた。わたしの足の裏は土踏まずがしっかりあるもので、生来健康な足らしい。しかし、そういう人ほど足を蹴るようにして早く歩く。それがかかとに負担をかけるらしい。かかとを蹴って歩かないで、腿から足を上げるようにして歩くと良い、と教えられた。確かに私は、雨の日に良くズボンの裾にはねをあげてしまう。これは歩き方が悪い結果と言われる。家族にも笑われていた。大して気にしていなかったが、病気に繋がるとならば、反省し直さなくてはならない。
午後、電車でスーパーを往復したが、帰りには少し痛みが出た、しかし、もらった痛み止めは効いている。もっとも、胃を痛めたくないので、弱めの痛み止めにしてもらっているが。
帰ってから、日本文藝家協会のアンケートを書き込み、FAX送信した。夕方になってやっと、デスクに向かい少し書いた。
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| 2011年8月7日(日) |
| それでも歩いている |
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足の痛みで日曜のミサは休む。しかし、まったく歩かないというわけではない。杖も突いていない。痛むかかとを庇いながらぴょこぴょこと歩いている。洗濯機を回し、止まれば二階に上り、物干で干す。また階段を使い降りる。夕方庭に出て、ホースを使い水撒きをする時も、さして広い庭ではないが、歩いてはいる。働く場合でも、遊ぶ場合でも、人にとってどれだけ足が大切かが分かる。気を付けて快方に向かうようにしたいと思う。
午後から、珍しく家族とは別行動で、近くのスーパーの往復を歩いた。家族は駅前のスーパーに行った。その折にそのスーパーの上の階にある写真用紙を、買ってきて下さい、と頼んだ。普通100枚入りが売られている。ところがこの日はポイント5倍の日だったそうで、2パック、合計200枚を買ってきてくれた。信州で沢山写真を撮ってきたので大助かりである。鎌倉は各所(大きいところで4軒)にスーパーがあるが、このスーパーはポイント制度が受けているのか、いつも混んでいる。ポイントは1ポイント1円に換算される。1円でも安く上げようとするのが、買い物客の心理か。しかし、どこかで気付かずに数円の無駄遣いはしている気がする。気分の問題で、スーパーの繁盛も決ってくるようだ。夕食は長野で買ってきたおやきを暖めて食べた。最近は6~8種類もある。切り干し大根入りというのが美味しかった。
夜、娘より電話があった。湯田中の宿は娘のインターネットの検索によるものなので、2人で礼を言った。お盆には来ると言っていた。ああ、足を直さないと働けない!
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| 2011年8月6日(土) |
| 無事帰宅 |
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湯田中より無事に戻った。災害や事故がなく幸いだっと思う。途中長野駅近くのとうきゅうデパートに寄った。なかは節電していると言っても涼しかった。その上階で昼食を取った。もう日本蕎麦は止めにした。しかし窓からは信州の山々が沢山見えた。
長野新幹線は、何も問題なく、長野県、群馬県、そして埼玉県を走り抜け、上野、東京へと着いた。東京駅は夏休みに入った家族連れで一杯だった。
「この分、鎌倉が空いてくれると良いけれど」
と家族に話したが、鎌倉もやはり混んでいた。みな、東日本大震災の傷は抱えているのだろうが、レジャーに対する意欲は衰えていない。我々高齢者は、遊びに行っても、どこか命がけである。月曜日には、足の検査をするため、近くの整形外科に行かなくては、と思っている。
ところで、今日は広島に原爆が投下された日である。孫たちが広島の叔母のところへ遊びに行っていると聞いているが、今日の広島市の空気をどのように受け止めるのだろう。若く未来のある人たちに、考えてもらいたい問題だ。孫たちの旅先での無事を祈る。
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| 2011年8月5日(金) |
| 善光寺参り |
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子供の頃、長野県には良く来たが、上諏訪や富士見ばかりで、この長野市には来ていなかった。従ってこの有名な善光寺参りは初めてだ。「牛に引かれて、善光寺参り」という言葉も有名だ。ある強欲な老婆が、干していた白い布を牛の角に引っ掛けられて、それを取り戻そうと、追いかけていたら、善光寺参りをすることになった、というのは有名な話である。
しかし、とにかく暑い日であった。参道を歩くだけでもただ暑かった。着いた時間が昼だったので、先に蕎麦店に入り、昼食をして少し休息をした。それから門を1つくぐり、大きな六地蔵さんに出会った。鎌倉の六地蔵の10倍以上の大きさだ。そのせいか、丸みのあるとても良いお顔に見えた。境内に入ると、香の匂いと煙が漂う。足のかかとがまだ痛むので、その煙を手で掬うようにして、足に近づけた。果たして効き目があるだろうか?暑さのせいで、やや散漫なお参りとなったが、ともかく日本有数の寺、善光寺参り、そして観光をすることが出来た。
宿は伝統、歴史のあるものらしく、当時の白黒写真が二階のロビーに何枚も飾ってあった。その折に、家族が、かって鎌倉文士であったS・T氏の手書きの書を見つけて、知らせてくれた。見に行くと、3点も展示されていた。2人でそれをデジカメで撮影した。S氏のご子息がご健在なので、プリントしてお見せしようかと話した。
フロントの人の話によると、ご健在の頃、S氏は度々宿泊されたという。ちなみに、この宿の湯はとてもすべすべして気持が良い。特に桃山風呂の露天風呂がゆったりとして良い。夜は少しだけワインを飲んだ。
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| 2011年8月4日(木) |
| 湯田中温泉 一茶の散歩道 |
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午後1時の長野新幹線に乗る。車中、東京駅で買った弁当を広げた。サラダも買ったのでそのひんやりとした舌触りが気持ちよく感じられた。
終点長野で降りて、長野電鉄に乗り換えた。特急快速に乗ると、40数分でやはり終点の湯田中に着く。ホームの外に、予約してある宿の臙脂色の旗をみてほっとする。出迎えのシャトルバスが来ているのだ。出迎えの人もそのバスの運転手も一緒で、着物を着た若い女性が、宿まで運転してくれた。
温泉に入る前に、少し散歩をした。地蔵尊の寺の鄙びた庭を歩いてから、観音像のある寺へと向った。途中味噌の醸造店に寄る。そこの女主人は、地震以来景気が悪いと話していた。
坂を昇るように歩いたが、なかなか観音像は見えなかった。やっと近付いて見えたのは、黒茶色の細長い観音像であった。鉄製と思われる。普段、真っ白く、コンクリート製の大船観音ばかり見ているので、白いとばかり思っていたのは愚かであった。連れの家族と2人で笑ってしまった。そこに向う石段は、雪の降る季節のために、真ん中に囲いがしてあり、さすが雪国の寺と思った。
本堂に向かい、歩いていく先に、「この先、一茶の散歩道」という小さな看板を見つけた。
「あら、ここからも行かれるらしいわ」
と思い、自然に足が向った。
事前の調べでは、30分ほど歩く、ということだったので、今日は止めようと思っていた。そして、このような林に囲まれた涼しい場所とも想像していなかった。
そんなことで、木々に囲まれ、草深い、一茶の散歩道を歩くことが出来た。途中ひぐらしが鳴いていた。緑の香りも涼しい風もあり、まさに森林浴というとても良い小道なので、振り返って何枚か写真を撮った。一茶のように良い句が出来ると良いが。
その後に入った温泉の心地良かったことは言うまでもない。
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| 2011年8月3日(水) |
| また、はり治療に |
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朝9時にはり治療院に電話をしたら、午後3:30分の予約が取れた。ひと先ず安心した。それから洗面所で洗髪をしたが、その折、腰の痛みはなかった。膝も多少は心細いが、特に痛むわけではない。右のかかとの裏だけが痛むのだ。体重がかかっている場所なのか。はりに行くまでは、家事を軽くしただけで、休息をしていた。旅行先の、情報を少しだけインターネットで検索した。俳人の小林一茶に縁の地と知った。楽しみである。しかし、日中の外歩きは暑いだろうな、と思う。仕方がない。はりのM先生に何とか直してもらうように頼もうと思う。
3:30分になり、治療院に行った。しかし、M先生は痛む箇所に針は打たず、30分間マッサージをしてくれた。少しだけ良くなったような気がした。そして、
「朝、起きた時が、1番痛いかもしれない」
と言った。それは、以前の神経痛でも経験済みなので、「やはり、そうですか」と頷いた。
治療院より帰宅したから、旅行の準備を始めた。と言っても着替えを少々、という程度である。携帯電話、デジカメ、は持参する。その間も、楽しみと不安が入り混じる思いであった。
沖縄本島付近に台風が近付いている。
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| 2011年8月2日(火) |
| 少々疲れが出たか? |
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家族の出勤後から、昼までデスクに座っていた。その間は至って元気で、筆も良く進んだ。と言っておく。
昼食後は、銀行&ゆうちょに用事があり、その後も、気に入りの鮮魚店とUスーパーを回った。急いで帰り、まだ時間があるので、「あんばら庵」の日記を2日分書いた。ひと休みしようと階下に降りたとき、電話のベルが鳴った。Oさんという友人からだった。体調のあまり良くない友人からなので、時間をかけてゆっくりと話を聞いた。座って聞けば良いものを、立って歩きながら、長い話を聞いた。電話を切ってから気付いたのは、右のかかとの痛みだった。こんなところが痛くなったのは初めてのことだ。今週末は旅行が控えている。国内のそう遠方ではない温泉地だが、神社や寺を歩く場合、足の痛いのは困る。
少し、仕事の量が多かったか、と反省した。食料は沢山買ってきたから、安心だが、そのために過労になってはいけない。この日記のために、いつも走り書きのメモ(大学ノート)を記しているのだが、そこに、
「少し、仕事を控えなくては、イケマセン!」と書いた。年を忘れてしまうこともある。
家族の帰りは早かった。しかし、2年前にひどい神経痛になったこともあって、あまり心配してくれなかった。しかし、本人は結構心配している。
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| 2011年8月1日(月) |
| 夜は緊急地震速報がブーッ、と |
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今日から、8月である。
8月は、隣のスクールがお休みなので静かである。そのせいもあって、小説を書いていることが多い。高校生の頃、夏休みの宿題で、読書感想文を熱心に書いていたから、それと同じと思えば、暑くても平気だ。(なんて、強がっているが)
ともかく朝のうちは、創作メモを熱心に書いた。1枚1、200字の設定で4枚ほどメモを書いた。
家族を送り出してから、本物を書き始めた。書き出しは、メモの段階で決めた。2枚と少し書いた。構想は練っているものの、どんな小説になるか、胸が躍る。
午後3時過ぎ、予約してあるはり治療に行った。マッサージはとても気持が良かったが、ハリを打つときは少々怖い。
夜は、11時くらいに床に就き、眠って間もなく、携帯電話の緊急地震速報が鳴った。家族と2人で起き上がり、テレビを観に居間に行くと、静岡県が震源地と発表されていた。静岡に会社の支店のある家族は心配して画面を観ていた。地震ばかりは、慣れた、と言うわけにはいかない。後の寝つきが悪くなる。困ったものだ。
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| 2011年7月31日(日) |
| 水鉢の入れ替え、本の整理など |
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今日は休養の日に当てている。昨日と一昨日で、約18・000歩も足を動かしている。
と言っても暑さには変わりはない。何とか涼しい風景をと思い、新しい水鉢を1個追加した。竹簾と竹製の柄杓も購入した。(ちょっと和風料理店ふう)黄色い花が咲く睡蓮の鉢と、めだかはその鉢に移した。めだかは楽しそうに(?)泳いでいる。元の鉢は深さが足りなくて、睡蓮には向いていなかった。その証拠に、深い鉢に変えたら、その上った水面まで葉が延びてきた。さらに延びるだろうと楽しみにしている。
さて、元の鉢はテラスから玄関前に持って行った。中味は睡蓮ではなく、ウォーター・マッシュルームという名の水草を入れた。小さな葉に、細かい花が咲く蕾がいっぱい付いていて、見るからに涼しそうだ。花が咲くように日のあたる場所に置いておく。
こんなことで、午前中が過ぎ、午後は休息をした。
襲い午後、家族とスーパーの往復をした。行きは歩き、帰りは電車に乗った。Tスーパーは全品5パーセント引きの日で、とても混んでいた。
夕食後、少し元気があったので、本の整理をした。整理と言っても、何処にどの本があるかの確認もしなくてはならない。私の本は現在、家の4ヵ所に散らばって置いてある。男性の主人ではないから、大威張りで、良い場所を占領するわけにはいかない。これでも古風な女性だ。その結果、マイ・ブックスが四箇所に点在するようになった。従ってどの本が何処にあるか、知っておかないと不便である。書くために資料として参考にするためにはなおさらのことである。
暑い夏だが、色々と忙しい。
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| 2011年7月30日(土) |
| 劇団民芸公演「アンネの日記」 |
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いつものお仲間8人に加え、今回は息子一家もプラスされ、総勢12人の観劇となった。新宿、渋谷の都心と違って、今回の劇場は、川崎市の新百合ヶ丘アートセンターである。劇団民芸ではこの「アンネの日記」公演をもう50年も続けている。主演のアンネ役の女優は次々と変わったが、この日記、この物語の記録は永遠に変わらない。今回は、何よりもこの公演を優先した。幸いやや涼しい気温で、藤沢回りで小田急線の特別快速に乗り、順調に目的の場所に到着した。待っていた人たちと、先に軽食を取った。朝寝坊しておなかが空いていないと言う人も居た。そこから、7分ほど歩いてアートセンターの小劇場に着いた。
照明が灯され、他の登場人物と共にアンネ役の若い女優さんが飛び出してくる。12歳から14歳の二年間の、屋根裏部屋での話が、具体的な人間関係と共に語られていく。男も女も、大人も子供も、みな同じ運命に翻弄される。こんなに元気の良い娘だったんだ!と驚きが湧く。明るくて、未来をじっと見詰めていた娘だったのに、どうして人生を全う出来なかったのか、と改めて戦争の恐ろしさを認識する。文章だけと違って、立体的に天井裏の人びとが見えてくる。
公演終了後もまた歩き、昼食を食べ損なった人たちにお茶とケーキで付き合う。こちらも老若男女一緒である。さらに帰路の藤沢で寄り道して、鎌倉の自宅に帰ったのは、夜の9時近くだった。
9時のニュースでは、大雨による新潟県三条市などの避難者の数の多さを告げている。米どころ魚沼市も被害を受けている。福島と言い、お米の収穫が心配になるこの頃である。
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| 2011年7月29日(金) |
| 眼科、その他を回り、一万歩を上回る |
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朝一番で、近くの眼科に行く。すぐに目の写真を撮ってもらう。ところで四月からこの眼科の院長が息子さんに代わった由、しかし、大先生はお元気とのことだった。診察の結果は、眼底の出血など、大きな心配はなかったが、今回出血した右目は、左目に比べてやや弱いとのことだった。使わなくて良いところ(テレビなど)は、使わないで、大切にしなくてはと痛感した。涙目の治療もしてもらった。鼻に通る管の詰まりをとおしてもらうもので、2年ほど前1回やってもらい、今回は2度目である。前回と同じように、「鼻に通っていますよ」と言われたが、果たして治るかどうか。何故なら前回はあまり改善されなかったのである。
帰宅すると同時に、電話のベルが鳴る。鎌倉ペンクラブの、会計監査の用件である。印鑑を押しに行かなくてはならない。美容院の予約をしてあるのでその帰りに行くと、電話の主、Tさんに告げた。市内の移動だから、乗り物に乗るという距離でもなかったが、すべて歩き、用件をこなした。Tさんには「目が赤いですね」と言われたので、眼科に行ってきたと話した。
二度目の帰宅から、クリーニング店に行きまた帰宅した。それから手紙を1通書いた。もう家族が帰る時間であったが、投函したくなってバス通りのポストまで歩いた。途中、江ノ電から降りてきた家族に出会った。無事手紙を投函して、帰ってきてから携帯の待ち受け画面の万歩計を見たら、トータルで10、500歩になっていた。まさに万歩計だ。
世界水泳、北島選手は銀メダルを獲得した。新潟地方、大雨のニュースがあり、河川の氾濫が心配されている。
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| 2011年7月28日(木) |
| 雨樋直しの職人来る |
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朝のうち小ぬか雨のような小雨が降っていたが、雨樋直しの職人が数人来た。5人ほどか。そのうちに晴れてきた。人数がいつもより多いと思っていたら、2日はかかると言っていた工事が、一日で終った。しかし、家の周り、東西南北の樋のかぎフックを取り替えていたので、一日中トントンという音がしていた。夕方、5時15分ごろ全員帰って行ったので、それから使いに出かけた。自由になった気がして足が軽く感じた。今日で、長く続いた、一連の雨戸、屋根回りの工事は終了した。これで私の血圧も下がる。(と期待している)
世界水泳で、男子、北島は予選1位で通過した。女子、寺川綾は銀メダル獲得した。男子も女子も頑張れ!
ところで、今日の日中、鏡を見て気がついたのだが、右目の左側の白い部分が赤くなっている。出血したように真っ赤である。職人に声をかけて、近くの眼科に行こうと思ったが、診察券を見て、木曜日は休診であることに気付いた。では明日行くことにしよう。以前にも目を赤くしたことはあったが、年々歳を取るから、同じ症状でも診てもらわないと心配である。汗を掻いたので髪を洗いたかったが、シャンプーが目に染みるのも嫌で、美容院に予約を入れた。土曜日は外出する。家族に赤目になったことを話したかったが、帰りは遅く、少し飲んでいて、私の目の中を良く観察できる状態ではなかった。
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| 2011年7月27日(水) |
| 男子も頑張れ、日本! |
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やや涼しい気温は続いている。とても助かる。午前中は「あんばら庵」の日記を3日分書いた。書ける日は楽にかけるが、文がまとまらない、というより、ミス・キータッチが多くなる時がある。そういう時は疲れているな、と感じる。何にしても油が乗っている方がスムーズにいく。毎日書いていると、調子の良い悪いは自分でも分かるが、いつか身内である娘にも「疲れているのが、分かる」と言われたことがある。人は毎日変化しているのだろう。生き物だから当然と言えば言えるが、人も文も不思議なものだ。何にしても、まだ夏は長いから頑張らなくては、と思う。
買出しは1度駅前の往復のみした。夜は、無事に出張から帰ってきた家族と、世界水泳のテレビ中継を観た。水の中で泳ぐ姿は、観ているだけで涼しく感じる。後は結果がついてくれば嬉しいが。
なでしこジャパンのみならず、男子も頑張れ、日本!
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| 2011年7月26日(火) |
| 散歩のせいか、夕食は美味しく |
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曇りで風のある日。雷雨の予報も出ている。雷は好きでないと何度も書いているが、やはり嫌いだ。お掃除のMさんが来てくれている。力仕事をしてくれるので助かる。庭の内外に溜っている木の葉を集めてくれた。植え替えをした外置きの蘭は元気だ。
午後は涼しく、海岸通り(と言っても、バス停の名前で、海は見えない)を歩いて、民家の八百屋さんとケーキ屋さん、クローバーリーフに寄った。八百屋さん(鎌倉文学館そば)にはお目当ての有機かぼちゃがなくて、少々がっかりしたが、ケーキ屋さんには、暑いと作らないロールケーキがあった。それを1個とシナモン・クッキーを買った。のん気な散歩である。
しかし、夜は、新作品のメモをワードで3P書いた。8月は隣家のスクールが夏休みで、静かなので、毎年書いている。(今年はエアコンを点けないから、体力が持てばの話)国内の2.3日の旅行はするが、後は大抵家で書いている。夕食は家族が出張で1人なので、スパゲッティを少し茹で、缶詰のミートソースを温めてかけた。散歩をしたせいか思ったより美味しく感じた。
文藝家協会のスタッフさんのお2人から、返信を頂いた。感謝!
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| 2011年7月25日(月) |
| トウモロコシを焼いて暑くなり |
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午前中は「あんばら庵」の日記を書く。
7月22日に参加した、日本文藝家協会のトーク・サロンのことを、感想を含めて書いたので、やや時間がかかった。それでも書き終えるとほっとする。メールの送信もした。
午後は1ヵ月ぶりのマッサージに行った。このKさんの家には、愛犬が居て、いつも尻尾を振って迎えてくれる。そしてご主人様が仕事中は、床に寝そべってのんびりとしている。しかし、マッサージも程々が良く、長くやると後がだるくなる。色々と注意が大変だ。Kさんと愛犬君にさよならして、その家の近くの民家の奥にある青果店に寄る。畑から 捥いできたばかりといった、おいしそうなトウモロコシを見つけて、それを2本買った。久しぶりに家族に焼いてあげようと思ったのだ。私は、トウモロコシは茹でたものが好きだが、家族は断固として焼きトウモロコシが旨いと言う。若い頃は、2種類の調理をしたが、今はもう手軽に出来る茹でトウモロコシになっている。それにレンジ前で焼いている時は、暑さが2倍にもなり、汗が吹き出る。
マッサージをして元気になったから、というわけではないが、家に帰って、家族の帰宅時間を見計らい、一本のトウモロコシを焼き始めた。途中引き上げて、刷毛で醤油を万遍なく塗った。醤油の良い香りがした。もう1本は自分のために茹でた。ガス代も2倍になるが、たまには良いだろう。家族が喜んだのは言うまでもない。夜は珍しく良く眠れた。
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| 2011年7月24日(日) |
| 休養の日 |
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ミサは休んだ。行きたい気持はあったが、体調を考えて休養することにした。夏に血圧が上るのは、腎機能が衰えるからと聞いている。6月の検査の折、特に数値は高くなかったが、疲れむくみがすぐに出る。気を付けなくてはならない。
昼食後、昼寝をする。寝過ぎると、起きた時反ってだるいが、程よい時間の眠りは体に良い。そう思っていたが少し余計に眠ってしまった。
夕方、家族と駅前スーパーに行ったら、エスカレーターの近くの溜り場で、日曜のミサでいつも後ろの席に居る、Iさんという年配の方とぱったり出会った。
「今日はいらっしゃいませんでしたね」
と言われた。特に慌てることもなく、体調のことを少し話した。その方も、
「私も夏は駄目なのです」と言っていた。
気にしてくれる人もいると思うと、疎かには出来ない気持ちになった。夜は、家族と大河ドラマ「お江」を観た。史実を参考にしたフィクションは良いとしても、あのメロドラマ調の甘い音楽はよろしくない。夜の床は相変らず暑い。枕元に文庫本を置いて時々ページを開く。
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| 2011年7月23日(土) |
| 名刺を刷る など |
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朝は友人の1人から電話があった。三田文学会報の「編集部への手紙」を読んでくれたとのこと、
「あの文章から、俳句が三つほど出来るわ」と言ってくれた。
彼女は私とは違う所で句会に参加している。お世辞かもしれないが嬉しかった。
午前中は家事や買い出しに時間を使った。家族は整形外科のリハビリ治療を続けているので、1人出かけた。
午後からは名刺刷りの作業を始めた。昨夜のトークサロンで、迂闊にも名刺の補充を忘れ、名刺入れを持っていったものの、中味は数枚しか入っていなかった。準備万端で出かけたつもりでも、こういう失敗がある。
この名刺は、元々エプソン社のプリント・クイッカーというソフトを使い、自らの手で作成している。プリンタのインクなどは、常時補給しているから、改めて購入するのは、100枚入りの名刺用紙609円のみである。しかし、家庭用のプリンタゆえ、1度に裏表は刷れない。表を刷って、裏返して裏を刷る。その時に注意しなくてはならないことは、上下を反対にしないことだ。表裏、上下が違うとミスプリントになる。注意していたものの、2枚ほど失敗した。でも2枚で済んで良かった.以前はもっと沢山の用紙を無駄にした。2時間ほどで名刺刷りが終った。小説家は自家営業だから、経費が節約出来たことになる。少々の電気代は使ったけれども。
夕方涼しくなってから、家族と散歩がてら駅前に出て、買い物も少しした。町は海水浴客の帰りで混雑していた。
夜、床に就いてから、暑苦しくて眠れなかった。
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| 2011年7月22日(金) |
| 日本文藝家協会主催 第1回文藝トーク・サロン |
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午後の電車で、東京に向った。新橋で乗り換え、有楽町から地下鉄の有楽町線に乗り換え、麹町駅で降りる。目的地は紀尾井町の文藝春秋新館の5階である。そこの日本文藝家協会のボードルームで、第1回トーク・サロンが行われる。何日か前、メールで申し込んでおいたら、受け付けてくれた。先着50名と書いてあった。
トークのテーマは「震災から140日、希望はあるか」と知り、参加したいと思った。ゲストは、作家の加賀乙彦さん、川村湊さん、である。各氏のお声が聞け、なおかつ語り合えるというので、楽しみにして出かけて行った。幸い、猛暑から言うとやや涼しい夜であった。
文藝家協会のスタッフは、現代的で活発ながら、知的で礼儀正しく、品の良い人ばかり、と常々思っている。総会・懇親会でもそれを感じている。少し早く到着したので、お邪魔かと思ったが、快く迎えてくれた。着くとすぐに、文藝への気持ちを書いて下さい、と、裏が便箋になった紙を渡されたので、待つ間それにボールペンを走らせた。
この麹町は、私の生れ故郷であること、麹町教会で幼児洗礼を受けていること、などを書いた。
やがて定刻になり、加賀乙彦さんと川村湊さんの登場となった。
加賀さんは、今年の初め心臓の手術をなさったとのことだったが、その大きな瞳の光を始め、ご表情、お声、お話の進め方、その批評的な内容などに病後、そしてお年を感じさせるものは一切なく、さすがと思った。
地震後に、あちこちのポスターや垂れ幕に書かれている、「頑張ろう、日本!」の言葉は良くない。このところ加賀さんは、よく荘子のご本を読まれるそうで、荘子は、
何もしないで、ぼんやりしていなさい、と言っている。また、
人と同じことをしてはいけない。人生を楽しんで死になさい。とも言っている。
松尾芭蕉も、この荘子を好いていた、などと教えてくれた。
そこから、日本人は人と同じことをする傾向がある、という日本人論も語られた。頑張ろう!や節電対策の掛け声も、
「同調せよ」、の圧力であってはならない。さらに、今度の震災を、戦災と重ねる、というご意見も出て、私もそれらの言葉の数々を、妙な表現だが、「胃の腑にストンと落ちて消化することが出来た」、という実感を持ちながら、聞いていた。
加賀さんのお話が一通り終ってからの、川村湊さんのお話も明快で分かりやすかった。その後はトークサロンの名に相応しく、柔らかい雰囲気で質疑応答が行われた。被災地に行った人の発言もあった。
最後に加賀さんの最近のご本『不幸な国の幸福論』(集英社新書)の紹介があった。川村さんの新刊も紹介された。それぞれ2冊ずつは、じゃんけんで勝った人に進呈ということで、私も参加した。しかし、長年自分はじゃんけんに弱いと知っていたので、期待はしていなかった。それなのに、無欲でグーやパーを出していたら、なんと勝ってしまい、残りの2名になった。お陰で、加賀さんの署名入りのご本が頂けた。これで、今後はじゃんけんに弱いとは言えなくなった。故郷の町の匂いも感じたラッキーな夜だったと思う。ラッキーなご本の感想は近いうちにこの日記に書く予定。
このトークサロンが、その内容の充実とともに、今後も活発に続くことを祈る。
帰路は、たまたま参加者の1人でもある男性と同行することになり、有楽町までご一緒出来、心強かった。新橋に向かい、横須賀線に乗り換えて、鎌倉に向った。
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| 2011年7月21日(木) |
| 涼しいので衣服の整理など |
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雨降りだが涼しくて、体が楽である。ほっとするから、のんびりもしたくなるが、働ける気温でもある。本来なら晴耕雨読といきたいところだが、思い切って衣服の整理を始めた。冬物はもう片付いているが、長袖のTシャツなど合着がまだ仕舞っていない。仕舞うというのは、二階の納戸の箪笥やケースなどに秋までは置いておく、という意味である。衣服を持って階段を上がり降りするので、暑いときは汗を掻く。それで暑い時はあまりしない。今日の温度は、最適と言って良く、何回か階段を往復した。階段には一応手すりが取り付けられている。それでも、両手で荷物を抱えると、手すりに掴ることが出来なくなる。そんなことを注意しながら、2時間ほどで整理を終えた。気持ち良くなった。
その後、クリーニング店などの用事を済ませ、午後は少し眠った。午後の少々の休息が健康には良い、とされている。午後のタイミングを外すと、すぐに夕方になってしまう。もっとも、調べ物、読書、書き物が立て込んでいる時は、大抵寝ない。
夕方目覚めてから、また近くまで散歩をした。クローバー・リーフという個人経営のケーキ屋さんで、レモンケーキとシナモン・クッキーを買う。帰り道、近道をして江ノ電の線路内(ほんの10メーターほど)を歩いていたら、電車が近付いてきて警笛を鳴らされた。海水浴客の混雑で、時刻表どおりに電車が動いていないらしい。気を付けないといけない。
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| 2011年7月20日(水) |
| 『会津士魂』早乙女貢著、文庫で13冊 |
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ゆっくりと進んでいる台風6号のせいで、雨風強く、外にも出られない。教会のOさんはメールの返信をくれて、欠席を了承してくれた。お陰で今日は家に居ることが出来る。
と思っていたら、駅前の書店から電話があった。「ご注文の本が届いています」とのこと。ああ、嬉しい!腰を据えて読書が出来る、酷暑にあえぐ心が落ち着く、と思う。しかし、空模様を見なくてはならなかったし、午後に、修理を頼んでいた車が戻ってくることになっている。その配送車を待ってのことにしなくてはならない。
待つ間、日記を書き、さらにお中元の礼状をプリンタで印刷する。と言っても、最近は数が少なくなっているので、すぐに終った。
やがて、車は配送され、業者と手続をし、業者が帰ると私は自由になった。
すると、届いた本をどうしても取りに行きたくなった。教会の手伝いを休んでいたのに、我侭だと分かっているが、本が届いたとなるとじっとしていられない。雨がやや小降りになったので、普段着のまま傘を差して歩き始めた。すると急に強く振り出した。レインコートを着ていなかったので、肩を濡らすまいと苦心するほどだった。書店に着いた頃は、また小降りになっていた。文庫といえど大作の13冊である。重いと覚悟していたが、思ったより軽かった。帰ってからすぐに読書を始めた。懐かしい早乙女貢氏のお顔が浮び、暖かいお人柄が偲ばれる文章に接することが出来た。この夏(8月中)には読破したい。暑さ対策には一番良い方法かもしれない。きっと血圧も下がる。そう思っている。
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| 2011年7月19日(火) |
| 内科クリニックへ |
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台風6号の影響の雨が降っている。温度はさほど低くない。
午前中に、近くの内科クリニックに行く。2週間に1度血圧を測ってもらっているが、この夏は例年になく高めである。暑さが堪えているのか、ストレスになっているのか。問題はもっと別のところにあるのか、と考える。そして、今日もまた少し高かった。先々週より下がっていたが、やはり高かった。気落ちをして家に帰った。塩分など気を付けなくてはならない。暑さや節電対策などで、少し働きすぎかな、とも思う。雨の日は静かに読書をしよう。地震や津波があっても、原発事故があっても、読み書きを忘れてはならない。例え、根を詰めても、その方が心は落ち着く。(しかし、運動不足になる、という矛盾あり)
午後、友人2人に三田文学会報を送る。食材も買って帰る。帰宅して考えて、明日の教会の広報の手伝いは休みたいと思い、リーダーのOさんにメールを打つ。ほっとして少し眠った。眠る前に、「断る」ということについて考える。「はい」と言って引き受けるのは簡単だが、「ノー」と言って、断ることは難しい。けれども、これからはこらもだんだんと老いていく。「断り方」の勉強をしなくてはならないと、痛感した。
台風は目下、四国と紀伊半島の間辺りを旋回している。
そんな中、なでしこジャパンのメンバーが成田空港に帰ってきた。出迎えのファンが400人を越えているとか。フライトが台風に巻き込まれなくて良かった。
相撲界では、大関魁皇関が引退を表明した。長い間ご苦労様!
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| 2011年7月18日(月) |
| なでしこジャパン世界一に |
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朝起きてテレビをつけたら、ドイツで行われているワールドカップ・サッカー戦で、日本女子が世界一になったと報道されていた。延長戦になり、PK戦の結果、3ー1で勝利した。PK戦を最後に決めた選手の、蹴る前に天を仰ぐ表情が映し出されていた。何を念じていたのだろう?とても良い顔だった。震災以来、こんなに日本中が喜んでいるニュースは初めてのことだ。しかも女子の快挙である。困難に立ち向かう女子の強さが改めて示された。ともかく、おめでとう!と言いたい。
そんな時、台風6号が四国近海に近付いてもいる。自転車並みのスピードで、大雨を伴うので河川の氾濫、がけ崩れなどに注意とのことである。くれぐれも注意してもらいたい。
しかし、私の気持で言うと、地震と津波、原発事故でさんざん怖い思いをしたので、(現在進行形でもある)台風のニュースがあまり怖く感じられない。それに台風の予測の方が研究が進んでいるように思われる。この度の地震と津波は、起きてから「想定外」とばかり言い訳をしていた。それでは困るのだ。
なお、今日も家族は休日である。午後は電車に乗って、藤沢市に出かけた。電車は行きも帰りも、紫陽花観光の頃よりずっと空いていた。
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| 2011年7月17日(日) |
| ミサは2人の神父の手で |
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今日の日曜のミサは、主任司祭の千葉神父、前主任の山口神父、の2人の手で行われた。山口神父はミサのあと、「東日本大震災と私たち」というお話をしてくれることになっている。(私はミサだけで失礼したが)
私の好きなところは、2人の神父による、ミサ中の聖体掲揚の瞬間である。それぞれの神父の身長は異なるが、息が合う、と言うとやや俗っぽいが、聖職者の魂の合致が感じられ、それがこちらにも伝わってきて、頭を下げるよりも凝視していたい気持ちになる。そのシーンから何かが伝わってくる、と感じる。1人の神父のミサを決して粗末に思うわけではないが、神父の数が多くなると不思議に胸が躍る。冷房の温度がやや弱い聖堂のひとときであったが、倒れる者もなく、1時間が無事に過ぎた。
帰宅すると、用事が待っていた。家族と一緒に網戸の張替えをしなくてはならない。時が経つと網が劣化し、破けてしまうところがある。張りかえるネットと、縁を固定するゴムを買いに行き、材料が揃えば、後は、手先の器用な家族が綺麗に張り替えてくれる。しかし、近くの材料やさんは、日曜で休みなので、スーパーに電話をして、ネットの在庫を訊ねた。一種類の色(グレイ)ならあるという返事だったので、2人で買いに行った。
そこまでは簡単だったが、戻ってきて、二階の納戸の網戸を外すのに手間取った。うっかりして外の屋根に網戸を落とすわけにはいかない。外側に縦の木枠もあるので外しにくい。結局サッシ戸まで外して、網戸を外した。その後、サッシの桟の拭き掃除を2度拭きして綺麗にした。もう1箇所は1階の食堂の窓なので、網戸は簡単に外れた。終ってほっとして飲んだ冷たい水が美味しかった。無事に済んだのは神の恵みかもしれない。
夜は孫のママから、送った宅配便が届いたと連絡があった。暑いが孫たちは元気だとのこと、一安心である。
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| 2011年7月16日(土) |
| またも医師の死 |
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昼ごろ、近くの歯医者に来ると言う娘を待っていた。娘は結婚して家を出ても元からの歯医者に検診に来る。その歯医者さんの話は、私自身が3月11日の地震の時、検診を済ませた時間だったので、先生といっしょに外に逃げた、とこの「あんばら庵」の日記に書いた。(3月11日をご参照下さい。)
昼を少し回った頃、娘はやって来た。そしてショッキングな話を聞いた。歯科医師、S氏が亡くなったと言う。検診はいつも歯科衛生士の女子Uさんがしてくれる。とても上手な衛生士だ。そのUさんが目を泣き腫らしていたという。この歯科医院は残務整理が出来次第閉めるという。4ヶ月前にはとてもお元気で、地震発生時に居あわせた私を誘導してくれたというのに……。信じられず、しばらくぼーっとしていた。お世話になった医師が次々に亡くなるのは辛い。執刀医の成毛医師から始まって、去年秋の内科医師Hと、これで3人目だ。娘も、Uさんは何処へ行ってしまうのだろう。これからもUさんに、歯のお掃除をしてもらいたいと言っていた。娘と食事をし、夕方近く家族と3人で、JRの駅まで行き、少し買い物をして改札前で別れた。
S先生のご冥福を心よりお祈りする。
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| 2011年7月15日(金) |
| 日本ペンクラブ例会 |
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昨夜は良く眠れた。家族の足の痛みも解決し、心配がなくなった。晴れと暑さ続きの毎日である。洗濯物は2階の物干に干している。日に焼けるので帽子を被っての作業。
終って日記を2日分書いた。夕方から日本ペンクラブの会合があるので、暑いさなかの外出服などを考える。暑いのでパンツルックは止めにして、古いワンピースを取り出す。この服は、孫の洗礼の時に着た服なので、お恵みがあるかもしれない、と考える。電車の時刻表を見て。乗る電車をを決めた。
5時近くに会場に着く。今夜の講演は、日本ペンクラブの電子文藝館のリニューアルとその紹介である。司会は高橋ちはや(手書きパット作動せず、難しい漢字が出ない。失礼)さん。パワーポイントを使っての電子文藝館委員長の大原雄さんのお話は、コンピューターを使う私にも分かる話で面白かった。今年でこの電子文藝館も10年の節目を迎えるとのことだった。私の作品『叔母の秋』(『表彰』所収、作品社刊)も載せてもらっている。最後に、大原さんに、「お家に帰って、コンピューターのこのページを覗ける方はどれくらい?」と言われたので手を挙げた。挙がった手の数は少なく、「2割ぐらいですか」と、少々失望した声が聞えた。そんなものなのか。平均年齢が高いのかもしれない。(私もかなりの年寄りだが)
懇親会になってから大原さんにご挨拶をすると、「手伝って下さいよ、ご自分の作品だけでなく」と言われてしまった。考えてもいないことだったので、即答は出来なかった。外に出ると驚くこともある。今期から会長は、作家の浅田次郎さんになっている。その会長さん他、数名の方とお話させて頂いた。鎌倉ペンクラブからもお顔馴染みの方が何人か見えていた。少し早めに会場を後にした。疲れはほとんど無かった。家に着くと、家族はまだ戻っていなかった。
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| 2011年7月14日(木) |
| 7月の句会 |
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夜になって、衣服の準備、生ごみの整理などをしたせいか、昨夜は寝つきが悪かった。そのすっきりしない気分が朝に少し残った。句会は午前9時前に家を出るので、朝の元気がないとかなり辛い。そんな状態で、電車に乗り、JRの大船駅で乗り換え、関内の会場まで行った。
暑いのに、句会のお仲間は皆熱心で、1人を除いて全員(11人)出席であった。1人5句持参し、55句集った。1名が急用で欠席した。到着した時は、すでに12名、60句書き写す用紙が出来上がっていた。欠席の人は早く言わないと、こういう用紙に空欄が出来てしまう。
そんなことで、句会が始まった。選句をしていると、季節に沿ったとても良い句が集ったように思えた。5句を選ぶのはなかなか難しい。それでも何とか選んだ。しかしながら、昨夜良く眠っていない私の体調は悪く、頭の働きも感性も今1つというところだった。句会が終って、そのビルの階下での昼食を付き合わずに帰った。車のエアコンが壊れたので、修理の人が3時頃来ることになってもいた。それでも大船で乗り換える時、T・Sという地下のスーパーに寄った。帰ってから出直すのも辛い。日傘を持っていると片手が塞がるので、多くは買わなかった。
7月句会の拙句を記す。いずれも句会での2点句。上3句は特選に入った句。ご笑覧を。
梅はまだ 干す日を待ちて 甕(かめ)の中
群れて啼く 鴉頭上の 不安な日
梅雨明けて 生きる覚悟の 2011 (にせんじゅういち)
神と人 薔薇と港の 周作展
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| 2011年7月13日(水) |
| 家族の足の痛みの正体は |
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この夏に入ってから、家族が、
「靴を履いて歩くと足が痛い」「外反母趾のようだ」
と言い始めた。靴を取り替えたりしても効き目がなく、痛い、痛いと言い続けていた。神経痛の痛みで歩くのに難渋した経験のある私は、心配していたがなかなか快方に向かわなかった。
それで家族は今日休みを取り、近くの整形外科に行った。しかし、混んでいるのか、なかなか帰って来なかった。2時間ほどしてやっと帰って来たので聞くと、「削ってもらった」と言う。一瞬、麻酔をかけて骨を削ったのかと、ドキッとしたが、「魚の目を削った、ガリガリと音がした、痛くはなかった」と言う。
「外反母指ではなかったの」と聞くと、医師は逆に、「内反小指だ」と言った、という。何だか良く分からなかったが、ともかく痛い思いはしなくて済んだと聞き、安心した。
実際には、靴を履いて歩いて見なくては分からない、とも言っていたが、あまり心配はなさそうであった。そして、窓を開けて風を通し、エアコンはつけない家の中で、「家は涼しいねえ、外は本当に暑い」と喜んでいた。普段家にいる私は、そう言われると一言もなかった。
昼は焼きそばを作り、夕食はウインナソーセージとブロッコリーのボイルしたもの、そして種類の豊富なサラダを拵え、ドレッシングはレモンを絞り、バジルを混ぜた夏向きのものを作った。にんにくは入れない。
夜は明日の句会のために、普段は、収集日の朝でも間に合うごみの整理を、夜になってしたので、バタバタとした。
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| 2011年7月12日(火) |
| 福沢諭吉の『学問の進め』 |
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昨日の「あんばら庵」の日記に、自分の言葉で、と書いた直後、テレビをつけたら、NHKの、確か「歌うコンシェルゼ」という番組で、福沢諭吉の書、『学問のすすめ』の紹介をしていた。
耳に残った言葉は、「自分の頭で考える」であった。風呂を炊くのも薪を割るのも、学問だ、とこの書の書き手は言う。何だか嬉しくなった。大学に行き、机の前で、髭を生やした教授の講義を聴くだけが学問ではないのだ。是非、この書『学問のすすめ』(慶応義塾大学出版会刊)を読んでほしい。
さて、今日はお掃除のMさんといっしょに、居間と食堂の座布団そしてクッションのカヴァーを全部夏物に取り替えた。古い物は洗濯して干した。晴天なので綺麗に乾いた。ストーヴの掃除もした。ゴミが溜ると、最近の物はコンピューターが作動しなくなるのだ。便利になったようで我々主婦の末端の仕事は、反って多くなっている。昔は主婦の仕事を「おさんどん」と言って、蔑視の感があったが、最近は重要視されている。学ぶことは沢山ある。
Mさんが帰った後、のんびりと昼食を取り、午後は読書をした。明後日の句会のために、作りかけの句の仕上げもしなくてならない。自分の頭で考え自分の言葉で韻文である俳句を作る。頭も体も動かしていると、1日があっというまに経ってしまう。
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| 2011年7月11日(月) |
| 震災については、ともかく自分の言葉で語る |
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地震があった3月11日、我が家のある鎌倉市はすぐに停電した。もちろん炊飯器は動かない。私は鍋で米をとぎ、ガスの火で御飯を炊いた。鍋はホーロー引きの鍋で、何とか炊けたが中ぐらいの出来だった。それを朝飯の残りのたらこと梅干を入れて、おにぎりにした。まだ日差しのあるうちだったから、手元は見えた。そのうちに暗くなった。蝋燭を灯し、電池で動くラジオのニュースを聞き続けた。家族の消息は不明で、息子一家、娘一家の消息も分からなかった。電話は回線が混雑して繋がらない。ラジオの声は東北地方の被害の様子を伝えている。何一つ考えがまとまらなかったが、連絡のもう1つの手段、携帯のキイを打ち、メールを送信し続けた。
まず「私は大丈夫です。そちらはどうですか?どこに居ますか?連絡ください」と書いた。娘と、息子の奥さんには間もなく繋がった。事務的な言葉だったが、言葉が送信されて受信されたのだ。家族の安否も、午後8時には分かった。おにぎりと家族への言葉。最初の日はそれで精一杯であった。言葉は文学や芸術的でなくても良い。大切なのは心が繋がるということだ。そのために、平素の考える力、言葉が豊富になる読書は、頭脳のトレーニングとして大切になる。
……、しかし、ここまでは家族、身内の話である。東北の被災者、見ず知らずの人たちに、どんな言葉を伝えれば良いか、それはとても大変なことで、適切な言葉はすぐに見付からないが、とても重要なことでもある。ともかく自分で考える。自分の頭で考え、自分の胃の腑にストンと落ちた言葉を見つけるのが良い、と思う。
付け加えるが、この夏孫たちと「アンネの日記」の芝居(劇団民芸公演)を観ることになった。いつものお仲間との観劇の場所が、孫たちの家の近くになったのを知らせた結果、幸い部活の日とぶつからず、行くという話になった。孫は2人とも女の子だから、アンネの心の声をどう受け止めるか。自分の言葉でどういう感想を述べるか、楽しみである。
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| 2011年7月10日(日) |
| 梅雨明けのニュース |
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昨日、出かけている間に、梅雨明けが発表されたらしい。例年より、12日もしくは13日早いとのこと。自然界の事ゆえそういうこともあるだろうと思うが、地震から4ヵ月めのことで、何となく不気味に思う。そして、(このまま9月の末まで暑さが続くのかしら?)と不安になる。
それでも日曜のミサには行った。所属している国際交流団体、チェサピーククラブのお仲間の1人が亡くなった。まだ60代の若さである。そのK・Y子さんのために祈りたいと思っている。
聖堂に入ると、今日から冷房が入ったと分かる。贅沢は言えないが、やれやれ助かった、という気持ちになる。教会に行くついでに、近くのクリーニング店に衣類を運んだりして、汗を掻いてもいた。帰りは引き取りの衣類を持って帰らなくてはならない。家族が居ないと、代わりの仕事が増えるのだ。しかし、会社に着ていくYシャツぐらいは、パートナーとして心に留めなくては、と思っている。
神父の話も、震災から4ヵ月です。という言葉から始まる。明日の11日の2時46分には黙祷する、という言葉には説得力がある。あの日は寒かったのに、もうこんなに暑い夏になってしまった、という思いが湧く。時間の恐ろしさ。「忘れないように」という神父の言葉を噛み締めたいと思う。
さて、帰宅して、ありあわせのパンで昼食を取り、ソファでごろごろしていたら、「ただいま」という声が聞えた。
早くても夕方、と思っていた家族が、山梨県の宿のチェックアウト後、真っ直ぐに帰ってきた、と言う。 慌てて起き上がり、和食党の家族のため、炊飯器のスウィッチを入れた。
先日書いた、三田文学会会報は、三田文学夏季号と共に昨日届いていた。拙文は「編集部への手紙」というタイトルで、会報の2ページに載っている。その反響が今日2件(電話)あった。三田文学でも、秋に震災についてのシンポジュウムが行われるとか。
「言葉はどれだけ力になるか」というテーマが組まれている。まさにその通りだ。考えなくてはならない。
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| 2011年7月9日(土) |
| 新国立劇場小ホールへ |
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今日は1人、と言っても、新宿から特急に乗る家族と途中まではいっしょにに行った。新南口の近くのデパートの蕎麦処で2人で昼食を取り、それから別々のコースを取った。新宿駅の分かりにくいのは承知していたが、国立劇場のある初台駅に行くために乗る、京王新線の地上入口が、新南口からはやや遠かった。駅員、通行人に道を聞いたり、ホームに降りてから、右も左も電車が来ていたので、「どちらに乗るのか」と若い男女に聞いたりした。急いでいたので、壁にあるボードに、初台→、とあるのが見えなかった。ともかくそれで、開幕10分前に受付に到着した。お仲間は私を入れて11人集っていた。
演目は、青木豪さん書き下ろし作品の「おどくみ」で、演出が宮田慶子さんである。宮田さんは、このK大演劇部出身のお仲間の先輩の娘さんで、現在は新国立劇場の芸術監督になっている。今日の観劇会はその応援も兼ねている。書き下ろしの芝居は、横須賀市のお弁当屋さんの厨房が舞台で、その家の家族のすったもんだの騒ぎが描かれている。時代は、まさに昭和天皇が崩御した頃で、まだ昭和の古い家族制度の残る家庭劇が展開する。
小説で言えば私小説的な話、と感じながら観たが、休憩時間にプログラムの経歴欄を読むと、その通り作者はその頃に学生さんであった世代と分かった。昭和と平成に跨る世代の物語と言っても良い。若い人の作品と言っても、日本の中の話で分かりやすかった。主演は、高橋恵子、小野武彦、根岸季衣他。コンピューターを使った鳩の映像(時に数羽で穏やかに、時に大きく激しく飛ぶ)が、家族の揺れる内面を象徴し、印象的だった。終了後、宮田慶子さんと軽食を取り、皆でお話をした。
帰路は、湘南新宿ラインに乗り、鎌倉へと真っ直ぐに向かった。
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| 2011年7月8日(金) |
| 何故か血圧が高い |
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このところ、家の中の整理整頓をして良く働いて汗を流している。汗は体内の塩分を放出するから、夏はいつも調子が良かったのだが、今年は少し血圧が上昇している。地震の後から、時々こうなる。検査の結果も良かったし、大きな心配事はないのだが、何故だろうと首を捻っている。
今日も近くのクリニックに行くと、平均値より少し上っていた。困ったことだ。原因を色々と考える。社会の、節電、節電という声も耳に入り、こちらの行動にストップがかかる。高齢者は熱中症になる率が高いから、冷房を使いなさい、と使用を勧めている人もいると言うのに、何となく我慢して、窮屈に暮している。それに、今までは息抜きとして観ていたテレビの番組が、大きく変った。震災、津波、原発事故、被災者、避難所の暮し、そしてその人たちを支える国のリーダーとしての政治家たちの混乱、などが、毎日毎晩放送されている。では、と、娯楽番組へとチャンネルを回しても、空虚に感じることが多く、憩いにはならない。それならば庭に出て草むしりをしている方が良い、と思うが、暑さと高齢の衰えで、炎天下に作業も出来ない。それこそ、熱中症になってしまう。テレビは観ないようにしよう、と考える。10ページでも本を読んで心を鎮めよう。国の大事から逃げるわけではないが、堂々巡りの問題解決、政局停滞のニュースは観ていて知らないまに体に障っている、と思われる。
他の理由としては、明日は家族が社員旅行なので、1人でいつものお仲間と新国立劇場の小ホールで観劇をする。それで緊張しているのか。「神経細いなあ、しっかりしろよ」「分かっているよ」と自問自答する。
外から帰って、去年買っておいた除草剤を裏庭と塀の外に撒く。それでも2パック散布すると、汗を掻いた。
午後3時過ぎから、一か月ぶりのはり治療に行く。はりの後はいつも血圧が下がる。
帰宅してからは、静かに読書をした。
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| 2011年7月7日(木) |
| 七夕飾りはせず |
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朝より、2階の納戸の整理をする。そう広い家ではない上に、本が所狭しと置いてあるから、服をきちんと並べておくスペースがあまりない。と言っても、この季節になれば夏物を着なくてはならず、やむなく整理をすることになった。まだ着られる物は置いて、要らないものは捨てようと思っても、捨てる袋に入れた物は3枚だけで、あとはまだ捨てる気にならなかった。整理人としては失格だろう。昼近くまで汗を掻いて、冬物のセーター類などはともかく仕舞った。
午後、Tスーパーのお直しの店に行く。ちりめん風の黒いパンツのウエストを直してもらうためだ。前に頼んでおいたスカートは、1日早かったが出来上がっていた。2度手間にならず助かった。しかし、このスーパーの上階に以前あった薬局が無くなっていた。家族に、バンドエイドを買っておいてくれ、と頼まれたのだが、買えなかった。暑いのでそのまま電車に乗って帰宅した。筋トレなどの体操は10分だけした。
夕方涼しくなってから、近くの薬局まで散歩し、バンドエイドを買い求めた。暑いせいか疲労なのか、家族の足が靴に当るようになっているらしい。毎日出勤なのに、靴が当るのでは気の毒だ。
夕食は、豚のステーキに大根おろし、などを用意した。そんなわけで、七夕飾りもしない1日となった。東北の被災者への祈りは、教会ですることになる。申し訳ない!
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| 2011年7月6日(水) |
| 植木ごみを出して |
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朝も1人で食事をした。しかし、水曜日は植木剪定ごみを出す日で、のんびりとは出来なかった。スーパーのレジ袋から言うと、3~4倍はある大袋を2個収集所まで運んだ。なんども書いているが、家は路地の奥で、収集所までの距離は約100メーターある。1度往復してもう1個を運ぼうとした時に、裏口のアオキが徒長しているのが気になった。幸い大袋には少し空きがある。植木鋏を取り出し、徒長したアオキの枝を20本ほど切り、袋が満杯になるまで詰めて、それから運んだ。裏口の周辺も、私の心もさっぱりした。しかし、雑草は取っても取っても生えてくる。風呂場の裏には除草剤を撒こう、と思っている。また腰を痛めたり、神経痛になったら大変だから。
午後2時頃、つまり1番暑い時間帯に、買い物に出た。暑いから日傘を差し、往復電車だが、降りたところから少し歩く鮮魚店に行った。昔風の魚屋さんで、観光客にも人気があり、いつもは混んでいるのだが、暑さのせいか、1人も客が居なかった。塩焼きの鯵、干物、たらこなど4種類ほどの魚を買った。それから、近くのスーパーにも寄った。そのUスーパーでは、ここ数日、ポイント・カードの切り替えを呼びかけている。Kという大手のデパートのカードに変わるらしい。合併するのか、吸収されるのか、分からないが、そのうち分かるだろう。スーパーの中は涼しかったので、カードの切り替え手続をした。ポイントは、19日以降に移行してくれると、係りの人が言っていた。こんな時も、ぼんやりとして先方の言いなりにならないように、注意しなくてはならない。金券発券などの、システムが多少変わるようで、その説明もしてくれた。
夜7時、家族は無事に出張から戻って来た。現地はとても暑かったそうだ。
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| 2011年7月5日(火) |
| 「女川市のFMラジオ局」の話 |
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朝、7時台ににわか雨が降った。それもかなりの量だった。真夏のような暑さでも、まだ梅雨明けしていないのだろう。
日中は、友人との昼食会、二次会と過す。その感想から、自分のことを棚に上げて書かせてもらうが、高年齢同士でも、個人差が大分出てきているように思える。友人のふとした動作にショックを受け、歳を知らされるが、人は人、我は我、と思って、人様の状態に引き込まれないようにしている。先日(6月23日)書いたように、100歳でお元気な方も居るのだ。ともかく生きる、という方向に目を向けていきたい。
夜、家族が出張なので、1人でNHKの「クローズアップ現代」を観た。女川市のFMラジオ局で活躍する男女1人ずつを、カメラは追っていた。
男性の方は、かつて「引き篭もり」をしていたと言う。しかし、その引き篭もっていた家が津波で流されてしまった。もう引き篭もることが出来ない。結果として、ラジオ局のマイクの前で、被災地の視聴者に語りかけるようになったという。女性の方は、津波で母が行方不明になっている。その母に語りかけるように、自分を勇気付けるようにマイクの前に立つ。胸を打たれるものがあった。今はこれで良いのかもしれないが、これから先の道のりには、色々なことがあるだろう。強く生きてもらいたいものだ。
しかし、引き篭もりが、その家を失う。そして外に出た。という話が心に何時までも残った。
なお、この放送の前後、和歌山県南部で、震度5強の地震があった。洗濯機騒ぎの時計はまだ動いている。
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| 2011年7月4日(月) |
| 大事な腕時計を洗濯機に! |
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暑さボケをしていない、と思っていたら、朝起きぬけから大きなミスをした。昨晩、電話で受けた来客のことを考えていて、少々寝つきが悪かった。十分におもてなしをさせてもらいたいが、何分この暑さである。外での昼食ぐらいならこなせるが、その後拙宅に来ていただき、さらにおもてなし、となると、事前の掃除など負担が大きい。それに、最近、近い年齢の知人友人には、ご主人を亡くされた方も多く、生活のリズムが異なる人もいる。
……、そんなことを床の中で考えて眠り、朝も思いを残しながら、ボーっとしていた。顔を洗う時、腕時計を濡らすまいと、パジャマの胸ポケットに入れた。そこまでは始末が良かったのだが、洗濯機を回そうとして、家族のパジャマを洗槽に入れた。そして流れ作業のように、服に着替えた後の自分のパジャマを洗槽に入れた。洗剤を入れてスイッチを押した。洗濯機は音を立てて回りだした。1度寝室に行き、出かける仕度をしている家族の背中を見て、はっと気付いた。
「大変、私時計を壊した!」
もう駄目、と思ったのか、そう叫んだ。時計は数年前に、外国の免税店で買い求めた貴重品である。すぐに洗濯機のある場所に走り、(5メーターぐらいか)パジャマの薄いグリーンの色を探した。すぐに見つけた掴んだのはあいにくズボンの方だった。さらに上着を探し、必死で掴んでポケットを探った。固いもの、つまり時計が入っているのが分かった。取り出している頃、家族も心配して近寄ってきた。すぐに乾いたタオルで拭いて乾かした。時計の針は8時15分で止まってはいなかった。乾いた布で何度も拭いた。その1・2分の間にも、時計の針は動いていた。水中で回っていたのは、約3分か、2分か、そんなものだろう。ウオーター・プルーフ機能が付いているか、確認したこともなく、ただ若い頃初めて腕にした古い時計と同じに、「濡らしてはいけない」とばかり思い込んでいたが、……幸い、洗濯機の水の洗礼を受けた私の腕時計は、まだ動いている。
夜眠れなかった心配事の後日譚だが、午前中に先方に電話をしたら、「前日に自宅近くの駅の階段で転んだ、今日これからレントゲンを取ってもらいに行くの。そんなわけで、そちらに行くのは中止にしましょう」
という話だった。「何しろお暑いですから、お大事に。」と言い、私は正直ほっとしていた。
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| 2011年7月3日(日) |
| 日曜のミサも節電 |
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毎年聖堂には冷房が点いていた。設定温度は高かったが、それでもいくらか涼しかった。今年はそれがなくなった。窓は全開してあるが、家から歩いて行った暑さが残っていて、席に座ってからも汗が流れ続けた。それでも、ミサはいつも通りに進行した。C神父は先週、被災地の宮古市まで行って来たそうで、その話をしてくれた。途中まで電車を使っても、被災現地に行くには、車がなくてはどうにもならないそうで、その地の神父が時間を割いて、車で同行してくれたと言う。その道中、「頑張れ、××~」と書いた幕が張られているのを見て、その神父は、
「私は、頑張れ、という言葉があまり好きでない。被災者は、これ以上どう頑張れというのですか、と言っている」
と言っていたそうである。言葉で、人間の心を表現する者として、何かもっと適切な、希望を与える言葉はないものか、と考えさせられた。宗教に携わる人びとの、被災地での活躍にはエールを送りたい。
午後は久しぶりに車を出して隣の市に出かけた。先日の電車の混雑に懲り懲りしたのだ。往きの道路は特に渋滞もなく走った。帰りはさぞ混雑するだろうと覚悟をしていたが、混んでいたのは反対車線で、家に向う道路はとても空いていた。それで予定より早く家に到着し、何だか得をしたように思った。夜の我が家の食堂も、窓を開けて、冷風機のスウィッチを入れるだけ、にしている。しかし、年よりはあまり我慢をすると熱中症になるそうなので、そんな時はエアコンのリモコンを手にしようと思う。
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| 2011年7月2日(土) |
| 高枝切り鋏を取り出して |
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私の肋骨の痛みは良くなっているが、もう庭仕事は頑張れない。……と、思っていたら、休日の家族が物置から、高枝切り鋏を取り出してきた。テレビの通販番組でよく宣伝しているもの、と言えばお分かりだろうか。大分前に買ったものだが、錆びは出てなく、家族が使うと、高いところの枝が面白いように切れて下に落ちた。長い枝を小さく切って袋に詰めるのは手伝ったが、本日の庭仕事の主役は私ではなく、背丈と力のある家族であった。途中、昼食を取り、それからまた作業を始めるという、植木屋さん並の仕事ぶりであった。門の内外の落ち葉も掃いて集め、袋に入れた。
午後3時前に切り上げて、駅前Tスーパーまで、梅酒の小分け瓶を探しに行った。知人に自家製の梅酒を差し上げるためである。幸い1リットル入りの、そのまま使える物が見付かった。さらに、そのコーナーで土用に梅干を干す、竹製のざるを見付け、購入した。梅雨が明けてから、漬けた梅を干すのが楽しみだ。干すからこそ、梅干と言うのだ。余談だが、信州には干す作業をしない、梅漬けという名の梅干がある。子供の頃の夏休みに、連れて行ってもらった上諏訪の宿で、実家の母はこの梅漬けを切ったものに、砂糖をかけて食べていた。酸味の強い独特の味である。梅干はまさに日本の食文化の象徴だ。
エスカレーターを降りたところで、鎌倉ペンクラブのAさんにお会いした。お忙しそうであった。
一旦帰宅して、それから久しぶりに家族と外食に出かけた。帰りは夜風に吹かれながら、家までゆっくり歩いて、まだ開いていた八百屋さんに寄り、またぶらぶらと歩いた。
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| 2011年7月1日(金) |
| 今日から7月 |
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右肋骨の痛みが取れないので、思い切って整形外科に行き、レントゲンを取ってもらった。整形外科は、一昨年の大腿部神経痛の時に世話になった病院ではなく、JR駅に近いS病院である。レントゲン室もこの病院の方が大きい。内科など他の科があるので、そこに時間などの確認のため電話をした。すると、受話器を取った人が、「病院名がだいぶ前に変わりました、いまはS病院ではないです」、と言う。しばらく行っていないので、びっくりした。がんの手術をした後、腕が上らなくなって、毎日のようにリハビリテーション・ルームに通っていたのだ。
新しい病院名は、近ごろ流行の、ふれあい、という言葉の混じった長い名前になっていた。しかし、診察券は古いものを持っていけば、新しく変えてくれると言っていた。
レントゲン検査の結果は、骨には異常なし。ただし、レントゲン写真には写らない軟骨を痛めているようだ。完治には10日ほどかかる、と言われた。なるほど、そういう場所を痛めることがあるのか。中くらいの変な痛み、という感じは当っていたのだ。湿布薬をもらって帰った。一先ずほっとしてソファで眠ろうとしたが、暑くて眠れなかった。夕方、電話2件。どちらも短い電話ではなかった。電話が済んでから、約30分散歩をした。留守電、のボタンを押して出かけたので、その間に家族から電話があったようだ。帰りが遅くなると言う連絡、と思われる。その後1人で夕食を取った。
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| 2011年6月30日(木) |
| 万願寺のとうがらし |
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晴れて暑い。梅雨の最中とは思えない。多少の湿気を除けば真夏に等しい暑さである。こんな時、食欲を増進する食材がある。京野菜の、万願寺のとうがらしである。網であぶってそのまま、もしくはしょうが醤油などで頂くと美味しい。市販のしし唐より少し高くつくが、味わいがある。ビタミンCもあるらしい。香辛料の入ったもの、辛いものは食欲をそそるが、年寄りだからカレーを毎日食べるわけにもいかない。みょうがや大葉を刻んで冷やっこ、冷麦、ソーメンをいただくのもよい、または芥子で冷やし中華をいただくのもよい。
今年は、原発事故以来、野菜の産地がとやかく言われるようになっているが、私は市販されている野菜は何でも買っている。30年後に、影響が出るといわれても、それまで生きていられるか分からない。
ところで、肋骨の痛みはまだある。深呼吸やくしゃみでは痛くないが、高いところのものを取ろうとすると痛い。中くらいの変な痛みである。洗濯物を竿に干す時が辛い.それでも汗をかくから洗濯物は大量で、干す量も多い。
この夏、エアコンを付けないで節電するのも良いが、あまり暑いと読書をしても、ページがめくれなくなる。頭がボーっとしてくるのである。これは、こちらの集中力のなさから来るのだと思うが、こんなふうに「暑い、暑い」で7月、8月、そして9月の終りまで過したくはない。夜風が吹いたら、静かに本を読むことにしよう。
昼ごろ、リフォームの会社の人が来て、少し話をした。職人気質が無くなり、会社の営業マンという感じの人である。今はこういう人が動く時代なんだ、と分かっているが、何となく疲れる。午後はJR駅西口のKスーパーに行き、宅配を1件頼んだ。
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| 2011年6月29日(水) |
| 6月の最高気温 |
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朝から暑い。このところ雨は降っていない。テレビのお天気キャスターは、「6月でこの気温は平成×年以来です。」と叫ぶように言っている。計算すると15・6年前かしら?その頃何をしていたかしら?などと考える。肺がんの手術前だったか、後だったか、それによっては感じ方も違っていた筈だ。しかし、ともかく私はキャンサー・サヴァイヴァーとして生き延びている。熱中症も、年齢に関らず発症するらしいから、気を付けないといけない。……こんなことばかり考えているのがストレスになる、と近くのクリニックの医者は言っていた。報道が注意を呼びかけるのは良いが、あまり煽るのは良くない。余計に暑くなってしまう。
今日はテラスを覆う屋根の樋とポールの高さを調節すする職人が来る。昼に来て午後3時には大方終った。ポールの高さの調節は、地面を掘って土台のコンクリートを削るので、もっと時間がかかるかと思っていたが、案外早かった。ホースで水を流し、流れ具合をテストをした。実際には大雨が降ってみないと分からないが。
職人が帰ってから、お中元の注文書の封筒、郵便小包、葉書の返信を持って、街の郵便局の本局に行った。日差しはもの凄く、帽子を被り日傘を差して行った。帰りのスーパーでの買い物も少なめにしたが、片手に日傘を差すと、片手で荷物を持つことになり、電車に乗っても結構汗をかいた。帰宅後、汗かきついでに、WIIふぃっとのプレートを持ち出して、CDを挿入しエクササイズを始めたが、記録上14分でギブアップした。水分補給をしひと休みした。何にしても暑い。家族も暑いので早く帰ってきて、ビールを飲む。
ちなみに、水分補給の話だが、ビールでは本当の意味の水分補給にはならないそうだ。脱水症状には、ただの水が1番とのこと。ビール党の皆さん、ご注意を!
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| 2011年6月28日(火) |
| 新しい短編の構想 |
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梅雨明けはしてないし、政府が節電をうたう猛暑の夏を前に、憂鬱になればキリがないが、肋骨に少々の痛みがある以外は元気である。痛みもやや軽くなり、普通に家事その他をこなしている。
お掃除のMさんが来てくれたので、前半はいっしょに働いた。Mさんは「この家は、風通りが良いですね」と言ってくれた。節電対策で、荷物を少なくしているからだろう。しかし、まだまだ暑くなり、難渋することもあるだろう。脱水症を防ぐために、ベッドのかたわらに水の用意もしなくてはならない。
街の紫陽花観光の混雑は続いている。午後その中を買出しに行く。今夜は久しぶりにチキンカレーを作ろうと思う。昨日観たテレビ番組では、カレー味の氷、という食べ物があった。冷たいカレーを作るわけにはいかないが、カレーは暑いときの食欲増進のメニューである。
帰宅して煮始めた。火を点けている間はそばを離れられない。散歩にも出られない。止むをえない、ということで、煮ながら、WIIふいっとの筋トレとヨガを始めた。15分に1度ぐらい、鍋の中を見に行けば何とかなる。45分ぐらいのエクササイズの間、2度キッチンに走っていっただけで、居間で十分体を動かすことが出来た。最初のうちは、肋骨が痛むから、抑え目にしようと思っていたが、動かしているうちに欲が出て、いつもと同じメニュー(スクワット、腰掛けのポーズ、太陽礼拝なども)をこなした。汗をかいたが気持良かった。
ところで、新しい小説のヒントが湧いてきている。まだ結論が出ていない小説が編集部に1編あるのだが、それはそれとして、湧いてきたヒントや構想は、言葉に変えていかなくてはならない。(と、思っている。)タイトルはHが頭文字で、これはほぼ決っている。猛暑対策、家族のことも考えて、無理しないで、言葉を紡ぎ、良い織物に完成させたいと願っている。
湿布はまだ貼っている。
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| 2011年6月27日(月) |
| 筋肉痛ではなく、骨が痛い |
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昨日は、竹の新芽を、園芸用の両手鋏で切り、筋肉痛が出たと書いたが、落ち着いて触ってみると、肋骨の下の2本目ぐらいのところが痛い。折れたとか、ひびが入ったというほどではない、と思うが、力を入れる時に負担がかかったと思われる。若い頃聞いた話では、老人は咳をしただけでも骨が折れることがあるらしい。その時は「へえ」と思っただけだったが、それに近い症状があったのかもしれない。今のところは湿布を貼って様子を見ている。しかし、他に何処が悪いわけではない。比較的元気だから、いくら新芽で柔らかくても、竹などを切ろうという気持ちになるわけだ。
午後、Tスーパーの5階の「修理、お直しの店」に行く。出来上がった物、2品を引き取る。奥の方が、仕事場になっていてしっかりと仕事をしてくれる場所だ。(ちなみに、以前、服のお直しを頼んでいた近所のAさんは亡くなった)良い場所を見付けたが、スーパーの中にあるにしては、やや高めの値段である。
帰宅してメールを1件送る。数日前に、乃井とおる著『海馬の懐』(デジタルパブリッシングサービス)が届いた。氏は大阪市在住で、上梓されたのは宗教哲学の書である。梅酒、梅干漬けに追われ、返事が送れたことをお詫びした。夜には、元のぞみ会会長M、K氏と電話で話した。話題は主に、先夜会食したU・K氏のことだった。
入浴後に、痛む場所に新しい湿布を貼った。
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| 2011年6月26日(日) |
| ミサの帰りに、紫蘇を買って |
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朝、入浴して洗髪をした。とても気持ち良くなった。
それから食事をして日曜のミサに行った。入口に立っていらした広報のO・S子さんのレンガ色のドレス姿が印象的だった。今日はミサ中の聖書第一朗読を担当されると話していた。今日は聖体の日で、神父はいつも拝領する聖体は、主キリストが人々を救うために捧げた命の、肉と血である、と改めて話した。そして、被災地の人たちへの応援と祈る気持ちを付け加えた。ミサの終了した後に、宮古市のカトリック教会から戻ってきたという若い女性信者さんの体験談も聞かせてもらった。
さて、教会の帰りに、真っ直ぐに家に帰らず、陶器店に寄った。漬けた梅の水が上ってきたので、重し(出来合いのもの)を少し軽くしようと思って行ったのだが、すでに軽めの重しは売り切れていた。まあ仕方がない。しかし、考えてみると元々の重しはそう重いものではなく、甕の蓋の重みがプラスされて、ちょうど良かったくらいなのだ。もう、梅は沈み込み、蓋は普通に閉まるようになっているから、重みはかからない。今の物でちょうど良いのかもしれないと考えた。その帰り、青果店の前を通った。まだ紫蘇(赤いもの)が出るには早いのかと思ったが、聞くだけと、店主に「赤い紫蘇はまだかしら」と言うと、「あるよ。裏にもう届いている。持って行く?」という答えが返ってきた。
結局それを2束買って家に帰った。
それから葉を枝から1枚ずつ切り落とし(結構時間がかかった)、水洗いし、少し乾かしてから、約200グラムの塩で揉み、赤黒い水はきつく絞って捨て、(洗わずに)あくをすっかり出してから梅の上に乗せた。重しと蓋を乗せてやっと終った。
家族が(私も)おなかを空かせていたので、休まずに冷ソーメンを作った。茗荷などの薬味が食欲をそそった。
午後、庭の雑草取りに励む家族を置いて、私は1人で買出しに行った。買い物の量は少なく、散歩のつもりで往復を歩いた。夜までに万歩計の数字は7000数100歩になっていた。付け加えるが、夕方、庭の塀際に、天を突くように延びてしまった竹の新芽を、両手バサミで切った。ずっと気になっていた。7・8本は切ったか。新芽のうちは柔らかいので、私の力でも切れる。それを細かく切って大きなヴィニール袋に詰めた。
しかし……、夜になって…、肋骨の下辺りの筋肉痛が出た。年寄りの冷や水だったか?
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| 2011年6月25日(土) |
| 山形よりさくらんぼ届く |
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朝に山形の知人よりさくらんぼが届いた。包みを開けると綺麗な粒が列になって並んでいた。初夏の明るい色である。朝から気温の高い日だったので涼しい気持ちになった。山形のI・A子さんはお元気かしら?と思う。もう何年前になるだろうか?山形旅行に行き蔵王のおかまを見学し、山寺にも昇り、リンゴ園で美味しいリンゴを いだ。泊ったのは確か、天童市の温泉旅館だった、と記憶する。懐かしい思い出だ。さくらんぼは2日ぐらい置いた方が良いと思い、冷蔵庫に仕舞う。
休日の家族は庭の雑草取りを始めている。いつも書いているが、この雑草取りは家族が取りたい雑草(主に芝生の中の細かい雑草)を取っているので、私が取って欲しい雑草(どくだみなど、丈のある雑草)ではない。塀際には竹の新芽も延びてきている。新芽のうちなら柄のある鋏で容易にカット出来るが、延びてしまうと固くなり、のこぎりを使わないと切れなくなる。早いうちが処理しやすい。
しかし、私は外の仕事を横目で見ながら、家の中でもう着なくなった厚手の服を片付け始めた。クリーニングはしてあるが、二階へ運ぶので、体調の良い時でないと運べない。1時間ほどで何とか整理が出来た。どんどん暑くなるので、どの部屋も荷物や道具を少なくし、風を通さなくてはと思っている。ともかくきちんと片付いているだけで涼しく感じる。
さて、山形のIさんにわが町の菓子を送ろうと、江ノ電に乗ったら、紫陽花観光の人が多く、四両の車両がどれもラッシュアワーのような混雑ぶりであった。まあ、大震災で沈滞していた人々の活気が戻ってきたわけだから、文句は言わないことにする。紫陽花の花を愛でる人びとは悪い人ではないだろう。しかし、混雑の中に居ると汗を書くので、髪の毛を洗いたくなり、忙しくて洗えないと、苛々する。夏は風呂の中では洗髪しない、などとは言っていられない。しかし、夜は久しぶりにビールを飲み、結局風呂では洗わなかった。洗髪は明日に持ち越しだ。
甕を覗くと、漬けた梅の実からは水が上ってきている。あまり蓋を開けないようにしているが……。
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| 2011年6月24日(金) |
| 古い日記を読む |
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このところ、雨戸のリフォーム、屋根の修理の職人が入っていることは書いた。そのことで、1・2年前に物干の乗っているトタン屋根の修理をした日付と、その時の業者の名前を調べることになった。雨どいや外壁などは、足場を組む場合と組まない場合と2通りある。足場を組むことになると、途端に予算が跳ね上がる。つまり、そんな事情もあり、大学ノートのメモ日記(コンピューターに打ち込む前の走り書きだが、貴重な記録)を繰り始めた。もうこの走り書きノートは5・6冊になっている。現在使っているノートにはその記録がなく、1つ前のノートの最後のページ辺りで、やっと見付かった。その職人は地元の職人で、去年の四月の始めに工事に来ている。名前も苗字だけだがきちんと書いてあった。良くメモをしておいたものだ。1年2ヵ月前だと、詳しいことはすっかり忘れている。地元の業者と分かれば、もしも他の業者の見積もりが高ければ、そちらと交渉することが出来る。そう思った途端門のチャイムが鳴り、現場下見の業者が来た。小一時間かかってノートを調べた後なので、しっかりとした気持ちで対応することが出来た。自分で書いた日記と言えども、現実に役に立つと、別の物、別の力に思えてくる。
午後は、割引券をもらっていた足裏マッサージに行った。昨日のマッサージとは一味違う。しかし、2日続きのマッサージは初めてだ。お陰で夜は良く眠れた。エアコンは付けたり付けなかったり、である。
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| 2011年6月23日(木) |
| Uさんと会食、そして梅干漬けの話 |
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昨夜はUさんと私と、そして会社帰りに駆けつけて来てくれた家族と無事に会えた。横浜のデパートの一角でやや分かりにくいところであったが、Nという店に3人集合し、楽しいひとときを過した。Uさんは1911年のお生まれで、今年満100歳になる。しかし、足腰もしっかりしていらして、介添えの方もなく、電車やお足を使って来られる。お会いしてお話してみると、お耳は少し遠いようだが、お話はしっかりとされている。戦争中はフィリピンとラバウルに出征していたとのことで、ほんの目のまえで、3人の軍友が地雷で吹っ飛ばされた時の話を聞かせてもらった。
「私は運がいいのですよ」と繰り返されていた。紙一重の違いで、木っ端微塵になるかならないかの運命を痛感しているご様子だった。そして、話は元のぞみ会へと移った。急死されたN医師とは亡くなる5日前に診察室でお会いしていると言う。その時、
「あんなに機嫌の悪いN先生は初めて見たよ。きっとご体調が悪かったんだろう。惜しい人を亡くした」と残念な表情を見せていた。そして、
「100歳にもなると、同じ年頃の友人が皆亡くなってしまったので、元のぞみ会の有志の集まりがあったら、ぜひ声をかけて下さい」
と言っていた。元のぞみ会会長のMさんに伝えなくてはならない。それから家族の仕事の話になり、色々と話しているうちに、偶然にも戦後の一時期、同じ商品を扱っていたと分かり、共通の業者の名前も飛び出し、Uさんは大喜びした。家族は「そうでしたか」と驚き、「両親の供養になる話だ」と喜んでいた。Uさんは私がものを書くこと、先般お送りした拙日記『明日は晴れる』(冬花社刊)のことも良く分かっていて、このタイトルもしっかりと覚えて下さっていた。そもそもこの会合はその祝いを兼ねて、ということだった。世間は狭いものだ。色々と繋がりが出てくる。ご馳走して頂いた食事はとても美味しかった。横浜駅の西口でお別れした。しっかりした足取りで、東急東横線方面に歩いていかれた。貴重な方に貴重なお話を伺った、貴重な夜であった。
さて、1晩水に漬けた梅の実を、1個ずつ塩をまぶしながら、買ってきた陶器の甕に漬けた。N夫人に伝授してもらったとおり、甕も重しも熱湯で消毒した。上手く水が上ってくるか楽しみだ。
午後はKさんのマッサージに行く。帰ってから<WIIふいっとを15分だけした。夜は蒸し暑く、今年初めて寝室のエアコンを付けた。すぐに消したけれども。
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| 2011年6月22日(水) |
| 梅の実の豊作で、さらに仕事が増え |
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今年の梅は豊作である。それに粒がとても大きい。急いで取らないと風に落とされて地面に散らばる。木の下に潜って、ざるに取って水で洗う。この日記に書いたように、すでに梅酒を1瓶漬けてある。
今日は昼の部の教会と、夜の部の会合と、2つ用事を抱えているが、梅の用事がさらに増えてしまった。もう梅酒は要らない。困ったな、と、首を捻った時、去年お向かいのN夫人にご馳走になった手作りの梅干のことを思い出した。梅干が良い。梅干なら、災害時の保存食になるではないか。(若い頃。1度梅干を漬けて失敗したことがある)
早速電話をして、美味しい梅干の漬け方を伝授してもらった。かと言って、梅は1晩水に漬けるのだから、すぐに漬けるわけではない。甕や重し、そして良い塩などを用意しなくてはならない。歩いて10分ほどのところに古い品を置く陶器店がある。そこへ行って甕と重しを、そして出来れば塩も買いたいと思った。
教会に行く前に、そこに行って帰ってきたい。今日は忙しい日だが、梅の実は待ってくれない。梅干に漬ける梅は、少し熟したものが良いとされているが、地面に落ちてきた物はかなり熟している。幸い望んだ品物はあった。しかし、甕と重石では6キロにもなり重くて持てない。配達をしてもらうことになり。塩だけを買った帰った。
一休みをして教会に出かけた。刷り上った4枚のプリントを2つ折にして16ページの小冊子を拵える.中に一枚紙を挟む作業もある。250人分の広報誌を6人で完成させた。もちろん私はただの手伝いで、構成から作業をする人々がメインの活動である。三時ごろ終ってお茶をいただき、私は夜の部があるからと言って、先に失礼させてもらった。
家に帰り、着替えてJRで横浜に向った。Uさんとの会食は、明日の日記に書かせてもらう。
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| 2011年6月21日(火) |
| 100歳の方より電話 |
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朝、デスクに向ったいたら電話が鳴った。取るとやや聞き取りにくい話しぶりだが、「Uです」とお名前を名乗るお声が聞えた。
ああ、あのUさんだ、と分かる。元のぞみ会の会員の、最長老だった方だ。明日の夜の会合の確認であった。横浜で食事をしようという話になっている。家族も会社帰りに来ることになっている。「間違いなく行きます」と伝えた。足腰もしっかりしていらっしゃるし、ゴルフもなさっていると聞く。のぞみ会は、執刀医であったN医師が亡くなってから解散しているが、時々こうしてお声がかかり、元会員とお会いする。それにしても100歳の方からのお声に、嬉しいやら緊張するやら、とそわそわした気持になる。ともかく縁起の良い話なのだ、と思い、ふたたびデスクに向った。
昨日書いた、留守電の件の原稿をまとめなくてはならない。昼過ぎまでかかって、1500字ぐらいの稿を完成させた。小説ではないので、いささか複雑な思いがあったが、FAX送信をして、確認の電話を入れて、仕事は終った。
明日は、Uさんとの会合もあるが、その前にカトリック教会の広報の手伝いをしなくてはならない。前日に、明日の予定を考えて、プレッシャーを感じるのは、心配性の私の悪いくせだが、リラックスして行こうと思う。特に教会の手伝いは、検査の結果の無事を祈った時、必ず行くと神に約束したところだ。検査は無事通り、神は願いを聞き入れてくれたのだから、約束は守らないといけない。どんなプレッシャーも、苦労も、もう1度病気になるよりは増しなのである。分かっているけれど、人間は愚かだから、のどもと過ぎれば熱さ忘れる、ということになってしまう。でも、出来るだけ忘れないようにしたい。そんなことを考えながら、海岸通に新しく開店したケーキ屋さんまで散歩した。帰宅して、体操20分。
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| 2011年6月20日(月) |
| 休んで、また忙しく |
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土日の頑張りで、さすがに疲れた。ブルー・マンデーと言うより、グレイ・マンデーという感じである。
朝の家事のあと、「あんばら庵」の日記を2日分書いたら、もう頭が働かなくなった。昼食後、ソファでゴロゴロではなく、ベッドで眠った。1時間半で起き、濃いお茶で目を覚まし、Uスーパーまで歩いて行った。数日前にポイントが溜り、500円の金券をもらっていたので、使おうと思って行ったのだが、寝ぼけていたのか、レジでお金を払うときに提出するのを忘れた。スーパーを出てからそれに気付いた。何のためにこのスーパーに行ったのか!疲れると、頭が回らなくなる。
家に帰ったら、留守電にメッセージが入っていた。すぐに先方に電話をした。用件は何気なしに送った私の手紙を、会報に取り上げたい、とのことだった。少し戸惑いがあったが、承諾した。検査に通ったばかりの、まだ生きられる、という思いで書いた手紙だった。これもなにかの巡り合わせだろう。この件については、深く考えると、私の出身校の小学生時代にも遡る話になるので、その内容は詳しく書けない。表面は単なる没後15年の作家展の感想なのだが……。見学の日、こんなに澄んだ気持ちになれたのも不思議だ。突き詰めると、日記よりも小説の世界の話になってしまう。まもなく先方よりFAXが届いた。また忙しくなった。
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| 2011年6月19日(日) |
| 震災より100ヵ日 |
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日曜のミサに行く。震災の日より100ヵ日が経っている。神父はまだ何も解決していない。報道の量はだんだん少なくなっているが、忘れてはならない、と繰り返し言う。正直言って、現地を映すテレビの画像などからは、目を背けたい時もあるが、改めて忘れないようにしようと思う。
ところで、家を出る時に、家族から「今年は梅の実が凄いよ」と言われていた。そのせいか、ミサ中に、正面のキリスト像に向って祈っているにも拘らず、庭の梅の実の処理が頭に浮んで仕方がなかった。今日は、昨日の疲れもあって休みたいところだったが……、やむをえない。勿体ない精神の世代だから、梅の実を腐らせてしまうわけにはいかない。考えると、梅酒にしても梅干にしても、保存食になる。震災の後だから、これも大切な仕事、と言える。
けれども、問題は体力だ。ミサから帰って、まず、家の梅酒のビンを1つ空けようと、小さなビンに小分けした。何とか大きめの瓶が1つ空いた。それから家族と2人で、スーパーに行き、ホワイトリカーと氷砂糖を買い求めて帰った。2キロ強の梅の実を梅酒に漬けたのは言うまでもない。
その他は、夏の旅行のブランを考え、ネットで検索し、調査した。この頃はあまり我慢しないで、行くようにしている。行く先は国内、とだけ書いておく。
WIIフイットの筋トレとヨガ20分した。
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| 2011年6月18日(土) |
| 紫陽花観光で江ノ電は大混雑 |
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朝方に、息子夫婦より父の日の贈り物が届いた。要冷凍のうなぎで、とても美味しそうであった。
休日の家族は整形クリニックから帰ってきて喜んでいた。
さて、昼からはいっしょに藤沢市に行こうと思ったが、紫陽花観光客で正月並みの大混雑のなか、江ノ電に乗りたくない。車は大仏のトンネル付近が混むし、他県のナンバーの車も行き交うので、少し考えてバスで行こう、という話になった。もう1つJRに乗っていく方法もある。幸いバスは座れて、少々渋滞したものの無事に着いた。デパートの地下のKという店で、気に入りの出汁の素を1箱購入した。最近はこの小豆島産の出汁の味が気に入っている。後は、これからの暑い夏に備えての品(帽子など)を探した。日傘を差して歩くのも良いが、片手が使えなくなり、不自由になる時がある。貴婦人として歩くわけでなし、買出しの主婦として街を歩くわけなのだから。
2軒のデパートを歩いた結果、結構疲れた。それで、やや遠回りになるJRを使う帰路が面倒になった。大船駅で乗り換えなくてはならない。最近は節電でエスカレーターが停まっている。……と、思ったのが間違いであった。乗った江の電がもの凄い混雑で、上下線の入れ替えで運行している(入れ替え以外の場所は単線)電車が入れ替え場所で、もう一方の電車が来るのを待つ、待つ、それが何回もという次第で、下車駅に到着までいつもの倍の時間を要した。その上、長谷駅からの乗客が多くて、まさにぎゅうぎゅう詰めになり、梅雨時特有の湿気と共に息苦しくなるほどだった。
安全第一で車を出さなかったものの、家族と「これなら、車を出しても、良かったわね」と話したくらいだ。地震以後、しばらくは自粛していた(と思われる)観光客の反動エネルギーはもの凄い。
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| 2011年6月17日(金) |
| 晴れ間を見て散歩 読書 |
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曇り空で、時々降るという天気である。工事関係者の出入りは今日も1件あった。朝の九時ごろだったので比較的普通に対応が出来た。すぐに帰って行った。
それからデスクに向った。そう疲れてはいなかった。デスクの前に座ると、疲れの程度が分かる。
午後は晴れ間を見て、海岸沿いのY海浜公園まで散歩に行った。この公園は、普段は人や犬の散歩道になり、夏の花火大会の時には、満員の見物席になる場所だ。地震以来、海に近付くのが怖くて、足を向けなかった。海の怒りが何時起きるか分からないと思った。久しぶりの公園の芝生は、満開のクローバーの花に覆われて、穏やかな風景になっていた。海岸沿いなので高い木などはない。空と海と芝生、そしてクローバーのじゅうたんが何よりの景観だ。
帰宅して少し休息をした。夕方、美容院や買い物に出る前のひととき、読書をする。これもまた久しぶりの『奥の細道』である。高校時代に買った古い本もあるが、今日はその現代語訳も付く新しい文庫本である。ページをめくるごとに、言葉やイメージへの懐かしさが胸に溢れる。心が豊かになると同時に鎮まる思いになる。もちろん松尾芭蕉の老年の必死さも伝わってくる。
読書をしたとは言うものの、それからの外出の往復を歩いて、携帯の万歩計の記録では、今日一日で6500歩を歩いている。
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| 2011年6月16日(木) |
| 今日は、裏のどくだみを抜く |
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家族は昨夜遅かったが、久しぶりの人と飲んで話が出来たと喜んでいた。何よりである。
さて、紫陽花の話の翌日に、がらりと違うどくだみの話で恐縮だが、雨も降らなかったので気になっていた、裏の出入り口付近のどくだみを整理することになった。
今年はどういうわけか、このどくだみの元気が良い。丈も延び、葉も花もしっかりとしている。その花は真っ白で、日に映えてきらきらと光る。これだけ綺麗だと野の草、雑草とは言い難い、と思うこともあり、抜かずに温存していた。
しかし、昨日の水曜日(雑草をごみとして出せる日)に出会ったご近所の若い奥様が「今年はどくだみが多くて」と言って、大きなヴィニール袋を2つ出していた。中には、どくだみが一杯入っていた。その時、やはり我が家もどくだみを抜かなくては、と思った。このどくだみは、昔は腹下しの薬として重宝されたと聞くが、それだけにその匂いが強烈で、我慢出来ない。素手で抜いたりしたならば、手のひらや指先に何時までもその匂いが残ってしまう。それだけではない。周囲の他の植物のエネルギーを奪ってしまうとも聞いている。
昼食後、軍手を両手にはめて、どくだみを抜き始めた。マスクはしなかったので、途中その臭さに参ったが、200本近くを抜いて袋に入れた。しかし、この「あんばら庵」の日記にさんざん書いた、大きな球根つきの雑草とは違い、根本をしっかり持って引っ張るとすっと抜けるので、さほどの体力は要らなかった。腰を痛めるので、一時間で止めるつもりだったが、15分ほどオーバーした。しかし、綺麗になってさっぱりした。周囲の、芙蓉、ピラカンサ、つわ蕗、ぎぼうし、菊、(もう1つ名前の分からないオレンジ色の花)などは喜んでいるかしら。
そんなわけで、今日は特に歩きはしなかった。駅前の魚店まで往復電車で行っただけだ。いつも混む魚店は空いていたので、ゆっくりと吟味して何種類かの買い物をした。
夕方、家族から電話があり、テレビの録画を1つ頼まれた。メカおばさんは、忙しい。
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| 2011年6月15日(水) |
| 成就寺に紫陽花を見に |
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やっと人の来ない日になり、束縛されなくなった。午前中に家事とデスクの仕事を済ませた。
午後からカメラを持って、坂ノ下の成就寺に行った。紫陽花が満開の季節である。我が家からはこの場所が、紫陽花の名所としては1番近い。江ノ電長谷駅からは、少し歩き最後は極楽寺方面へ行く坂になり、その途中からUターンして石段をあがるコースだが、決してハードではない。何よりもこの寺の石段(上下)周辺の紫陽花は、種類が豊富で、清楚で艶やかで美しい。去年は三田文学の友人2人を連れて行ったが、今年は1人で歩いて行った。もちろん万歩計の付いた携帯電話も持った。幸いなことに、さほどの混雑はなく、評判の良いがく紫陽花の花のそばには、カメラを持った人が集っていたが、撮影が終ると次の人に場所を譲ってくれて、日本人のマナーの良さを改めて感じた。アップもやや距離を置いたものも撮った。極楽寺側からの石段を昇りきると、坂ノ下方面から由比ガ浜にかけての鎌倉の海が一望出来る。しばらくその風景を眺めた。まさに絶好のロケーションである。持って行ったのはデジカメだから、遠方が良く取れるとは思わなかったが、両側の紫陽花と遠方の海を何とかフレームに収めることが出来た。沢山の種類を見た中では、ピンクのやや小ぶりのがく紫陽花の花が美しく、可憐でもあり印象に残った。そのうちに、1番良い写真を、この「あんばら庵」のPICTURE欄に載せるつもりだ。
帰宅して、コンピューターに取り入れ、試しにスーパーファイン紙(葉書サイズ)にプリントした。写真用紙ではなかったが、なかなか良い色が出ていた。ピンク系も、白も紫もそれぞれの良さをかもしだしていた。撮りたて出来たての葉書をある人(女性)に送りたくなり、数枚を選んで手紙を添え、封筒に入れた。受け取った人は、紫陽花の花見をしたように思ってくれるだろうか。投函しがてら、夕方もう1度外出した。合計6500歩歩いたと記録された。
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| 2011年6月14日(火) |
| 朝目覚める時 |
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朝、目覚める時、まだ眠気が少し残っているよう時、思う。
(今日、しなければならないことは?)
それは、出かける用事だったら、時間に遅れないように、忘れ物をしないように、などと考えれば済むが、家に溜っている仕事の場合、先ず、優先順位をつけ、1・2、は絶対に遣る、3・4、は明日に回しても困るわけではないが、遣れるなら遣る、などと考える。もちろんこれは、食事、洗濯、掃除、買い物、コンピューターのあるデスクの仕事などの用事をした上のことである。返信の期限などある郵便物、銀行振込みなどは、出来るだけ期限を守るようにしている。家事や庭仕事はお天気などに左右されるから、予定通りにはいかないが、その分、家の中の仕事(読書を含め)が捗ることがある。付け加えると、小説を書いている時は、起き抜けに、探していた言葉が浮かぶことがある。
今日は午前中に、宅配便を1個作り、写真を同封した手紙を1通書いた。宅配便は孫のママの誕生祝なのだが、5日ほど発送が遅れてしまった。ただし、これは誕生日当日に電話をして、職人が来ていて、ゆっくり外出が出来ない、もう少し待って、と伝えてある。日にちに間に合ったからと言って、いい加減なことはしたくない。少しでも心を篭めたいのである。酒店での宅配手続き、と、ポスト投函が済んで安堵し、それからぶらぶらと歩いて、西口のKスーパーまで行った。相変らず店頭の花店の花が綺麗で、それが見たくて、行っているようなものだ。アロマティカスもまだ売っていた。買い物は少なめにして、夏らしく豆腐や茗荷その他を買った。荷物が重くなると、どうしても歩かなくなる。傘を差さない日は出来るだけ歩きたいのだ。
結局帰りは電車に乗ってしまった。それで夕方は、体操(筋トレ、ヨガ)を頑張った。記録上、43分になった。
家族の帰りは早かったが、珍しく食欲がなく、心配した。
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| 2011年6月13日(月) |
| 雨と雑草と闘う季節 |
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朝、家族を送り出した後、徒長して通行を妨げる梅や椿の枝を切り落とした。枝は量が多いので、ヴィニール袋がすぐに一杯になった。小雨の中、帽子を被っての作業でもあった。家に上って、それからデスクで昨日一昨日の、携帯紛失の事件などを日記に書いた。省略して書いたつもりだったが、思ったより長くなった。しかし、忘れないうちに書いておきたった。
午後は、予約してある美容院に行った。職人が来ていて、足止めになっていたから、髪の毛も延びてしまっていた。蒸し暑いので短めに切ってもらった。その美容院から家まで徒歩10分のところだが、急いで帰って来たら、もう家の前に見慣れた職人の車が停まっていた。土曜日の雨戸雨漏りの騒ぎの処置に来ている。職人2人と会社の人1人と、対応した。
帰る頃、集中力がなくなり、嫌になった。作業を、まかせっきり、というわけにも行かず、それなりに目を光らせるというのが疲れる。昔のように、気心の知れた職人さんと注文者という関係が薄くなっている。今の時代の人間への気配りが難しい。しかし、雨が漏る家を放置しておくわけにもいかない。修理出来ることは有り難いのだが、我慢の時間、を遣り過すのは難しい。ややこしい問題が1つ発見されたので、途中家族に電話して、話を聞いてもらった。
雨の季節、人間は自然闘わなくてはならない。地震や津波もまた自然の災害である。昨日のミサでもまた神父は、「大震災からもう3ヵ月経ちましたが、忘れないように」 と諭していた。
これくらいの我慢は仕方ないのか。しかし、我慢も体に障ることがある。美容院で読んだ記事に、皇室の話があった。雅子様もたくさん我慢をされてお体を壊されたのだろう。何となく気になる記事で、わが身のことのように思える話でもあった。
ちなみに、今朝娘からネット検索の旅行情報が1つ送信された。忙しいのでまだ詳しく読んでいないが。
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| 2011年6月12日(日) |
| 最初の英会話教師 |
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日曜のミサに行った。祭壇に向い、昨日のドタバタの報告と礼を言わなくてはならない。さらに先週はピアノの会でミサを欠席したので、検査の結果が良かったことも告げ、感謝しなくてはならない。と言っても声を出して言うわけではない。心の声の、神との霊的な会話である。日常生活に流され、いい気にならないためには、こうしてこの1週間もしくは2週間の自分を振り返ることは良いこと、だと思っている。
ここまでは、自分と神との間のことだが、聖堂の中には沢山の信者さんが、日曜のミサに参加するために集っている。その人たちとの話は、例え聖堂の中でも、人間社会の人間同士の話になる。
今朝は後部の席の人とたまたま話すことになった。そのIさんという方が市内Z町在住と知っていたが、不意に、私の最初の英会話教師J・I先生の話が出て驚いた。私はその頃まだ若く、Z町まで自転車でレッスンに通っていた。
そのJさんが今年の初め亡くなったと言う。数年はレッスンに通い、その後神奈川国際交流協会の英会話教室に変わった私は、Jさんとすっかりご無沙汰していた。ショックを受けるまもなくミサが始まり、会話は中断した。Jさんは私よりずっと若いし、あの頃お子さんも小さかった。今はお幾つになっているのか。改めてご冥福を祈った。
午後は娘が来ると言うので、家族と雑草を取りながら待った。ヘゴと水苔で拵えたセッコクを渡さなければならない。株分け当時は花が咲いていたのに、もう枯れてしまった。しかし、茎や葉は元気良く延びている。娘が来てから、今年の夏の旅行の話を少しした。我が家は特に何か計画しているわけではない。行くとしても国内旅行になるだろう。「また、良いところをネットで検索しておいてあげるわ」
と言って、娘は帰っていった。
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| 2011年6月11日(土) |
| 事件(トラブル?)2つ |
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事件・1
朝、7時過ぎ、施行したばかりの新雨戸の上部敷居の辺りから、大量の水が漏っていることに気付いた。家族を起こし、すぐにデジカメで写真を撮り、業者の携帯に電話をかけた。しかし、繋がらなかったので、メールを送り、ついでに写真も添付した。たまたま大雨の朝で、施行完了の翌日に問題が発生して、不幸中の幸いと言えば良いか。間もなく業者から連絡があり、午前10時半には職人が2人駆けつけてくれた。とりあえずの応急処置をして、月曜日にきちんと仕事をすると言って帰って行った。
事件・2
昨夜分かったことだが、出張帰りの家族が「携帯電話がない」と探し出した。私もベッドから起き上がり、あちこちを探したが見付からなかった。携帯に電話をしてみても「ただいま、電波の届かないところに…」というメッセージのみ帰ってきた。
朝になって、前々日泊ったホテルその他、行った先に連絡をした。電話に出た人は「しばらく経たないと担当者が来ない」とか、「その部屋には現在別のお客様が…」などと言う返事があり、不明のままに時間が過ぎていた。
さて、どうしよう? 契約会社はDという会社だから、わが町のDの支店に電話をしてみる。電話口に出た人は、思ったより親切で、通話を止める電話の窓口、総合センターの番号を教えてくれた。携帯を無くした張本人の家族は、土曜日お昼で終るクリニックに行ってしまっている。相談をしないと、通話をストップして下さい、と言うわけにもいかない。しかし、停止を頼む場合、こちらの携帯番号を言わなくてはならない。エーと、その番号は?
それは私の携帯に打ち込んである。私の携帯を開き、(ちなみに私の携帯はA社のもの)家族の番号を控え始めた。11桁の番号はなかなかメモ出来なかった。発信、という文字が出たが、そのままメモをしていた。その時、発信、が受信され、「もしもし」という女性の声が聞えた。電話がかかり、それを取った人がいる。もちろん、それは家族の携帯だ。
その声も、きちんとした女の人の声である。一瞬にして私は、その人と話しても大丈夫、怪しい人ではないと判断した。
「その携帯電話を無くした者ですが、そちら様は?」
と言った。
「こちらは、Sタクシーです。そちらの携帯電話は、昨夜Sタクシーのドライヴァーが拾得し、現在Sタクシーの営業所に保管してあります」
「そうでしたか。有難うございます。すぐに取りに行きます」
本当に有り難かった。クリニックから戻って来た家族を車に乗せて、湘南モノレールのガードの見える、Fという町まで走った。営業所はそのF町のビルの2階にあった。2人でビルの階段を上った。受付の棚には、K大のスポーツ・ユニフォームを模ったストラップ付きの家族の携帯が置いてあった。頭を下げて礼を言い、携帯をもらって帰った。それにしても、地震以来数回しか車を運転していないのに、あっという間にF町に着いた。もちろんきちんと運転して帰った。人間、モチベーションがはっきりしているとしっかりするものだ。午後3時少し前に家に着いた。
考えてみると、今日は地震から3ヵ月目の6月11日である。2時46分に黙祷することも忘れ、車を走らせていた。明日は日曜のミサに行き、鎮魂の祈りと失せ物が見付かった感謝の祈りを捧げたい、と思う。
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| 2011年6月10日(金) |
| 夜半にかなり雨降る |
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昨日は晴れだったが、今日は少し曇っている。昨日中に済まなかった風呂場のペンキ塗りが、今日の午前中に持ち越された。 私はそんな中、孫のママに電話をし、「お誕生日おめでとう」と言った。「職人の相手で足止め状態なので、」と状況を話した。お祝いは先延ばしになるのだが仕方ない。職人が居る間、庭に出ることになって、玄関から門へのアプローチの雑草を抜く。芝生も張り出してきている。それも抜いてしまう。アプローチの土に芝生が張り出してくると、庭箒の先が芝生に絡んで、落ち葉の掃除が出来なくなる。箒を使いたい場所には、何もない方が綺麗に掃除が出来る。ついでに門の内側の木の葉もまとめたら大袋一杯のごみになった。
午後にリフォームの会社の人が来て、工事完了と告げられた。少し話をし、職人といっしょに帰ったのはそれからだった。ひと休みするまもなく、私は銀行とスーパーに出かけた。振込みの用件を1件片付けた。
帰ってから、家族を待つあいだ体操をした。そのうちにかなりの雨になった。晴れたといっても梅雨入りだから仕方ない。しかし、1人家に居る時の大雨の音は嫌なものだ。家族はかなり遅くなって戻って来た。工事完了の報告をした。と言っても、眠かったので、手短に話しただけだ。それからちょっとした事件があったが、その話は明日の日記に書く。
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| 2011年6月9日(木) |
| 句会は休んで |
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句会は休んだ。職人は8時にはもう来ていた。ペンキ職人で、取り付けた雨戸の周辺のペンキを塗る。その後は風呂場の壁とタタキきを塗ってもらうことになっている。職人の中には放っておいても構わない人も居るが、今日の職人さんは、ペンキの色の調合具合を、「これでどうですか?」と何回も聞いてくる。こちらは元の色と極端に違っていなければ良い、と思っているのだが、聞かれると返事をしないわけにはいかない。そんなこんなで、落ち着いてデスクに向う時間が少なくなった。しかし、丁寧な仕事ぶりでその点は安心していた。
午後5時過ぎ、やっと開放されて、駅前スーパーへと足を延ばした。ここに注文してあるレースのカーテンが仕上がっている、と連絡があった。そのカーテンを受け取って、少し食材を買って帰った。家族は出張中で1人御飯となるので、ちらし弁当を買った。歩いたので、体操は15分のみ。本日の句会はどうだったろう、と思いながら、ちらしに添えるため、小葱を使って卵とじのお汁を拵えた。夜になって、出張先の家族から連絡があった。用件は、工事のことなど。
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| 2011年6月8日(水) |
| 雨で、ペンキ職人の日程明日に |
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朝から雨になっていた。朝食を取っている8時ごろ職人から電話があり、今日は仕事が出来ないから休むと言ってきた。仕方がないと思い、承諾した。明日は第2木曜で句会の日であるが、当然家に居なくてはならない。出席出来なければ、投句をするしかない。5句を整理して事務担当のSさんにメールで送信した。今日は神様が「休みなさい」と言っているのかもしれない、と思う。
S病院の検査に通ってから、スケジュールをこなすのに忙しかった。こんなに遠出が続いたのは久しぶりのことだ。家の庭仕事も溜っている。しかし雨の降っている間は庭に出ることも出来ず、うとうとしてしまった。昼からは晴れたが、雑草を少し取っただけで、大きな仕事はしなかった。
午後は電車で往復し、西口のスーパーに行った。アロマティカスの鉢が、また店頭に出ていた。同じ物、すでに持っている緑の鉢物をまた欲しくなるのは悪いくせだ。好きな鉢物を沢山並べ、囲まれたくなるのだ。しかし我慢して買わないでその場を去った。 帰りの電車内で、Y夫人にお会いした。このYご夫妻は私どもの10年ほど先輩に当るご夫婦だ。しかし、Y夫人のご容姿があまりにお美しいのに感心した。美しさを保つことにおいて、心がけが良いとも伺っている。見習わなくては、と思い、反省もした。しばらく、3月の地震の瞬間と、その夜お泊めした方のお話をした。当日、東京まで帰れなかった人が多かった、のは言うまでもない。夜は体操を頑張った。
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| 2011年6月7日(火) |
| 二子多摩川へ |
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まだ、雨戸の周辺のペンキ塗りなど、工事は終っていないが、今日は用事があると言って、1日休ませてもらった。少々落ち着かない気持ちであったが、昼食会へと出かけた。場所はいつもより遠出で二子多摩川のとあるレストランであった。
自由が丘で電車を乗り換える時、若い頃等々力に住む兄の家に通ったことを思い出した。19歳年の離れた兄は親代わりだったが、厳しい人で、甘やかされることはなかったが、他に行くところはなく、子供連れで出かけて行った。世話にはなったが気兼ねをすることも多く、ほろ苦い思い出の場所だった。その駅を通り過ぎ、その電車は二子多摩川行きだったので終点で降りた。ついでに書くが、たまがわ、を多摩川と書くか玉川と書くか、定かではないが、確か三田(慶応義塾)出身の詩人、西脇順三郎氏はこの多摩川近くに住み、その詩「紀行」4、(西脇順三郎コレクション1・所収。慶応義塾大学出版会刊)の冒頭に、
多摩人よ
君達の河原を見に来た
と、書いてあるので、このさい、多摩川、を使う。
レストランの前で、東京から来た友人とも出会えて、大きなガラス窓から多摩川の水を眺めて昼食を頂いた。この界隈は、大きなビルが立ち並びすっかり変わってしまっていたが、川の流れは変わっていなかった。しかし、地震の記憶がまだ新しいので、川の近くの地の、災害時の問題点について考えさせられた。食後少しそのビルの中を歩いたが、明日もまた職人が来るので、残ってもう少し街を見学すると言う友人たちと別れて、やはり多忙の友人と2人で帰路に着いた。
鎌倉について、少し食材を買った。夜は家族と、キリンカップのサッカーの試合をテレビ観戦した。0対0、引き分けの試合で、観ていていささか欲求不満になった。体操35分。
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| 2011年6月6日(月) |
| 工事の続き、手紙書きなど |
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工事の職人2人は昨日1日置いて、今日も朝から来た。普段大切にしている花壇の上の辺りにはしごをかけて登り、作業をするので、「養生します」と言っても何となくはらはらする。大切な鉢は別の場所に移したりした。
その間、庭ばかり見ているわけにも行かず、食堂で手紙を1通書いた。時間をかけ丁寧に書いた。それでも書き終えると、もっと丁寧でも良かったという気持がした。しかし、外を気にしながらではそれが限界であった。近くのポストに投函しがてら、職人2人にアイスクリームを買ってきたら、夏のような気温だったので、喜んでくれた。 夕方、職人が帰ってからアイロンかけをした。明日の外出に着ていくシャツブラウスと、ハンカチを10枚程アイロンした。いささか疲れたが、神経疲れと体力消耗は違うと心に言い聞かせ、WIIふいっとの筋トレを20分間頑張った。軽く汗を掻き、遣り終えると気持が良くなった。
夕食は家族に肉と大根おろし、私は鮭の粕漬けを焼いた。最近は2人の好みがかなり違ってきている。トマトやブロッコリーの茹でた物、漬物などはどちらも頂く。明日の昼食会のことで、電話が何回もかかった。最近は簡単な事務的連絡にも、首尾不首尾が生じるようになり、フォローする必要のある人も出てくる。明日はわが身かもしれないが、そうはなりたくないものだ。
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| 2011年6月5日(日) |
| 2日続きの遠出 |
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昨夜のニュースを書くが、不信任案が否決された菅総理が、事前の話し合いで鳩山元総理に、「すぐ辞める、辞めない」を「言った言わない」で揉めているという話が報道されている。正式な文書は交わさなかったらしい。変な人たちだ。ともかく、震災の後始末が一段落したら辞める、と宣言した菅総理はもはや存在感をなくしている。情けない気持ちになるのは国民である。私はあまりこの日記に政治のことは書かないが、人間性について言えば、憤懣の至りである。かと言って、次にだれか素晴らしい人が出てくるとは思えない。何よりも外国人に、日本はこんな政治家の居る国か、と思われるのが恥ずかしい。
さて、話は変わって、今日は昨日に引き続きの遠出で、たまプラーザというところまで、孫のピアノの発表会を見に行った(聞きに行った?)。普段スカートを穿きたがらない運動神経のある子が、やっと着てくれたブルーのワンピース姿は可愛らしかった、しかし、人に「可愛い」と言われるのを好まない子、(本当はママ似の美人)とママから聞かされている。会場に集まった他の子供たちは、ピンクや白のお姫様ルックの服を着ていた。問題はピアノの演奏である。我が孫はとてもしっかりとしたタッチで、間違うこともなく、練習した曲を弾き終えた。「しっかりと良く弾けたね」と言うと、「うん」と頷いていた。大学のOB会の式典に参加して、遅れて到着した家族は、この曲には間に合わなかったが、第2部の連弾には間に合った。娘も来ていたので、帰りは地下鉄に乗り途中の駅で別れた。私たちは横浜に出て、横須賀線に乗り換えた。職人が来るのと連日の外出で、いささか疲れた。
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| 2011年6月4日(土) |
| 「遠藤周作展」に行く |
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職人は、今日も朝から来た。主婦の私が家に居た方が良いのは分かっているが、午前11時近く、休日の家族に留守を頼んで出かけた。神奈川近代文学館の「遠藤周作展」を観に行くためである。日程は4月23日から6月5日までと知っていたが、諸事情でぎりぎりまで行くことが出来なかった。理由を大きく分ければ、前半は小説の手直しとゴールデンウイークの騒ぎ、後半は体調の問題があり、再検査の結果がやっと6月1日に判明した。翌日から、溜めて溜めておいたスケジュールの消化が始まった、と言えば良いか。
もしかすると、検査に通らないかもしれない、という思いがあったせいか、終了の前日に駆けつけた「遠藤周作展」の収穫は大きかった。何にしても生きていて言葉で表現しなければならない。新鮮な気持ちになっていた。
生原稿、書簡、少年時代から作家時代の遺影、その他を眺め、富岡幸一郎氏、加藤宗哉氏の解説を丁寧に読んだ。
『海と毒薬』、『沈黙』などの作品を中心にした展示で、レベルが高いものの、神、イエスキリストを人生の同伴者として描き出した遠藤作品が、一般の日本人にも理解しやすい展示構成になっていた。展示の写真には、周作少年が過した大連の街並みがあり、遠藤氏が撮影したという「タランスの教会」(F・モーリヤック『愛の砂漠』の舞台になった)の写真もあった。かなりの時間をかけ、読めるだけの物は読んで、会場を出ようとしてまた気になって、「タランスの教会」の写真の前に戻って、メモを取ったりした。
帰りは、港の見える丘公園の薔薇園を見ながら歩いた。バス停で待っていたら、赤い靴という観光バスが来たので乗った。桜木町駅まで少し遠回りしたが、無事にJRの駅に着いた。
その近くのビルで、明日の孫のピアノ発表会のための買い物をした。場所が良くて良い物が買えた。しかし、「遠藤周作展」の余韻はずっと続いていた。
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| 2011年6月3日(金) |
| 雨戸職人と1日付き合い |
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雨戸職人は、朝8時半に来た。年配とやや若い人の男性2人である。家に来る職人にも色々あるが、感じの良い職人なのでほっとした。古い木製の雨戸はとても重くなって、すべりが悪くなっている。約30年前の旧式な雨戸なので、開け閉めに体力を要するようになっていた。色々考えたが、地震の後、決心して直すことにした。職人の様子を見ながら、物干に洗濯物を干した。
職人へのお茶出しはしなかったが(職人によって色々)工事の過程を始終見て、話したりしていたので、いつもの日より疲れた。工事の会社の担当者も顔を出したので、その人とも話をした。しかし、どちらも早めに帰って行った。新しく取り付けられた雨戸は、いとも簡単にするすると動き、見栄えも落ち着いてなかなか良く、力要らずで助かった、という気持ちになった。
夜になって、昨日葉書を出した人へ電話をかけた。幸い在宅で、色々と話が出来た。神に感謝!
その後、孫のママからも電話があって、明後日の下の孫のピアノ発表会についての、連絡事項を話し合った。
体操は今日も軽くした。
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| 2011年6月2日(木) |
| 近くのクリニックに報告 |
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曇り空の日だが、気持ちは明るい。近くのクリニックのH医師に検査の結果を報告に行った。数値の一覧表を持って行ったら、H医師はとても喜んで、「良かったですね」と喜んでくれた。中性脂肪が80近く下がっていたことに驚いていた。
「体操をしています」と話した。WIIフイットの筋トレ、ヨガのお陰、そして私の努力の結果である。血圧も久しぶりに、正常値に戻っていた。
家に帰って、検査が無事だったら連絡をしよう、と思っていた人への葉書をしたためた。それを持って降り出した雨の中、傘を持って郵便局に行った。街には修学旅行の子供たちが増えていた。道路沿いの植え込みの紫陽花の蕾もふくらんでいる。午後、雨戸直しの職人が、下見に来た。夕方の体操は10分のみで終りにした。安心したわけではない。少し疲れが残っている。夕食は煮魚、トマト、山形のおみ漬けなど。
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| 2011年6月1日(水) |
| 再検査の結果は無事 |
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朝から曇り空だが雨は降っていない。神奈川新聞の朝刊には、「今日の運勢」という欄がある。政治のニュースもろくに見ないで、そのページを開くと、私の生れ月の、健康枠には二重丸が付いていた。他の枠は、金銭と異性である。他の運はどうでも良いので、健康運は良し、と喜び、出かける仕度をする。CT検査の予約は、午後1時からだが、その前に採血、採尿をするので午前11時前に家を出た。
JR田町駅に到着して時計を見たら、ちょうど、ちいバスの来る時間であった。駅前から15分置きの発車なので、時間によってまたは雨の日などはタクシーに乗ってしまう。信号を渡って、小走りに走ってちょうど来たバスに乗れた。このバスだと、S病院のまん前まで100円で行かれる。病院に着いて、すぐに採尿をした。それから採血という順番になる。最近は、番号表を渡されるので、その番号が電光掲示板に出た時に入室し、採血の担当者の前で初めて姓名を名乗る。もちろんそれは、採血したものが本人であることの確認だ。ともかく大きな待合室では、名前を呼ばれないようになっている。このシステムはプライバシー保護のためには良い、と思う。
のんきに過していたように書いているが、ガラスの管に採取された赤黒い我が血をちらり見て、健康な血であることを願い、不安も感じていた。
場所を移動して、CTの検査室に向う。ここでは少人数なので名前を呼ばれる.そして入室する。ちなみに、CT、は略字で、Computerized Tomography という。この検査は、昨今福島原発関連のニュースで使われている「被爆」を、少々ながらするという。しかし、悪い病気を見付けるためなら仕方がない。こちらの検査も順調に終って、診断を聞くために待合室でしばらく待つ。20分ぐらい待っただろうか。名前を呼ばれてK医師の部屋に入って行った。
「前回あった肺炎の痕跡は綺麗に消えています」
とすぐに言われた。そして、前回高かった、腫瘍マーカーの数値、炎症反応の数値、さらに中性脂肪の数値も下がっていた。しかし、コレステロール値と尿酸値がやや高めであった。一覧表をもらい、次の検査は半年後で良いと言われ、予約を入れてもらった。K医師がカルテを見て、「手術から13年と5ヶ月ですね」と言った。早いものだ。もうそんなになる。感謝し、ほっとして礼を言い、退室した。
会計を終えてタクシーに乗る前に、携帯で家族に連絡し、異常なかったと知らせた。「良かったね」と言う家族の声。タクシーに乗ったが、「品川駅へ」と思わず言った。2時過ぎていて、空腹でもあり、品川に行って駅ビルで食事を、と思っていたのがそのまま口に出たらしい。夕方帰宅してから、友人のI・T子さん、そして、孫のママと娘に報告のメールを入れた。
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| 2011年5月31日(火) |
| 水鉢のミニ睡蓮咲く |
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今朝は曇り時々晴れと言った天気だったが、庭の水鉢の睡蓮が1つ咲いた。濃いピンクの鮮やかな色だ。明日はS病院に再検査に行く予定なので、縁起が良いと喜ぶ。水鉢の置き場所を日の当る方に移動させたのが良かったのか。
昼食後、西口の花店のあるスーパーまで往き復路も歩く。上の言葉が分からなかったミントの名前は、アップルミントと分かった。葉が少し大きくて尖っている.匂いもかなり強い。
夕方、ガスオーブンで豚の塊りを焼いた。一昨日が29日で、肉の日。この日はスーパーで安売りをする。待ちながら筋トレとヨガの体操をした。合計で35分。肉は美味しく焼けた。
テレビの報道は、菅総理の不信任案提出に関する話題が持ち上がっている。そんなふうに、与党と野党が足の引っ張り合いをしている場合か、という意見も被災地から出ているが、そういう政治家を選んでいる我々にも責任がないわけではない。菅総理が駄目だからと言って、谷垣氏が良いとも思わない。人材が不足しているのである。八百長問題で、面目を潰した相撲協会をはじめとして、スポーツ選手、政治家などに、根性と実行力があり、カリスマ性もあるヒーローが出現しなくなっている。国会の審議は明後日行われるという。ともかく被災者への対応は1日も早くして欲しいと思う。
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| 2011年5月30日(月) |
| ミントの苗を買う |
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朝は、6月に入って予定されている昼食会の件で、電話が入り、それから派生してこちらからも人に電話をすることになり、午前中の時間を大分使った。終って、少しだけデスクに向っているうちに昼になった。小雨の天気は続いていて、うっとうしい気分も続いている。洗濯をしても干すのは家の中である。
昼過ぎ、ふいに、花の苗を買いに行きたくなった。それも香りのするハーヴ種の苗である。西口の高級スーパーの入口に、花店があり、各種の花苗がいつも陳列されている。いつも通りながら見て、少し高いな、と思っている。他の花店より1・2割高いように思える。しかし、今日はその花が買いたくなった。うっとうしさを払拭したくなったのか。それとも他の理由からか?
ともかく、傘を持ってその店までの10分ほどを歩いた。そして、迷わずにミント(正確には、何とかミント)と、アロマティカスの苗を1鉢ずつ買った。その後店内に入ったが、買った食料はほんの少しだった。最近は、花より団子、ではなく、団子より花、になってきている。若い頃は食い意地が張っていたのに、いつのまにか変わってしまった。気に入った鉢を2つ抱えて家に帰ったが、そのまま休んだわけではなかった。花店の苗はほとんど、黒いヴィニールの簡易な鉢に入っている。それをそのままにしておくのが好きでない。庭に出て手ごろな鉢を探し、綺麗に水洗いして、またいつものように鉢底にネットと鉢底石を置き、土を用意して、きちんとした植木鉢に植え替えた。完成したアロマティカスの鉢は玄関の棚に、ミントの鉢は食堂に置いた。こちらはしばらく様子を見る。園芸に関しては、まめに働き、努力を惜しまない私である。
それから手を洗い、食堂で紅茶を入れてゆっくりと飲んだ。目の前ではミントの葉が鮮やかに立っていて、勢いが感じられた。紅茶の味も美味しかった。夕方、体操を30数分して終ったころ、家族から電話があり、少し遅くなると伝えられた。
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| 2011年5月29日(日) |
| 雨の日の教会バザー |
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今日は所属のカトリック教会のバザーが行われるが、あいにくの天気になった。台風の余波で昨夜から雨が降り続いている。晴天ならば、教会の庭には焼鳥、焼きそば店、ゲームコーナー、そして寄付された食器や衣服の店が並ぶのだが……。
と、案じながらも、バザーの前のミサに参加すべく教会の門をくぐった。すでにその辺りから焼鳥の良い香りがしていた。左側にはテントが張られていて、いつものように食べ物の店が並んでいた。しかし、聖堂に入ると、後方半分の席が移動されていて、食器や衣服の売り場になっていた。長い間この教会には通っているが、こんな光景は始めて見た。ミサに参加する信者さんたちは、前方に進み、狭い場所に腰を寄せ合って座ることになった。それでも、神父の手によって普段の日曜と同じにミサは進行した。
「今日の聖堂は、避難所のようになっておりますが」
と神父は言い、今日のバザーの収益は全部東北の被災者に役立てる、と語った。
私は、バザーが成功に終るようにと祈り、さらに自分がこれからも健康であることを祈った。
ミサが終ってから、食器を二種類買って、袋に入れてもらったものをそっと持ち、それから外に出て、家族のために焼鳥、焼きそばを買った。食器類はあまりにも安かったので、その値段より多い金額を、寄付として渡してきた。年齢や体調から、もう体力の奉仕は出来ないから、こんなことで協力するしかない。それにしても、雨の日でも、バザーの活気が伝わってきて、こちらも元気になった。成功を祈りながら家路に着いた。午後体操をした。
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| 2011年5月28日(土) |
| 日記を読み返すと、元気になる。 |
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台風は現在、石垣島近くに居るらしい。明日にも鹿児島をかすめて四国、東海へと接近するらしい。関東に近付く頃には温帯性低気圧になると天気予報士は言うが、それでも要注意と付け加えている。雨の量が多いのだろう。
そんなわけで今日は庭仕事が出来ない。買出しには1度行った。夏のために、と言っても前から気にしていたのだが、夏用のカーテンの2枚組を、スーパーの上階で注文した。一週間ほどかかるという。エアコンを付けていると感じないが、カーテンにも厚物、薄物と色々ある。計画停電はないと報道されているが、準備だけはしておかなくてはならない。
夜になって、少し前の日記を紐解いて読んだ。
何故なら体調の良し悪しについて調べたかったからだ。私は、この3月11日の地震でかなり神経を消耗した。その時の心身の状態はどうだったのか?知りたかったのである。小説の進行状況、編集長との遣り取りなど、公表できないこともあるが、自分の気持ちは日記を遡って読めば分かる。ハハーン、なーるほど……。こんな心理状態、そしてこんな体力の時に、突然ぐらりと来たわけか……。と頷いた。暮から軽い風邪を引いていたし、年末年始は忙しかったし、孫の中学受験はあったし、ともかく気の休まる時がなかった。寒い季節だったし、そして地震後の停電でも、寒い思いをした。知らないまに肺炎にかかっていたと、K医師にCT写真を見せられ、知らされてびっくりした。しかし、日記を書いていたお陰で、ここ数ヶ月の自分の状態(生きざま、とも言える)を客観視することが出来た。理由が分かり、回復期になって少し自信も湧いた。地震を振り返り自信が、なんて洒落にもならないが……、ともかく元気になった。最近は咳も出ないし、声も枯れていない。K医師に会ったら、そのように報告しよう、と思う。体操は22分した。食欲もあり、胃痛もなし。
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| 2011年5月27日(金) |
| セッコクの株分け |
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朝は赤米入り御飯を炊く。私は好きだが家族が混じり御飯はあまり好かない。1人の時だけ、焚いている。遠慮しているわけではないが、ふた通り炊くのは面倒くさい。炊き上がりはとても美味しかった。この赤米は昼食会のメンバーの1人から頂いた物だ。
食後、洗髪をしてブローをした。しかし、湿気のせいかいつもよりうまくいかなかった。もう1つの仕事は、ポットの洗浄である。昨晩から洗浄剤を入れておいた。朝になって3回すすいでカルキの匂いを取った。さらに湯を沸かして、それを1度捨てて、新たに湯を沸かした。それで何とか、臭みが抜けた。古い家電を清潔にするのは良いが、薬のことを気にすると、すすぎを多くするなど手間がかかる。と言っても口や喉に入る物は、注意が必要だ。若い頃はこんなに神経質ではなかったけれど。
昼食後、庭の梅ノ木にぶら下がるセッコクの株分けをした。ヘゴに濡らした水苔を巻き、古いセッコクの茎を挟みながら、針金でぐるぐる巻きにする。古い株には、摘むとすぐに取れる株もあるが、鋏を必要とする株もある。10本ほど古い物から取って新しいヘゴに移動させた。台風の影響で、明日から雨が続くから、こんな天気の時にはちょうど良い。このセッコクはあまり乾くと良くないのである。アカの針金を輪にして、ぶら下げられるように完成させるまで、小一時間かかった。移動した株に花も付いている。娘が早く取りに来てくれると良いが。
午後は買出しに行くが、疲れたので往復1駅ずつ電車に乗った。体操は30分。
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| 2011年5月26日(木) |
| 野性の蘭の株分け |
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五月の庭仕事は色々ある。かなり体力を要する仕事は、鉢の株分けである。今朝は少し元気だったので、数年前に、昼食会の友人T子さんに頂いた野性の蘭の株分けを行った。2・3年前にも、1度鉢を大きな物にしたが、その直径18センチぐらいの鉢もすでにぎゅうぎゅう詰め状態になっている。そのせいか今年の花は少なく、5本しか出ていない。
新しい鉢や土を用意したが、鉢から蘭を引き抜いて見てびっくり仰天した。なんと鉢の底が蟻の巣になっていた。慌てて外水道の蛇口の前にもって行き、水をジャージャー流して鉢の中を洗った。蟻は固まった状態で水に浮き上がった。その量の多さに2度びっくりした。鉢をすっかり綺麗にして、底にネットを張り、鉢底石を置いて、植え替えを始めた。鉢底のネットは団子虫の予防のためと聞いているが、蟻では予防のしようがない。ぎっしりと詰まった根を鋏で切りつつ、風通しを良くしてやった。雑草も間に生えていた。2鉢では納まりきらず、3鉢に分けることになった。1鉢は小さく、花のない物になったが、2鉢は花のある鉢になった。1鉢は、花の好きな娘婿に上げようかと思う。この蘭は野生で丈夫だし、外でも越冬する。育て安い品種だ。この蘭を下さったT子さんにも報告したい。花友達というか、ガーデニング繋がりの友達は良いものだ。
しかし、鉢を3個も拵えて、水を遣り、その置き場所のために、水鉢の場所を移動させたりして、疲れた。
午後は、Kさん(女性)のマッサージに行き、凝った体を揉み解してもらった。家族は茨城県に出張中である。
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| 2011年5月25日(水) |
| 洗濯日和 |
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快晴の日。洗濯日和でもある。庭仕事もしたいが、先ず、冬のカーディガンを1枚手洗いする。1度も手洗いしたことのない物だが、ソフト洗剤を使って、洗ってみる。その間に洗濯機も回していた。その後物干に干した。幸い、カーディガンは元の形を崩さずに乾いた。古い物だし、クリーニングに出さなくて良いとなれば、安心して着ることが出来る。しかし、窮屈な節約はしないつもりだ。節約は若い頃さんざんしたし、そうそうストイックには生きられない。ストレスとなって体に障る。この夏は、節電、だけで沢山だ。今から覚悟をしている。 その後昼までデスクに向う。
午後は、家族の時計の電池入れ替えのため、駅近くの時計店に行く。このS時計店は、安くて親切で良い。斜め向かいの鮮魚店にも寄って帰る。この店の鯖の味噌漬けはとても美味しい。家族も私も気に入っている。
帰りは混雑の江ノ電を避けて、バスに乗って帰った。ゴールデンウイークを境に、また観光客が戻って来た。江ノ電鎌倉駅のホームは、人で溢れている。バス通りに面したMIWAというケーキ屋さんにも寄った。この店のマロン・ド・ロムという、オレンジ色のケーキは美味しい。食べる物の話ばかり書いて申し訳ない。
帰宅して読書に時間を使った。夕方ストレッチを20分ほどした。
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| 2011年5月24日(火) |
| 注文の本届く |
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雨の中、お掃除のMさんが来てくれる。私はMさんが働いてくれるあいだ、衣服の伸びたゴムを新しいものに入れ替える。3回も同じことをした。しかし、繕い物などこういう仕事は、終ると気持が良く、得したような気分になる。昔の女性は皆こうして夜なべ仕事をしていた。
午後書店から電話があり、注文の本が届いているとのこと、早速取りに行った。先日も書いた『眠れ、悪しき子よ』丸山健二著(文藝春秋社刊)は、上下巻の大作である。幸い、持ちあわせの図書カードに2000円ほど残金があり、同じぐらいの金額を足して入手することが出来た。ついでに書店の前のスーパーの一階で赤出汁味噌を買った。
帰宅してすぐに読み始めた。期待を裏切ることのない書き出しを読み、ページをめくった。ゆっくりと読んでいるが、1行1行に分からないところがない。別の言い方をすれば、1行1行が魅力的な文章で、なおかつ生きている人間が描かれ、その息が伝わってくるのである。私、という主人公の環境設定も不自然ではない。これ以降は、読了してから書く予定。五月は、会合に加えて、庭の仕事が多いのだが、読書の時間を作らなくてはいけない。
雨は昼には上がった。
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| 2011年5月23日(月) |
| 朝、機嫌良く洗髪する |
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曇り空後、雨となった一日だったが、昨日は少し楽をしたので、元気な月曜日となった。昨日、本を注文した気持ちの余韻も残っていて、朝の洗濯が終った後、洗面所でシャンプーをし、それからきちんとブローをした。髪が整うといつもながら気持が良い。気分転換に美容院に行く時もあるが、あまり調子が良くない時が多い。何でも自分で出来る時が一番良いし、元気なのだ。若い頃は、経費節約でほとんどの家事、さらに、ちょっとしたお洒落のたぐいも自分の手でこなしていた。その時は有り難さが分からなかったが、それだけエネルギーがあったわけだ。
髪の毛が十分乾いてから、拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)を1冊梱包し、さらに別の人に葉書を1通書き、ゆうちょの窓口までゆっくりと歩いた。拙著は、先日の文藝家協会の会合でお世話になった若いスタッフの1人に謹呈するためだ。用事が済んでから、駅ビルでサンドイッチを買って帰った。昼食に暖かい紅茶を入れて……、などと考える。シャンプーをしたせいか、昼には人並に空腹になっていた。午後は少しデスクに向った。
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| 2011年5月22日(日) |
| 神奈川新聞の書評 |
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日曜日の各社の新聞には書評が載る。それを読むのが楽しみだ。今朝は良い書評を1つ見付けた。評者は三田文学出身の田中和生氏。紹介された本は、丸山健二著『眠れ、悪しき子よ』(文藝春秋社刊)である。書評には、取り上げる書の魅力はもちろんだが、評者の批評眼、感性そしてまとめて伝達する力が大きく影響する。書評の読者は、その一文を読み、その書に心を動かされる。久しぶりに私は、この『眠れ、悪しき子よ』の書評に目を留めた。すぐにメモを取ったが、それだけでは飽き足らず、記事をスクラップし、手元に置いた。すぐに書店に電話をかけ、注文したい。しかし、今日は日曜日で休みだ、明日にしよう、と考えた。
夕方、家族と駅前のスーパーに行ったところ、休みと思っていた書店が開いていた。この書店はそのスーパーと向かい合っている。家族に「少し待って」と言い、1人書店に入り、『眠れ、悪しき子よ』の上下を注文した。以前は日曜日は休んでいたが、変わったのかもしれない。私はそんなところぼんやりとしている。ともかく注文出来て良かった。本との出会いも縁だ。きっと縁がある本なのだろう。評者の田中和生氏にも感謝する。
夜、ストレッチ体操を30分ほどした。
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| 2011年5月21日(土) |
| 留守番して、片付け物を |
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今日は下の孫の運動会だが、検査の前で、大事を取って1人家で留守番をする。家族は私の作ったお弁当を持って出かけた。運動会には最適な晴天である。
午前中のうちにクリニックに行く。血圧はまだ少し高めである。クリニックは混んでいなかったので、前のカルテの記録を見せてもらった。すると、地震の後に1度下がり、普段と同じ数値になっている。原因が地震のショックだけではないとすると、四月のS病院の検査で、「マーカーの数値が高い」と言われたことに原因があるのか。「あまり気にしないで下さい」と、あの日K医師に言われたが、やはり気にしているらしい。自分のことで良く分からないものの、血圧計に現れている。私の血液型はA型、根が気にする性質、心配性なのである。困ったものだ。「お忙しいでしょうが、少し、仕事の手抜きをして下さい」と、クリニックのH医師に言われた。まさに今日も、手抜きの1つで、休んだ。
しかし、何もしないでいるわけにも行かず、台所を少し片付けた。あまり使わなくなったパン製造機を片付けて袋に入れ、元の場所には他の物を置いた。要らない物は、ヴィニール袋に詰め、ごみの日に出せるようにした。その後、ストレッチ体操を少しした。
夕方、上の孫のメールで、家族が藤沢駅に着く時間が知らされて、私はOデパートの入口まで迎えに行った。15分ほど待ったが、無事に会えて、地下で買い物などをしていっしょに帰った。下の孫の運動会は無事に終了した由。とても張り切っていて可愛かったそうである。
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| 2011年5月20日(金) |
| 「ご縁がありますね」と、話した。 |
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福島第一原発のニュースは、良い方向に進んでいない。しかし、中で働いている人は1万人も居るそうで、その人たちのことを考えると胸が痛む。避難所を出て仮設住宅に移りたいと願う人たちも、実際に建った場所は、通勤通学などに不便な場所で、決断しかねる、こともあるという。もう地震から2ヵ月余になるが、苛立たしいニュースが続く。
午後から、いつもと違い1人で洋裁のTさん宅に行った。いつもは、俳句仲間のK・S子さんの車で行く。彼女は今日都合が悪いそうだ。それで今日は、JR大船駅の笠間口から、神奈中バスに乗った。バスは、停留所に停まりながらゆっくり走るので、道を覚えるのには良い。車ではいつも近道をするが、バス通りでいつもより大回りする道を覚えた。これなら、次は車を運転して来られる、などと考えた。
犬山南のバス停で降り、無事Tさん宅に着いた。洋服も出来上っていた。文藝家協会で来た服も、Tさんが縫ってくれている。その折の写真を持って、Tさんに見せたらとても喜んでくれた。
その後お茶を飲んで話したことで、1つ良いことがあった。
Tさんの息子さんが、今年の12月結婚することに決ったそうである。お嫁さんになる人は会社の同僚という話だった。それからそれへと話しているうちに、そのお嫁さんになる人の出身私立中高が、偶然にも私の孫がこの4月入学した中学と同じ学園と分かった。美味しいケーキを頂きながら、Tさんと、
「ご縁がありますね」と、話した。帰りもまたバスに乗った。
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| 2011年5月19日(木) |
| 休養は切り替えのチャンスでもある |
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朝、裏のガレージ周辺の雑草を取っていた時、夏鶯の声を聞いた。それも、私の雑草取りの時間に合わせたかのように、長いこと鳴いていた。夏鶯の声は、春の鶯の声より鮮やかでエネルギッシュに聞えるので、元気付けられる。雑草は砂利の間に蔓延っていて、取るのに骨が折れた。後は木の葉を掃き集めた。
その後、コンピューターの前に座った。携帯で撮った写真をコンピューターに送信してある。それを確認して、写真用紙にプリントした。階下にあるフォトフレームの写真より、やや赤が濃い感じの写真になったが、仕方ない。マイ・コンピューターに内蔵されているSmart Hobbyか、何かで色を調整することを考えよう。昼食後はまた少し休んだ。それから買出しに出かけ、戻ってから鳥のひき肉と玉葱のみじん切りに生姜の絞り汁を少し垂らし、片栗粉をまぶし、その中味で、シュウマイを拵えた。さっぱりした味で美味しかった。これは先日テレビで観た、足利市の名物というシュウマイに鳥ひき肉をブレンドしたものだ。1袋30枚入っていたシュウマイの皮を全部使った。
夜は、自己流の体操は止めて、WIIふいっとのインストラクターと共に体操を30分した。
ここ2日、休養がてら雑草取りや手料理など、のんびりとしている。遊んでいるわけではない。その間、色々な思いが溢れている。これまで気付かなかったことも分かってくる。休養は、1つの転換期になるのかもしれない。先の光が微かに見える気がする。
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| 2011年5月18日(水) |
| 休養だが、買出しは行く |
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朝のうち、今日までに投函して下さい、とあった日本ペンクラブの返信を投函に行った。近くのスーパーは開いていなかったが、その先の鎌万という店が開いていた。ポストに封書を投函してから、その店で少し買い物をした。一先ず安心をして家に帰った。本来なら、今日は教会の広報の手伝いをする日であるが、その気力、体力はなく、失礼することにした。事前に、前夜が長寿会員の会合、と連絡はしてある。午後からは、本格的に眠るつもりでベッドに入った。いつもの軽い疲れならソファでごろごろする。久しぶりに、日中にぐっすり眠った。ともかく無事に終えてほっとした。しかし、作品に関しては、「これで良い」、ということはない。休養をして、定期健診もして、さらに書いていかなくてはと思っている。それでも、ここまで生きて来られたことには感謝している。
夕方、白滝を買い忘れたことに気付き、またスーパーに行った。豆腐、鱈、長葱など鍋の材料が揃っている。
出張先から家族は新茶をたくさん持って来てくれた。日本茶は毎日飲むので助かる。夜、体操を少しした。自己流でする時と、WIIふいっとのインストラクターと共にする時があるが、今夜は自己流で前屈運動をしたので、おなかが動き出し、少し不安になった。気を付けないといけない。
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| 2011年5月17日(火) |
| 日本文藝家協会総会・懇親会 |
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日本文藝家協会はこの4月から、公益社団法人になった。その第1回目の総会・懇親会が、東京市谷のアルカディア市谷(元私学会館)で行われた。私は今年長寿会員の年齢になるので、ご招待を受けて参加させて頂くことになった。
傘を持参したものの、幸い出かけるときも、帰りも雨には降られなかった。私が会館のなかに入り、総会の部屋(5F)、懇親会の部屋(3F)に居る間に大雨が降り、雷も少々鳴ったという。(ちなみに、私はここから歩いていける麹町で生れた)会館の窓から見るお堀端の土手の散歩道は懐かしい風景だった。
総会では、配られた資料と共に、昨年の会計報告、そして今年の予算案などが丁寧に報告された。また、電子図書が普及したからと言って、従来の紙の本が無くなるわけではないという話も、五木寛之氏の『親鸞』を例にとって報告された。
休憩を取って今度は質疑応答の時間になった。今回は東日本大災害の直後ということもあり、文藝家協会として、また1人の文藝家として何が出来るか、という意見が続出した。現地でもなかなか図書館建設の話は出て来ない。確かに被災者にとってはまず衣食住が大切なのは分かっているが、読書の喜び、言葉の力も、失意の人の気持ちを支えるものだ。事業委員さんも「何か考えましょう」と言っていた。私は年寄りゆえ、瓦礫の撤去などは出来ないが、手伝えることがあったら何かお役に立ちたい、と事業委員さんに話した。私も十代のころは焼け跡の校舎に出来た図書室の本を夢中になって読んだものだ。
懇親会では、私は胸に赤い花を付けてもらい、かなり恥ずかしかったが、中央の席に座らせてもらった。冒頭のお話は『失楽園』の作者でもある渡辺淳一氏のお話だった。主旨は、「もっと邪念を持ちなさい。横の繋がりを大切に。家族には有難うと言いましょう」の3点であった。それから乾杯となった。たまたま、昔文学講座でお世話になった、佐江衆一氏が同じ長寿会員で隣になり、何十年ぶりかでお話させて頂き、とても嬉しかった。そのうちに娘が会社から駆けつけてくれて、佐江氏との会話に加わってくれた。佐江氏は、「娘さんと一緒というのはいいなあ」と言ってくれた。氏にも、娘さんの方にお孫さんが居るとのことで、携帯の待受け画面の写真を見せてくれた。とても可愛いお写真だった。飲み物はビールを少し、食べ物は配られた日本蕎麦と他のものを少しだけ口にした。
帰りがけにお世話になっている坂上弘副理事長にご挨拶し、娘と3人で少しだけお話させてもらった。いつも忙しい坂上氏だが、ご機嫌よく笑っていらした。この笑顔は見習わなくてはならない、と思った。
会館を出て、タクシーで東京駅丸の内口に行き、大丸に行きたいという娘といっしょに八重洲方面まで歩いて、2.3買い物をして、駅構内で娘と別れ、家路に着いた。程よい緊張があったからか、好きな道の人たちと会ってお話が出来たからか、胃痛、腹痛、軽い咳き込みもなく、一日中快調に、元気に過せた。
もし、我が主治医成毛先生がご存命だったら、「それですよ。好きなことをするのが、1番の薬なんですよ」と言ってくれるかもしれない。いつまでも長生きの出来そうな気分の1日だった。
神に感謝!
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| 2011年5月16日(月) |
| お電話を頂く |
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晴天なので、手洗いの洗濯物を3枚ほどする。洗濯機に入れてしまっても良いが、微妙な衣類は出来るだけ手洗いにしている。ネットに入れての洗濯機洗いも良いと聞いているが、あまりしていない。3枚とも綺麗に洗えて物干に干した。海の方角の空が澄んで見えた。
午前中に、明日総会と懇親会がある日本文藝家協会のスタッフ(女性)から、「明日はどうぞお気をつけてお出かけ下さい」というお電話を頂いた。私は長寿会員として招待して頂いている。ご親切に、そしてご丁寧にお電話を頂き、恐縮した。しかし嬉しくもあった。総会と懇親会の合間に写真を写して下さるとのこと、だった。
午後は前からの予約で、美容院に行った。明日写真を撮ってもらうと話すと、丁寧にセットしてくれた。でも1晩寝ると崩れてしまうかもしれない、などと考えた。帰りはいつも通りスーパーに寄ってきた。
しかし、天気予報では、明日は雨で、所によっては雷になるとのことだった。余所行きの服を着て雨に降られるのも困る。対策を色々と考えた。ともかく道で滑って転ばないようにしよう。雷と雨の心配をしていたら、地震が来るかもしれないという心配は消えた。人間はゲンキンな生き物だ。しかし、マスクなど、少々の準備はした。
夕食はきちんと作った。家族は明日静岡県に出かける。
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| 2011年5月15日(日) |
| 命とは何か? (神父の話) |
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ミサに行く前に、家族と少し話をした。と言っても私1人で喋っていた。要点は、「夜の自由時間を下さい」ということだった。何と言っても、夕食の時間が長い。くどく書きたくはないが、今や時間が大切なのだ。
そしてミサに行った。
神父は、東日本の災害以後、毎回、「このことを忘れないように」と話している。被災者の暮しはまだほとんど変わっていないのだ。子供やお年寄りのことを考えなくてはならない。そして、「『命とは何か?』」を考えましょう」と話を締めくくった。
自分の健康管理すら、上手く出来ない状況なのだ。しかし、照れ笑いしている場合ではない。命は1つしかない。それだけははっきり分かっている。
午後は、家族と電車で、大船のヤマダ電機に行った。藤沢のビックカメラとは少し違う雰囲気の店だった。帰りにこの店の駐車場の場所をチェックした。節電対策に扇風機を買う場合、車で来た方が良い。それから、大船駅まで歩いた。その途中、娘から携帯にメールが入った。着物姿の写真が添付してあった。女らしく、優しい雰囲気のなかなか良い写真であった。
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| 2011年5月14日(土) |
| 茉莉花開花 |
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快晴の日。午前中から庭に水を撒いた。茉莉花(ジャスミン)の花が一斉に咲いた。数えると20~30ほど咲いている。花の色は紫の濃淡と白と3種混じっている。香はまだそれほど感じない。風に乗って届くものなのか。しばらくぼんやりとして庭を眺めていた。やっと気持ちが楽になった。この季節に、働きすぎるのは無粋、と思うが、書くものの流れで仕方がなかった。しかし文句は言えない。先日も句会で、「小説を書いていると、外出時のアクセサリーも付ける気が起きない」とぼやいた。するとお仲間のN・K子さんに、「書けるだけ幸せよ」と言われた。本当にそうだ。もう少し若かったら、無理がきくのに、とは思うが。書けることそのものには感謝しなくてはならない。
娘は無事に、着物を着て、(結婚式に行ったかしら)と案じる。何にしてもお天気で良かった、と喜ぶ。
庭から上がり、昼食は野菜入りの焼きそばを拵えた。その後少しうとうとした。それで体力を回復し、夕方散歩を兼ねて買出しに行った。夕食は魚の煮付け、ほうれん草の浸しなど。夜遅くなって、延々と飲み続ける家族に、少し文句を言った。こちらは健康管理の体操の時間で、気持ちが噛み合わなくなる。少々のことなら妥協するが、最近気にしている数値があるのでこちらも必死なのだ。
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| 2011年5月13日(金) |
| 雨上がる |
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昨夜の雨で、塀の外が木の葉と花粉で一杯になった。家族の出勤を見送った後、箒と塵取りを持ち出して、そのごみを片付けた。大変だったが仕事が終ると気持が良い。
家に入ると、娘からメールが来ていた。今夜、仕事が終ったら来ると書いてある。明日は、知人の結婚式に出席するのだが、すでに持参した着物が今1つ合わないので、他の着物を見に来ると言うのだ。さて、とこちらも考えることになった。二階の納戸に行き、箪笥の引き出しを開け、(と言っても開き戸の箪笥もある)色々と物色し、二枚ほど階下の日本間に運び、ハンガーにかけた。長襦袢の袖丈を合わせたが、少し延ばした方が良い、と分かり、裁縫をしなくてはならないことになった。
お使いがてら街に出て、半襟と指貫などを買ってきた。姑の使っていた指貫は小さくて私の指に入らない。
袖丈は今の寸法で49センチ弱。長襦袢の元々の寸法より1センチ5ミリ延ばし、半襟も付けた。買い物の時間も入れると3時間ぐらいかかった。しかし、娘に子供は居ないし、子供がもし居たら、このぐらいの忙しさでは済まなかった、と思い、喜んで仕事をさせてもらった。元来、娘は着物が似合う雰囲気を持っているので、ジーパン姿などばかりでは女性として勿体ないと思っていたのだ。着物の文化を愛していた姑、私の母や姉たちも、天国で喜んでくれるだろうと思った。
夜、7時過ぎ、娘は到着した。思ったより早く着いた感じだった。いっしょに軽く食事をして、それから着物を試着して、畳んで持って帰って行った。これで一安心と思った。明日の結婚式は11時からだそうで、その前に着付けをすると言っていた。成功を祈る。
家族の帰りは遅く、男故、着物の話はあまり分からない感じだった。
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| 2011年5月12日(木) |
| 絵硝子横浜句会 |
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朝、9時前に家を出て、横浜の句会に行く。先日、この句会のメンバーばかりではなく、K大句会の会長さんでもあるM・Y氏が急逝されたので、淋しい句会となった。1名欠席者が居て、9名となり、合計45句の選句となった。
今回私は、小説を書きながら、連休の主婦をこなしながら、の句作りで、思うような句が出来なかったが、なんとか5句持参した。冒頭に、和田先生から、亡くなられたM氏の話があり、「たくさんの方に見送られて、」と話していた。私はM氏の優しさだけでなく、奥深く秘めたような知性が好きだった、と書いておく。ちなみに先月の句会で、M氏は私の句を3句も選んでくれた。心よりご冥福を祈る。
帰り道、関内から大船方面に向わず、横浜に行った。そして3月2日以来行かなかった横浜高島屋に行った。婦人服の売り場に行ったら、売り場の配置がすっかり変わっていたので驚いた。それぞれのメーカーが売り場を割り当てられているコーナーの仕切りが無くなっていて、その階の3分のⅠほどのスペースがセールの会場になっていた。普段バーゲンやセールの開場は、7階など最上階にあるのだ。地震後、自粛モードでデパートの客足が落ち、苦戦をしているのだろうか。この先どうなるのだろうか。好きなメーカーなどの行く末が案じられた。
しかし、地下の食料品売り場は、以前と変わらずに活気があった。焼き鳥店の前には行列が出来ていたし、魚の粕漬け屋さんも混んでいた。その粕の匂いに釣られて、粕漬けを鮭と鱈と二枚ずつ買った。少々高いが、私は子供の頃からこの魚の粕漬けが大好きなのだ。他にも漬物、パンなどを買ってデパートを後にした。
夜はまた体操を少しした。
拙句を2句。
北向きの 観音寺に 花と湯気
この五月 ティーンエイジャーと 孫の言ふ
どちらも、1点句。
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| 2011年5月11日(水) |
| 夕方から夜にかけて大雨 |
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昨夜家族は埼玉泊まりなので、朝はのんびりした。植木剪定ごみの日だったが、忘れていて、気が付いて慌てて出した。青葉のシーズンは、この種のゴミがたくさん出るのだ。
午前中は溜っている「あんばら庵」の日記を書いた。連休中、ほとんど書いていない。8年前に始めたころは、孫たちが来ていても、海に出かけたりしている間にデスク前に座ったが、最近はそのようには出来ず、後になって書くようになっている。これも体力気力の衰えか。たまたま小説を書いている時期にぶつかったということもある。まあ、深くは考えないことにする。
午後は、美容院に行く。最近流行の頭皮マッサージをしてもらった。脳みそが疲れているので、頭皮ではなく中味がほぐれるような気がした。帰りは食材を買う。
夕食の準備を始めた頃から、雨になった。それもだんだんと強くなった。被災地の雨の情報も、テレビで報道されている。放射能の線量の心配は何時まで続くのか。土や海を汚された農業漁業の人たちの行く末が気になる。
夜は家族の帰りを待ちながら、体操をした。
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| 2011年5月10日(火) |
| ユニクロに行く |
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晴れているが風のある日。朝のうちからお掃除のMさんが来てくれる。塀の外を掃いてくれるが、風でまた木の葉が落ちそうな気配である。洗濯物は、風で飛ぶ恐れがあるので、家のなかに干した。Mさんにはその後水回りの掃除をしてもらった。いつもながら助かる。
午後からは、1人で大船のユニクロに行った。今日が上の孫の誕生日で、遅れてしまったが、たのまれていたパーカーを買いに行った。先日来た時に、私の持っていたパーカーが気に入って家にいる間着ていたが、何にしても私のサイズでは大きく、もし同じ品物で小さいサイズがあったら買っておくと約束したのだ。幸い、店内の棚に、同じ品物のMサイズもSサイズもあった。細い子だからSサイズでも良いと思ったが、身長から言うと大人並なので、考えたあげくMサイズを購入した。他にも半袖を2枚追加した。自分の物は特に探さなかった。
それからエスカレーターでそのビルの地下に降り、T・Sというスーパーで食料を買い、後はまっすぐに駅に上がり、電車に乗って帰った。それでも、ちょっとした気分転換にはなった。
しかし、家に着いてから、プレゼントの品にカードを添えて梱包し、近くの宅配の代理店まで運んだので、すぐには休めなかった。。そして無事に宅配の手続完了。これで、1日遅れで到着するだろう。帰ってきてやっとほっとした。それから飲んだチャイティーがとても美味しかった。カッとしたパインも酸っぱく甘く喉に快く沁みた。
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| 2011年5月9日(月) |
| 体調は回復 |
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朝は珍しく家族に味噌汁を作ってもらった。そのアサリの味噌汁を飲んで、御飯を少しだけ食べた。しかし、生ごみを出す日なので、ごみの袋を収拾所まで1回運んだ。平凡な体力はまだある。連休で壊れた暮らしのリズムによって、へんなふうに体調が崩れるのだ。規則正しい生活が私には合っている。年末年始、ゴールデンウイーク、夏休みのお盆のころ、などの暮らしの流れは、あまり好きではない。
家族の出勤後、原稿の最終的チェックをする。大事なシーンを、これで良しと思うところまで考え、決定し、最後に全編の一行空きを確認した。これで1つの小説空間が出来上がったか、と思う。しかし、欲を言えばキリがない。気力のあるうちに、締めくくることも大切だ。書いている途中に、倒れたりはしたくない。ちなみに、1行空きは10ヶ所になった。妥当な線か。
午後、と言っても昼過ぎ郵便局とユニオンに行った。どちらも、混んでいた。郵便局では、窓口が並んでいた上、前の男性が何か局の不備について抗議していて、その文句がなかなか終らず、時間がかかった。世間には色々な人が居るものだ。
帰ってきて少し休んだ。仕事も大事だが、体調を回復しなくてはならない。残り物でも何でも口にするのは止めよう。勿体ないと言って捨てないのも止めよう。などと考える。最近の地震からの、放射能の線量の心配よりも、戦争の記憶のある「勿体ない」精神が、亡霊のように生きていることの方が問題だ。夕食はさわらの塩焼き、キャベツの味噌煮込みなど。家族は心配して早く帰ってきてくれた。おなかは安定している。
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| 2011年5月8日(日) |
| ミサに行き、その後も頑張り… |
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いつもの通り日曜のミサに行く。神父は、地震から間もなく二ヶ月だが、忘れないことが大切、と繰り返していた。
帰ってから庭の仕事を少しやり、それから二階に上り、小説の手直しをした。この仕事にはタイミングというものがある。まさに今日は追い込みで、脱稿寸前なのだ。……にも拘らず、日曜日なので、マイペースが取れない。しかしデスクのまえに座りたい。なんとか、頑張って筆を進めた。その後、家族と買い物に出かけた。街はとても混んでいた。スーパーの混み具合はまあまあだった。帰宅して、夕食になり、その間、息子夫婦から電話がかかったりしているうちに、おなかの具合がおかしくなった。1日の疲れ具合で、夜に体調が崩れる。理由は分かっているものの、いささかショックであった。しかし、これで五月の飛び石気分、そして遊び気分は終りとなる。おなかは薬で治まった。
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| 2011年5月7日(土) |
| 国内外の重大ニュース |
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テレビのニュース画面に、アメリカのオバマ大統領が映し出され、「オサマ ビン ラディンが死亡した」と伝えられた。極秘作戦だったということで、事前には何も報道されていなかった。パキスタン郊外の住宅に潜んでいたそうだ。生け捕りに出来なかった事情は分からないが、射殺、海に葬った、などと言う報道には分からない点が多い。2001年、9・11 の悲しみをを忘れているわけではないが、殺し合いをしている、という感は拭えない。それなのに、歓喜している(テレビの映像では)アメリカ国民の姿が悲しい。この憎しみの連鎖はどうしたら止められるのか?
国内では、菅総理が会見し、中部電力管内の浜岡原発の運転中止を決断した、と発表した。東海地方に地震が来た場合を想定し、日本国の安全のために決断したと言っている。
こちらは、3月11日の地震とその後の福島第一原発騒ぎの恐怖が冷めやらぬ人間として、真剣に話を聞く。中部電力では早速役員会議を招集するといっている。
そんなニュースの合間に、私はデスクに向かい、休日の家事をする。
買い物は駅前スーパーの園芸コーナーで、花の肥料、鉢底石などを買う。ローズマリーの植え替えをするためだ。
帰宅後、植え替えたローズマリーは、ちょっとした松の盆栽のような枝ぶりになった。古木でもう10年ぐらい前に買ったものだ。
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| 2011年5月6日(金) |
| やっとマイペースに |
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家族は出勤し、わたしはやっとマイペースを取り戻した。午後、駅の先のスーパーと、近くのはり治療院往復以外は、家に居て、手直しの小説と向き合った。長年の話を書いているのだが、長編と言うわけではない。従って、話を整理し、なおかつ読者に分からせるようにまとめなければならない。手直しをする時に、新しいヒントが降りてくることがある。それはとても良いヒントであっても、むやみに使うわけにもいかない。小説には、起承転結があり、全体のバランスもある。1つを変える(弄る)と、他の箇所に歪みが出ることもある。巨大な例をとると、小説は、地震を起こすプレートのようなものだ。生き物だといっても良い。辻褄を合わせる、という程度ならまだしも、この全体のバランス確保は、結構骨が折れる。現実社会を書いているとは言え、別の空間を拵えているわけだ。好きでしているとは言え、疲れている時は嫌になる。
そんな時は庭の花を眺める。(地震の後は、ストレス解消のショッピングに行っていない)庭ではこの五月、紫のあやめが満開だ。一本の茎に蕾も含め、5つ花が付いている。茉莉花ももうすぐ咲きそうだ。花ばかりではなく、木々の青葉が美しい。庭が少し狭くなったように感じるのは、青葉が繁ってきたせいだ。
夕方、はり治療。腰痛はほぼ癒えたが、首や肩が凝っていた。
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| 2011年5月5日(木) |
| 母の日の花、そして、最近のめんこ遊び |
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母の日は少し先だが、息子夫婦、娘夫婦からそれぞれ1籠ずつ花をもらった。マーガレットと薔薇、どちらもピンクで可愛らしい。薔薇にはアイビーが付いていた。アイビーの斑も珍しいものだった。我が家が花で一杯になった。
朝は、下の孫が一番寝坊であった。布団を畳んで押し入れに入れても、その押し入れで眠ると言い、本当に入って体を丸めたので、私は笑いながらその写真を撮った。
朝食後、背比べをしたら、上の孫の背は、157センチになっていた。私の背は158・5センチだから、もうすぐ追い抜かれる。息子一家はその孫と下の孫を連れて、荏柄天神へ行く、と言って出かけた。こちらは学問の神様として知られている。
そのあいだに娘夫婦がやってきた。そこへ孫たちが帰ってきた。息子は、良い散歩が出来たと言っていた。それから娘の婿殿と孫たちが始めた遊びは、昔懐かしいめんこ、であった。最近の面子は昔のものと少し違い、やや紙が薄い。どの程度に、流行っているのか知らないが、女の子2人は面白がっている。婿殿がいっしょになってやると、さすが上手だ。子供たちは負けまいと頑張る。しかしなかなか勝てない。婿殿は優しく、いつも孫たちと遊んでくれて有り難いが、子供たちは疲れを知らず、もっと遣ろう、とせがむので、申し訳なく思った。面子をひっくり返すにも、コツというものがあり、孫たちはまだそれを習得していない。結局婿殿が勝ってしまったらしい。楽しくて皆で大笑いをした。
娘夫婦が先に帰り、それからしばらく経って息子一家、孫たちも帰って行った。明日、家族は出勤をする。もちろん息子も娘夫婦も、である。私は、小説の手直しを完成させなければならない。
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| 2011年5月4日(水) |
| 改札規制の混雑 |
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朝、掃除機をかけて、孫たちを待つ。しかし、なかなか到着しない。しばらくすると電話連絡があり、江ノ電藤沢駅で改札入場規制をしていて、電車に乗れない、と言っている。それならJRに切り替える方法もある。などと話した。しかし、息子一家は、先祖の墓参りをしたいと言う。上の孫の中学合格の報告をしたいらしい。その寺は江ノ電沿いにあるので、結局少し待って江ノ電に乗ったと電話連絡してきた。私は家の台所担当なので、墓へは家族だけが行き、五人で墓参を済ませ、そこから歩いて家まで来た。なかなかの強行軍で、おなかが減ったらしく、孫たちは途中お団子を食べたと言っていた。
到着して、食パンや、イングリッシュ・マフィン、手作りのマカロニサラダ、茹でたウインナーなどで、遅い昼食となった。食後、孫たちはなんと宿題を始めた。長い連休に、学校は結構宿題を出すらしい。しかし、そのうちに飽きて、色々と遊び始めた。私は引き続きの夕食の準備で、いっしょに遊ぶ余裕はなかった。菖蒲湯にするために菖蒲の葉を買っておいたが、孫たちはそれを湯に入れるのを忘れて入浴していた。五月の節句は男の子のお祝いだから仕方ない。私は疲れたので早めに寝かせてもらった。
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| 2011年5月3日(火) |
| 庭仕事&庭掃除 |
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曇り空だが、昼からは晴れるらしい。
朝は少し書いて、気になるところを直し、それから階下に降りていく。休日の家族が、近くのクリニックや整形のリハビリに行き、帰ってきたのだ。
庭仕事も色々と溜っている。こちらで立てたプランもある。ハーブが何種か植わっていたプランターの鉢を整理して、ホームセンターで買ってきた野菜苗を植える。ハーブのほとんどはすでに消滅しかかっていて、今はフェンネルしか残っていない。そのフェンネルが勿体なくて捨てる気にならない.それで私はその数株のフェンネルを小さな鉢に移した。ふわふわした葉で、とても可愛らしいし、香もある。それから、玄関のアプローチから、門に向かっての木の葉の掃除をした。ついでに塀の外も掃いた。集った植木ごみはヴィニール袋2杯になった。このごみは毎週水曜日に出せる。
庭から上がり、2人分の昼食を拵えた。庭仕事の後いつも思うのだが、この仕事が結構辛い。庭でかなり体力を使うから、くたくたになってキッチンに立つ。作業の前にお弁当を拵えておけば良かった、と思うくらいだ。自分だけではないから、美味しい、美味しくないの言葉も聞えてくる。女は辛いね、という気持ちだ。
午後から買出しに行く。男手は荷物持ちをしてくれるから良いが、主婦とは違う感覚があり、買い物の能率が悪くなる時がある。つまり個性が2つぶつかるわけだ。わが街は、そんな2人の気持ちとは関係なく、とても混雑していた。自粛モードからの反動のように、老若男女の熱気で溢れていた。明日は孫たちが来る。
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| 2011年5月2日(月) |
| 街の混雑に驚き |
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月曜日なので家族は普通に出勤した。私はいつもの月曜日のつもりで、クリニックに行き血圧を測ってもらい(少々高かった。昨日の疲れか?)、帰ってから昼過ぎまで、原稿の手直しをした。それから昼食を取った。午後からは駅前に買い物に出た。江ノ電が行った後なので少し歩いてバスに乗った。バスは結構混んでいた。駅前に到着して驚いた。その混雑と賑わいは、休日または祭日と同じであった。JR駅、私鉄駅の改札付近、そしてスーパー付近、八幡宮への参道に向う道筋、小町通などなど、人で溢れていた。人によっては十連休になっているのかもしれない。たまたま同じバスに乗り合わせたお年寄りと、
「とても混んでいますね」と話し合った。そのお年寄りは、
「私は、今年92歳になります」と言っていた。
杖をついていたが、気のしっかりしたお年寄りだった。私もまだまだ頑張らなくてはと思った。この様子では明日からの連休が思い遣られる。庭の作業は軽めにして、あとは休息した。
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| 2011年5月1日(日) |
| ミサに行き元気に |
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今日から五月である。特に意識もせずに日曜のミサに行った。行く前は多少億劫な気持を抱くが、聖堂に入り、祭壇と向き合うと気持が落ち着き、終る頃にはすっきりする。面白い、というより、不思議なものだ。神父は話の冒頭に、東日本大震災の話を必ずする。わたしは、日本の社会全体のことを考えながら、さらに自分とも向き合う。そんな時小説に関する良いヒントが生れることがある。教会の信者さんたちや、息子一家、娘一家の無事を祈り、ミサは終了した。
帰宅してからも元気であった。家族に体調を話し、
「車が汚れている。洗車もしたいし、花の苗も欲しい、」と言い、2人で車上の人となった。
行き先は大船のホームセンターである。この季節、庭の仕事がたくさんしたい。園芸用品の売り出しのチラシも見ている。道路は特に渋滞せず、無事にホームセンターの駐車場に着いた。
ホームセンターの中に入ると、ほとんどの人が園芸用品売り場に集っていて、レジも並んでいた。我が家は、車でなければ運べないもの、重たい園芸用土、肥料を中心に買い求めた。花の苗も幾つか籠に入れた。そんなことをしているうちに空腹になったが、そのホームセンター内の食べ物屋は何処も混んでいて、入れなかった。パンと飲み物を買った。そのまま帰途に付いた。帰り道、手広の交差点付近で洗車をしてもらい、ガソリンも入れた。ガソリンは値上がりしていた。購入した花、土などを、あちこちに置いたり仕舞ったり、買い物の後始末が大変であった。夕食後は、フィギュアのアイスダンスなどのテレビを観た。
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| 2011年4月30日(土) |
| もちの木の実生を見つけて |
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居間の先に、テラスというほどの広さではないが、石のたたき面がある。その上に日よけが付いている。支えのスチール棒が2本あり、1本が花壇の縁のレンガの脇に埋まっている。そのレンガとスチール捧の間に、今朝、もちの木の実生を見つけた。すでに50センチほどの高さになっていて、新芽も出ているから、去年からここにあったらしい。狭いところでもあったし、抜いて捨てるのも勿体なかったので、鉢に移してやることにした。大木になる種と思うが、20センチほどの鉢しかなかったので、そこに植え替えた。水をたっぷり遣ってしばらく外に置いたら、新芽の部分が萎れかかったので、室内に置いた。間もなく新芽はまた立ち上がった。
植木職人はいつも「実生は、なかなか育ちませんよ」と言うが、これでも実生の木を何種か育て成功している。もちの木はその幹から鳥もちを採取すると聞いている。鳥もちは粘るから、縁起の悪い木ではないだろう、と勝手に決める。書いている小説のことが気になっているから、ついつい縁起を担いでしまう。
庭の作業が終って、簡単な昼食を拵える。家族は綺麗に食べてくれた。午後家族がテレビを観ているあいだに、こちらは二階のデスクに向った。ゴールデンウイークは、何時もこちらの仕事の都合とは関係なくやってくるから仕方ない。しかし、長年主婦と二本立てでやっているから、何とか使い分けしている。しかし、最近は年のせいか、この二本立てが体に堪えるようになっている。ウイークデイがあり、家族が出勤し、日中独りになれる日は良いが、休み続きは時間の遣り繰りが難しくなる。……というのは愚痴である。何にしても書けるうちが花、だから、これ以上の文句は言わない。
夕食は近くで外食する.帰宅してからテレビで世界フィギュア選手権を観戦した。安藤美姫が一位になった。浅田真央は元気がなかった。次は頑張って!明日からは五月だ。
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| 2011年4月29日(金) |
| 今日からゴールデンウイーク |
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朝のうちに花壇の雑草を少し取り、グレープフルーツの木と、茉莉花の鉢の中の雑草も取った。どちらもこれから延びる種類だ。茉莉花は別名ジャスミンと呼び、花が咲くとその香を楽しめる。それに強い種類で、この地で十分越冬出来る。
ゴールデンウイークと言っても、我が家は何処にも出かけない。息子や娘一家が来るのは、後半ということになっているから、今日はのんびり庭の整理が出来る。と言っても、腰痛や神経痛になるのは困るので、ほどほどで止めて、休んでまた少し、というようにしている。午後少し休養し、夕方近く買い物に出た。往復歩いたので街の人出が良く分かった。若い二人連れも観光に戻ってきている。若い人は切り替えが早いが、高齢者は知り合いに会うと被災者、被災地の話をしている。忘れてはいけないことだ、と思いながら、気分の切り替えはしたい、と思う。なかなか難しいところだ。
夕食は金目鯛の煮つけをメインにした。産地は特に聞かなかった。とても油が乗っていて美味しかった。これが、どうということもないゴールデンウイークの初日の話である。
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| 2011年4月28日(木) |
| グレープフルーツの木 |
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庭のグレープフルーツの鉢の木に花芽が付いた。三つほど付いている。白い花が咲くが、何しろ鉢植えだから大きな実が成ることはない。それにこの鉢植えは元々実生なのである。
昔息子が小さかった頃、私は安いグレープフルーツをスーパーで買ってきた。2つに割って子供たちと食べた。その時に、まだ小学生だった息子が、「あっ、種から芽が出ている」と言った。種の隅から黄緑色の新芽が出ていた。
「どこかに埋めてみようか」と言って、小さな鉢に植えた。それから2.3度植え替えをしたと思うが、今では子供の背丈ほどの木に成長している。観賞用と息子のその時の思いを記念にして育てているが、時折そんなことも忘れ、暑い夏の水遣りを忘れることもある。去年の秋ごろ、少し化成肥料をやった.それが効いたのだと思う。今日もまたハイポネックすの水溶液をやった。ソテツの鉢にもやった。ソテツはこれから新芽が出る。もう1つ、水鉢の睡蓮の茎が伸びすぎたので、半分ほどに切って、水の中の鉢に埋めた。挿し木ならぬ挿し茎をしたことになる。水の中だから多分付くだろう。
庭の話ではないが、次のランチ会の予約が無事に取れた。新しい店だ。名前は、イゾラ トラットリア という。
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| 2011年4月27日(水) |
| 電話を受けて、考える |
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朝まだ家族が出勤しないうちに、友人から電話があった。「30分後に」と言って切り、9時過ぎにこちらからかけた。
それだけのことだが、緊急の用事ではない朝の電話は、察するに、昨晩から話したかったこと、胸に溜っていたことを吐き出したくてかけてきた、と思う。思った通り、電話の話は30分にもなった。
私も若いころ、そんな気持ちに良くなった。人間関係がうまく行かなかったり、自動車免許取り立てで、運転に悪戦苦闘していた時など、誰かにこの気持ちを聞いてもらいたいと思って、電話をかけたりした。ちなみに、家族は自動車運転免許を持っていないので、相談出来ない。その時、電話を受けた人はどう思ったのか。今考えると首を傾げる。落ち着いて考えてみると、自分にとって100ぐらいに感じる苦労も、人にとっては10か20にしか感じないものである。主観と客観はそれほど違う。小説を書いてきたお陰で、自分と向き合うようになり、苦しんでいる時の自分が以前より大きな目で、俯瞰出来るようになったのは幸いだ。最近は、苦しみのほとんどは文章化して、発散する。(もちろん出来ないものもある)少なくとも、人にぶつけなくて済むようになった。そのせいか、人に相談されることが多くなった。相談されると、「そう、そう」と相槌は打つが、結論や解決法は言わないようにしている。解決法は自分で見つけるより他はない。どうしてもひと言、と言うとしたら、
「落ち着いて」、と言葉をかけるだけだ。1晩眠れば、昨日より今日は良くなる。また1晩眠ればさらに良くなる。そう思って生きて行く、しかない。人間同士の話はその程度しか進展しない。あとは神信心しかない。キリスト教では、苦しみを神の試練、と言い、乗り越えるように祈りなさい、と勧める。仏教にもお経がある。無心論者だったら、哲学書や文芸書を読むか。とにかく自分で考える。そのうちに、何事も人のせいにしない、自分の心の持ちよう、ということが分かってくる。最近では、心のケアをする専門家も居るから、そういうところに行くのも良い。
断っておくが、この話の対象は、暮らしの中の小さな話から始まったことで、この度の東日本大震災関係の被災者の方々の話ではない。これはまた別の機会に書かせてもらう。
今日は小説の手直し、日記書き、スーパー往復などをした。
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| 2011年4月26日(火) |
| お掃除と昼食会 |
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午前中はお掃除のMさんと働いた。我が家はそもそも家具や荷物が多い。姑の残した家具もあるから、娘の着物、孫の玩具などを置いてあることを考えたら、私たちも入れて4代分の荷物が置いてあることになる。その上、私の本が所狭しと並んでいる。いくら片付けてもすっきりしない理由も分る。暑くも寒くもないこの季節に、家の大片付けはしておかなくてはならない。と、思っても、この季節はガーデニングも、忙しい。鉢の植物の植え替えなどは、暑さ寒さを嫌うのだ。
その上、行きがかり上、小説の手直しをすることになった。編集長に「春は、(または連休は)書きたくない」などと言える身分ではない。(言う人が居るかどうかは知らないけれど。)書けることが有り難いと思わなくてはいけない。手直しと言っても、今回の(タイトルN)の仕事は、新しく書いているとも言える大幅なものだ。
「春なのに、…」という歌があったが、忙しくて、そんな気持だ。
掃除を終えて、昼食会に駆けつけた。出席者は6名。窓際の良い部屋で料理も先ず先ずだった。二次会はいつもの紅茶喫茶で、美味しいミルクティーを飲んだ。家族の帰りは早かった。
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| 2011年4月25日(月) |
| 電話の多い日 |
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今日は、パソコン前に長く座ったが、その間電話のベルが良く鳴った。受話器の向うから、「今、いい?」と訊ねられると断れない。せっかくかけてきてくれたのだもの……、という気持ちになる。
用件は明日の昼食会のことだった。1名体調が悪く、欠席になることが決って、そのことに心配が加わって、連絡事項や話題が出てくるのだった。平均年齢が高い集まりだから、全員無欠席というわけにはいかない。もちろん自分も同じである。あまり過激なことは考えないで、しばらくはこのままで様子を見ていようと思う。
忙しくしていたら、洗髪をするエネルギーがなくなってしまった。いつもの美容院は混んでいると思い、駄目でもともとと電話をしたら、珍しく空いていた。洗ってもらい、乾かすだけいいと言ったら、その通りにしてくれた。有り難い美容院だ。さっぱりして気持が良くなった。街では統一地方選挙の後半戦が行われた。相変らず、民主の成績は良くない。
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| 2011年4月24日(日) |
| 復活祭 |
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雨も上がった。今日はキリスト教で言う復活祭の祝い日である。10時のミサはその祝いとして行われる。私はいつものように、
「行って来ます」と家を出た。
ミサ中の神父の話は、「いつもの年よりも、(東北の大震災のために)ややくすんだ感じの復活祭となったが、受難、という意味を良く考えて、過すように…」
という主旨のものだった。復活は目出度い祝い日だが、日本の受難はまだ続いている、という意味に解釈した。被災者のために精一杯祈った。どうか、希望を持って生きるように、政府は、内部紛争など控えて、しっかりと対処し、働いてくれるように、東京電力は1日も早く、原発問題を終結させるように、と祈った。
午後からは、娘夫婦が来た。近々、和服を着ることがあるそうで、私の家にまだ置いてある娘の着物を取り出し、あれこれと考えていた。長襦袢の袖丈出し、などこちらの用事が増えたが、着物を着ることは良いことなので、文句は言わなかった。
送りがてら、家族と大船のユニクロ店に行った。そして2、3点買い物をした。店内は混雑し、レジ前も行列が出来ていた。地下のスーパーにも寄って帰った。
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| 2011年4月23日(土) |
| 1日中、雨風強し |
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日中は雨と風に襲われる天気となった。休日の家族とぶらぶらと出かける気分にもならず、夕方まで家に居た。天気がやや治まってから、傘を差して買い物に出た。それでも、街の人出は一時より多くなっている。地震以後、観光客が来なくなって大きな打撃を受けている観光客相手の店もあると聞く。自粛、自粛と言っていた人たちも、この頃は消費をして経済を活性化させましょう、と言い始めている。大金を使う海外旅行などは止めて、その分を義捐金に回す人も居るだろう。ボランティアにいく人も居るだろう。若くて力のある人は素晴らしいと思う。日本の現状を忘れるわけにはいかない。老若男女、ひとはそれぞれだが、街の人々が暗い顔になってしまうのは困る。街は日本という国の縮図でもあるからだ。
スーパーの店頭の花店では、雨に濡らしてはいけない(水を与えすぎてはいけない)多肉植物、アロマティカスが雨に濡れていた。何だか気になって、行きも帰りもその鉢を眺めて通った。あの鉢は今ごろ店のなかに仕舞われたろうか?
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| 2011年4月22日(金) |
| ひとり目覚めるが… |
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1人のんびり目覚めるが、朝食はきちんと取る。しかし、1人のときは味噌汁は作らない。紅茶かコーヒーを飲む。そのままのんびりというわけにはいかない。小説の手直しも続いているし、日記も溜っている。
かってこの「あんばら庵」の良き読者だった、元のぞみ会のYさんは、「あんばら庵」の日記が滞っていると、「ご旅行ですか?」メールをくれたが、実際には、コンピューターのワード2003の画面を開いていて、(大げさに言えば)ウンウン唸って原稿を書いていると、それをいったん閉じて、ホームページのページ画面を開くのが億劫になる。小説書きのほうでエネルギーを使っていると、ストレスを発散したくなる。外を散歩することもある。もちろん旅行のときもあった。旧「あんばら庵」の時代は、イタリア旅行、カナダ旅行、ドイツ、スイス、フランス旅行、韓国旅行、さらに北海道、九州、四国旅行などがあった。そういう時は、ノートパソコンでも持っていかない限り仕方ないが、家で小説を書いていて、ホームページのページが開けないというのは、妙に心苦しく、(日記が溜っている)という、追われる気分に捉えられる。しかし、書き出せば、元々書くのが好きだし慣れているので、どんどん書ける。……というわけで、このところは忙しいので、こうして弁解を書かせてもらっている。必ず書きますから、お待ち下さい。
午後は美容院でヘア・カットをしてもらった。帰りにスーパーに行く。地震以来、スーパーの棚から無くなっていたヨーグルト系(ドリンクも含む)の物は、やっと棚に戻って来た。しかし、すぐに売り切れる状況だ。家族はこのMという会社のドリンクを毎朝飲んでいる。牛乳が飲めない家族にとって、大切な蛋白源だ。
夜、軽く体操をしていたら、外には雨が降ってきた。しばらく雨の音を聞きながらストレッチ体操をした。家族もわたしも健康管理に忙しい。
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| 2011年4月21日(木) |
| 柔軟体操する |
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午前、午後と小説の手直しをする。方向性は決まっていると言うものの、書き出すとなかなか大変なのが分かる。しかし、やらないわけにもいかない。家族が今夜仕事で静岡泊まりなので、時間があるのだが、机にかじり付いていても、煮詰まって上手くいかないこともある。途中、西口のスーパーまで歩いて行って、1人分の夕食の材料を買った。それから、アロマティカスという名の、葉っぱに匂いのある植物を買った。多肉植物のような、厚みのある葉が触ると匂う。去年別のスーパーの花店で見付け、とても気に入った。大事に育てて長くその香を楽しみたいと思う。
夜になって久しぶりに柔軟体操をした。健康にならないといけない。いくら忙しくても体操ぐらいしなくては、体操好きとしては恥ずかしい。終ってから気持が良くなった。
テレビでは菅総理の避難所訪問を観た。短い時間だったらしく、素通りしようとしたある場所で、被災者の夫婦に詰め寄られ、
「そういうつもりではなかった」と弁明している総理の姿が映し出されていた。貫禄がないというか、カリスマ性のまったくない日本の総理の表情に、情けない気持ちが湧いた。
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| 2011年4月20日(水) |
| 喉の検査は異常なし |
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先日の来院の折、喉の検査の予約をしておいた。今日の午前11時がその予約で、東京のS病院に出向いた。この病院で耳鼻科の検診を受けるのは初めてである。結果から言うと、声枯れは年齢的なもので、心配はないとのことだった。
暖かかったので、行きも帰りも歩いた。帰りは特に気持が良かった。そのせいかかなり空腹になって、品川駅で降りて、馴染みの店に入った。プレートに好きなものを取るビュッフェ形式は変わらなかったが、なんと店の名前が変わっていた。経営者または系列が変わっただろうか。コーンスープが胃袋に沁みた。それから真っ直ぐに帰った。
巨人ー阪神は巨人が勝つ。昨日は負けた。節電でまだナイターは少ない。しかし、街の人出は少しずつ戻ってきている。あまり自粛していると、経済が動かないで良くないという説が出始めている。街が賑やかになることを祈っている。
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| 2011年4月19日(火) |
| 朝、塀の外の木の葉を掃く |
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朝、家族を送るとき塀の外に木の葉がたくさん散らばっているのを見た。体調が良かったので、そのまま庭箒とちりとりを出して、落ち葉をかき集めた。雑草も少し取っていたら、ヴィニール袋一杯になった。朝一番の仕事で、体を動かすと、そのまま動いてしまうようで、近くのクリーニング店に行ったり、酒店に行ったりした。クリーニング店の出来上がった品物も、酒店で買った缶ビールも重かった.どちらも家族に頼まれたものである。最近は重いものを持つと息が切れたり腕が痛くなったりする。それでもまだ持てるから良い。そのうちにどうなるか分からない。
午後は少し眠った。夕方になってクリームシチューを煮ようと思い、鶏肉や野菜を冷蔵庫から取り出して、下ごしらえをした。しかし、シチューを煮始めた頃、家族から電話があり、今夜は遅くなるとのことだった。そういうわけで夕食は1人で、シチューを口にしながら、のんびりと過した。(と言っても、テレビで東日本災害関係のニュースは良く観る)
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| 2011年4月18日(月) |
| 福島第一原発の修復計画 |
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福島第一原子力発電所事故に対する、東電側の修復計画が発表された。A案は3ヵ月計画として、B案は6ヵ月から9ヵ月計画として、詳細が述べられた。
それを知らされた地元の人は、
「仮に、9ヵ月先と言ったら、正月を過ぎてしまうではないか」
と怒っていた。半径20キロ以内に家を所有し、避難余儀なくされている人たちにとって、今年中に解決しないかもしれない、という話はなんともやりきれない話だろう。
「人間の手で作ったものが、人間の手で直せないのか」
と疑問を投げかける人もいる。一日も早い解決を願う。
今日は、本郷台のTさん宅に行くために、午前中に洗髪をした。髪の毛の汚れ具合がいつも気になるのは、老いても女性だからか。気にしている通り、髪の毛が綺麗になると、気持ちもさっぱりする。午後、本郷台のTさん宅に行ってからも、思っていたよりずっと元気になり、色々な話も出来た。帰りは大船のスーパーに寄って帰った。
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| 2011年4月17日(日) |
| 受難(枝)の日のミサ |
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二週休んだミサに行った。今日は受難の日で、聖堂の入り口で棕櫚の枝を渡された。ミサの始まる前に、神父が中央の通路を往復して、各人が持つ棕櫚の枝に聖水を振り掛けてくれる儀式がある。棕櫚の枝には特有の香があり、その香も、神父が聖水器から聖捧で水を振りかけてくれる時の、雫の冷たさも好きだ。神の恩恵をたくさん受けたように思えるから不思議だ。
神父の話は、来週の復活祭は東北地震災害の後で、ややくすんだものになると思うが、受難という言葉の意味が、より鮮明になるので、この事を各自よく考えて下さい、という主旨のものだった。ミサが終ってから、出口のところで神父と少しお話をした。体調のことを少し話したかったのだ。しかし、この教会には高齢者がたくさん居るし、病気の方も居るから、気に留めてもらえたか分からない。とにかく話すだけは話した。
帰宅してすぐ、庭に出ていた家族と一緒に、鉢の中で窮屈になっていた万年青の株分けをした。ずっと気になっていたので、1鉢を6箇所、6株に分けで植えてほっとした。延び延びと根付いて欲しい。もちろん水もたくさんやった。万年青は縁起物の植物で、根付きが良いから引越しの時に持って行きなさい、と聞いている。冬には赤い実をつける。また、拙作に「万年青」というタイトルの短編もある。好きな植物の1つだ。
午後駅前まで行ったが、庭仕事の後で疲れを感じ、家に帰ってから、ベッドで少し休んだ。1時間ほどで回復し、それから、台所に入り、シチューを煮込んだ。
なお、家に持ち帰った棕櫚の枝は、恩になった執刀医N医師の写真の前に置いた。
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| 2011年4月16日(土) |
| 栃木県で震度5の地震 |
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休日の午前中、二階で洗濯物を干していた時、またぐらっと揺れた。慌てて下に降り、玄関の戸を開けた。家族は近くの整形外科のリハビリ室に行っていて留守だった。テレビのスウィッチを入れると、震源地は福島方面ではなく、栃木県で震度5ということであった。神奈川は震度3と数字が出ていたが、けっこう揺れた。東北沖地震とは関連がない、という報道もあったが、広い意味ではあるかもしれない、と言う。どうも報道が事実を追いかけて、何とかコメントしている感じで、良く分からない。原発事故に対する東京電力、安全保安院の審議官の話にしても、詳しく丁寧に説明されるほど分からなくなり、こちらの頭がすっきりしなくなる。パニックにさせないための配慮もあるだろうが、それにしても各団体の長(政府の官房長官も含めて)の説明には、疑問が残り、不安が増すばかりなのだ。
午後は家族と、小町通に行った。古い時計店に寄って、時計の電池を変えてもらうと言っいた家族が、その時計を別のものと間違えて持参し、店に入って気付いた。自分にも最近はそういうことがあるから、怒るわけにはいかなかった。結局家族は1度帰って、ふたたび時計店に行ったが、私はもう家で留守番をした。
夜は余震はなく、テレビのクイズ番組をのんびりと観た。
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| 2011年4月15日(金) |
| 「あんばら庵」開設8周年に思う |
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本日で、この「あんばら庵」開設8周年を迎えた。
旧「あんばら庵」を justsystem社の mixpark というホームページ゛で作成し、4月15日から日記を書き始めたのは、2003年のことであった。私も8歳若かったわけである。
そんな日、夕方になって良い電話があった。地震以来、あまりいい話はなかったが、気弱になった気持ちを振り払うことが出来た。8周年を迎えられたことも、人との繋がり、縁のめぐり合わせなど、何もかも、まさに神に感謝!である。
午後ははり治療に行った。そのせいか体が楽になった。帰り道、自分自身の心身の力の省エネ、について考えた。この年まで全力疾走をして生きてきたが、必要のないところにはエネルギーを放出しないで済む方法を考えなくては、と、真剣に考え始めている。しかし、不義理をしないで、人に優しく…、となると難しい問題もあるが、この省エネは、命に関ることだから、電力以上に大切なことだ。人間は壊れ物、に出来ている。無茶をしたら壊れる方向に行ってしまう。今度の地震で、人間の立つ足場さえ、危ういと思い知らされた。ゆっくりと考え、実行できれば幸いだ。
Congratulations! Anbara-an Anniversary 8th
福島の、元のぞみ会のYさんが生きていたら、きっとこんなメールをくれただろうな。
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| 2011年4月14日(木) |
| 絵硝子横浜句会 |
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句会に行った。地震以来何故か句がたくさん出来た、と前に書いた。そのなかの5句を持参して出かけた。初めての人、見学者が2名来ていた。1名は私が呼んだ、通信教育時代の友人Yさんである。Yさんは、良くメールに添付して、芝桜、富士山などの綺麗な写真を送ってくれる人だ。俳句は初めてと言うが、美的センスがあると感じる。
投句者は11名で55句集り、選者はブラス2名で13名となった。句会の始まりに、W先生が、「地震の時、屋内にいましたか、屋外でしたか?」と質問した。手を挙げたのを見ると、屋外にいた人の方が多かった。先生は都内に居て帰れず、ホテルに泊ったと話していた。みな、それぞれのドラマがあったようだ。それから句会を始めた。地震、災害を詠んだ句は半数近く、他の句は春の自然をさりげなく句にしていて、なかなかの盛会であった。YさんはW先生に、是非この句会に入会し、今後も参加したいと申し出でていた。何よりのことだ。
帰りは大船の駅ビルスーパーで買い物をして帰った。ちなみにこの「あんばら庵」の日記は、旧「あんばら庵」から毎日書き続け、明日15日で丸8年になる。よくも続いたものだ。最後に、句会時の拙句2句。どちらも点が入った。
傘の柄 褒められ温し 信州路
被災地に 届け千手の 雪柳
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| 2011年4月13日(水) |
| 検診の結果 |
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このところ晴天が続いている。暖かくなって暖房を点けずにいることが何より嬉しい。
1人起きて、軽く食事をし電車に乗った。結果を聞きに行くのはいつも気が重い。しかも、地震の直後の心身の調子が悪い時に検査をした。
結論から言うと、大きな心配はなかった。しかし、知らない間に肺炎にかかっていた所見があると言われた。肺がんとは違う浸潤である。風邪を引いたように思っていた時の症状なのか。良く分からない。後は数値が少々上がっているところがあった。半年後の検査をもう少し早くしましょうと言われ、予約をしてきた。地震で参っているところ、いささか憂鬱になった。
しかし、病院を出てから、娘と会うことが出来て、いっしょに中華の昼食を取り、元気になった。食後、午後の仕事に向う娘と別れて、私は家路に付いた。めげずに頑張らなくてはならない。
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| 2011年4月12日(火) |
| 三田文学春季号届く |
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朝8時頃、また余震があった。東北の揺れに比べればずっと弱いのだろうが、年寄りの神経には応える。震度は、直後になって知らされるが、揺れ始めた時、「このくらいの揺れで治まりますよ、」という保証が何処にもないのである。最初小さく感じても、ドカンと大きくなることもあるし、そのたびに少々は緊張する。一日も早く落ち着くことを、被災地のためにも祈るばかりだ。
お掃除のMさんが来てくれる。話題は地震の話ばかりだ。貸し、家の内と外は綺麗になった。家族は静岡県に出張に行った。1晩どまりである。心細いが仕事は少なくなって楽である。
午後のニュースで、この度の福島第一原発の事故が、レベル7(最高)に引き上げられたと報道された。しかし、数値などは、チェルノブイリの事故と違うと、いつもの原子力安全保安院の審議官が、説明している。ちなみにこの西山という審議官は、ハーバード大学の大学院を出ているそうだ。先日美容院の鏡前の週刊誌で読んだ。秀才とはこういう人のことを言うのか。複雑な気持ちになる。
今日は三田文学春季号が届いた。ゆっくりと読書がしたい、と思う。
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| 2011年4月11日(月) |
| 休息の1日 また揺れる |
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いくらなんでも、そうは体が持たない。2日間の旅行と昨日の花見で、2万歩を越えるほど歩いた。
今朝家族が出勤すると、何もする気がなくなった。それでも「あんばら庵」の日記を2日分書いた。
昼食を取ろうと思ったら、旅行前に買った固いパンしかなく、それを卵と牛乳に浸し、フレンチトーストを拵えた。何とか食べられた。他は紅茶とヨーグルト。
午後は、ソファでぐっすり眠った。昼なのか夜なのか分からなくなるほど熟睡した。昼間寝られるから幸せと思う人もいるだろうが、主婦には出社時間も退社時間もなく、もちろん休日もない。せめて、日中眠れる恩恵ぐらい味わっておかなければ、身が持たないのである。
2時間ほど眠ったら元気になり、庭の水撒きをした。ついでにハイポネックスの水溶液を作り、綺麗な花が咲くように、らんやセッコクにかけてやった。それから野菜を切り、野菜スープを煮始めた。
スープがまだ火にかかっている時、強い余震があった。思わず庭に飛び出したが、珍しくスープの火を消すのを忘れた。揺れが収まってから台所に行くと、ガスの火は消えていなかった。それ程の揺れではなかったのか。余震も度重なると、注意が行き届かなくなる。しかし、火は必ず止めなくてはならない、と思った。しばらくしたら、家族から「大丈夫だっかか」と電話があった。福島では震度5強とのこと。原発の問題がさらに心配だ。
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| 2011年4月10日(日) |
| 統一地方選挙 |
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午前中に、エアコン掃除の人が来るので、日曜のミサは休む。旅行の後で、急いで帰ってくる体力もないから仕方ない。予定より少し遅れて、業者が到着し、作業に入った。感じの良い人であった。2台の作業が終り、帰った時は12時半過ぎになっていたが、そのまま家族と、徒歩で10分ほどの統一地方選挙の投票所に行った。そして、きちんと国民の義務を果たし、帰宅した。途中、人混みの中で空腹を感じ、戻って昼食を取った。
夕方、駅前までの買い物のついでに、八幡宮の段蔓の花見をした。八分咲きで、ほぼ満開と言った桜であった。
午後8時過ぎから、選挙速報を見た。3分もしないうちに、東京都知事選の石原慎太郎氏の当確のニュースが出た。私の投票したわが町から立候補の県会議員の当選は、翌朝になってやっと分かった。今日も良く歩いた。
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| 2011年4月9日(土) |
| 小雨の朝 水芭蕉に会う |
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朝から小雨が降っていた。宿の渡り廊下の周辺には、石楠花の蕾も見えたが、まだ花は咲いていなかった。朝食は、洋館のホテルの食堂のような椅子席に案内された。100人ほど入れる、と思われる食堂には、私たちの他1組しかいなかった。食事は味噌汁のなめこが美味しく、しかも大きなものが入っていた。地元のスーパーで買う品とはだいぶ違っていた。食後急いでもう1度温泉に入った。大病をした後の旅行では、旅先での朝の風呂は敬遠していたが、今回はお構いなしに入った。また何時来られるか分からない、今回の地震で、本当に、出来る時には躊躇わずに、行動しておかなければと痛感しているのだ。ちなみに同行の家族は入らなかった。
それからロビーでコーヒーを飲んだ。静かなロビーで、それだけでも気が休まる思いであった。
チェックアウトしてから、荷物をフロントに預け、昨日行かれなかった常楽寺へと向った。これは昨日行った「北向き観世音像」の本坊に当る寺と聞いている。15分の道のりを、持参した傘を差して歩いた。最後は、何処も同じの石の段になった。しかし、歩きなれたせいか、気分が高揚しているせいか、簡単に昇れた。本堂の建物は、何となく鎌倉の瑞泉寺の建物に似ていた。その左手から裏山に登ると、石造多宝塔がある。歩き始めた時、本堂横に6体の地蔵を見つけた。鎌倉の六地蔵よりかなり大きいサイズのものだった。今時の小学1.2年生の背丈ほどあった。登る道はヒノキや杉の木に囲まれていた。石の塔は、日陰のせいか年月のせいか、皆苔むして緑色になっていた。
降りるときに、ちょうど本堂の真裏の当りに、白い花の群れを見付けた。近付いてみると小さな沼地があり、そこに水芭蕉の花が幾つも咲いていた。それも今咲いたばかりというように、清純な色を放っていた。家族に傘を持ってもらい、わたしは近付いて写真を取った。だれも見ていないのにこんなところでひっそりと咲いている花々が可憐に思えた。良い写真が何枚か撮れた。花が少なかった旅で、この花に会えたのは幸せであった。(いずれPICTUREコーナーに掲載する予定。)
宿に戻り、荷物を受け取り、2両だけの小さな電車に乗り、上田市に向った。その頃はもう雨が上がっていた。
上田市では、信州名物のそばを食べ、それから上田城址跡に向った。予定にはなかったことだが、体調が悪くなかったので、市民の散歩道にもなっているケヤキ並木を歩き、城址公園から、幸村神社を詣で、南西両方の櫓に登り、下界の上田の市街地を眺めた。山々は少し霞んでいた。熱心な解説者がいて、真田幸村の話などをしてくれた。大助という少年が13歳で自刃した話を詳しく聞かせてくれた。我が息子が小さかった頃、テレビドラマの「真田幸村」が好きだったことを思い出した。今はその娘が歴史に興味を持っている。面白いものだ。
街に下りて、またコーヒーを飲んで、それから東京に向う新幹線に乗った。眠ろうと思ったが、ずっと気分が高揚していて、眠らなかった。電車の運休、途中の地震もなく、無事に家に着いた。良い気分転換が出来たと思う。
神に感謝!
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| 2011年4月8日(金) |
| 長野県へ |
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午前11時少し前に家族と家を出た。JRに乗って東京駅まで行くのは久しぶりだ。それから長野新幹線に乗る。1ヵ月も前から決めていたことで、地震の後、何度もキャンセルしようかと思ったが、このさい気分転換をするのも良いと思い、出発を決めた。しかし、電車の遅延、その他何があるかも知れず、こちらの心身の健康状態にも不安が多くあった。結局は見切り発車したわけだ。
先ず、家族お勧めの、東京駅のいわゆる駅中(エキナカ)で買ったお弁当が美味しかったことを書いておく。新幹線が発車して、上野駅周辺の桜を窓から眺めつつ、弁当を広げた。東北の、食料に不足している人たちのことを思い、祈りながらも、私はこの瞬間に幸せを感じていた。「日本頑張れ!一つになろう」と言っても、皆が暗い気持ちになり沈んでしまってはいけない。ともかく元気になろう。年寄りの私も、元気になりたい!
そう思いながら箸を動かした。車中、「どうですか?」という娘からのメール、そして今日入学式が終ったという上の孫からのメールが届いた。どちらにもすぐに返信を送った。中学生になった孫のメールはとても楽しそうで、担任の先生はとても良い先生で、友達も出来た、と書いてあった。ここ数ヵ月の肩の凝りが解けていくようであった。軽井沢駅を通り越し、上田駅で下車した。それから上田電鉄別所線に乗り換えて、終点まで乗った。駅まで送迎バスが来ていた。
和風の宿はとても空いていた。「例年なら満室なのですが、」とフロントの人は言っていた。聞くと、今夜は10人ほどしか客が居ないと言っていた。そのせいか、元々そうなのか、とても丁寧に接客をしてくれた。
荷物を部屋に置いて、夕食前に、二箇所の観光をした。「北向き厄除け観音」(天台宗)と八角三重塔(国宝)で有名な「安楽寺」(曹洞宗)である。どちらも2.3組の観光客しか居なかった。暖かい気持ちになったのは、良く見かける神社仏閣の手洗い場の水が、水ではなく湯気の立つお湯であったことだ。そのお湯で手を洗うと微かに硫黄の匂いがして、本当に厄が除けられそうな良い気分になった。往復かなりの距離を歩いた。
宿に戻って、宿の湯に入った。大きな浴槽は貸切という感じで、他にだれもいなかった。露天風呂には行かなかった。夕食の、ふきのとう、たらの芽などの山菜料理がほろ苦くて、体と心に沁みた。長野県は、子供の頃、母とよく訪れた県で、そのせいか相性が良い。そう思って鋭気を養うなら、母も天国で喜んでくれるだろう。夜は祈りながら眠った。
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| 2011年4月7日(木) |
| 夜、福島震度5強の余震 |
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思ったより寒い朝となった。日中は暖かくなると予報では言っていたが、……。
ともかく洗濯をして外に干した。日が当れば良く乾いて気持がいい。目に見えない放射能が飛んできているかもしれないが、気にしないことにしている。
その後、洗髪をしようと思ったが、明日遠出をするので、用心して止める。昼前からビーフシチューを煮始める。午後から美容院に行った。鏡の前に週刊誌その他雑誌がたくさん置いてあり、地震津波災害、原発事故の写真や記事をかい摘まんで読んだ。有名人が、この災害について色々とコメントしていた。だれも殆ど同じことを言っている。そのうちに、意見が少しずつ違ってくるかもしれない。世間には大義名分が好きな人、嫌いな人が居ることは間違いないのだから。今はただ、命の大切さを祈るばかりだが、被災者、家族や家を無くした人たちへは、今後はもっと細やかな配慮や力が要求されることになるだろう。
帰りに、銀行やスーパーに寄る。
家族は出張明けで早く戻った。茨城県からの帰りで、潮来市日出地区の液状化した現地の写真を見せてくれた。普通の住宅の塀が曲がり、道路には亀裂が入っているものがあった。
明日の外出を考えて、私は早寝をした。しかし、11時半過ぎ、携帯電話の緊急地震速報のベルで起こされた.同時にかなりの揺れを感じた。居間まで起きていって、テレビを観ると、福島では5強の地震であったらしい。避難所でまたまた大きな地震に遭うなんて、なんと気の毒なことか!余震が早く治まってくれることを心から祈るばかりだ。
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| 2011年4月6日(水) |
| 定期健診に行く |
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半年振りの定期健診に東京まで出かけた。地震以来始めての東京行きである。
しかし、気温は朝から高く、電車も遅延することなく走り、ごく普通に港区のS会中央病院に着いた。病院の外見も、出入りする人々も、院内で働く人びとも、以前とまったく変わっていなかった。CT検査の前に少し時間があったので、採血と採尿を先にした。どちらも長くは待たずに済んだ。CT検査は、これまでに何回も受けてきたが、この度の原発事故の安全保安院、審議官の説明で、「この程度の放射線量は、1回レントゲン検査を受ける程度」という説明を繰り返し聞かされたので、CT検査の白いトンネルを潜りながら、ピカッと光るのが、「ああ、これが放射線か。少量の被爆か」などと考えた。まったく、地震以来、こちらの頭も少し可笑しくなっている。「息を吐いて止めて下さい」「元に戻って下さい」の声は、3回聞いて、終った。会計の窓口もさほど混まず、予定より30分も早く病院を出ることが出来た。天気が良かったので<JR田町駅まで、ゆっくりと歩いた。途中、この近くで働いている娘にメールをし、昼食でも一緒に、と思ったが、返信が来なかった。後で聞いたら、携帯を家に忘れてきたそうだ。残念!
検診の結果は来週分かる。
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| 2011年4月5日(火) |
| 朝日のコラム「同調圧力」に警鐘 |
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今朝読んだ朝日新聞のコラム、『「自粛」「不謹慎」同調圧力に警鐘』の内容に共感した。
その書き出しは、
「歴史的な災厄に直面する日本社会に今、正しさ、を錦の御旗に掲げた同調圧力が働き始めているのではないか」
というものだ。この湘南地方では、地震後ヨットレースを行う者たちに、「非国民!」という声が飛んでいるという。このコラムでは、1人のジャーナリストが、ある音楽公演に対して、「不謹慎だ」「節電しろ」の批判が相次いだことを紹介し、一致団結することと、圧力をかける空気を作り出すことは、表裏一体で、容易にダークサイドに転ぶ。と書いている。そして社会全体が同じ感情を共有しているのではない、と結んでいる。
復興を祈る気持ちは同じだけれど、1人1人がその人の持てる個性を発揮して、応援や助力をすれば良い。若い人は、特にそうした同調圧力に押し潰されないように、と、アドヴァイスしている。
私は、この記事から、若い頃、長く所属した女学校を思い出した。友達同士が、厳しい教育をする教師の言葉を借りて、「いけないことですよ」という顔が怖かった。個性的であること、イコール「いけない」のか、と感じて悲しかったことを思い出した。未熟で、自己分析すら出来なかったが、文学への関心など、個性の芽はすでに出ていた。苦い思い出が、何故かこの「同調圧力」の記事でよみがえった。
今日は、電車で駅前のスーパーを往復し、味噌や野菜を買っただけだった。しかし、料理は丁寧に作っている。
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| 2011年4月4日(月) |
| 東電は苦渋の選択、と言って |
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コンクリートのピットの亀裂から、高度の放射線量の水が漏れ出している、というニュースの続報は、苦渋の選択と言って(枝野官房長官のコメントでも了承したと)比較的低度の放射線量の水を、海水に放出すると発表した。良く分からない説明の中で、私が何とか把握したことは、高度の放射線量の水を別のタンクに移すために、現在そのタンクに入っている低度の放射線の水を放出しなければならないと言う。そして、毎度のように、このレベルの放射線量は、……ミリ・シーベルトであって、一年間、毎日もしくは時々、摂取しても、さほどの害はない、などと言う。不安を与えておいて、まあ、大丈夫でしょう、という説明の仕方は一貫して同じである。しかし、海への放出という話は、境界線がないということもありいい気持ちのするものではない。出来ればテレビを消し、耳や目を塞ぎたい気持ちになる。東北の被災地の人たちは踏んだり蹴ったり、ということになる。
肩凝りがひどかったので、久しぶりにK・T子さんのところでマッサージをしてもらった。新陳代謝が働き、後は少し疲れたが、夜には体が軽くなった。小さなキャベツとひき肉が残っていたので、小さなキャベツ巻きをトマトスープで6個煮込んだ。家族は美味しいと綺麗に食べてくれた。今日は洗濯もしたし、まあまあ働いた。
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| 2011年4月3日(日) |
| 1日休養した |
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昨日は1日元気に動いた。それが祟ったのか、朝から風邪の症状がひどくなった。と言っても発熱はしていない。喘息のような咳が頻発するのだ。この頃は、いくら夜(7時間ぐらい)ぐっすり眠っても、前日の疲れが取れないことがある。今日はその言葉通りの日になった。
日曜のミサに行きたかったが、残念だが休み、家でごろごろとしていた。午後になって家族は一人で江ノ電に乗って藤沢まで出かけた。いつもなら一緒に行くところだったが、やむなく留守番をした。2時間ほどで帰ってきた家族は、注文したものを全部買い揃えて来てくれた。その品物を見ただけで嬉しくなり、元気になった。クイーンズ伊勢丹の蓬と餡のお団子が美味しく、力が湧くように感じられた。避難所の人たちにも食べさせたいと思った。常々、日本人のエネルギーの素は、和菓子ではないか、と思っている。もち米や餡こは、栄養価もあり、遺伝子に受け継がれた日本人の口や胃袋に合っている。2度ほど募金には協力したが、今度協力する時は、和菓子を食べて下さい、と祈ってしようかと思う。
夜になって、余震のニュースはまだ続いている。テレビには芸能人などの炊き出しの風景も映し出されている。スポーツ選手なども募金に参加している。
思うことは色々あったが、今日は1日休養してしまった。
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| 2011年4月2日(土) |
| 火鉢の用意出来た |
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とても暖かい日で、休日の家族と庭に出た。家族は雑草を取り始めていたが、私は物置の扉を開け、奥の方に、バーベキューに使った炭が残っているか調べた.幸いダンボールに三分の二ほど残っていた。娘から火鉢の灰が届いているから、これで停電時の暖房が1つ確保されたことになる。火起こしがどこかにあったかと探したら、壊れたものが見付かった。しかし、底の部分の鉄はしっかりと残っていた。台所に捨てようと思っていた魚焼き網が置いてあるから、両方を重ねれば火は起こせると思う。(ただし、これはガスが出る場合の話)それから、ずっと物入れに使っていた火鉢を庭に出して、ホースの水で綺麗に洗った。義母の残した有田焼の中型の火鉢だ。天国の義母は、なんと言うだろう、と思った。これでも供養になるかしら?それから火鉢を日に干した。乾いたら灰を入れてみようと思っている。
昼食は家で取り、午後からは、家族と駅前に出かけた。JRのティケット売り場、スーパーなどを回った。街は少しずつ活気を取り戻している。日本全体が歴史的な災難、そして被害に会っていると言っても、人々や経済の活気は失ってはならない、と思う。人びとの自然に戻ってくる力は歓迎したいと思う。しかし、この街は海の町でもあるのだから、夏の海水浴シーズンまでに、海への恐怖心が消えるかどうか、それはまだ不透明だ。冷房を使うシーズンには大規模な停電計画もあると聞いている。夏の暑いのは冬の寒さよりいいかな、と思うが、その時になってみなければ、何とも言えない。
帰宅後、もう1度近くまで散歩に行き、久しぶりにMIWAでケーキを買った。他の客も結構来ていた。ケーキを食べる気も、地震当座は起きなかった。
夕方家族は、はり治療に行った。その間に、私のところに友人から電話がかかり、珍しく長話をした。地震の経験から、戦後のことを思い出し、戦争による暮らしの変化をそれぞれに話した。こんな話をしみじみするのも何かの縁だろう。地震のお陰とは言いたくない心境であるが。
福島第一原子力発電所では、コンクリート製のピットに亀裂が入り、高い放射線量の水が漏れ出したと言っている。こういうニュースの度に、原子炉の図面がテレビに映し出され、説明がなされるが、相当切羽詰った状態と感じるものの、専門的なことはなかなか理解出来ない。この放射線量によって、漁業、農業に甚大な被害を受ける人びとが気の毒だ。政府の人たちが何とかしてあげて欲しいと願う。
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| 2011年4月1日(金) |
| 今日から4月 |
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悪夢のような3月も何とか終った。東北にも春が来るように心から祈りたい。
今日は友人に手紙を書いた。丁寧に2度も書き直して書き上げた。人を大切にしようと思うのもこういう災害の後だからか。投函してほっとした。家族は、地震の日に行くはずだった千葉の営業所に出かけた。出かける寸前の地震だったので、途中で足止めにならずに済んだのは幸いであった。茨城では潮来市の液状化がひどいと言われている。この他にも、東京ディズニーランドに近い浦安市も液状化の被害にあっているとのこと、本当に地震は何を引き起こすか予測出来ない。無事に戻ってくることを祈りつつ、家族を送り出した。
私は駅前の魚店、そしてスーパーを2軒回って、買い物&市場調査をした。お気に入りのヨーグルトドリンクはまだ出回っていない。そのまま帰宅した。江ノ電も普通に走るようになっているが、いつもの4両に比べ2両編成なのでとても混んでいる。荷物を持っている時座れるとほっとする。街も、テレビのニュースも昨日と変わらないが、それでも月が変ったのだから、元気を出して生きて行かなくてはならない。新入社員、新公務員たちの式典での張り切った顔、顔もテレビで見られた。若い人は良いが、年配者で家や仕事を失った人たちがやはり気の毒だ。食べ物、水、常備薬などが出回り、何とか元気になって欲しい。
家族は、夜10時過ぎ無事に戻って来た。
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| 2011年3月31日(木) |
| 地震の前日はどこに居たか? |
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朝1番にクリニックに行った。血圧はやや高かった。昨日は6500歩も歩いたし、高台の避難所をチェックしたから上がったのかもしれない。この度の東日本大震災が起きていなかったら、高台への散歩もしなかったのだから、「やはりストレスがかかるのでしょう」と、クリニックの医師は言っていた。東北の被災者のことを思うにつけても、津波の怖さが思い遣られる。ちなみに、このH医師は、私の近作『明日は晴れる』(冬花社刊)をクリニックの玄関の本棚に置いてくれている。そういう方が居ることを思うと、この災害後の日記は書き続けなくてはならない、と思っている。喉もまだ少し赤いと言われ、風邪薬をまたもらう。(総合感冒薬)
何となく冴えない日である。風邪薬は飲むと眠くなる。今日で3月も終る。2011年の3月11日、午後2時46分は、日本人にとって忘れられない日になるだろう。もちろん私にとっても。
地震のショックで、その前日は何をしていたか、しばらくは思い出さず、考えもしなかった。そして、やっと考えて、前日が横浜での句会であったと気付いた。句会は午前10時からだが終るのは12時、それから昼食を取るから、帰宅は午後2時~3時になる。ちょうど大船駅辺りに居たころかもしれないと思った。大船駅ビル、ルミネの地下のスーパーに寄ることもある。前日だったら、大船から家まで歩くことになったかもしれない、車内に閉じ込められることもあったかもしれない、と考えてぞっとした。
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| 2011年3月30日(水) |
| 緊急時の高台まで散歩する |
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今日も暖かい。グレアム・グリーンの「21の短編」(早川文庫)などを時々開いている。しかし、俳句は、出来、不出来は分からないが、良く作れる。散文と韻文の違いがこういう時に現れるのは面白い。単に体力がないと言えばそれまでだが。
午前中は、書いた葉書を投函がてら駅前を往復した。買い物は少しだけして、地震後の市場を調査して歩く。牛乳、卵、トイレットペーパーは、棚にたくさん詰まれるようになったが、ヨーグルト&ヨーグルトドリンク(好きなMメーカーのもの)はまだ棚に戻ってきていない。納豆も茨城の災害から不足していると言われているが、私が見たときは棚にまだ残っていた。
1度帰宅して、昼食を取り午後は少し休息した。しかし今日は暖かいので、3時過ぎ、また散歩に出かけた。
何処へ行ったかと言うと、この地域の避難所として指定されている、高台のO中学校の門前まで歩いてみようと思ったのである。これは御成山という山の上に建てられた学校なので、その建物は道を歩いていても良く見える。避難所という意味は、ただ身を寄せて集る、という意味もあるが、この場合はあくまでも津波を想定しての、市内の高台のことである。
家からO中学まで、早足で歩いて10分かかった。校門の前から、早くも坂になっている。決して近い距離ではない。4.5分で来る大津波だったら、逃げ切れないかもしれない。と思いながらも、こうして下調べしているのは、何とか助かりたいと思っているからだろう。この度の被災者の、生と死の分かれ目は何処にあったか、それは神のみぞ知ることだ。ともかく事前のチェックはした。それでも安心が半分、不安が半分だ。運命は神に委ねるしかない。
散歩を終えて帰宅して、豚肉でカレーを煮た。
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| 2011年3月29日(火) |
| 新玉葱を煮る |
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少しずつ暖かくなってきている。桜の開花も告げられている。しかし、テレビで観たり、新聞で見たりする被災地の様子は春が来る、という風景ではない。ヴォランティアさん始め、若い人たちの前を向いて生きる姿勢は感じられるが、どうしても、年配の人たちに目が行ってしまう。もう1度人生をやり直すには、年を取り過ぎている人たちの思いは、如何なるものか、計り知れないと思う。人生は1回しかないのに、天災とは言え、神様は残酷なことをするものだ。遠くから出来ることは、祈ること、そして僅かだが、募金に協力することしかない。そして、2度と地や海の怒りが起きないようにと願うしかない。
そんな思いを胸に抱えながら、孫のバースディプレゼントを梱包して、郵便局に向う。ついでに遠くの友人に葉書を一枚書いたので、一緒に投函した。
このところ、体力を消耗しているので、小説は書けないが、俳句は良く出来る。震災を詠む、という気持も湧いている。次に湧いているのは、物書きとして読書をたくさんしたいという気持である。このところずっと、震災時の主婦として、一家を支える意識を持って動いていたが、少々疲れ、淋しくも感じている。被災者、原発近辺の避難者を気の毒に思うことは確かだが、私たちも、個性的に、一人の人間として生きていかなくてはならない。家族を守らなくてはならない。小さな孫たちも居る。
孫たちが、良い人生が送れるように、いつも祈っている。
夜は新玉葱を人参などとスープの素で煮込んだ。1時間ほどでとろとろになった。今夜も停電はしなかった。
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| 2011年3月28日(月) |
| 今日は計画停電はなし |
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午前中、市内の友人2人に電話をした。どちらもお元気であった。お1人は近くの体育館で、体操中に地震に遭い、最初は何が起きたか、分からなかったと言っていた。昼までは洗濯などの家事をした。コンピューターを開くと、こんな騒ぎの中でも、「あんばら庵」を開いて下さる方が居るようで、アクセス・カウントが増えている。1人でも見てくださる方が居る限り、止めるわけにはいかない。ちなみに、旧「あんばら庵」の日記を毎日読んで下さった、「元のぞみ会Yさん」(掲示板の書き込みもしばしばあった)はすでに亡くなったが、生前のお住いは福島県双葉郡であった。目下、福島第一原発の避難地域に入っている地域だが、ご家族の安全を心から祈っている。
午後、久しぶりに小町通を歩いた。奥のほうにある老舗の和紙の店に行くため。下の孫の誕生祝が、地震騒ぎですっかり遅れてしまった。折り紙の好きな上、とても上手に折る子なので、和紙の折り紙を送ってあげようと思ったのだ。
小町通には、若いカップルの姿も少しずつ戻ってきていて、活気を取り戻しつつあるようであった。折り紙とやはり和紙のバースディカードを買って、帰りはユニオンに寄って、野菜を少し買った。少し値上がりしているようだった。水は売り切れていた。
夜になって、珍しく広島よりお電話があった。孫のママの姉上からで、ご親切に、「不足している物資があったら、言って下さい」とのことだった。助け合いの気持ちが有り難く、感謝感激であった。
今日は計画停電はなかった。家族は毎日仕事に出かけて、夜帰宅する。停電がないとほっとするのか、ニュースを見ながらビールを飲んでいた。
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| 2011年3月27日(日) |
| 日本人の島国根性 |
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日曜のミサに行く。主任司祭の他に、Mというイエズス会の神父が来ていて、ミサ中の話もM神父がしてくれた。
要約すると、
「日本人は、自分と違うことをする人をすぐに排斥して退けたがる。これは四方八方を海に囲まれた日本人の島国根性とも言うべきものである。ともかく、差別ということをしないように」
という意味であった。ミサ中の、お説教(私はいつも、お話、と書く)は大体15分~20分の長さだが、自分の体調、そして聖堂内のスピーカーの調子などから、全部聞き取れないこともある。しかし、何か1つ覚えてくれば良いと思っている。今日は、このことだけをしっかりと覚えた。そう言われると、この世の中には簡単に「そうね、そうね」と同意する人が好きで、自分の意見をしっかりと持っている人、つまり個性の強い人を嫌う人が居る。しかし、長い歳月を生きていると、個性ほど、困難な時の力になるものはない。今回のような大きな災害は、何もかもが想定外だったのだから、マニュアルに当てはまらないことが続いて起きている。そんな時こそ、個性的に考えることが役に立つ、と思えるが如何なものだろう?
午後は娘夫婦が来てくれたので、色々と、地震以来の話が出来て、気が晴れた。居間の隅に、避難用に拵えておいたリュックとボストンバッグ(2人分)を見て、娘は、
「うちは、まだ何も作って居ないわ」と言っていた。海のそばにも住んでいないし、若いからのん気なのだろう。それはそれで良いと思った。
娘たちが来る前、駅前の菓子店から菓子を1箱配送してもらった。
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| 2011年3月26日(土) |
| 停電の5グループをさらに5分割 |
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停電するために分けた5グループを、さらに5分割すると発表され、わが市は第1グループのEと決った。停電の話が出た3月14日以来、わたしの家はちょくちょく停電する。ところが、場所によっては停電をしないところもあるようだ。知り合いのところで、1度もしていない、と言っているところがある。マンションなどはトイレの水洗が、電気によって動くところがあるそうだから、大変だろうが、東京23区を始め、神奈川でも停電しないところがあるのは羨ましい。いささか不公平と思うが、このさいだから耐えられるところは耐えておこうと思っている。ところで、電気の料金は少し安くなるのだろうか? これで安くななかったら、東京電力に文句を言おうと思っている。いくら何でも、それではひどい。
原子力発電所の話は、未解決と緊張状態のまま、毎度お馴染みの原子力安全保安員の解説、そして説明がダラダラと続き、日々繰り返されている。今日は、放射性物質が、近くの海水中に流れ込んだ可能性があると話していた。「極めて高い」と、数字などを発表しながらも、海水によって薄められるから、すぐに人体に危険とは言えないと締めくくる。脅かしておいて、「でも、大丈夫です」という言い方は、苛々するし、釈然としない。
今日は洗濯物を表に干したので良く乾いた。放射能が降ってくるか、などと考えていない。家族の休日なので、買い物に2度出たので、携帯の万歩計には6400歩、歩いたと表示された。一万歩はなかなか難しい。
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| 2011年3月25日(金) |
| 血圧は下がった |
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先週、急激に上った血圧は、何とか平常値に戻った。クリニックでは風邪薬だけをもらった。それも総合感冒薬のみであった。熱などは出ていないが、咳が少々出る。
帰りに駅前のスーパーに行ったら、なんとトイレットペーパーがあった。午前中だったからか。1包み買って家まで戻った。トイレットペーパーの問題はやはり、無くなったらどうしよう、と思っている。戦中戦後、ざらざらした紙や新聞紙しかなかった時代があったが、その時代に一気に戻るのは悲しい。(覚悟はしていると言っても。)
ほっとして帰ってから、もう1件の用事を済ませた。それは灯油を配達してくれる米店に電話をしたのである。灯油の在庫は少ないし、3月といってもまだ寒い。それに関しても心細かった。
電話口で、「灯油、あるのかしら?」と聞くと、「ありますよ」という、いとも簡単な答えが返ってきた。配達は配達量が加算されるのは知っているが、この際仕方がない。2缶を注文した。1缶につき50円値上がりもしていた。それでも灯油とトイレットペーパーが買えて、とても安堵した。先行きの心配がかなりのストレスになっていた。
午後3時から、久しぶりにはり治療に行った、肩や首がとても凝っていた。保険の手続きの書類ももらえた。帰りがけに内科クリニックに届けた。主治医の署名が必要なのだ。医師は診療中なので、「明日取りに来ます」と言って帰った。
なお、昨日の被爆作業員2名は、茨城の原子力研究所の病院に搬送されたらしい。そこで特別の治療をしてもらえるのだろう。絶対に直してもらいたいものだ。
今夜は停電はせず、家族の帰りも早く、精神的に安定していた。
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| 2011年3月24日(木) |
| 夕食時の停電 |
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午前中は、レンジフードの工事人が2人来た。停電していたら仕事にならないので、早めに来ると連絡があった。午前10時半ごろ来て、昼過ぎに帰って行った。この工事は、この度の地震災害の前から決っていたことで、何とか終ってほっとした。業者の方も、仕事が出来て良かったと喜んでいた。皆、突然の災害の影響を蒙って大変らしい。
外出は近くのスーパーの往復だけ。スーパーの棚の水はもちろん空で、牛乳類(ヨーグルト類も)は無くなっていた。午前中にでも来ればあったのかもしれない。
夕方6時ごろ、消防署のアナウンスがあり、6時20分より、10時まで停電しますと報じられる。しかし、実際に消えたのは、6時40分から8時までであった。その停電の間、たまたま娘からメールが届いた。「今、停電中」と知らせると、「停電なんだ、寒くない?」と返事が来た。それから3度ほどメールの遣り取りをしているうちに、ぱっと電気が点いた。と同時に家族も戻って来た。暗闇の中、娘のメールに気が紛れ本当に助かった。メールはもちろん蝋燭2本の明かりで打って送信した。2日間煮込んだキャベツ巻きの味は格別であった。
それから観たテレビのニュースでは、福島第一原発3号機のタービンの中で、作業員2名が足首に被爆したとのこと、だった。東京電力側は、「協力会社の作業員」と発表していたが、弱い立場の人間ではなかったのかと、心を痛めた。ご回復を祈りたい。ちなみに、今日は亡き母の誕生日であった。母は関東大震災の経験者だった。
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| 2011年3月23日(水) |
| 東京都葛飾区金町浄水場 |
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福島の原子力発電所の何号機かに、外部からの通電があったとのニュースにほっとしたのも束の間、午後になって水道水の問題が浮上した。
東京都葛飾区金町浄水場の水から、放射性物質(ヨウ素)が検出され、大人の摂取量としてはまだ安全だが、二歳以下の乳幼児には(粉ミルクの水として)飲ませない方が良いと報道されたのである。害としては、甲状腺のがんになる可能性を含む、と言う。我が家(子供たちの家も含む)には二歳以下の子供は居ないが、息子のところに十歳前後の子供が2人居る。これから育つ子供たちの体に、悪い影響があってはいけないと緊張する。乳幼児を持つ親たちは、スーパーマーケットに殺到し、またたくまに水売り場のペットボトルは売り切れになったという。次々に事件が起きて、人びとがパニックになり街が騒然とするのが困る。また、大人が水を買い占めるのは良くないと思う。
さすがに、観光客は少なく、江ノ電などは空いている。夕方キャベツを買いに外に出る。被災地の農家の方々には悪いが、「三浦産」という表示を見て買う。ひき肉が残っているので、キャベツ巻きでもしようと思っている。たくさん作って煮込んでおけば、停電になっても食べられる。いつのまにか停電を意識して動くようになっている。しかし、今日は停電しなかった。ひき肉は多めにあり、残った物はハンバーグにした。キャベツの千切りもした。
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| 2011年3月22日(火) |
| 蝋燭の中で |
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1ヵ月前に決めた昼食会が、今日の停電の日になった。この界隈は第1グループに決められている。果たして昼食会が出来るのか。見当がつかなかったが、予約した店からは何も言ってこなかった。休みの日に無理を言って予約した店だ。こちらから断るわけにはいかない。東京の人が遠方なので欠席であったが、他は出席らしい。1名欠席という電話をして、大丈夫かと確かめて、結局行くことにした。しかし家を出る時は、停電していた。
店に入って、部屋に案内されて、まずその蝋燭の照明の美しさに目を見張った。ガラスに入った5つの蝋燭が等間隔に、テーブルの中央に並べられている。停電、そしてその原因である原発の事故、さらに遡って津波、地震の恐怖やパニックを一瞬忘れるほどの、幻想的な室内であった。
被災された方々には申し訳ないが、我々はそこで昼食会を行った。3月11日の地震当日の話、その後の話を暗闇の中で交わした。テレビ番組の合間の、毎回繰り返されるコマーシャルに飽きた話、阪神淡路大震災の経験談も出て、それぞれの胸の内を吐き出した。停電や寒さなどのストレスは溜っている。もちろん他に客はなく、貸し切りの状態であった。主人夫婦は暗闇の中、心の籠った料理を提供してくれた。出されたものを2種ほど口にしたところで、電気がぱっと点いた。なんと明るかったことか! まさに、神に感謝! である。
それからまた、お喋りを続けた。帰りはJRの駅までの20分程を歩いた。
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| 2011年3月21日(月) |
| 墓参りに行かず |
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朝から雨になった。お彼岸の中日で休日である.いつもなら家族と墓参りに行くのだが、何となく止めることになった。原発の事故で、放射能が降るという懸念もあるし、寒さも残っている。ここ2日間は停電もしなかったから、時折暖房も焚いたが、灯油の在庫が気になるので、おちおち暖まってもいられない。何か落ち着かない日々である。
午後になって、雨も小降りになった。どうやら江ノ電も動いているらしい。家族と最寄の駅まで出かけていくと、張り紙がしてあり平素の12分間隔が24分間隔で動いている、と書いてある。間もなく来た電車に乗って、藤沢市まで買出しに行った。この電車は途中、海岸の傍を走る。テレビで大地震、そして大津波の映像をたくさん観た後の私の目には、信じられないほどの穏やかな海であった。こんな穏やかな海が……、いつ何時鎌首をもたげるのか、と大自然の恐ろしさを改めて感じた。
藤沢市のデパートは、照明を暗くして営業していた。買い物客は思ったより多かった。大型電器店を覗いたら、やはり電気は暗くしてあった。混んでいた場所は、携帯電話の取次店のコーナーだけだった。この度の地震で、電話が繋がらず、メールは何とか繋がったのは皆同じだったようだ。そこで、緊急地震速報も入る新機種の携帯を求めに来ていたのだ。棚を見たら、安い機種は全部売り切れていた。
夜、電話で息子夫婦と話をした。孫たちは元気らしい。
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| 2011年3月20日(日) |
| ミサ中の神父の話 |
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先週は休んだミサに行った。ミサの始まる前も、中ほどのお話の時間も、神父は東北関東大震災関連(原発事故も含む)の話に触れていた。
そして、「ぼくは、日本の国の、長年の豊かさと便利の生活に、終止符が打たれたのではないか、と思っています」
と語っていた。一説によると、この災害を乗り切れば、さらなる経済発展が望める、という意見もあるそうだ。経済も当分は厳しくなることは間違いないし、それを乗り越えての話となると、十年単位の話になる。我が人生のあるうちに、明るさが見えてくることを祈るばかりだ。末端の人間、つまり地方自治体やヴォランティアばかりが頑張ってもどうにもならないことはたくさんある。国としての仕事として、政府はなお一層奮闘してもらいたいものだ。この大災害の直前を思うと、一昨年政権交代した民主党は、鳩山総理退陣、小沢一郎問題に伴う内部亀裂、その他でがたがたになっていた。そこにこの想定を超える災害である。党内一致団結してこの災害に立ち向かう、と声明を出したものの、果たしてうまくいっているのだろうか、と危ぶまれる。他党も協力すると、いう話にはなっているが、表面には出せない問題もありそうだ。何にしても、日本全体の危機である。私たち一人ひとりも出来る限りこの問題を考え、節約などの実行をしていかなくてはならない。そうでないと、津波や火事で何もかも失った人たちに、申し訳ない気がする。
……と、勇ましいことを書き並べたが、こちらも少し疲れが出てしまっている。午後は少し眠った。眠っている間に、1度、携帯の地震速報が鳴ったらしいが、気付かずに昏昏と眠った。これ以上血圧を上げてはならない。
ずっと、災害に関する報道ばかりだったテレビ番組について言えば、昨日19日から、NHKの朝の連続ドラマ「てっぱん」が再開し、今日の夕方は、日本テレビの長寿番組「笑点」が放送された。夜は、NHKの大河ドラマ「江」が再開された。しかし、「江」の方は、やや通俗に流れ、つまらなかった。こういう時だから、戦国時代の人心の混乱を、もう少し深く描いて、厳しい現実を見せてもらいたいと思った。こういう時の心の栄養には、読書の方がずっと役に立つ。そして考えることはたくさんある。
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| 2011年3月19日(土) |
| クリニックに行く |
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家族は休日でクリニックに行った。はり治療も保険がきくので、その手続をしてもらうと言っている。腰痛にはりは効いているらしい。家族は保険者当人だから、かなり安くなる。送り出してから考えたが、私もクリニックに行かなくてはと思った。土曜日は昼までしか診療はないし、日曜日は休みである。昨日少しだけ頭がジーンとした話をしに行こう、と家族に遅れて20分ほど経って家を出た。クリニックに行き、待合所を覗くと、家族はまだそこに居た。家族は、保険の手続をしてもらえたと言っていた。血圧も正常だったらしい。とにかく、電車遅延の中、毎日東京に行くのだから大変だ。しかし、私の診察になって血圧を測ってもらったら、家で待っていて心配している私のほうが、少々上がっていた。昨日の10秒ほど頭がジーンときた話もした。
「もっと苦労している人も居ると思いますが」
と医師に言うと、
「いや、他の人にも大変なストレスがかかっていますよ。少しリラックスしてください」
と言われた。1週間、家族の帰りを心配し、行列の買出しにも行き、原発のニュースも熱心に聞いて、緊張して過し、疲れたのだろう。少し怠けることにしよう。買い物は家族に頼んで、私は帰宅して休んだ。書きたいことはまだ多くあるが、この辺で止めておく。朝日夕刊の、保坂和志氏の「私の収穫」という連載エッセイが面白い。元気になったらまた書く。
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| 2011年3月18日(金) |
| 朝から停電する |
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今日は朝と晩と停電した。午前6時50分からの停電と知らされて、少し前に起きて(電気によって点く)ヒーターを点けて部屋を暖めていたが、30分ほどで消えた。電源がなくとも点くストーヴを用意していなかったこちらが悪いのだが、寒くて参った。停電のさなかに家族を会社へ送り出した。その後、ほぼ外出に近い厚着をして、葉書を2通書いた。ついでに年賀状の整理をした。食堂は窓からの日差しのみであったが、電気を点けられない暗さより、寒さのほうが応えた。それから六地蔵近くまで投函に行った。ポストの前で、以前カナダ巡礼旅行にご一緒した教会の知人に会った。しかし、寒さや地震のショックからか、名前が思い出せなかった。残念!街も寒かった。
帰ると、遠い親戚の人から電話があった。あちこちに電話をしているが、途中切れてしまうこともある、と言っている、そんな会話のさなかに、こちらの回線も切れてしまった。かけ直したが繋がらなかった。無事さえ分かれば、長話する必要もないと思い、気持を切り替えた。
午後、電気が点いたので急いで、コンピューターに向った。「あんばら庵」の日記を書いている時、頭の中が少しジーンとした。子供の時朝礼などで貧血を起こしたときの症状に似ているような、そんな感じだった。
これはいけないと思い、すぐにコンピューターから離れた。階下に降りて温かい紅茶を飲み、クッキーを口に入れ、しばらくじっとしていた。それから薬を飲んでソファに横になった。電気はまだ点いていたので、部屋は暖かかった。少し眠って楽になった。夜もまた停電すると、配られた計画停電表に書いてあったが、幸い、電力消費量が少なかったということで取り止めとなった。体調を崩した後なので、誠に嬉しかった。
福島原発は、目下放水中とのこと。作業員は頑張っているらしいが、まだ深刻な状態は続いているという。
夜、娘から電話があった。同じころに家族が帰宅して一安心した。
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| 2011年3月17日(木) |
| トイレ事情について考える |
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女性にとって、トイレの問題は深刻だ。災害そして避難生活を思うにつけ、その環境のトイレ事情を考える。先日テレビを観ていたら、専門家がこんなことを言っていた。
「避難所などで、トイレ事情が良くないと、どういう現象が起きると思いますか?」
聞いた瞬間、答えは浮かばなかった。
「水を飲まなくなるのですよ。それが一番怖いのです」
なるほど、と思った。水分を出す場所が不自由だから、飲むことに抵抗を感じるようになり、それによって脱水症状になるわけか。それは大変だ。人間は、水をたくさん摂取して、健康に放尿する仕組みに出来ている。増して女性には恥じらいというものがあるから、水を口にしなくなる。食料の調達も大事だが、仮設トイレを多く置いてあげて欲しいと思った。
外で、排泄をしたことがあるか、と問われれば、私はある、と答える。疎開児童だった小学生のころ、利根の川原の萱の密集地で、そして、田んぼのあぜ道の隅などでしゃがんで放尿をした。村の子供は皆そうしていた。学校から家までの距離は長く、恥ずかしいと、言っていられなかった。その経験があるから、今は大丈夫とは言えないが、まったく駄目とは思っていない。このところ、友人たちからよく電話がかかってくる。主に安否を確かめてくるのだが、その1つにトイレの話があった。加入している生協で、災害時のトイレに必要な品を売り出している、似たような物はホームセンターその他にある筈だ、と。
「ふうん」私は用意していなかったので、半ば唸った。
「でも、庭のある人はいいのよ。シャベルで穴を掘って……」と。「それで大きなダンボールを用意しておくの」
「……」「囲いにするのよ。人に見られないために」
私はまた唸った。良く考えている。それに比べて私はのん気だな、と思った。いざとなったら、生きていくためにしなくてはならないことは多々あるだろうが、具体的に大きなダンボールを用意する、までは考えていなかった。無意識に考えていたかいないかは別として、聖書にある「明日を思い煩うな。1日の苦労は1日で足りる」という精神で生きていたように思える。あまり考えすぎると、ノイローゼか、うつ病になってしまう。
とは言え、このところの災害のニュースを観ると、考えも変えていかなくてはならないという気がする。しかし、決して悲観的にはならないつもりだ。食物を食べ水分を口にして、排泄するのが人間の尊厳的基本だ。何にしても誇りを持って行動すればよい。皆さんもそうして切り抜けてもらいたいと願う。
今日は午前と午後と2回停電した。1回は、この「あんばら庵」の日記を書いている最中に、プツンと切れた。保存、をクリックする前だったので、ぜんぶ消えてしまった。それでも私はまた書き直し、明日もまた書くつもりだ。この目立たない作業にも、私の小さな尊厳がかかっているのだ。
大震災関係の句は、3句出来たが、一句はまだ未完成だ。
電気が通っている間に馴染みの美容院に行った。
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| 2011年3月16日(水) |
| 防災用品のチェック、など |
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今朝は、福島第一原発4号機の爆発(水蒸気上がる)のニュースがずっと流れている。現場の人たちは努力しているようだが、そう近くまでは寄れないらしい。被爆者を出すことになるから、それももっともな話だ。しかし、この問題は深刻な問題なので、何とか終息に向ってもらいたいと思っている。続いては被災者たちの各避難所が映し出される。東北地方はまだ寒く、灯油と食べ物が不足している上、医師看護師、ケアする人が不足していると言う。せっかく津波から助かったのだから、何とか避難所で生き延びて欲しいと、心から願っている。
昨夜、東京からの帰宅に難儀した家族は、今日は休んではり治療に行った。腰痛が出たと言っている。混雑の中、電車のフォームに一時間も立っていれば、腰痛も出てくる。会社の業務も滞るから、別のストレスも生じている、と思う。
私の方は、家の防災用品などをチェックして、リュック1つ、ボストンバッグを1つ居間に置いた。津波が来て緊急避難となれば、身1つで逃げなくてはならないが、時間のある場合は、2人で1個ずつ持って避難所に行きましょうと話している。はて、その時はどれだけ冷静でいられるか、分からないが、とりあえず準備はしておく。
もう1つの仕事は、明後日のこまつ座公演、「日本人のへそ」(井上ひさし作)のティケットを2枚キャンセルしたことである。折角取ってもらったティケットで、最後の追悼公演というので楽しみにしていたのだが、夜の部なので終了時間が遅く、帰りが遅くなる。というより無事に帰れるかどうか心配なのである。昨日から、こまつ座になかなか電話が繋がせなかったが、夕方やっと電話が繋がった。電話に出た女性は快くこちらのキャンセルの話を聞いてくれた。落ち着いたらまた改めて観に行く。きっと。
夜、震災の俳句を作り始めた。
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| 2011年3月15日(火) |
| 夜地震 |
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家族は今日は出勤した。電車の何割かは走っているようだ。
しかし、家を出て30分後、会社の人から電話があり、「自宅待機していただきたい」とのこと、「もう出てしまった」と話した。どうも連絡が上手く取れていない。
10時半ごろになって、家族から無事会社に着いたと連絡があった。途中は相当混んでいたらしい。
安心して、洗面所で洗髪をした。とても気持が良かった.頭がすっきりすると落ち着いて物事が考えられる。すっかり乾かしてから、駅裏のスーパーまで往復歩いた。入口に花がたくさん置いてあったが、まだ買う気にならなかった。花見の心境になっていないのか。もうすぐ桜も咲くというのに。近くの馴染みの薬局で、トイレットペーパーが1袋買えた。これで当分過す。被災地の人たちのことを考えると、買い溜めなどはしていられない。1人でも多くの生存者が居ることを祈るばかりだ。
家族は5時過ぎに社を出ると連絡があったが、家に着いたのは8時過ぎであった。新橋駅では乗れず、東京駅まで戻り、1台待って座ってきたと言う。それから暖かいもので夕食を取った。
福島第一原子力発電所の事故の収拾については、東電の人間そして官房長官から随時報告がなされている。家族はそれを観ながら、「若い官房長官、枝野さんでよかったな」と言っている。前の官房長官は、年配で体が持たなかったかもしれない、ということか。
後片付けをして、夜の10時半に入浴をしようと服を脱ぎかけた時に、ぐらりと地震が起きた。携帯の緊急地震速報のベルも鳴っている。急いで服をまた着て、玄関を開けて外に出た。天井の辺りが軋んでいる音がしていた。かなり大きい地震だった。テレビで伝えられたことは、震源地は静岡県の富士宮市の地下で、震度6。我々の住む神奈川は震度4であった。東北の海底が震源地ではない、とのことだった。つまり津波は来ない。安心と不安が同時に生じた。津波は来ないとしても、首都圏にも地震が近付き、東海地震の前触れか、と思った。気象庁の詳しい発表は午前零時から、ということだったが、眠くなったので寝てしまった。
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| 2011年3月14日(月) |
| 交通情報を見るが電車は走らず |
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普段なら、月曜日からはまた家族の出勤が始まるのだが、横須賀線、東海道線は走っていない、ようだ。避難所の人々、原発事故のニュースの合間に、交通情報が流されているが、開通している電車は殆どない。家族はクリニックに行って薬をもらってくると言うので、私の分も頼む。この際だから多めにもらっておいたほうが良い。家族が戻ってきてから、私は、地震に遭遇してお金を払わないで走って外に出た歯科医院に、支払いに行った。
「お騒がせ致しまして」と挨拶し、「先生がご一緒で心強かったです」と付け加えた。歯科医師は「はは」と笑っていた。
その帰りに、近くのスーパーに寄って少々買い物をしようと思って、前まで行って驚いた。入店しようと籠を渡された人たちが長い列を作っているではないか!
輪番停電、その他の発表で、交通や産業が麻痺して、食材や雑貨が品薄になると思ったのだろうか、流言飛語にも左右されたのだろうか、土日に比べてスーパーへ来る人が急に増えてしまっていた。
そのスーパーを通り越して、駅前のスーパーに行った。そこはまだオープンしていなかったので、目の前にある行きつけの精肉店の列に並んだ。そこは数人しか並んでいなかった。しかし、主人1人しか居ず、客1人への時間が長かったので、かなり待って肉を3種買った。それから目の前のスーパーにも入ったが、レジ前が行列になっている上にひどく混んでいて、事故でも起こらなければ良いという状態であった。たくさん買い込んだものの、江ノ電は動かず、バスに何とか乗れて家に帰った。バス停まで家族に迎えに来てもらったが、荷物が重くてかなり汗をかいた。
家のテレビでは、今夜にでも停電すると、その地域を市や区、町に分けて発表している。電気がつくうちに、夕食の準備をしようと早めに台所に立ったが、5時過ぎても電気は消えなかった。なんだか拍子抜けした。
夕食後、孫のママと電話で話し、娘とはメールを交わした。孫たちは元気だそうで、娘は今日会社に行ったと言っていた。どちらもショックを受けている様子だった。
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| 2011年3月13日(日) |
| 輪番停電を実施すると発表される |
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夜中にも小さな余震はあったが、少し慣れてきて騒ぐことはなかった。何とか朝まで眠った。朝はいつも通り味噌汁を作り、米の御飯を頂いた。
日にちが代って観るテレビの映像はさらに信じられない光景になっている。テレビ局に視聴者から投稿された映像も公表されている。まさに、地震直後の津波の映像だ。その上、福島第一原発の周辺住民、半径20キロ以内の住民に、外に出ないように、という指示が出されたという。まさにチェルノブイリだ。なんという恐ろしいこと、と思う。
午後に駅前の大手のスーパーに行った。食料品売り場には、米の袋や野菜、卵、肉などはかなり多く置いてあった。停電に備えてか食パンを多く買っていく人の姿が見えた。考えてみると、家電の多くは電気がなくては役に立たない物ばかりだ。帰りの江ノ電のホームで、近所のYさん親娘に会った。ご無事だったという。電車を待つあいだ、もし、わが町や東京での直下型地震が来たら、当然津波が来るだろうから、高台に逃げるしかない、と話し合った。何もかも他人事とは思えない話だ。その時は指定された避難場所が同じなので、「よろしく」と挨拶をした。
夜になって、東京電力より、止むを得ず輪番停電を実施する、という発表があった。各地をグループに分け、代わる代わる停電を行うとのこと、である。家族は、そのニュースに、朝飯も食えなくなるか、と不機嫌になった。金曜の夜は会社で2時間ぐらいしか眠っていないと言うし、疲れているのだろう。何とか入浴してもらい、気持ちをほぐしてもらった。私は少々風邪気で、総合感冒薬を飲んで眠った。
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| 2011年3月12日(土) |
| 街を呑み込む津波の映像 |
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家族からは今朝も電話があり、電車が動き次第帰宅するとのことだった。こちらは待つしかないので、友人数人に電話をかけ、そしてメールをして安否を確かめた。通じた人は皆無事だったが、2人ばかり不通の人がいた。出先で、帰れなかったのかもしれないと思い、またかけることにする。
さて、地震の震源地に近い東北地方の被害が明らかになってきた。震度は最初マグニチュード8.8と発表されたが、マグニチュード9に修正された。これはスマトラ沖地震の強度に匹敵するという。強い揺れの数分後に、この地方の海岸に大きな津波が押し寄せた。蛇が鎌首をもたげたような大津波が街を飲み込む様子がテレビで映し出される。昔、「日本沈没」という映画があり、こんな風景を見た記憶があるが、現実のものとは思えない地獄絵だ。逃げ切れた者、逃げ切れなかった者などの運命の分かれ目が痛ましい。被災された方々には心からお悔やみを申し上げる。午後に仙台にお身内がいる知人と、携帯で話すことが出来た。しかし、いまだ連絡は取れていないという。カトリック教会から土日のミサは休むという連絡が入った。連絡網だけで詳しいことは分からない。聖堂に損傷でもあったのかと案じる。
夜のニュースで、福島原発の事故が報道される。局のアナウンサーの質問に、専門家が答える画面が長々と続くが、我々素人にその説明が良く分からない。想定外の事故、ということで、実際は大変なことになったと思っているのだろうが、専門用語を並べて悪戦苦闘している様子が窺える。平素テレビで喋る訓練をされている人たちに慣れている我々は、その滑舌(かつぜつ)の悪さに苛立つばかりだ。駅近くの魚店に使いに行き、鮭の切り身などを買った。
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| 2011年3月11日(金) |
| 歯科医の出口で地震に遭う |
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午前中は四月の旅行先をネットで検索したり、と比較的のん気に過した。寒さもあと少しの我慢と思い、四月の桜の季節に、どこか温泉に一泊したいな、と考えていた。今日3月11日は、午後2時から歯科検診の予約が入っているので、その前にスーパーに買出しに行った。往復歩いて、携帯に付いている万歩計の数字を重ねて、家に戻って来た。
ひと休みして近くの歯科医に徒歩で行った。海沿いの一の鳥居の傍の医院で、徒歩で7分ぐらいのところだ。虫歯の治療ではなく、歯石を取ってもらったり歯茎の具合をチェックしてもらう、半年に1回の検診だ。衛生技師の資格のあるUさんは、優しくてしっかりしている女性で気に入っている。最後に男性のS医師が全体を診てくれて、検診は終了する。私は年齢にしては歯が丈夫な性質だ。それ故、とくに問題はなかったので、40分ほどで検診が終った。それから診察室を出て、出口の傍の受付で、支払いをしようとしていた時だ。
「地震だ」S医師が声を挙げた。私は平素地震に敏感だが、財布に目が行っていたからか、気付くのが遅れた。そこはビルの二階で、外の廊下に面している。天井の方が、いや、床も揺れているような気がした。
さらにS医師が「この地震大きいよ」と声を挙げた。外の廊下もその手すりも揺れていた。
「外に出よう。お金はあとでいい」その声を聞きながら、私は出していたお財布を引っこめて、バッグに入れ、靴を履いて走り出した。いや、靴を先に履いていたかもしれない。階下への階段には踊り場が2つあり、合計3つの角を曲がり、表に走り出た。最後の階段を降りたとき、この天井が落下したら、もう外には出られない、と感じた。相当揺れていたと思うが、夢中で細かいことは覚えていない。外はアスファルトの広い道になっている。そこにはすでに大勢の人が集っていた。私は車道に近い植え込みの影にしゃがみこんでしまったが、S医師はさすが男性だ。
道の真ん中にに仁王立ちして、「これは凄い地震だ。今世紀最大だ」と言っていた。しゃがんでいる私の目の前では、アスファルトの石が横に大きく行きつ戻りつしていた。
何とか揺れは治まったものの、もうビルの2階に戻る気はなく、そのまま家に向った。
何となくだが、この辺り神奈川県または静岡県の伊豆半島付近を震源地とする地震かと思っていた。路地を歩く途中、新築の家の工事をしている大工さんに会った。目と目があったので、「大丈夫でしたか?」と訊ねると、「はい」と頷き、それから、手に持っていたラジオを示し、「東北のほうが震源で、大変らしい」と教えてくれた。そこで初めて震源地が東北と知った。
家は何とか無事で、ガラス製の花が1つ棚から落ちて割れていただけだった。すぐにその始末をして、テレビをつけようとしたが、停電していた。すぐに電池で聴かれるラジオのスイッチを入れた。幸いすぐに音は入ってきた。東北、三陸海岸などの巨大地震が伝えられていた。津波の恐れもあると言っていた。
それから、私はメールで、家族、子供たちの安否を確かめた。1時間ぐらいのうちに、息子、娘の安否は分かったが、家族との連絡が取れなかった。電話がまったく通じなかったのである。普段家族とはメールの遣り取りはしていないので、困ってしまった。
停電は午後8時まで続き、わが町にも津波警報が出た。コンロのガスはついた。はガスコンロの火とホーロー鍋で御飯を炊き、梅干とたらこ、海苔などで握り飯を拵えた。津波警報が大津波警報に変わったので、まさかの時には、握り飯と水を持って、高台に逃げようと思った。家族の安否が分かるまで、こうして懐中電灯のもとで働いた。午後八時に家族が本社にいると分かり、続いて電話もかかり、やっと本人の声を聞いた。間もなく電気も点いた。電車が動かないので、家族は結局会社に泊り、その夜は独りで過した。夜中に、緊急地震速報の着信音が3度鳴ったが、もう起きなかった。この日はまだ無我夢中の数時間であった。
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| 2011年3月10日(木) |
| 3月句会 |
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3月になって寒さがまた戻ってきている。句会は、横浜まで行くこともあって、朝が早い。その点を除けば楽しい会だが、今朝は何となくもたもたして、電車を一台乗り遅れた。時間に間に合ったが、いつもぎりぎりに来る人とほぼ同じぐらいの時間に着いた。
投句は11名、合わせて55句のはずだが、何故か56句集まり、まとめ役のOさんは「ミステリーだな」と言っていた。
私の句の出来は平均以下、であった。小説を一生懸命書いていると、どうも混乱して、季節のなかに自然に生まれてくるような良い句が出来ない。しかし、これは弁解だ。基礎が出来ていないのだと思う。そんなことを今日は1つ学んだ。季語についての話だが、雛祭り、雛人形、桃の花、ぼんぼり、などはもちろん春の季語だが、そのままの風景が季語として選択されると、印象が強い、とW先生は言う。私が作った句は、雛祭りの相客の締めていた、一刀彫の雛がとても印象的で、しかもその和服の女性に良く似合っていたので、その帯留を、雛の帯止めとして、句のなかに入れた。これで季語が1つ入ったと思った。しかし、それでは季語として薄い、と言われた。ブローチなども同じとのことだった。こういう評のされ方は初めてだったので、なるほどそういうものか、と思った。自然界の美と、人工の美との微妙な距離があるのだろう。韻文家の感性(表現)と散文家の感性(表現)とは相当違うものがある、と改めて感じた。つまり俳句の勉強が足りないのである。小説のことも含めて大いに反省した。
時事俳句を一句。
「戦国の姫」案じたる孫の春
孫が大河ドラマ「お江」を観ていて、先日「観ている?」と電話をかけてきた。それで一句となった次第、ご笑覧を。
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| 2011年3月9日(水) |
| 大巧寺(お産めさま)を歩く |
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晴れ。そして朝はのんびりと出来た。それなのに何故か咳が出て軽い風邪気の症状があった。朝食後、総合感冒薬を飲んだ。しかし、熱があるわけではないのでご心配なく。午前中に溜っている「あんばら庵」の日記を2日分、午後に1日分、合計3日分を書いた。これで何とか追い付いた。来月四月十五日で、この「あんばら庵」の日記も丸八年になるので、あと2年頑張ってみて、10年間の日記にしてみたいと思っている。その先のことはまたその時に考える。どうか応援して下さい。
午後は、買い物がてら、JR駅東口の大巧寺(お産めさま)の境内を歩いた。一重や八重の椿の花々が咲いていた。小さな寺で混雑がないので、表から裏に通り抜けると、ほっとする場所だ。それからすぐ近くの野菜市場(農協市場)にも寄った。そこでとても細いエシャロットがあったので買った。先の方を味噌をつけて食べると美味しい。
帰宅して、明日の句会のために、何とか句を5句まとめた。出張帰りの家族の帰りは早かった。
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| 2011年3月8日(火) |
| 1人の夜は句作りを |
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雨は上がって曇りの日。朝は、お掃除のMさんと、レンジフードを直しに来る男性2名と出入りが多かった。お掃除はいつもの通りだったが、レンジフードの方は選定ミスとのことで、サイズが合わず、工事はしないで帰ってしまった。再度来るとのこと、人の出入りと同時に、品物や金額を決める話などは疲れる。しかし、昼までにそれぞれは帰った。昼食後30分ほど休む。そのくらいの休息で、何とか元気になる。それからJR駅西口のスーパーKに行く。このスーパーは高級品が多いのであまり行かないが、たまに行く。この店のコーン入りコロッケが美味しいので気に入っている。それを二個買い、コーン入りサラダも追加した。(何故かコーン入りばかり)今夜は家族が静岡泊まりなので、1人の夕食になる。こんな時は、夕食を作らないのが楽しみになる。こんな些細なことが楽しいのは、普段食事を作っているからである。自慢しているわけではない。大げさに言えば、手料理の好きな人に出会った「運命」みたいなものだ。今更、その運命を変えようとも思わない。話が脱線したが、夕方、その出張先の家族から珍しく電話があった。取引先のAさんと一緒であった。私とも面識があり、若いころは一緒にゴルフをしたこともある人だ。先日そのAさんに、拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)をお送りした.そのことでAさんはお礼を言いたいと、電話口に出ていらした。病後の方だったが、お元気そうなお声で安心した。近々感想文を書いて送ってくれるとのことだった。楽しみである。
1人過した夜は、明後日の句会のために句作りをした。(あまり上手くいかない…)
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| 2011年3月7日(月) |
| 朝から雨、寒し |
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朝から雨で、とても寒い一日となった。手紙を1通と、返信葉書を2通書き、投函がてら駅まで歩いた。寒いので帰りは電車に乗った。午後、部屋を暖かくして洗髪をした。ブローも何とかした。髪の毛が落ち着くと気持が良く、寒さも忘れる。
今日、7日が義父の祥月命日だ。享年42歳だったという。私は生前に会うことがなかったが、会っていたらきっと可愛がってくれたと思っている。三男坊のスポーツマンだったそうだ。遺影は仏壇の上に飾られてあるので、毎日見ている。早死にした義父の分も、家族と共に生きていかなくては、と思っている。
ところで、木曜日の句会に備えて、句作りをはじめているが、なかなか難しい。言葉を探し、選び、五七五の韻文に表現することは、どれほど大変なことか。すでに、小説を書きながら、と弁解が出来なくなっている。(したいところだが、)目下、四苦八苦している。
寒いので、夕食は、暖かい鍋物中心の献立になった。胃腸の調子は良い。
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| 2011年3月6日(日) |
| 教会のミサと寺の墓参 |
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先週休んだミサに、今日は行かなくてはならないと思って出かけた。しかし、明日の7日が義父の祥月命日なので、家族は墓参に行くと言っている。
「ミサから帰ったら、すぐにそちらも行きますから」
と、家を出る前に約束した。
その時から、数えて今日1日は、教会、寺、ホームセンター、デパートと四つの場所を回り、大忙しであった。
寺から先は車を運転し、ホームセンターに向った。そこで、壊れてしまった洗面所の流し栓のコックを購入した。放っておくと固形物が詰まって大事になる。その他に春が近いので、園芸の支柱などをいくつか購入した。夕方無事に帰ったが、四軒回ったのにはさすがに疲れた。
夜孫から電話があった。大河ドラマの、「お江、観ている?」と聞かれた。「来週、お市さん死ぬの?」とも。孫はまだ少女だが、人の運命が案じられるようになった。勉強だけではなく、情緒面も成長している。
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| 2011年3月5日(土) |
| 保坂和志氏のご一文 |
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昨日の朝日の夕刊、文化欄に保坂和志氏のご一文が掲載されていた。私の収穫、というコラムでタイトルは「変わっている」。
小さい時から「変わっている」と言われつづけた氏は、ある時、ある友人の一言から、その言葉を肯定的に感じられるようになったという。「変わっている」という言葉は、変なヤツ、おかしなヤツ、とけなしているようでもあるが、実はそうではない。つまり、個性の肯定、と氏は書く。しかし、社会には個性の肯定派と否定派があり、肯定派といると楽しい、ともある。常日ごろ、人の個性はもっと尊重されるべき、と思っていた私は、そのご一文を何度も読み返し、ついに切り抜いて、デスクの脇に置いてしまった。(そのうちにどこかに貼る予定)
若いころから、書き始めていたのに、主婦業を捨てなかった私には、いまだ主婦としての人付き合いがある。皆一生懸命に生きている人たちだが、個性を際立たせると、会話がスムーズに運ばなくなり、どこかぎくしゃくしてくる。どちらかと言えば、個性は3分ほど出すのが良い。少々退屈しても、それで波風は立たない。
中年で、通信過程の大学生になった時、初めて受けたスクーリングの講義が「社会科学概論」(寺尾誠著)だった。そのテキストのなかに、日本人には、相槌の文化がある、という項目があった。
「ねえ、そうでしょう?」 「ええ、そうね」
「綺麗な花ねえ」 「ほんとに綺麗」
「しょうがないなぁ」 「まったく」
などなど。各種データが、円グラフ、捧グラフなどに作成されていた。
つまり、相槌によって個人の意見は埋没してしまう。
平素、もやもやと思っていたことが、こうして研究され、図式化されていることに目を見開いた。同時に、この社会で個性的に生きようとしている人たちが、どんなに苦労しているかを考えた。しかし、この社会に生きている限り、簡単に解決出来る問題ではなかった。
「変わっている」のご一文は、その胸のつかえを下ろすものであった。
さらに、付け加えると、最近、個性は寿命とも関係があるのではないか、と思っている。若いときに生きづらかった分だけ、孤独に強い生命力が、晩年に発揮されるのではないか。良い人たちの死を見送る時、そんなことを考えるのである。
今日は寒く、灯油を2缶また買った。夜、大分産の文旦の皮の白い部分を削ぐために、小一時間、包丁を使った。明日砂糖と煮ることにする。手先の器用なのも個性だ。
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| 2011年3月4日(金) |
| 知人が増えて |
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昨夜の雛の会について少々補足する。会場には旧知の方も出席されていたが、初対面の方もいらした。右隣と正面の席の方は初対面であった。どちらも私よりご年配とお見受けしたが、かくしゃくとしていらした。知的で落ち着きがあり、昔の日本女性のたしなみを持った先輩方とお見受けした。どちらともお話をさせていただいた。ものを書くという話もした。
今日はその右隣の方に、拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)を郵送した。その場の話で、すぐに買って下さるという話になった。とても嬉しく、今日はその郵送を第一の仕事にした。知人が増えるのは幾つになっても楽しい。幹事の皆さんに感謝しなくてはならない。もう1冊、昨夜の会とは関係ない地方の男性にも郵送した。郵便局本局の帰りに、いつものように食材を買って帰宅した。
午後からは、はり治療に行った。2週間ぶりである。治療中、はりの先生と話していると、市内の色々な情報を知ることになる。近くの大きな十字路の角に、長年コンビニがあったが去年閉店した。その後がどんぶり屋さんになると教えてくれた。どんぶり、と言っても西洋風な、どんぶり料理らしい。街が賑やかになるのは良いことだ。はりの後のマッサージが気持ち良かったが、帰りが少々寒かった。
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| 2011年3月3日(木) |
| 大仏で雛の宴 |
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午前中はいつもの通り、デスクの仕事と買出しをする。何べんも書いたが、体のために日用品&食料品の買出しは毎日する。冷蔵庫に買いだめや、冷凍食品の利用その他も出来ないわけではないが、原則としてしない。便利なところに済んでいることもある。かつては(二十年か、三十年前までは)御用聞きという制度も残っていて、注文すると夕方配達してくれた。そのころはコンビニの数も少なかったような気がする。そんなこんなで、(時代の流れとも言える)いつの間にか、毎日外に出るようになった。
今夜は、鎌倉三田会の婦人会、の懇親会が雛祭りに合わせて行われることになっている。と言っても、男性もどうぞご参加下さい、ということになっている。ちなみに我が家の男性は仕事で行かれない。
鎌倉長谷の大仏は、昨年秋の米大統領オバマの訪問で一躍脚光を浴びた。もちろんその以前から、観光客が絶えない市内の名所であったが、さらに観光客が増えたらしい。私もオバマが訪問するという日、家族と近くまで見に行ったが、人の数に加え、規制する警官の数がもの凄く、とても近寄れなかった。
その大仏の広間での宴は華やかにそして静かに始まった。最初は早稲田大学のケイト先生の異文化コミニュケーションについてのお話、(これもなかなか面白かった)それからお食事、最後はオバマ大統領と同じ抹茶アイスを味わいながら、住職の母でもある三田の卒業生の佐藤美智子さんのお話が始まった。そしてオバマ大統領の印象などを聞かせてもらった。とても暖かい感じのする人だったそうで、平和を愛する人とも思った、と話していた。なお、抹茶アイスのメーカーはホワイトハウスの国家機密だそうで、聞かせてもらえなかった。味は抹茶の香が高く、甘さも控えめで結構なものであった。広間に飾られていた雛も普通の家では見られない気品と趣のある雛であった。出席者は63名、天気も良く、帰りは近くの人と家まで歩いて帰った。
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| 2011年3月2日(水) |
| 横浜に本を探しに |
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タイトル通り、今日は横浜に本を探しに言ったことは確かである。西口ダイアモンド地下街の有隣堂と、駅ビル、ルミネ7階の有隣堂に行ったが、欲しい本は品切れであった。ルミネの有隣堂を出る時、傍らにブックカフェのようなスペースがあった。私のような年配の人はいなかったが、若い人が10人ほど読書していた。横目で眺めながら良い風景と思い、いつかここで読書しようと思った。しかし、品切れの本に関して心残りがあったので、横浜高島屋の前で、鎌倉の書店に電話したら、なんとその店に在庫があった。早く電話すれば良かったのに、と思ったが手遅れだった。
それから、高島屋に入り衣料品売り場に上がった。見るだけのつもりだったが、ディスカウントされた品を二点買ってしまった。本を買いに行った筈なのに、結局ストレス解消の買い物をした。まあ、それでも久しぶりに楽しかった。食品売り場にも行った。鎌倉駅に着いてから、東口の書店に寄って、欲しかった本を手に入れた。家に帰ってお茶を飲みながらその本を読んだ。
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| 2011年3月1日(火) |
| 今日から3月 |
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今日から3月、何が嬉しいかと言えば、やはり寒さから開放されることだろう。他に雛祭り、各種の花が咲き始める、などあるが、早く暖かくなって欲しいことが一番だ。今日は曇りのち小雨という天気で1日が始まる。家族を送り出し、朝食の後片付けをしてから、洗髪をした。シャンプとコンディショナーの混じったものを使うので、一度すすぎでさして手間はかからない。その後のタオルで良く拭くのと、ドライヤーでブローするほうが手間がかかる。よく拭くのは風邪を引かないためである。この朝のシャンプーについては何度も書いたが、呼吸器の大病をしてから、風邪防止のために夜の入浴時に洗髪はしなくなった。病気から13年も経っているから、その間数回は夜のシャンプーをしているかもしれないが、原則としてしないことにしている。しかし、女性としてブローがきちんと決ると気持が良い。いくら忙しく過していると言っても、お洒落な心は失いたくない。その後溜っている日記を3日分書いた。しかし、まだ今日の日付に追いつかない。大学ノートに、あらましのことは書いてあるので、それをコンピューター上にまとめる。。
その折、デスクの前で脚が冷えたのか、右足のふくらはぎの端辺りが痛くなった。今日は時間があるので、足裏マッサージの店に電話すると、午後が空いているという。それなら、その前に買いだしに行こうと、近くのスーパーに出かけた。帰ってきて、冷蔵庫の中は一先ず安心となった。
予約の時間になって、徒歩5分の店に出かけて行った。今年になって初めてだ。店のカードを出してみると、去年の11月以来来ていない。いつもの年末年始に比べて、3ヵ月ほど忙しかったことになる。久しぶりの足裏マッサージは、とても気持ち良く、生き返った気がした。(少々大げさか)終って窓の外を見ると雨が降っていた。店の人に傘を貸してもらい家に帰った。
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| 2011年2月28日(月) |
| 今日で好きな2月も終り |
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今日で2月も終る。正月の疲れも残り、寒さも厳しい2月であるが、好きな月である。それに28日で短いし、大切にしないと消えてしまいそうな月でもある。
2月の最後の日は雨になった。ここ数日は寒いらしい。年寄りはインフルエンザにかからないらしいが、もう少し寒さと戦わなくてはならない。
ところで、大学受験の試験会場で、携帯電話でYahooの知恵袋に投稿し、回答をもらった受験生がいるらしい。周りに試験官もいるだろうし、そんな器用なことが出来たのだろうか。これはどう考えても不正行為である。一生懸命頑張った人が報われないことになる。それにしても受験というものには厳しさと共に、悲しみがつきまとう。
そういえば昨日らんの花を4枚(メール送信後、追加が届いた)送ってくれた娘も、会社で委託されている仕事で、大学の試験官をすることがある、と聞く。これまでのように、ただ、見回っているだけでは済まされないことになりそうだが、……今度会ったら、感想(または覚悟)を聞いてみようと思っている。
外出は郵便局とスーパーなど、雨は1日降っていた。
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| 2011年2月27日(日) |
| らん展の写真、PHOTO-Uに届く |
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朝から風が強かった。それでミサを休んだわけではないが、少し風邪気なのと、家で書くエネルギーを温存したかったためである。神様、ごめんなさい、という心境である。ともかく、外のスケジュールを真面目にこなしていると、デスクの仕事が成り立たなくなってくる。午前中だけデスクを頑張って、それから家族と遅い昼食を取った。
食堂のサイドテーブル(電気釜などを置く)の脇に、先日書いたPHOTO-Uの額が置いてある。食事をしている時に、チリンと着信音が鳴った。PHOTO-Uのすぐ傍にいる時で良かった。遠くにいたら聞えない。二人ともすぐにその音に気づいた。電源を付け開いてみると、綺麗ならんの写真が届いていた。送信者は娘だった。しかし、その時は娘がどこに居るか分からなかった。
着信音は続いて3回鳴った。二つ目の写真は家の庭に毎年咲くセッコクのような白いらんであった。東洋のらんにしては花の大きさがあり、匂ってくるようであった。三つめの写真は大きなもので、遠見では、菊花展の懸がいの菊のように見えたが、そのうちにはっと気付いた。数日前に、同じものをテレビで観ていた。東京ドームの世界らん展の映像だった。そのらんは、その展覧会で大賞をもらったと紹介されていた。説明によると、花の一面にだけ太陽が当り、花が片寄って咲かないように、花の鉢を常に回していたと言う。テレビでも感心して観ていたのに、まさかその写真を送ってもらえるとは思っていなかった。すぐにお礼のメールを、「東京ドームのらん展ですか」と書き送信した。まもなく返信が来て、
「今その帰りです、綺麗でした」
と書いてあった。有難う、S子さん!
ちなみにPHOTO-Uは受信のみで、送信は出来ない。そのうちにそれも可能になるだろう。
外出は駅前買出しの、一回のみ。
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| 2011年2月26日(土) |
| 夜は中華のおこげを食べに |
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土曜日は家族の休日だが、午前中は内科クリニックや、整形外科の簡単なリハビリ治療に行くので忙しい。その上に、今日は半年に一度の歯科検診がある。つまり出入りが激しいわけだ。朝食はもちろん拵えたが、家族が出ているあいだ、洗濯機を回し、デスクにも向った。「大人の話」、も順調に進んでいる。意地、という言葉を簡単に使うのは好きでないが、私にも意地がある、という気持になっている。しかし、意地、と書いてみると、やはり平凡な表現という気がする。何があっても、尻尾を巻いて引っこむのが嫌なのである。しかし、努力しない負けず嫌いは困る。
そんなわけで、結局は努力をする。こつこつと書くしかないのである。いつから私はこんな人間になったのだろう? 一体何歳から、ものを書く魅力に取り付かれたのだろう?何十年前に遡っても、具体的に、これ、という動機は見つけられない。それが生き甲斐、と言えば良いことばかりのように聞えるが、若いころは、これほど遠い道とは思わなかった。
少し疲れ、ストレスを感じるので、十代の出発点を振り返るのか。
そんな時たまたま家族が、「どこかへ御飯を食べに行こう」と言ってくれて助かった。寒かったが、駅裏まで出かけて行って、大好きな中華のおこげ料理を注文し、杏仁豆腐も追加した。しかし、アルコールは飲まなかった。明日からはまた頑張れる。
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| 2011年2月25日(金) |
| 一人分のおかず |
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主婦業と物書きの二足の草鞋を履いている、と大声で言うほど有名な書き手ではないが、根を詰めて書いていると、台所仕事が辛く感じられる時がある。しかし、家族が居る以上、(その家族も老骨にムチ打って働いている)粗末に扱うわけにはいかない。 この「あんばら庵」の日記をよく読んで下さっている方にはお分かりだが、朝晩の食事は毎日拵えている。朝の味噌汁は毎日拵えている。すべては和食好みの家族のためだが、自分のため、にはどうだろう?
今日はたまたま家族が夕食は要らない、と言って出かけたので、夜は一人の食事になった。今日は朝からずっと書いていた。それで、夕食もきちんと作らなくて良いとなると、自分自身は何を食べても良くなってくる。独り者ならコンビニのおにぎりでも構わないが、栄養を取るためと、寒いから暖かいものを口に入れたいと思い、インスタントのスープなどに湯を差して飲む。コーンスープなどは結構美味しいものがある。後は野菜(今夜は芽キャベツ)を茹でて副菜にする。芽キャベツは、がんの主治医だった故成毛医師が、免疫効果がある勧めてくれた一品だ。その後、冷蔵庫を探したら魚の粕漬けが一切れ残っていた。コーンスープと少々合わないが、粕漬けは好物なので、グリルで焼き夕食のおかずとした。御飯は電気釜で保温が効いている。
食後はテレビで、その後の地震のニューとともに、国内の政治のニュースなどを観た。東京都知事選の立候補者が話題になっている。私は東京都民ではないが、混戦が予想される。
それにしても、独りは気楽だが淋しい。二人は淋しくはないが、仕事が増える。どっちが良いかと言えば、今のままで二人健康が良い。いくら忙しくても、と思う。ニュージーランドの救出者が独りでも多いことを祈る。
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| 2011年2月24日(木) |
| 地震今昔話 |
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昨日の広報手伝いの折、ニュージーランドの地震の話からお仲間の皆さんと、地震の話を色々した。私は、カトリック信者である実家の母親が、関東大震災を体験しているので、子供のころよく聞かされた話をした。和室の襖が外れて、足があるように動きだしたこと、昼食の最中だったが、煮炊きは終っていたので、火災を起こさずに済んだ話、など何度聞かされたことか。私のクリスチャン・ネームの聖アガタが、火災保護の聖人であるのもなにかの縁だ。聖アガタの町はイタリーのシシリー島の北部に、今でもある。もう一人のお仲間も母上が関東大震災の経験をされたと話していた。次は阪神淡路大震災の話だった。地震がきた瞬間は、小型のテレビが、空中を飛ぶように動いたので、目が眩むようで何も考えられなかったという話だった。やはり何よりも地震の後の火災が恐ろしい、という話が続いた。
しかし、この度のニュージーランドの地震では、火災は起きていないらしい。(後になって火災があったと知る。謹んで訂正する)大きな被害をもたらしたのは、建物の建築構造にあったのではないか、と言われている。生存の確率は、72時間を過ぎると、どんどん低くなると報道されている。日本の救助隊も成田を出発した。一人でも多く救助して欲しいと願っている。
なお、小説拙稿の話だが、大人の話の手持ちは幸いあった。地震の被害を考えながら、デスクに向かえるうちは幸せ、と熱心にキイを叩いた。
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| 2011年2月23日(水) |
| 教会の広報の手伝いに |
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体調が何とかなっているので、教会の広報の手伝いに行く。しかし不安もあるので、事前にお仲間の一人に、そんな体調である、と電話しておく。まさかの時、途中退室する場合もあると思ってのことだ。薬も持参して行ったが、何とか無事に手伝いが終った。昨年秋、この手伝いを始めたころに比べると、疲れも少なくなり、スーパーを回ってから家に帰った。この先も、手伝いを続けられそうだ。何事もやってみなければ分からない。その後デスクに向かっている時、三田文学より電話があった。一口に言うと「大人の話を書いてください」とのこと。戦後の話は、十二・三歳の少女の目で見てきたので、その年齢でしか書けないのだが、編集長が固く決めている方針とのことで、受け容れるしかなかった。先方の言い分を聞くだけ聞いて電話を切った。それから大根などを切って煮物を拵えた。ニュージーランドの地震は予想よりはるかに被害が大きいらしい。若く前途のある人たちが学んでいるビルが倒壊している。早く救助の手が入ることを祈る。夜、床にはいってから色々と考えた。
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| 2011年2月22日(火) |
| 体重が減ったけれど…… |
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昨日一日で、体重が一キロ近く減った。わたしなりに辛かったのだろう。
朝家族に、「午前中、クリニックに行きたいが」と話した。今日はお掃除のMさんが来るので、午前中は出られないのである。
事情を話すと、「少し遅れていくから」と、家族はわたしをクリニックに行かせてくれた。とても助かった。ウイークディの日中いつも一人なので、人が来ると身動きが取れず、困ることがある。クリニックの午後の診療は、三時からで、緊急のときはそんな時間まで待っていられない。
ちなみに今朝は胃の痛みはなく、快便であった。H医師に話すと、
「体がもうここまで、というぎりぎりの時、そういう痛みが出るのですよ」と話してくれた。
「毎日一キロも減ったら、すぐにダイエット出来るけれど、痛いのはたまりません」と話し、笑った。
帰宅してテレビをつけると、ニュージーランドで大きな地震があったと伝えられていた。日本人が多く留学している地域という。心配なニュースである。午後は薬を飲んで体調が良くなったので、確定申告をネットにではなく、窓口でもらってきた従来の用紙に書き、散歩がてら届けた。
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| 2011年2月21日(月) |
| 東京に行ったが… |
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今月の昼食会は珍しく東京渋谷で行われた。ロアラ、ブッシュという高級レストランだが、割引をしてくれると友人が話を持って来たので決めた。混雑の渋谷駅の待ち合わせはかなり難しかったが、皆で会うことができた。乗り換え線の多い大きな駅には、慣れないと行くだけで疲れる。しかし、人や街を見て好奇心は湧いてくる。先週はデスクの根詰め仕事を頑張ったので、気持の余裕がなく、雰囲気も味も良いレストランだったが、途中体調が悪くなった。昼食後クリニックの胃の薬を飲んで、痛みを抑えた。人には言わなかった。食後渋谷駅まで歩き、品川まわりでやっと家に帰った。家に帰ると痛みは治まる。来月は鎌倉の魚料理の店と決った。それまでに体調を整えよう。
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| 2011年2月20日(日) |
| 日曜のミサに行く |
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先週は疲れでミサを休んだので、2週間ぶりとなる。聖堂の前列の方に、今日のミサで追悼する方のご遺族と思われる喪服の方々が並んでいたので、知り合いの信者さんと、その後ろの席に座った。ご遺族の中には、私の出身校の懐かしい制服を着た少女が二人居た。この制服は100年近く変わっていない。ミサの合間に隣の知人と孫の話を少しだけした。
ミサが終って、出口で婦人会手作りのママレードを2個買った。とても美味しくて安い。婿殿にコーヒー豆の挽いたものを送るときに入れてあげよう、と思う。割れないようによく梱包して、などと思う。
午後は、NTTの人が故障したドアホンを直しに来た。幸い、表に取り付けるドアホンボックスを取り替えただけで済んだ。古いものが劣化したらしい。感じの良い修理人だった。しかし、そういう時期に来ているのか、あちこちの機器が壊れてきて、それぞれの担当に電話をしたりと忙しい。今日は幸い家族が在宅の時で助かった。1人だとその分緊張する。最近は人を騙す人が多くなっているからだ。新ドアホンで、
「聞えますか」「聞えます」などのテストを何度もした。恥ずかしかったが、確認しないわけにはいかない。
しかし、明日外出するので、その事を色々と考えていたら、夜胃痛がした。
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| 2011年2月19日(土) |
| クリニックに行く |
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クリニックの土曜日の診療は午前中のみ。早めに出かけていった。血圧は安定と言うより、平均値より低めであった。このところ、結構忙しくしているし、唸って小説を書いているというのに、どういうわけか血圧が上らない。理由はわからないが結構なことと思っている。郵便局、駅ビルのパン店などを回って戻った。
午後は車を出して隣の市のビックカメラなどに行った。修理を頼んだオーブン・トースターが直ったと知らせが来た。修理品を受け取ったあと、店内を回ったが何も買わなかった。しかし、色々な家電の値段をチェックすることが出来た。その後、デパートに行き、上階の北海道物産展などを覗いた。家族はそこで酒のつまみなどを買った。確かに北海道の物産展は、家族の好きそうなものばかり並んでいた。娘婿殿に、忘れていたヴァレンタインのチョコの代わりに、コーヒー豆の挽いたものを買った。コーヒーは毎日飲むという。宅配で送ってあげようかと思っている。車は往復無事に運転出来て、夕方には家に戻った。
夜は、テレビで4大陸のフィギュア選手権を観た。
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| 2011年2月18日(金) |
| 朝より大雨になった。 |
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早朝より大雨だったが、午前9時過ぎに止んだ。庭木などには良いお湿りになった。梅の花は幸い落ちずに残っていた。水仙は茎から倒れてしまったが、それでも地面に顔をつけて咲いていた。通勤のひとは傘を差して出かけて行った。私の方は晴耕雨読の言葉通りに、デスクに向った。しかし、午後には散歩を兼ねて買出しに出た。帰ってから手紙を1通書いた.明日投函する。家族から、遅くなると連絡があったので、夜は1人で過した。夜はなかなかデスクに向えない。無理をすると明日に疲れが残る。仕方ないから、夜は休んでいる。
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| 2011年2月17日(木) |
| 原稿をプリントしてみる |
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前に、原稿は最初横書で書く、と書いた。そして少しまとまったところで縦書に変更する。理由は少しあるが、今や習慣となっているので説明は省く。それでかなり煮詰めるが、パソコンの画面では見つけにくいミスもある。目を正面に向けて眺めるのと、机の上に置いた原稿用紙を、目線を下に向けて眺めるのとはまた趣きが違い、発見するミスなども違う。不思議なものである。やり方は人によって色々あるが、要するに良い作品にするために、色々なことをするわけである。元は紙の上に文字を並べることから文学が始まったわけだから、出来るだけそれに近い姿勢を持つことが必要なのだろう、と思っている。そんなわけで、仕上がりまでかなり近いところまで登りつめた。しかし、ここからが辛い。山頂は見えているものの、とても遠く感じられる。
午後からは、確定申告の用紙をもらいに市役所に行った。恥ずかしい話だが、私の場合は納めるのではなく、お小遣い程度の還付金をもらうだけだ。万歩計の付いている新携帯電話をポケットに入れて行った。もちろん往復歩いた。それから美容院に寄った。珍しく混んでいて、あまりのんびり出来なかった。
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| 2011年2月16日(水) |
| あちこちに家が建つ |
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近くの私鉄の駅から我が家へはものの3分という距離である。この家に嫁に来たころは、途中の駐車場の土地も1軒の家だった。その先のT家も今でもかなり大きく、庭の手入れを良くしている家だが、その頃はもっと大きかった。土地を売られて、1軒が5軒になった。そして今年になって、また新しい工事が始まった。前述の駐車場の一角が売られたらしい。そこにぎっしりと3軒の家が建ち始めている。もう棟上げは済んで、毎日とんとんと音を建てている。建売なのか、For Sale の看板が出ている。土地の値段が、上がった結果だからその点は仕方ないが、古い路地の町が変わっていくなあ、という思いにはなる。狭い土地の分譲だから、大抵は3階建てで、縦に長い家になっている。庭は殆どなく、車を停めるスペースを重要視する設計になっている。つまり一軒家と言っても、マンションとあまり変わらない家になる。値段も変わらないと聞いている。(超高級マンションは別として)誰しも、考えた結果、一戸建てにするか、マンションにするか決めるのだろう。こちらは通りがかりに眺めているだけだが、それでも世相を感じることがある。いい家に住みたい気持ちは誰しも同じなのである。
今日は友人から電話が1件あった。小説書き、日記書き、駅周辺の買出しはいつもと同じ。
今日は亡兄の誕生日であった。
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| 2011年2月15日(火) |
| 少し雪は積もり |
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朝起きて、庭を見ると少し雪が積もっていた。もちろん雪かきをするほどではない。
家族はこの寒いのに茨城に出張に行った。ほぼ毎日使っている二階の書斎も寒い。部屋を暖めたり、ひざ掛けをかけたりして、デスクの仕事をする。午前中は少しだけ書いた。それから息子が気にいったらしいマッサージクッションを梱包し、宅配便で送った。強弱の機能がないもので、年寄りには少し強めなので、上げることにした。年寄り向きの品はそのうちに探すつもりである。宅配取次店の帰りに駅裏まで歩き、夜の1人分のおかずを買って戻った。これで今日はもう良い、と思ったら安心したのか、ソファで少しうとうとした。起きてから少しまた書いた。「あんばら庵」の日記も溜っている。ほどほどで止めて休息した。夜は1人でのんびりしたつもりだったが、久しぶりに胃痛が出てショックであった。テレビも長い時間は見ていられない状態だ。疲れから痛みが出るのか、ストレスからか、食べ物からか、原因がよく分からない。原稿がまだ完成していないのも1つの理由だろう。こればかりは仕方がない。胃薬と安定剤を飲んで床に入った。薬はよく効く。
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| 2011年2月14日(月) |
| 何もしないヴァレンタインデー |
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今日は聖ヴァレンタインデーだが、だれにもチョコレートを上げることはない。職場にいるわけではないし、わざわざ郵便で送る人もいない。どうせ送るならアルコール類の方が喜びそうな人はたくさんいるが、今年はそれもしていない。忙しいし、一年一年年を重ね、不精になったのかもしれないし、意味のないことはしなくなったのかもしれない。
しかし、今朝はメールを2件送信し、手紙を1通書いて投函した。普通にすべきことは怠けているわけではない。午後からはまた原稿を書いた。ひと休みして夕方も書いた。目下快調である。こんな作品になるとは、書き始めは思ってもいなかった。筆が筆を生む、という不思議さを感じている。しかし、もう少し頑張らなくてはならない。キッチンで夕飯の準備をしながら、珍しく歌を歌った。1日黙っていると、声が枯れるのでトレーニングをした。何とか声は出た。歌う気持ちにもなった。何を歌ったかは、恥ずかしいから書かない。
早く帰ってきた家族は、チョコレートを数個もらってきた。そして夜半から雪になった。まだ冬が続いている。
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| 2011年2月13日(日) |
| 墓参りに |
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疲れてミサは休んだ.と言っても午後から義母の墓参りに行ったから、体力を温存、または調整したことになる。
朝は洗濯物を大量にした。大抵は洗濯機を1回まわして済むのだが、今日は2回まわした。それだけ量が多くなった。まあ、楽しい後始末と言うところか。すべて干し終わってから、家族と2人で長谷の光則寺に墓参りに行った。街はまだ肌寒かったが、やや高台になる本堂裏手の墓地は、思ったより暖かかった。家の墓地の前に座っていたら、日が差してポカポカと暖かいうえに疲れていたので、うとうとと眠りそうであった。家族は花を活けて水をやり、線香を上げていた。私もそれに倣った。無事に孫たちと過せたことを感謝し、この先も無事であることを祈った。山に囲まれた良い墓があることも感謝しなくてはならない。それから二色の椿の花の咲く池のほとりをぐるりと回り、愛犬の墓にも行った。かつての愛犬ムムのためにも祈った。その墓の少し先には、孔雀の家がある。この菩提寺では以前から孔雀を飼っている。その数も2羽から3羽に増えたようだった。しかし、残念ながら美しい羽は開いていなかった。
混雑している長谷観音からバスに乗り、駅前に行き、駅ビルで昼食を取った。帰ってから少しだけデスクに座った。こんなことで、二月の3連休は終った。明日からはもっとデスクの仕事をしたいと思う。
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| 2011年2月12日(土) |
| また雪降って大騒ぎ |
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一家6人で目覚める。下のH子だけちょっと寝坊していた。しかし皆寝起きは良いし、姉妹喧嘩もあまりしなくなった。
朝は和食で、しじみの味噌汁、鯵の干物、漬物などで済ませる。その辺りからまた雪が降り出した。何センチも積もるほどではないが、芝生一面が白くなった。上の孫Y子は表に飛び出して、雪だるまを作り始めた。何とか直径20センチほどの雪丸が出来た。その上に乗る顔の部分をさらに丸め、木の枝や人参、きんかんなどで髪の毛、目、鼻などを拵えて、雪だるまらしく仕上げた。私は写真を写した。孫と一緒のものも写した。PHOTO-Uにも送信して取り入れた。
昼には娘夫婦も合流した。婿殿のEさんはいつも孫たちとよく遊んでくれる。元々アイデァの豊富な人なので、空き箱を使っての工作など、イメージ通りに作ってくれる。庭の雪遊びの後は、居間で娘夫婦も交えてWIIふぃっとをはじめる。下のH子は去年と比べると抜群の進歩で、お姉ちゃんに負けないほどになった。
夕方、娘夫婦が帰る時にいっしょに家を出て、スーパーでカレーの材料を買った。娘夫婦とはそこで別れた。帰ってから孫たちのママにカレーを煮てもらった。夕食はそのカレーを皆で美味しく食べた。夜になって、明日は学校の用事があると言って帰って行った。私は寝る前に、手作りの梅酒をホットで飲んでくつろいだ。
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| 2011年2月11日(金) |
| 息子一家来る |
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今日は本当に雪が降るらしい。それも僅かだが積雪があると言う。そんななか、孫たちがやってくる。孫のママから昨晩「雪だから行かせるの止めましょうか」と電話があったが、「大丈夫」と話した。来ないと家族が淋しがる。先発で姉妹が先に来るのを家族と迎えに行き、無事に会えた。姉のY子の背が高くなったので驚いた。そのうちに私の背を追い越すことだろう。家で昼食を食べたが、下のH子はすぐに宿題を始めた。それからWIIふぃっとがしたいと言い出した。姉妹は、我が家にあって、自分たちの家にないWIIふぃっとのスポーツが大好きで、代わる代わる色々な競技をして楽しんでいた。そのうちにパパとママが到着した。大人は、新携帯の景品、PHOTO-Uに興味を示し、それぞれの携帯から写真を添付送信してくれた。夕食前には、パパとママが用意したバースディケーキで、遅ればせの誕生祝をしてもらった。いっしょに入れた紅茶もおいしかった。ほとんどはストレートで飲む。この頃はすっかり紅茶党になった。家族はシャンパンを抜いた。飲みながら息子たちと大人の話も久しぶりに出来た。入浴も姉妹は大人の手を借りずに出来るようになって、世話を焼かせなくなった。寒くて、子供ペースの1日で、やや疲れたが、良い夜になった。なお、今日は義母の祥月命日である。皆で仏壇に線香を点した。
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| 2011年2月10日(木) |
| 2月句会 |
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雪が降るというニュースも出ている。句会は横浜関内に午前10時集合だから、朝が早い。寒いのでサボろうかと思ったが、何とか5句出来た。出来ると、寒くても行こうかな、という気になる。創作はたとえ小説でなくとも、気力を駆り立ててくれる。
ところが、である。出掛けに一騒ぎがあった。新携帯には万歩計機能が付いていると書いたが、それをバッグに入れておいたのだが、江ノ電に乗ってからそれがないと気付いた。鎌倉駅で降りて横須賀線に乗らず、探したがやはりない。木曜は生ごみ収集日で、途中生ごみを出した。その辺で落としていたら大変だ。乗ってきた電車にまた飛び乗って、家に帰った。途中、生ごみ収集の人に会ったので、訊ねたが「落ちていなかった」とのこと。どきどきしたまま家に帰って居間に飛び込んだところ、おお、我が新携帯はソファの上に鎮座していた。バッグが傾いたときに滑り落ちたと思われる。それを持ってふたたび電車に乗って、横浜に駆けつけた。すでに10名が集っていたが、何とか句会には間にあった。本当に一汗掻いた。
句会は、豆まきのこと、孫のことなどを材料にした句を出した。あまり自信のある句はなかったが、何とか点が入った。忘れ物をして探しに戻ったり、身辺が落ち着かないようでは良い句が出来ない、と反省した。
帰りは乗換駅で降りて、夕食の買い物をした。駄句1句。
豆撒いて のち老夫婦 沈黙す
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| 2011年2月9日(水) |
| 久しぶりのお湿り |
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朝から小雨が降っていて、久しぶりのお湿りとなった。庭の木々も喜んでいる様子にほっとする。水遣りの手間も省ける。水仙もまだ咲いているし、一重の山椿も満開である。沈丁花は蕾みを膨らましている。オリーヴの木も元気に枝を広げている。春はもうすぐそこなのだろう。そんな季節を感じながら、また書斎へと上る。
原稿は縦書にして後、また猛然と手直しをしている。こんなに手直しが出来て楽しい作品も珍しい。磨きをかける必要のある素材なのだろう。午後は馴染みの魚屋さんまで買い出しに行き、往復を歩いた。携帯の万歩計もカウントしている。しかし、普通に生活し、原稿をデスク前で書いていると、5000歩程度しか歩かない。意識的にジョギングをしないと、一万歩などにはならない。もし書かない日があったら、そんなこと(一万歩歩き)もやってみたいと思う。ついでに寺や神社を回って。出張開けの家族の帰りは早く、買ってきた魚を煮て夕食の菜にした。3連休に孫たちが来ると連絡があった。楽しみだ。
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| 2011年2月8日(火) |
| 新携帯にまだ慣れず |
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珍しく曇り空である。それでも洗濯物は干せる。ところで、新しい携帯にまだ慣れていない。メールが届いて、今までは難なく返信していた機能が微妙に違ってきている。落ち着けば出来るにしても、旧携帯で慣れきっていた操作が記憶に残ってしまっている。さらに、景品としてもらったPHOTP-Uという電子フレームへの送信も加わって、午後少し時間を使った。午前中は原稿書きで根を詰めた後だから、本来なら休息の時間に、携帯電話の親元のサポートに電話をして、気力を使った。最近は気力を分散させないように、出来るだけ小説書きに力を注ごうと思っているが、時の流れでこんな日もある。幸い、サポートセンターの親切な女性が、指導してくれて、PHOTO-Uの問題は解決した。有り難いことだ。
夕方、原稿の画面を開き、横書設定を縦書設定にした。以前にも書いたが、私のコンピューターのワード2003は、横書設定の場合、上下端っこの文字などのブラインド(見えない箇所)がなく、書き始めはこの方が見やすい。縦書設定にも、全画面表示、という設定があり、これは見やすいが、やや大き過ぎて、書き始めには躊躇いがある。一種のくせかもしれないが、横書で少しまとまると縦書にする。それからまた磨き上げるように1行1行添削する。全画面表示にすることもある。今夜は家族が出張なので変更をする時間もあった。
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| 2011年2月7日(月) |
| 新携帯に万歩計設定 |
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新携帯に万歩計を設定した。駅前を往復歩いても4000歩と少しぐらいで、5000歩にはならない。1万歩になるには駅前2往復もしくは鶴岡八幡宮までを1往復しなくてはならない。家の中を歩いていて、数字がカウントされる時とされない時がある。機械だから融通が利かないのだろう。また重い荷物を運んで汗をかいてカロリーを消耗しても、歩数は歩数で変わらない。これも機械のせいでどうにもならない。
そのうえ、携帯電話に取り入れた万歩計はやや重たい。ポケットに入れて歩くとごろごろする。そのうえ、どこか自然でないところがある。わざとらしい、と言うか、意識しすぎてしまう。人間はもっと自然に楽しく歩くものではないか。考えてしまう。
ところで、新作はまだ練り直す余地がある.その足りない点、余計な点が、毎日読み直すたびに見付かっている。奥が深くなって嬉しいが、作業は大変だ。しかし、こうして少しずつ作品が磨かれていく。(と思っている。または、I hope~ )新携帯の景品として、PHOTOーUという電子フレームをもらった。これは、携帯の写メールが送れるし、額縁でスライドショーも見られる、という代物。これもまた操作がややこしく、1度2度と写真が上手く送れたが、3度目から送れなくなり、送信添付がリターンしてきた。時間がないから、その理由を追求しないで、今はそのままにしている。夕食の仕度もしなくてはならない。明日以降、これについてまた書く。
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| 2011年2月6日(日) |
| 教会と無教会 |
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日曜のミサに行く。カードをポスティングしてくれたS・H子さんにお礼を言った。千葉神父にもお礼を言ったら、「ぼくではないですよ」と言われてしまった。何だかちょっとがっかりした。私の息子ほどの年齢の神父だ。多くを望むわけにもいかない。しかし、今の時代、こうしてカトリック教会を運営することが、如何に大変かと思う。リフォームもしなくてはならないと聞いている。しかし、教会という建物があるから、人も集り祈ることも出来る。近くに教会があることを感謝しなくてはならない。
最近、あることから、内村鑑三氏のことを調べた。そこで、無教会主義の人、と言う検索結果が出た。いわく、「教会は祈りの場であって、建物のことではない」と。この言葉をメモしながら、難しいテーマを与えられた、と痛感した。学校がなくとも、勉強が出来る、と言えば言えるが、やはり学校は教育の場として不可欠な建物である。教会もまた然り、なのだが、ちがう意見を持つ人もいわけだ。確かに祈る気持ちは誰にもある。またいつどこで起こるか分からない。戦場などで命の危険にさらされた時、祈る気持ちになるのは、当然のことだ。
話は、日常の雑事に変わるが、午後、車を出し、家電店に行った。オーブントースターが購入1年未満で故障した。つまり保障期間中である。壊れたものを持って行き、修理カウンターに預けてきた。その後少し店内を回った。そこでたまたま私の携帯の店を見つけ、機種変更をした。古い機種で、「サーヴィスをこの夏で終了します、お早めにお買い替えを」、と知らせが数回来ている。面倒だと思っていたが、家族に勧められ切り替えた。これで1つ用事が片付いた。
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| 2011年2月5日(土) |
| 娘夫婦来る |
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今朝は、昨日煮たおでんを家族に食べさせた。食べ物を残らせるわけにはいかないから仕方ない。しかし、大根は味が染みて美味しくなっていた。寒くて晴れの日は続いている。洗濯はほぼ毎日している。
朝の家事が済んだ後、二階に上り、少し原稿を書いた。行き詰まることなく、筆は進んでいる。しかし、調子に乗って軽くなるのは困るので、突っ走りそうになるところは引き締め、冷静に考え、削除訂正などをしている。ともかく、悪い方向には行っていない。
午後から娘夫婦が来ると連絡があった。その前に、と駅前に買い出しに行った。帰ってきて間もなく2人でやってきた。寒いが元気そうであった。今日は私の誕生日なので、2人で祝ってくれた。もう年は幾つでも良いが、覚えていてくれることが嬉しい。
もう1つ、郵便受けに所属の教会名で、おめでとうと書いたカードが入っていた。有り難いことだ。
それから家族も加わって4人でロールケーキを切り、紅茶を飲んだ。娘夫婦は、蘭を株分けしたと言って、小分けの2鉢を運んできてくれた。吊り下げられるように針金も付いているものだ。上手く育てたいと思う。何色の花が咲くのだろう。楽しみだ。その後、4人で駅前に行き、ユニオンで夕飯の材料など買ってから、JRの改札口まで送った。
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| 2011年2月4日(金) |
| 立春 |
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朝洗濯機を回しながら、早くもデスクに向った。途中、洗濯終了のチャイムが鳴って、物干に干し、それからまた原稿を書いた。昼までかかった。特におなかが空くわけではないが、12時には階下に降りることにしている。小休止をするとまた新しい考えが浮ぶ。(時もある)降りてから、1月は1度も行かなかったMはり治療院に電話をした。「本日なら午後5時が空いています」と聞き、5時に予約した。さて、と夕食の献立を考えた。5時のはり治療に行くならば、その前に買い物をしなくてはならない。大根でも煮ようか、おでん材料を加えて、と考えた。バス通りまで出て材料を買い、家に帰って大根から煮はじめた。出し昆布と正月に残った酒を少し加えた。
1時間ほどにて火を止めて二階に上り、また少し書いた。火のついているものを階下に置いて、2階に上るわけにはいかない。乾燥注意報が出ている時ゆえ、仕方がない。少し書いてまた階下に降り、また少し煮た。はりに行くころには、後から加えたさつま揚げ、ちくわなどもあらかた煮えていた。はりから帰ってきたら、また少し煮込もうと、考えて、夕方の町に出た。歩いて5分ほどのところなので、寒いと思っているうちに着いた。 はり治療は約二ヶ月ぶりで気持が良かった。家族の帰りはおでんが煮えているにも拘らず遅く、待ちながらコンピューターの検索をした。現在進行中の作品とはまったく別の目的であったのだが、その検索結果が思いがけず役に立ち、すぐにワード画面を立ち上げ、キイを叩いた。
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| 2011年2月3日(木) |
| 福は内 鬼は外 |
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朝起きて居間に入ったら、携帯のメール受信が光っていた。開けてみたら良いニュースが1つ届いていた。早速、まだ寝室に居る家族に知らせた。このニュースに関しては、折を見て詳しく書く。
家族を送り出してから、近くのクリニックに行く。血圧は微かに高くなっていたが、心配はなし。総合感冒薬をもらった。その足で駅近くに今夜の節分に撒く豆を買いに行った。途中、馴染みの酒屋さんがあり、そこで、
「奥さん、うちのお豆は国産ですから、食べられますよ」
と言われ、それを2袋買った。紙で出来た鬼の面はもらった。スーパーでは恵方巻きのハーフを買った。縁起が半分になるかもしれないが、それもよし。元々私はクリスチャンだし、恵方巻きの発生は関西と聞く。何夜かで荷物が重くなった。昼に家に戻ったが、椅子に座ると思ったより疲れていて、ぐったりとした。軽く食事をしてから風邪薬を飲んで少し眠った。目覚めてから、ふと庭を見たらとても乾燥していた。これでは植木が可哀そうと思い、ホースをだして丁寧に水撒きをした。土に水が吸い込まれていくような良い香がした。
夜、早めに帰ってきた家族と豆まきをした。鬼は外で、放られた豆は綺麗になった芝生の上に飛んでいった。恵方巻きも美味しかった。
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| 2011年2月2日(水) |
| 体操はまた復活し |
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正月が終って、書く事の他に出来るようになったことはまだある。柔軟体操である。忙しい時、精神的に余裕のない時、などはWIIふいっとの画面も開かずに、屈伸、ストレッチなど記憶している幾つかのメニューをこなしている。しばらくぶりに体を動かすと、最初はあちこちが痛かったりするが、3日も続くともう楽になる。体も過去の体操を記憶しているようだ。屈託のない気持ちの時ほど、体操をしたい意欲が湧く。屈折して内向的になると、心が開かなくなると同時に、体も開かなくなるのだろうか?今度機会があったら、精神分析医にでも聞いてみよう。明日は節分、明後日は立春だ。人間も自然の生き物の1つだから、体もなんらかの意味で1年ずつ変るのだと思われる。せいぜい体操をして新たな年に向って行きたいものだ。
今日は、デスクを少し、そして買い物にも出た。寒さは続いている。暖房着火とともに、加湿器のスイッチも入れている。加湿器の水はすぐになくなるが、また補充して使っている。風邪のウイルスは湿気に弱いそうなので、こうして防御している。今日はコンピューターの検索をたくさんした。
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| 2011年2月1日(火) |
| 2月になりました |
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2月は誕生月であるし好きな月だが、最近はああ、また1つ年を取るなあ、と悲しく思う。目出度いことではあるが、体力的で出来ないことも多くなるので、切ない気持にもなる。しかしまあ、悲観的にはならないようにしたいものだ。良いこともある。1月の慌しさに比べて、静かに梅を観賞したり出来るのが2月とも思っている。幸いわが市にはたくさんの梅の名所がある。テレビのニュースでは、小田原の梅林には梅が咲き、多くの人が集っている、と報道された。始終テレビを見ているわけではないので、他の情報は分からないが、瑞泉寺などもきっと咲き始めていることだろう。我が家の庭に一本だけ梅の木があるが、1、2輪咲きそうな蕾もある。庭の梅なら毎日いつでも見られるので、咲くのが楽しみだ。
もう1つ室内にも、咲きそうな花がある。アマリリスである。鉢に球根が入っているものを、昨年九月ごろに送っていただいた。10日に1度水をやれば良いと、説明書に書いてあったから、その通りにした。年末年始も忘れずに水をやった。そんなわけで赤い蕾が膨らんできた。明日明後日にも咲きそうである。アマリリスの花は大きいので咲くと明るい気持になる。咲いたら是非写真を撮って、PICTURE欄に載せたいと思う。
しかし、このところの大雪のニュースに加え、新燃岳の噴火のニュースには心が痛む。灰の被った畑の野菜を見るのは辛い。天災だからと言っても、育ててきた人たちの気持ちは別だ。大雪も火山灰も降らないところに居る私たちは幸せだが、災害の地方にお年寄りの1人暮らしが多いことを思うと、他人事ではない気がする。若い協力者が過疎地で活躍することを祈ってやまない。
今日は、電話連絡やメール受信の多い日だった。買い物は駅前のスーパーの往復を歩いてした。夜は久しぶりにガスオーブンを使って、チキングラタンを拵えた。家族の評判は良かった。
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| 2011年1月31日(月) |
| 氷張る |
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今朝は寒かった。家族の出勤を送りながら、生ごみの袋を運んでいったら、途中通り抜ける駐車場のところの水溜りに、氷が張っていた。家族も「氷が張っているよ」とそれを指差していた。
朝の片付けを終えてから、昼まで原稿を書く。粗塗りが終り、最後の仕上げに入っているが、この段取りで良いのか、まだやり直しが必要か、考えてるところもある。慎重に行っていきたい。しかし、筆が進むことは幸いである。だから、いくら寒くても、雑用が山ほどあっても、書ける時にサボることはしない。昼より、拙作『明日は晴れる』(冬花社刊)を1冊梱包し、郵便局から発送した。お1人、去年の発送時に洩れがあり、申し訳なく思ったので、お詫び状も添えた。気が付いたのは、年賀状のリストと、本の発送リストを照合した、去年の暮であった。事務的な作業は、小説を書くことと違って、なかなか難しい。別の注意力が必要になる。反省しなくてはならない。しかし、今日は土日の疲れが残って、あまり快調ではなかった。夜少し体操をした。今日で忙しかった1月も終る。そろそろ節分の豆も買わなくてはならない。
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| 2011年1月30日(日) |
| 黙想の家の神父のお話 |
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ミサに行く。今日の司式は、十二所の黙想の家の神父、英隆一郎師である。(2010・12・12日の日記参照)
ミサが終った後、さらに居残ってお話を聴くことになっている。去年12月12日に初めてお話を聞いて、とても分かりやすくなおかつ感銘したので、今日も約1時間お話を聞くこととなった。タイトルは、「心を病んでいる人へ」というものだが、始めに、
「私は、コンサルタントや、ケースワーカー、などの資格を持っているわけではないが、1人の神父としてお話いたします」
と語りかける。信仰と癒し、心を病んでいる人への励ましは、時間を書ける、根気強く、それはマラソンのようなものと言う。毎日の積み重ねなのだな、自分の問題にも重ねられると思いながら聴く。お話の後に、聖母会館で、神父と共のお茶の会があると聞いていたが、家族が待っているので、お話を聴いただけで、教会を後にした。
午後、家族と市内に買い出しに出て、明日は買い出しに行かなくて済むほど、買い込んだ。荷物持ちがいる上に、晴天で傘など持たないから、出来る仕事だ。年々買出しが辛くなってくる。しかし、まだ頑張れる。おなかと胃は1日中治まっていた。
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| 2011年1月29日(土) |
| 娘とケーキ、夜は鎌倉ペンクラブ |
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朝、昨日のテレビの件で、ケーブルテレビの会社にFAXした。質問の主旨は、こちらのテレビに問題があるか、ないかである。間もなく電話がかかってきて、すべてはこちらの回線のせいです、と詫びてきた。2度とこういうことがないように頼んで、電話を切った。ともかく1件落着した。その他に孫のところにもFAXを送った。
その後、家族はいつもの整形外科のリハビリに行った。と言っても、保険の効く、簡単なリハビリで、大げさなものではない。(ご心配なく)そのあいだに私は、少しデスクに向った。新作はまあ順調に進んでいる。
午後になって、娘が歯医者の検診の帰りに来た。娘は独身時代から、この市内の歯医者さんに行っている。近くにできたケーキ店MIWAでロールケーキを買ってきて、娘と紅茶を飲んだ。娘はロールケーキが美味しいと言っていた。
午後5時からは、鎌倉ペンクラブの新年会に行った。岡松和夫会長他、会員の皆さまはお元気だった。今日は死んだ姉の誕生日だ。命日とは違うが何となく思い出す。
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| 2011年1月28日(金) |
| 30分ほどテレビ2台映らず |
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「あんばら庵」のアクセスカウンタは何とか出るようになっている。まあ、細かいことは気にしないことにする。
デスクのほうは、タイトルSの小説書きを進めている。しかし、寒さのせいか今1つ調子が上がらない。昼食の時間をオーバーしても書いていると、昼食にいい加減なものを食べて良くない。今日もボイルしたソーセージは新しいもので少ししか口にしなかったが、瓶の底のマヨネーズをスプーンで掬って生野菜に付けた。家族が瓶入りのマヨネーズが気に入っていて、最近はそれを利用している。しかし、大人数ではないのでなかなか減らない。最後になったら捨てるほうが良いのだが、捨てないでいて、口にした。午後、お使いに出たら途中おなかがごろごろした。勿体ない精神はもう止めなくてはならないと思った。
それでも予定していたので、駅前の書店に行き、絵本を1冊購入した。小説の資料にするものである。帰ってきてその絵本の雪のシーンの美しさにしばし見とれた。雪の白さのような純度の高い小説が書ければ良いな、と思った。
夕方、家族より「遅くなる」との電話あった。その直後、テレビが突然消えた。「受信できません」とメッセージが出ているだけだ。もう1台も見たが、同じように映らない。テレビの裏側を見たり色々したが、特に問題はなさそうであった。そんなことをしているうちに突然、元の状態に戻った。我が家のテレビは、鎌倉ケーブルテレビに接続している。明日、ケーブルテレビに電話をしてみなければと思った。その後少し胃痛があった。
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| 2011年1月27日(木) |
| 犬も歩けば、捧にあたる |
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相変らず寒い。しかし、やっと何も予定のない日になった。もちろん、家事をする、小説や日記を書くことは別として。この仕事は生きている限りあるし、するつもりだ。ただし木曜日は生ごみを出す日なので、その袋を収拾場まで運んだ。生ごみ収集は週2回なので、忘れると台所が臭く、汚くなる。ごみを出して帰ってきてほっとした。
忙しかったので、「あんばら庵」の日記も溜っていた。部屋を暖かくして日記を3日分書いた。しかし、疲れが残っていて、気力が昼まで持たず、それだけでダウンした。昼までソファで眠った。
しかし、午後からはまた頑張って、また小説を書いた。
夕方、駅の先の魚屋さんまで買い出しに行った。眠ったせいか、足が動き、行きも帰りも歩いた。帰りがけ、いつもの美容院の前で、美容師のMさんに呼び止められた。お客さんで、拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)が欲しい人がいるという。版元に問い合わせようかと思っていたところという。それなら、家にまだ在庫があるから、次の時に持参する、と約束した。電車に乗らないで歩いて帰ると、良いこともうあるなあ、と思いながらまたぶらぶらと歩いた。
夜、帰宅した家族に話したら、笑って聞いてくれた。
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| 2011年1月26日(水) |
| 教会の広報の手伝いに |
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毎日寒い。しかし、最近は書斎にエアコンが付く。十代で物を書きはじめたころは、火の気のない部屋で毛布を被ったりして書いた。暖かさに感謝して良い仕事をしなくてはならない、と思う。
ところで、「あんばら庵」のアクセスカウンタが、やっと出た。しかし、丸2日間出なかったので、その間のアクセスはあったにも拘らずゼロ。カウントが増えなくて少々残念だが、腹を立てないことにしよう、と思う。そして黙々と書く。というのが、今の私の姿勢である。
朝、家族を送り出した後、11時にカトリック教会の手伝いに行くまで、小説の続きを書く。しかし、時間を気にしている時に限って、妙に調子が出る。本当はもう少し書いていたかったが、切り上げて出かける仕度をした。刷り上った教会報、4枚を2つに折りたたんで重ねる仕事がある。全信者に配るもので250部ほど作らなくてはならない。作業員は4~5名といったところ。印刷機の操作やその前の校正は日曜日にしているが、それは手伝っていない。高齢者で月~金と働いている家族の休日なので、申し訳ないがお断りしている。途中、買ってきてもらったおにぎりを二個食べて昼食とし、3時まで、合計4時間、教会の編集室にいた。帰りがけに駅の西口まで歩き、惣菜を少し買って電車で帰宅した。かなり疲れていた。
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| 2011年1月25日(火) |
| お掃除Mさんくる |
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お掃除のMさんが働いてくれているあいだ、二階で「あんばら庵」を開いたが、まだアクセスカウンタは出なかった。一時は、カウンターの親元を変えようかと思ったが、面倒な作業になるのでそれは止めた。もうどうでも良くなった。たかが、アクセスである。小説書きの方に専念することにした。そちらは、完成はまだまだとしても、順調に進んでいる。
駅前のスーパーの往復をして夕食はたらちり鍋その他にした。家族は鍋物が好きだ。夜遅くなって、家族と、日本対韓国のサッカー戦を観た。しかし、試合が長く、なかなか決着が付かなかったので、私が先に寝て家族がその後に続いたが、勝敗はまだ決まっていなかった。PK戦でやっと勝ったと知ったのは翌朝のことであった。ゴールキーパーの川島が、韓国選手のボールを何本も止めたらしい。嬉しそうに、テレビでコメントしている顔を朝食の仕度をしながら見て、こちらも嬉しくなった。朝のニュースではその話で持ちきりで、みな睡眠不足と言っていた。これで決勝進出となる。相手はオーストラリアだ。身長の平均差が3センチあるそうだ。体操も少しした。
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| 2011年1月24日(月) |
| 大船の どーる忠永さん宅 へ行く |
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いつも、大船の洋裁の田中さん、と書いているが、正式には「どーる忠永」(ただえ)さんというブランド名がある。出来上がった洋服の襟元には、その縫い取りのリボンが付く。とても洒落た名前と思っている。
今日は今年初めて、その田中さん宅に行った。去年から頼んでいた物は、ジャケットの大きなパットを外して、袖付けを詰めてもらうことだった。それはとても綺麗に直った。まるでお侍の裃のようなパットが付いていた。生地がとても気に入っていた物なので、思い切って直しを頼んだら、引き受けてくれた。
「あんばら庵」のアクセスカウンタは、オープニング・ページに出たかと思うとまた消える。苛々する状態である。しかし、長く関り合っているわけにもいかない。チェックだけして、すぐに他の事に切り替える。しかし、大船で少し買い物をして戻ってきても、まだカウンタの数字は出なかった。サポートに問い合わせてみることにした。ホームページ・ビルダー14のサポートは、今年から、IBMからジャストシステムに移行している。電話をかけるまえに、受話器を持ってから慌てないように、製品のシリアルナンバー、UserIDなどを全部ノートに書き写し、それからダイヤルを回した。お陰で慌てることはなかったが、問題そのものは解決しなかった。カウンタは他社からの貼り付け、コピーであってホームページ・ビルダーには関係がなかったのである。夜体操した。
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| 2011年1月23日(日) |
| ミサに行く。アクセスカウンタ出ず |
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日曜のミサに行く。年間第3主日である。何のお祝い日でない日が、お祭り嫌いの私には相応しい。ともかく静かに祈ることができる。神父のお話は、「ピンと来ることが大切」という主旨のものだった。信仰に導かれる時の「出会い」のようなことを言うのだろう、理論的ではないが、分かる気がした。
帰宅して、コンピューターを開いたら、「あんばら庵」のアクセスカウントが出なくなっていた。カウンタの場所をクリックしても、インターネットに接続が出来なかった。以前のプロバイダでは、更新時に問題があったが、今回は更新はあっという間に出来るが、こんなところに問題が生じている。まったく困ったことと思う。
午後から車を出し、昼食の店に車を停め、その後は大船のホームセンターへと回った。ホームセンターでは灯油が安く買えた。他のかさ張る雑貨も買った。車の買出しはストックが出来るので助かる。
夜、やはり「あんばら庵」のアクセスカウンタは出なかった。食後また体操をした。
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| 2011年1月22日(土) |
| 小説を書くと、日記が溜る |
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このところ、小説を熱心に書いている。と言っても年齢的に無理は出来ない。疲れるとすぐにごろごろする。怠けながら書いていると、芸術家らしく見えるかもしれないが、単なる年寄りになったと思っている。それでも、筆は進んでいる。消しては書き、書いては消しているが、コンピューターの場合は、それが簡単に出来る。
問題は日記である。2003年から書き始めて、昨年夏、2400日分を一冊の本にまとめ、出版したが、その後も日記は書き続けている。しかし、2003年は丸8年前だから、その時より8歳年を取ったことになる。高齢になってからの8歳は大きい。体力気力がだいぶ違ってきた。根気がなくなってくるので、頑張っているつもりでも、能率が悪くなる。しかし、小説も書きたい。実際に書いている。正月の御節料理も良いが、その間のカルチャー・ハングリーが反動になって、書きたくなる。
今日は、家族の休日で、朝昼晩、食事を3度拵えた。もっとも昼食は簡単にしている。夜になって、今日が誕生日の息子から電話があった。ささやかなプレゼントが届いたらしい。夜少し体操をした。
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| 2011年1月21日(金) |
| 昼は休養、夜はサッカーを観る |
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寒い日が続いている。私はこの大寒の最中に最初の子供を産んだ。もう何十年も前のことである。未熟な母に育てられた赤ん坊も、いまは中年の男性になった。現在、(私がこの日記で書く)孫のパパでもある。何が言いたいかというと、息子の誕生日がこの季節になってしまったことから、いつも寒い時にプレゼントは何にするか、と考えることになっている。寒いから、あまり遠出はしないので、良いプレゼントの用意は出来ない。(と勝手に考えている)今日は休養の日だったが、プレゼントの発送だけはしようと決めていた。朝1番に(家族を送り出した後)梱包を始め、用紙に住所を書き、代理店の店まで持って行った。店の人に「お寒いですね」と言われた。当たりまえだが、これしか言いようがない。朝の冷えが残っている午前中はまだ寒い。発送の手続を済ませてから、八百屋さんなどを回って家に帰った。それでも体が冷えたらしく、途中おなかがごろごろした。家に帰ってヒーターで暖まりながら少し眠った。
目を覚ましてから、デスクに向った。今日の執筆時間は1時間+1時間=2時間程度だった。夜は家族と、サッカーの日本ーカタール線を観た。日本は3対2で勝った。私は途中で眠ってしまった。
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| 2011年1月20日(木) |
| まだ書いていない時代がある |
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小説は、想像力を駆使するとしても、書きはじめる段階で自分が分かっていることを対象にして、筆を進めるもの、と思う。少なくともこれまではそうしてきた。そうして、通り過ぎてきた大抵の時代は書いてきた気がする。
だが、待てよ、と思う気持が、最近湧いている。過ぎた時代を、繰り返し見据えて、考えてきたつもりでも、まだ見逃していることは多いのではないか?意識的なこと、無意識的なことを考えると、作品の世界はさらに広がってくると思われる。年を取って、昨日も皮膚科の医師に、「加齢によるもの」などと言われたが、年月とともに、人生の全体像が見渡せるようになった点が、プラスに働いている。「加齢だって良いことがあります。魚のカレイが平目になったように…」などと反論したくなる。
今回の小説は、その意味で、まだ手を付けていない未知の領域に首を突っ込んでいる、と言って良い。具体的なことはマル秘だから、今は書けないが、書いていると次々に言葉が生れてきて、面白い。
午前中はデスク前に居て、午後からは外出し、夕食までには帰った。
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| 2011年1月19日(水) |
| やっと皮膚科に行き、薬もらう |
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朝一番で近くの皮膚科に行く。足のふくらはぎのかゆみがずっと続いている。しかし重症ではないので暮から放っておいた。というより忙しくて行かれなかったし、年末年始の休みもあった。
ところが張り切って行ったものの、窓口で保険証を忘れたことに気付いた。「近いから、取ってきます」と言って家に戻り、また皮膚科に向った。すっかり汗をかいた。
医師は、患部を見て「加齢によるもの」と簡単に言った。そして塗り薬、飲み薬を出してくれた。帰りはのんびりと歩いた。家に戻って、久しぶりにコーヒーをゆっくりと飲んだ。
その後切り替えて、デスクに向った。小説書きは下書きの段階だが、400字詰めで、40枚前後になっている。50枚ぐらいで収める予定である。しかし、これからが大変だ。
午後遅く駅前まで買い物に行く。帰ってから部屋を温かくして洗髪をした。タオルでよく拭いてブローをした。夕食は鯵の塩焼きに大根おろし、など。
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| 2011年1月18日(火) |
| 忙しい時の原稿書きも良い |
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昨夜のサッカー、アジア大会、日本ーサウジアラビア戦は、5ー0で日本が勝利した。私は前半、3ー0、の時に眠ってしまった。そうは起きていられない。
朝、家族を送り出し、家事を片付け、小説原稿を少し進めた。今日の昼は友人たちと食事をすることになっているのだが、そんな風に時間がない時、妙に筆が進むから面白い。じっくりと書くべき良い素材なので、急いで書くわけにはいかないが、興が乗った時は急いで書き進めても良いと思っている。もの書きはテレビ番組のコメンテーターのように、瞬間の勝負をしているわけではないので、後からの言葉の手直しは、責任を持ってすることが出来る。実際はこの最終的な、詰め、が一番大切で辛い。ただし、これは私の方法で、もっと緻密に計算をして、基礎工事の後、壁塗りをするだけのように、筆を進める人も居ると思う。私を参考にしてもらっても困る。
ランチの場所は、鎌倉市雪ノ下の住宅地の中だった。鎌倉駅から、バスにもタクシーにも乗らずに、揃って現地まで歩いた。帰りも歩いた。レストランの建物は新築で、料理も新築に相応しく美味しかった。通り抜けた鶴岡八幡宮の混雑はやや緩和されていた。 西口の一角で粕漬けの魚を2パック買って帰宅した。少し疲れた。
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| 2011年1月17日(月) |
| 阪神淡路大震災の日 |
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17年前、阪神淡路地方に地震が起きたのは早朝であった。
朝起きてすぐに食堂のテレビをつけると、すでに追悼の式典が始まっていた。
「助けてあげられなかったことを、ずっと引きずっている」
という遺族のコメントが胸を打つ。ご冥福を祈るより他に何も出来ない。そのほかのテレビも、防災関係の番組ばかりだった。防災グッズの用意も半端な私は、実際に災害が起きたら、困るな、と思うばかりだ。それに、ガス、水道、電気などが来なくなったら、どうする。その準備は……、考えると頭の中が混乱する。若くもないのだから、それぐらいは考えておかなくてはと痛感する一日であった。
午後は、美容院に行き、髪をカッとしてもらった。ズボン(最近はパンツという)ばかり穿いている私は、(今年は、スカートをはこう。綺麗にしよう)、などと考えている。いつまで続くか分からないが。夕食は鍋ものにした。家族の帰りは早し。
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| 2011年1月16日(日) |
| 出発点から、終着点へと言うが… |
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日曜のミサに行く。正月やお祝い日が終り、普通のミサになり、落ち着いた気分である。しかし、そう思うのも私の主観で、お正月やお祝い日が好き、という人もいるかもしれない。人それぞれ違うことは分かっているが、これはあくまでも私庵原高子の日記である。。ミサの前に、先日カレンダー(動物の)を頂いた方に御礼を申し上げた。お風邪も治ったとのこと、安心した。
千葉神父のお話は、成人の日を前にして、
「二十歳は大人としての出発点、です。そして私たちは終着点へと向って生きています。そのことをしっかりと考えて見ましょう」
という主旨だった。神父は50代と聞く。確かにその通りなのだが、私たちのような年配者には、終着点という言葉が身に迫り、辛く聞こえる。もう少し違う表現がないか、としばし考えた。まだ少し時間がありますよ、と言われたい、などと思った。子供たちのため、孫たちのために祈った。とくにこの寒い冬、孫たちの心身が強くなるように祈った。
夕食は久しぶりに中華料理店に行き、外食をした。おなかが我がままになっているのか、こういう時は、悪い症状がまったくでないのが不思議だ。電車の駅から近い店なので、寒い思いもしなくて済んだ。
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| 2011年1月15日(土) |
| 小豆粥を家族と |
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朝、洗濯を済ませてから、デスクに向い、キイを叩いていた。もちろん簡単に朝食は済ませている。家族の出張が土曜日にかかった時の帰宅は早く、夜にならないのが通例だ。途中の駅から連絡してくる時もある。いずれにしても昼までは何もないだろうと思い、デスクに向っていた。すると昼になる前に、階下で物音がした。どうやら家族が帰ってきたらしい。時計を見ると11時半であった。書き進めていたワード文書を保存してから閉じて、階下に降りた。服を着替えた家族に、
「小豆粥ありますよ」
と言ったら、
「いただきましょう」
と返事が帰ってきた。もちを小さく切ってオーブン・トースターで焼き、粥の鍋に入れて少し煮た。小豆の色と餅の色が合わさって見た目にもおいしそうな粥が出来上った。それが出張明けの昼食となった。珍しく2人の食事はおいしいな、と思った。これで、正月の行事は全て終った。正月嫌いの私の体調も、快方に向かうかもしれないと思った。午後はまたごろごろしたが、家族は疲れも感じさせず、近くの整形外科にリハビリに行ったり、クリーニング店に行ったりしていた。夜はビールを飲んでいた。
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| 2011年1月14日(金) |
| 原稿と葉書書き、電話数件 |
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朝からクリニックに行く。おなかの具合は風邪の症状かもしれないと、喉を見てもらったが、少し赤い程度のことだった。もちろん熱もない。総合感冒薬と咳止めをもらって帰った。
居間に入ると留守電が1件入っていて、赤ランプが点滅していた。メッセージを聞くと、久しぶりの友人からだった。こちらからすぐにかけてしばし話をした。懐かしくてやや感傷的になったが、その気持ちを振り払って、デスクに向かいまたキイを叩いた。原稿の進行状態は悪くないが、まだ完成には程遠い。頑張らなくてはと思う。午後、葉書を2通書いた。投函がてら、駅前スーパーを往復歩いた。家族は初の出張で静岡泊まりになる。それも金曜の夜は珍しい。豊川稲荷に仕事仲間とお参りに行くのが、恒例になっている。夕食は消化の良いものを口にしたが、それでも食後やや不安定になった。家族が居ないと楽ではあるけれど、心細いところもある。
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| 2011年1月13日(木) |
| 絵硝子湘南句会に出席 |
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朝起きたときの体調が良かったので、句会に行くことにした。気温もさほど下がらず、行かれそうな気がした。いつもより電車を1台遅くしたので、間に合うかと思ったが、まだ集った句のコピー印刷が始まる前に句会の部屋に着いた。投句を会場に運んできてくれたSさんに礼を言った。腰痛でこのところ欠席していたKさんもご出席で、W先生を含めて10人×5句=50句が1枚の紙(B5)にコピーされ、それがそれぞれに配られて、選句が始まった。しかしそのなかから5句選ぶのはなかなか難しい。まして正月ボケをしているせいか、いつもより時間がかかった。
昼食は階下の食堂でサンドイッチを注文した。おなかの薬は持参していたが、飲まなかった。帰りは横浜方面に回り、少し買い物をした。家に帰ったのは3時半前後で、思ったほど疲れていなかった。お茶を1杯飲んでから、2階に上がり、デスクに向かった。そして、ワード2003の画面を開き、原稿を直し始めたら、あっという間に2時間が経ってしまった。午後に、しかも外出の後に、これだけ筆が進んだのも珍しい。句会で刺激を受けたのか、たくさんの人に会えたからか、買い物が出来たからか、原因は良く分からないが、ともかく嬉しい気持ちだ。以下は拙句の2点句。
髭剃らぬ 夫(つま)と三が日 過したり
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| 2011年1月12日(水) |
| 原稿書きと投句など |
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上記のようにタイトルを書くと、如何にも1日勤勉に過したように見えるが、実際は1日の半分、腸の薬を飲んでごろごろしていた次第である。元々朝方の私は、午前中つまり昼までは何とか元気が保てる。集中力も然りである。そして午後はまあまあ、夕方から崩れて、夕食後がぱっとしない。寒いから冷えもあるのだろうが、3連休のリズムの乱れが、残っている気がする。お使いにも出なかった。
絵硝子湘南句会のS・S子さんに、メールで5句送信したのは午後のことである。明日の、横浜関内での句会に出席するか、しないか迷っているので、欠席の場合を考えて投句させてもらった。まもなくSさんから受信しましたと言う返事が来た。それで一安心して、またごろごろした。食事は残った御飯をおじやにしたりで済ませた。具は削り節と金ゴマ、野菜など。家族は新年の会合で遅かったが、あっさりと寝てくれて助かった。
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| 2011年1月11日(火) |
| やっと正月が片付き、物書きの方向へ |
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午前中からお掃除のMさんが来てくれる。ひと働きしてくれて、やっとお正月が片付いたという思いになった。ちなみにMさんは今年喪中だそうである。お父さんを亡くされたと言っているので、お悔やみを申し上げた。
Mさんのまだ居るうちから、去年から持ち越しの小説原稿を広げる。と言っても、ワードのページを開いて上から下にスクロールするわけだ。午後、Mさんが帰ってからは、本腰を入れかなりのキイを叩いた。いつものことながら、正月の反動である。ストレス解消に衝動買いなどをした時期もあったが、最近は長く使えるものでないと勿体なくて買わない(と思う)。
夕方近く、トイレットペーパーなどの日常品の買出しに出る。あんかの低温やけどのあとが、おなかに少し残っているので、小さなバンドエイドも買った。あんかでやけどをしたのは初めてだ。豆粒ほどのあとがなかなか治らない。しかし、おなかが温まったら、とても良く眠れた。それで下痢も治まったが、朝になってやけどに気づいた。当分あんかは使えない。使わなくなったらまた下痢をした。今度は外出先だった。こんなことは書きたくないが、仕方がない。今日は、車を止めて駅前の往復を歩いた。街はまだ初詣の客で混んでいた。苛々がまだ残っていて、わが町、観光の町の混雑を見ると、気が休まらないのを感じる。買い物の用事がなければ、家で本を読んだり、原稿を書いていたり、簡単な庭仕事をして過したいものだ。
明日からはまた原稿を書く。13日の句会のための句も作っている。
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| 2011年1月10日(月) |
| 三田文学冬季号届く |
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成人の日で、今日も家族は休みである。昨夜はよく眠った。何も考えないで眠るのが一番良い。今日は何も予定がないと思っていたら、植木職人が裏のパーキングのポールを直しに来た。1時間ほどで作業は終った。ポールが目立つように緑のシールを2枚ずつ貼ってもらった。夕方までは新しいセメントの上に乗らないで下さい、と言われた。車を出そうと思っていたので、困ったなと思ったが頷いた。仕方がない。しかし、しばらくしたらやはり車を出すことになり、家族にタイヤの動きを見てもらい、セメントのうえに乗らないように移動させ、何とか発信した。
大型電器店で、洗濯機の糸くず取り袋、というものを探し、幸い我が家の洗濯機の品番に合うものがあったので、購入した。こんなものでも見付かると嬉しいものだ。その後、近くのデパートに回り、家族の誕生日にネクタイを1本買った。前にも書いたが、これも正月の行事のなかに組み込まれているイヴェントだ。自分のものも1品買った。そのころから昼の外食が腸に合わず、おなかがごろごろした。帰りたくなってデパートの駐車場に向った。帰りの道路が混んでいるといやだなと思ったが、幸い空いていた。それもとても空いていて、大仏のトンネルに差しかかった時、車が詰まっていなくて向う側の出口が見えるほどであった。帰りもパーキングでは注意してバックした。運転手はもちろん私である。夕食は和食にした。和食ならおなかは落ち着いている。
書き残したが、三田文学冬季号が届いた。私の書いた、三田文学100年展覧会の感想文が載っている。ご一読を乞う。
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| 2011年1月9日(日) |
| 今年初めてのミサ |
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寒くなってきた。しかし、頑張って今年初めてのミサに行く。風邪が完全に治っていないのか、ミサ中に皆と一緒に聖歌を歌ったら、声が掠れてひっくり返った。ともかく喉の延びが悪い。若いころは高らかに歌っていたのに、といささかショックであった。
ともかく体調はいまひとつである。帰宅して、庭に出て、咲き終わった菊の花を全部カッとしたが、後は面倒になって家に入った。ちょっとしたことに怒りっぽくなっている。午後、西口の中華料理屋さんのおかずを買いに行った。正月の料理が偏っているので、春巻きなど味の濃いものが欲しくなった。この店の春巻きは味付けが気に入っている。夕方ソファで少し横になった。しかし自分では横になったつもりだったが、深く眠ったらしい。家族が見ていた相撲の勝敗の結果を全く知らなかった。テレビの音が大きくても眠るのは相当疲れている証拠だ。夕食時、自分で拵えた梅酒をホットにして飲んだら気分が和らいだ。家族と色々話をした。夜は風邪薬を飲んで眠った。
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| 2011年1月8日(土) |
| コンピューターの文字サイズ狂う |
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家族は休日。昨夜は茨城県でのお通夜で、深夜に帰ってきた。高速バスというのに乗り東京駅まで来て、横須賀線に乗ったと言う。そんなわけで、2人とも珍しく寝坊をした。朝食後、家族は、整形外科のリハビリ治療などに行く。
昼ごろ、かつて山形旅行にご一緒したA夫人から電話があった。その折に行った山形の温泉旅館の名前を覚えていないか、と聞かれた。さて?急には思い出せない。山形市内ではなかったと思うが……。
昨年出版した拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)は、2400日の日記を1冊の本にしたものだ。それを紐解こうと思ったが、その前にコンピューターを開き、旧「あんばら庵」の目次を開いた。都合で、本に目次は載せなかったが、ホームページには目次が残っている。その目次を開き、ゆっくりスクロールして、6年前の山形旅行で泊った温泉は、天童市の温泉と書いたページを見付けた。『明日は晴れる』を開くと、そこにもその記述があった。しかし、残念なことに、温泉旅館の名前は記載してなかった。とりあえず、A夫人に電話をかけ、泊ったのは天童市であると、告げた。夕食の仕度の時間で旅行のパンフなどを探す間はなかった。
夕食後、ホームページ「あんばら庵」を開いた時、これまでと、文字サイズが変わっていることに気付いた。慌てて、表示→文字サイズ→大、中、小などとクリックしたが、元と同じサイズにはならなかった。途中の一汗掻いたプロセスは省略するが、やっと落ち着いたのは、表示は100パーセント、文字の大きさは中、という設定だった。しかし、アクセスカウンタ、などの文字数が微妙に変わり、それも修正していたら、結構時間がかかった。こういう点、コンピューターは恐ろしい。
原因はなんなのだろう?
すでに、サーヴィスを終了したホームページの目次を開いて、何度もスクロールしたからか?
そんなわけで忙しい夜となった。文字サイズを元通りにした積もりだが、「あんばら庵」にお見苦しいところがあったら、掲示板またはメールで、ご一報願いたい。
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| 2011年1月7日(金) |
| 七草粥を拵えて |
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朝は七草粥を拵えた。だんだんと体力、気力的にきつい正月となってくるが、なんとか七草まで過すことが出来た。今日で門松などのお飾りが取れて、松の内が終了する。
家族を送り出して、デスクに向っていたら、植木職人が門松や玄関飾りを外しに来た。その折に、裏の車庫の、先日壊されたポールを見てもらった。職人はセメントのひび割れの状況を見て、やはり何かにぶつけられたのでしょう、と言っていた。近近に直してくれる、と言って帰っていった。
ところで今日は、実母の祥月命日である。亡くなったのはずっと昔だ。細かく数えないが、50年ほど前になる。これもまた忙しい時に死んだものだ。昨日は誕生日を祝ったり、今日は死者のために祈ったりと切り替えが難しい。しかし、人の生死ばかりは人間が勝手に決められない。最近は、その日にちを出産や、機械の取り外しでなどで操作をするものが居ると聞くが、それにしても思うようにはいかない方が普通だ。それが自然の摂理なのだ。葬式の日に子供が生まれても可笑しいことではない。このところの忙しさは、その部類なのだろう。
家族は、今夜は仕事関係のお通夜に行っていて、帰りは遅くなるらしい。どの世界も、新しい年の仕事が始まっている。
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| 2011年1月6日(木) |
| バースディ&生ごみ一掃 |
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待ちに待った初の生ごみ収集日である。家で、料理を作ってお正月を迎える者にとって、年末年始に生ごみ収集が行われないのは、苦痛に等しい。年末は早めに大掃除をして、その折に出たごみは12月30日に収集してもらったが、その後に出る主に料理のごみ(野菜の皮その他)は大量に出る。何年か前に生ごみ処理機は購入したが、外置きで出し入れ作業が寒いので、いつのまにか使わなくなった。今朝、スーパーの大袋に入ったごみの数を数えたら12個になっていた。私が2度、家族が1度収集場まで運んで台所がやっとさっぱりした。ごみの問題は、以前の「あんばら庵」の日記に何度も書いたが、路地の奥の拙宅の台所口から収集場までは、100メーターを越える距離がある。これでやっと台所には新年が来た、という感がある。
もう1つの新年は、小説書きのデスクに向ったこと。去年から持ち越しの原稿のページを開き、かなり進め、深めた。枚数その他についてはあえて書かない。これは昼までの仕事で、午後からは家族の誕生日のための買出しに出かけた。世間には、自分の誕生日がクリスマスなどの祝い日に重なって、つまらないと言う人が居ると聞くが、この1月6日の家族の誕生日は、正月の行事の1つに組み込まれていて、私にとっては気の抜けない仕事になる。まして相手が高齢になると、誕生日は目出度いのだから、明るく楽しく祝ってあげたい。スーパーでお赤飯のパック詰めを買ったり、葉山直通の良い鮮魚店で新鮮なタコの刺身を買ったりした。シャンパンはすでに購入してある。しかし、新春の会社に訪問客があり、飲みに誘われて、早く帰れない場合もある。無駄にすると勿体ない高価なものは買わないことにして、家に帰った。
幸い家族は、なんとか家でバースディ・ディナーが祝える時間に戻って来た。
生ごみ一掃、小説書き初め、バースディ・ディナーと、まあ良い1日であった。
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| 2011年1月5日(水) |
| 針谷卓史著「これで、ハッピーエンド。」(講談社BOX) |
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本日、年賀状と一緒に上記の本が恵送されてきた。針谷史は、三田文学の新人賞を何年か前に受賞した若き書き手である。年末年始の主婦業の疲れと、まだ松が取れていない忙しさから、読了はしていない。全巻360ページ中、84ページまで読んだところだ。このページからは、第四回(章にあらず)が始まっている。一口に言えば、アラサー女子の恋愛が、現代の世相を背景に面白おかしく語られているのだが、ことが古今東西繰り返しなされてきた、男と女の恋愛であるだけに、年寄りにはつまらない話、と言って片付けられない、何か、を感じさせる作品である。
2011年現在普及し、使われている文明の機器が、携帯をはじめ何種も登場する作品でもある。筆者の私は、コンピューターも少々弄り、デジカメも操作し、挿入したチップから写した写真をパソコンに取り入れ、メールで人に送ったり、プリンタで印刷したりすることが出来る。家で、簡単なスポーツやゲームが出来るWiiFitという機器は、娘の勧めで好きになり、現在ソフトを3種持っていて、正月には孫と遊んだりした。しかしながら、任天堂(と思われる)の製品、DSは持っていない。(文中では、DSi、と書かれている)この、DSiを持ち上げる、という描写は、ゲームに関することと、大体分かるから良いが、先を読んでいくとそういう場面に何度か出会う。それでも、読むのを止めないのだから、私もかなりヘンな人間だが、一種の魅力があり、心理描写もフロイド風で、基本がしっかりした作品に思える。
本来なら最後の、ハッピーエンド(おそらくタイトル通りなら)まで読んで感想を書くべきなのだが、重ねて書くが、年末年始のおさんどんで疲れ果てている。それに毎年の習慣で、この難行苦行(?)を切り抜けた後は、猛然と小説が書きたくなるので、本日家族が出勤した後は、年末に中断した作品のページを開いて、早くもじっくりとキイを叩き始めている。
以上が読了できなかった言い訳だが、いつか必ず読了するつもりだ。言いたいことは1つ。恋愛小説は、どんな時代でも、どんな設定でも、どんな作風でも、文体でも、当事者の真実の在り様が伝わってくれば面白いものになる、ということだ。そして、もしこの作者が長寿に恵まれれば、老いてからの、若い頃の恋の結末も書いて欲しい。(死という問題も含めて。決して老いらくの恋について言うのではない。念のため)半世紀を越えたこの結末が、なさそうであることに、最近気付いた。それで、共感が湧いたのかもしれない。針谷さん、有難う!
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| 2011年1月4日(火) |
| 墓参り、「使い分け」の精神、その他 |
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のんびりと目覚めた朝になった。体調はやや疲れていると言うものの、悪くはなかった。午前中は届いた年賀状の整理をし、出してない方にまた返信を書いた。昼過ぎ、その葉書や往復はがきの返信を持って、家族と長谷のK寺に向った。新年の墓参りをするためだ。途中小さな郵便局で葉書を投函した。すぐにバスが来て、長谷まで乗った。K寺は、有名な長谷寺の隣の山にある。家族の先祖、つまり婚家の墓はこの山の裏手にある。墓石を水で洗い、線香をあげて手を合わせた。「今年も我が家をお願い致します」と祈った。文運も付け加えて祈った。帰りに動物の墓にも寄り、かつての愛犬のためにも祈った。家族は、この墓参りをいつも率先して行う。私は特に反対はしないが、体調の悪い時は渋々付いて行く時もある。誠に親孝行な息子であると、いつも感心している。というわけで、私の年末年始は、ほぼ婚家の流儀で行われ、大量のエネルギー放出と共に、年越しをする。嫁の仕事と思い、慣れているとは言え、複雑な思いになることもある。
クリスマスのミサまでは何とか頑張って、教会に行くものの、年末年始に教会に行く時間と気持の余裕がないのである。掛け持ちをしようと思えば出来るが、生来不器用なのか、それが出来ない。1月16日の日曜にはミサに行かれると思うし、行かなくてはならないとも思うが、毎年こんな風に年末年始が過ぎていく。女正月と言われる1月半ば以降は、マイ・ペースを取り戻していくのだが、12月半ばからおよそ1ヵ月は毎年こんな風に過ぎていく。
駅前のスーパーの帰りは、電車が混んでいるので歩いた。バス通りを歩く途中、車の渋滞から排気ガスが充満し、少し咳き込んだ。こんな時は注意信号なのである。なんとか、家まで着いた。夕食の仕度まで少しデスクに向かった。階下に降りてきて、夕食の仕度を簡単にした。2人でのんびりしていたのだが、夕食後しばらくしておなかが痛くなった。3ヶ日は出なかった症状である。精神的に少しショックを受けた。薬を飲んで懐炉で腹を温めた。
元日に読んだ、若手の作家平野啓一郎氏の対談記事では、現代人の人格を「分人」と表現していた。自我は1つではないという意味と解釈する。夏目漱石は近代自我の確立に苦しんだと言う。生活人の私の平たい言葉で言えば、これは精神の「使い分け」である。キリスト教徒の実家に居た時も、兄姉、親戚の居候、使用人など相手する人間が多く、無意識にこの「使い分け」をしていた。生まれた家で、早くから人びとに揉まれていたわけである。だから、婚家でもやっていけるのだが……。元日以来、この「使い分け」が、このストレスが小説のヒントになっている。ヒントが熟成するかしないかは、これからにかかっているのだが、じっくりと考える価値のあるヒントである。
なお、書き残したが、墓参りに行く時、家の裏の駐車場のポールが1本、壊されているのに気付いた。挿入口の周囲のセメントが粉々にひび割れてしまっていた。バイクか何かに当てられ、逃げられてしまったらしい。これで、このポールの当て逃げは3度目だ。修理代はいつもこちらで持っている。
少々疲れ、災難もあった日だが、まあ、墓参りをしたから、良いこともあるだろう、と思っている。
家族は明日から出勤である。
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| 2011年1月3日(月) |
| 息子の家を往復 |
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朝は孫と並んだ布団の上で目覚めた。孫より先に起きて、家族と話をした。雑煮の仕度に取り掛かった頃、H子が起きてきた。ママといっしょでなくとも、特に泣きもしなかった。3人で朝食となったが、「お餅はあんまり好きでないの」と言って、1個しか食べなかった。鶏肉はちゃんと食べたが、「鶏肉の皮は食べられないの」と言っていた。
暖かい日なので、近くの海岸にでも連れて行こうかと思ったが、「ウミでなく、ウイがやりたいの」と言い出した。駄洒落のような答えに、大人はいささか笑った。そんなわけで、テレビを付け、ウイ・スポーツのソフトを入れて、しばし遊ばせた。4種ほどスポーツ・ゲームをしたが、ゴルフが1番成績が良かった。ウイが終了し、ジュースなどを飲ませた後、チキン入りのオムライスを作り、上にとろけるチーズを乗せてあげたら、「美味しい」と言って全部食べてくれた。茹でたブロッコリーも良く食べた。
ひと休みして、帰り仕度をさせ、家族と3人で川崎市の息子宅に向った。江ノ電は初詣の人たちで江の島駅まで混んだが、あとは空いた。藤沢からの小田急電車は始発なので座れた。最寄の駅までマスクをした息子、孫のパパが迎えに来てくれた。風邪は大分良くなったと言っていた。息子の家でケーキと紅茶をご馳走してもらい、帰途に付いた。急いで乗った電車は最初混んでいたが途中で座れた。無事に孫預かりが終って、安心した夜になった。
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| 2011年1月2日(日) |
| 鶴岡八幡宮は大混雑 |
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息子の体調はいまひとつとのこと、しかも1月4日から出勤とのことで、無理もさせられず、やってきたのはママと下の孫H子だけであった。その2人とJR駅西口で合流し、八幡宮に行ったのは午後3時過ぎであった。午後になると、初詣の人たちが増えてくるのは分かっていたが、前述の諸事情で遅れてしまった。八幡宮は二の鳥居から橋を渡り、参道を100メーターほど歩くと、拝殿前の短い階段に近付くのだが、橋を渡り、20メーターも歩かないうちに、ロープで規制されている大行列に引っかかってしまった。ここでロープ規制で、少しずつ前進させられる順番を待つしかない。まだ3年生の孫が退屈しないように、ロープが上る回数を数えようと、一緒に指を折った。その結果、拝殿前までのロープ待ちは4回、拝殿の横からさらに本殿の60段の階段を上るための規制を2回待ちし、「全部で6回ね」と数え合った。長い待ち時間、子供の背丈で前方も見えなかったのに、1度もくずらずに頑張っていた良い子であった。途中娘夫婦とメールで連絡し合ったが、この混雑で合うことは叶わず、家で落ち合うことにした。家族やママは破魔矢やお守りを買った。私はおみくじを引いたが、いつもの通り小吉であった。ちなみに家族は中吉、ママは大吉、孫は私と同じ小吉であった。
家に帰ると間もなく、娘夫婦も到着した。孫と娘夫婦は、私の用意した空き箱や紐、セロテープを使い、獅子頭を作り始めた。私たちが食堂でひと休みしている間に、見事な獅子頭が2個出来上がった。荷物を持つ時の取っ手は獅子の角になった。新年早々縁起の良い工作会であった。夕食の仕度をしている間は、テレビ番組の「サザエさん、スペシャル」を熱心に観ていた。
夕食後、娘夫婦とママが帰り、私はこの夜、日本間で孫と2人で眠った。久しぶりの子供との一夜で少し緊張したが、何とか眠りに付くことが出来た。
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| 2011年1月1日(土) |
| 謹賀新年 |
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おめでとうございます 本年もよろしくお願い申し上げます。
このホームページの形式になって、初めての新年を迎えることとなりました。昨年は、ホームページの日記2700日分を1冊の本にしましたが、それで日記書きが終ることはなく、書き続けております。凄いパワーがある、などとお褒めの言葉を頂いておりますが、本人としてはダラダラと書いているだけで、そんなつもりもないと恐縮しております。長年の「あんばら庵」の熱心な読者だった元のぞみ会のYさんも昨年亡くなり、独り暮しで心配だった娘も結婚し、日記を書く切実な動機や目的がなくなりましたが、いつのまにか書くのが習慣になってしまい、書かないと落ち着かなくなっています。
さて、元日の今朝は、家族と2人でお屠蘇を祝いました。毎年暮に来る息子が風邪を引いたので、こういう次第になりました。その後、ごろごろしながら元日の大量の新聞を読みました。お若い作家、平野啓一郎氏の対談記事で興味をそそられるところがあり、その2面を切り抜いて保存致しました。元日から、新聞のスクラップが出来るなんて、楽しい限りです。まさに、1年の計は元旦にあり、です。良いものを沢山読んで、心と頭脳に栄養を取って、良いものを書いていきたいと願っております。
さらに、テレビを少し観ましたが、おなかに懐炉を貼ったせいか、温かくなりソファで眠ってしまいました。まさに寝正月です。懐炉は腰痛の時以外は使ったことがなく、おなかに貼って初めてその心地良さを知りました。
年賀状は沢山届きました。ほとんどがこちらから出した方の賀状で、出さなかった方のものをより分けて、すぐに返事を書きました。寝ていたばかりではなく、ポストに投函に行きました。しかしながら比較的のんびりとしたお元日でした。
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| 2010年12月31日(金) |
| 大晦日 |
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大晦日の朝、晴れて良い天気である。今洗濯機を回しながら、デスクに向っている。
朝起きた時はかなり気温が低かった。家族も寒いと言っていた。もう今日は買出しには行かず、正月の仕度(雑煮の下ごしらえなど)をする。風邪の具合はまあまあだが、熱は出ていないし、休み休みなら働ける。年賀状が宛先人不明で1通戻って来た。住所を調べて直しまた投函しよう。
皆さま、今年1年有難うございました。どうか良いお年をお迎え下さい。庵原高子拝
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| 2010年12月30日(木) |
| 残りは2日 |
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昨日は買い物やお喋りで楽しかったが、今朝は少し風邪がぶり返した感じである。このままだと年末年始が不安なので、朝1番でクリニックに行く。忙しいから、もし混んでいたら薬は諦めて帰ろうと思っていたが、3人ほど待って診察してもらえた。「喉が真っ赤ですね」と言われた。薬をもらったあと、家に帰らず、蒲鉾などを注文してある魚屋さんへと回った。そこからスーパーに行き、足りないものを買って帰りは江ノ電で家に帰った。すぐに薬を飲んだ。
午後は美容院を予約してあるので、出かけた。シャンプーをしてもらう間、咳などは出なかった。それから鏡前に座った時に、隣の席の女性が、私の『明日は晴れる』を前に置いて読んでくれていた。そして美容師のMさんが私をその方に紹介してくれた。すぐ傍で顔を合わせて、いささか照れくさかったが嬉しかった。「とても読み易い」と言ってくれた。美容院を出て、また、2度目のスーパーへと足を延ばした。ヴィニール袋を2個ぶら下げてスーパーを出る時、鎌倉ペンクラブの会計監査でお世話になっているAさんご夫妻にお会いした。「今年は有難うございました」と話した。その頃はもう大分寒くなっていた。東北、北海道、山陰地方などは大雪になるらしい。寒い年末年始になりそうだ。残りは今日を入れて後2日。
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| 2010年12月29日(水) |
| 娘とデパートへ |
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1日だけ休みを取った。考えてみるとこのところずっと働いている。娘は最初、家に来るとメールしてきたのだが、ちょうど横浜のデパートへ買出しがてら気分転換に行こうと思っていたので、その事を伝えるとOKという返事が来た。今日から仕事は休みらしい。11時にデパートの入口で、と約束したがどちらも少し早めに到着した。私は一人で自分の衣類を1点だけ買い、後は正月に泊りにくる孫のパジャマなどを買った。娘に会えてからは、娘の希望の売り場に行き、その後は少し早めだったがランチの店に入った。珍しく私も良く喋った。店は以前1人で入ったところで、味が分かっていたので安心していた。食後は正月用の祝い箸やお年玉の袋などのある売り場に寄った。最後は地下で食料を買い、思い荷物は娘に持ってもらい、一緒に家に帰った。荷物が軽いと本当に助かる。働いている娘とスケジュールが合って誠に良かった。家でお茶を飲んで1時間ほどしたら、娘は帰っていった。婿殿のご実家に鳩サブレーを買って行くと言っていた。また荷物を持つことになるが、若いから大丈夫だろう。娘より1日遅れで、家族は今日が仕事納めで、いつもより早めに帰ってきた。
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| 2010年12月28日(火) |
| お掃除、布団干し、注連飾り、新しいガスコンロ |
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午前中はお掃除のMさんと働く。先週2階を片付けたので、今日は階下の掃除と孫が正月に泊る布団を干してもらう、などの仕事を中心に、と考えている。幸い天気が良く、布団は良く乾いた。午後になって若い職人が1人来て門前の注連飾り、玄関の飾りを仕上げてくれた。この若い職人は、我が家に出入りの職人で3代目の人になり、長い付き合いである。お掃除のMさんはお昼で帰るので、物干に干した布団は自分で取り込んだ。布団を抱えて階段を降りるのは危ないので、荒っぽいが上段から下まで放り投げる。布団は万有引力のお陰で、下に落ちてくれる。それを日本間に運ぶ。それでも結構汗を掻く。
今日は午後にもう1つ用事があった。ガスコンロの調子が悪いので、先日も現場を見に来てくれたが、その新品取り付け工事が今日行われる、ことになっている。疲れ気味なので気が参るような人だったら嫌だな、と思っていたが、中年のとても良い工事人が来てくれて、新品も使いやすく良い結果になった。年末で時間がないので具体的なことは書かない。まあ、忙しさの中にも、工事人の人間性を感じた日であった。お茶を1杯飲んで、工事人は帰った。夕食の仕度の時間だったので、すぐにそのコンロで大根を煮始め、おでんを拵えた。夜、少し風邪気になっているのに気付いた。総合感冒薬を飲む。
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| 2010年12月27日(月) |
| やっと郵便局に投函する |
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昨夜、気になっていることがあり、良く眠れなかったので、その事をある方ににメールさせていただいた。黙っていようかと思ったが、やはり困ったことは言うべきと思ったからだ。何事にも円満解決が望ましい。
そんなことで、連名の葉書を刷り終って、郵便局に行ったのは午前11時頃になった。本日も会社に出勤の家族に電話して、重複が無いように確認を取っていた。受け取る人様に失礼があってはならない。郵便局にて課せられる賀状の分類は、市内とその他、そして私製葉書の3種であった。前はもっと面倒であった。
ほっとして、スーパーの1階の好きなサンドイッチを買って帰り、ポットで紅茶を入れて昼食にした。ほっとしたら、かなり疲労しているのに気付いた。午後少し眠ったが、はり治療の予約が入っていたので出かけた。年賀状刷り&ペン書きで疲れたと話し、いつもより時間を延長してあちこちを揉んでもらった。
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| 2010年12月26日(日) |
| 賀状へのひと言ペン書き |
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賀状へのペン書き署名とひと言添えを始めている。去年は足を痛めたこともあり、筆名の賀状のみの署名になったが、今年は少し元気だと思って、本名のほうも署名とひと言添えを始めたら、枚数が多いので、大変な作業になった。いくら普段物書きをしているとは言え、私はれっきとした主婦である。その上にキリスト教徒だから、クリスマスから続いてやたら忙しくなっている。午前中で終らずに、昼食を取り(作るのは私)それからまた二階に上り、ペンを走らせた。4時近くにやっと終ったが、今度は家族との連名の葉書のデザインを始めた。親戚筋などはこれを送る。しかし、連名にする家族は地味好きで、イラストはいらないなどと言う。しかし、黒の活字ばかりだと目出度い感じがなく淋しい賀状になってしまう。考えたあげく、イラスト集を開き、ちょうど良いシンプルなものを見つけた。金茶色の枠だけで干支のウサギをかたどったものである。色も男性にも女性にも合う感じで、すぐにそれに決めた。迷っている時間はない。後は刷るばかりで、連名の家族にOKを取り、刷り上げた。終って階下の居間に降りてきたら、5時半からのテレビ番組の「笑点」が始まっていた。夜、やはりテレビの「坂の上の雲」ー広瀬の死ーを観た。実父の所属した軍の奥保かた将軍は何時出るか楽しみだ。買出しは1度のみ。
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| 2010年12月25日(土) |
| 年賀状刷りは終盤に |
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賀状の印刷は筆名の葉書が終り、本名の葉書に移っている。これが終ればペンでの署名をして何かひと言書くならば書いておく。その後、家族と連名の葉書も刷ることになっている。人様に出す以上、小さなミスも許されないので、細かい配慮をし、少々嫌になっているが、まだギヴ・アップはしていない。ただ1つ良いことは、刷りながらラジオを流し、FM放送を聴いていると、クリスマスの歌がテンポ良く流れ、仕事が捗ることだ。ともかく音楽は気持ちを奮い立たせる。
午後になって、家族の年賀状の裏面印刷も、急遽刷ることになって、白い年賀状を買いに行った。私の場合は、コンピュータ用のインクジェット紙ではなく、普通の紙の葉書に刷る。そうでないと、一筆書きのペン書きの文字が滲む。わからなかった初心者の頃はそれで失敗した。ボールペンは大丈夫だが、ボールペンでひと言書きはしたくないのである。葉書を買い求め、帰宅してすぐに裏面印刷を140枚した。これは全て家族の仕事用のもの。珍しく、「有難う、助かりました」と言われた。まあ、私の腕前も何とか役に立ったのだろう。ふたたび自分のペン書きに戻った。郵便局、スーパーなどを往復して汗を書いた後、少し寒かったので、風邪を引いたような気分になった。年の暮れに熱を出したりしたくない。気を付けなくてはと思った。
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| 2010年12月24日(金) |
| クリスマス・イヴのミサに |
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朝から晴れになる。クリスマス・イヴらしい天気だ。所属の教会では夜半ミサは行われず、午後8時~、のみである。夜の外出は寒いが、今年ぐらいの気温なら、と参加の予定をしている。
しかし、時折の胃痛が気になるので、午前中にクリニックに行く。新しいH医師と亡くなった医師の話をした。とても見つけにくい場所に腫瘍があったとのこと、それで、発見後はあっという間に亡くなったらしい。心よりご冥福を祈る次第だ。そして、胃の薬をもらってきた。しかし、クリニックも隣の調剤薬局もとても混んでいて、家に帰ったのは11時であったるそれから年賀状刷りを始めたが、すぐに昼になった。12枚ぐらい刷った。イラストはシンプルにしたので、インクの減りは少なかった。だんだん利口になる。熟練になれば、外に印刷を注文するよりもはるかに安く出来る。名刺なども、材料費で仕上がる。
夜の8時まで少し時間があったので、Kスーパーの往復を歩いた。クリスマスらしいおかずをほんの少し買い求めた。入口の花屋さんに沢山の花が置いてあったが、この店の花は高いので、見るだけで通り過ぎた。
午後8時少し前に家を出たが、その時家族はまだ戻っていなかった。ミサは、いつもの千葉神父に加え、東ティモールから今日戻ったばかりという山口神父とお2人の司式で、クリスマスらしく賑やかであった。こういうミーハー的な意見は、いけないかもしれないが、ミサの後半、聖体を掲げる時に2人の神父の腕が上るところが好きだ。息が合っている、などと言う以前の何か素晴らしい空気を感じる。外国によく行く山口神父の声は大きく、千葉神父の声はそれより小さい。それなのに、タイミングはぴったりと合う。こちら側で祈る信者たちの気持ちもぴったりと合う。この後は、聖体拝領へと儀式が進む。
ミサ終了後、聖母会館でのお茶の会に行きかけたが、寒かったし家族が気になるので、家に戻った。しかし家族はまだ戻っていなかった。食堂で、ミサの興奮を鎮めるように、しばらくボォーッとしていたら、間もなく家族が戻ってきた。軽く乾杯をして、クリスマス・イヴを祝った。
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| 2010年12月23日(木) |
| 天皇誕生日&住所録のチェック |
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今日は天皇誕生日だ。テレビをつけるとご会見の様子が映し出されていた。先ずはお元気で目出度い。
家族も休日で家に居る。遅い朝食の後、まだ年賀状の作成に取り掛かる。年賀状の裏面のデザインは、大体決ったが、1番大切な住所録のチェックを始めたら、以外に時間がかかった。『明日は晴れる』(冬花社刊)の発送リストと、筆ぐるめの住所録を見ていたが、相当の違いがある。それにショックなことは、古い住所録には亡くなった方、つまり故人のお名前とご住所があったりして、それが大切な方の場合、簡単に削除も出来ず、かと言ってその文字を見ているのもつらく、何ともいえない気持ちになる。今年は押し詰まってから、私より若い人の訃報に接した。クリニックの医師の急死もまだ最近のことだ。人様の名前には、あれこれと心を揺さぶられるものがある。しかし、そうそう、立ち止まって感情に浸ってもいられない。「節季、師走」は仕事、仕事、働かなくてはならない。この「節季、師走」は、亡くなった母の言葉である。子供時代や娘時代、年の暮れにごろごろしていると、そう言われて働かされた。今は懐かしい明治の女の言葉である。午後、家族と家から遠い方のスーパーを往復した。夕食時、ビールを1口飲んだだけだったが、食後少し胃が痛んだ。頑張って入浴はしたが、早く寝た。
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| 2010年12月22日(水) |
| 年賀状の作成を始める |
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ここ10年ぐらい、自分で年賀状を作成している。イラストなどを決め、デザイン、レイアウトをし、何回も試し刷りをして、最後に印刷を始める。……と書くと簡単なようだが、これがなかなか面倒なのである。先ず、年賀状と言うものは、ひとに差し上げるもので失礼があってはならない。しかし、自分で作成する以上、少しは個性も出したい。地味ならず派手ならず、この辺がちょうどいいデザイン、というところがなかなか打ち出せない。以前は、今は無くなった、がん患者の会「のぞみ会」の年賀状も刷っていた。これは希望という意味を籠めて「初日の出」のデザインにしたが、このデザインは個人では少し派手になる。
それに今年は、『明日は晴れる』(冬花社刊)を出版し、お世話になった方も多いので、印刷した賀状にペン書きのお礼の気持も加えたい。そんなことを考えて、デスクに向っていたら、教会の広報の手伝いに行く時間になった。広報の手伝いは、AM11:00~PM2:00までかかった。途中、おにぎりを1個半口にした。3時過ぎにガスコンロの業者から電話がかかるというので、急いで帰った。間もなくかかってきて、機器交換は来週の28日(火)になると告げられた。何とか今年中に間に合いそうだ。今の機器はもう12年使っている。それから駅前に買い出しに行き、スーパー2軒、魚屋さん1軒を回った。今日は冬至なので、ゆずを2個買った。スパークリング・ワインも買った。飲めもしないのに、気分で買ってしまう。しかし、家族は喜ぶ。サーヴィス精神もあるわけだ。瓶物はいささか重いが、頑張って持ち帰った。これはアサヒビール社輸入の製品でとても美味しかったので、珍しく酔った。
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| 2010年12月21日(火) |
| 日中は掃除、夜は通夜に |
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朝からお掃除に来てくれたMさんと一緒に二階の掃除をする。1室はわたしの書斎になっているので、2台のパソコンに、プリンタ1台、そして本や資料が散らばっている。なるべく片付けたくないが、年末だからそうもいかない。そのついでに、やはり2階の納戸の古着を捨てた。と言ってもヴィニール袋に入れて、捨てるように準備したわけだ。古着は市の決まりで、金曜日でないと捨てられない。今回は思い切ってまだ着られるものでも捨てることにした。流行が変わってしまったし、年を取って似合わなくなったものもある。勿体ない気持はあるが仕方がない。そんなこんなで2階の(納戸も含めて)3部屋が片付いた。何と気持ちの良いことか!
昼過ぎに、ガスコンロ業者が現場を見に来た。最初部分直し(バーナーのみ)も出来るかもと言っていたが、プレートを持ち上げたら、中はかなり劣化していて、新しいのに取り替えた方が良い、ということになった。しかし、年内に工事が出来るかどうかは、発注してみないと分からないと言う。アダプターを取り付ける必要があるとも言う。
業者が帰ってから、私は、通夜に行くため、喪服(洋服)の準備を始めた。夏物はパンツ・スタイルのがあるが、冬物はスカートのものしか持っていない。黒のストッキング、バッグなどを用意した。家族も早く帰ってくると言っていたが、帰って来ず、ぎりぎりまで待って1人で出かけた。斎場は歩いていかれる距離だった。緊張しているせいか、あまり寒さは感じなかった。
斎場に着くと、ご遺族の奥様やお子様の若さに胸を打たれた。ちょっと早すぎたなあ、という思いがしきりに湧いた。一般参列者の列に並び、ご焼香をして、階下の休憩所に入り、後を引き継いだH.K医師やクリニックの関係者にご挨拶をして、家に戻った。 家に着くと、居間や寝室に家族が帰宅した形跡があった。喪服にも着替えた様子だった。どうやら入れ違いになったらしい。斎場への道は、バス通りの表通りを行く道と、第一小学校裏の裏道を行く道と2つある。しばらく待ったが家族はなかなか帰って来なかった。おそらく知り合いに会って精進落しをしているのだろう。1人で夕食を取って待った。30分もしないうちに大雨が降り出し、稲妻が走り雷が鳴る天候になった。私が往復した時は全く降っていなかった。9時近くになってやっと家族が帰ってきた時も、まだ雨はかなり降っていた。「タクシーが来なかった」と言っていたが、それを幸いと飲んでいたかもしれないと、私は少々ご機嫌斜めだった。
なにはともあれ、H医師に合掌!
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| 2010年12月20日(月) |
| 恩人の医師の死 |
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午前中に溜っている日記を2日分、午後に1日分を書いた。合間に昨日この日記に書いた御絵(聖テレジアと鳥たち)と裏の署名をスキャンした。わりあい綺麗にスキャン出来た。
そんなさなかに会社に家族から電話があり、近くのクリニックでこの夏まで主治医だったH医師が亡くなったと知らされた。まだ66歳とのこと。もちろんお具合が悪いので院長が代ったことは知っていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは……、残念でたまらない。明日明後日が通夜と告別式になるとのこと。どうして医師が次々と亡くなるのだろう?という思いが湧く。H医師は、私の肺がんの発見者でもあり、とてもお世話になった。執刀医は国立がんセンターの名医だったが、そのN医師も4年前に、72歳で亡くなっている。患者を助けるのが医師の仕事と言えども、残される者としては、ご恩返しも出来ないままで、たまらない気持ちだ。
午後予約しておいた美容院に行く。たまたま予約していたのだが、通夜の前の日で幸いであった。
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| 2010年12月19日(日) |
| 待降節第4主日&植木屋さん |
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植木職人は午前8時には来た。女性1人を含めて4人である。今年は私もかなり頑張ったので、芝刈り、掃除などの作業は昼までに終った。10時のお茶出しの準備をし、10時5分前に声をかけるように、家族に頼んで私は教会に行った。クリスマスも近く、休みたくはなかった。今日のミサはいつもの千葉神父のみである。前のほうの席に座り、お話はきちんと聴いた。終ってから先日売店担当のSさんより拝借した、祈祷本はお返しした。帰りがけに、67年前に、麹町の教会で私の堅信の代母をしてくれたI.Fさんのご親族とお話した。その折に頂いた署名入りの御絵をまだ持っている。プリンタに付いているスキャン機能で、御絵と裏の署名をスキャンして今度持ってくるとお話した。
帰宅して、キッチンのガスコンロのメンテナンスに電話をした。最初、日曜だから繋がらないと思っていたが、家族に繋がると言われた。その通り繋がった。向って左の着火が悪いと話した。もう10年以上前の製品だ。明日、現場を見に来てくれるそうだ。
昼食は、頂いた讃岐のうどんを納豆で、夕食は、冷凍にしてあった帆立を解凍して殻を割り、身を取り出し、パン粉を付けてフライにした。レモン汁を沢山絞ってかけ、キャベツの千切りを添えて食した。ミサにも行き、よく働いた日だった。寒くなると、外食よりも家で食事をするようになり、まめに働くから面白い。
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| 2010年12月18日(土) |
| 明日植木屋さんが来ると言うけれど |
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昨夜植木屋さんから電話があり、日曜日に来るという話になった。家族の休みの日になるがとりあえずOKした。年末だから仕方がないか、と思う。考えてみると、植木屋さんとは何時も1人で対応しているが、2人なら安心と言える。去年は、注意しなかったので切られてしまった雪ノ下は、葉が小さくなってしまったがまだ生きている。そこはいじらないで欲しい。
その後、午後の予定を考えていたら、電話が鳴った。「今、東京駅だ」と言う家族の声。。思ったより早いお帰りだ。とりあえず新しい電気釜で御飯を炊いて待った。ちょうど炊けた頃に帰ってきたので、干物など他のおかずも用意した。待つあいだに裏庭の竹、南天、アオキなどの選定をした。と言っても、通り道を塞ぐ枝を切った程度である。天気が続くとつい体を動かしてしまう。洗濯物も1回分干した。午後になって、気に入りの鮮魚店に行き、蒲鉾その他の予約をした。帰りに近くのスーパーに寄っていつもの通り食料品売り場を覗く。帰りは電車で帰ってきた。その後、また新しいケーキ屋さんに行き、スイートポテトを買った。店は何時行っても混んでいる。しかし、あまり生クリームが多く、甘いケーキは好きではない。チーズケーキも最近は食べたくない。さっぱり系の甘党、というところか。そんなケーキには紅茶がよく似合う。
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| 2010年12月17日(金) |
| 桜木町へ |
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孫たちにクリスマスプレゼントを買おうと思い、天気も良いので横浜に出かけた。自分用には匂いのあるキャンドルが欲しかったので、事前にインターネットで検索した。その店が、桜木町に新しく出来たコレット・マーレといショッピング・タウンの5Fにあった。そう言えば、やはりこのビルの5Fに紀伊国屋書店が出来たと聞いている。書店の様子も見学しながら、香り高いキャンドルを、そして孫たちのプレゼントを探そうと足を延ばした。
新しい建物はすぐに見付かった。背の高いランドマークタワーを右手に見て、そのすぐ隣りにある。少し前までは(ランドマークが出来た頃は)この辺りは空き地で、秋になるとコスモスが咲いていた。……なんて言うと、古いわねえ、と言われそうであるが、花好きだからよく覚えている。目当ての店はすぐに見付かり、デザイン・キャンドルと雪の結晶をデザインしたキャンドル立てを買った。、それから可愛らしい小物店で孫たちのプレゼントを買った。一先ずそれで安心して、紀伊国屋書店に回った。売り場はかなり広く、上部に表示されている部門別の看板を見ながら、あちこちを回った。「もし、ドラ…」など、ハウツーもの、ミステリー小説などが目立つ場所に置かれていた。司馬遼太郎のコーナーはかなり広く取られていた。NHKて「坂の上の雲」が放映されているうちが花なのだろうか。司馬氏の作品は、映像化されなくても十分読める作品だ。その点不満はあるが、それをきっかけに明治維新後の、前に向って動きだした時代の勉強をしてくれれば良い、とは思う。図書カードを1枚持っていたが、本は何も買わず、来年用の手帳を1つ買った。6Fはレストラン街だったが、胃袋が刺激される店はなく、また5Fに降りて、コーヒー店でサンドイッチを頼んだ。なかなか美味しかった。買い物をした店で抽選券をもらったので、食後7Fの抽選場まで上ったが、ティシューしか当らなかった。ただし、その奥に複合映画館があるのに気付いた。何かの時には、駅から近いので覚えておこう。
桜木町を出て、横浜駅近くのデパートに行った頃はもう疲れていて、何も買わずに外に出て帰途の電車に乗った。デパートはとても混雑していた。それにしても、購買意欲も減退したものだ、と思った。
家族は出張で泊り。
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| 2010年12月16日(木) |
| 待降節にあり、神に感謝! |
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午前中に近くのクリニックに行く。おなかの具合も治まり血圧も安定していた。やっと一安心というところ。しかし、油断は出来ない。
いったん家に帰り、姪から届いた可愛らしいクリスマスカードの返事を書く。イタリアに嫁いだ姪の孫たち(娘の子供)の写真がとても可愛かった。イタリア人と日本人のハーフなので、日本人らしさも感じられるヨーロッパ系の大きな目の子供たちの笑顔が素晴らしかった。姪は小さな時に母親が亡くなり苦労したことを知っているので、とても嬉しく思った。私のDNAも、遂に海を渡り、こんなところに……、と感慨ひとしおであった。
郵便局に行きながら、銀行、老舗の菓子店、スーパーなどを回り、帰宅して食材を冷蔵庫に詰める。
午後は少し休んだ。元気になってから、日記2日分と小説書きを頑張った。年末を意識しないようにしても、自然に体や気持ちを能率的に動かしている。貧乏性と言うべきか。しかし、去年の腰痛、神経痛の日々に比べると、今年は元気で動けるのが嬉しい。まさに待降節のシーズンにあり、神に感謝!である。
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| 2010年12月15日(水) |
| 年末でも小説は書く |
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朝、宅配便を1個作った。半生の食料が届いたので、早いうちにと息子の家にお裾分けを送った。こちらは人口が少ないし、食べきれないうちに腐らしてしまう。冷凍はするが、解凍が上手くないと美味しく食べられない。冷凍食品などが普及していなかった時代に育ったせいか。
朝食を作り、家族を送り出し、宅配便を近くの酒屋さんまで運んで、朝の仕事に区切りが付いた。
さてと、今日は書きかけの小説と向き合った。主題、素材、構成、少々の(または大いなる)企み、言葉への配慮、文章のリズム感、などなど、頭を忙しく動かし、デスクトップ画面を睨みつけるようにして、キイを叩く。クリスマスのミサ、年末年始を前にして、どうして小説を書くのか、と思うが、これも発想が湧いてくるのだから仕方がない。別の言い方をすれば、書くようにしていかないと、家の仕事に身も心も絡め取られてしまうことになる。いろいろと思うことはあるが、物書きは書けるうちが花なのだ。そして書く以上は水準に達したものを書きたい。午前中はそれで時間を費やして終った。
その後、階下に降りてきて郵便受けを見たら、高崎に住む姪からクリスマス・カードが届いていた。お孫さんたちの写真がカードに貼られてあった。とても可愛らしい写真に思わず微笑んだ。遠方なのであまり会うこともないが、喜んでいる顔が目に浮かぶようであった。
午後2時からはり治療に行った。はりの先生から、転倒や怪我にくれぐれも気を付けて、と言われた。年内にもう1回治療してもらうようにまた予約をした。帰りに駅前スーパーまで行ったが、はり治療の後なので少しだるくなった。夜になって家族は無事に出張から帰ってきた。
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| 2010年12月14日(火) |
| 朝は雨、午後からは晴天に |
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朝から雨になった。まだ降っているうちにお掃除のMさんが来てくれる。今月は1回多く来てもらうよう交渉をして、OKをもらった。Mさんに家の中の掃除してもらっている間、私は庭の徒長した枝を少し切って袋に詰めた。水曜日の明日、植木ごみとして出せる。去年に比べると今年は何とか働けてて嬉しい。しかし、注意はしなくてはならない。正午ごろ、タウンニュース紙から電話があった。正月号の件で少し話をした。
昼からは晴れたので、駅前までの往復を歩いた。ハンドバックは斜めにかけて、引ったくりなどに会わないようにして歩いている。物騒な世の中だと思う。銀行に行っても、自動支払機の前に、「振り込め詐欺に気を付けて」などと書いてある。日本人は情のある民族なのか。身内の話だと、ついつい本気にしてしまうらしい。年の暮れになると、ヘンな事を考えてしまう。
帰りに近くに出来たケーキ屋さんにまた寄った。平日でも若い女性たちで混んでいた。正規の道ではなく、裏道を通って家に着いた。午後、出張先の家族から電話があった。携帯を持つようになってから、よく電話をして来る。留守に届いた宅配便のことなどを話した。年賀状のデザイン、3つ目を拵えて、サンプル刷りをした。3つ目が1番良いかもしれない。しかし、まだ本番刷りはしていない。夕食は1人御飯。あまり食べないが、寝る前に手製の梅酒をホットにして飲んだ。
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| 2010年12月13日(月) |
| 年齢を感じる一瞬だが |
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昨夜は、NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」第2部第2回、ー子規の死ー、を観た。観る前は、せっかく良い日だったのに、人の死ぬ話は観たくないなあ、と思っていたが、亡くなる寸前まで「句が浮かんでくるのじゃ」と友人に吐露する俳優の演技が上手く、身につまされた。本物の子規はさぞ無念であったろう、と感じさせるものがあった。無言でその思いを受け止める友人の秋山弟役の演技も上手かった。場所が変わっての、秋山兄の酒の飲みっぷりも面白かった。
一夜明けて、雨の月曜日となった。デスクに向って溜っていた日記を書いた。その後、頂いたお歳暮の礼状を何通か書いた。終って昼食となった。ひとりの昼食のメニューは、大体が野菜とパン、そしてヨーグルトとなる。今日はその通りのメニューにインスタントのコーンスープを足した。急に温度が下がり、ヨーグルトが冷たく感じられて、温かいスープに手が延びた。しかし、今までが温かかったので、この寒さが12月なのだ。
午後の駅前往復は、寒さのため江ノ電を使うことになった。和田塚駅のホームで、近くの人に会った。
「これから、『吾妻鏡』の勉強に行く」と言っていた。商工会議所の1室で勉強会があるという。私より1回りぐらい年下の方だ。この寒いのに、と思うと、お若くてお元気だなあ、と痛感した。何曜日の何時と決められている稽古事、講習会などは、たとえ雨が降っても槍が降っても出席しなくてはならない。私も英会話、シェイクスピアの勉強、源氏物語購読、ドストエフスキーの罪と罰、ストレッチ体操、それらが高じて、慶應義塾大学の通信教育過程に入学し、6年かけて卒業したが、今はもう月1度の句会と昼食会のみになっている。年齢を感じる一瞬であったが、その分、家のデスクで書く時間も増えた。
夕方は、年賀状のデザインをあれこれ考えて、来年の干支のウサギの絵の良いデザインを3つほど、マイドキュメントから、「筆王」にコピーして、文字も入れてテスト印刷した。同じ葉書印刷ソフト「筆ぐるめ」は、マイドキュメントからのコピーが上手く出来なかった。家族の帰りは早く、温かい鍋を囲んだ。
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| 2010年12月12日(日) |
| 待降節第3主日 父の命日 |
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今日は実父の命日である。すでに50年は過ぎている。何回忌という必要もないだろうが、12並びで覚え安いので忘れたことはない。
そして今日が日曜日というのも何かの縁だ。ミサに参加して、さらにミサ後の黙想会と許しの秘蹟に参加して、良い時間を過したと感じている。ミサを挙げるのは、いつもの千葉神父に加えて十二所の黙想の家(イエズス会日本殉教者修道院)所長の英隆一郎神父であった。複数の神父で進行させるミサは、重層的でいつもより味わいがある。ミサの時はほぼ満席であったが、英神父の講話になると、3分の1くらいの人数になった。ミサはいつも1時間かかり、その後残ると、さらに1時間多くなり、家と家族のことが気になったが、残って講話を聴くことにした。許しの秘蹟はその後になる。今日を逃すと、また機会を作らなくてはならない、と思ったので、残ることに決めた。しかし、携帯を持ってこなかったので、家に電話が出来なかった。
講話の始まった頃は、やや後ろ髪を引かれる思いだったが、そのうちに講話の内容に心惹かれて、耳を傾けるようになった。それは、同じ黙想の家に居るもう1人の神父の話で、ある病気になったのをきっかけに、それを神の徴(しるし)と受け止め、4ヵ月ほどでその数値を下げたという話であった。つまり、困難に際し、慌てずにおのれと向き合い、事態を見詰めてどうすれば良いかを考え、日々努力して対処する、という教えであった。その語り口も、説教がましくなく、ごく普通の話し方で、病気をした者として共感を持って聴くことが出来た。お話が終った後、5分黙想し、「今の自分にとって、神の徴は何か」を思うように言われ、一同沈黙した。最近の私は珍しく胃腸を壊したので、その事を今後の食生活に生かそう、これは徴だ、口から入るものに気をつけて、勿体ないと言っても、残り物は捨てよう、などと思った。
それから、許しの秘蹟の時間になり、時間が気になっていたので、最初の方にしてもらった。担当は、講話の主の英神父であった。こちらの言わんとすることを鋭く、そして今の社会情勢と照らし合わせ、柔軟に応えてくれる勝れた神父である、と感じた。とても気持ち良く、許しの秘蹟の部屋を出ることが出来た。
家に急いで帰り、家族と昼食を取り、2時ごろから車を出してホームセンターに行った。風呂場のすのこの材料の木材を買うためだった。ついでに灯油を2缶買い、トランクに詰めて戻った。以前買ったトランク用の灯油置きケースが役に立った。ホームセンターの灯油は、この旧市内で配達される灯油よりはるかに安い。
4時過ぎに無事に家に戻ったが、全く疲れを感じなかった。
父の命日だったからか。ミサと黙想会、許しの秘蹟に参加したからか。とても気持ちよく過した1日だった。
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| 2010年12月11日(土) |
| 家族の忘年会で留守番す |
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家族が休みで、遅い朝食をいっしょに取る。先月買った3合炊きの新しい電気釜は調子が良い。小さいから、キッチンへの持ち運びも楽だ。まめに新しい米をといでスイッチを入れる。炊き始めと炊き終わりに音楽が流れるようになっている。以前の物は、ピーピー、という音で知らされたが、今度の物はメロディ・サウンドで、「ツインクル、ツインクル、リトルスター」の1小節が流れる。年寄りの家には相応しくない音だが、孫たちが来たら喜ぶかもしれない。
午前中、FAXの注文を1件送った。前にも書いたが、私はこのFAXが苦手である。パソコンの方がずっと易しく思える。1度、ミスをしたが何とか1通のFAXを送信した。直後に電話をして、届いたかを確認してこれで1つ仕事を済ませた。3時ごろ、娘から電話があった。年内には1度来るとのこと。
夜は留守番なので、豆腐、白滝、水菜、鶏肉などを水炊きして、箸を延ばしながらのんびりとテレビを観た。この頃よく水炊きをするせいか、出し昆布が残り少なくなった。買い足さなくてはと思っている。市内の中華料理店で忘年会の家族は、9時過ぎ無事に戻ってきた。約30名の出席で盛会であったとのこと。
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| 2010年12月10日(金) |
| 家の用事は溜り |
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やっと家に居られるようになった。……外出が続くとそんな気持ちになる。家には、主婦の仕事とデスクの仕事が待っている。義務感や書かなくてはならないというプレッシャーもあるが、それが本来の私、という喜びもある。しかも年の暮れである。そうボヤボヤもしていられない。幸い晴天は続いている。そして比較的暖かい。家族を見送り、洗濯物を干し、それからクリーニング店に家族のワイシャツなどを運ぶ。昔は、クリーニング店の人が集配に来てくれたが、大分前からこうして運び、また出来た物を取りに行くようになっている。もちろんこの方が割安だ。
戻ってから、宅配便を1個拵えた。複数の品物を詰め、しかも瓶物などの壊れ物なので、神経を使う梱包になった。近くの、クロネコやまとの代理店でもある酒屋に持って行こう(やはり割安)と思ったが、いささか重く、ここ3日間の疲れも残っていた。電話をすると昼過ぎ取りに来てくれるとのことで、台所口に梱包したものを置き、料金も置いて2階に上った。デスクの仕事が溜っていた。階下の音を気にしながらの仕事であったが、1時間半ほどして階下に降りて行ったら、台所口に領収書とお釣りが置いてあり、荷物はなくなっていた。いつのまに来たのか、と思ったが、これで、1つ仕事が済んだと思い、安心もした。
午後、駅前スーパー往復した。往きは歩いたが帰りは荷物が重くて江ノ電に乗った。夕方、夕食の仕度に取り掛かる前、少し眠った。家族の帰りは早かった。夜のニュースで、若手の歌舞伎俳優を殴ったという男が出頭したと伝えられた。
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| 2010年12月9日(木) |
| 句会と忘年会 |
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3日間の連続外出だが、それも今日で終る。今日は句会の最後の月で、句会後は昼食の忘年会場へと移動することになっている。と言っても、歩いて2分の距離だそうである。
しかし、ともかく句会は朝が早い。午前10時に間内駅近くの開場に着かなくてはならない。私の性分から言って、その15分前には現場に到着したい、と思っている。その開場は横浜市が管理する公共施設の1室で、午前中のほうがレンタル料が安いそうである。午後の方が割高になるので、ずっとこの時間で続けている。出席者が先生を入れて9名、投句の人が2名居て11名、1人5句で合計55句が集まっての選句となった。季節が冬となり、景色の移ろい見られるこの頃、なかなかの良い句が集まった。先生の体調も先月よりかなり良くなっている様子だった。
終了後移動した和食の店は、ホテルを含むビルの最上階(18階)で、晴天の日ガラス越しに見えるその見晴らしの良さに、しばし眺め入った。みなとみらい地区を左手に見て、金沢区方面を右手に見るロケーションだと、この辺りに詳しい人に教えてもらった。高速道路に走る車がかなり下方に見える高さであった。食事は豚しゃぶをメインにしたものであったが、牛蒡、人参、葱などの野菜が沢山出てきたので、それらをさっと湯がいて頂いた。たれは薄口で、ちょうど良かった。そして、
「来年もまたよろしく」と言い合い、忘年会を締めくくった。
55句の中で、先生が選んだ5句に私の句が入っていたのが嬉しかった。対比が良いというコメントであった。
ラッキー賞当りて外は時雨かな
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| 2010年12月8日(水) |
| 「十二月」下宿屋四丁目ハウスを観る |
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今日の観劇会もマチネー(昼公演)である。簡単な二次会を行ったとしても、帰りが遅くならずに済む。場所は東京日本橋の三越本店の6階の、三越劇場である。演目は、小山祐士作「十二月」-下宿屋四丁目ハウスー、である。劇団民芸主宰で、奈良岡朋子、樫山文枝、日色ともえ、などが出演する。物語はタイトル通り、下宿屋のある十二月の話だが、年代が昭和5.6年、と解説が付いている。その辺りが面白い。幕切れに、号外の鈴の音が聞えるのは、おそらく何かの事変なのだろう。身分や格式に拘る人々が登場し、弟の結婚のために下宿屋を閉じるという、話の展開がある。地味な芝居であったが、身分や格式に拘る人々は、21世紀の現在でも存在すると思い、扱われている主題は、普遍的なものと感じた。
終演後、三越本店のすぐ前の「T」という店で二次会&忘年会を行う。いつも、こういう席を用意してくれる人、そしてティケットを手配してくれる人に、皆で感謝の言葉を述べた。ふたたび、三越に戻り、少し食料を買ったりしても、早い時間に家に帰ることが出来た。
午前中に、写真同封の手紙を1通書いた。夜は、明日の句会の句を提出する短冊に書いて、手帳に挟んだ。句会は朝が早い。
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| 2010年12月7日(火) |
| 昼食会のほうが疲れない |
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今週は、忘年会をかねた会合が続く。1件、チェサピーク・クラブというかつての国際交流仲間との忘年会が、幹事の健康上の都合で流れたから、それでも少なくなっている。その会は、いつも日曜の夜で、横浜駅近辺の居酒屋で行われる。今年は比較的暖かいと言えども、寒空の師走の夜である。だんだんとクラブ会員も高齢になっている。それで、考えたのだが、何も忘年会は夜に行うと決めることはない。まして日曜なら昼に行うことも出来る。次の時は、昼の忘年会を提案してみようと思う。夜でないとお酒が美味しくないと言う人もいるかもしれないし、カラオケもつまらないと言う人もいるかもしれないが、高齢者の健康上はその方が望ましい、と考えるが……、どうだろう?
さて、本日は女性ばかりで、まさに太陽を天に望む昼食会を行った。場所は、江ノ電稲村ガ崎駅に近い「つきやま」という和食店。江ノ電線路沿いののんびりした店であった。味もなかなかであった。行きがけに、和田塚駅で、由比ガ浜カトリック教会の信者さんにお会いした。いつも一緒に広報の手伝いをしている方だ。子供が小さかった頃の昔話を少しした。24日(金)の夜8時のミサの後のお祝いのパーティのお当番なのだと話していた。そんなことで、24日の夜8時のミサに行く気が固まった。縁というか、神の恵みというか。稲村ガ崎の「つきやま」の帰りに、先日家族と行った新しいケーキ店MIWAに数人を案内した。わたしの勧めたスイートポテトを皆買ってくれた。それから鎌倉駅まで歩いてそれぞれ帰途に付いた。
夕方、少しデスクに向った。確かに、昼食会のほうが疲れが残らない。と言っても、私は夜の忘年会の家族の帰りを待つ身でもある。
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| 2010年12月6日(月) |
| ホームページビルダーのバックアップ移行ツール |
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いつも、コンピュータ関係の業者から色々なメールが届く。目下多く届くのは、年賀状関係の「楽々葉書印刷」などと銘打ったものである。これらは、パソコンやプリンタのメーカーから届く。ついで何かを購入したことにより、「ポイントが幾ら幾ら溜りました」という知らせも来る。しかし、こういうのはほとんど放置し、すぐに削除してしまう。コンピューターの画面と言えども、私宛のメールであろうとも、全てはコマーシャルなのである。毎朝の新聞に入ってくるチラシと思えば良い。(コンピューターを使い始めは、そうはいかなくて一々気になった)着信メールは、開く前の段階の、タイトルページが見られるようにしてあるので、迷惑メールと言った怪しいタイトルと、宣伝メールは選別して削除する。だが、この時にも注意が必要だ。うっかりして大切なメールを削除してはならないのである。目は皿のように、と言うほどではないが、ともかくほどほどの注意はする。
今日は、そんな時、ホームページビルダーからのメール1件を見て、(これは消さないほうが良いか)と思った。それは、「ホームページビルダー安心バックアップ移行ツールのダウンロード」というものである。すでにこの会社製品を使っている方には無償ダウンロード、と表記されていた。私のこのホームページは、「新あんばら庵」に、変って以来、ホームページビルダー14をダウンロードして編集し、日記その他を書き、公開している。この、バックアップ移行ツール、というのは、パソコンを買い換えたりした時に役立つものだ。私はこれまでにパソコンを買い換えて中味を、移行させるのに大変苦労した経験がある。それで、このメールに目が止った。しかし、見つけたのは日中でしばらく時間を置いた。少し冷静になる必要がある。もし、ウイルスなどを背負い込むと大変と思ったが、たまたま家族の帰りが遅かったので、夜になって、ゆっくりとダウンロードを試みた。パスワードなどの思い違いでやり直したり、すんなりと行ったわけではなかったが、ともかくインストールが完了した。そして、全てのプログラムのリストに、「HB、安心バックアップ移行ツール」が加わった。その後軽く体操をした。頭の体操だけでは体に悪い。
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| 2010年12月5日(日) |
| 強風の後始末 |
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ミサに行く。千葉神父、馴染みの信者さんたちは皆お元気であった。元新潮社のYさんは、出口でチラシを配っていた。それから外に出て、ヴォランティアさんたちが並べたデスクの前に立ち、手作りのパン1個とメダイ入れを2個請入した。どちらも市場では手に入らない良い品だった。
帰宅して、ろくに休まないうちに、風に吹かれて家の表裏に溜った落葉の掃除を始めた。最初は門や玄関付近の落ち葉だけと思っていたが、やり始めたら強風の後始末をとことんやりたい気持ちになって、結局裏の芙蓉の枯葉なども掃き取った。徒長していた下草なども切り取り、ヴィニール袋に詰めたら、大袋3個になった。それから、簡単な昼食を取った。その後も、家族がゴルフの中継を観ているあいだ、鮮魚店まで1人で買出しに行った。帰りは江ノ電に乗ったが、相変らず混雑していた。外出はこれで終ったわけではなく、夕方家族とバス通りに出来た新しいケーキ屋さんを見に行った。帰ってきて食べたスイートポテトが美味しかった。店の名前はMIWAという。夜は、「坂の上の雲」の第2部を観た。日英同盟後の日露関係が描かれていたが、その辺りの日本の立場を踏まえての解釈は、なかなか難しいと感じた。
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| 2010年12月4日(土) |
| さらに被害は拡大と |
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今日になって、昨日の突風のニュースは、詳細に報道された。突風ではなく、竜巻と発表を変えている。竜巻と突風の境目は分からないが、いずれにしても凄い威力であったらしい。このところ、12月、師走らしく寒くなっていないところもその要因の1つか。元は避暑地として東京の人たちが好んで別荘を持った鎌倉も、環境と共に変わり、予想もできない自然現象が起きるようになっている。この地方だけでなく地球の変化なのか。考えると怖い話だ。
林檎を沢山頂いたので、息子のところにお裾分けしようと、ダンボールに色々と詰め込んだ。他の食料も加えた。梱包が済んでから、送り状に住所を書き込み、家族と2人で近くの宅配代理店の酒店まで運んだ。無事手続が済み荷物が軽くなってから、また家族と2人で、駅前まで歩いた。そしていつものように、雑貨類、食料を買い込んだ。スーパー・マーケットは利便上、JR駅の近くにある。いつものことだとしても、今日の駅の東西表裏周辺の混雑にはうんざりした。オバマ大統領の大仏観光その他で、鎌倉は今や大人気なのである。この地に慣れた人たちではないので、非常にゆっくり歩いたり、立ち止まったりする人たちが多く、人の流れというものが出来ていない。その混雑を何とか縫って歩こうとすると、向かい側から早足で歩いてくる若者にぶつかりそうになって危ない。もっと早く走るのは、修学旅行の中学生の団体である。数人で追いかけっこをしながら、JRの構内から江ノ電のホームへと走っていく。ぼんやりしていると、跳ね飛ばされそうになる。しかし子供が元気なのは悪いことではない。人のせいにしても始まらないので、自分がしっかりしよう、足元をしっかり見て、と思うしかない。たった1駅だが荷物が重いと江ノ電に乗るので、降りるとほっとして溜息が出る。体力はさほど使わないが神経が磨り減る。観光繁盛で儲かって得する交通会社や土産物店、その他かあるだろうが、住民はただ疲れるだけだ。誠に困ったこと!
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| 2010年12月3日(金) |
| 朝から強い風が吹き |
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早朝、目覚める頃から強い雨風の天候になっていた。昼近くになって晴れ間が見え、気温も上がったので、洗濯物を干し始めたところ、風が強くて、濡れたタオルの端で、頬を強く叩かれる始末だった。こんな経験は初めてのことだ。
そう思っていたら、夕方のニュースで、鎌倉の東部に竜巻のような突風が吹いて、キャンピングカーが横倒しになり、神社の木々が折れたり、民家の瓦屋根が飛んだり、ガラスが割れたりしたとのこと、で驚いた。突風は帯状に2キロほど吹いたそうで、我が家も直撃されたら危なかったと、肝を冷やした。拙著『明日は晴れる』を出版した冬花社は、突風の吹いた材木座地区にあるので、すぐにお見舞いのメールを打った。何事もなければ良いけれど……。
空気が乾燥しているせいか、唇が乾く。薬局に行って「お勧めは何か?」と訊ねたら、口紅のような棒状の品でなく、クリームのケースに入った品を出してくれた。この方が複数の人間で使えて良い。その他に、魚店で新鮮で肥えた鰯を2匹買った。いつもは生姜と醤油で煮るが、今夜は塩焼きにしようと思う。1日中、10月初旬のような暖かさだった。
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| 2010年12月2日(木) |
| 夕食は雑炊を拵えた。 |
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朝、由比ガ浜クリニックに行く。おなかの具合が直ったと話す。血圧は正常、小説を書き込んでいる時は、こちらのほうが心配なのだが、最近は不思議と安定している。帰り道、真っ直ぐに帰らずに駅前まで行く。階下のパン店で、チーズ入りのフレンチトーストを買い、昼食用とした。それは出来立てだったから、問題なさそうであったが、冷蔵庫に入っていた果汁入りのヨーグルトドリンクで、午後おなかが不安定になった。冷たい飲み物は止めたほうが良い。
おなかが治まってから「あんばら庵」の掲示板を見たら、鎌倉FMの横山さんからのメッセージが入っていた。11月3日の生放送の録音CDの追加を頼んでいた。ダヴィングすることは出来るが、せっかくなら、鎌倉FMのラベル入りのものが欲しい、と娘に言われたのだ。承知して下さるとのことで、メッセージを嬉しく拝読した。早速娘にメールで報告した。これで子供たちに声が遺せることになる。夕方、無事インストールし、作動している「シェイクスピア大全」の『冬物語』を少し読んだ。夕食は残りの御飯と鮭、長葱などで雑炊を拵えた。なかなか美味しかった。家族の帰りは遅かった。しかし、最近は中程度の遅さになっている。若い頃は大変遅くなり、まんじりともしない夜もあった。気をつけてくれるようになって有り難い。家族の名誉のために書いておく。
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| 2010年12月1日(水) |
| 今日から12月 |
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暖かい12月1日である。朝晩はヒーターをつけるが、日中は消している。庭の鉢植えも寒さに凍ることもなく、どこかのんびりしている。シャコバ・シャボテンは外置きにしてしまったので、そのせいかまだ蕾をつけていない。クリスマス・ホーリーは、辛うじて赤い実をつけている。ところで朝、新聞を読んでいた家族が「あっ、また出ている」と言うので、手元を覗くと、「鎌倉朝日」紙に、『明日は晴れる』(冬花社刊)の紹介記事が載っていた。表紙の写真も並んでいる。1日から縁起が良いと思いながら、味噌汁を作り、塩鮭を焼き、朝食を済ませ家族を送り出した。
昼になって「鎌倉朝日」新聞社から、同じ新聞と送り状の入った封書が届いた。すぐに葉書に礼状を書き、投函した。
午後2時からはり治療に行った。短い時間だが気持ち良かった。しかし、帰りに真っ直ぐに家に帰らず、スーパーに回ったら、途中だるさと眠さが湧いた。はり治療の後はしばしばこういう症状になる。荷物を軽くして早めに帰った。この次は、治療前に用件を済ませようと反省した。
新潮社のF・Mさんには、問題解決のメールを送っていたが、夜になってその返信が届き、嬉しく読ませてもらった。
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| 2010年11月30日(火) |
| 「大全」の発行元 新潮社に電話した |
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インストールした後の「シェイクスピア大全」のCDーROMが上手く動作しない。「閉じる」のクリックも上手く働かなくなった。思い余って、発売元のNECインターチャネルに電話したが、すでにサーヴィスは終わっていると言う。さて、どうしよう!困った。
仕事中の娘にメールして訊ねたが、画面を見なくては分からない、と返信が来た。面倒な母親だと思われるに違いないが、仕方がない。諦めようかと思ったが、(これは福引で当ったもので、自分にとっては縁起ものだ。福を捨てるには忍びない)という思いが湧いた。CDーROMの箱の裏には発行の新潮社の電話も記載されていた。しかし、これまでに、パソコン関係の相談や質問は、機器のメーカーにのみしている。出版社で応対してくれるか、不安であった。
結論から書くと、新潮社にかけたこの電話は大成功であった。F・Mさんという女性が電話口に出てきて、親切に応対してくれた。私のパソコンであるWindows XPの所有者からは、同じようなトラブルの問い合わせが多かったと言う。対処法の添付メールを2回も送ってくれた上、電話でも色々と教えてくれた。電話を切ってからそれを1人で行い、なんとか無事に作動するようになった。さすが伝統ある新潮社のスタッフだ。その折の遣り取りと操作の詳細は、いつもコンピューターの左に置いてある大学ノートにメモしてある。初めて知った方法もあった。ともかく良かった!ここ数日の問題が解決して、今日で11月が終る。明日からは12月だ。
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| 2010年11月29日(月) |
| 久しぶりに洋裁のTさん宅へ |
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午前中は手紙を1通書き、ポストまで投函に行く。連絡や頼みごとの手段に、電話や電子メールもあるが、やはり手紙が良い。それも葉書でなく、封書が良い。それをポストに入れた時の微かな音を聞いて、ほっとする。
午後は久しぶりに本郷台の洋裁のTさん宅に行く。連れはいつものK.S子さんである。到着するとすぐに出来上がったものを見せてくれた。前回届けた古い着物が綺麗なドレスに変わっていた。試着をしてみるなかなか豪華である。元の着物は姉の形見の品だ。天国で喜んでいるかどうか。口の悪い姉だったから、「贅沢して」と怒られるかもしれない。しかし、これは来年、ある会で年齢的なお祝い事があるので、その折に着るつもりでいる。女性は服の用意が出来ていると、安心していられる。「安心料ですよ」と、姉に切り返す。もちろん返事は帰ってこない。帰ってきて、「シェイクスピア大全」を開こうとするが、なかなかうまくいかない。小田島雄志の役も新しくて魅力的だが、福田恒存訳の「ハムレット」が、時代的に合っている。その第1幕を開きたいのだが。
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| 2010年11月28日(日) |
| 60年前の話を聞く |
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日曜のミサに行く。今日から待降節となる。千葉師もその実感を話されていた。さらに、朝鮮半島情勢の緊迫化についても案ずる思いを語り、信者の1人ひとりに自覚を促していた。
ミサ終了後、馴染みの信者さんの1人Tさんと話をした。それも60年前の話である。戦災で東京都内の各教会が焼けてしまった時のこと。郊外の焼け残った民家の離れや二階が、臨時の聖堂になっていた頃、Tさんと私は、大田区の民家の二階の聖堂に通っていた子供だった。以前何かの話からこの事を知り、頭に停めておいたが詳細は聞いていなかった。成人してふたたびこの教会で出会ったのは、ご縁としか言いようがない。どうしてそこに行くようになったか知りたくなっていた。数分の立ち話だったが、幾つかの話を知ることが出来た。小説の背景にもなる話だった。話す機会があったことを感謝する。
帰ってから、お歳暮のリストを少し書いた。しかし、最近はお送りする先輩も亡くなり、数は少なくなった。淋しい限りだ。しかし、体調は戻りつつあり、昨日からおなかの薬は飲んでいない。
午後は、車を出し藤沢のデパートへ行った。第一目的は、新しい水切り籠を買うためである。おなかの具合を悪くしたことから、水まわりを清潔にしようと思っている。何でも、「まだ使える」と思って、新品を買わないのも良いが、古いものは良く洗っても、雑菌が残る場合がある。幸い、ここ数年使っていたものと同じ品物を見つけて購入した。車の運転、往復は無事であった。
夕方戻り、大相撲の千秋楽をテレビで観る。白鵬の優勝。白鵬を破った稀勢の里は殊勲賞だった。
夜は「竜馬伝」最終回を観た。幕臣の1人に竜馬が殺されるシーンは、大騒ぎの切り合いではなく、静かな夜にあっという間に切られ、中岡慎太郎と2人、血だらけのまま静かに眠る、という演出であった。少し物足りなかったが、実際はこんなものだったかもしれない。少々考えさせられた。
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| 2010年11月27日(土) |
| おでん鍋の大根はよく煮えて |
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昨日、明日の土曜日に「行っていいですか?」という娘からのメールが入った。「いいですよ」と返信した時、昨日途中でストップした「シェイクスピア大全」のインストールについて、娘に相談しようと思った。娘の方は、旅行の写真を持ってきて、テレビ画面に繋いで見せてくれると言っていた。婿殿も一緒に来る。彼はこの手の操作に強い。しかし、午前中は用事があって出足が遅くなると言うので、家で食事の方が良いと思い、昼ごろ、スーパーまでおでんの材料を買いに走った。我が家は大根の煮たのが沢山入るおでんなので、夜に備えて2時過ぎから、先に昆布だしで大根を煮始めた。1時間ほど煮て、大根が柔らかくなってから、こんにゃくなどから順に、さつま揚げ焼きちくわなどを入れてふたたび煮た。4時ごろに娘夫婦は来て、旅行の写真を見せてもらった。緑や花の多い地方の写真で、自然の美に十分満喫しさせてもらった。
その後、きのうの「シェイクスピア大全」インストールの話をし、娘にマイ・コンピューター前に座ってもらった。その結果、私の手で、すでにインストールされていたようで、「全て上書きしますか」をクリックして、OKになった。しかし、T-Timeビューワーはインストールされていなかったのか、娘がインストールしてOKとなった。そして、私が確認出来なかったインストール先の所在は、「全てのプログラム」から探し出し、そこに名前が入ったことを知った。そう言えば、「筆ぐるめ」などのソフトをインストールした時は、ここに名前が入ったのを忘れていた。不明の至りである。娘は「リア王」の1節を開いて読んでいたが、明日からひとりで開けるかどうか不安である。ゆっくりとトライしていくしかない。それから4人で囲んだおでん鍋は美味しかった。大根は良く煮えていた。食後2人は帰っていった。
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| 2010年11月26日(金) |
| 「シェイクスピア大全」のインストール |
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「シェイクスピア大全」のインストールはなかなか難しかった。インストール画面を、次へ次へをクリックする。これぐらいは分かるが、右下、e:[Shakespeare]下のぶら下がり、「d.U」(意味不明)を、「C.windows.xp」に反転させてみる。すると、CD-ROM差込の本体が動き出し、音が鳴り始めた。左上のウインドウに「コピーしてます」のメッセージと共に、紙が飛び、インジケーターのコマが動きだした。完了をクリック。次に、「T-Timeビューワ-のインストールをして下さい」、とメッセージが出る。OKをクリックした。本体の音がしばらく続き、止った。終了をクリックした。しかし、また本体の音が聞え始め、アイコン画面になった。インストールが無事になされた、という確認が取れない。少し心配になってきたので、そこでいったん中止した。パニックになったら、コンピューターは、閉じて休むのが第一、と決めている。
午後からはもう1つ、マイドキュメントへ保存してある古い日記(すでに書籍化のもの)の削除が出来ず、削除しようとするとコピーされてしまうので、マイ.コンピューターの親元、NECのコンタクト・センターに電話をした。その答は、削除するものへのマウスの矢印がしっかりと止っていないと、削除がならず、コピーされてしまう、とのことだった。多数の場合でも、せいぜい20個以内にしなさい、とも言われた。言われたことを守り実行して、不要な保存をやっと綺麗に削除することが出来た。ついでに初期画面の、アイコン画面も整理してすっきりとさせた。今日は1日中おなかの薬は飲まなかった。夕方、駅前往復の買い物をした。家族の帰りは早かった。
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| 2010年11月25日(木) |
| 日本ペンクラブ「ペンの日」記念懇親会 |
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朝から溜っている日記を少し書く。ほどほどで止めて、新作の方に取り掛かる。まだまだ未知数だが、主題、素材、構成、枚数、レベルのようなものも、具体的に決っている。それだけに大切に書いていかなくてはならない思いが強い。慎重に書き始めている、と言えば言えるが、多少は怠けている感がある。しかし、今日は、コンピューターの検索で1つ発見があった。昔のことで、もう訊くことも出来なくなっている事柄が、思いがけず、検索出来た。モデルの名前も書かれているので驚きと共に、喜んだ。
メールを開くと、S会中央病院のK医師から返信が届いていた。それを読み、ひと先ずコンピューターを閉じた。
夕方、電車に乗って東京に向った。日本ペンクラブの「ペンの日」を記念する懇親会に出席するためである。先ごろ成功のうちに終った、国際ペン東京大会の写真展示や恒例の福引もあるという。日本文藝家協会に比べ、お馴染みの方も少ないが、去年足の痛みでやむなく欠席したので、今年は行くことにした。会場に到着し、ロビーで開場を待つあいだ思いがけなく坂上弘氏のお姿を見かけた。氏は、日本ペンクラブの会員ではない、と知っている。後になって分かったが。「ペンの日」の記念の懇親会に、来賓として招待されているのだった。開場には昭和時代の日本ペンクラブの活動の写真も展示され、初代会長の島崎藤村のお顔もあった。書き手から書き手へとこうして今に繋がっている、という写真の数々であった。嬉しかったのは坂上弘氏にお会いできただけではなかった。恒例の福引が始まり、私は「シェイクスピア大全」という高額なCD-ROMが当った。まさにこの日は大当たりであった。有楽町での二次会では、雑炊が美味しかった。
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| 2010年11月24日(水) |
| 体調についてのメール2件 |
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今日は、教会の広報の手伝いをするはずだったが、おなかの具合で欠席した。昨夜はそのメールともう1件、S会中央病院のK医師にもメールをし、症状を伝えた。腸の検査を受けるか受けないかは、いずれ決る。なるべく受けたくないが……。
その後、二階でのんびりとしながら、11月3日(水)のかまくらFM放送生出演の録音CDをやっと聴いた。これまで、自分の声を聞くのが嫌で、聴くことが出来なかった。少し時間が経ったので落ち着いて聴けた。思ったよりしっかりと話している、と思いながら聴いた。正味は2時間だが、1時間分を聴いて疲れたので、終りにした。しかし、半分でもなんとか聴くことが出来てほっとした。
午後は電車でスーパー・ユニオンまで往復し、梅干、お粥のレトルトなどを買った。家族は、大学の研究会のOB会で遅くなる、と聞いている。夜メールを開くと、K医師から丁寧なご返信が届いていた。下痢の理由を分析する「便倍」という検査もあると書いてあった。お忙しいのに、と感謝した。夜は、軽い粉薬しか飲まずにゆっくりと入浴し、眠った。眠るための薬は飲んでいない。家族の足音を聞くと、ほっとしてまた眠る。
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| 2010年11月23日(火) |
| 庭のジンジャーを切る |
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祭日だが小雨が降っている。遅めの朝食後、またおなかの薬を飲む。それから、ソファでごろごろした。何にしても休養と思っている。過去のデータでは、休養で治る場合もあった。しかし、人間は常に新しいデータを拵えて生きているわけだから、ハプニングも生まれてくる。とにかく、何が起るか分からない。そう考えるとぞっとする。
しかし、ソファで1時間ほど眠ったら少し元気になった。庭では家族が雑草取りをしていた。自分も少し何かやろうと庭に出た。もともと庭仕事は嫌いではない。夏の終りに咲いた白いジンジャーの茎が伸び放題になっていた。ヴィニール袋の大きいのを持って庭に出て、鋏でその茎を切り、袋の中に詰めた。袋はもう1つ追加して、2袋になった。箒も少し使った。水曜日は植木の切り落としや庭のゴミが無料で出せる。明日が水曜日と思うと、切る手にも力が入った。その後はまた、使いにも出ずごろごろした。夜も薬を飲んだ。夜になって、近隣国の砲撃という不穏なニュースを聞いた。
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| 2010年11月22日(月) |
| 良い夫婦の日、仕事する |
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11月22日は語呂合せから、良い夫婦の日だそうである。これは本人たちが決められるものではないので、私たちは特に感想も無く、朝出勤する人、そして送る人になり、1日を始める。
お掃除のMさんが来てくれるが、いつもの仕事に加えて、庭の掃き掃除、そしてまな板を漂白剤の入ったバケツに入れて清潔にする、などを頼んで、私は二階の書斎で、ゲラ校正をする。長さはあまりない原稿だが、神経を使うところがあり、資料を何回も開き、言葉に間違いがないか確認した。発行は来年1月になる。
午後、それを発送しようと歩いていたら、おなかの大きい若い妊婦さんとすれ違った。それも元気な足取りであった。縁起が良い! と意を強くした。原稿は実力が全て、と言ってもやはり評判が良いことを望み、ゲンを担ぐ。昨日は教会で祈ったし、と自分で自分を奮い立たせる。マイナスの気持ちになったら、何も始まらない。もちろん、謙虚さは必要だけれど。
郵便局の窓口に無事に投函して、いつもの通りスーパーに向った。1階のパン屋さんの匂いが暖かく感じられ、人気ナンバー1、と書かれたパンを1個籠に入れた。
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| 2010年11月21日(日) |
| 電気釜、マイコン式と、IH式と |
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日曜のミサに行く。おなかは薬で落ち着いているが、やや集中力に欠けるところがあった。ミサ中、文学的なことを少し考えていた。子供時代の無意識を分析しようとすると、母にどんな風にキリスト教の教育をされたか、を考えたくなってくる。子供の頭は真っ白だから、簡単に染まってしまったのかもしれない。幼児受洗者の小説家としてその辺りのことは重要なのだ。しかし、手を合わせて祈る気持は変らない。クリスマスの飾り付けを始めるという話も聞く。若い人のように力が無いから手伝えないが、教会はこれからが忙しくなり、大変だと思う。
帰ってから、体調が良いので久しぶりに車を出した。もちろん家族に助手席に乗ってもらう。この頃は大抵このスタイルだ。食料や日常品の買出しのほかに、もう1つ目的があった。大型電器店で電気釜を見る用事である。人数が少なくなったので容量が少ない電気釜を、と先日書いたが、今日はもう1つ知識を得た。現在使っている釜はマイコン式というものだが、最近は、IH式という製品が出回っている。どこが違うのか全く分からなかったのだが、店員さんが良く説明してくれた。要するに、これまで底からの火力だけだったものが横周りからも火力が来る。そのために、御飯がおいしく炊けると言う。なるほどそうか、と思ったが、買うと決めるにはまだ少し迷いがあった。しかし、御飯好きの家族はかなり気に入ったらしかった。結局それを1個購入した。それをいったん車に置きに戻り、それから日常品や食料を買いに向った。帰り道もさしたる混雑も無く、家に着いた。工事の車も裏の家に来ず、ストレス解消できた日であった。
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| 2010年11月20日(土) |
| おなかの調子悪いが、血圧は安定 |
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朝9時よりクリニックに行く。家族とも相談したが、おなかの調子が悪いので、新医師に旧医師からもらっていた薬の話をしてみることになった。新医師になって変ってしまった薬でも、体に合えば良いが、今までのところ合っているとは言えない。悪いと思ったが、おなかの直りが悪いので、と話を切り出した。
「医者は、それぞれ手持ちの薬があるので」
と言いながら、新医師は、元の体に馴染んだ薬を出してくれた。ついでに血圧を測ってくれたが、おなかの調子で悶々としているのに、値は上下とも落ち着いていた。どうもよく分からない。午後は、のんびりしてテレビで松本清張のドラマ「駅路」を観た。失踪してその後殺される男の役が石坂浩二氏で、先日の三田文学会100周年記念の会場でお会いしているので、画面を目で追っているうちに、最後まで観ることになった。こんなことも珍しい。体調がそうさせるのか。人間の心の奥底を描いた小説が少なくなった昨今、松本清張の作品が繰り返しドラマ化されるのは結構なことだ。夕方、買出しから戻ったら、宅配便の速達が届いていた。返送用の速達筒が入っていた。さあ、仕事をしなくてはならない。
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| 2010年11月19日(金) |
| ボジョレー・ヌーボーで乾杯したが |
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体調が良く、もうおなかの薬は飲んでいない。朝から暖かい晴天の日となった。書斎でカセットテープからカセットテープへの録音作業を始めた。先々週、私が出演したかまくらFMの録音は、CDに録音されているのだが、別のことで、カセットテープを使うことになった。文具店にテープを買いに行ったが、最近は取り扱っていないと言うので驚いた。しかし、店員は100円ショップに売っていると教えてくれた。100円ショップに行ってみると、120分、90分、60分、どれも105円で売っていた。3本ほど買って帰り、1安心した。った。パソコンを使用しているので、フロッピーディスクが使われなくなっていることは、肌に感じていたが、カセットもとなるといささか考えさせられた。私の書斎にあるカセットには、デッキ1とデッキ2があり、カセットの中味を1から2へ移すことが出来る。これは便利だしまだ使うつもりだったが、肝心のカセットテープがどこでも購入出来なくなると困ってしまう。機械や技術の発達も良いが、備品を生産しなくなると、古い機械が使えなくなる。少々ショックを受けたが、今日はなんとか、元のテープから新しいテープへと録音が出来た。それを持って、天気が良かったので材木座の知人宅まで歩いた。暖かくて楽しい散歩だった。知人は留守だったが、知人の母上にお会い出来て、テープを渡した。帰りは、バスに乗って駅に行き、いつも通りスーパーに寄って帰った。 夕方、句会の仲間より、忘年会の知らせが届いた。W先生もご出席とのこと、嬉しい知らせだった。
夜は家族と、ボジョレー・ヌーボーを開けて、乾杯したところ、また体調が崩れた(と書いておく)。慌ててまた薬を飲んだ。
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| 2010年11月18日(木) |
| ファンヒーターのスイッチを入れる |
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朝の食事その他で、体調回復を感じている。晴れて気温は低いが、寒さは人が言うほど気にならない。猛暑の記憶がいまだ消えていない。灯油を買い、ファンヒーターのスイッチを入れるが、設定は16度にしてある。加湿器も同時に使用し始めている。家の中が乾燥するのは嫌だ。水蒸気が昇るのを見ながら、10代の頃は、茶の間の火鉢に乗った鉄瓶から湯気が上がっていたなあ、と思う。ちなみに、あの鉄瓶のお湯には大量の鉄分が含まれていて、体に良かったそうだ。
体調が良かったので、新しい仕事に取り掛かれた。と言っても、ほんの少しだけだ。午後からは、美容院を予約してある。髪の毛が大分延びてしまった。カッとしてもらいながら、料理の本を読んで、1つ2つレシピを覚えた。メモしないと忘れる時もあるが、長年料理をしているから、大体を覚えれば、似たような料理を作ることが出来る、(と思っている。)本を読まない時は大抵眠っている。小説の良いヒントが生れることもある。(この話は何回も書いたはず)スーパーに寄って帰宅した。家族の帰りはやや遅かった。気にしないで先にベッドに入り眠るようにしているが、足音を聞くとほっとする。
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| 2010年11月17日(水) |
| はりの先生はジャズがお好き |
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新作「タイトルS」の資料発掘はさらに続く。自分が歩んできた道を書くとは言え、今はもう夢のように感じている事柄に、息吹を与え現実化していく作業である。手がかりはほんの少ししかないが、暖めているうちに次第に世界が広がっていく。掘り出し、と膨らまし、を言葉にし、表現していくのである。もっと書きたいが、今はこのくらいしか書けない。コンピューターの傍らの大学ノートには、公表出来ないマル秘のメモが記されている。マル秘、と書くと凄そうだが、ごく普通のことを記している。大切なのは、やはり探り出しと膨らまし、そして表現だ。こんな根気の要ることは、書くことが好きな人間にしか出来ない。胃も痛くなる。しかし、逆のことも言える。書き始めると、肝が座って、落ち着くために、胃痛腹痛が治まることもある。プラスのホルモンが出てくるのかもしれない。うまくいくと、こちらの方がかなり確率が高い。遊ぶより苦しむ方が楽、というのは因果なことだが、幸せでもある。
午後久しぶりにはり治療に行った。治療をしてもらいながら、はりの先生と雑談を交わした。FMかまくらの生放送に出た話をした。それから、音楽の話になり、ジャズの話になった。50歳前後と思われるはりの先生は、最近になってジャズが好きになり、市内の生ジャズの聴ける店にも出向くと言う。
「僕たちの時代は、ロックやフォークばかりで」
ジャズを聴く機会が少なくて、と言っていた。なるほど、生まれた年によって、そういう巡り合せもあるのか、と思った。
「私たちの時代は、横須賀の米軍基地に近い鎌倉は、ジャズが大流行で、大学生がバンドを組んだり、賑やかでしたよ。ハリウッド映画の主題歌も歌って」
と話した。
夕方、FMかまくらのシーサイド・カフェを聴いた。担当の横山瑛子さんの声は本当に素晴らしい。ゲストは市内在住のシンガーソングライター、豊島たずみさん。
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| 2010年11月16日(火) |
| コンピューターの検索&プリント |
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午前中、新作(タイトルS)の準備をした。チェックしたいところの検索をコンピューターでして、必要なところをプリントした。10枚ほどになった。長いこと持っていたテーマと素材ゆえ、いい加減なものにはしたくない。しかし、準備のタイミングに加え、書き出すタイミングも大切である。つまり、準備倒れにならないように、勢いを失くさないようにしなくてはならない。バランスの良いところで書き出すのが良い、と思っている。
プリントだけで、コンピューターを閉じて、江ノ電に乗って買出しに行く。台所の天井に付いているミニ・クリプトン電球が切れている。この家を建てた頃は、珍しい品だったが、最近は新しい電球が出回っている。スーパーの電球などを扱う売り場に行き、2個入りのミニ・クリプトン電球を1袋買う。同じ階で、電気釜を色々と見た。家の電気釜はまだ新しく、釜の部分もテフロン加工で良いものだが、何しろ5合炊きである。2人暮らしに5合炊きは時に不便である。3合炊きの釜をちらちらと見たが、買う気が起きず、そのまま、階下の食料品売り場へと降りた。しかし、このスーパーにはあまり良い魚がない。下痢の薬はまだ飲んでいる。消化の良い煮魚でもしようと思い、小町通の魚店まで歩き、新鮮な鯖を1本買い、4切りにしてもらった。今晩は味噌煮に、明日は塩焼きにしよう、と考える。帰宅して午後また眠った。新作を書き込んでいくためにも安静が必要と感じている。夕食の鯖の味噌煮は家族に好評であった。
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| 2010年11月15日(月) |
| 久しぶりにおでんを煮る |
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晴れの日。朝1番でクリニックに行き、おなかの具合を話す。10月から代った医師は、私の体質をあまり知らず、色々と質問を受けた。最後に仰向けに寝て、おなかの各所をチェックしてもらった。触られて特に痛いところはなかった。 もらった薬も単なる下痢止めで強いものではなかった。休養と脂っこいものは食べないで、という話だった。胃腸が丈夫なことを誇ってきた私も、年だなと痛感した。
クリニックを出て後、調剤薬局の待合室で、元近くに住んでいたK.K子さんに会った。今は七里ガ浜に住んでいる。気さくな人で、会えばお互いの話など聞き、世間話をする人である。そのKさんは、最近大病をされたと伺い、驚いた。救急車で2度も運ばれた結果と言う。その辺りの経緯を聞き、話が長くなり、薬局から駅前の東急まで2人で歩いた。そこで、「お大事に」と言って別れた。食品売り場でおでんの材料を買った。大分寒くなっている。寒いのは嫌だが、おでんを煮るのは楽しい。昆布と大根を先に煮ておく。茹で卵を作り、殻を剥いてそれも煮込む。後はさつま揚げ、ちくわ、こんにゃくなど、など。夕食のメニューが決り、帰宅してから、少し昼寝をした。胃腸の具合を鎮めるため、その原因となる「頑張り」をしないため、に。
そう言えば、新聞やテレビ報道に、オバマ大統領の鎌倉大仏訪問記事は、大きく取り上げられていた。
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| 2010年11月14日(日) |
| 続 APECの余波 |
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昨夜少し腹痛が起きた。悪いものを食べてはいないと思うが、消化不良を起こしているらしい。有り合わせの薬を飲んだが、日曜なのでクリニックはお休みだ。明日行く事にして、今日は朝寝をさせてもらった。冷蔵庫にあったレトルトのお粥を温めて朝食とした。風邪を引いている様子はなかった。少々の風邪ぐらいでは気付かないこともある。しかし、休んだせいか、昼過ぎ元気になった。今日はアメリカのオバマ大統領が、大仏見物に来る、というニュースが入っている。家から数分のバス通りなら、歩いて行っても大した距離ではない。昼食にはおなかに優しいうどんを煮て、家族と食卓に向かい、きちんと食休みをして家を出た。
「ヘリコプターの音が、激しくなってきましたね」
と家族が言う。昨日も、バスの通る寸前は、ヘリコプターも入れ替わり飛んでいた。バス通りには顔見知りの酒屋の店主など、多くの人が集っていた。もちろん警官も数人並んでいた。ヘルメットを見ると、東京警視庁と書いてあった。昨日は警官に聞いても答えはないかもしれないと思った(情報を守るため)が、今日は聞いてみた。若い警官で親切に教えてくれた。
「大統領は、この道は通らないですよ」と言った。
なんだ、と思いがっかりした。昨日と違い今日はカメラを持参していた。どうやら、海岸沿いの道を走るらしい。しかし、警官もそれ以上は教えてくれなかった。家族と2人で江ノ電の線路伝いに、長谷方面へと歩いた。何故なら、江ノ電が停まっていたからである。休日は満員の人気電車まで停めてしまう大統領であった。何とか長谷観音の交差点に着いた。その近辺は人で溢れていた。そしてそれ以上の道、大仏への道は通行止めになっていた。そこで立ち止まり、大統領の車を待った。しかし、長身の男性もいる人ごみで、私の背ではカメラのシャッターを押すことは難しかった。家族に写してもらうしかなかった。間もなく通った黒い車のボディの先端には、アメリカ国旗ともう1つ旗がひらめいていた。オバマ氏はこの車の後部に乗っていたらしい。(後にNHKのニュースで知った)その車はしっかりと目で捉えたが、家族の写してくれた黒い車の写真には、残念ながら旗が写っていなかった。近くに停まっていた白バイの陰が邪魔をしていた。写真は昨夜「APECの鎌倉はどう?」と電話をかけてきた娘に送ってあげようと思う。ともかく大騒ぎの鎌倉であった。(写真はその1枚。白バイの向うの黒い車)
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| 2010年11月13日(土) |
| APECの余波 |
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横浜市では、APEC関連行事が開催されている。それらの動きは連日テレビ、新聞のニュースで報道されているが、わが市にもその余波が届いてきている。今日は各国の大統領夫人たちが、鎌倉の寺を観光するというので、町の主要道路の各所には警備の警官が集ってきている。制服を着てヘルメットを被っているのだが、そのヘルメットには長崎、京都など遠方の警察署の名前が書かれている。パトカーの台数も多く、そこにも地方警察の名前が書かれている。「物々しいですね」と、すれ違う人たちと挨拶を交わす。そんな合間にも、暮らしは立てていかなくてはならない。今日は、「たらチリをしよう」という家族の要望に、評判の良い魚屋さんに行こうとしたら、若宮大路に人が沢山集ってきていた。もちろん警官も居る。警官には聞かないで、しばらくその辺りに立っていた。間もなく、ピカピカの新車と思われる派手なパトカーを先頭にして、2台の大型バスがやってきた。どうやらこのバスにVIP夫人たちが乗っているらしい。しかし、窓ガラスは全部黒塗りで、閉まったままだった。2台目のバスの窓が1つだけ開いていて、男性が手を振っていた。パトカーもバスもあっという間に通り過ぎた。携帯で写真を取っている人も居た。我々はその後、いつものように日常品の買い物をし、家路に付いた。
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| 2010年11月12日(金) |
| 久しぶりのパソコントラブル |
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このところ、左端にお気に入りリストが固定されているYhoo画面を開くと、「あなたのインターネットエクスプローラは6です。7~8をインストールしなさい。しないと××など、今後不便が生じます」というメッセージが出る。しばらく無視していたが、今日はそのメッセージと向き合い、「ここをクリック、次へ、次へ」を、クリックし何とかインストールが完了した。そこまでは良かったのだが、これまでのYhoo画面、本日のニュースなどが速報で示される何年も見慣れた画面が出なくなった。お気に入りの固定もなくなり、上のバーの「お気に入り」をクリックすると、画面の真ん中にリストがぶら下がり、邪魔になる始末である。そればかりか、インターネット・エクスプローラの「新しいOutlookへ、ようこそ」などの画面も出た。面倒くさいことになった。だから新しいことをするのは嫌なんだ!と思っても手遅れ。プロバイダに電話をかけようと思ったが、混んでいて繋がらなかった。少し慌ててしまったらしい。よく考えてみると、元の、きちんと設定してあるOutlookは、アイコン画面に残っていた。インターネット・エクスプローラ7~8をインストールしたとしても、6が消えるはずはない。さらに、お気に入りリストも、「お気に入りリストの固定」というところをクリックしたら、たちまち固定された。固定されれば沢山打ち込んだリストをスクロールすることが出来る。ともかく、新ソフトをインストール完了の上で元の状態に戻った。付け加えると、この後、インターネットで「あんばら庵」を開いたら、BGMの音が出なかった。そこにまたメッセージが出た(咄嗟で名称を記憶しなかった)ので、クリックしたら、音が聞えるようになった。
午後は足裏マッサージに行く。「胃腸が少し弱ってますね」と言われた。
本日のニュースは、日本列島に黄砂が飛んだこと。ヴィデオ流出に関係した海保職員の処分はまだ決らず、答えは来週に持ち越すとのこと。
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| 2010年11月11日(木) |
| 句会へ 先生もご出席 |
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横浜関内へ句会に行く。先月骨折で欠席だったW先生も今日はご出席で、お顔を見てほっとした。しかし、Mさん、Nさん、Kさんがご欠席であった。(投句はあり)メンバーの平均年齢は高く、5句ずつ提出する句の中には、体力の衰えなどを表現する句が多い。しかし、年齢に溺れてしまうわけにもいかない。私の好みではあるが、あまり悲観的な句には点を入れないようにしている。どんなに辛くても悲しくても、先に希望の見える句が好ましい。人間は一生懸命になっている時が1番美しいのだ。そう思わなければ、年よりは鏡を見るたびに落ち込んでしまい、何も出来なくなる。句の選評をしながら、皆でそんなことを話し合った。階下の食堂でランチを取りながらも、同じ話題を交わした。私は大病の経験者ゆえ、その時の心の持ちようについても話した。偉そうに言えるほど強くはなかったが、ともかく乗り越えた。家族や子供たちの支えも大きかった。しかし、本人もどこか楽天的であった。W先生に「お大事に」と言って別れた。いつも私とKさんだけがJRに乗る。他は地下鉄方面に行ってしまう。大船駅で降りて、このところ気に入りの黒豆茶を買い、その他は漬物などを買って帰った。
夜のテレビニュースはまた、ヴィデオ流出事件の続報が伝えられた。流出させた人物を擁護する人も出てきている。結局は政府が責任を問われることになる。長い問題になりそうだ。
菊花展の拙句を2句。
金賞の菊 装ひて 巻き毛して
菊花展 客少なくて 長居する
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| 2010年11月10日(水) |
| ヴィデオ流出事件で名乗り出た人あり、騒がしい |
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朝、家族を送り出した後、裏庭に除草剤を1箱散布した。年に2度はやらないと雑草が蔓延る。本当はスコップを使い根こそぎ取っていきたいが、腰を痛めるのでやむなくこの方法を取っている。
その後は手を良く洗って、デスクに向った。数日前から取り掛かっている原稿を仕上げなくてはならない。添削を続けているので、90パーセントは出来ていると思うが、もう一息と言ったところである。昼前に何とか仕上がり、編集部にメールに添付送信出来る状態になったが、テキストファイル形式に、という書面での注文に気持ちが引っかかり、心配だったので、形式を変換したものと、変換以前のものと2通りを送信した。午後に送信先から返信があって、「変換前の方が開けた」と言ってきた。元通りで何もしなくて良かったのか、少し悩んだので拍子抜けした。コンピューターも、人間社会も考え過ぎるといけないらしい。
ひと息ついてテレビのスイッチを入れたら、中国船との衝突映像を湯へチューブに流した人が判明したと騒いでいた。神戸管区の海上保安職員とのことで、顔は写さなかったが、埠頭を歩く姿が映し出された。歩いているかぎりでは、堂々としていて悪びれた様子は感じられなかった。同僚、上司その他周囲は一様にショックを受けていると言う。名乗り出た海保職員に家族は居るのだろうか?などと考える。
その後、鎌倉FMにFAXを入れた。先週のお礼の言葉を書いた。付け加えて、今日は結婚記念日です、と書いた。夜になってFMのYさんより返事のFAXが届いた。私のFAXが事務所の方のFAXボックスに届き、スタジオには届かなかった由、スタジオに届くFAX番号を教えてくれた。さらに記念日のお祝いのメッセージも書いてくれた。
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| 2010年11月9日(火) |
| 風強く、洗濯物はロープに巻きつく |
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晴れだが少々風がある。海岸が近いから、洗濯物を干すとたちまちロープに巻きついてしまう。悪い時はどこかに飛んで行ってしまう。それ故洗濯用のクリップをいつもより多めに使う。来ていたお掃除のMさんも「やはり海岸のそばですね」と、風の強さにびっくりしていた。よく働く人で、あっという間に家が綺麗になった。昼食には茹でた野菜をかなり摂取し、ヨーグルトも食べた。
午後からまた三田100年展への原稿を直した。大幅に削ったところもあるが、そのままにした箇所もある。大きな変更はないが、西脇順三郎を中心にしたシンポジュウムのこと、100年展の展示物など、種々の話を公平に書きたい、つまり客観性を持って書きたいと考えている。今のところは、その方向に進んでいると思う。夕方は駅までの使いがてら散歩に出る。返信用の葉書を自分のものを1通、家族のものを3通、ポストに投函した。たとえ何かの会合に欠席でも、返信はきちんと出したいと考える。葉山の魚店で新鮮な鰯を買った。生姜を入れて煮付けにしようと思った。戻ってきたら家族から電話で、「遅くなる」とのこと。もう鰯は煮始めていたので、そのことを伝えた。夕食は独りだったが、家族の帰りはさほど遅くなかった。
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| 2010年11月8日(月) |
| 原稿書きとウォーキング |
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今日も天気である。三田文学100年展と同時開催シンポジュウムに参加、出席した感想文を書くように頼まれている。朝、家族を送り出してデスクに向かい書き始め、気が付いたら昼の12時を回っていた。書いていると時間の経つのは早い。ペンは比較的動いたものの、少し緊張している。何と言っても、大きなイヴェントであった三田文学100年展である。いい加減な気持ちでは書けないと思っているので、硬くなっている。50年余、三田文学と関ってきたので、書くことは山ほどあるが、枚数もあるのでだらだらと書くわけにもいかない。必要とするところを書き、不要なところは捨てていく。しかし、どうしても書きたいことは1行でも2行でも書くつもりでいる。それらを総合して上手くまとめられるか、は腕の見せ所だ。今日のところは何とか枚数分書いたが、満足しなかった。明日以降煮詰めて、完成度の高いものにしなくてはならない。午後は駅まで買い物に出て、往復を歩いた。帰りは少々疲れた。
夜は「今夜は遅い」と言っていた家族が、思いがけず早く帰ってきたので少し慌てた。しかし、ヴェテランの主婦(?)なので、何とか食卓に菜とビールを並べた。私は胃痛以来ビールを飲んでいない。空腹時に飲まなければ良いと思っているが。(写真は昨日と同じ菊花展から)
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| 2010年11月7日(日) |
| ミサ、そして鶴岡八幡宮へ |
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日曜のミサに行く。晴れの日なので、 体調はまあまあである。ミサが終った後、売店で来年のカトリック美術カレンダーを3部購入した。毎年のことだが、息子一家と娘一家も加えて3部買う。12ヵ月の美術絵が楽しめる。と言っても、遊び心で眺めているわけではない。神に手を合わせる気持ちは忘れていない。しかし、早くもカレンダーを買うシーズンになったなと思う。今年は夏の暑さが体に残ってしまい、何となく冬迎える気が湧かない。困ったものだ。
昼食は家族と家で済ませた。その時に「八幡様に行きましょうか」という話になった。気候は良いし、倒れた銀杏の芽生え、その後の様子も見たい。話がすぐにまとまった。駅までは江ノ電に乗ろうと思っていたが、乗り遅れてしまった。最近は急いで走らないようにしている。結局、家から八幡宮まで2キロを歩いた。段葛を歩き出したら、七五三の親子連れに出会った。そう言えば、15日が近い。しかし、女の子の着物姿ばかりではなく、男の子の袴姿もあり、その方が目立って見えた。袴の裾は角立ち、羽織は絵羽織になっていた。父親は一生懸命にヴィデオを回していた。
本殿では結婚式が行われていた。日取りが良いのだろう。その奥の銀杏の芽吹きの前で、七五三の家族が写真を取っていた。脇のほうで菊花展が開催されていた。金賞、市長賞など、各種の賞の札が貼られていた。丹精を籠めた後が良く分かる見事な出来栄えだった。しかし、思ったより人は集らず、中央の階段付近にばかり人が密集していた。私と家族はそこから源平池のほうに回り、作り物のように動かない1羽のサギを眺め、時々水面から顔を出す鯉を鑑賞した。それから日蓮上人の辻説法跡のある裏通りを歩いて、二の鳥居前のスーパーに寄り、駅からは江ノ電に乗って帰った。かなり歩いたことになる。夏の間、日傘を差して少し歩き、後は電車に乗った悪いくせを早く直さないといけない。
(写真は菊花展の花の1つ、ご観賞下さい)
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| 2010年11月6日(土) |
| 日本橋M会会合 |
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お陰で胃の痛みは治まった。しかし、今日は東京銀座のホテルへの外出なので薬はバッグに入れて出かけた。以前も書いたが、この日本橋M会は、家族親類縁者の絆の薄くなった今時には珍しい、M家一族の集まりである。私の姑のK子の実家に当る家の子供たち、全称はいとこ会と言ったから、もう3代目、4代目になった人たちの集りと言って良い。私には血の繋がりがないと言っても、かつて姑が嫁いだ家、現在の家に私が嫁いでもう丸52年になる。実家にいた時より長い年月ゆえ、他人も血の繋がりもなくなってしまっている。もちろん、会の人たちの人柄の良さに助けられている。体調の許す限り殆ど出席している。今日も31名の出席者で盛会であった。十月の京都彦根の旅行の写真も綺麗にファイリングされていて、解説の言葉や地図も添えられて、楽しいアルバムになっていた。食事をしながら皆でそれを回し読みをした。旅行には出席せず今回だけ出席という方も居た。飲める人たちはワインやビールを飲んで話し、笑った。
帰りは、出席の娘と一緒に家族と3人で少し銀ブラをして、デパートで来年の干支のウサギの置物を買った。もう来年の話、早いものだ。娘とは地下鉄の改札口で別れた。薬は用心のため1回だけ飲んだ。
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| 2010年11月5日(金) |
| クリニックに行く |
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朝1番にクリニックに行き事情を話した。薬は7月にもらったものは飲んでしまったらしく、慌てて昨年の神経痛時のものを飲んだらしい。昨晩も今朝ももう痛みはなかった。H医師の顔を見ると安心するところもあるようだ。新しい医師H医師は文系の男性で、与謝蕪村の研究をされているうえ、私の本をクリニックの書棚に置いてくれている。処方された食間の薬は真面目に飲むつもり。帰りに調剤薬局にも、拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)を謹呈した。薬剤師は殆ど女性で喜んでくれた。食料の買い物を少しして家に帰り、今度は本格的に眠った。ラジオ生出演で体力は使わなかったが、平素使わない神経を使ったのだと思った。まことにだらしない。小説書きではかなりの苦労をしているのに、決して胃が痛んだりはしない。ひと眠りして起き、テレビのスイッチを入れたら、尖閣諸島衝突事件のヴィデォが流出し、インターネットに流されて、大騒ぎになっていた。国家機密がどうしてこのように流出したのか。管理体制はどうなっていたのか。ヴィデオの映像の凄さに驚くと同時に、ずさんな管理に呆れる。当分この話題は、新聞テレビで続きそうだ。他国がどうであろうと、国際問題が難しかろうと、日本の政府がしっかりすれば良い、と痛感する。しかし、あまりムキになって怒ると、また胃が痛くなるので、冷静になるようにしている。
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| 2010年11月4日(木) |
| 訃報のご家族に花を送る |
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家族がいつもより早く出かけたので、見送ってからまたベッドに入った。最近あまり二度寝をしないが、今日は電話で起こされるまでよく眠った。1件は昨日のFMラジオを聴いたという感想、1件は別の用件であった。FMラジオの感想は、今朝早く携帯メールで送ってくれた人も居た。お家のラジオによく入らなかったので、諦めていたところ、近くに住む娘さんが録音して届けてくれた。それで夜遅くなって聞いて12:00近くにやっと聴き終えたと、送信してくれた。感謝感激である。娘さんにもお礼を、と返信した。
昼過ぎ、特に疲れもなかったので、バス通りの花屋さんに向った。先日の訃報の方にお悔やみの花を送ろうと思った。最近は、さほど近くない場所でも、花は送ることが出来る。先方の住所を書くために、訃報の葉書をバッグに入れていた。花屋の用件を済まし、その足で駅前のスーパーに行って買い物を始めた。2Fの食料品売り場で、あれこれと考えて買う品物を手にしている時だった。突然、胃の差込みがあった。しかし、1度だけでレジの清算も出来て、家に帰った。ソファに座り、休養の体勢に入ったが、バッグの中の訃報の葉書はそのままだった。良い花が届くといいな、などと考えたりもした。夕方孫たちのママから電話がかかり、「昨日のラジオはどうでした?」と言ってきた。「FAX有難う、お陰さまで無事に済みました」と話した。あとは孫の様子を2.3尋ねた。長い電話ではなかったが、切った後また胃の差込があった。以前クリニックでもらった薬を飲んだが、違う薬だったのかあまり効かなかった。家族はまだ戻っていなかった。ふと気が付いて、訃報の葉書をバッグから出し別の場所に置いた。亡くなったご家族には悪いが、喪中の葉書を持ち続けているとマイナスのエネルギーが働くような気がした。私はまだ生きなくてはならないのである。食事は軽くして、そろそろと入浴し、安定剤を飲んで床にはいった。その頃、やっと家族は帰ってきた。事情を話し、「明日クリニックに行きます」と言った。家族は「それがいい」と言った。
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| 2010年11月3日(水) |
| ラジオ生出演が終了 |
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ラジオ生出演は午後5時から7時なので、午前中は普通に過す、朝洗髪をしてブローして、それから洗濯も10分ほどの雑草取りもした。
午後4時25分に家を出て、およそ10分の距離を歩いた。局に到着するとすぐにスタジオに入った。スタジオ内にはキャスターと思われるアナウンサーと進行係を兼ねたミキサーさんがすでに待っていた。スタジオ内に入るのは初めてなので、すこしキョロキョロした。マイクの傍には私の本『明日は晴れる』があり、読み上げるページなのか、シールが沢山挟んである。壁の棚にはCDが山ほど置いてあった。奥の部屋にはもっとたくさんあると、アナウンサーのYさんは言う。
トークの合間に流れる音楽は、私の好きなオスカー・ピーターソン、エロール・ガーナー、そして平原綾香など。(打ち合わせの時、そのことは話しておいた)そのせいか、緊張が少しほぐれ、トークを始めることが出来た。と言っても、ヴォイス・トレーニングをしたプロの前で、何と私の声が貧弱なことか、を感じた2時間であった。鍛えられたプロの聞き手に引き出されて、何とか普段思っていることを話すことが出来たけれど、1番大切なこと、この出演のきっかけともなった『明日は晴れる』(冬花社刊)の宣伝が殆ど出来なかったのは残念であった。商売上手ではないのだろう。どうも「買って下さい」と言いにくい。終ってからつくづく駄目だと反省した。しかし、思いがけず、平素何気なく交わしている孫との会話が役に立った。
リスナーからのFAXに、
「庵原さんにとって、人生とは」
という質問があったが、ラジオなので考え込んで間を作ってはいけない。そこで、この夏、下の孫と交わした会話を思い出し、
「この夏、私が七夕飾りの短冊に、『孫たちが良い人生を』と書いた時、ママが下の孫に『人生って何か分かる?』と訊ねた。3年生の孫は即座に、
『人が生きること』
と答えた。子供の直感的な答に感心した」
と話した。ヴェテランのアナウンサーは、それをすぐに受けてくれて、
「なるほど、人が生きること、素晴らしい答えですね」
と話を発展させてくれた。小説書きは常に思索をしていかなくてはならないが、ラジオは直感的な会話が生きてくる。そんなことを考えさせられた。無事に放送が終わり、
「今日は良い文化の日になりました」
と言われたときはほっとした。録音したCDは後に送ってくれるそうだ。また家まで10分歩いて帰った。(写真はFMかまくらのスタジオ内で、筆者)後日他の写真はPICTURE欄に載せる予定。
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| 2010年11月2日(火) |
| 訃報のお葉書 |
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午前中は、明日FMかまくらに生出演することで、あちこちに連絡をして忙しかった。話が来た時は、家族や息子、娘一家ぐらいしか知らせまいと思っていたが、だんだんと、たとえ恥を忍んでも知らせた方が良い、という気がしてきた。本などと違って、その瞬間、その時間だけに放送される声は、後に残るものではない。録音が出来るとしても、生の声とは違ってくる。結局、最近親しくしている人たちで、82.8MHzが入る場所に住む人たちにはお知らせした。メールも送信した。そんなことで時間が経った。
午後少し眠った。疲れて風邪を引いて声が出なくなるのも困る。最近、年のせいか私の声はどんどん低くなっている。書くことでは、ますますお喋りになっているのに、声を出すお喋り、特にマイクの前などは、とんとご無沙汰である。従って声の力はどんどん落ちる。
夕方、近くのスーパー往復を歩いた。帰ってきて郵便物を郵便受けから取り出し、居間の机の上に置いた。無意識に自分宛のものと家族宛のものを分けたように思う。それから夕食のハヤシライスを拵え、帰ってきた家族と食卓を囲んだ。それから居間に移って郵便物を良く見ようとした時、家族の方に分けたものの中から1枚の葉書がこぼれた。先ほどは気が付かなかったものだった、宛名は家族と私の2人名前になっている喪中のお知らせだった。差出人は、若い頃からずっと親しくしていた友人で、亡くなったのはそのご主人であった。まだ70代はじめで、奥様のご病後を助けて、検診の日はいつも辻堂から大船まで車を走らせていると聞いていた。ご病人が残り、お元気だった方が発病3ヵ月で急逝されるとは何と皮肉なことか。亡くなられた方は家族の後輩にも当たる方で、2人して大きなショックを受けた。心からご冥福を祈りたい。
夜、娘より電話があった。(写真は慶應義塾大学旧図書館前に咲いていた花。蘭の一種と思われる)
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| 2010年11月1日(月) |
| 鎌倉FM放送へ打ち合わせに |
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今日から11月である。今年も残り後2ヵ月になるのだが、あまり実感がない。暑い夏も長かったし、その後の天候も不順のせいか、季節感が鈍くなっている。
午前中は家事とデスクの仕事で終る。月曜はやはり忙しい。疲れが溜っているというよりは、全体的に体が軽々と動かないという感じである。それでも、朝食の片付けや洗濯をこなし、コンピューターに向った。三田文学の100年展についての日記を書いた。別の文として100年展の感想は書くことになっているが、それはまたのお楽しみである。
少し落ち着いて、デスクに座りたい。これは本格的に小説を書くという意味で、日記やエッセイとは違う。素材も構成もタイトルもすでに決っているのだが。
今日は午後鎌倉FM放送に打ち合わせに行かなくてはならない。FM局は家から近いので助かるが、慣れない仕事なので、少々気が重い。しかし、実際に足を運び、先日お電話を頂いた方にお会いしてみると、さすが元ニッポン放送で仕事をしていた女性とあって、人を逸らさない対応力があり、感心すると同時に安心した。これなら本番中任せられそうと思った。気に入りの音楽CDを3枚持参したが、その音楽的な傾向もすぐに理解してもらえて嬉しかった。
家に帰って間もなく家族から電話がかかり、少し遅くなると知らされた。
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| 2010年10月31日(日) |
| 日曜日も工事関係の車が |
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ミサに行く。子供たちのためのミサが行われていた。他の教会からの子供たちも参加していて、いつもより子供たちの数は多かった。ミサ中の聖歌はすべて子供用で可愛らしいメロディであった。神父も、お話の時間、笑顔で子供たちと向き合っていた。ほのぼのとした気持ちになったが、一方では孫たちのことを思い、心配も湧いた。あまり押し付けるわけにもいかず、遠くで祈るしかないと思った。
家に戻ろうと、いつもの路地に入った時、日曜日なのに、工事の車が4台も停まっているのが分かった。これまで、ウイークディは建築の各業者が来て、車を停め工事をしていたが、さすが日曜日は来ていなかった。すでに足場は外して内装にかかっているようだ。工事か追い込みに入っているのは分かるが、いささかカッと来た。家に戻り家族にその旨を話し、2人で一緒に裏奥の工事現場に出向いた。そして、
「今日は日曜なので、車を出したいと思う。それにして、日曜までこんなに沢山車を停めるのはどうかと思う」
と抗議した。車は出る時もあるが、入る時(帰ってくる時)もある、などみもう少し細かいことも付け加えた。ここ4ヵ月の不満が溜っていた。1番大きな車の所有者が、出てきて、すぐに車を退けると言った。やっと路地が空き、しばらくして家族と2人で車を出した。久しぶりの運転は快適であった。帰りもまた、路地を塞ぐ車があるかと案じたが、幸い1台も停まっていなかった。車だと買出しが出来て、重たい思いもしなくて助かる。それにしても、マイ・カーをを出すだけでこんな思いをするなんて!
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| 2010年10月30日(土) |
| 三田のシンポジウムと創刊100年展 |
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台風が関東地方に上陸するかしないか、という報道を後ろに聞いて家を出る。レインコートに傘という完全防備の出で立ちである。いったん覚悟をしてしまえば天気もさほど気にならない。田町駅から慶應の会場まで約10分歩くが、傘が飛ばされることもなく到着した。S.F代さんにも無事に会えて隣りに座った。
今日のシンポジウムは詩人西脇順三郎についてのお話と、詩の朗読とプログラムにはある。講師は新倉俊一(としかず)氏。そして朗読は俳優の石坂浩二氏と豪華な顔ぶれである。天候のせいか少し空席が目立つ。こんな時に参加して良かった、という思いになる。
「今日は、日本の近代史の夜明け、ということで話す」
と新倉氏は切り出す。西脇氏の主要な作品は、殆ど三田文学誌に発表されたという。平成6年には生誕100年を迎えている。お話の後、1976年9月の、西脇市の映像が披露された。白黒の映像で音声はないが、その多摩川での映像には余人にはない思いの深さと温かみ、そして威厳を感じた。
続いて対談と朗読があった。石坂浩二氏の朗読は若い頃ヴォイス・トレーニングをしたというだけ、声の響きが良く、間の取り方などさすがであった。目下、千利休役を演じているとのことで、いつもの髪形ではなく坊主頭になっていた。西脇氏も石坂氏も絵を描く、という共通点がある、と対談者の宇沢美子(慶応大学教授)氏が話していた。
ホールでのシンポジウムが終って、一同は、旧図書館内の2階の100年展開場へと移動した。展示物にはそれぞれ主催者の愛情が感じられた。そのことが最大の印象である。詳しいことは別紙に書くので、ここでは書かないでおく。懇親会場は生協の食堂であった。S・F代さんと赤ワインを飲んだ。しかし、2人とも空腹だったので、食べ物が並ぶテーブルに向った。日暮れて帰る頃には、雨風はかなり弱まっていた。電車が遅延することもなく、無事に家に着いた。
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| 2010年10月29日(金) |
| 三田文学100年展のこと |
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ずっと雨かと思っていたが、思いがけず晴れた。台風は遅い速度で進んでいるらしい。四国も大丈夫そうだとひと安心して、家にあるラジオのスイッチを入れ、鎌倉FMにダイアル合せをする。周波数は82.8。横浜FMなどに近い周波数である。しかし、なかなか綺麗な音が入らない。アンテナが鈍っているのか、手で掴むと良い音が入る。そんなことを繰り返しているうち、面倒になってスイッチを切ってしまった。いつもは車の中で聴いているから、家族が帰ってきたら、車で走りながら聴いてみようと思った。なお、昨日電話をくれた人の話では、録音したものをプレゼントすると言っていた。家族が聴かれない場合は、それで聴くことができる、とひと先ず安心した。
午後になって、二階で仕事をしていると、電話がかかった。三田文学の加藤編集長からで、明日の三田文学のシンポジュウム、詩(西脇順三郎)の朗読会、三田文学誌の100年展の感想を書いて欲しい、とのご注文だった。謹んで書かせていただくとお答えした。
ちなみに、台風がさらに接近するさなか、家族から無事に羽田空港に到着したと電話が入ったのは、午後8時過ぎだった。「飛行機、揺れましたか?」の質問に、「いや、それ程でもない」という返事にいささか拍子抜けをした。明日の関東地方は1日中雨風強く、大荒れとのニュースだったが、感想を書く仕事が入ったので、傘を差し、レインコートを着て行く覚悟が出来た。なお、奄美大島の二次被害はさほどなかったようだが、もし被害があった方々には、心よりお見舞いを申し上げる。
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| 2010年10月28日(木) |
| 台風接近のニュースのなか |
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台風接近のニュースが流れている。沖縄や先日水害のあった奄美大島付近をかすめ、九州四国、本州の太平洋沿岸を通るコースが報道されている。その最中に家族が四国に出張に行く。往復飛行機というスケジュールなので、留守番するものは気が気でならない。しかし、あまり心配するとこちらの身が持たないので、日常の仕事をすることに切り替える。12月の忘年会をかねた昼食会の第1候補の店が駄目になり、急きょ探したところ、第1よりもはるかに良い店が見付かった。電話番号も分かり、無事予約が成立した。そもそもこの店の情報は、教会の広報の手伝いをした時に小耳に挟んだもので、キリスト教徒の言葉で言えば「神様のお引き合わせ」ということになる。仏教では「縁」という言葉になるのだろう。ともかくほっとした。
電話の後、手紙を一通書いた。それを持って雨のなか郵便局に行った。雨の日のポスト投函は、濡れる恐れがあるのでしない。特に万年筆書きの封書、葉書は文字が滲む恐れがある。投函の後スーパーに寄って帰る。家族は無事四国に到着したと思われるが、明日のフライトもまた気になる。そんな夕方のひととき、電話のベルが鳴った。先日のタウンニュースの記者からで、鎌倉FM放送から「先日の記事を見た」と問い合わせがあった。電話番号を教えて良いかと聞かれた。かまわないと言って切ると、しばらくして鎌倉FM放送から電話があった。11月3日(水 祭)の夕方の番組に生出演して欲しいとのこと、少々戸惑いはあったが、拙宅とその局とは歩いて5分の距離なので、OKした。すぐに『明日は晴れる』の出版元の本多順子さんにメールでお知らせした。
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| 2010年10月27日(水) |
| やっと普通の日に |
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忙しい1週間だったが、やっと家に居る普通の日になった。出かける日の方を普通と思う人も居るだろうが、私はいつのまにか家に居る日を普通と思うようになっている。主婦精神、主婦根性というものか。
それで、というわけではないが、今日は、ここ数ヵ月やらなくてはと思っていた、「ホームページビルダー最新修正プログラム」のインストールを行った。と言っても、サポートセンターに電話をして、やり方を教えてもらいながらインストールした。
ホームページビルダーを終了する時、時々「問題が発生いたしました」のウインドウが出る。そのまま放って置いても終了は出来るが、何となく良い気持はしない。何かが不十分、不都合なのかと気にする。「問題が発生」する度ずっと気にしていたが、パソコンのトラブルばかりは、やたらにいじるとまず失敗する。こちらのコンディションが明らかに反映するからである。ともかく慎重が第一なのである。電話に出たサポート担当のKさんという男性が親切に教えてくれた。もっともこちらも真剣に聞いたし、僅かながら知識と技術がある。電話を通しての質問と聞き取りは、総合的なもの故、なかなか難しいのである。少しノートにメモを取った。しかし、これから1人でやれるかどうかは分からない。ともかくほっとした。
外出は、ご近所に拙著を届け、その帰りに近くのスーパーに寄ったのみ。家族の帰りは早かった。
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| 2010年10月26日(火) |
| 小雨の銀座 |
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歌謡曲のタイトルのような表題だが、今日は東京銀座4丁目の角で、昼食会の友人たちと待ち合わせをした。小雨が降っていた。しかし、情緒的な感じはなく、人で一杯であった。四つ角の風景を見ているうちに、銀座が好きだった母を思い出した。麹町の家からよく銀座へ買い物に出た頃の母と、父の介護で殆ど銀座に出られなくなった母と双方を思い浮かべた。甘さも苦さもある銀座だが、たまに来るのも良い。脳が活性化される。平日だったが、リニューアルをしたこともあって、その角は人で溢れていたので、着いた時は少々まごついた。しかし、決めた時間には早く、エスカレーターに乗り、売り場や上階のテラスを見学した。上階の屋外テラスには椅子などあり休めそうであったが、1歩出たら強い風に吹かれた。すぐに屋内に戻った。本館と新館があって、帰りは少しだけ道に迷った。通り抜け出来る階と出来ない階があると知った。始終来るわけではないが、覚えておくのも良いし、記憶力の訓練にもなる。ただし、まだ全部覚えたわけではない。
やっと友人全員が揃って、Nという野菜づくしの店に行った。このところ野菜ばかり食べている上に、さらに野菜の店で食事というのも、なにかの因縁か。前菜やメインディッシュの後の野菜のお寿司も、まさに野菜が乗っていた。芽葱や茄子の乗ったものだ。芽葱からは、本物の葱らしい良い香がした。来月11月の集りは飛ばし、12月に忘年会をすることに取り決め、また都会の雑踏の中に出た。
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| 2010年10月25日(月) |
| 昨日の大会旗の行進 |
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昨日の日記で、連合三田会の大会旗の写真を挿入し損ねた。編集をしなおすと文の部分も消えるので、そのままにして、写真は今日載せることにする。ご了承願いたい。この大会旗のすぐ後ろに松岡修造氏が続いていたのだが、旗に気を取られ、写真に収めることは出来なかった。残念!
さて、今日は休養のマンデーとなっているが、朝からお掃除のMさんが来る。明日は用事があるので日にちを変えてもらった。人が来ると楽が出来そうだが、そうもいかない。何となく昼まで動いてしまった。働く、と書かず、動く、と書くが、その辺が微妙である。大忙しではないが、気配りその他があって、休息にはならない。ウロウロしているだけで疲れる。家に引きこもると、刺激がなくてボケる、という人も居るが、外出ばかり続くのも困る。疲れが取れる間がない。人によっては、外に出るほどに元気になると言う人も居るが、私はそういうタイプではない。休息をしながら、どこかで自分と向き合うひとときが欲しいのである。静かにものを思うと、自分が置かれている客観的状況も見えてくる。そしてものを書く。苦しくて辛いのだが、この姿勢が1番安心できる。業、と言うべきか。宿命と言うべきか。外に居て、早く家に帰りたい、と思うのはそんな気持の要求からなのである。
午後は美容院に行き、また鏡前の雑誌を読んだ。
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| 2010年10月24日(日) |
| 連合三田会へ |
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昨日、娘から電話がかかったことで、今日は休み1人留守番をするはずだったのが、急きょ家族と日吉の会場まで行くことになった。帰りに会場近くの娘の家に寄る約束をしたからである。最近はなるべく、外出の用事が2日続かないようにしているが、成り行きと家族の気持ちで仕方がなかった。
今年の秋の連合三田会は、元プロテニスプレイヤーの松岡修造氏が大会の進行役をするとのことで、その人気もあって会場はすでに満員であった。大会の入場券に抽選券が付いているが、大きな賞品はこれまでに1度も当ったことがない。人に聞くと、これは宝籤並みの当選確率だという。ともかく参加することに意味がある会なのだが、年々こうした大人数の会が苦手になってきている。わが町の鎌倉三田会も芝生の中に席を取ってあって、そこ一角に座らせてもらい、お弁当を買っていただく。空いている列に並んで買ったのが、何とステーキ弁当であった。このところ野菜ばかり食べている私に、老舗Sの肉の味は美味であった。家族や娘は、私の3倍の時間をかけて並んだオムライスを手にしていた。卵の味も、かけてあるトマトケチャップの味も良いと言っていた。家族はかつての学友やお仲間に会い、挨拶を交わしていた。私は神奈川通信三田会の幟のそばに行き、会長の吉浜さんらに挨拶をした。一緒に写真を写してもらった。
午後からは、松岡修造氏らが先導するパレードを見て、大会旗の写真などを写し、その後グランドの奥でコーヒーを飲み、それから会場からは北に当る娘の家に行った。しばらくして帰ってきた婿殿と1時間ほど過して、家路に着いた。
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| 2010年10月23日(土) |
| かまくらシンフォニエッタ 秋のコンサート |
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音楽会には良い季節になった。友人にティケットを頂いたので、かまくらシンフォニエッタ、秋のアフタヌーンコンサートに友人のH.M子さんと行く。場所は大船の鎌倉芸術館3階集会室である。この芸術館にはこの他、大ホール、小ホールなどがある。3階集会室は100人余の席が満席であった。ここは演奏者との距離が近く、指揮者(松田義生)や、各演奏者との距離が近く、生の音楽を楽しめる。私の席からは友人のヴァイオリニストの手元も良く見えた。最初の曲目は、モーツアルト 交響曲第31番「パリ」、次は、シューベルトのポロネーズ。休憩後は、「日本の歌」の数々が編曲演奏された。さらに、曲目が「シンコペイテッド・クロック」
になると、ティンパニー奏者と指揮者との意気の合致が感じられて、音と共に暗黙の呼吸の掛け合いを察し、楽しんだ。いつも何となく耳にしている音楽であったが、オーケストラの中での1人1人の集中力は大変なのだろうと感じられる演奏会であった。そんなことを考えて、作家的好奇心も満たされるひとときになった。
夕方、娘より電話、その後、息子の奥さんからも電話が入った。どちらの夫婦も、孫たちも元気にしているようだ。
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| 2010年10月22日(金) |
| 手洗いの洗濯をしながら |
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午前中、手洗いの衣類3枚を洗濯した。天気が良ければよく乾くし、クリーニング代の節約にもなる。気候の良い時は出来るだけ手洗いをする。余所行きのブラウスなどは、丁寧に洗って大切にしていきたい。ものを書いていると、絶え間なく、ああしよう、こうしようと考えているから、頭は比較的ボケにくいが、外見を磨く時間が不足する。格好良く書けばこういう表現になるが、はっきり言ってみっともない外見になっていく。外見と内容は全く別かというと、そうも言えない。少なくとも、人に不快感を与えるようにはなりたくない。秋も半ばになり、秋の行事も多くなり、人に会う機会が多くなっているから、こんなことを考えるのか。老いを強く意識するようになったのか。髪を振り乱して通信教育大学のスクーリングに通っていたこともあるが、あれからもう20年になるから、諸事情も変っている。女性の平均寿命も延びた。ともかく自分のことは自分で考えるしかない。雀百まで踊り忘れず、とは、よく言ったものだ。それには先ず、怠けないこと!しかし、睡眠時間も大事である。そんなことを手洗いの洗濯物を干しながら考えた。
今日は午後、『明日は晴れる』の出版元である冬花社さんと、私の友人をお引き合わせした。1時間ほどで用件は済んだ。帰ってから、また蒸し野菜を拵えた。
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| 2010年10月21日(木) |
| 日記の内容とお財布の中身 |
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今回、「あんばら庵」の日記2400日分を書籍化したことによって、さまざまな反響があった。その反響の1つに、著者の私を、
「お金持だなあ」と思いました、というFAXがあった。その友人は、横浜市で一軒家を持ち、平均的な暮らしを立て、文化活動もしている人である。
「うーん」と、唸る気持ちになった。文体がどうの、誤字脱字かあった、中味が退屈だ、などと言うご意見なら、反省のしようもあるが、わが財布の中身ばかりは、良くても悪くても変えようがない。スーパーやデパートの買い物もほぼオープンにしてきたし、美容院やエステのことも書いてきた。そんなところで支払いが出来るご身分なのですか?と言われれば、「そうですね」と答えないわけにはいかない。
しばらく考えた。数日間考えたかもしれない。答えは2つほど浮かんだ。
1・ ここ数年、私は内心がんの再発を怖れ、免疫効果を高めようとしていた。
2・ 物書きの生きている間の数々の体験と、デスクでそれらを言葉で表現する行為との間には、大きな差と矛盾がある。
という大テーマがある。
であった。
1.については、わが執刀医のN医師が、「少々の無駄遣いをしても、それで気分が晴れるなら、薬代よりも安い」と教えてくれたからである。と同時に、「好きなことはどんどんやりなさい。それが体に1番良い」と言ってくれた。好きなことをやる。それは簡単なようで簡単には出来ない問題がある。経済問題、周囲の理解など、時間の遣り繰りなどなど。さらに我々の世代には、自分を殺し、我慢をし、人に尽くす習性がある。そんな自分を、退院を機に振り払って生きた。少なくとも生きようとしてきた。幸い、若い頃下積み生活が長く、苦労した家族の仕事に定年がなく、僅かだが収入がある。という点で、私の日記は進行した。確かに、明日の食べ物も案じられる状態で、日記が書けたか、というと、「うーん」と唸るより仕方がないのである。
2.の問題も、1.に繋がっているが、もっと全文学作品に対して言えることだ。例えば、大岡昇平氏の戦争体験作品「野火」を頭に浮かべてほしい。飢餓と敵の襲撃の恐怖を抱えながら、日本人1兵卒が、フィリピンの山中を彷徨う話であり、感動の名作でもある。作者の実体験と言われている。
しかし、この作品は、作者が無事に日本に帰還し、戦後の厳しい環境であったとしても、デスクと紙(原稿用紙)とペン、そして書く意志と行為があったから、完成した作品なのである。その間、どうやって衣食住を確保したか、不自由さに耐えたか、は測り知れないものがある、と思っている。文学作品は、この両者が相まって完成するもの、というのが私の持論である。
文学作品に比べて、日記には体験とデスクとのあいだに距離がない。従って、お財布の中身を探られることにもなる。痛し痒し、だが、私はいつも、経験や感受したものを言葉で表現する、このデスク前の環境、「マイタイム オン マイデスク」を確保しようと闘っている。
今日は午後、K.S子さんと洋裁師のTさんを訪ねた。大船のルミネの地下のスーパーに行き、そこでまたわがお財布を広げた。さて、その中味は?
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| 2010年10月20日(水) |
| amazon で本を1冊買う |
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平均月1回行く美容院では、鏡前の雑誌を色々と読む。その中で本の紹介欄があると必ず読む。時に新聞の読書欄よりも、丁寧で分かりやすいことがある。一昨日も、美容院で手にした雑誌の読書欄の紹介本が目に留まった。美容師にメモ用紙をもらい、タイトルと作者名、それに出版元を記した。図書カードがあるから、書店に頼もうかと思ったが、その方法だと手元に届くまで1週間はかかる。家に帰って、コンピューターを開き、インターネットで検索した。すると、amazonのサイトに本のタイトルはすぐに出て来た。そこにはお急ぎだと翌日、普通配達でも2日後とあった。早く読みたかったので、図書カードは使えないがこちらの方法にした。その本が今日届いた。まさに2日後であった。とても嬉しく表紙のデザインを眺め、なかの活字に目を走らせた。小説の資料としても役立つ本なので、ここにその本のタイトルは書かないが、インターネット書店の迅速さには感動する。
今日はその本を持って電車に乗って買い物に出た。本は翻訳物で、明朝の活字に斜体字も混じる読み出しで、車中の揺れの中ではいささか読みにくかったが、第1章は読んだ。買い物は衣類を少し買った。帰りは雨になった。家族の帰りは早く、買ってきた食料とビールでの夕食となった。
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| 2010年10月19日(火) |
| 教会の広報、印刷作業の手伝いに |
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朝は、近くのクリニックに行き、先日の検査の結果を話した。ところが、急いでいたせいで、S病院でもらったデータの紙を家に忘れてしまった。それで数値のやや高かったものは、口頭で話した。次のときは持って行かなくてはならない。血圧は正常。体重も蒸し野菜のせいか、ほんの少し減っている。
いったん家に帰り、数日前、メールにて連絡のあったカトリック教会広報の印刷作業の手伝いに行った。と言っても、大きな印刷機でのプリント作業は、他の方がやって下さり、私はその紙を2つに折り、ページ数を合わせて完成させる仕事を担当している。先月は、こちらの用事に取り紛れて、日にちを間違えてしまったので、今日は必ずと思い出かけて行った。場所は司祭館の一室、作業に来ているのは平均5.6人というところで、男性が1名、あとは女性である。女性の責任者と思われる方は、元銀行員とのことで、てきぱきと仕事をこなしている。コンピューターと連動した印刷機、そしてコピー機も操作している。家で少しはコンピューターをいじる私だが、数人で行うこのような作業は経験がないので、機械は触らないようにしている。しかし、折ってまとめる仕事も大切なので、手は抜かないようにしている。折り目には、コルク製の丸い小道具を使う。機械で印刷されたものが出来上がる。活字だけでなく、写真もある。写真はなかなか良く印刷される。熱が冷めた状態の紙をきちんと折っていく。右側のページ番号が、1.3.5.7と合ってくれば、2つ折の広報は出来上がりとなる。
あっという間に2時間が経った。今日は機械のトラブルもなく、早く出来た、と皆が言っていた。その後食事にと誘われたが、家に蒸し野菜が用意してあるので、体のためにそのほうが良いと思い、失礼して家に帰った。遅い昼食に食べた蒸し野菜は誠に美味しかった。
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| 2010年10月18日(月) |
| 「虫のいろいろ」と、蒸し野菜色々 |
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引き合いに出して申し訳ないが、 「虫のいろいろ」という作品は、文化勲章受章者、故尾崎一雄氏の名作だ。私は高校生の頃、この作家の作品に感激し、文通していたことがあるので、作品への思い入れは深い。
と言っても、今日は健康管理の話をする。午前中に、ダイエットも含めた健康管理のため、万能フライヤーを使って蒸し野菜を色々と作り、冷ましてから保存容器に入れた。冷蔵庫に入れておけば、いつでも副菜として使用出来る。先日もテレビで、鎌倉在住の料理研究家、辰巳芳子さん(85歳)がやはり蒸し器で蒸し野菜色々を拵えて、若い人たちに指導していた。若い人たちの食の摂取体制が壊れてしまっているとコメントし、案じていた。同感である。
と言っても、私は今、自分の食生活の管理をしなくてはならない。いつも気を付けている、と言っても、この夏は猛暑に参ってしまい、買い物には電車を使い、心ならずも歩数を減らしてしまった。そのツケが検査の数値に現れた。暑さに負けたようで悔しい気持ちだった。しかし、熱中症の注意もしなくてはならず、仕方がなかった。体調がいまひとつはそのせいか。
気分転換に美容院に行ったが、それも疲れた。ストレスについても考えている。読書、創作への満足感がないことも原因のひとつか?雑用、雑念を早く退けて打ち込みたいと考えている。優等生の主婦ではなく、変人の主婦になりたい。
夜、家族と体調、心理面の話を少しした。それでも、「蒸し野菜色々」、は今日の収穫、前への第1歩であった。
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| 2010年10月17日(日) |
| ミサに行くが、体調はいまひとつ |
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日曜のミサに行く。キリスト教には縁のない方のために書くが、ミサはおよそ1時間かかる。ミサの始まりから福音までおよそ20分、それから昔は「お説教」と言った神父のお話が10分前後あり、その後は聖体拝領のための祭儀が進行する。折々に聖歌が奏でられ、ソロとコーラスが入る。子供の頃から、母親に連れられて教会には来ているので、その1時間の進行に従って、立っ時、座る時、膝まずく時のタイミングは習得している。頭よりも体で覚えている。最後に祭壇に向かって歩き、神父より聖体拝領をして席に戻る。膝まずいて頭を下げ、拝領の行列が終る頃に着席する。ミサの終りが近付くので、安心感が湧く頃でもある。
私が言いたいのは、この1時間でも、体調の良い時と悪い時があり、あっという間に終ったと感じる日もあれば、とても長く感じられる日もある、ということだ。神父の話にはその日その日の変化はあるが、段取りは全く変らないので、疲れを知るバロメーターにもなっている。
この夏が暑かったせいか、その疲れが残っているせいか、私が年を取ったからか、最近この1時間が重く感じられる時がある。ミサに授かる(という表現を信者はする)と、義務を果たした気持ちで安堵するのだが、祈りもまたエネルギーを要する。信仰が薄いから、と言ってしまえばそれまでだが、現実の心身は日々衰えていく。こらえ性も無くなっていく。
帰宅してからも、体調は回復しなかった。昼食は、モロヘイヤの入ったうどんに納豆で、健康食であった。午後少し眠った。目覚めて家族と駅前まで買い物に行ったが、足運びはいまひとつであった。夕食にキャベツのせん切りが無性に食べたくなり、包丁使いの上手な家族に皿いっぱい切ってもらい、和風ドレッシングをかけて食べたら、少し元気になった。
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| 2010年10月16日(土) |
| 「三田文学」創刊100年展と、同封のブックカバー |
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昨日、掲載作品、「盂蘭盆会」の感想を書いたが、この三田文学が届いた折、特製のブックカバーが同封されていた。添え書に、「創刊100年記念、三田文学オリジナル ブックカバーを作成した」とあった。お洒落なデザインで、布製なので手触りも良い。読書の秋に使わせてもらうことにする。
なお、「三田文学」創刊100年展は、10月25日(月)から、11月7日(日)までの期間、港区三田の慶応義塾図書館旧館 大会議室で行われる。もし、100年間の全三田文学が並んでいるとしたら、私の作品も名前も見付かることだろう。ご来場を乞う。
さて、今日の私はゴルフウイドウである。10月はこんな日が多い。良い気候になると各種の××大会と言うものが行われるようである。良い天気なので庭仕事をしたいところだったが、腰を痛めるので止めて、電車で藤沢に行った。途中、七里ガ浜、江の島近辺の海が見えた。大抵は車を走らせるが、この海岸線は通らない。たまには電車ものんびりして良い。デパートの化粧品売り場で、最近届いた葉書とキーホルダーを交換してもらった。家族が新しいキーホルダーを欲しがっていたが、デザインは女性向であった。私が使うことにしようか、などと考えながら、別のデパートに移動した。
最近は野菜の値段が高騰している。しかし、猛暑のストレスで増えたコレステロールや中性脂肪の数値を下げるためには、野菜を多く摂取しなくてはならない。値札を見ながら、新鮮などじょういんげん、牛蒡、人参などを買った。電車が込むので早めに帰った。
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| 2010年10月15日(金) |
| 三田文学秋季号 第103号 |
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三田文学秋季号は届いたばかりで、全部には目を通していないが、戯曲を1作、小説を2作読んで所だ。
その中では、大濱普美子さんの「盂蘭盆会」が面白かった。松本智子さんの「夏の露」は、以前のものと連作になっているので、この作品だけの感想は控えておく。「盂蘭盆会」の特徴は、主人公が、姉、義兄、姪の3人を愛しているところにある。3人は学究肌で、二階で、
「頭脳を精密機械の歯車のように、カタカタと音を立てて回している」
と書いてある。主人公は独り階下の台所に居るのだが、それに対する僻みや憎しみが書かれていない。我々の世代、戦前の女たちなら、そこに従属的な屈辱感を感じることもあるだろうが、主人公は淡々と自分の仕事をこなしている。老いて寝たきりになった姉の、きつい介護ですら、着せ替え人形のような自虐的な遊びをするシーンがあるとは言うものの、どこか夢物語のような印象を覚える。小説が、すでに亡くなった二階の3人を供養し、魂が戻ってくると言われる「盂蘭盆会」の日から、始まっているところに、この仕掛けとやや幻想的な文体があるようだが、読者は丁寧で克明な言葉に引き込まれる。少なくとも、私はこの小説の世界に誘われて読了した。久しぶりに、三田文学で面白い小説を読み、感動を覚えた。
晴れの日が続くので、夕方庭の水遣りをし、その後裏に回って、車庫の車を洗った。土日に乗るかもしれないと思って。その後、近くの酒屋さんにビールを買いに行った。
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| 2010年10月14日(木) |
| 絵硝子湘南句会 |
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いつもの句会だったが、和田先生が犬の散歩の折、お怪我をされたとのことでお休みであった。代りに村上有秋さんが、まとめをして下さるとのことで、会場に出向いた。それでも出席者は8名。投句者が2名で、合計50句集った。私は、京都、彦根の旅を終えたばかりなので、その時の句がすでに5句出来ていた。代役の村上氏は、旧「あんばら庵」に書いた、鎌倉の拙宅近隣の俳人、故宮脇白夜氏に長年師事なさった方で、宮脇氏の死後、この湘南句会に参加されている方だ。村上氏のお陰で句会が滞りなく済んだ。しかし、和田先生の容態が心配である。私とほぼ同じ世代だが、軽い骨折でも年齢的に回復が遅いのである。会場の階下の食堂で軽いランチを取りながら、今後のことなど、皆で話し合った。私は昨日のS病院と2日続きの外出なので、体力気力乏しく、あまり意見を言わなかった。 点の入った句を記す。ご笑覧を。
店々に 栗の和菓子や 京の旅
カメラ手に 無月無富士の 東海道
直弼の 家に色なき 風微か
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| 2010年10月13日(水) |
| 検査の結果は無事だったが |
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東京港区のS病院まで、先週の検査の結果を聞きに行った。担当のK医師は患者1人1人と丁寧に接しるので、いつも予約時間をオーバーして名前を呼ばれる。(最近は、入口に番号が表示される仕組みになったが)待つことを覚悟して行ったのだが、今日はその覚悟を超えるほど待たされた。幸い、届いたばかりの「三田文学秋季号」を持って行ったので、退屈はしなかったが、あと1人というところで、診察室に数人の家族も呼ばれる患者さんになってさらに待った。すでに準備をして、三田文学はトートバックの中に仕舞っていた。そのまま15分ほど待った。
K医師にはすでに拙著『明日は晴れる』を送ってあったが、S病院の図書部に別に1冊持って行った。患者さん方が読んでくれると良いが。タイトルだけは患者さんに向いていると自負している。
「検査の結果に大事はないのですが」
と言われた後、中性脂肪などの数値が上がったことを知らされた。猛暑の影響である。家ではエアコンを付け、駅までは炎天下を口実に歩かず、買い物をするのに江ノ電ばかり乗っていた。要するに運動不足だった。そんなことを言い訳がましく話した。次の検査までは減らすことにしよう。
その後K医師から、「手術して、今月で12年9ヵ月ですね」と言われた。もう自分でも忘れている年月だ。そう言ってくれて嬉しかった。帰る時、会計でまた待たされた。やっと開放されたのは午後1時であった。空腹で、田町駅まで歩く元気もなく、タクシーに乗った。しかし、田町駅周辺で昼食を取る気にならず、頑張って横浜駅まで電車に乗った。
帰ってきて、夕方またエクササイズをした。
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| 2010年10月12日(火) |
| やっと普通の日に |
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やっと普通の日になった。つまり、ウイークディとして家族が出勤し、私が家に居る、というかたちになる。しかし、家族には、今のところ定年がないので、こうなっているが、そうでない主婦の友人は多く居る。どちらが良いか悪いか、一概には決められない。働き続ける人も、そうでない人もそれぞれに1日を送るのは大変なのだと思う。さらに自分のことを言わせてもらえれば、留守番の主婦も大変なのである。ひとりで気楽かというとそうでもない。近所の工事の人と挨拶する時もあるし、訪問販売の人とインターホーンで話すこともある。コマーシャルの電話の応対も日に数本はある。知らない人に、甘く見られるほど優しい態度も出来ないが、相手を怒らせるような硬い態度も出来ない。要するに気を付けて生きているのである。文学的に言えば、そんな時は孤独なのである。家族が居れば人数としても心強い。
しかし、少し疲れている時などは、ひとりが良い。先ず第一に喋らなくて済む。よく、長時間だれかと喋らないと変になる、という人が居るが、私は疲れるほど無口になる。無理して喋ると軽い吃音がひどくなる。自律神経が疲弊するのだろうか。
そんなわけで、今日は休養の日だったが、お掃除のMさんが来た。「疲れている」と話したが、仕事の内容を話さなければならず、実際には黙っているわけにはいかなかった。午後ひとりになってから、少しだけボーっとして鋭気を蓄えた。それからクリーニング店を往復して用を足した。その頃から元気になってきた。夕方、Wiiフイットのヨガをやったところ、いつも難しくて点の取れない、三角のポーズで左右合計100点を取った。長年朝型だった私だが、最近は何故か夕方から元気になる。不思議なものだ。
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| 2010年10月11日(月) |
| 「カエサル」 ーローマ人の手紙よりー |
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連休の最後の日、やっと秋晴れになった。
家族と2人で、日生劇場のマチネー、「カエサル」松本幸四郎主演、を観に行く。いつもの演劇研究会OBの方々14人とご一緒である。原作は塩野七生のベストセラー、『ローマ人の物語』(新潮社刊)。家族は塩野氏の本が好きで旅行などに持参するし、娘はギリシャの話に詳しいが、私は世界史にあまり強くない。予備知識を蓄えるひまもなく、家族と共に、家を出た。開演は12時で、賑やかな会食はその後になる、と連絡をもらっている。劇場は宝塚劇場の隣りにある。この劇場は初めてか、と思ったが、昔、親友のK子さんと「ミス・サイゴン」を観に来た覚えがある。K子さんが亡くなって早や10年だから、何年前になるだろう?忘れていても可笑しい年月ではない。OBの先輩Mさんに取っていただいた今回の席は、何と最前列であった。出演者の殆どはローマ人独特の長い服を着て登場するので、そのつど埃が舞い上がり、ハンカチーフで鼻を押さえるという有様だった。しかし、主演の松本幸四郎始め、俳優さんたちは真剣に、この日本人として表現しにくい演技に取り組んでいた。
配られていたチラシの裏には、「リーダー不在の現代日本におくる、激動と波乱の歴史大作」と記されてあった。民主主義時代のリーダーとは、何が要求されるのだろう?何者にも屈しない大きなエネルギーを持つ人が相応しいと思う。人間が小粒になって行くのは、政治家に限ったことではない。スポーツ選手などにも言える。特に国技の日本人力士に大物が出てこないのが淋しい。芝居に集中してはいたが、時々そんなことを考えた。上演時間は2時間半で、体力的には楽であった。移動した会食の店も近く、足や腰にも負担がなかった。解散後、そのまま有楽町駅から電車に乗ろうとしたら、家族が呼び止めるので振り向くと、「銀座のほうに歩くか」ということで、4丁目の交差点まで歩いた。そこでおのぼりさんのようにデジカメを取り出し、シャッターを切ったものが、右の写真である。服部時計店側から新橋方面を写した。家族が、「昔、三愛があったところだ」と言っていたから、古い方はお分かりと思う。その後、改装された三越銀座店に入り、地下でパンなどを少々買い、家路に着いた。
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| 2010年10月10日(日) |
| 雨の強い日曜日 |
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夜から強い雨になっていた。朝になっても雨が残り、風も残っていた。ミサに行きたいと思っていたが、雨風を突いて歩いていくには、右足が少し心もとなかった。神経痛は出ていないが、膝に微かに違和感がある。滑って捻ったりしたら、さらに痛める可能性がある。家族には「教会に行くの?」と聞かれたが、行かない方向に首を振った。朝食はきちんと拵え、後片付けもした。それから近くの内科でもらった風邪の薬を飲んだ。内科クリニックの院長が代ったと前に書いたが、同時に処方してくれる薬の1部が変った。抗生物質などの抗菌剤ではなく、総合感冒薬だったが、私の体には初めての新しい薬なので、飲んだ途端に眠くなった。疲れもあったのだろう。そのまま昼まで眠ってしまった。
起きて、昼食を取った頃には雨が上がっていた。夕方から家族と小町通りの魚店と、その近くのスーパーに行った。連休初日で町はかなり混んでいた。外に出たとは言うものの、ほぼ休養の1日となった。なお、苦労して植え替えた庭のブーゲンビレアは、萎れることなく、みずみずしい葉と、ぴんとした枝を保っている。雨のお陰である。金木犀は雨でほぼ散ってしまった。
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| 2010年10月9日(土) |
| 鎌倉ペンクラブ・サロン「紅茶の旅」 |
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三連休が始まった。10月と言っても、例年より暑く、25度を下回ることはない。今日は雨になったが、気温は高かったので、午前中に髪を洗った。髪が整うと出かける気になるから不思議だ。鎌倉ペンサロンのお話は、午後三時半から始まる。放送作家の早田美智子さんと出席の返事を出してある。傘を差して駅近くの会場に向った。
会場には、約30人の人が集っていた。講師が現れて自己紹介を始めた。その講師、磯淵猛氏は、以前昼食会の仲間たちと2次回で行ったことのある、藤沢市のディンブラという紅茶専門店のマスターでもあると言う。インド留学の体験記、商社に入ったが脱サラをしたくて紅茶の勉強をした話、どうしたら一番美味しい紅茶が飲めるか、何度になったお湯が一番紅茶に合うか、ポットに何人前が適量か、などなど話してくれた後、助手の女性が参加者一同に紅茶を入れてクッキーとともに提供してくれた。その紅茶の美味しいかったこと!色も素晴らしかったが、観賞する暇もなく飲んでしまった。
雨の中、帰宅すると娘が来ていて待っていた。しかし、婿殿はまだ到着せず、駅前で待ち合わせることとなった。私はまた江ノ電に乗り、鎌倉駅で合流した。婿殿は元気そうで、仕事は忙しいと言っていた。娘との仲も良さそうであった。4人で夕食を取って帰った時は少し疲れを感じた。
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| 2010年10月8日(金) |
| ブーゲンビレアの植え替えをなんとか… |
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天気も良くしかも暑くない。庭には金木犀の花が咲き、芳香が漂っている。しかし、天気予報では、土日は天気が良くないと言っている。
1つ気になっている鉢がある。花壇の前の、門への通り道になっている場所に、ブーゲンビレアの鉢が置いてある。この呼び名、英語読みに合わせて、ブーゲンビリア、ではなく、ブーゲンビレアと書く。その鉢の中味が今年の猛暑で徒長してしまった。しかし、熱帯の花が厚さで元気になったわけで、悪いことではない。庭で越冬もした。日本の湘南地方に合ったというわけだ。以前、サンフランシスコに行った時、家の3階ぐらいまで延びたこの木を見たことがある。
それなら、と考えた。すぐ後ろの花壇に移し、じか上にしてやりたいと思う。花壇から家の外壁に細い棒を張れば、徒長枝をしっかりと固定できると思う。プランはしっかりと固まったが、問題は私の体力にあった。去年雑草取りをして足を痛めて病院通いした記憶も新しい。慎重に、休み休み作業をした。花壇に穴を掘るのはさほど大変ではなかったが、ブーゲンビレアを鉢から引き出すことが難しかった。鉢の下から根が飛び出し、その状態で固まっていたからである。そんな時、私はいつも庭の植木用の鋏を持ち出す。鉢が素焼きの場合はスコップなどで叩き、割れば良いのだが、ヴィニールの鉢は簡単に壊れない。そこで枝きり鋏で鉢を切っていく。鉢を1個潰しても、植木のためにはその方法が良い。鉢は劣化しているのでこれまで何とか切ってきたが、こちらの体力が年々落ちている。かなりの力を要し、鉢を縁から切り、静かに取り出した。そして先にに穴を掘り、元肥も少しばらまいていた場所に埋めたときは、かなり疲れていた。それから散らかったゴミの後始末をした。落ち葉や不要の枝は、ヴィニールの袋1ぱいあった。水をやって作業は終ったが、後は何もする気がなくなった。幸い午後2時から、M治療院で針の予約が入っていたので、その時間に針に行き、足腰を良く揉んでもらった。今晩から雨が降ると聞いているし、こんなに頑張ったのだから、きっとブーゲンビレアは根付いてくれると思っている。
昨日よりも、さらに家族の帰りは早かった。娘より電話1件。疲れたので早く寝た。
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| 2010年10月7日(木) |
| 午前中は体調が良いので |
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検査が終りほっとした翌朝である。暑い間溜めておいた机の周辺と本棚の整理をした。前に書いたように、カバーのしてある単行本と文庫本の背表紙にボールペンでタイトル文字を入れた。若い頃と違い、どの本がどんなタイトルの本か書いておかないとすぐに思い出せないし、通りすがりにタイトルを目にして刺激を感じることも出来ない。30冊近く書いてほっとしたが、疲れたので止めた。埃を吸ったと思われるので、うがいをした。また涼しい日にやろうと思う。相変らず雑用に追われる日々を送っているが、読書への敬愛は別のものだ。気付かないうちに怠けている自分の軌道修正にもなる。
洗濯物干し、スーパーへの買出し、エクササイズなど予定の仕事は一応こなした。根仕事に対する力が何時まで続くか、祈りたい気持ちだ。家族の帰りは早く、一緒に食事が出来た。
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| 2010年10月6日(水) |
| 無事に検査は受けられた |
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朝8時半にS病院に電話をし、確認を取ってもらったら、「予約は入っています」と告げられた。それでほっとして家を出た。鎌倉駅で電車が10分ほど遅れたが、時間前に到着した。CT検査より先に、尿の採取と血液採取をしてもらった。時間ぎりぎりで、CTスキャンの受付にカルテを差し出すことが出来た。トンネルのようなところに入ったり出たりする検査は、「息を吸ってそのまま止めて下さい」と3回言われた。苦しいことや辛いことは全くない。以前は、息止めが4回だったこともあった。そんな回数にも以前は気を病んだが、最近は気にしなくなっている。検査の時は下着の金具などを避けるため検査着に着替える。
元の服に着替えて、会計を済ませて外に出ても、まだ昼になっていなかった。天気が良かったし、無事に終ったほっとしたので、JR田町駅まで20分ほどの道のりを歩いた。少し汗を掻いた。それでもまだ昼になって居なかったので、京浜東北線で横浜まで行った。横浜のデパートの中で、安くて美味しい昼食の店を見つけ、そこに入った。かぼちゃのスープから始まるサービスランチが美味しかった。何故こんなことを詳しく書くかというと、検査の終った後は、たとえ結果の分かるのが来週だとしても、安堵感があって、食事が美味しいのである。最後のコーヒーを飲んで、ひと休みして、夕食の買い物のため、デパートの地下へと向かった。
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| 2010年10月5日(火) |
| 定期検査の予約表を紛失 |
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雨が上がって良い天気になった.暑いくらいである。午前中にいつものクリニックに行った。いつもの、言っても、!0月から院長がH.K医師に代わった。かつて私の早期がんを発見してくれたH.K医師(同じ頭文字だが、日本漢字表記は全く違う)は、病気のため長期休養と聞いている。看護師や受付の事務の人は以前のままだ。前医師の回復への心配はあるものの、待合室は以前と変わらずに混んでいた。新院長に測ってもらった血圧は正常であった。明日、東京のS病院でCTスキャンその他の検査をすると話した。お使いなどを済ませて家に帰った。夕方、明日の準備をし始めた時、半年前にもらった筈の予約表が仕舞った場所にないのに気付いた。前回の検査の数値の一覧表はあるのに、予約表が見当たらなかった。思い当たる場所を1時間ほど探したが、出てこなかった。暑さボケをして、どこかに仕舞い忘れたか、間違って捨ててしまったのか、記憶が飛んでしまってぃた。夕方6時前だったので病院に電話をして、その旨を伝えた。電話に出た女の人は、「明日また8時半に電話をして確認を取って下さい」と言った。診察券は財布の中に入っていた。最近は、診察券を入口の機械に挿入すると、予約の時間を掻いた紙が出てくる仕組みになっている。診察権があれば、何とかなりそうな気がした。しかし、物をあまり失くさない私なので、(2年ほど前、実印を失くしたが)この夏は、出版で忙しかったし、などとあれこれ考えた。歳だと言ってしまえば簡単だが、病院関係の書類は1度も失くしたことがなかった。健康になり、病後という自覚が薄れた、ということかもしれない。明日、八時半に病院に電話をすると決めて、夜は出かける服の仕度などをして眠った。
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| 2010年10月4日(月) |
| 切り替えて、頭と体のエクササイズ |
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小雨の朝になる。
僅か2日間でも、普段家に居る時間が長いので、カルチャーショックとともに旅行ボケをする。妙な旅情も残ってしまう。
しかし夏の暑さでだらだらし、時間を無駄にしたように思うので、秋は頑張るつもりだ。そうそうぼうっーとしていられない。読みたい本も溜っているし、体も動かしたい。本は、先ず本棚の整理をしなくてはならない、と思っている。特に、買った時に書店でカバーをつけてもらったものの背表紙に、タイトルを書いておきたいと思っている。文庫本などは特に書いておきたい。そうでないと分からなくなる。例えば、大著『坂の上の雲』は文庫本だと1~8まである。1冊無くなっても困る。背表紙に「坂の上の雲」1.または、2.3.4.と書いておきたい。亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』も吉川英治の『親鸞』も同じくだ。冷房も暖房も遣わない時期に整理整頓は向いている。しかし、今日は、体のエクササイズしか出来なかった。京都の土産の菓子をご近所に届けたり、手紙を書いたり、宅配を送ったりと忙しかった。午後になって、京都の菓子を食べすぎた腹を引っこませようと、WIIフイットの筋トレとヨガを合わせて35分(WIIの記録上ゆえ、実際には45~50分ぐらいかかっている)しばらくやらないと手の先が床に付かないが、やり始めると、すぐに付くようになる。その繰り返しで、腹の筋肉が回復する気がする。ともかく、1日ではあまり効果が出ない。毎日やるのが最も良いと、画面の男性インストラクターは言っている。
家族は夕方「遅くなる」と電話をくれたが、思ったより早く帰ってきた。
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| 2010年10月3日(日) |
| 旅の疲れはなかったが |
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旅の疲れは殆どなかったが、大事を取って日曜のミサを休んだ。昼ごろ電話があり、教会の信者さんのひとりが、ご在宅か、と尋ねてきた。事情を話したら、家までお菓子を持って来てくれた。そして、以前出版した『表彰』(作品社刊)を一冊買ってくださった。ご主人ともどもに読書家とか。有り難いことだ。
その後は、無理のないように働き、洗濯機を回したり、土産の品を宅配で送ったりした。夕食のころになって、息子の家と娘の家に電話をした。娘夫婦は元気だったが、息子の方はママと上の孫が軽く風邪を引いていると言っていた。急に寒くなったから、体が付いていかないのだろう。お陰さまで無事に旅行から戻った、去年は心配をかけたが、と話した。夜は蛋白補給で、納豆うどんを拵えた。うどんはモロヘイヤ入りの黄緑色で、喉に優しい感じだった。(右は彦根城のお堀の黒鳥)
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| 2010年10月2日(土) |
| 彦根城と琵琶湖 |
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幸い晴天は続く。
朝はホテルの和食店でお粥のセットを注文した。お粥は胃に優しい上に、味噌汁の味もなかなかだった。帰り支度をしてチェックアウトをした後、別の場所でコーヒーを飲んだ。
一同揃ったところで、京都駅まで徒歩で行き、米原まで新幹線の自由席に乗った。自由席は空いていて皆座れた。八条口から近鉄食品街を通る時、見覚えのある店が並ぶのに気付いた。思えば1年前、奈良の帰りに、やはり新幹線に乗ろうとこの界隈を痛む足をさすりながら歩いたのだった。それに比べると、今日の足は快適で軽く前に動いた。足は2カ月ほどで回復し、1年の間に三田文学誌に「五月の后」を書き、この夏は『明日は晴れる』を出版した。感謝しなくてはならない、と思った。
あっという間に米原に着いた。頼んであったマイクロバスの運転手さんが迎えに来ていた。先祖の墓地(円照寺)のある彦根市の高宮に向った。高宮の墓は、京都の多くの寺に比べ小さく地味であったが、その墓地はちょうど彼岸花が満開の時期で、赤い花々に囲まれていた。そこにもMという名前の墓石が何基かあった。昔はこんなに同じ姓が固まっていたのか。何だか微笑ましかった。
昼食は、彦根のひつまぶし(鰻)の店に行った。御飯の上に小さく切った鰻が乗っていて、それをわさびや茶漬けで食べるものだ。少し甘い味のする鰻をわさびで食べると、味が締まり美味しかった。 食後は、またマイクロバスで彦根城(写真右)に行った。堀の淵には、井伊直弼が住んだという埋れ木舎もあり、歴史の一端を感じさせた。お堀には珍しく黒鳥が二羽居て、餌が欲しいのかこちらに寄ってきて鳴き声を挙げた。白い羽も少し生えていて嘴の辺りが真っ赤なのが印象的であった。写真は明日の日記に載せる。近くのTという和菓子、洋菓子の両方を売り、喫茶室もある大きな店に寄り、少し休んでから、またバスに乗った。運転手さんが「時間があるので、琵琶湖を回りましょう」と言ってくれたので、穏やかな湖面の琵琶湖を眺めることが出来た。
そして米原に着き、ひかりに乗った。下車駅は往きと違って新横浜であったが、それも乗継がうまく行き、無事に家路に着いた。残念だったことは、往きも帰りも新富士駅近辺が曇りで、富士山が全く見られなかったことだ。天気ばかりは仕方がない。思いを残しておいた方が、また来ることが出来る、という人も居る。次のときは青空に聳える富士山を見よう、と思いながら、雲を眺めた。
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| 2010年10月1日(金) |
| 日本橋M会京都彦根の旅 |
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前日まで雨だったが、幸い天気になった。新幹線ひかりには小田原駅から乗った。他のお仲間は東京からのようで、車中はだれにも会わなかった。小田原でサンドイッチを買ったが、あまり食欲がなく半分残した。無事に定刻に着き、京都八条口に近いホテルのロビーに着いた。すでに10人ほどが集っていた。2名は今日の夕方に合流するそうで、総勢は14名とのことだった。手荷物を預けて、そのまま、タクシーに分乗し、西本願寺に向った。広く静かな寺であった。大屋根の瓦群が秋の日に光り、目に染みるようであった。親鸞聖人を祀ってある浄土真宗の寺だ。御影堂、阿弥陀堂などを参拝した。「見真」「MAKOTO」など「真」の文字が多く見られた。御影堂の天井から吊るされてある照明(写真右)がとても品の良い美しさと輝きを放っていた。他に観光客はなく静かに外廊下を歩くことが出来た。親鸞については、吉川英治作の『親鸞』を10代と中年と2度読んではいるが、それ以上のことは知らない。多くの人の心を惹きつけた人として認識している。他の角度からの本も折があったら読んでみたい。
参拝が終り、ふたたびタクシーに分乗して、清水寺に近い大谷本廟(西)に向った。この本廟には家族の母の実家の先祖が祀られている。そもそも、同行のM会はその子孫によって結成されたものであり、骨肉の争いなどが多い今時、稀に見る仲の良い1族、そして会なのである。私には、血の繋がりはないが、その仲の良さに心打たれ、参加させてもらっている。清水寺方面に向う坂を登りはじめた。坂の左脇にも墓地がたくさんあった。その中にMという姓の墓石が多く見られた。その1つにお参りした。墓石の横の文字を皆で読む。古くて直系の子孫たちにも分からないことがあると言っている。確かに古い寺で、陸軍海軍の位を墓石に刻んだものもある。その先には、昭和7年2月21日、上海で死んだ俗に言う「肉弾3銃士」の墓も見られた。特攻隊精神はこの頃からあったのか?いくら英雄でもこんな死に方は可哀そうだ、と思った。
大谷本廟まで、階段や坂を昇った。晴天を喜んだものの、次第に暑くなり、汗を掻いた。やっと到着した本廟は坂の上にあり、目の前には高速道路が建ち、車が行き交っていた。M家の墓はそこにもあった。2代目のM.T氏の商いが盛んな頃を思わせる、古いが良い墓であった。私は1人の嫁として、1族の、特に姑の戦後の苦労を思いながら手を合わせた。
その時、誰かが、
「司馬遼太郎の墓があるよ」
と教えてくれた。M家の墓のすぐ近くに『坂の上の雲』の作者の新しい墓標があった。偶然とは言え、こんなところで司馬氏の墓にめぐり合うとは思わなかったので、近付いてお参りをした。墓前の花は新しく、菊と竜胆の花の色が日に映えていた。氏の人気は今でも高く、花が絶えることがない、という話だった。墓石の写真を写させてもらった。さらに、清水寺まで上がり、そこの茶屋で皆で1休みをした。この辺りでは、こんな時冷たい氷飴を飲むと教えられた。夜は皆でフランス料理店に行き、ワインで乾杯した。
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| 2010年9月30日(木) |
| 「かまくら春秋}10月号に新刊紹介される |
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昨夜から雨になった。午前中、「あんばら庵」の日記を2日分書いた。この頃はあまり溜めていないが、小説を書き始め、作品の世界に入り込むと、1週間前後遅れることがある。出来るだけ、溜めない積もりだが、そんな時はしばらく待って頂きたい。
午後から出かけるので早めにエクササイズをした。(32分)筋トレとヨガのメニューをこなした。
それから美容院に行き、日常品の買い物を済ませて帰ってくると、「かまくら春秋」10月号が届いていた。I・G氏のお手紙も入っていた。開けてみると新刊紹介に『明日は晴れる』が取り上げられていた。小さな欄だが、よくまとまった紹介文が載っていた。モノクロだが本の写真も載っていた。全く期待していなかったので、嬉しく思えた。そう言えば、『表彰』の時には、この会社の記者さんにインタビューされ、写真も写された。しかし、それも年月で忘れてしまった。夕方にかけて、礼状を2通書いて近くのポストまで投函に行った。宅配も1件送った。今日はこまめに歩いた日だった。夜電話1件あった。後は、旅行の仕度で忙しかった。
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| 2010年9月29日(水) |
| パンと紅茶の朝 |
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家族が出張の朝なので、いつもの御飯と味噌汁の朝食ではなく、パンと紅茶の朝食になった。寝起きの頭がボーっとした状態が長く続き、幸せな気分になった。いつもは無理をしても、味噌汁を作り、干物を焼いたりしている。
涼しい秋晴れの日だった。庭を見るとアメジストセージの花が、延びてきている。ラベンダーより少しピンクの混じった、華やかだが優しい色の花だ。彼岸花もこの花も、例年より遅れ気味だが、きちんと役割を果たしつつある。昼過ぎ、宅配が届いたという電話が入った。先方と少し話した。昼食は、パンでなく、レトルトの「ふらんす亭」のカレーを温め、福神漬け、ラッキョウ、紅生姜を加えた。このカレーは中辛で、レトルトの中では抜群に美味しいからお勧めの品だ。鎌倉東急ストア2F、カレー売り場に置いてある。午後2:00からはり治療に行く。腕の上げ下げのエクササイズのせいか、背中の張りがやわらかくなったと言われた。
家族は無事出張から戻って来た。夕食は鳥のささ身をゆがいて、細くちぎり、生野菜とマヨネーズで合えたもの、など。
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| 2010年9月28日(火) |
| 最近の、資料検索 |
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自作の小説の中に、その背景になる時代の流行り歌を挿入するのは、如何にもありそうだが、実際に試みるとなるとかなり難しい。安易に使うわけにはいかないし、何よりも必然性がなくてはならない。同時に正確性も求められる。歌詞がめちゃくちゃでは困るし、題名を使う場合はなおさらになる。ずいぶん前のことだが、使いたい歌の歌詞が知りたくて、CDをレコード店まで買いに行ったことがある。しかし、今は有名な曲の殆どは、インターネットで検索出来るようになっている。それを知ったのは、約10年前、英会話のクラスだった。Billというティーチャーがビートルズなどの歌を取り上げ、穴埋めのホームワークを出す。その時に、
「インターネットで検索しては駄目ですよ」
と言い、人差し指を横に振った。クラスメイトに聞くと、インターネットで検索すると、流行った曲は歌詞が出てくると言う。へえ、そんなものか。と思った。つまり、ズルして正解を見ないで、自分の頭で考えなさい。ということだった。その時のホームワークの出来は忘れてしまったが、その検索が現在は小説の資料検索に役立っている。今日も、知りたい昔の歌の歌詞を調べた。一行目の歌詞を打ち込んで、検索をクリックしたら、その歌のタイトルと、1番から3番までが出てきて、メロディまで付いていた。しかも、歌とタイトルが違っていて、私の長年の勘違いが判明した。古いメロディを聞いていたら何だか悲しくなった。その時代の、本人さえも気付かなかった辛さが感じられたからである。検索した資料は、お気に入りに登録するか、またはプリントして保存しておく。便利になったものだ。ともかく費用がかからなくて助かる。
今日はお掃除のMさんが来てくれたので、デスクの仕事が捗った。午前中、宅配便のやや大きめの物を一個作って集配してもらった。午後はご近所の人を訪ねすぐに戻り、それからエクササイズを35分頑張った。2日目だとストレッチが楽になる。
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| 2010年9月27日(月) |
| 小雨の秋 |
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小雨の月曜となった。気温が低く体が楽なのが何より良い。今週は体力を付けていこうと思っている。医師にもはりの先生にも、「夏の暑さが緒を引くから、秋口は気を付けて」、と言われている。
今日もまた、偶然があった。「あんばら庵」の日記を書いた時、先日お祝いに頂いたお花の写真を、Pictureのページに取り入れた。ピアノの写真の隣りに置いたら、色のコントラストが良くなった。その直後買い物に出たら、途中その贈り主にぱったりと出会った。早速その話をして、開いて見てくれるように、と頼んだ。その方はパソコンはやらず、ご主人に開いてもらうと言っていた。
そして今日は、やっとエクササイズが出来た。Wiiふいっとで、記録上34分体を動かした。ちなみに、記録上30分前後だと、実際には45分ぐらい費やしている。しかし、久しぶりなので、以前は軽く出来た筋トレやヨガのメニューが、きつく感じられた。文学の秋に入りつつある。デスクの前に1日でも長く座って書けるように、体を鍛えなくてはならない。
娘より、携帯が壊れたので、急用の時は、婿殿の携帯にと、番号を知らせるメールがあった。
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| 2010年9月26日(日) |
| ミサと、彼岸花 |
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先週は朗読の会に行き、ミサは休んだ。昨夜は早く帰れたせいか、さして疲れも残らなかったので、午前十時のミサに行った。教会の門を入り、聖堂に向かおうとした時、数人の、顔馴染みの信者さんに「おめでとう」と言われ、少し驚いた。先々週、拙著をお宅までお届けしたKさんが、教会の講座の折にお仲間に話したらしい。有り難いやら恥ずかしいやら、という心境のまま、聖堂に入り、席に座った。そこでまた、別の方にも、同じ話をされた。ミサに行くことばかりで、現実的なことは考えてもいなかったので、妙な気持ちになった。 しかし、大きな意味で神に感謝し、祈った。人の心で考えることは人の心の範囲でしかない。そこに偶然とか、色々なことが起きる。それも何が起るか分からない。人間が当てにしていたことは起らず、当てにしていなかったことが起る。偶然とも言えるが、それこそが神の取り計らいとも言える。普通に言えば、世の中の流れ、というものだろう。そんなことを考えながら、1時間のミサを過した。
帰りは秋晴れになった道をゆっくり歩いた。家に帰ると、庭の彼岸花が満開になっていた。花の色が褪せないうちに写真を取って、ホームページ「あんばら庵」のPictureページに取り入れた。ご覧頂きたい。
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| 2010年9月25日(土) |
| 「ヘッダ・ガーブレル」宮田慶子演出 |
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今日はいつもと違って、マチネーの観劇となった。夜の部を観て、二次会を少しして、新宿、渋谷などから帰ってくるのは結構ハードで、翌日に疲れが残る。目差す新国立劇場は、新宿から京王線に1駅乗った代々木初台にある。折りしも、家族の先輩の娘さんである、宮田慶子氏が新国立劇場の新芸術監督になったというニュースを聞いて、大学の演劇研究会OBのお仲間たちと集った。ティケット、二次会などの手配をしてくれるのは、やはり先輩で、有り難い限りである。総勢13名の観劇となった。
演目の 「ヘッダ・ガーブレル」は、ヘンリック・イプセン作「ヘッダ・ガブラー」という英語読みで知られ、映画や芝居でお馴染みのものだ。今回は新訳(長島確、他)で太地真央主演で上演されている。今回の太地は、演出の力なのか、宝塚調や、スターの輝きを極力抑えて、退屈感と戦い、自由に、強く気高く生きる女性を、しっかりと演じていた。
「Japan meets ―現代劇の系譜をひもとく―」という、サブタイトルが付いている。女性の生き方として捉えても、興味深い芝居であった。コピー機などのない約200年前の話で、男友達の書いた論文原稿をストーヴで燃やすシーンには、息を呑むものがあった。
終演時間はPM4:00で、二次会場で5:00までビールを飲んだりして歓談した。それから夕食になった。座がくつろいだ頃、このたび出版した本の話もさせてもらった。皆さん好意的に聞いてくれた。かなリゆっくりとしたが、7:00ごろには電車に乗れて、湘南新宿ラインにて、帰途に付いた。
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| 2010年9月24日(金) |
| 病人の気持ち |
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昨日の続きを少し書く。
墓参が終って、銀座の中華料理の店に行ったときのこと。
元のぞみ会の会長でもあるM.Kさんが言った。
「お水をもらいますか?」
3人ほど手を挙げた。それは、つまり薬を飲むために水が必要か、と聞いているのだった。私は幸い薬を飲まなかったので手を挙げなかったが、このお仲間にだけは通じる言葉の深さを感じた。このなかに1人でも健康な人、病気の経験がない人が居ると、言葉の意味も違ってくる。私はこの患者の会「のぞみ会」が解散してから、英会話のクラス、国際交流の会(チェサピーククラブ)、通信教育のOB会、俳句の会、昼食会、などにも参加している。それらはほぼ健康な人たちの集まりである。皆、良い人たちであるからこそ、私も仲良くしていられるのだが、たとえ風邪薬でも会食の後に改まって薬を飲むには、いささか抵抗がある。だれも好んで薬を飲んでいる人は居ないと思うのだが、
「それ、何の薬?」
と聞いてくる人が居る。その返事も、簡単に出来る人と出来ない人が居る、と思う。医師の患者カルテがマル秘であるように、個人の薬の処方箋もまたマル秘なのである。健康な人にそれを言っても分からないから仕方がないと言えば言えるが、これから先の老齢期、体の状態がどんなことになるか分からない。罪のない発言と言って済まされない時もある。久しぶりに、元「のぞみ会」のお仲間と会食して、幸せに思ったのは同病者の感覚を得たことであった。こちらが、いくら回復したと言っても、病人の気持ちが分からなくなったらお終いだ。
今日は、1日ほぼ休養して過した。午後手紙が1通届いて、友人が眩暈に苦しんでいるという知らせを受けた。気になったので電話をしたら、ご主人が出ていらした。手紙の件を話して、「くれぐれもお大切に」と言って、受話器を置いた。
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| 2010年9月23日(木) |
| 命の恩人の墓参り |
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旧「あんばら庵」には何度も書いたことだが、新しい読者のために書く。
私は、12年前、1998年1月20日に肺がんの手術を受けている。病院は国立がんセンター、執刀医は成毛韶夫氏であった。盲腸の手術すらしたことのない私が、早期とは言え肺がんを宣告され、5時間にも及ぶ大手術を受けることになった。そのときに出会ったのが命の恩人成毛医師である。
手術は無事に成功し、私は家に帰った。その後再発もなく、今日に至っている。と言ってしまえば簡単だが、その間、成毛医師と患者の会、「のぞみ会」の存在に大きく支えられた。会員数は200人を越えていた。お互いに情報交換して支えあう、というだけでなく、1度死の淵まで行った者同士、感謝の気持ちに溢れた、温かみのある会であった。その患者をまとめる成毛医師のお人柄も大きかった。年1回の懇親会、そして旅行がとても楽しかった。国内の旅館で夕食を取った後、成毛医師は手術によって肺活量が少なくなったわたしたち患者を伴って、カラオケ会場へと連れて行ってくれた。もちろん成毛医師も歌う。それも「蘇州夜曲」や「夜来香」など、古い時代のムードのある歌だった。私は大抵、美空ひばりの歌を歌った。がんの手術も、失った肺の左下葉のことも忘れ、ただの歌好きになって声を張り上げた。あっという間に、再発期間の5年が過ぎ、私は成毛医師より5年経過の表彰状を受け取った。(このことは、作品社刊 『表彰』に書かれている)
その成毛医師が亡くなったのは、4年前、2006年の5月20日である。講道館で柔道着を着たまま急死された。
今日は、彼岸の中日である。私は、元のぞみ会会員たちと、成毛医師の眠る墓地青山霊園に向った。あいにくの雨だった。しかし、そんなことは気にならず、墓参りが嬉しくたまらなかった。総勢は7名だった。1度ならず2度手術を受けた人もいた。皆成毛医師を命の恩人と慕う人たちだった。雨の中、傘を持ったままだったが皆で代わる代わる手を合わせて医師の冥福を祈った。私はせっかく助けていただいた命なのだから、大切にしないといけないと思った。拙著『明日は晴れる』(冬花社刊)を上梓したと伝えた。「好きなことはどんどんやりなさい。それが免疫効果を高めますよ」
と励ましてくれた医師の言葉を思い出した。青山霊園は広く、医師の墓地が分からなくならないように、目印の写真を持って行ったデジカメで2枚写した。次は1人でも、家族と2人でも来られるように、と。墓参が終った後、7人は銀座へと移動して、久しぶりに会食をし、団欒をした。お彼岸らしい良い1日を過した。
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| 2010年9月22日(水) |
| 特捜主任検事の逮捕について |
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昨日今日、テレビのニュースを騒がせている事件がある。厚生労働省の村木元局長の取調べに関った、特捜主任検事の逮捕である。容疑は、郵便不正 押収資料改ざん、と言われる。押収のフロッピーディスクの更新日時を変えてしまったと言われている。この改ざんされた日時は、村木元局長が無罪であるかどうか、を解く重大な手がかりになるものとも言われる。
私はコンピューターを少々やるので、この改ざんが出来るかどうか、というコメントをするその筋の専門家の話を興味深く聞いた。その専門家は、コンピューターを開いて、クリックする手順を示し、このように容易に出来る、と話していた。
原因は、本人の仕事上の焦り、検察特捜部のおごり、などと各専門家が話している。検察の根底を揺り動かす重大な問題、とコメントする、最高検の上司の表情も硬かった。
我々民間人にとってショックなことは、政治家の大物まで取調べ、逮捕し、裁く検察当局がこんなふうにいい加減では、一体何を信じていけば良いのか、分からなくなる、ということだ。
大相撲の組織の問題が野球賭博事件発覚から問われ、「外部委員」という役職が出来たのは、ごく最近のことだ。これなら、検察当局にも第3者期間を設けた方が良い、いや、設けるべきだ、と強く思った。しょせん人間のやることだ、と言ってしまえばお終いだが、だからこそ細心の注意と平素の修練、そして謙虚な姿勢が必要なのだ。周りの者も、「検事さんだから偉い」と簡単に褒めることは止めてもらいたい。普通の人にも、何の肩書きもない人にも、偉い人は沢山いる。
今日はまた、梱包した本に手紙を添えて1冊送った。電話も数件あった。冬花社の本多順子さんとも話した。暑さは続いている。
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| 2010年9月21日(火) |
| 彼岸花の芽はやっと顔を出し |
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やっと普通の日になる。高齢でも家族が働いてくれるのは有り難いと、常々感謝しているが、その分休日は奉仕する。平日にものを書いている後ろめたさもある。それで埋め合わせをしている、とも言えるが、時にドット疲れることもある。
三連休の後なので、ぼっーとしながら、食器の片付けや洗濯をする。若い頃はこんな時、コーヒーを飲んで気持ちを覚醒させたが、今はコーヒーは少量しか飲まない。胃を痛めた後なので、注意している。しばらく経って日記を1日分書き、また休んで、もう1日分書いた。ぼーっとしている割には丁寧に書いた。
夕方、買い出しに出る道の途中にある、由比ガ浜通りのパンと喫茶の店「オリーブの木」に拙著『明日は晴れる』を1冊届けた。この店には以前出版した『表彰』(作品社)も、お届けしている。ちなみにこの店のパンは美味しい。
幸い、女性のご主人が出ていらした。すぐに、
「タウンニュースを見ました」
と言われた。
「暑かったので、お届けが遅くなって」
と詫びた。タウンニュース紙は、以前店で『表彰』を読んだお客様が、わざわざ届けてくれた、と話していた。本のチラシを数枚持って行ったので、渡すと、「このチラシ、通りから見えるガラスに、貼りましょう」
と言ってくれた。まさに足で歩く行商だが、こういう方々のご好意はとても有り難い。
今日も暑かったが<1日を何とか終えた。庭の彼岸花の芽は、いつもより遅れているが、すでに土から顔を出している。
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| 2010年9月20日(月) |
| 実生の松を鉢に |
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まだ暑さは治まっていないが、今日の昼過ぎ、30分に限定して花壇の雑草取りをした。去年雑草取りに夢中になって腰と足を痛めて以来、雑草取りはしないようにしていた。春には裏庭に除草剤を撒いて一応撤去したが、花壇など他の花の根や球根を傷めるところは、散布していない。それで、今年の暑さで花壇は雑草だらけになった。ちょうど30分、厳密には35分ほどで花壇のあらかたの雑草は取れたが、その折に、鳥が運んできたのか、松の実生の苗を見つけた。もう15センチほどになって、青く長い葉も延びてきている。
「松の苗だわ、縁起がいい。捨てるのは勿体ない」
と言うと、芝の雑草を取っていた家族がその苗を受け取って、鉢に植えてくれた。水をたっぷりと遣った。何とか根付いて正月ごろに大きくなってくれると良い、と思っている。これまで、さまざまな植物を育ててきたし、実生の木も何種か育ててきたが、松の実生は初めてだ。
夕方には2人で買い物に出た。江ノ電に乗りそこなったので、駅まで歩いた。連休最後の日だが、町は相変らず混んでいた。家に帰ったら、3日分の疲れがどっと出た。家族がビールを飲み始めた頃、息子一家からの敬老の日のFAXが届いた。孫たちの可愛いイラストも付いていた。夜は早めに休んだ。
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| 2010年9月19日(日) |
| 小津安二郎「晩春」を聞く 鎌倉円覚寺にて |
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北鎌倉の静かな寺のなかで、こんな酢晴らしい朗読が聴けるとは思わなかった。「音語り」とプログラムにあるように、キーボードによる静かな演奏も付いている。第1部は、朗読者である中井貴恵さんと、かつて小津安二郎監督の映画プロデューサーであった、現在鎌倉文学館館長の山内静夫氏との対談で、それぞれが小津氏の思い出を語ってくれた。山内氏はいまだご健在で、独特のお声を聞かせてくれた。
15分の休憩の後、中井貴恵さんの語りが始まった。小説などの語りはよくあると言う中井さんも、映画のシナリオの朗読は初めての試みと言う。映画の上映時間を全部ではいささか長いので、山内氏が潤色をし、50分にしたと言っていたが、ご苦心をされたのだろう。それでも、「墓の中の小津先生は怒っているでしょう。しかし、今生きていらっしゃるこれからの人たちのために潤色をさせてもらった」と、笑いながら語る。「晩春」と言えば戦後間もなく公開された映画として、娘を嫁がせる父親の気持ちを物語にしたものとして、さらに原節子主演、父親役は笠智衆として、ご記憶の方もおありだろう。私はその頃十代の始めだったから、大人の気持ちはあまり分からなかったが、原節子の美しさに溜息をついた覚えがある。
さて、その朗読の腕前は、冷房のない本堂の暑さを忘れるほど、見事なものであった。男役女役、それも老若男女の声を使い分けし、ト書きも静かに語っている。そしてそれに伴うBGMの演奏(松本峰明)が、調和し、語りに溶け込み、お釈迦様を前にして、息もつかせない、密度の濃い50分となった。設備の整った劇場とは違っていたが、音響も良く、語りも音楽も鮮明に冴えて耳に入り、こころに届いた。なお、小津安二郎氏の墓はこの円覚寺にあるそうで、私は以前、やはり北鎌倉の布袋尊のある寺にあると書いたが、間違いなので、そのうちに訂正しておく。私はたまたま、知人に誘われて行ったのたが、情報を提供してくれた人に感謝した。他にもう1名、小田原のS.Fさんもいらしていた。(会場は指定席、有料で料金には拝観料も含まれる))
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| 2010年9月18日(土) |
| 「あんばら庵」の日記は7年5ヵ月目に(1日も欠かさず) |
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忘れないうちに書いておく。
旧「あんばら庵」の日記は、2003年4月15日より、2009年10月31日までを「明日は晴れる」というタイトルで書籍化した。そして、現在は「新あんばら庵」のホームページを作成し、2010年5月1日より、として日記を書き、インターネットに公開し、現在進行中である。それでは、2009年11月1日から、2010年4月30日までの6ヵ月間はどうなっているかというと、私のコンピューターにはきちんと保存されてある。新旧合わせて、まだ書籍化していない日記も早1年になろうとしている。
なにが言いたいかというと、出版後も、「あんばら庵」の日記は1日も途切れず続いている、ということである。特に、半年間の空白部分の保存を明記しておきたい。さらに、付け加えるが、私のホームページの日記は「ブログ」と呼ぶものではない。2003年4月スタート時には、まだ「ブログ」という言葉は一般に普及していなかった。オープニングページにも表記してあるが、この「あんばら庵の日記」は、 「小説家庵原高子のホームページ」、のなかの1ページ、「日記(Diary)」のページなのである。「ブログ」と言われると、どうもしっくりと来ない。新時代の機器、パソコンの用語もまだ流動的で、使い方が曖昧なのである。
今日は、かつてこのホームページ作成のパソコンの先生でもあった娘が来た。娘のお陰で、私も人並にパソコンが使えるようになった。先週来られなかった歯科検診の帰りに寄ってくれた。珍しく早かったので、家族と3人でサンドイッチと紅茶で昼食を取った。帰りがけにはやはり3人で駅周辺を歩いた。連休の初日で、街はとても混んでいた。
夜、息子一家から電話があり、タウンニュース紙を見たと言っていた。皆元気のようだった。
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| 2010年9月17日(金) |
| マッサージ・クッションを |
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家族を送り出した後、息子一家に送る荷物を梱包し始める。途中、2件の電話で中断する。梱包がやっと終ったので、それを風呂敷に包んで、近くの取扱店まで持っていく。持っていくと100円ぐらい安くなる。帰宅して少しデスクに向っていたら、すぐに昼になった。
今日は、午後から藤沢のビッグカメラに行きたいと思っていた。いつもセールをしているみたいなチラシが入るが、買いたい品物が運よく安くなっているか分からない。ともかく電車で行くことにした。車は、裏の工事の車が何台も停まっているので、出さないようにしている。工事人は夜7時過ぎまでいる。すでに屋根は出来ているので、電灯をつけてトントンと音を立てている。
買いたいものはマッサージ・クッションである。娘のところにあったものを使ってみて、気持ち良かったので欲しくなった。ソファの背に置き、移動させれば、腰でも肩でもマッサージ出来る。
幸い、目当てのものが40パーセント引きになっていた。しかし、水色しかなかった。ベージュ系統が欲しかったが、仕方なく水色を買った。妥協したつもりだったが、家へ帰って開けてみると、新刊の「明日は晴れる」の表紙の色と同じと気付いた。大した額ではないが、この水色のマッサージ・クッションを、今回の出版記念の品にしようと思った。さて、使い心地だが、まだ慣れなくて、ぴったりとフイットはしていない。そのうちに体に馴染むと思っている。
帰宅してから、内科クリニックに行った。受付窓口で、係りの人にタウンニュースの記事と写真について質問された。名前が本名と違っていたからだ。「庵原は私です」と答えて、それから診察室に入り、血圧を測ってもらった。重いマッサージ・クッションを手にぶら下げて運んできた後だったが、幸い血圧は正常であった。それから夕食を作った。
菅直人新内閣の組閣が始まっている。幹事長は岡田氏に決ったと報道されている。1日頑張ったので、脱小沢も、そうでない小沢もどうでも良くなった。家族を待つあいだ、マッサージ・クッションのスイッチを押してまどろんだ。
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| 2010年9月16日(木) |
| 故山川方夫氏の教え 「生理感覚で人を評さない」 |
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小中学生の今の子供たちが、携帯メールなどで、匿名で誹謗中傷されると聞く。嫌なメールを受信した子供は、さぞショックを受けるであろうが、その卑劣さを冷静に受け止め、負けないで立ち直って欲しいと,願う。
しかし、このことは人を貶め、傷つける手段が携帯電話になっただけのことで、我々の世代、つまり昔はなかったとは言えない。 それは、ひとくちに言えば、メールのように文字に残らない人の唇から生れる、誹謗中傷であった。文字が残らないから良いと言う人がいるかもしれないが、言葉に尾ひれが付く、という意味ではもっと恐ろしかった。これは、紙の筒と糸または紐で作った玩具の電話で遊ぶ、あの伝言ゲームに集約される。最初の話が最後の人に完全に伝わることは先ずない、と言って良い。
私は、ものを書く人間だから、言葉そして文字を愛し、大切にしている。この日記上に、「春が来た」と書いたならば、その文字は誰かがいたずらをして書き換えない限り、「春が来た」という文字で残る。
ただし、私たちの年齢の人たちには問題がある。インターネットをやらない人口が多いのである。ネットをやらない人が、私の「あんばら庵」の日記の話を聞き、ネットをやる人にその内容を聞く人が居ると言う。そして、それを唇に乗せる。書き手にとっては、宣伝をして頂いて有り難いことである。しかし、目で読む文字と耳で聞く言葉がミックスされると、これもまた独り歩きする。何が恐ろしいといえば、やはり人の唇である。
辛い思いをしている子供たちに、このさい言いたいことは、
「大人たちも、今杖を突いて歩いているお年寄りも、みんなそういう世間の中を歩いて生きてきたのですよ」
という励ましだ。
「文字よりも恐ろしいものがあるのだから、文字を怖れないで」
と知って欲しい。
こんなことを考えていたら、昭和40年に交通事故で亡くなった天才小説家、故山川方夫氏の言葉を思い出した。
それは、私が20代だった時のことである。私は、同じ期に芥川賞候補になった関係で、彼に小説指導をしてもらったいた。今思っても恥ずかしくなって顔が赤らむ作品を
お見せしていた。特に、私の人間関係に対する姿勢が未熟で、主観が強く、客観性に乏しいものであったのだ。
彼はいつも、微笑とも冷笑とも言えない独特の笑いを浮べて、アドヴァイスをするのだった。
「ナマの生理感覚で、人の好き嫌いを書いているところがある。この感情の世界から、1度脱却して、もう1度大きな目で見て、冷静に書かないといけないよ。そうでないと独りよがりの小説になってしまう」
言われてみると確かにその通りで、私は恥ずかしくてうつむくばかりだった。約半世紀経って、このアドヴァイスが身に付いたかどうかは分からないが、人の悪口を言う前に、1度頭を冷やして、考える、ようにはなっている。人との「和」を、晩年のテーマとして大切にしていきたいと願っている。
今日は涼しかったので、夏物のカーディガンを着て、外に出たりした。脳みそにも涼風が通った気がしている。
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| 2010年9月15日(水) |
| ヨットハーバーの見えるレストランで |
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二ヵ月ぶりの昼食会である。8月は猛暑で休みにした。休まなかった年もあったらしいが、覚えていない。ともかく今年は8月を飛ばして良かった、と皆で言い合った。
幸い、昨日の夜の雨で気温が下がっていた。7名、無事に集ったのは嬉しいことだった。場所は葉山のヨットハーバー面したレストランで、静かに回旋するヨットを眺めながらの会食となった。平素、わが町の海からは右手に見る江の島は、真正面に眺められた。場所が少し違うだけで、陸も海も違って見えた。
2次会のSというコーヒー店は混んでいて、テラスの席しか空いていなかった。しかし、そこは涼しい風が吹き、思ったよりずっと居心地が良かった。私は、ラヴェンダー入りアールグレイという、紅茶を頼んだが、それも意外と美味しかった。
家族は静岡県に出張で泊りなので、夕食は簡単に済ませ、ひとりで夜の涼風を楽しんだ。
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| 2010年9月14日(火) |
| 民主代表選、菅直人氏に |
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暑さはまだ続いている。お掃除のMさん来て、午前中はその流れに沿って動く。途中、30分ほど繕い物をした。洗濯が激しいので、肌着の痛みが早い。昼にMさんが帰ってからテレビのスウィッチをつけると、まだ人の集っていない代表選の会場が映し出されていた。どこかのホテルの大広間のようだった。小沢、菅両氏の演説が始まるのは午後2時、そして投票が行われ、その結果が分かるのは午後3時頃と伝えている。軽い昼食を終えて、少し休んでいたら、
「菅直人氏が代表に決りました」
というアナウンスが聞えた。特にどちらを応援していたというわけではないが、ともかくこれで、総理大臣が変わらなくて良かったと思った。党内の権力争いや、ここで名乗りを挙げたかった小沢氏の気持ちも日本人としては分かるが、4ヵ月足らずで総理が変わるのは、対外的にも良くない。各国の人たちはどう思うか、と考えると恥ずかしくなる。
いつもなら、買い出しに行く時間を遅くして。ニュースを見届けた。どの道、あまり暑いと外に出るのも大変だ。
家族に長い靴べらを買ってきてくれ、と頼まれている。最近まで使っていたものは折れてしまった。暑さのせいで劣化が早く来たのかもしれない。その他にスペアキイを作る用事もあり、テレビを消して出かける。街へ出ると、だれも代表選のことなど考えていない顔をしているので、何となく可笑しかった。手紙1通届く。シャーロック・ホームズの香りのする良い手紙だった。夕方、はり治療に行った。夕食は鶏ひき肉でそぼろを作った。
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| 2010年9月13日(月) |
| 蒸し暑い日 手紙書く |
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非常に蒸し暑い日。温度が高い上に湿度も高い。ブルーマンデーというよりも、ぐったりマンデーという感じである。それでも、溜っている日記を2日分書いた。しかし、疲れてくると、キイの打ち間違いが多くなる。そんな時は程々で止める。推敲に推敲を重ねる小説よりは楽といっても、毎日書くのはそれなりに大変だ。打ち間違いが多くなると、精神状態が黄色信号なので、階下に降りて水を飲む。涼しい時はコーヒーを飲むが、この夏は暑くてコーヒーがあまり美味しくない。
昼から美容院に行く。髪をカットしてもらいさっぱりした。
帰宅してから、きちんとした手紙を1通書こうと思ったが、二階では暑くてとても書けない。午後からはデスクの脇に西日が当る。便箋と封筒、切手、ペンを持って、食堂で冷房を付けて手紙を1通書いた。それからもう少し簡単な手紙を2通書いた。それらを持ってポストに投函してほっとした。
家族は今日の昼、告別式に行っているので、さぞ暑いだろうと案じた。
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| 2010年9月12日(日) |
| 聖堂で声をかけられる |
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日曜のミサに行く。足の痛かった頃は、痛みが出たらすぐにも退室出来るように後ろの席に座ったが、最近は祭壇に近い前の席に座る。酷暑の夏、このあたりの方が涼しいような気がしているし、神父のお話も集中して聞くことが出来る。
今朝も、前の方の席に座ろうとした時、お顔馴染みの信者さん、Kさんが寄っていらして、
「タウンニュースの記事を見たけれど、あれは貴方のことですか?」
と声をかけられた。Kさんは、私の本名しか知らず、写真を見て私と気付いたけれど、名前が違うので、ペンネームなのか、確かめたかったと言う。
「はい、私です」
と答えた。
「貴方が小説を書くなんて、初めて知りました」
と驚いた面持ちであった。それから、ミサが始まり、それぞれ別の場所に離れた。神には感謝の気持ちを籠めて祈った。
Kさんのお宅は拙宅から歩いて5分ほどのところにある。ミサが終り家に帰ってから、家族にその話をし、拙著「明日は晴れる」を1冊持って、Kさん宅にお届けした。Kさんのご主人は文学がお好きとのことで、最初に私の記事を見つけたのはご主人、と話していた。記事が人の目に留まるのも、何かの縁だ。玄関で少し話してすぐに失礼したが、暑さの中にも気持の良さが感じられるひとときであった。
夕方、1人で散歩した。冷房の部屋ばかりにいると、足が弱ってくる気がする。立ち寄ったT書店には、拙著「明日は晴れる」が3冊平積みにしてあった。
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| 2010年9月11日(土) |
| 久しぶりのゴルフウイドウ |
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久ししぶりのゴルフウイドウとなった。ということは家族自身も、ゴルフを久しぶりにすることになる。猛暑の問題、腰痛の問題などが少しずつ改善しているということか。無茶さえしなければ、スポーツは悪いことではない。
と思って、陰で応援しているものの、こちらは、留守番の土曜日となった。最初娘が、同じ歯科の検診に来ると聞いていたが、その娘は婿殿の都合で、急きょ福島県に出かけたとメールしてきた。明日が娘の誕生日なので、お祝いをしてあげようと思っていたのもふいになった。1人でいれば、読書、家事その他遣ることは山ほどあるのに、留守番をしていると妙に、留守番人の感覚が芽生えるから不思議だ。これが長年の主婦の感情なのだろう。少々淋しくそして手持ち無沙汰のような感覚になった。
仕事はクリーニング店往復、スーパー往復を済ませ、それから、リモコンを駆使して、テレビのWOWOWで「ファイヤーフォックス」クイント・イーストウッド主演の映画を観た。といっても時間が残り3分の2ほどになったものだったが、米ソの壁がまだある頃の話で分かりやすく、ラストの空中戦の緊迫した部分を楽しんだ。
以前、椅子から転倒した時、(骨折はしなかったが、打撲で療養)テレビの映画でお茶を濁した経験がある。読書では娯楽作品は一切読まないので、こういう時は映画で気持ちが紛れる。
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| 2010年9月10日(金) |
| 菅か小沢か、小沢か菅か |
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昨日の句会の後、民社党代表選の話が出た。男性の会員は3名だが、その中では若手の会員が、
「まったく、政治は何をやっているのか、いらいらする」と言っていた。
つまり、他にやって欲しいことがあるのに、という意味だ。第一に経済の回復、若者の就職難、子育て支援、老人介護、などなど問題は山積みである。その男性はさらに続ける。
「要するに、今やっていることは、権力争いじゃないか」とも。
確かにそうだが、権力争いが醜いと言って<1人が身を引けば、残りの1名が得をするわけで、それが分かっている以上、簡単に身を引くわけにはいかない。代表にしろ、総理にしろ、最後は1人が選出されるという絶対的な事実が、争いを起こさせるのだろう。ただ、それが、厳粛な事実に思えず、ドタバタに思えるところが、国民として不満なのである。力いっぱいの演説も、猛暑の中さぞ暑いことと思うが、映し出されるテレビの画面から、心に響いてくるものは少ない。句会の男性の「いらいらする」と言う言葉はそういうところから出てくるのだろう。精神ばかりでは、政治は出来ないとしても、お金ばかりでは情けない。
今日は、家族が出張で楽が出来ると思っていたが、結構忙しかった。午前中は、お向かいのN家に行き、拝借したヴィデォをお返しした。午後は歯科検診。夕方は、「明日は晴れる」の版元が荷物を持って見えた。玄関で少し立ち話をした。良い話であった。
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| 2010年9月9日(木) |
| 絵硝子横浜句会 |
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昨夜と打って変わった天気になり、朝から句会に出かけた。しかし、鎌倉駅で乗った電車が動かず、22分も停車していた。途中携帯で連絡をした。関内の駅から少し走り何とか間にあったが、それだけで疲れた。句会場に入り呼吸を整えた。それでも早く家を出たお陰で助かった。句会の出席者は10名、1名の投句があり、55句の選句になった。
点句となった3句を書く。
裸婦像の置き場決まりて秋静か
物干の肌着悠々秋の蝉
戦友の夫に味噌汁秋一刻
上の句は2点句、下の2句はそれぞれ1点句である。拙句で恐縮。
帰りは真っ直ぐに帰った。メールや郵便が届いていた。
差出人のない絵葉書についてはまだ分かっていない。謎解きをしているけれど……。
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| 2010年9月8日(水) |
| 差出人のない絵葉書 |
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台風の接近で、小雨の天気そして久しぶりに涼しい朝となった。朝のうちに薄紅色の桔梗(9.6日掲載)の植え替えをした。ヴィニールの鉢から陶製の綺麗な鉢に植え替えた。この方が花のためにも良い。2鉢植え替えた。こんな仕事も涼しいと楽に出来るから嬉しい。しかし、台風は長崎方面を右に曲がり、北陸地方に上陸しようとしている。気象予報士いわく、北陸上陸は前例がない、そうである。雨の少ないうちに駅前まで食料買い出しに出たが、スーパーの帰りには大降りになり、結局濡れた。しかし、天候で足止めを考えての買出しは、気持ちの上で安心だ。
午後、住所、差出人の書いていない絵葉書が届いた。宛名は私、庵原高子で、「明日は晴れる」のご感想がきちんと書かれているものだ。いたずらという文体ではなく、きっとお名前を書くのをお忘れになったのだろう。男性のようでご自分を小生と書き、ネットとは無縁の生活をしている、などと書かれているので、色々と推理を働かしている。クイズのようでもある。
夕方は大雨になった。しかし、北陸に上陸した後、長野県辺りで熱帯性低気圧になったという。台風と熱帯性低気圧との違いは何? と思うが、忙しいから追及しないことにする。こんな天候のさなか、家族の帰りが遅く、足音を聞くまで心配した。もっとも今夜は遅くなると聞いていたのだが。
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| 2010年9月7日(火) |
| 映画 「田園交響楽」 |
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台風の影響で、やや風のある日になった。
昨日、隣家のN夫人が、映画 「田園交響楽」のヴィデォを届けて下さった。ジイドの原作も良いけれど、映画もいいわよ」と置いていらした。夫人は最近夫君を亡くされ、ご家庭での読書や音楽鑑賞、ヴィデオでの映画鑑賞をされている。先日、拙著「明日は晴れる」をお届けしたり、とこのところよく行き来をしている。午後から観ようと決めて、午前中は家事、と銀行の用事、買い物などを済ませた。内科クリニックにも寄ったが、混んでいたので午後から来る伝えた。
昼食後、ヴィデオのスイッチを入れた。このヴィデオは、2011年で終了するアナログ形式のものだ。今のうちに使っておかないと、と思っているが、最近はあまり使っていない。妻帯者の牧師が盲目の少女を愛する 「田園交響楽」のストーリーは有名だから、あえて書かないが、雪の田園地帯で静かに展開される、人間の聖性と獣性が葛藤する物語は、改めて考えさせられるものがあった。主演のミッシェル・モルガンが美しくまた好演していた。
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| 2010年9月6日(月) |
| デジタル遺産の行方 |
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9月3日の朝日夕刊のトップに、
「デジタル遺産どうなる?
急死したら、メールは、ブログは」
という記事が載っていた。そして、その種の、いわゆる相続サーヴィスがアメリカで拡大していると書いてあった。
私は、この問題を、ずっと考えていたので、記事に目が留まった。そして、今回、生きていて力のあるうちにと思い、電子日記「明日は晴れる」を書籍化した。このことは、高齢者にとって痛切な問題なのだ。若い人にも事故などによる急死はあるが、我々はそうでなくとも衰えが日々進行している。私には連れ合いも子供たちもいるが、デジタルの相続人になってくれるという保障はなく、それに関する話し合いもしたことがない。それに、私のようにひとりの力でコンピューターをいじっている者は、何かの弾みでミスをして、書き込んだ物を消してしまわないとも限らない。この問題は、生きている間でも起きる可能性がある。コンピューターには、便利な分だけ機械に頼る不便さ、そして思わぬ落とし穴もある。経験による予知的カンや、持ち前の心配性、さらに版元の協力もあって、今回息のあるうちに出版に漕ぎ着けたのは、幸いであった。記事の詳細を把握しているわけではないが、この方法には関心を抱いた、と書いておく。
写真は、薄紅色の桔梗の花。駅前の花屋さんで見つけて買ったもの。芯の色が濃くて、激しさを奥に秘めた女性を連想した。私とは大分違うタイプだ。
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| 2010年9月5日(日) |
| 当時のイスラエル社会 |
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ミサに行く。猛暑のまま9月も5日になった。信者さんたちは、それでも沢山集っている。千葉師もお元気のようだ。
今日の師(神父と書く場合もあるが、同じ人物)の話、そして朗読聖書についての説明は分かりやすかったので、要点を
書く。
キリストが説くところの「私に従いなさい。親兄弟、夫、妻、子供たちよりも」という意味は、過激に聞えるかもしれない。しかし、当時のイスラエルの社会は、血縁社会で強く固まっていて、他の社会(ネットワーク)を全く受け容れようとしていなかった。それ故その殻を破り、狭い社会から抜け出しなさい、隣人、つまり他の血縁社会は決して敵ではない、という意を籠めてこの言葉がうまれたのです、と。
我々はすぐに今の時代の自分を重ねて、聖書の話を聞くが、当時の歴史的状況を良く教えられて聞くと、理解が深まる、と思った。
昼から車を出して、買出しに出かけた。
写真は、庭に咲いた花ジンジャー。とても良い香りがする。花の大きさも紫陽花の花くらいある。これから当分咲くと思うと楽しみである。
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| 2010年9月4日(土) |
| 午前中は来客 |
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午前中は彫刻家のI.M氏がご夫妻で見えた。お仕事場は鎌倉霊園に近いところと、お住いは北鎌倉の寺の傍と伺っている。氏に、電子日記の書籍化、「明日は晴れる」をお送りしたところ、、とても喜んで下さり、お電話を頂いて今日の来訪となった。
数日前のお電話で、作品に一貫した流れがある、プルーストのようだ、と言われた。敗戦後に十代の思春期を送った我々の世代は、「内向の世代」と言われている。さらに、中年で、大学生になった時、卒論に書いたV.ウルフの、「意識の流れ」の影響があるのかもしれない。しかし、強烈に、何かにかぶれたという印象がない。素直に書いている、と言われた。それは、教養がないからでしょう、とお答えした。氏はさらに、マイヨールのように海洋の香りがする、とも言われた。それは海のそばに住んでいるから、とお答えした。こちらからすると、彫刻家のお言葉には、ヨーロッパの歴史と香りが充満していた。 ともかく有り難いお言葉を沢山頂戴した。そして、Lifeというタイトルの小さな裸婦の像を一点頂いた。何度見ても、新しい発見のある見事なお作である。目下置き場所を検討している。ホームページに掲載して良いというお許しが出たので、いずれ掲載する。
右の写真は、今朝のわが庭の朝顔の花である。濃い紫が目に染みるようであった。
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| 2010年9月3日(金) |
| タウンニュース社の取材無事終了 |
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朝になって家族を送り出した後、美容院Mさんから電話があった。10時半に空きが出来たから何とかやりましょう、声をかけてくれたのだ。きっと気にしてくれていたのだと思い感謝する。このM美容院は、孫の七五三、などでも世話にもなっている。駆けつけた時は、この夏の暑さで汗をびっしょり掻いていた。それも数分のことで、涼しい冷房の部屋で、髪を洗って、整えてもらい、すっきりとした気分になった。お陰で、家に帰ってゆっくりと昼食を取る時間もあった。
午後2時少し前にブザーを鳴らしてきたタウンニュース社の女性記者(わざわざ女性と書くのは、もう古いのかもしれない)とは、正味1時間半話をした。詳しい内容は、9月10日のタウンニュース紙鎌倉版(毎週金曜に配布)の「人物風土記」欄に載る。是非ご一読願いたい。写された写真についてはもうコメントしない。内面に女心があったからと言って、実力が伴わないものはどうしようもない。雀百まで踊り忘れず、という精神が大切なだけだ。
目は、眼科の点眼薬が効いて、大分良くなった。赤みが半分以下になった。夜は久しぶりに、ビール(アサヒのクリア)を少し飲んだ。つまみのセロリが美味しかった。
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| 2010年9月2日(木) |
| タウンニュース社から電話 |
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朝の涼しい時に玄関周りの掃除をした。箒を使った後、ホースの水で外壁などを洗った。見違えるように綺麗になった。
大掃除をすると、幸運が来る、と風水などでは言うらしい。掃除が人を呼んだのか、昼ごろ電話があり、明日午後、タウンニュース紙の記者が取材に来たい、と言って来た。「明日は晴れる」出版に関する取材である。写真も撮ると言う。
OKと返事をしたが、家は綺麗になったものの、連日の汗で髪の毛がボサボサだと気づく。美容院に電話をしたが、希望の日時が取れなかった。明日、お昼頃なら空いていると言われたが、2時に間に合わないと困る。そのまま電話を切った。仕方がない、明日は自分で洗髪をして(右目にシャンプーが入らないように気を付けて)、ブローをして、身奇麗にしよう、と考えた。筆一本の勝負をしているのだし、顔や姿で勝負しているのではないと、思ったが、老いてもこうした時の女心は旺盛に湧いた。取材そのものに関しては、たとえ沢山の質問があっても、対応出来るという気がした。病後に、縁あって自然に始めた電子日記のことなのだから、自然に答えれば良いと思うだけだった。家族は、朝出かける時、今夜帰りが遅いと言っていたが、10時頃帰ってきたのでほっとした。
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| 2010年9月1日(水) |
| 今日から9月とは思えない |
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今日から暦上は9月だが、そうは思えない暑さである。外でだれに会っても「お暑いですね」が挨拶になっている。
目の充血はまだ治らず、サングラスをしている。そうでなくとも紫外線が強くて、陽を直視することが出来ない。サングラスをしたまま、メールを1件送信し、それから簡単な手紙を1通書いた。郵便局に投函しがてら買出しに行く。午前中に買い物を済ませておけば、午後から休息が出来る。買出しを先延ばしにすると、落ち着かない。宿題をしていないような気持になる。
目を休ませて、午後はソファでうとうとする。しかし、暑くてあまり熟睡は出来なかった。
夕方、メールを開くと朝の送信の返事が届いていた。事務的な連絡でもあるのだが、返信が来ると嬉しい。メールでも心は通うことはある。夜になってまた、別の人より電話連絡が1件あった。夕食は珍しく、レトルトのビーフシチューを暖めた。目の保養のため、という口実で。しかし、なかなか美味しいレトルトシチューで、家族も綺麗に食べてくれた。
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| 2010年8月31日(火) |
| 眼科に行く |
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昨夜は、10時半ぐらいに戻って特に疲れもなく、床に就いた。
今朝は朝食の仕度をして、家族が出勤した後、食器などを片付け、デスク前に座った。そして「明日は晴れる」出版以後の、お便り、電話、メール、お祝い品などのメモ書きを、改めてコンピューターに打ち込んだ。そうしておかないと、メモをどこかに無くしてしまう恐れがある。ともかく記録は取っておこう。
1時間半ほどの仕事だったが、結構疲れた、と感じた。
それから昼食になり、パン少々に、キウイフルーツにヨーグルトなどを取った。食欲があまりなかった。食後何気なしに洗面所の鏡を見て「あっ」と思った。
右目の白い部分、とくに中心に近いほうが真っ赤になってしまっている。やっぱり昨夜疲れたのかな、と思った。この一が月の猛暑の疲れも溜っている。昼休みが終る時間を待って、かかりつけの眼科に行った。すぐに眼底、レントゲン、視力などを調べてもらった。
「大事はありません、お疲れが出たのでしょう」
と医師に言われた。充血に効く点眼薬をもらった。(と言っても、最近は、処方箋を薬局に持っていく)その薬は、冷所保存と記してあった。使い終わったら、冷蔵庫に入れて置くらしい。家に帰って早速点眼した。それから、薬を冷蔵庫に仕舞った。
夜、家族の帰りを待つ頃、電話が1件あった。今日ご避暑地から戻り、拙著「明日は晴れる」を手にしたというミステリー作家のS.S氏からであった。沢山の良いお言葉を頂いたが、なかの1つを記す。
「笑う人は、笑わば笑えで、文学はどんどん書くのがいい。これでいいんだよ」
心に沁みるお言葉であった。
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| 2010年8月30日(月) |
| ピアノの上の「明日は晴れる」 |
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グランドピアノの上に、拙著「明日は晴れる」置いた写真が写真が届いた。撮影者のT.I 氏は、最初プリントしたものをお手紙と共に送ってくださった。しかも氏はメールをなさらないそうで写真添付が出来ない。それならばこちらでスキャンするからと、写真現像を頼んだ。
早速、わがプリンタ、エプソンのPMーA820でスキャンし、マイピクチャーから、マイドキュメントに取り入れ、それからホームページ「新あんばら庵」のPICTUREページにコピーした。コメントも少し書いた。まだ、このPICTUREページには慣れていないところもあり(サイズの決め方、並べ方、コメントの配置など)、追い追い改善していくつもりだが、不揃いながら写真はご覧になれるようになっている。どうぞ、PICTUREページの新しい写真を見て下さい。
夕方から、横浜に行き、駅ビルの7階のニューホッペンというビアレストランで行われる納涼会に出席した。横浜慶友会というかつての大学生、通信教育過程のお仲間である。出席者は茨城県など遠方の方も加えて10名と盛会であった。
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| 2010年8月29日(日) |
| 日曜のミサに行く |
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外出やお盆、そして疲れで3週ミサを休んだ。理由はあるが、休むと何か気になって仕方がない。聖堂には猛暑にも拘らず信者が多く集って来ていた。毎回書いているが、この人たちには頭が下がる。
神父のお話は、へりくだること、であった。へりくだる者は高められる、という聖書の一節を噛み砕いて話してくれた。また、日曜日にミサがあることを当たりまえに思わないこと、と話された。つまり共同体の人たちの協力によって、ミサが行われるという、陰の力を忘れてはならない、と話された。何事にも通じる話で、ついつい表面だけ見る私たちには耳の痛い話であった。しかし、久しぶりにミサに参加してほっとした気分であった。
日中、デスクの仕事を少ししてから、家族と共に小町通の鬼頭天薫堂というお香や線香を売る店に行った。家族はお彼岸が近いので、仏壇に供える線香の良い品を買いたいと言うのだ。駅まで江ノ電の1駅を乗り、小町通を奥まで歩いた。天薫堂はその右側にある。香のかおりに包まれたその店の中は別天地であった。鎌倉五山という線香を買って店を出た。人出は多く、あまりの暑さに、門という喫茶店に入り、アイスコーヒーを飲んだ。友人のイラストレーター、T.K子さんが働いていた。「明日は晴れる」をありがとう、と言っていた。帰りは家まで歩いた。日傘を差していたが、西日が日傘の中まで入ってくるように感じられた。我が家は、こんな風に、キリスト教と仏教の仕事がミックスされる日も多々ある。私はキリスト教徒、家族は仏教徒、なのだが、私たちはそれなりに上手くやっている。
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| 2010年8月28日(土) |
| 娘の家に |
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娘の家にはしばらく行っていない。ご無沙汰で悪いなと思っていたら、チャンスが訪れた。息子の家の、下の孫が遊びに来るという。ちょうどお裾分けしたい品もあったので、それを持って出かけた。家族は土曜日でも仕事が入っていた。携帯やメールで何回か連絡して、東急東横線のH駅の改札付近で待ち合わせした。2.3分待って、娘夫婦、そして下の孫に会えた。そこから車で数分の娘の家に行った。運転はもちろん婿殿。孫は傾斜のある道の下りで喜んでいた。ディズニーランドのこうした傾斜も大好きだと言っている。年齢の差を痛感した。
娘の家に着いてすぐ、そのリビングの風通しの良さを感じた。坂の途中の立地なので、坂の下に向って居間のガラス戸が開いている。家としては1階なのだが、高台にいるように風が入ってくる仕組みだ。建てる時に、それらを良く考えたことが分かる。私の家も2階を居間にしたいものだ、などと思った。
冷たい麦茶をご馳走になっているうちに、孫はWiiふいっとではなく、Wiiパーティというソフトで遊び始めた。我が家にこのソフトはないので、1観客となって眺めさせてもらった。人懐っこく、人見知りしない性格の子で、その点ママの教育が良いと感心した。2時間ほど居て、私は先に失礼した。帰りもまたH駅まで婿殿の車で送ってもらった。横浜駅で途中下車してデパートに寄ったが、その人の多さに驚いた。私はおよそ1か月、冬篭りならぬ夏篭りをしていたのだから。有名店の菓子売り場、そして化粧品売り場には行列が出来ていた。
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| 2010年8月27日(金) |
| 「あんばら庵」のProfileに写真を |
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相変らず暑い。暑いがデスクの仕事はほとんど日中している。
しかし、昨日は家族が居なかったので、夜デスクに向った。少し書き物をした後、「新あんばら庵」の編集画面を開いた。オープニング・ページに、Profile、という項目がある。Clicするとそのページに変わる。そこに、私の写真を取り入れて、公開した。公開画面に耐えられる顔ではないと思っていたので、差し控えていた。だが、いつまでも逃げてもいられない。思い切って載せることにしよう。
昨夜は静かな夜で、そんな心境になった。写真の場所は、神奈川県の久里浜緑地。国際交流の友人たちと満開のコスモスを観に行った時に撮ってもらったものだ。花に囲まれると人の顔は自然に笑顔になる。という意味で良い写真だ。平素はもう少し怖い顔をしているはずだ。ご笑覧いただければ幸いです。
昼ごろ、軽井沢に滞在中の友人から手紙が届いた。長年苦労された方で、この夏からやっとゆっくり出来るようになった方だ。返事をすぐに書いた。
猛暑と冷房の繰り返しの関係か、足が吊りそうになることがある。夕方、近くの足裏マッサージに行き、治療してもらったら、その傾向が治っていると言われた。足に関する回復の話はうれしいことである。
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| 2010年8月26日(木) |
| 生ゴミを出し残し、ショックを |
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暑いところ、生ゴミの話で恐縮だが、今朝指定された場所まで運んだところ、すでに回収車が持って行った後であった。朝寝坊することはないし、朝出勤の家族が居て、めったにこんなことはないので、いささかショックを受けた。家族が近県に出張で、いつもより30分ほど出足が遅かったからか、暑いので回収車が早く来たのか原因は分からないが、すごすごと生ゴミを持ち帰った。そして室内に置いて匂わないように、二重のヴィニールに包んだ。次の回収日は30日の(月)になる。
と書いたように、わが市の生ゴミ回収は週2回なのである。近くの藤沢市、横浜市、川崎市などは週3回、回収があると聞いているが、この2回が夏は大変きつい。ともかく臭くなってたまらない。以前生ゴミ処理機というのを買ったが、屋外機で、寒くても暑くても外に出て、屋外機のふたを開けて生ゴミを入れなくてはならない。電源を入れてから乾燥するまで結構時間がかかる。その間留守をするのも憚られる。あまり外食をしない家だし、野菜と魚好きなので、野菜の皮、魚の骨などがゴミになる。2回のうちの1回を出さないと、一週間生ゴミと暮さなくてはならない。
しかし、市役所の担当部署に抗議したことはない。いろいろと事情があるらしい。ともかく今朝は、がらんとしたゴミ置き場を見て、ショックを受けたとだけ書いておく。
午前中手紙書きをする。元がん患者同士で文通をしている方がいる。その方から送っていただいたプリント印刷の写真がとても良かったので、「あんばら庵」に載せたいと思い、連絡させていただいた。お許しが出れば掲載する予定。果たしてどうなるか。もう一通、私の本名はご存じの方だが、ペンネームはご存じなかった方に葉書を書き、ペンネームだとお知らせした。「明日は晴れる」を受け取って不審に思われたらしい。なあんだ、あの人か、と思われるかもしれない。私は普段ものを書く時のように、改まった顔を人様にお見せしていない。スーパーマーケットで安売りの品を買い、友人たちにはくつろいだ顔で冗談を言ったりする。わざとそうしているわけではないが、自然にそうなっている。商家の大家族に育ったせいか。人は外見では分からない、というものだ。ともかくそうしてペンネームの正体をお知らせした。
家族が泊まりの夜は静かだった。
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| 2010年8月25日(水) |
| 工事の車停まる路地を発信 |
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2.5メートルほどの路地奥に私の家はあるのだが、その路地の奥に左にさらに折れる、1.2メートルほどの路地がある。2.5メートル路地は、海の方に通り抜けられるが、1.2メートル路地は行き止まりだ。その行き止まり路地奥に現在家が建ち始めている。生コン車その他大型の工事車は、1.2メートル路地には入れない。1台は西側隣家の空き駐車場に停め、あとの車は、私の家の北側駐車場前に停めて、材木やスチールなどの資材を運ぶ。すべてがぎりぎりのスペースである。長い資材を持って方向を変える時など、電線や家の外壁にぶつかりそうになる有様である。ともかくわが町の旧市内はこういう狭い路地が多い。これを鎌倉の文化と言って、随筆などに書いている作家も居るが、現代建築の工法とはぶつかるところがある。幸い、今のところ大きな問題は生じていないが、私が車を発進させようとするには、かなりの困難がある。たとえ路地の車を退けてくれたとしても、西側の隣家駐車場に、2トン車を縦に2台入れることもあり、お尻の部分が飛び出して、元の路地としては、50センチほどの出っ張りが出来る。車を運転しバックして車庫入れをなさったことのある方なら、この50センチが如何にきついかお分かりと思う。
工事関係者は「車出す時はいつでも声をかけて下さい」と言っているが、出そうか出すまいか、迷ってしまうことがある。狭い路地の運転は何十年もしてきているから、女性にしてはバックも上手いと自負しているのだが、普段より50センチの出っ張りとなると、すべての計算が違ってくる。間違って愛車を擦りたくはない。
「出る時は声をかけて下さい」という言葉に、少々付け加えたいと思い、朝、顔を会わせた時に工事関係者に言った。
「出た車は帰ってきますので、大変なのは帰りのバックなのです。帰れるようにして下さい」
そう言ったら、帰りのバックについて少し理解の表情を見せてくれた。何事も話し合わなくては通じない。あちらは、工事に伴う騒音ばかりを気にしていたらしい。
「この夏は、猛暑なので、車で買出しをする方が楽で」とも伝えた。
そんなこんなで、今日は車で買い出しに出かけ、スーパーの駐車場に停め、量の張る品(トイレットペーパー)、重たい野菜(大根、キャベツ、トマト、)果物(桃)、その他、味噌、卵などを買い、車で家に運んだ、。帰りのバッグは慎重に行い、トラブルこともなく家の駐車場に戻った。
夕方は乾いている庭の水撒きをした。午後、香川県から金時芋が届いた。薄切りにしてレモンと煮た。
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| 2010年8月24日(火) |
| 神谷光信さんのブログで「明日は晴れる」が紹介される |
今朝パソコンで種々の検索をしていた。階下にはお掃除のMさんが来てくれているので、朝からそんなことも出来た。しかし、あまりMさんを放っておくわけにもいかない。そろそろ降りていこうかと思った時、コンピューター画面に思いがけない言葉が出てきた。拙著新刊「明日は晴れる」(冬花社刊)の紹介文である。紹介文は、神谷光信氏のブログ上にあった。神谷氏は「評伝 鷲巣繁男」(小沢書店)などの著者として知られる若き評論家である。三田文学の会合でいつもお会いしている。ブログのタイトルは、
「フォントネー研究院」。英語ではなさそうで、その意味はいずれ氏にうかがってみようと思っている。早速、版元の本多順子氏にお知らせした。こうして、拙著の話が広がっていくのは、誠に有り難い。午後、洗面所で髪を洗う。夜洗わない習慣は相変らず続いている。頭がさっぱりして涼しくなった。
その後、午前中は医師が休みであった内科クリニックに行った。血圧は正常であった。これまでの医師が休養中で、相変らず代診の医師だが、そのH.K医師ともコミニケーションが取れ始めている。医師も人だから病にかかることもある。患者もしっかりしなくてはと痛感している。帰路、駅前に行き、書店とスーパーを回った。駅前、松林堂書店の棚に、水色の表紙のわが本「明日は晴れる」が一冊置いてあった。 |
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| 2010年8月23日(月) |
| 庭の朝顔 |
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庭の朝顔は毎日咲いているが、数を数えるほど多くない。5月ごろに種をまき丹精を籠めないと夏に良い結果が出ない。種まき頃に忙しいと朝顔の花の少ない淋しい夏となる。しかしこれも色々と事情があるので仕方ない。
今日は休養の月曜日のつもりだが、相変らず暑いので、休養という感覚はない。むしろ、暑さと闘っているという感じである。メールには「本を有難う」の受信が2件あった。こちらは本を1冊発送した。先日、来年100歳という男性が、お送りした「明日は晴れる」(冬花社刊)を喜んで読んで下さっている、という報に接したので、とても驚きそして喜んだ。本を送って(ご迷惑か)と思うのは俗人の考えることで、本を受け取った方の気持ちは、まさに神のみぞ知る、なのである。何事も無心で、謙虚な気持ちが大切、と考えている。
暑くても、日に一度は食料の買い出しに外出している。そしてスーパー店内の人では思ったより多い。いくら冷房が効いていても、家にばかりいるのはつまらないのかもしれない。などと勝手に考える。帰宅してから、庭の鉢を含めて、木々への水撒きを大量にした。塀の外も水を撒いた。ほっとしてから夕食の仕度をした。
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| 2010年8月22日(日) |
| 物干しの洗濯物に蝉 |
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お盆のあいだ、忙しくてミサをサボったから、今日こそは行こうと思ったが、疲れて気力も体力も湧いて来なかった。ちなみに昨夜のビールは1杯だけである。来週こそは行くと心に誓って、休むことにした。 相変らずの暑さである。休みの家族と共にごろごろとすることにする。しかし、家族は日中庭に出て雑草を取り始める。野球帽のような帽子しか被らないので、うなじが陽に当たり、心配なのでタオルを首に巻くように言う。今年の熱中症は急に痺れが来たりすると聞いている。ひとりで好きなように遣るのは良いが、事故があっては困る。昼食は有り合わせのもので済ます。夕食としては、冷蔵庫にカレーの材料があったので、買出しにも行かないことにする。洗濯だけは、汗をかくので毎日している。
夕方、二階の物干しに、洗濯物を取り込みに行ったら、家族のパジャマの上に右の写真の蝉が止まっていて、ミーンミーンと鳴いていた。一生懸命異性を呼んでいるのか、私が近付いても、逃げる様子がなかった。私は立ち止まりしばし考えた。洗濯物を竿から外せば、いくらなんでも飛んでいってしまうだろう。その前に写真を撮ってやろう。写真のシヤッターなら逃げない、というカンがした。5回ほどシャッターを切ったが、案の定逃げなかった。1度カメラを置いて、他の洗濯物を取り込んだ。それを抱えて階下に降りて、ふたたび上って行ったら、蝉は居なくなっていた。写真の蝉の向うの空は、鎌倉由比ガ浜の方角、その向うは太平洋である。それにしても、人懐っこくて可愛らしい蝉であった。
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| 2010年8月21日(土) |
| 大物が少なくなった日本 |
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政治の動き、経済の動きがテレビ、新聞で報道されている。民主党の一部の人びとは9月に行われる代表選に繋がる動きなのか、軽井沢の鳩山前首相の別荘に集った、と伝えられる。経済は、円高のニュース、日経平均株価の数字を映している。家事や物書きに追われていると言っても、これらのニュースが末端に暮す我々に関係がないわけではない。目を光らせている、と言うほどではないが、日々のニュースを見て、「ああ、どの世界にも大物が居なくなったな」と思うこの頃である。スポーツ界、文学の世界にも共通する寂しさがある。存在するだけで、納得できるような人が少なくなった。ともかく今後の日本はどうなるのだろう、と心配になる。
日中、2冊の本の発送で、郵便局に行く。これまで発送したことのない所にも送っている。
夕方になって、家族と大船まで行く事になって、ついでに夕食をと家を出た。家族は、毎日出勤しているが、今年ほど半袖のYシャツを必要とする年はないと言っている。枚数が足りなくなったその半袖のYシャツを、大船の駅ナカ(駅構内の店)で1枚購入した。すでに店には秋物が出ていたが、残り少ない品物の1枚を探した。食事はビールの美味しい店に入った。久しぶりにレジャー気分になった。
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| 2010年8月20日(金) |
| 100歳近い読者もいる |
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あまりの暑さに午前中に洗髪する。手術後は、風邪や中耳炎を用心して、耳栓をして洗髪したが、最近は忘れることがある。元気になった証拠なのか。途中、昨日訃報の入った方の友人K.Y子さんより電話がかかった。慌てたので板敷きの部屋のあちこちを濡らした。子機を傍らに置いておかない時に限って、かかってくる。
その後のもう1件の電話は冬花社の本多さんからで、拙著『明日は晴れる』の読者と言って、来年は100歳になる方から電話があったと伝えてくれた。その方は、以前がん患者の会「のぞみ会」でご一緒だった方で、当時は90歳を越えていらした。しかしまだゴルフも車の運転もする、とおっしゃっていた。発送者のリストを作る時、活字も細かいし、ご迷惑かしら、と思ったが、とても喜んでいらしたと聞き、嬉しく、安心もした。お元気なご様子何よりである。ご長寿にはせいぜいあやかりたいものだ。
やっと少しのんびり出来たので、夕方近くの足裏マッサージに行く。短い時間であったが、気持ちよくて眠りそうなひとときであった。家族の帰りは早く、土産の鯛めしをフライヤーで蒸して食べたら美味しかった。
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| 2010年8月19日(木) |
| 訃報に接する |
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幾分涼しい朝になり、午前中は家事の他、葉書書き、本の発送の添え書きなどをこなす。しかし、昼からはまた暑くなった。郵便
局に行きながら、日常の買い物をする。スーパーの中は冷房が効いていて涼しい。入口付近に椅子が置いてあり、そこに座って涼んでいる人もいる。こんな時、何を考えているのかな、と思うことがある。去年足を痛めたとき、この椅子に座って足をさすり、さすっては立ち上がり歩いたものだ。その人の体調、そして人生など、椅子に座る人びとへの想像が膨らむ。
帰宅してメールを開いたら、チェサピーククラブ(アメリカ、メリーランド州、国際交流訪問団の仲間)のHさんよりメールが入っていた。仲間の1人I.K子さんが急逝されたとのこと、それもお好きな水泳中に倒れられたとのこと、私よりかなりお若いこともあり、信じられない思いであった。忘年会などの後、カラオケにご一緒したときの艶やかな歌声が耳に残っている。いつもご主人様とご一緒だったから、奥様が急に倒れてさぞお悲しみだろうと、お察し申し上げた。通夜と葬儀には、Hさん他有志が参列してくれるとのこと、電話連絡も幾つかしてその夜は終った。恩師成毛医師も、柔道着を着たまま亡くなったし、お元気な方の運動中の急死には、無念な思いが残る。好きな水泳をして、天国に行ったと思えば思えるが、遺されたものは淋しくてたまらない。心からご冥福を祈る次第である。
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| 2010年8月18日(水) |
| 「暑いですね」の言葉を交わし |
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外で知人に会っても、駅のベンチで知らない人と隣り合っても、「暑いですね」の会話が続く。江ノ電の中は冷房が効いているが、バスの停留所が並ぶ駅前広場はひどく暑い。スーパーに行くついでに書店を2件回ったが、まだ拙著『明日は晴れる』は並んでいなかった。ちょっとがっかりした。
スーパーでは野菜の値段が上がっている。トマトが好きなので、トマトが高くなっていると、少々迷って手を延ばしたり引っこめたりする始末。レタス、キャベツなども平素の2割ぐらい高くなっている。しかし、猛暑の中、栄養をつけなくてはならない。豆腐と薬味の茗荷など、色々と買ってしまった。
夕方家族から電話がかかり、遅くなるとのこと。夕食はひとり膳になる。好きなトマトと、冷やっこを中心にしたメニューになった。ひとりだと、自然にダイエット食品もどきのメニューになる。気が向けば、アサヒのクリア350mlを1缶開ける。こう書くと飲めそうだが、私のDNAに酒飲みの分解酵素は入っていない。もっと飲めたら、私の文筆人生も変っていたかもしれないと思うが、これも親譲りだから仕方ない。
夕食後、久しぶりに電話で旧友と話をした。孫が出来た由。中年の大学生だった頃、よく遊んだ仲間の1人だ。涼しくなったらどこかで会いましょうと、話した。
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| 2010年8月17日(火) |
| 暑いが、一日働く |
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暑さは続いている。3日間出来なかった『明日は晴れる』関係の仕事に戻る。リストアップ洩れ、その他、私の手元から手紙を加えて発送する仕事もあり、別の葉書書きなどと共にこなす。
お盆休みで、裏の工事などは休んでいるが、私は洗濯機を回しながらいつも通りに働いている。Tシャツやアンダーウエアは、汗を取るだけだから、設定をスピードにして簡単に洗って干す。しかし、毎日となるとそれなりに忙しい。
裏の工事が休みということは、職人の車が停まっていないことなので、発送する包みを積んで、車を出した。車はエアコンが付くし、荷物も持たなくて済むので涼しくて楽だ。郵便局からスーパーに回り、買い物をして家に帰った。重たい野菜なども車に積んだ。お盆明けには、裏では上棟式があると聞いているから、そうなると車を出しにくくなる。もちろん、職人の親方に、「出るときは言って下さい」と言われているから緊急の時は言うつもりだが、買い物ぐらいなら江ノ電を使うことも出来る。
夕方からは、はり治療の予約が入っていたので、行く。拙著を持って行った。若い(私よりかなり)はり師は、パソコンを良くやると聞いている。謹呈すると喜んでくれた。腰痛は殆どないが、右ひざが階段の下りで痛む。そこはマッサージをしてもらった。
夕食は、鶏の手羽中をオーブンで焼いた。最近のガス・オーブンはこんがりと良く焼ける。味付けは塩コショウのみ。夜になっても気温はいっこうに低くならない。
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| 2010年8月16日(月) |
| 井上ひさし作 『黙阿弥オペラ』 |
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昨夜遅く息子一家は帰ったが、今日はゆっくりと休むわけにはいかなかった。大分前から取っておいた芝居のティケットがあり、休暇の家族と新宿のサザンシアターのマチネー、井上ひさし追悼公演に行く。
開演は一時半なので、その前に昼食を取るべく、インターネットで近くのレストラン街などを調べて家を出た。電車も近ごろは湘南新宿ラインで乗り換えなしでいくことが出来る。電車に乗ること、新宿で降りてから手ごろな店で蕎麦を食べておなかを満たしたところまでは良かったが、劇場内の席に座り、幕が開いたところで、ついぞ経験しなかったような猛烈な眠気に襲われた。
1幕目は柳橋の粗末な飯屋の夜のシーンで、照明も暗かった。それでも、井上ひさし氏の書くものは、台詞の1つ1つに思いが籠められ、こだわりもあると知っているので、耳は一生懸命に傾けた。しかし、老婆役の熊谷真美の台詞は早口でなかなか聞き取れなかった。大川に身投げをしきれずにこの店に来たという2人の若者の台詞も、眠気のせいか、とぎれとぎれに聞こえた。さすが、ここ2日間の疲れが出てしまっていた。
1時間半後に休憩になり、ロビーに出て、自販機で無糖のブラックコーヒーを飲んだ。それからはずっと目が醒めて、ご維新の時代を挟んで、微妙な時期の芝居を楽しむことが出来た。しかし、夏の魔法の粉がまだ全身に振りかかっているようで、ずっと妙な気分であった。帰りは直通の電車がなく、戸塚駅で乗り換えた。
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| 2010年8月15日(日) |
| スイカを切るのを忘れる |
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猛暑と孫たちの声で、庭の外が金色に輝いている感じである。と言えば、楽しげに聞えるかもしれないが、お盆の神様に誘われて、どこか夢心地で、宇宙遊泳しているように時が流れている。暑いときは、ただただ事故に気をつけて、一日を終えるということになる。暑さで判断力が鈍るということもある。氷にも神が宿るというから、猛暑にも何か特別なものが宿るのかもしれない。
2週間前は下の孫だけだったので、ヴィニールプールに入った時の喜びもひとしおだったが、今日は姉妹で小競り合いをするようになっている。仲裁するように孫たちのパパが一緒にプールに入ったら、すぐにおとなしくなった。2人はパパにプールの水をかけて大喜びしていた。
休む間もなく、家に入ると居間にWiiふいっとの台を持ち出し、遊び始める。本当に疲れを知らない勢いである。自分も子育ての経験をしているが、時代も違っているので思い出せなくなっているところもある。他人事のように、子育てとは凄いものだと眺めていた。
昼過ぎには、娘夫婦も来て、孫たちと遊んでくれたので、また大騒ぎになった。丸ごとのスイカを風呂場で冷やしてあったので、全員揃ったら切ろうと言っていたのに、暑さと大騒ぎにスイカのことをすっかり忘れてしまった。娘夫婦は夕食を食べずに帰ったのだが、帰った後にスイカのことを思い出した。婿殿には申し訳ないことをしたと思っている。
その忙しい中、拙著『明日は晴れる』への電話も頂戴して、頭の中がごちゃごちゃになった日であった。
ちなみに今日は敗戦記念日である。靖国神社を参拝して議員さんも居たらしい。
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| 2010年8月14日(土) |
| 庭の花火は美しく |
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晴れだが、台風の影響で風が少しある。午後から孫たちが来るので、日本間その他の片付けをさらにする。夜になって庭でする家庭用の花火などは親たちが買ってくると思い、こちらはもっぱら布団干し、食料の買出しなどを担当する。
準備が出来て時間が空いたので、急いで美容院に行き、髪をカットしてもらった。今年の夏は暑いせいか、こんな年寄りでも髪の延びが早いという気がする。中途半端に延びると余計暑苦しい。急いで帰ってくると、電話があり、最寄のS駅を出たとのこと、後小1時間を待つことになる。コーヒーを飲んでしばしの休息をする。ふだん無糖のコーヒーを飲んでいるのだが、先日香川県の友人にもらった讃岐のお砂糖玉がとても美味しく、1個入れて飲んだ。
そのうちに可愛らしい声が聞えてきた。どちらも背が延びて、上の孫は、現在158センチの私の背に近付いてきていた。息子一家はお仏壇に手を合わせていた。出来立ての私の本も仏前に置かせてもらった。お線香の香りが満ちた。その間にも、私の本が届いたとの電話が何本かあった。度重なると、家族や息子は電話が鳴っても、私にかかってきたと思い、受話器を取らなくなった。私は家の中や庭を走り回って、受話器を手にした。
夕食は、鶏の手羽中焼きその他、野菜もたっぷり使った。皆良く食べてくれた。食後は庭で花火を始めた。毎年咲く野百合が咲き始めていて、夜目にも白くて幻想的だった。孫たちは、ゲゲゲの花火という名前のものを少し怖がっていたが、結構楽しんでいた。本当に怖いか、怖いことを楽しんでいるのか、子供の心理は分からないが、花火の煌きだけは、闇の中に瞬間と無言の美を放っていた。
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| 2010年8月13日(金) |
| 拙著「明日は晴れる」の発送、そして迎え火 |
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家族は今日から16日まで休暇を取る。土日を挟むから、休むのは実質今日13日(金)と、16日(月)の2日間だけだ。その間は、お盆の行事と、孫たちを迎えることで終る。旅行の予定はない。2人でのんびりと朝食を取っていた。
昨日は版元での、拙著「明日は晴れる」の発送日でもあった。無事届いたかしら、と思っている矢先、元のぞみ会(新しい読者のために書くが、がん患者の会のぞみ会は、執刀医成毛医師急逝の後、解散した。)のI.S氏より、電話があった。早くも本が届いた由、という電話だった。懐かしくしばらくお話をさせていただいた。これで発送が完了したことを知る。その後、コンピューター上にもメールが何件か届いた。綺麗な花束もお近くの住人から届いた。神に感謝!
夜は家族と2人で、門前でお迎え火を焚いた。おがらの煙が目に染みた。毎年夫婦でこの行事が出来て、幸せに思う。
ご先祖様、この家をお守り下さいますように…、と手を合わせた。
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| 2010年8月12日(木) |
| 句会、そして元のぞみ会Yさんの死 |
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8月も休まずに句会がある。例年は暑気払いのため、中華街などで食事を取ったりしたのだが、今年は腰痛の人が居たりで中止となった。それでも7名が出席、そして投句者が2名で、合計45句が集り、2時間の選句と選評となった。
軽く昼食を取って午後2時に家に戻った。台風が接近していて、雨が降りそうな気配だった。
今日は、日航ジャンボ機御巣鷹の尾根に墜落の日。もう25年にもなる。テレビには遺族たちの姿が映し出されている。こんな時、何事もいい気になってはいけない、平凡な日常を感謝しなければ、とつくづく思う。後は日々祈るのみだ。
夕方になってメールを開けて、悲しい知らせを見た。
元のぞみ会Yさんが亡くなったとのこと。Yさんはこの「あんばら庵」開設当時からの良き読者、応援者であった。掲示板にも何度かお書き込みをして下さったから、お見覚えの方もいらっしゃる筈だ。まさか亡くなるとは思っていなかったので、大きなショックを受けている。心からご冥福を祈らせていただく。そして「あんばら庵」は続けると天国に居るYさんに申し上げたい。
句会で、和田先生に選ばれた私の句は、
触れ太鼓 栃若の場所 遠い夏
不祥事のあった大相撲でもあった。
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| 2010年8月11日(水) |
| 路地には車が4台も停まり |
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晴れ、そして暑い。北側路地奥の新築工事のため、路地にはクレーン車他4台の車が停まっている。私の車は到底出られそうもないが、ここの職人たちはとても低姿勢なので、まあよし、としている。そのなかで、洗面所で洗髪をする。いくらか涼しくなった感があった。
その後、手紙をお世話になっている方に2通書いた。拙著「明日は晴れる」が間もなく出るとのお知らせである。1通はポストに、1通は市内のご自宅の郵便受けまで持って行った。お留守のようだった。買出しを少しして家に戻った。路地の車は3台になっていたが、残りの車は夕方まで停まっていた。
家族は、退社後、同窓会幹事役の打ち合わせがあると言って遅く、夕食は簡単に済ませた。
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| 2010年8月10日(火) |
| 孫たちの泊る部屋を |
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お掃除のMさんが来てくれたので、日本間を片付けてもらう。と言っても、私が先に片付けて、それから掃除機をかけてもらうのである。日本間の奥の廊下は、以前書斎に使っていたので、二階に運び切れない本が残っている。いや<1度運ぼうとしたが、家族が「二階をあまり重たくすると、地震の時に危ない」と言ったので止めた。本というのは、見た目よりずっと重量のあるものらしい。そんなことで、ほんの責任者である私の仕事がある。さらに、亡くなった義母の遺した道具もまだある。捨てないから家が片付かないことは確かなのだが、それが出来ない事情もある。家族の気持ちもある。この季節、ご先祖様のことも考えなくてはならない。どこかでこの家を守ってくれるような気がしている。座布団カバーも夏向きのものに代えて、古いものは洗った。桔梗の模様で涼しげな柄だ。今年は暑いので、気分だけは涼しくなるように考えている。
Mさんが帰ってから、またエクササイズをした。固くなっていたからだが少し柔らかくなった。
夜のニュースで、アメリカ、ユタ州でバス事故があり、日本人が巻き込まれたと伝えられた。
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| 2010年8月9日(月) |
| 長崎原爆の日 |
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今日は長崎投下原爆の日。キリスト教人口の多い町なので、この日もまた胸に迫るものがある。涙雨なのか、しばらく猛暑が続いた後、今日は雨になっている。気温も2.3度低い。涼しいので今日は午前中デスクに向い、午後からは家でエクササイズをした。それも記録上40分を頑張った。毎日このくらい出来ると腕周り腰周りが細くなると思うが、なかなか難しい。エクササイズを終えて汗を拭いた後、駅前まで買出しに行く。紫陽花観光のころとはまた違った混雑である。平均年齢が下がっているのだろうか、若い男女がそれぞれ好みの格好で行き交っている。女性の顔は目の辺りのメーキャップのせいか、みな同じに見える。若いのだからそんなにお化粧をしなくても良いのに、と思うが、殆どが濃い化粧をしている。なかには、ビジネススーツを着て、携帯電話で話している人も居る。人の流れよりゆっくり歩いている人は、大抵携帯で話している。こんな人びとの中を縫って、私は、最近高値になった野菜などを物色して、暮しを営んでいる。
やっと携帯を持つようになった家族も、時折電話してきて、「ちょっと遅くなる」と連絡してくる。昔は何の連絡もなく、帰りが深夜になることもあった。ずいぶん心配したが、遅くとも戻ってきた。
「信用していたのかなあ」
と、振り返るが、適切な言葉が見付からない。強いて言えば、諦めもせず、強い希望も持たず、その中間のようなところで、時を遣り過していた。
プロゴルファーが試合後使う言葉に、「我慢のゴルフでした」がある。それに近い気持ち、と言ったら良いか。しかし、どこか楽天的でもあった。
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| 2010年8月8日(日) |
| 真夏の帝国ホテル |
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先日朝の電話の件は、今日の東京での昼食を兼ねた会合である。山形県と香川県の方も見えるので楽しみにして行った。時間前に到着したが、私が一番最後であった。東京の方も加えて4人で地下1階のL.Bというフランス料理の店に入った。夏休みなので奥の席には子供連れの一家の姿も見られた。私たちもめったに会えない顔ぶれなので、先ず近況をそれぞれ話し、さらに話を弾ませた。年齢にも少し幅がある。ご主人が体調を崩している方も居る。
最近の私は、文学者の集り以外には、都内のホテルにはほとんど行かず、最初は御のぼりさんの気分だった。食事はなかなか美味しかった。食後少しだけ地下のアーケードを歩いた。そのあとロビーでお茶を飲もうとしたら、入口に行列が出来ていた。しばらく並んだが、諦めて「ここでお開きにしましょう」ということになった。山形の方は新幹線で、香川の方は飛行機で、どちらも今日お帰りとのことだった。行列を離れたところで、挨拶をしてお別れをした。暑いので、どこにも寄らず、有楽町からJRに乗り、真っ直ぐに帰った。それにしても、帝国ホテルからJR有楽町への道筋は、昔とすっかり変ってしまった。ここには昔、有楽座、そして日比谷映画の建物があり、よく映画を見に来た。今は違う建物になっている。日比谷公演方面にテントのようなものが張ってあったが、あれは何のイヴェントだったのだろう?暑い都心であった。
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| 2010年8月7日(土) |
| スプリンクラーの放水 |
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内科クリニックの代診は続いている。H医師はしばらく休養とのこと。それに、お盆休みなどもあって、診察のスケジュールが大幅に変わってしまった。ウイークディに働いている家族としては土曜しかクリニックに行かれないのだが、今日の診察は午後3時からという。整形外科のリハビリと会わせて行くわけにもいかず、やむなく午前と午後と外出することになった。どちらも歩いて行く距離だが、送り出したり迎えたりする私も落ち着かなかった。本当に長い間には何が起るか分からない。
汗を掻いて2度目の外出から戻ってきた家族は、庭のホースの先にスプリンクラーの器具を取り付け、水道の蛇口を捻った。直径20センチにも満たないスプリンクラーだが、水力と共にくるくる回りだすと、噴水状になった水が円を画いて回りだした。中心は垂直になって放水し、四隅が回るようになっている。1日暑かったので、動く水飛沫が誠に涼しげに感じられた。しばらく涼を味わってから、水道を止め、2人で買い物に出た。夕食のメニューは鯵の塩焼きに大根おろしなど。ビールを飲んだのは家族だけ。家の仕事で動いてはいるが、何となく運動不足を感じている。
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| 2010年8月6日(金) |
| 現代植木職は、情緒なし |
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朝、8時前より植木職人が来た。総勢4人である。仕事はジャングルのようになった大木の枝をはらって、片付けてくれるのが主で、後は芝刈りと枯葉の掃除などである。近頃は電動の屋外掃除機があるから、終った後は、かなり綺麗になる。しかし、問題がある。注意しないと下草の小さな芽生えなどが、一瞬にして刈り取られる危険性がある。庭には昔からある一抱えぐらいの石がかなりあり、その石を並べてあるので、門から玄関までのアプローチは、その石の並びで区別されている。石の内側には、樫の木、椿、常盤マンサク、竹などがあり、その根本には、とくさ、龍のひげ、三寸菖蒲、雪ノ下などがひっそりと生えている。それぞれに風情や可愛らしさがある。雪ノ下は、郵便受けの真下に生えているので、郵便や新聞を取るたびに目に触れ、その成長を楽しみにしている。いや、していたのである。
それが、昨年の暮の掃除の折に、電動刈り込み機で刈られてしまった。こちらが何も言わなかったのが悪いと言えば言えるが、まさか、刈り取られるとは思っていなかったのである。
この雪ノ下は、下曽我の尾崎一雄邸が尾崎氏亡き後、小田原文学館に書斎が移築され、その庭が更地になる寸前に、墓参りをした折、二株ほどいただいてきたものである。言ってみれば尾崎一雄邸の庭の遺品である。わが庭に根付き、すくすくと育ち、やがて花が、という時期にばっさりと切られた。しかし、根は残っていて、春には芽が出てきた。喜んでいる矢先にまた植木屋さんが来ることに。今日こそは、「刈らないで下さい」と言わなくてはならない。しかし、4人で来て、働き始めると上手くこちらの希望を伝達出来ないこともある。考えたあげく、パソコンのプリントで使うA4の用紙を取り出し、マジックペンで、「雪ノ下を刈り込まないで下さい」と書いて郵便受けの下、つまり雪ノ下のそばに張った。他にも、動かして欲しくない鉢がいくつかあり、その鉢にも紙を張った。なんとも妙な話だが、花を守りたくて必死でやった。植木職の若い人は先代(義母)が頼んでいた昔かたぎの職人から言うと孫の世代で、いわば現代っ子である。紙の文字を読んで少し驚いたようだったが、何とか聞き入れてくれた。お陰で雪ノ下の新芽や、ブーゲンビリアの鉢などは助かったが、暗黙の攻防戦が続いたような気がした。
夕方、庭の木々は剪定され綺麗になったが、どっと疲れが来た。10時、昼、3時と一応冷たい茶と粗菓を出している。そういうところは古風なのに、電動の刈り込み機を使うところは現代的、という矛盾がある。そもそも、植木職は木や花を守り、美しく整える仕事が本分なのではないか?それなのにどうして? と首を傾げる。年代の差、といってしまえば簡単だが、ことが尊敬する作家、故尾崎一雄氏の庭からいただいた雪ノ下なのである。そんな精神的な宝は、もう流行らないと言うのか?
ひどく疲れた気持ちが残った。嫁として、この家を守るのも、庵原高子の精神を守るのも容易ではない。
外に目を光らせながら、家の中では、ジャケットの袖詰めをした。これも節約の1つ。夕方また電話1件あった。メールも1件返信した。家族の帰りは早かったので、1通り、現代植木職の話をした。黙って聞いてくれていた。
今日は広島原爆投下の日。忙しくても忘れてはならない。
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| 2010年8月5日(木) |
| 電話1件、懐かしい人から |
朝、一件電話があった。以前、出雲大社や宍道湖、足立美術館への旅をご一緒したお仲間の1人からである。この会は、元々は連れ合い同伴の旅行から派生して、女性だけで集るようになったもの。皆さん主婦、もちろん私も主婦だが、小説を書いているところが少し違う。お電話の方は東京住まい、私は鎌倉だから近いが、後の2名は山形県と香川県にお住いだ。それが夏休みで、東京に出てくるので4人で会いましょう、ということになった。家族に知らせると、自分の仕事仲間の奥様たちなので、喜んで「行ってらっしゃい」と言っている。日にちと時間を決めて電話を切った。
家族を送り出して、食器を洗い洗濯機を回しやっと自分の時間になった。ホームページの日記が溜っている。3日ほど書いたが、下の孫が居た日を少し長く書いたので時間がかかり、それで止めた。メモ程度の記録ならもう少し多く書けるが、それでは日記と言えない。階下に降りて、気分転換と節約を混ぜて、手洗いの、私にしてみれば上等のTシャツを3枚洗った。脱水はかけていないので、水が滴るがそのまま干した。水が切れたら家の中に入れて乾かす。何故なら日に当て過ぎると色落ちがする。ものは大切にしなくてはならない。日がやや傾いてから買い物に出た。
家族は今日は遅く、夕食はかぼちゃの煮付け、冷やっこなどで簡単に済ませた。 |
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| 2010年8月4日(水) |
| メールは止められない |
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朝から、階下の涼しいところで自書謹呈のしおりに署名を始めた。印刷したものもあるが、たとえ万年筆でも自分で署名をさせてもらいたいと思っている。その数は言えないが、かなりの数の署名をした。封筒に入れ、投函するとほっとした。もう1通、手紙を書いたので、それも一緒に出した。帰宅して、宛名の先に、メールを送信し、署名完了を知らせた。気になったことも1つ書いた。
私は比較的まめにメールする。数日まえに、たまたまかつてのクラスメイトからグリーティング・カードが届いた。.その返信で、知らせた話に、また返信が届いた。クラスメイトは、私のホームページ「あんばら庵」、そして日記を書く私を気にしてくれていた。気持が通じて嬉しかった。そんなこともあるから、メールは止められない。
郵便局の帰りに、スーパーに寄り、また涼しげなカーテンを買ってきた。すぐに取り付けたが、まだリボンなどは飾っていない。そのうちに何か工夫してみようと思う。ともかく、涼しい気分になるのが一番だ。家族の帰りは早かった。
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| 2010年8月3日(火) |
| 内科、眼科、はり治療 |
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朝、8時より北側の我が家の車庫前に、生コン車が入ってきた。裏の奥の建築現場は狭く、ここから太い管を引いて生コンクリートを送るという。
「午前中で終りますから」
と言っている。うるさい上に、クレーンの首が狭いところをぐるぐる動き、家の壁にもぶつかりそうなすれすれの状況である。幸い出勤前の家族が居たので、職人さんたちと話をしてくれた。これで、家を建てる基礎固めが終るらしい。ひとりでなくて良かったと思った。だんだんと、こういう話しあいが辛くなる。
そして、家族は出かけて行った。さてと、私は近くのクリニックに行き、血圧を測ってもらう。忙しかったが、汗を掻くせいか正常値を保っている。しかし今日は代診の先生である。主治医のH医師は病気治療中で、心配である。かかりつけの医師の病気はせつない。帰りに眼科まで足を延ばし、目薬をもらう。普通の抗生剤だ。帰りは珍しくケーキを買って帰ってきた。午後に紅茶と一緒にと思い、冷蔵庫に仕舞った。
夕方、近くのはり治療院に行った。先日は予約を忘れ、一回飛ばしてしまった。その詫びを言う。はりの後のマッサージが気持ち良かった。家族の帰りは遅く、暑いので足音を聞くまで心配した。
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| 2010年8月2日(月) |
| ママが迎えに来て、バイバイ |
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孫の寝起きも良く、朝御飯も普通に食べてくれた。食べ終えた食器などは、流しに運んでくれた。暑さは相変らず続いている。
食後は、孫と昨日と一昨日の写真をパソコンに取り入れ、プリントをすることになった。土曜の夜の庭花火の写真も、日曜のプールの写真も、良く取れていた。小学3年生にしては、パソコンの周辺機器のことを観察するしっかりした目を持っている。
プリントの途中プリンタのインク切れが起きた。インクは用意してあったので、プリンタの蓋を開け、古いインクと新しいインクを差し替えた。人任せにしないでじいっと見ているし、プリントの時は、出てくる写真を拾ってくれる。そして、画面のインク残量の絵が変ったのにも気付いて、
「あ、マンパイになった」
と言っていた。両親の運転する車に乗っているから、満タン、という言葉も知っているのだろう。そして、プリントが出来てから、階下に降り、娘に写真を送ろうと手紙を書き始めた。お礼と、また遊んでね、という簡単な文だったが、しっかりと字が書けていた。封筒表の宛名も裏の差出人もきちんと書いた。力の籠った字だった。昼に家族と3人で中華料理店に行く道々、それを自分で投函した。ばばバカだと思うが、すべてに感心した。届いたら娘もきっと喜ぶだろう。
ママが迎えに来たのは、午後3時頃だった。夕べはお利口に寝たと話した。1時間後にママと電車で帰って行った。
夕食には久しぶりで、断っていたビールを飲んだ。
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| 2010年8月1日(日) |
| 1日中庭の大プールで |
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朝食の後、家族と息子、孫を置いて、私だけがミサに行く。暑いが、このところ行かないと心が落ち着かない。習慣になっているのだろう。神父は教会で合宿中の子供たちに、
「自分は成人してから洗礼を受けた者なので、子供の頃にこういう経験をする、あなたたちが羨ましい」
と言っていた。私は赤ん坊の時に洗礼を受けている。(そんなものかなあ)という気がした。いずれにしても子供の時の経験は貴重なものだ。私の子供の頃は戦争体験とダブっているが、教会の経験もかなりさせてもらった。所属の教会が戦災で焼けた、という経験もしている。双方の幼児体験を近々小説にしてみたいと思っている。
さて、教会から帰宅して驚いた。
もう、孫がら庭で祖父(家族)、父(息子)が空気入れを足で踏み踏み膨らました大プールに入って、大満足で大声を挙げているのだった。風呂場に置いてあったヴィニール製の玩具、ミッキーマウス、キリン、猫、アヒル、人形なども一緒に浮べて、話しかけたり、歌ったりしている。見張り役は家族と息子の男性2人椅子に座っている。去年まで庭に置いていたプールは、上の孫がほんの子供だったときの物で、とても小さかったが、今年買った物は、大人と子供4人は入れる大きさの物。それを1人で占領しているのだから、楽しくてしょうがないのだろう。体が丈夫で肉もしっかり付いているからか、水道の水を入れてあっても「冷たい!」と言うこともなく、背泳ぎの姿勢を取ったりもして、伸び伸びと遊んでいる。
午後には娘が応援に来てくれることになっている。昼食の用意をして、いったん休ませて、娘が来てから、1度脱いだ水着を着て再度庭プールに入る元気さだった。娘も水着を持って来ていて、一緒に入ったらさらに大喜びをしていた。
しかし、パパ(息子)は明日仕事があるので帰ることになっている。孫は今夜は私(祖母)と日本間で寝ることになっている。だんだんと親離れをする練習には良い機会だ。
夕方、パパを藤沢まで送り、娘とも別れ、帰りは私の運転で3人で戻ってきた、パパと別れる時、淡々とバイバイしてくれたので、助かった。
眠る時も、私は横に寝てしばらく手を握っていたが、すぐにスヤスヤと眠ってくれた。子供と添い寝をするのは何十年ぶりで、少し緊張したが、何とか一夜が過ぎた。
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| 2010年7月31日(土) |
| 鎌倉ペンクラブ総会、納涼会 |
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総会は午前11:30から、そして会場を移動して昼食とともに納涼会を行う。本日の会計監査報告は、Aさんがして下さり、私は横に座っているだけで楽をさせてもらった。移動のあいだにスーパーに寄った。午後から息子と孫が来ることになっている。二点ほどの買い物をした。暑さは続いているが、出席率は結構良かった。芥川賞作家岡松和夫氏のご挨拶に始まり、途中元劇団四季俳優の唐木順氏のお話があり、最後は副会長の歌人、国文学者である尾崎左永子氏のお話で締めくくられた。二次会には行かず、すぐに家に帰った。
孫の来る準備をしなくてはならない。幸い、留守の間に家族が買い物をしてくれていたので、孫たちと焼肉で夕食の準備は整っていた。ひと休みして呼吸を整えて、到着を待った。午後5時頃可愛らしい声が聞えてきた。2か月半ほど前に会ったばかりだが、また背が延びて肉付きも良くなったように感じられた。精神面でもそれ以上に達者に成長し、言葉の言い回しも豊富になっていた。食事も好き嫌いをせずに沢山食べてくれたので嬉しかった。食後は庭で花火をして楽しんだ。
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| 2010年7月30日(金) |
| 風らんの香りも涼しく |
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右写真の花は「風蘭」(ふうらん)という。以前に、この日記に掲載のセッコクより少し後に咲く。写真はそれほど鮮明でないし、同じように樹木の下に置いてあるから、分からないかもしれないが、セッコクよりかなり上等な品種らしい。葉は尖っていてセッコクの平たい葉とは違い、花も繊細な感じである。そしてその香りが素晴らしい。夕方などその脇を通ると、濃厚な香りが漂ってくるので、思わず足を留めるぐらいだ。
この花は、家族がTちゃんと呼んでいる人にもらったものである。現在、そのTちゃんは亡くなっているから、形見にもなっている代物だ。Tちゃんは、かつて家族の父の使用人だった人で、家族は子供の頃から、ずっとそう呼んでいた。晩年は盆栽作り、河原の石を蒐集して、磨いて木の台に乗せ、床の間に飾ったりしていた。静岡県の寸又峡温泉に行った帰りに、金谷にあるその家に訪ねたことがある。その折に、この風蘭をもらった。それ故、満開の頃にはそのTちゃんを思い出すのである。
住所の打ち込みがやっと終った。後もう1つ仕事を残すだけだ。神に感謝!
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| 2010年7月29日(木) |
| 会計監査の用件済ます |
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テラスの水鉢の中の布袋草が咲いた。朝起きて、雨戸を開けると、右写真のように、まさに屹立して、薄紫色の花を咲かせている。蓮や睡蓮のように派手ではないし有名でもないが、楚々としてなかなか風情がある。家族もこの花が咲くと喜んでいる。
朝から雨がひどくなっていたが、晴れてから写真を写した。
午前中に、電話2件ある。1件は私用、1件は鎌倉ペンクラブの会計監査の件。今日の午前中に印鑑を持って、帳簿を閲覧する場所に行くことになった。もう1名の方もいらっしゃるとのことだった。
無事に、閲覧と捺印が終り、家に戻ったのはPM1:00近く、昼食を取って休息をした。収穫は、雨宿りをする間、会計担当、監査役2名でしばしのあいだ雑談が出来たことであった。気温は下がるし、雨もまた良し、である。
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| 2010年7月28日(水) |
| 暑さの中のエクササイズ |
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庭では、五月に咲いた茉莉花がまた少し咲いている。(右写真)二度咲きするとは知らなかったので、喜んでまた写真を写した。しかし、暑さのせいか、こちらの嗅覚が鈍ったのか、最初の時ほど強く匂ってこない。露地で越冬もする丈夫な花と聞いているから、先が楽しみだ。
住所の打ち込みは何とか山場を越えた。しかし、事務的な仕事と、芸術的な仕事との並行は難しい。主婦業はもう習慣になっているけれど、事務仕事はいくら心を籠めても退屈感が伴う。手伝ってくれる人が欲しいと思う時があるが、やり遂げればひとりでしたという満足感もある。しかしこれも、量の問題だ。
午後から、エクササイズを30分した。気持ち良かったが大量に汗を掻いた。昨夜の残り湯を湧かし、風呂に入って洗髪をした。ひと休みしてから夕食のクリームシチューを拵えた。
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| 2010年7月27日(火) |
| 車のバンパーを擦る |
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雨は上がったが、路地にはその痕跡が残った。マンホールの小さな穴にはゴミが溜り、目詰まりを起こしている。すでに水は引いているが、これから先降る雨は吸い込んではくれない。門前には木の葉もかなり落ちている。幸いお掃除のMさんが来てくれたので、塀沿いと門の内外の掃除を頼んだ。マンホールの目詰まりも、なくなった。しかし雨が降ったせいで、気温が下がった。ほっとひと息つける日になった。午後、車を出して買い物に出た。かさ張るものを買うつもりで発信した。裏の工事の車が来ていた。西の隣家の駐車場に停めてあり、出るのに問題はなかったが、帰りのバックの際、バックミラーに映る、紺色の2トン車の車体が気になった。無事に家の車庫に入ったが、降りてからバンパーを少し擦ったのに気付いた。ショックであった。
私は女性にしてはバック、車庫入れが上手だと自負している。路地の奥に住んでいるから、上手くなければ車の運転は出来ないのである。(かつて、自動車学校ではいつも最高点を出した)それなのに暑さボケが、昨夜の雷の後遺症か、工事の車を気にしたせいか、…… がっかりした。
住所の打ち込みは山を越えた。家族の帰りは遅く、夕食は簡単にした。
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| 2010年7月26日(月) |
| 夕方雷が鳴り、大雨に |
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猛暑と、住所の打ち込みは続いている。ストレスが溜るが目的があるので我慢が出来る。(しなくてはならない)午後に、電車で東急往復をする。買いだめが嫌いだから、1日1回は外に出る習慣があるので、これも仕方がない。しかし、出ればその日の新鮮な食材を買うことが出来る。
毎日、どうしてこんなに晴れて暑いのだろうと思っていたら、夜8時ごろ、すでに家族は会社から帰っていたが、雷が鳴り始めた。最初は雨が全く降っていなかった。雷はだんだんと強くなった。家族は
「カラ雷は、近くに落ちると聞いている」
と言う。それを聞いた途端に怖くなった。古いホームページには何度も書いたが、私は雷が嫌いである。幾つになっても泰然としていられない。雷はどんどん接近してくる。稲妻も凄い。最後にバリバリと音がして、かなり近くに落ちた音がした。その直後から、雨ががざぁーっと降ってきた。それもバケツをひっくり返したような大雨である。家の各所の雨戸はすでに閉めてある。雷は30分ほどで通り過ぎたが、雨は朝まで続いた。しかし、涼しくなった。
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| 2010年7月25日(日) |
| 求めよ さらば与えられん |
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猛暑だが午前10時のミサに行く。他の信者さんたちの出席もいつもと変わらない。感心するばかりだ。千葉神父のお話は、一般にも知られている聖書の1節、「もとめよ、さらば与えられん」からであった。わかいころから何度も耳にし、目でも読んだ言葉であるが、神父に、
「本当に、真剣に望んだことは、それに向って努力したことは、叶えられるのではないか」
と聞かされ、深く感じ入った。中途半端な気持では、何事も為し得ないのである。年齢を重ねると、こういう言葉の意味が良く分かってくるのである。
午後は家で、住所の打ち込みをした。年賀状などで打ち込みをしている筆ぐるめは、葉書印刷にはすぐに応じるし、筆ぐるめへの保存は出来るが、A4紙へのプリントと、マイドキュメントへの保存が出来ない。従って、メールに添付して他方へ送信が出来ない。ほかに方法があると思うが、(以前、パソコンに堪能な娘に、インポート、エクスポートを使って、やってもらったことがあるが、今自力では不可)ひとりで取り組む時間もなく、娘も忙しく、結局1件ずつ打ち込むことになった。これもまたひと仕事だが確実だ。打ち込む時、1人1人に心も籠められる。
夕方家族と、西口のKスーパーの往復をした。行きは江ノ電で帰りは歩いた。そして明日の土用の丑の日に1日早いうなぎを買い、食した。夜、娘、息子一家と電話で話した。
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| 2010年7月24日(土) |
| 時代の変化に対応して作品を |
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休日だし、昨夜は遅かったから、寝坊しようと思っていたが、いつも通り起きてしまった。習慣というものは恐ろしい。
8時ごろテレビの速報で茨城県に地震があったと伝えられた。家族の会社の支店があるところなので、眠っている家族に声をかけた。家族は起きてきてテレビのニュースに見入っていた。日帰りの出張の後で疲れていたのだろうが、仕方がない。
しかし、それから後は、のんびりと休日を過した。
家族は庭でゴムのプールを膨らまし、その写真を撮って孫のママの携帯に送った。準備は出来ている、という発信だ。私は二階で、住所の打ち込みをかなりした。それから、ずっと考えている新小説の具体的なところをさらに考えた。要点を書くと、
「最近の読者には、家族制度そのものが理解できなくなっている。理解されているという前提で、書けなくなってくれば、新しい掘り下げが必要になる。それには何を書けば良いのか、どこに照明を当てれば作品が明るくなり、読者にその世界が見えるようになるのか」
ということになる。昨日のTさん宅でも、私の小説の話が出た。Tさんも、Kさんもきょうだいは少ないし、新婚時代姑と同居はしていない。私の話に「信じられない」という顔をしていた。実感がないのだろう。それにしても、時代がどんどん変っていく。変化に対応して、古い時代の話を、さらな新しく作っていかなければならない、と思う。
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| 2010年7月23日(金) |
| 姉の形見の羽織がジャケットに |
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久しぶりに洋裁師のTさんの家に行った。同行者はいつもの通りK.S子さん。大分前に、姉の形見の羽織を預けてある。出来上がったジャケットは想像していたよりずっと良く仕上がっていた。姉への供養になるだろうか。その服を着る日の予定はまだない。
エアコンで涼しくなっている部屋でしばらくお喋りをした。夕方には家に帰った。今日は家族が出張で泊りかと思っていたら、夜8時頃、出先から電話がかかってきて、「これから帰るよ」と言われた。暑いから家でのんびりしたいのだろう。明日は土曜日でもあるし。待つことにしよう。
幸い、新聞のテレビ欄を観ると、春に家族と観た、S.モーム原作の芝居「二人の夫とわたしの事情」が、NHK2チャンネルで放送されるので、それを録画しながら時間を潰すことにした。一度観た芝居をテレビで観るのは面白い。演じる俳優の表情が、舞台より良く見えるからでもある。
しかし、録画のスウィッチを入れたものの途中かなり眠くなった。12時過ぎ家族の足音を聞いてから、「芝居が終わったら、終了のボタンを押してください」と頼み、私はベッドに向った。
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| 2010年7月22日(木) |
| 猛暑は続く |
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暑さは続いている。家族は今日は出勤する。暑いので心配である。各所で熱中症で倒れたというニュースが伝えられている。もう1つのニュースは、金賢妃の来日。長野県で拉致被害者の家族と面会するという。高速道路を走る車を追いかけるヘリコプターが飛んでいる。かつての大韓航空機墜落の実行犯の一人が、いまやVIP待遇と批判する野党議員もいる。
そんなニュースを横目に、私はデスクに向う。夏の到来物の返事を書いたり、住所の打ち込みをしたり、と細かい仕事がある。二階は風の通りが良いので、よほど暑くなければエアコンは付けない。しかし、暑い時にじっとしているのも辛く、時折階下に降りて水を飲んだりする。凍り水はおなかを冷やすので、出来るだけ飲まないようにしている。温かいほうじ茶がとても美味しく感じられる。
写真は、昨夜の花火のもう1枚のもの。タイミングはやはり少し遅れている。
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| 2010年7月21日(水) |
| 鎌倉花火大会 2010 |
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鎌倉花火大会の日である。毎年8月10日前後に行われているのだが、今年は大潮のため、海岸 (浜辺)が狭くなるため早めの今日になったという。昼間から空砲がなり、開催が知らされる。これまで雨で中止のことも何度かあった。家族は1日だけ休暇を取って花火見物をしようとしている。街も混んでいる。食べ物店は外にお弁当など出して売り始めている。
しかし、この日私は由比ガ浜カトリック教会の広報(月報作り)の手伝いがあった。先月は途中で昼食を取り、午前と午後と印刷されたものを折りたたみ、表紙を上にしてセットする手伝いをした。今日は家族が居る上、花火の客も来るので、午後1時まで手伝いをして昼食を取らずに家に帰った。すぐに家族の昼食として、ソーメンを茹で始めた。薬味に生姜、長葱、茗荷を刻んだ。汁はつゆの素を割って使った。花火の開始は7時からである。今年は海岸まで観に行かず、家の物干しで花火見物をすることにした。混雑整理の警官の声が家まで聞えてくる。猛暑の上かなりの混雑が予想された。
右の写真は、物干しから私のデジカメで写した写真である。左上はおそらく下弦の月と思われる。下方の光はフラッシュかもしれない。シャッターのタイミングが0.1秒ずれても、花火の一瞬は捉えにくい。これでも、当日の出来の良い方の写真に入る。お許し願いたい。タイトルには、笑顔満開夢花火、というのがあったが、この写真のタイトルは不明。
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| 2010年7月20日(火) |
| 昼食会は山の見える場所で |
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猛暑は続く。昨日だいぶ汗を掻いたので、朝髪を洗う。旧ホームページには何度も書いたが、肺がんの手術(1998年)をして以来、風邪に注意して夜は髪の毛を洗わない。それがいまや習慣となっている。ブローも自分でする。今日は昼食会が北鎌倉であり、駅で待ち合わせとなっている。場所は古い民家を改造した日本料理の店。しかし、畳に座るのではなく椅子席だったので助かった。周囲のお寺や山々の景色が一望出来る部屋だった。茄子の一品が美味しかった。
二次会でコーヒーを飲んだ。アイスではなくホットコーヒーを飲んだ。午後4時近く、鎌倉駅に帰ってきた。スーパーに寄って少しだけ買い物をして帰宅した。
葉書が一通届いていた。印刷ではなくペン書きの手紙葉書は嬉しい。何度も読み返した。
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| 2010年7月19日(月) |
| ガソリン満タンにしてもゲージ上がらず |
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休日である。土曜日でもなく、ミサに行かない休みの日は、朝からのんびりである。午前中はいつもより遅い朝食を取った後、洗濯機を回しながらボーっとしていた。しかし、東南に向いた物干しはすでにかんかん照りになっている。若い頃は苦にならなかったが、洗ったものを干すのも大変だ。
午後は、車を出した。暑いのでエアコンの効いた車の中はかなり楽だ。道路もさほど混んでいなかった。冷たいものを口にしなくなったら、おなかの調子も良くなった。
しかし、藤沢、鎌倉と買い物をして家の近くのガソリンスタンドで給油をした後、ちょっとしたトラブルがあった。帰り道、気が付くと、ガソリン・メーターのゲージの針が上がっていないのである。それどころか、給油マークまで出てしまっている。給油されたのは見ていたし、空のはずはない。家に帰ってスタンドに電話をし、領収書を持ってまた車を運転して行った。走行途中、だんだんとゲージの針が上がり始めた。スタンドに着いて、良く見てもらい、さらに5リッター給油した。それで満タンだったが、何となく針は緩慢に動いていた。あまり乗らなかったので、コンピューターが狂ったのか?よほど調子が悪かったら、ディーラーに聞くように言われた。注意深く運転して家に帰った。
夜は、娘、息子夫婦と電話で話しをした。皆暑いが元気である。
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| 2010年7月18日(日) |
| 暑さボケか |
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朝、9時頃小田原の友人から電話があった。共通の知人の話(文豪の息子さんの話)がNHKラジオの「深夜便」で、女優さんが語ったのを聴いた由。私はこの時間は、いつも熟睡しているので、ありがたく承る。
その後、日曜のミサに行く。教会の行き帰りも暑い。聖堂内は少しエアコンが効いている。戻ってきて、昨夜の用件の原稿直しを片付けた。ミサに行く前、と言うより早朝少しデスクに向った。早朝は涼しくて良い。朝勉(あさべん)のことは旧ホームページには何度も書いたが、新ホームページでは初めてかもしれない。正味1時間のミサが終った頃の太陽は、すでに燃えるようになっていた。帰ってきてスイカを食べたらまたおなかの具合が不安定になった。薬を飲んで治めたが、当分は、アイスクリーム、スイカなどの冷たいものは禁じることにした。仕方がない。
午後の買出しの道すがら、Y夫人にお会いした。今朝の小田原からの電話は、Y夫人に関係のある話だったのに、突然のことだったからか、暑さのせいか、話すのを忘れた。後で家族に、どうして話さなかったのか?、と言われた。暑さボケか。
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| 2010年7月17日(土) |
| 3連休の最初の日 |
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本日気象庁より梅雨明け宣言がなされた。宣言がされなくても、日々もう夏が来たという暑さだった。昨日、眼科の帰りに買ってきためだかは水鉢の中で元気に泳いでいる。しかし、デリケートな魚だから気を付けてやらないといけない。餌も買ってきた。家族はこの暑さの中、庭の芝生の中の雑草を取っている。どういうわけか、芝生の中の雑草はいつも家族が取っている。熱中症など暑さの問題が心配だが、私は「大丈夫ですか」と言い置いて美容院へと出かけた。暑いのに髪の毛がすっかり延びてしまっている。髪の毛を人に洗ってもらうのが好きで、その間は色々とものを考える。隣のシャンプー台の女性は、ずっと喋っていたが、私はずっと黙って考え事をしていた。帰宅してから一休みし、それから家族と駅前のスーパーに行った。江ノ電は寺の紫陽花が剪定されたあと、いったん空いたがまた混むようになった。腹を立てるにも暑くて怒る気も湧かない。なんとか買い物をして家に戻った。
夕食時に電話一件。メールを送ったとの連絡に急いでパソコンをを開く。大事な用件が送信されていた。忙しさは続く。遅くなって冷たいものを食べた後、軽い腹痛を起こした。年なのだから気を付けよう。
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| 2010年7月16日(金) |
| スーツを着て働きに行く人は気の毒 |
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梅雨明けも近く、朝から青空が見えてまさに夏である。洗濯物を久しぶりに物干しに干した。山陰地方や岐阜県では大雨の被害が報道されている。家の崩壊や行方不明のニュースには胸が痛む。早く見付かってくれることを祈るばかりだ。
昨日行かなかった眼科に行った。パソコンの遣りすぎも関係なく、細菌に感染しているとのことで、「心配ない」と言って抗生剤を出してくれた。汚い手で目をこすったりしたのだろう。目薬は日に4回で、夜までに3回ほど差したら効果が現れてきた。単純な体だ。昼ごろ、葉書を一枚書いた。
午後は江ノ電で藤沢に行き、デパートで買い物をした。しかし、1日中暑かった。私の時間の中では、いつも小説を書くこと、家族の世話が第一優先だが、女性としての身だしなみも高齢ゆえにきちんと考えなくてはならない。夏は特に日焼けをしたくない。もうじりじりと来る老化を如何に防ぐか、仕事は山ほどある。家族の帰りは早かった。それにしてもこの季節、この暑さにスーツを来て働きに行く人は気の毒だ。家に帰れば涼しい格好が出来る。冷たいビールやスイカを口に出来る。大事にしている、とまでは言えないが、そんな気持ちがあるとだけ書いておく。
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| 2010年7月15日(木) |
| 黄色い睡蓮の鉢を買う |
| 朝、一番に眼科に行こうとして仕度をして、家を出る直前に診察券の裏を見たら、木曜日で休みであった。症状はいつもの涙目と少々の目やに程度なので、明日改めて行こうと思う。二階の書斎に行き、溜っている日記を3日分書いた。午後は小町の鮮魚店に行き、魚を3種買った。それが結構重かったにもかかわらず、不二家の隣の生花店で、黄色い睡蓮の鉢を買ってしまった。今家の庭で咲いているのはピンクで、花好きの私としては黄色が欲しくなった。鉢の水を抜いてもらったのでさほど重くはなかったが、家に着くころには汗を掻いた。それから、古い水鉢を洗って、布袋草と入れ替えて、睡蓮を水の中に置いた。すでに蕾が1つあるので楽しみだ。咲いたらまた写真を写す予定。家族の帰りは早く、夕食は煮魚などを食した。 |
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| 2010年7月14日(水) |
| 久しぶりのエクササイズ |
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ごろごろ、ぶらぶらしていると体調が回復するから有り難いものだ。元々は怠け者の体に出来ているのだろう。唐辛子の赤は強烈だが、左写真の桔梗の花の紫は、見ていると心を癒してくれる。我が庭にじか植えの桔梗があり、目下咲いてもいるが、生憎白い花が咲く。家族は気に入っているが、私は紫の方が好きだ。
午後、スーパーに行き、食料品とは違う階で、少し買い物をした。帰宅しても、まだ元気が残っていて、夕方久しぶりにエクササイズを、32分(記録上)した。ヨガのストレッチや筋トレを主にした。サボっているとてき面に、体のどこかに痛みが出る。人にマッサージしてもらうのも良いが、自分で鍛えるのもまた必要なことだ。暑くて汗をかくが出来るだけ頑張りたいと思っている。
九州、山陰地方など、大雨の被害が伝えられている。お見舞いを申し上げる。夜、電話一件。
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| 2010年7月13日(火) |
| 唐辛子は毒消しか、魔よけか |
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背中の痛みは幸いほぼ取れた。お掃除のMさんが来てくれたので、庭の通路に出てきているヒノキの枝や竹の枝を切り、袋に詰めた。少しだけさっぱりした。今夜は夜に1つ会合があったが、背中痛のためキャンセルした。それでほっとしたのか、痛みがなくなった。いや、左に曲げるとまだ少し痛む。夕方、家族から遅くなると連絡が入ったので、夕食は簡単に済ませた。と言ってもスーパーで紀州のしそ梅干しを買ってきて、その色香を楽しんでひとり膳を囲んだ。この辺りは小田原の梅干しを良く食べるが、紀州のものはまた一味ちがう。しそ入りのものはその赤さが美しい。赤と言えば、左写真の観賞用唐辛子は目下真っ赤に色付いている。唐辛子は毒消しの調味料ゆえ、魔よけにもなると言われ、玄関などに置くと良いと聞いている。疲労が回復しますように、と祈るばかりだ。
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| 2010年7月12日(月) |
| ぎっくり背中になる |
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昨日は曇りだったが、今日は小雨の朝になった。目覚めて朝食を作ろうとしたら、背中に痛みが走った。腰痛も足痛もないが、背中が痛い。特に左に回らない。家族に湿布を貼ってもらった。しかし、寝ているわけにもいかず、傘を差してクリーニング店に行き、引き取ったものを持って帰る。家族が会社に着ていく服は、無理しても取りにいく。日記が溜っていたのでデスクにも少し座った。午後は少し眠った。夕方予約なしの飛込みで、はり治療をしてもらった。はりも効いたのかもしれないが、痛む箇所を押してくれるマッサージが気持ち良かった。先日の温灸が効いたと話したら、「それは良かったですね」と言われた。携帯で事情を連絡したら、家族は早く帰ってきてくれた。2人でテレビのニュースを観る。民主党党首でもある菅総理の敗北会見は、観たくない光景であった。紫陽花は花盛り、江ノ電は混雑して、サッカーW杯に参議院選挙、南アフリカの時間にも合わせる忙しい季節であったから、背中も痛くなるわけだ。
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| 2010年7月11日(日) |
| 良きサマリア人の譬え |
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10時のミサに行く。梅雨時の蒸し暑い日なれど、信者さんまたは他の方たち(信者希望者か)はよく集っている。お話は、知られている「汝の隣人を愛せよ」から、良きサマリア人の譬えを聞く。この聖書の話は良く出来ている。旅人が困っていたら、助けてあげなさい、という話である。しかし、この話は現代ではさらに複雑になっている。困っている人が、かつて自分に被害を与えた人だったら、どうするか?独裁者だったら?テロ集団の人間だったら?と考えてみる。そうは簡単に助けられないのが人情というものだ。長寿時代になると、長生きしている分だけ、予測を超えた事件や巡り合いも起り得る。キリスト教、いや宗教に限定すると分かりにくくなるから、通りかかった人間を「医者」にしてみよう。「医者」ならば、肉体的に苦しんでいる人を助けるのは当たりまえだ。お世話になった成毛医師ならもちろんそうするだろう。文学的な感性はこの場合必要ではないのかもしれない。そんなことを考えさせられるミサであった。
帰宅するとまもなく家族が伊豆から帰ってきた。1時間ほどしてから一緒に投票所に行き、1票を投じた。
信者の義務と、国民の義務、その2っを果たしたら疲れが出た。午後は少し休んだ。
夜は、テレビで選挙速報を観た。民主党劣勢、自民党とみんなの党が優勢と報じていた。夕方、電話で娘と話し、夜には息子とやはり電話で話した。大相撲名古屋場所は今日から始まる。
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| 2010年7月10日(土) |
| 新しい複合映画館に |
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旧ホームページから長年、この日記を読んでいる方々はすでにお分かりだが、私は土日を家族といっしょに過している。特に仲が良いわけでもないし、よく喧嘩もするが、家族が車の運転をしないので、私が運転手の役割を勤めるため、そうなっている。小説を書く時は、その問題を「双方とも親の縁が薄かったから、」「今は、夫婦単位の時代、」などと掘り下げて、テーマにすることもあるが、日常的に言えば、「たまたま、こうなった、」なのである。
その家族が、会社関係の一晩泊まりの旅行で、伊豆の温泉に出かけた。さて、この空いている時間をどうしようか?ものを書く時間に当てることも出来るが、このところ少々体調が悪い。と言うよりストレスが溜っている。その結果、娘と映画を観ることになった。それも娯楽映画の「踊る大走査線ムービー3」織田裕二主演、である。場所は、横浜みなとみらい線新高島駅に程近い複合映画館、109シネマズMM横浜である。なんとそこには、12の映画劇場がある。10代から映画館に通ってきた私からすると、まさに隔世の感を覚える変化、現象である。しかも、ティケットはインターネットで取れる。ティケット売り場で並ばないで済む。映画館の変遷の話をすると切りがないが、映画は3作までの登場人物を全部出す手前、賑やか過ぎるきらいはあったが、飽きずに最後まで観た。娘も「面白かったね」と言っていた。終了後、婿殿と待ち合わせ、三人で食事をしたのも楽しかった。もちろん腹痛はなかった。
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| 2010年7月9日(金) |
| 内科クリニック、そして温灸 |
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昨日の句会中、冷房が少し寒かったのか、夕食の菜と少しだけ口にしたビールが合わなかったのか、少々下痢をした。簡単に言えば、老人性の消化不良なのだが、本人としては結構辛い。朝9時から開院の内科クリニックに言って事情を話し薬を調合してもらった。しかしそれですぐに帰宅するわけではなく、通りのクリーニング店や近距離のスーパーにも足を延ばした。一度帰ってから、予約してあるはり治療院に行った。昨夜のおなかの話をしたら、はりとマッサージの後、おなかに温灸を4個乗せてくれた。これまでお灸をされたことはなく、初めての経験で、少々怖かった。しかし思ったより熱くはなく、おなかが暖まって気持が良かった。クリニックの薬も飲み、昼はレトルトのお粥を食べた。それでなんとかおなかは治まった。
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| 2010年7月8日(木) |
| 絵硝子句会 |
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今月は普通の句会である。先月の吟行の折、腰痛で欠席の2名も出席である。しかし、1名が欠席であった。最初にメンバーのお1人M.Y氏が句集を出されたので、一同でそのお祝いを述べた。大先輩であって、色々と教えていただくことが多い方だ。今月は、南アのサッカーの句もあり、10人の句が出揃った。静かに選句が始まった。
私には昨日嬉しいことがあった。旧ホームページの日記を本にまとめることにして、目下進行中なのだが、その帯を書いてくださる方が、素敵な文をFAXで送って下さり、お電話もいただいたからである。使い古された言葉だが、「これで百人力、千金の重み」などという言葉が頭に浮かんだ。支えて下さる方々の恩は忘れずに、心から感謝をしなくてはならない。
……選句中、そんな思いが心をよぎった。元々、散文家だから、選句にしても俳句は難しい。散文の短編以上に省略に次ぐ省略、それは引き算の工夫とも言える。しかし、あまりのめり込むと、小説が書けなくなる恐れがある。難しいところだ。拙句の1点句を2句載せる。
夏の谷(やと)布袋尊腹黒ずめり
蓮池や葉のあちこちにお賽銭
前句は、北鎌倉浄智寺にて、
後句は、鎌倉鶴岡八幡宮、源平池にて、
帰りは真っ直ぐに帰った。
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| 2010年7月7日(水) |
| 久しぶりの七夕飾り |
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右の写真が昨日拵えた七夕飾りである。子供たちが小さかった頃以来だから、何年ぶりか?食堂に飾ってある。願い事が叶うだろうか?
七夕の語源は、諸説あるが、棚機女(たなはため)にあるとも言われている。つまり、機織が上手くなりますように、お裁縫が上手くなりますように、と願うことから始まったらしい。機織に針仕事が女性の仕事だったのだろう。その恋人とされる「牽牛」を辞書で引くと、「わし座の首星アルタイルの漢名」と記されている。鷲の力強さが男性を象徴するからか。今の時代は、男は強く、女は優しく、といかないところもあるが、これも言い伝えだから素直に聞いておく。
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| 2010年7月6日(火) |
| 庭で小さな青蛙を見付けた |
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今年は梅雨寒むの日が殆どない。そのせいか、庭の木々が延び放題延びている。門から玄関へのアプローチの邪魔にもなっている。それらの枝を切りたいし、切らなくてはならないが、虫などの防御のため長袖を着たり、手袋をしなくてはならない。準備が少々面倒くさい。しかし、今日はどうしても切りたくなった。毛虫が食った椿の葉などは鑑賞に堪えないものがある。長袖は着なかったが、手袋は両手にして、ヴィニールの袋に切った枝が入るように持ち、気を付けて切った。それから、裏木戸のそばの竹の葉をたくさん切った。小枝が延びて、木戸が開きにくくなっていたのだ。竹の小枝の中に、廃棄しては勿体ないような瑞々しいものもあった。明日は七夕だから、3本ほど取っておいた。午後の買い物を済ませてから、孫の置いていった折り紙で七夕飾りを拵えた。短冊に願いごとを書いて吊るした。
夕方、庭に水を撒いていたら(東京北部は大雨が降ったというのに、湘南地方は、あまり雨が降らない)オリーヴの木の枝に青蛙が居た。(右の写真)体長は2~3センチ。写真はフラッシュのせいか、中ほどの色が薄くなっているが、体中綺麗な黄緑に覆われていた。モリアオガエル、というのか、正式な名前は分からない。そう言えば、極楽寺の成就院の紫陽花が剪定されたことによって、江ノ電が空くようになった。およそ一ヶ月の江ノ電ラッシュであった。
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| 2010年7月5日(月) |
| 紅百合が咲く |
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この紅百合は、咲いたから写真に撮ったとは言うものの、咲く寸前のふくらみがパンパンでとても可愛らしかった。一生懸命咲こうとしているようだった。早朝に咲いたのか、開く瞬間は見られなかったのが残念だった。今日は駅前のスーパー・ユニオンまで往復歩いた。混雑の江ノ電に乗らなくて良かった。しかし、買出しの荷物が重い時は、腰のために乗るようになる。今日は少なめだったので歩いた。歩いたせいで、駅前に長いことあったレコード店が衣料店に変っているのに気付いた。長いこと住んでいると、街の変遷が分かり、ちょっと淋しい。
小説を長く書きたかったら、体重や筋力には気を付けなくてはならない。せいぜい歩くとしよう。夜は、ホームページのURL変更お知らせのメールを何通か送った。
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| 2010年7月4日(日) |
| 体調はまあまあ |
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朝、雨になったら、ミサを休もうと思っていたが、晴れていたので出かけて行く。歩きながら、体調が良いのを感じる。足が痛かった頃やその他体調の悪い時は、途中退席も考えているので、聖堂の後ろに座る。今日は前のほうに座った。前のほうに座ると、中ほどに位置する聖歌隊の声が後方から聞えてくる。後ろだとその逆である。前の席だと、正面のキリスト像も神父も近くに見える。お話も良く聞える。と分かっているが、後ろの席にひっそり座りたい時もある。こちらの心身の具合によるのだろう。しかし、出来るだけ前のほうに座りたいと思っている。
午後は、車の運転が出来る気がしたので、家族と久しぶりに大船のホームセンターに行った。庭仕事の道具や、子供用のプールを購入した。以前のが小さくなっていた。混雑はなく胃痛もなく、無事に戻った。
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| 2010年7月3日(土) |
| 夕方から雨になる |
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室内置きのセントポーリア(右写真)が咲いた。別の鉢の白い花も咲いている。しばらくはベコニアの花の陰に居たが、また咲き出した。花は、ひっそりと過す時もあるが、やがて自己主張をするように花を開く。忘れてしまってはいけない。この花は、肥料にはハイポネックスを薄めてやる。それがてき面に効く。後はカーテン越しの窓辺に置けば良い。こんなに分かりやすい花はない。それ故、私でも育てられる。花の中には、どうしてもご機嫌の取れず、咲いてくれないものもある。相性が悪いのだろう。
午後、買出しに行ったが、帰りの電車が混んでまたうんざりした。夕方、電話が3件あった。夕食にかかる頃、雨が降ってきて外の温度が急に下がった。と同時に体が楽になった気がした。胃の薬はまだ飲んでいる。痛みはなし。夜は、南アのサッカー、ドイツ対アルゼンチン戦を少し観た。先制点はドイツが入れて、何となくこのまま行きそうに思えて、前半で寝てしまった。
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| 2010年7月2日(金) |
| 休養、そして忘れ物 |
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7年も続いた第一あんばら庵は、昨日でプロバイダによって削除された。もう閲覧も出来ない。少々淋しいが、新あんばら庵で頑張るとしよう。
右の写真は、一昨日行った北鎌倉の浄智寺の布袋尊である。腹と指に触るとご利益があると言われている。これまで多くの人が触り、撫でたようで、腹と右の人差し指が黒ずんでいた。笑顔の優しい布袋尊であった。映画監督の故小津安二郎氏は、生前この近くに住んでいたと聞く。この腹を触ったろうか、と考えた。
昨日もらった胃の薬はまだ飲んでいるが、痛みは無くなっている。神経性胃炎は休養が一番である。午後に、振込みを2件しようと、銀行と郵便局に行ったら、郵便局の方の振込用紙を忘れて行き、銀行の方の用件だけ済ませた。帰ってから、忘れた方の期限を見たら、まだ大分間があった。そのうちに振り込むことにしよう。
夕食は脂っこいものを避けて、鯖の塩焼きなど。家族は魚の塩焼きが好きだ。
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| 2010年7月1日(木) |
| クリニックへ、そして休養 |
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今日から7月になる。日中の花火の空砲で、海開きの知らせがあるのが恒例だ。もう1つ今日は甥の誕生日でもある。死んだ姉の長男で、娘の頃、産後の手伝いに行ったから、印象が深い。最近のことは覚えていなくても、その時のことはいまだによく覚えている。
疲れてきた原因を考える。
1.蒸し暑いこと。 2.紫陽花観光で鎌倉市が(特に江ノ電が)異常に混んでいて、買出しが大変になったこと。 3.夜中にサッカー中継を観たこと。 4.去年の秋の神経痛から、初めての夏であること。つまり気付かないうちに体力が弱っている。
などが考えられる。それにも拘らず、庭仕事を手伝ったり、家を片付けたりした。書く方の仕事が少なくなると、体を動かす、と同時に人に会うと気も遣う。もともと、そういう普通の人間関係が上手でないから、葛藤が多く、小説を書いているというのに、その自覚が薄くなる時があるらしい。結局、自分が悪いのだけれども、高齢だから気を付けなくてはいけない。
クリニックに行って、胃の薬を二種もらった。血圧は安定していた。帰りに駅前に行き、食料を買った。昼前だと街も江ノ電も空いていた。夏のうちは朝夕だけの外出にしようと思う。これから暑さに向かうというのに、いささか憂鬱である。
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| 2010年6月30日(水) |
| 明月院、浄智寺など |
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雨が降る、と天気予報は言っているものの、降らないので蒸し暑い。
今日ももまた、外出&観光がある。一日おきのことで、少々疲れていたが、友人たちと食事をした後、北鎌倉の紫陽花の名所、明月院に行き、さらに近くの浄智寺へと足を延ばした。2日前に成就院の紫陽花(右写真)を見たばかりで、さほどの感激はなかったが、山合いの雰囲気が心地良く感じられた。花もそろそろ終りに近付いているせいか、院内の混雑は中ぐらいと言ったところだった。ただし、拝観料が500円で高いと思った。浄智寺は200円であった。成就院の無料が改めてありがたく感じられた。次の会場はどこにしよう、と思っていたら、幸い良い場所を調べて来てくれた人がいた。やはり北鎌倉だったので、そこまで歩いて行って和風の玄関に入り、予約をさせてもらった。小阪郵便局の先を左折して坂を昇り、右折した奥にその店はあった。人に教えてもらわなければ絶対に分からないような静かなところにあった。次回が楽しみだ。しかし、蒸し暑いところを歩きすぎたのか、戻ってコーヒー店に入った頃から体調が悪くなった。明日はクリニックに行こうと思いながら、北鎌倉駅で皆と別れた。
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| 2010年6月29日(火) |
| 写した写真を楽しむ |
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右の写真は、昨日の成就院の上から写したものである。下りの階段の両側には色とりどりの紫陽花が咲き、前方には海が見える絶景ポイントである。高いところの山々の深緑がそれらを見守るように聳え立つ。ちなみにこの寺は、階段を通すだけなので、拝観料をいっさい取らない。申し訳ないくらいだ。今度来るときは寺の中に入って、僅かでも寄進をしよう。
カメラの腕がいまひとつだし、コンピューターに取り入れるので鮮度も落ちるので、色などは悪いが、この写真からご想像願いたい。物書きが、あまり写真にはまるのは良くないと思うが、読者へのサーヴィスもしたいと思う。
今日は観光疲れで、1日ごろごろとしていた。お掃除のMさんが来たのでとても助かった。
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| 2010年6月28日(月) |
| 八幡宮、成就院、海など |
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三田文学の友人2人と鎌倉駅で待ち合わせ、鎌倉観光をする。梅雨入りし、毎日天気予報で、雨が降るから傘を、と言われているが、この湘南地方はあまり雨が降らない。そして蒸し暑く、時折雲の間から太陽が覗く。そういうわけで思ったより暑い一日となった。東京からの友人たちの前もってのお望みは、
1.八幡宮の、倒壊した銀杏の木の芽吹きを見たい。
2.紫陽花の花を愛でたい。
3.海を見たい。
の3つであった。少し考えたが、紫陽花の名所として知られる明月院は、JRで1つ離れた北鎌倉駅近くなので外し、江ノ電極楽寺駅近い成就院の紫陽花を見に行くことにした。
始めに行った八幡宮の銀杏の芽吹きは、驚くほど大きくなっていた。
(Picturesの蘭にいずれ載せる)
右の写真は八幡宮の源平池の蓮で、花はこれからという感じで、蕾が見えていたが、その葉の密集に驚かされ、力強さを感じた。水面が全く見えないほど緑の大葉が繁っていた。こんな季節に八幡宮の蓮池を見たことがなく、その勢いの良さに圧倒された。
成就院へは昼食後タクシーで行った。極楽寺がわから紫陽花に囲まれた階段を昇り、頂上に上ると海の見える絶景ポイントになる。くだりの階段もまた紫陽花に囲まれる。紫陽花や絶景ポイントから少し下った辺りで写真を何枚か写した。(それもいずれ載せる)
そして階段を下ると、漁港でもある坂ノ下海岸への道となった。磯の香りが流れる信号を渡り、砂浜に出た。晴雨兼用の傘を差し、太陽を避けて由比ガ浜海岸まで歩いた。由比ガ浜で住宅地に上がり、我が家でひと休みした。道々も色々と話をしたが、我が家でも話が弾んだ。夕方5時近くまで話をした。時間の経つのが早く感じられた。
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| 2010年6月27日(日) |
| ミサに行く |
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ミサは、年間第13主日。ルカによる福音書が語られる。言葉の、
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」
の意は、難しいが、簡単に言えば、「神に従いなさい」ということだ。こうしてミサに参加しているだけで、その第1歩は始まっている。明日の客人のお世話が滞りなく済むようにと祈った。帰宅してまた、庭の掃除を少しした。写真のミニ睡蓮はその時写したもの。気温のせいか、以前(6月14日掲載)より花の色が濃くなった気がする。それから、近くの店で家族と軽食を取った。混雑の電車には乗らなかった。夕方FAXを1件送りまた掃除をした。明日のお客人のためだが、家が綺麗になるのは気持が良い。
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| 2010年6月26日(土) |
| 江ノ電が混んで乗れず |
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もっか、鎌倉市は紫陽花観光の客で溢れている。我が家に近い江ノ電和田塚駅は、紫陽花の名所、長谷観音や極楽寺成就院に向う沿線上にある。電車は四両あるが、このシーズン車両のドアが開いても、乗れないぐらい混んでいる。今日も、うっかり乗ろうとして、すでにsuicaで改札してしまったが、乗れなくて、駅まで歩いた、suicaは後に鎌倉駅で清算してもらった。住民はみな困っているが、諦めムードでもある。家族は、延びた芝を刈り始めている。と言っても芝の面積は僅かである。花壇の雑草も取らなくてはならない。しかし、蒸し暑いので汗を掻く。また腰を痛めるわけにもいかないし、仕事は慎重にしなくてはならない。混雑の中、駅近くのスーパー2軒を回った。小町通は凄い人波であった。
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| 2010年6月25日(金) |
| 世間はサッカー勝利に湧く |
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デンマーク戦に勝利し、決勝トーナメント進出ということで、新聞、テレビのニュースはその話で持ち切りである。街の若いサポーターたちも喜んでコメントをしている。次の試合があるからあまりはしゃぐのは良くないが、素直に喜ぶ気持は伝わってくる。このところ大相撲力士の、野球賭博のニュースが連日報道されている。それに比べると、爽やかで良い。スポーツは純粋なものであり、心身を鍛錬するものだ。エールを送る人に希望を持たせるも失望させるのも、選手の力にかかっている。つまり夢なのだ。今日は1日、夢が叶った人たちの笑顔が映し出され、こちらも元気をもらった。
午前中予約してあったはり治療をこなし、昼からは来客の用事を1件こなした。話は順調に進んでいる、と言って良い。しかし、現実的に、であって夢のように、ではない。いや、もしかすると、夢のように、かもしれない、という気分だ。
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| 2010年6月24日(木) |
| メールの返信、電話、サッカー中継など |
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早朝に目が醒めてしまった。家族の出勤がないのだから、朝寝をしても良いのに、皮肉なことに起きてしまう。しかし、寝たりていない感覚は残る。軽い朝食後、洗濯をし干してからまたソファに転がった。夜に中継される日本ーデンマーク戦のことが頭にあった。出来れば起きていてテレビ観戦したい。そう思っているうちに眠ってしまった。昼近く起きると、電話が鳴った。Hさんからで明日昼頃見えるという。それから、駅前の銀行、スーパーなどに行く。
帰宅してメールを開くと、拙作「叔母の秋」の英訳者I.Mさんのお名前があった。「やっと載りました。良かったですね」とあった。数日間、上海万博に行っていた由、こちらのお知らせにすぐに返信がなかったので、お加減でも悪いのかと心配していた。しかし、ご旅行かしら?とも思っていた。先ずは良かった。
電話は夜もう1件あった。思いがけなく、そして嬉しい電話であった。そのことはまだ書けない。
家族の帰りは早く、出張帰りで疲れたと早く寝てしまった。私は1度横になって、仮眠して3時40分に起きてテレビのスイッチを入れた。試合はもう始まっていた。前半17分で本田がフリーキックで2点入れたらもう眠れなくなった。結局最後まで観戦した。ロスタイムに入り、勝ちが決まりつつある頃、家族を起こし、勝ちの瞬間を2人で観た。それから、朝食を拵えた。味噌汁と御飯を腹に収めたら、猛烈な睡魔に襲われた。体の朝昼のリズムが少々狂った感じである。
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| 2010年6月23日(水) |
| 教会の広報の手伝い |
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午前10時半、今年から始めている、由比ガ浜カトリック教会の広報の手伝いに行く。印刷機で印刷された原稿をページ合わせをしながら折りたたんで完成させる作業だ。すでに校正などは済ませている。6人ほど集っている。私以外の方はヴェテランで色々と教えて下さる。折りたたんで行くうちにたまに、枚数が合わなくなることがある。同じものを2枚重ねたということだ。そんな時は全員でチェックをする。今日は幸い二枚重ねが見付かった。いつも男性化1人いるのだが、その方Yさんは元大手の出版社の校正をしていらしたそうで、私の小説にも関心を持ってくれる。思いがけないところで、文学にゆかりのある人に会うとほっとする思いにもなる。昼食はおにぎりとお茶を頂き、また作業を続けた。終ってからさらに近くの新しいカフェでコーヒーを飲んだ。皆さん気さくで話しやすく、リラックスしたひとときを過した。
夕方、手紙を1通書いて投函がてら買い物に出た。家族は静岡泊まり。
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| 2010年6月22日(火) |
| 昨日のこと、驚き! |
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昨日は午後から、エクササイズを思い切りしようと思っていた。昼食後のことだ。コンピューターの、とあるサイトを開いて驚いた。開いたのは、日本ペンクラブの電子文藝館だ。そこに、つまり、日本ペンクラブの電子文藝館に、拙作の旧作、「叔母の秋」和文(原文)、英訳文が載っているではないか!
これは去年七月頃に投稿したのだが、音沙汰もなく、1度催促したら、「掲載する時は、ご連絡致します」とのことだった。それ故、連絡がない限り載らないと思っていた。ところが載っていた。それも更新日時は4月30日である。1ヵ月半も知らなかったとは!5.6月は確かに忙しかったが、コンピューターは開いていた。日本ペンクラブのサイトを開かなかっただけだ。しかし連絡がなかったのだから仕方ない。早速、名訳をして下さった友人のI.M氏、その他関係各位にメールで、ご報告、ご連絡をさせていただいた。
そんな突発事件(?)で、エクササイズの時間は22分に短縮された。
今日は、午前中は足裏マッサージに、午後からは、駅前まで歩いた。カメラを持っていたので近くの大巧寺(通称、お産めさま)まで足を延ばした。その門に入ってすぐ、右写真の花が満開になっていた。名札には「びようやなぎ」と記されてあった。一見山吹に似ているが、良く見ると、葉の形も花も違っていて、柔らかさが感じられた。それから薬局と鮮魚店に寄って帰った。帰ってパソコンを開いたら、昨日メールを打った人たちからの返信が届いていた。「遠くから、乾杯」という嬉しいメールもあった。
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| 2010年6月21日(月) |
| 最後の梅を煮る |
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朝の仕事を終えてから、昨日最後にもいだ梅をまた煮た。高くて手が届かないところを家族が奮闘して取ってくれた。また2キロほどあった。我が家の産物だから捨てるには忍びない。2回目のせいか、15分で火を止めた。前回よりも梅の原形をとどめている。まだ味見はしていない。美味しかったら、甘党の方に差し上げても良いと思っている。今日は疲れの残るマンデーだから、煮た梅を冷蔵庫に仕舞い、夕食のための使いに出たら、あとは静かに読書をしようと思っている。
写真は、紅白のペチュニアの花。野菜市場で購入したものだが、長いこと咲いている。花は高価なものも良いが、1鉢100円前後のものも、結構楽しめる。
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| 2010年6月20日(日) |
| ミサに行く |
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疲れが残っていたが、今日は休みたくなかった。昨夜のことなど雑念がかなり残っていたが、福音の頃には気持が落ち着いたきた。短編の構想が固まってきている。そのイメージが、しばしばミサ中に膨らみ具体化する。啓示、と思える時もある。祈りには何かが生れ、育まれると感じている。
神父のお話の主旨は、「キリストに従いなさい。それぞれの十字架を背負って…」であった。
そして、「その深い意味を考えましょう」と締めくくった。それぞれの背負っている十字架とは、仏教で言う宿命と同様のものだ、と解釈している。この認識は、少なくとも他を羨まずに生きることに繋がる。もちろん、簡単に出来ることではないが。
ミサから帰ってきたら、娘夫婦が来ると連絡があった。私はもいだ梅でシロップを作ってある。砂糖で煮た梅の実もある。娘は、甘味とは反対の漬物2種持って来てくれた。とても美味しい漬物だった。
夜になって、息子夫婦から家族に父の日の贈り物が届いた。夏に向っての涼しげな新式の下着だった。息子とお揃いだそうな。
写真は、我が家の紫陽花である。今年は梅ノ木に栄養を取られたのか、花の数が少ない。片隅でひっそりと咲いている。
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| 2010年6月19日(土) |
| 「麦の穂の揺れる穂先に」をまた |
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6月8日に娘と観に行った芝居を、今度は家族と観た。先夜の新宿と違って、近くの鎌倉芸術館小ホールである。梅雨入りしていたが、幸いにも昼過ぎから天候に恵まれた。大船駅から10分ほど歩く距離だが、終演後も降られなかった。
この芝居は、この夜が巡業の最後の日ということで、最後に作者の平田オリザ氏と演出の戌井市郎氏が、主演の江森徹氏に導かれ、舞台に上がり挨拶をされた。前回にはこれがなかったので拍手をして歓迎した。古くからお世話になっている鎌倉のY夫妻も招待客として見えていた。
右の写真は、麦の穂ではないが、我が家の玄関先の竹である。写真では良く見えないが、白い斑入りの葉の竹である。今、新竹も3本出てきている。新竹の葉はより美しい。
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| 2010年6月18日(金) |
| 梅酒と梅シロップ |
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もいだ梅の実は黄色くしてしまうと、梅酒にならない、と言われている。詳しい理由は分からないが昔の人から何度も聞かされている。昨日のひとり梅もぎの直後、用意してあった瓶と、リカー、氷砂糖で漬け込んだ。余分な水気をキッチンペーパーで拭き取る作業があるが、短時間で漬け込みは終った。日付けを書いた紙を正面に張って作業終了となった。(写真)
午後から別の梅を砂糖(三温糖)で煮込んだ。以前、英会話のクラスメイトに、実の皮を弾かないで静かに煮る方法を教えてもらった。鍋はフライヤーを使い、弱火で20分ほど煮た。あぶくが立ったら火を止めて蒸らすのである。2.3割、皮が弾けたのがあったが、なんとか原型をとどめた。15分でも良かったかもしれない。こちらは、熱を冷ましてから冷蔵庫に入れる。娘はこちらの方を所望している。
今日は、大陽を相手の仕事(布団干し、洗濯など)と、梅の実の処理で1日が終った。こんな日は珍しい。
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| 2010年6月17日(木) |
| ひとりで、梅の実の収穫、そして… |
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梅雨の晴れ間の快晴の日。湿気も少なく気持ち良い。布団干し、洗濯などをする。夏のように暑い。午前中は、内科クリニックに行く。血圧は安定している。私の場合、汗を掻く季節の方が良いらしい。
帰宅しても、昼までに少し時間があった。梅もぎのことが気にかかっている。休日に家族に取ってもらうつもりだが、生憎、土日は雨らしい。風も吹いたらせっかくの実が落ちてしまう。しかし、踏み台など使って、危ないことも出来ない。以前、家の中で高いところの本を取ろうとして転倒したことがある。少し迷ったが注意深く、慎重に遣ることにして、庭の梅の木の下に折りたたみ式2段の踏み台を運んだ。ぐらつかないようにきちんと固定してから、段を上り、手を延ばし届く範囲の梅の実を一個ずつもいでいった。 先日、下に延びた枝の実を取り、その収穫はすでに孫のママに送ってある。料理上手のママだ。踏み台をあちこちに置き換えて収穫したのは、大きなざるに2杯で、計量したら2キロ半あった。送った分と合わせると5キロほどになる。残りの高い所の実は、家族に取ってもらうつもりだ。右の写真は、たまたまピンクの敷物の上に置いたので綺麗に撮れた。新しい瓶とリカー、氷砂糖は用意してあったので、1キロほどは梅酒に漬けたが、まだ大分余っている。梅シロップにしようか、どうしようか、考えている。
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| 2010年6月16日(水) |
| 梅の実をそろそろ |
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梅の実をそろそろもがなくてはと思っている。しかし、独りではつまらない。孫か誰か他の人といっしょに思っているうちに、写真のように大きくなってしまった。今日にも収穫しようと思っている。今日も空には晴れ間が見えている。大雨になる気配がない。今洗濯機を回している。1日中外に干せるかどうか?というところ。梅の実はリカーにするかジャムなど甘味系にするか考えている。
庭を眺めて少し考え事もしたい。資料も集めたいと思っている。なんだか少し涙もろくなっている。しかし、午後の予定は、エクササイズを30分することだ。夜には元気になっているだろう。
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| 2010年6月15日(火) |
| 梅雨入り宣言 |
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気象庁から梅雨入り宣言がなされた。当分は雨が続くのか。我が家にはこの季節ずっと咲き続ける花がある。紫ツユクサだ。(写真) どんどん増えて所構わず咲くのであまり大事にもしていないが、長い間に交配されて、薄紫色や白の花も咲くようになっている。雨に濡れても日に当ってもともかく良く咲いている。ともかく絶えることがない。可憐そうに見えても芯は強い花なのだろう。
今日はお掃除のMさんと家を片付けた。宅配便を一個作り送った。午後は、全品5パーセント引きのスーパーに行き、衣料、食料などを買った。しかし、帰りの江ノ電が観光客で混んでいて参った。
雨は夕方からで、梅雨入り宣言がなされたにも拘らず、日中は晴れていた。
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| 2010年6月14日(月) |
| 日本サッカー、カメルーンに勝つ |
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朝起きたら、水鉢のミニ睡蓮がまた咲いていた。(写真) これは2つめで1つめは写し損ねた。中にはめだかも数匹泳いでいる。去年は、肥料の煮干しを土に差したのに咲かなかった。その肥料が今年になって効いてきたのかもしれない。濃いピンクでとても可愛らしい。今日は月曜日だがさほど疲れてはいない。花を見ていると癒されもする。
日中は、溜っている家事とデスクを少し、買いだしには1度出た。夜は11時キックオフのサッカー、日本対カメルーン戦を見た。前半に日本が一点を先取したとこで眠くなって寝てしまった。結果は、最後まで見ていた家族に教えてもらった。先ずは良かった。おめでとう!
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| 2010年6月13日(日) |
| 鎌倉三田会総会、懇親会 |
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梅雨入り前の晴れの日、七里ガ浜のPホテルにて鎌倉三田会の総会、懇親会が行われた。長い歴史があり土地柄もあって、活発でなおかつ和気あいあいとした良い会になっている。私は最初塾員家族として参加していたが、通信教育学部卒業以来は、塾員として参加させてもらっている。卒業後、がんの手術も経験したが、現在は元気で出席出来る。有り難いことだ。総会では、初代塾長福沢諭吉氏の若い頃のDVDを16分間見せてもらった。パワーポイントに寄るスクリーンに若い頃のちょんまげ姿の福沢諭吉が映し出された。我々とはおよそ100年前に生まれた人だ。改めてその存在の大きさを感じた。
懇親会はバンド演奏、食事、抽選会などがあった。お楽しみ袋が当った。孫たちに上げたいものがたくさん入っていた。色々な方とお話が出来て、良い時間を過した。
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| 2010年6月12日(土) |
| サッカーに期待する人、しない人 |
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テレビ番組は、サッカーのニュースで盛り上がっているが、日本チームの成績はどうなるのだろう?練習試合でも得点が稼げないと心配する人が多い。体力や歴史が違うからと言っても、同じアジア系の韓国は強いと言われているのだから、少なくとも体力の差ではないらしい。でも、まあ、自国を応援しないわけにもいかない。
日中は、家族が庭に出ている間少し眠らせてもらった。吟行辺りから手足に疲れむくみが出ている。気温も夏のように高く蒸してもいる。夕方はスーパーの往復を歩いた。街もまた混雑していた。紫陽花はまだ満開ではないようだが、各寺への観光客がいっぱいだ。景気が悪いと言っても、良く遊びに来るなあ、と痛感する。懐が軽くても、足が重くならない人もいるのだろう。若さと言うものだろうか?そんな時代もあったな、と思う。
夜になって、遠足に来た孫から電話があった。送った写真が届いたと言う。だれが教えたのか、「パパラッチ有難う」と言っていた。遠足は楽しかったようだ。
夜は、南アフリカのサッカー試合、ギリシャ対韓国をテレビ観戦した。思った通り韓国は強く、すぐに1点入れたので、最後まで観ずに寝てしまった。2-0で勝ったという結果は朝になって知った。
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| 2010年6月11日(金) |
| 孫の遠足姿を、パパラッチする |
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今日も天気が良い。孫の遠足が鎌倉に決ったと、前にママから連絡が入っていた。しかし、小学校6年生にもなり、自立心が芽生えているせいか、「どこかでぱったり会っても、話しかけないで」と言っているらしい。しかし、建長寺、鶴岡八幡宮、などを回り、源平池の前で昼食を取った後、江ノ電の鎌倉駅に来る時間は決まっていると、ママは言う。
それなら、遠くからちらりと観てみようか、ついでにカメラを持って行こうか、と考えた。昨日、吟行にカメラを持っていかなかったと後悔しているので、今日はカメラを意識した。
時間j前から、江ノ電の駅まで行って、JRからの連絡通路の椅子に座ったり、立ったりして、そわそわとしていたが、予定の時間になっても、孫の姿は現れなかった。もう一台待ってみようと思って、人の流れに目を凝らしていると、孫のY子が数人と走ってきて、あっという間にわたしの前を通り過ぎた。皆背中に大きなリュックを背負っている。そしてホーム脇の自動販売機の前に立った。もちろん話しかけたりはしない。数えると10人ぐらいで固まっている。そっと後ろに回りシャッターに2回押した。どちらも後姿の写真だ。見つからないようにホームの奥のほうに入る。電車がホームに入って来るとその10人ぐらいは列になって並んだ。その混雑の中、こっそりと横から一枚写真を写した。何とか孫の顔を捉えられた。これでお終い。良く週刊誌などで隠し撮り騒ぎがあるが、こんな仕事は本当に大変だ!と痛感した。しかし、私としては楽しいパパラッチになった。
子育ての時期のことは、今思い出しても辛いことが多くあったが、こんなのん気なことが出来るのも、あの頃の苦労があったからだ。息子には良いお嫁さんが来てくれたし、こうして孫も大きくなった。……と、思って、日々を感謝していこう。良い小説が書けなくて、時々辛くなるけれど……。なお、隠し撮りの写真はとても良い写真になったが、孫やその友人たちのプライバシーの尊重のため、掲載は出来ない。お許しを。
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| 2010年6月10日(木) |
| 初の吟行に |
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快晴の日。いつもの絵硝子の句会が、今日は吟行をすることになっている。AM10:30分にJR桜木町駅改札口で待ち合わせ、運河沿いに、日本丸、横浜開港資料館、もとの汽車道、などをランドマークタワーや観覧車を背景に見る、そして句を作る試みである。お仲間は和田先生を入れて8人、腰痛などで欠席者は3人も居る。1時間余歩いて晴天の青空や海そして運河を眺めた。
私はかなり緊張をしていた.と言うのは、小説書きに比べて句作には経験が浅く、銀行に参加したことはなかったからである。日本丸には、遠足か社会化見学か、子供たちが沢山来ていて、歓声が聞えていた。その前を通り過ぎて資料館に入る。会場の中心に展示されているコーヒー豆を積んだ大きな荷が印象的だったが、句作には繋がらなかった。そこを出て、運河を覗いた。経験豊富な先輩男性が、ここはドックという、と教えてくれた。
「ほら、くらげが居ますよ」
と指差してくれた。観ると左側に1つ、右側に2つくらげが確認できた。遠見だからはっきりとは分からないが、直径15~20センチぐらいに思えた。白くて傘の淵が柔らかく揺れていた。昼食は海員クラブで取った。窓から景色の見える静かな店だった。食後は、いつもの句会の会場に移動した。その間、一同は静かに句作りに励んでいたと思う。私は全く自信がなかったが、ともかく3句作り、持って行った2句と合わせて提出した。そして思いがけず、吟行の1句に5点句を頂戴することになったのは、幸いだった。
ご笑覧を。
船に添ひ 乳房のやうに 水母舞ふ
なお、緊張していたせいか、カメラを忘れて行った。
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| 2010年6月9日(水) |
| エクササイズ、庭掃除など |
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午前中は休養を取り、午後からは庭の内外を掃いた。土の残っている塀の外は箒で掃きやすい。黒砂利を撒かれなくてつくづく良かったと思っている。箒の目が入った土は美しい。庭には今、紫陽花はじめ種々の花が咲き始めている。水鉢にはミニ睡蓮が、花壇には写真の黄色い百合が咲いている。今年は特に色が冴えている。紫ツユクサや源平菊は脇役的な花だが、これもあちこちに咲いている。日照りの日は水遣りに気を付けなくてはならない。鉢植えの万年青に実が付くかどうかはこれから分かる。肥料は1度遣ったが、効いてくれるかどうか。
夕方はエクササイズを25分した。家族の帰りは早く、毎度のことだがアサヒビールを用意した。
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| 2010年6月8日(火) |
| 文学座公演「麦の穂の揺れる穂先に」 |
ちょっとしたご縁で、この芝居を観ることになった。知り合いの方の娘さんがこの芝居で初舞台を踏む、と言う。そしてこの芝居は、懐かしい日本の映画監督、小津安二郎の映画をモチーフにして、平田オリザ氏が書いたものと聞く。小津ファンだった家族に話し、一緒に行くはずだったが、外せない会合があり、ピンチヒッターとして娘が同行することになった。娘は会社帰りに、サザンシアターに近い新宿駅新南口に来るという。私は湘南新宿ラインにて新宿に向った。
無事に会えて軽食を取り、劇場に入った。
ストーリーは若い女性を巡るもので、父親を主に親戚の者、友人知人が入れ替わり立ち代り現れる。その家は鎌倉に設定されていて、腰越、化粧坂、など馴染みの地名が台詞に織り込まれている。鎌倉生れの娘は<
「こんなに鎌倉の話が出てくるとは思わなかったわ」
と喜んでいた。主演の江森徹をはじめ、知り合いの娘さん永川友里さんもなかなかの好演であった。身近な話の展開だったが、さりげない日常の、人間の心の動き
が観ているものにもよく伝わる良い芝居であった。2時間20分飽きることなく舞台に魅入った。帰りは新駅の武蔵小杉まで、娘といっしょに帰った。 |
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| 2010年6月7日(月) |
| 菅内閣の組閣ほぼ決る |
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今日から菅内閣の組閣が動き出している。しかし、新任は少数で、11人が再任とのこと。鳩山総理残念!という気持が少々残るが、先を見ていくしかない。前任者の失敗を繰り返さない、という気持が菅氏にあるに違いない。
この日記になって、始めて書くが、私は末っ子、それも八番目の子供だ。それ故、上の兄姉にはたくさんのことを学ばせてもらった。なまじっかの学校よりも、生きることを、そして多くのことを学んだ。そういう観察眼が菅総理にもあることを望む。ともかく、国内外に片付けなくてはならない問題が山積している。頑張ってもらいたい。
日中は、宅配取次店、銀行、スーパーなどに行く。美容院にも行き、髪を少し切ってもらった。夕方は、孫のママ、娘、友人と電話で話した。同世代の友人は咳が止まらないと言っていた。しかし、検査して問題はなかったとのことだった。家族の帰りは早く、私はアサヒのクリアという軽いビールを少し飲んだ。
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| 2010年6月6日(日) |
| ミサに行った後、デスクに |
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ミサに行った後、デスクの仕事を幾つかこなした。
1つは、携帯電話の会社に電子登録する仕事、もう1つは先日の運動会の写真を編集、プリントすること、などである。携帯電話は、これまでの文書での料金請求&領収書を電子で知らせるとのことで、その手続をして下さいとの知らせがあった。これは事務的なことだが、写真の編集は、半分楽しみでやった。運動会の写真はデジカメでただ写しただけのもので、大勢の人間が写っている。そこを編集→切り取り、をして孫たちをクローズアップした。つまり部分的に引き伸ばしたわけで、少々ボケたが、何とか見られるものになった。孫のママのバースディが近いので、プレゼントと一緒に送ってあげようと思う。
昼食に、近くのファミリーレストランに行ったら、間もなく閉店する、と張り紙がしてあった。下の孫が大好きな店なので、がっかりするね、と家族と話した。夕方踏み切り近くの八百屋さんまでお使いがてら散歩した。街は相変らず混雑していた。今日は3度外出したことになる。
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| 2010年6月5日(土) |
| 赤レンガ倉庫へ |
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午後、家族の会社で扱っているLPG車の展示会があるというので、横浜の赤レンガ倉庫前の広場まで行った。以前、英会話の教室に通っていた頃、Billという先生に、赤レンガ倉庫の話は良く聞かされた。彼はアルバイトにこの周辺を走るBELOタクシーの運転手さんをしていた。写真には写っていないが、この日もBELOタクシーは走っていた。自転車の後ろに2人乗りのスペースが付いていて、前の人は自転車のようにぺタルを漕いで走るのである。夜になると足がパンパンになる、と話していたのを覚えている。
天気も良く、夏のような気温で少々暑かったが、運河からの風も吹いていて気持ちが良かった。第一、いまや横浜の名所になっている赤レンガ倉庫に来たのは初めてで、おのぼりさんのように辺りを見回した。広場の入口を入って、向って左側の倉庫の1階で注文したピザパイとコーヒーも美味しく、2階では、孫のママのバースディプレゼントが買えた。往き帰りは地下鉄に乗り、便利になったと思ったが、乗り降りのエスカレーターや通路が長くて、いやになった。横浜駅に出て、少し寄り道して帰った。どの場所も人でいっぱいだった。
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| 2010年6月4日(金) |
| 本郷台へ |
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前々から、今日は午後本郷台のTさん宅に行く約束をしていたが、朝起きるまで忘れていた。路地に、黒砂利を撒かれたショック、総理の辞任への不安など、精神的に忙しかった。しかし、約束を思い出して気を取り直した。Tさんには洋服に直してもらう着物を一枚預けてある。着物は姉の形見だから大切にしたいが、もう着物を着て歩く機会も少ない。洋服にすれば着る機会はまだある。紹介者は句会仲間のKさんで、いつもいっしょに行ってくれる。待ち合わせ時間に無事に会えて、Tさん宅に行った。Tさんの家はいつも綺麗で、趣味も良く感心させられる。着物生地での仮縫いは思ったよりずっと良く出来ていた。これなら亡くなった姉も喜ぶことだろう。お茶をいただいた後、いつもより早めに帰った。帰りに大船駅で押し寿司を買った。先日かって美味しかったのでまた、というわけだ。胃袋は疲れ気味、と言っても、目が欲しいのかもしれない。
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| 2010年6月3日(木) |
| 菅副総理が代表選に |
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鳩山総理の辞任騒ぎは一日中続いたが、そのショックの醒めないうち、次期総理候補の名前が挙がる。菅副総理が代表選に出ると名乗りを挙げるらしい。特に新鮮には感じない。しかし、表の話はともかく、国民の一人として、日本の政治はこの先どうなってしまうのだろう?と不安になる。問題は辞めれば済むという話ではない。支持率が落ちて、選挙に勝てないから、ということなのだろうか?道連れにした小沢一郎氏はこの先どうするのだろう?とさまざまな思いがよぎる。
嫌な思いを振り払うように、庭に出て、デジカメで花の写真を取った。掲載の写真は、屋外ではなく、居間の窓辺に置いてある鉢植えだ。今は、赤、白、黄、オレンジと四種咲いている。この場所が気に入っているように、次々と咲く。花の写真を、パソコンのマイドキュメントに保存した後、日記を何日か書く。さらに、前に書いた1文の書き直しをした。夕方は、買出しに街に出た。
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| 2010年6月2日(水) |
| 鳩山総理辞任&黒砂利とローラー |
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今日は休養しようと思っていたが、なかなかそうもいかない。朝は家族のために和食の朝食を作り、門まで送り出す。その後からが私の時間となるのだが、元気な時は洗濯機を回しながら、すぐにデスクに向かう。メールをチェックするだけの時もある。2階の書斎に上がらず階下でボーっとしている時は、あまり体調&精神状態が良くない時だ。今日はそのあまり良くない朝で、コーヒーを入れて飲んでいた。そこへテレビのニュース速報が入った。…鳩山総理辞任表明…、と流れる。やがて本人の顔も映し出される。いったん、辞めずに総理を続けると表明したのにどうしたことだろう?と思っている時に、家の裏の道に車の入ってきた音がして、砂利をシャベルで掬う音がする。出て行くと、その黒砂利は東の隣家の前に運ばれている。車は市役所の軽トラックで、隣家の要請で来たという。小型のローラーも運んできている。それで納得して家に入り、またテレビの続きを観ていると、今度は門のチャイムがピンポンと鳴った。出ると隣家のご主人で、
「お宅の前にも黒砂利を置いても良いか」と聞いている。ふたたび裏に出ていった。
「突然のことで、主人に聞かないと」と言った。
「なら、いいですよ」と、少々不満げだったが、急なのでうまく会話が交わせない。
そう言えば、2.3日前に西の隣家の車庫の前に黒砂利が積まれていた。そこは我が家の車庫と隣り合っている。段差が付いたので我が家の方に水が流れることになりそうだ。
「それなら、うちの車庫の前に砂利を積んで下さい」
と頼んだ。車庫はコンクリートで作ってあるから、縁に黒砂利を置きローラーで固めても、特に問題はない。隣家のご主人は我が家と接している東がわを整備したかったようだが、我が家としては、塀際に土を少し残すのも良いのではないかと思った。もちろん雑草取りは大変だが。ともかく、我が家は我が家で考えることにしよう。突然の要請で、しかも、日本の総理大臣が辞任するという騒ぎの最中に、女1人で決めることではない、と思った。聖書には、「汝の隣人を愛せよ」とあるけれど、なかなか難しい。どちらの個性も大切にする、というやり方が私の考えなのだが、狭い路地に黒砂利にローラー、と雑草の生える土、と共存できるように祈りたい。
午後、やや精神不安定になった。何かしなくてはならない、と思い、エプソンのプリンタで名刺印刷を始めた。折りしも、あんばら庵のURLが変ったところだ。前の名刺には古いURLが印刷されている。文具店で名刺型のカードを買ってきてトライした。何度かの失敗はあったが、夕方になって、100枚の新名刺が表裏ともに刷り上った。なかなかの出来だ。材料費は700円ほどだ。印刷やさんに頼むよりはるかに安くて、嬉しくなった。ごたごたの後のグッドジョブであった。
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| 2010年6月1日(火) |
| 今日から6月 |
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花に囲まれた5月が終り、6月になった。6月は紫陽花などが咲く。また楽しむことにしよう。
今日は、国際交流時代の友人、H.Nさんと戸塚駅で会う約束になっている。先日、当時我が家にステイし、私も彼女の家にステイしたジョージア.ウッドラフさんから長文のメールが届いた。来年の春、桜の咲く頃日本に来たいと書いてあった。そのメールをプリントしてH.Nさんに渡すのである。積もる話もある。ついでに、新しい駅ビルの出来た戸塚を探検してみたい。工事中は電車で通り過ぎるばかりだった。2.3年は工事していたような気がする。Hさんとは無事に会えて、カナールというケーキ店で1時間ほど話した。新ビルも探検したが、まだ良く理解できなかった。若い人向けの衣料品売り場が多かったように思った。
帰宅してから、amazon.comで、詩人の高橋順子さんの本を一冊注文した。「雨の言葉」という本だ。6月は、雨も楽しもうと思っている。「繭玉」をご恵送いただいた俳人の鈴木さんに葉書を書き、投函した。拙句を1句。
茉莉花の道行き来して月送る
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| 2010年5月31日(月) |
| 第一、第二「あんばら庵」の更新は今日で最後 |
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少々疲れたマンデーである。洗濯機を回しながら、茉莉花を庭の日当たりの良いところに出した。枯らさないように水遣りその他気を付けなければならない。しかし、楽しみが増えた。他に楽しみがないのだから、花ぐらいの贅沢は仕方がない。日中は、振込みなど雑事をこなす外出をした。この頃はコンビ二でも振込みが出来る。
ところで、今日で、第1、第2の「あんばら庵」の更新が終る。プロバイダがサーヴィスを終了するとメールで再三知らせてきている。こちらの都合ではない。すでにこのホームページは第3番目の「新あんばら庵」で、そのウエブ日記に書いている。そして少々遊んだが、最後の更新に「また来てね!」と、招き猫のイラストを入れてクリックした。6月いっぱいは閲覧できるそうだから、この招き猫をご覧になる方もおありだろう。
第1、第2の「あんばら庵」をご覧くださった皆さま、心から御礼を申し上げます。
夕食は先日大船で買った豚肉の料理をした。
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| 2010年5月30日(日) |
| 教会のバザー、そして茉莉花 |
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三位一体の祝日。父と子と聖霊の御名(みな)によりて……、の祈りはここから来ている。この日のミサの後から、教会のバザーが行われた。私はもう手伝っては居ない。若い頃は中古服売り場に立ったこともある。それ故、買う方で協力をしている。本日買った品は、硝子のコップ5個、そして一品もののコーヒーカップだった。どれも一個100円で、安くて申し訳ないと思ったほどだった。
話が゜前後するが、ミサ中のC神父の話が心に残った。
聖パウロのローマ人への手紙、から、
「苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生み、……」
という言葉が、心に沁み、納得
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