マラカーンブの始祖 バラムバット ダダ デオダール
(Sir Balambhatt Dada Deodhar)
インドには12世紀に「MALLASTAMBHA(マッラスタンバ)」と呼ばれる鉄製の柱に油を塗り、それに登るというレスラーの訓練法が存在しました。
しかし、それもいつしか消え、時を大きく下って18世紀のお話です。
1780年バラムバット デオダールはマハラシュートラ州地域を治めていた「ぺシュワ王家(Peshwa)」に仕える司祭者ジャナルダンバット デオダールの長男として生まれました。
厳格な家庭に生まれ、教育されましたが、16歳の頃からラゴバ ヴァスタッドという師匠につきレスリングに打ち込むようになりました。勤勉な性格、猛特訓により、最も優れた弟子となります。
とても有名で優れた師匠でしたが、かつての弟子のうちの一人がラゴバ師匠に挑戦状を送ります。
自らの威厳を保つため、非常に立腹して戦いたいのですが高齢のために勝てる自信はなかったのです。
そんな折、18歳のデオダールは自分が挑戦に答える事を師匠に懇願します。
デオダールに許可を与え、二人は対決しました。
二人は大変な技量で戦い、目の肥えた観衆もどちらにも軍配が上げられないほどの試合となりましたが、長い戦いの末、デオダールは相手を新しい技を出して、投げ飛ばして勝ちました。
そして、デオダールは国中で有名なレスラーとなりました。
デオダールが20歳のときに国中の芸術人、文化人を保護していた優れた国王が32歳の若さで亡くなり、それに伴ってデオダールの父は殉死しました。
その数年後、新しいぺシュワ王家のもとに、パキスタン地方からやって来たアリ(Ali)とグラブ(Gulab)というとても大きな二人の職業レスラー(賞金稼ぎ)がやってきて、王家お抱えのレスラーと挑戦を申し出しました。
この二人はインドのほぼ全土を周り、負け知らず。その体格もさるものながら、二人の食事も驚くべき量をたいらげ、ぺシュワ王家の職業レスラー達はこれを知って誰も挑戦に応じようとしません。
アリとグラブはいろいろなデモンストレーションを行い、王家から戦わずに証明書をもらう事を要求します。
この侮辱を知ったデオダールは王家に彼らと戦う事を申請します。
デオダールはアマチュアのレスラーであって、プロではありませんでした。
しかし、王家は彼に許可を与えました。
デオダールは3ヶ月程 時間が欲しいと言い、一人山奥に入り、修行に入りました。
場所はNasikという地区のWaniという場所のSaptashuringi Deviという女神の像が自然に浮き上がったとされる岩山近くでした。21日目の祈りの時に女神とハヌマーン神(猿の形をしている力持ちの神)のお告げがあり、目の前にいた猿が、木の幹やてっぺんを使っていろいろな芸をしているのをみました。
これがマラカーンブの始まりでした。その後2ヶ月間木の幹を使った稽古を始め、王家に戻りました。
決闘の土俵が設けられ多くの観衆が集まりました。大男のアリはいろいろの力技を示して人々を驚かせています。もう一方の小柄でハンサムな若者は土俵に飛び上がると王家に対し、礼を、続いて観衆、最後に対戦相手に礼をするだけです。
試合が始まりました。組み付いた瞬間アリは驚きました。とても小柄なのにとても力が強いのです。そして持久力、敏捷性もとても高く、大柄なアリは彼を捕まえて首を絞めようとしますがいつでもうまくすり抜けます。
そして、デオダールはアリの前で宙返りを切り、アリの首に足でからみつきました。そして柔道の三角締めでアリを締め上げて勝利を得ました。
この試合を見たグラブは恐ろしくなって挑戦を拒否しました。
このことがあってもデオダールはプロになる道を選ばず、王家のレスリングのコーチを続け、32歳で結婚人生に入り、イギリス統治時代に入ってからは王家に伴いガンジス川河畔の聖地ベナレス(Varanasi)に移住しました。
移住後は三人の息子(ラーマチャンドラ、ラクシュマングル、ナラヤン)に恵まれ、数多くの優秀なマラカーンブとレスリングの弟子達(コンダバトナナ ゴダボレをはじめ)を育て上げました。
そして72歳のとき、老いのために自分自身の力で生きていく事に限界を感じたデオダール師はガンジス川にその身を捧げ生涯を閉じました。