この項目は十二世紀と十六世紀に実在したカラリパヤットの担い手達の活躍を紹介します。

その頃のインド亜大陸は北部の大半はイスラムの王国。南部は強力なイスラム勢力に対抗して、元からある彼ら独自の宗教、文化のヒンドゥー王朝のヴィジャヤナガル王国を14世紀から保っていました。
しかし、カラリパヤットの伝承されていたケーララ州は、南北に細長く、西にアラビア海。東に二千メートル級の西ガーツ山脈。国土の大半は熱帯雨林気候で深い森や川があり、地理的に古くから完全に他国からの侵略の手につきづらく、またその国内は非常に多くの小候国に分散して地方分権社会を保っていました。

古代(4世紀から9世紀)の戦いは、他国とは多くの象を操る、騎象隊とも言うべき軍団、槍、弓、剣士、棍棒などを振るう歩兵隊などからなる。大軍団を率いる戦いをしていたのですが、大国との衝突がなくなり、地主達が独立したため、彼らは小規模な自衛団を形成しました。

16世紀当時はインドにはすでに火薬、砲術が存在していたのですが、ケーララの人々は剣で紛争を解決しました。まるで騎馬隊、砲術主体の戦国時代を経て、剣術を奨励し、天下泰平を保った江戸時代のようです。
インドの他の地域ではクシャトリア階級が武士に相当していましたが、この地域では司祭者階級バラモンの末裔、亜流のナーヤル階級が武士にあたり、戦術、政治、文化などを治めていました。
そして、いざ紛争となったとき、ひとりの代表者を出して、一対一で対決させて解決しました。
この時利用されたのが、イーラヴァ族(Illava)の一部のチェーコン(チェーカヴァル、チェコル)と呼ばれた人たちでした。
彼らは「負けて生き恥をさらすぐらいなら死を選ぶ。」という気概を持つ、まさに武士道をもつ集団です。

まずはじめに紹介するのは「タッチョーリ オテーナン(Tacholi Othenan)」の物語です。
六十余戦無敗と言う逸話をも持つ男で、生きた時代ともにわが国の宮本武蔵をほうふつさせます。
武蔵は三十歳の時に死闘の道から離れたと言いますが、オテーナンは三十二歳の時に暗殺されました。
また人生の大半を武蔵は放浪に費やしたと言いますが、オテーナンも武蔵ほどではないのですが、いろいろなところに歩き回る性格の持ち主だったようです。最後の対決も巌流島さながら浜辺に遅れてやってきます。彼の性格は反骨心に富み、大胆不敵、豪快。規律を重んじ、制約の多かった彼らの社会において、しばし素行の悪い人物だとも評価されるダーティーサイドをも持つヒーローですが、己の力のみで自由と名声を勝ち取った痛快な彼を民衆は憧れ、賞賛しました。ケーララの歴史人物中最も人気のある一人です。
現在も彼の生家、信奉していた寺院が存在し、私も訪れました。
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続いて「アーロマル チェーカヴァル(Aromal Chekavar)」の物語
彼は異色のオテーナンに対し、正統派のチェーコンで、彼らがどのようにして決闘にいたるのか、当時の社会の成り立ち、彼らの生き方を物語っています。ちなみに「アーロマル」とは美男子、愛する男の意味を持ち、その若き人生を華々しく散らす、哀愁漂う物語です。
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次に「ウンニアルチャ(Unniyarcha)」の物語です。
彼女はアーロマルチェーカヴァルの実の妹で、兄弟達と共にカラリパヤットを修めた美しい女性剣士。
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最後に、ウンニアルチャの息子 「アーロマルウンニ(Aromalunni)」
伯父をだました男の事実を知った彼の仇討ちの物語です。
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彼らの活躍は「Vadakkan Paatukkal」(直訳 北の叙事詩)とケーララ地域で呼ばれる歌で伝えられ、
現在でも農作業時などで、民衆に語り継がれています。
またこれらの物語は、Vadakkan Paatukkalを資料とした、
S.krishnankumar氏著「Vadakkan Veera Kathakal(北の英雄の物語)」
という比較的子供向けの簡易な本から翻訳編集しました。

最後に1995年、ケーララの言葉マラヤーラム語のご指導の端緒を頂いた、
故伊藤正二先生に厚く礼をこめて。

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