カラリパヤットの歴史

カラリパヤット KALARIPPAYATTU とは何か

カラリパヤットはインド亜大陸南西端。現在のケーララ州[KELARA]に伝わる武術体系です。
英訳されると、Warroir's Prelimnary Excerciseとされます。この意味は「戦士になるための前段階的訓練。」または「準備運動」とされます。
また単にFencing,Swordsmanship(剣術)とだけ、紹介されます。
かつてのケーララ地域は三つに大きく分けると、Tulunad(北部)、Malanad(中部)、Venad(南部)と呼ばれており、その地域で戦い方の美徳、及び重要度の社会機構が異なったため、
北のTulunadでは剣術を重視し、剣客たちは頻繁にいろいろな師匠や兵を訪ね、捜し求める気風でした。
中部のMalanadは柔軟な動き、跳躍などのアクロバティックができる体づくりに重点を置きました。
TulunadとMalanadは交通が比較的容易であったので、双方の技術は融合し、近似していきました。
一方,南のVenadは、全く異なった体系で、徒手格闘術(関節技が発達)、武器はナイフ、棒を用いる程度の簡潔な武器術が主要な武道となり、カラリパヤットと区別されてAditada(adi 叩く、tada 防ぐ)と呼ばれる体系になりました。Aditadaにはいくつか興味深い別名があり、Varuma Adi 訳Varuma急所,ツボ。 Chinna adi 訳Chinna 中国。 
中国の中世の航海の英雄、鄭和(ていわ)の影響が考えられます。

カラリ[KALARI]とは道場、及び寺子屋の意味で、それぞれの村の主要な寺院に付設されている池の数ほどあったとされ、武術の修練の他、神様を祀る信仰の場。読み書き、算数を教える機能を果たし、また家伝の治療法を施す医院として地域に欠かせない施設であり、それを修めた師匠はグルッカル(GURUKKAL)と呼ばれ尊敬を受けていました。
パヤット[PAYATTU]は訓練、武術、体操を意味します。

ちなみにカラリパヤット(Kalarippayattu)という言葉は近世の造語で、それ以前には武術をさす特定の言葉はありませんでした。
カラリパヤットにはカラリ・ムラ(KALARI MURA)と呼ばれる掟、決まりがあり、それに沿って通常稽古が進められます。
私が修めたのは北部と中部の融合系のCVN KALARIであるため、それを基盤に紹介いたします。

まず最初には、八種の動物の名を冠したポーズ(象、馬、獅子、猫、魚、蛇、猪、鶏)の習得、これによって足の置き方、姿勢を覚えます。それに並行して、足の振り上げの稽古(直、斜め、外転、内転、半転、座など)を習得してから、メイパヤット(MEYPAYATTU)と呼ばれるポーズと足の振り上げなどを連続させた”型”の習得に入ります。「MEYとは体の意味。」
この訓練法は、ヨーガと近似し、骨盤部へのアプローチ、及び呼吸の安定。柔軟性、バランス感覚を養うことはもとより、非常な持久力も養われ、同時に跳躍力も養うという、世界中に現存する古武術の中でも特別な形態を存続しています。

徒手による稽古をある程度習得すると、次に始まるのが籐製の長さ1.5メートルほどの細い棒(直径2センチほど)の稽古を教えられます。この細長い棒を使って、体使い、棒さばきを教わります。
続いて、長さ50センチほどの短い棒を教わります。

そして、次の段階は鉄製の短剣。そして剣と盾の稽古に順を追って入ります。
短剣術は相手の武器を奪い取る技も含み、剣と盾は右に剣を持ち相手を突き、斬り、左に盾を持ち身を防ぐ、左右の手の使い方を異ならせ、昔においてより実戦的な予備練習、想定練習となります。

そして、大きくて重い棍棒、槍などを教えられますが、

もっともカラリパヤットを語る上で特徴的なオッタウルミという武器を高段者は学びます。
オッタは全長60センチほどの柄、鍔を持った木製の短剣で、ゆるやかなS字状の曲線を描き、先端は丸く膨らんだ形をしています。
この武器は歴史上一度も実戦の舞台に上がったことがないにもかかわらず、カラリパヤット全ての「精髄」を含んでいると言われている術で、カラリパヤットがいかに理論から成り立った武術であることを物語っています。
そしてウルミは柔軟な鉄鋼製の刀身1.5から2メートルの剣で、通常丸めたり、腰に巻いたりして携行され、熟練していないと自分の身を切る危険な武器です。
この武器は歴史に頻繁に登場し、カラリパヤットの武者を語る上で欠かせない武器です。

さらに、布を使った捕り物とも言うべき格闘術(この地方の男は正装として肩から1メートルほどの布をかけて歩きました。)及び徒手格闘術、主に相手の武器を奪う術。マルマ(急所、ツボ)攻撃法も稀に伝授されます。

最後に師匠となることを選ばれた者に対して、治療術(マッサージ法、整復法、薬学)を伝授します。
このことは生計を立てる上でも、独立することを許す非常に特別な段階です。
(ちなみに筆者は1999年より、鍼灸マッサージ師を生業としておりますが、2004年故C.V.GOVINDANKUTTY NAIR GURUKKALより外国人としては非常に稀で、また師の最後の弟子として伝授を頂く機会に恵まれました。)

これら、武器術、医術は由来の多くはそれぞれ「ダーヌル ヴェーダ」[DANUR VEDA](弓学)そして「アーユルヴェーダ」[AYUR VEDA](生命学)という、北インドより伝わったアーリア バラモン階級の知識、及びそれに並行してヒンドゥー密教タントラ[TANTRA]哲学と土着のドラヴィダ薬学、戦闘法の融合により長い年月をかけて成立しました。

カラリパヤットの英雄伝

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