最終話 Q.E.D

 戦いの後も風は変わらず吹いている。
 ダイ達は黙りがちになるのを止められなかった。世界に災いを振りまくと宣言した敵に勝利したというのに、奇妙な感覚が胸を占めている。仲間を無事に助け出すことができたという一点がかろうじて彼らの心を軽くしていたが、口数が減っているのは否めない。
 ダイが転移する魔法陣の場所を覚えていたため、彼の案内で移動する。入り口を通過するための印はすでに与えられていた。ダイ達が揃った時すぐにユージアがまじないを施していたのは、こうなると見越してのことだったのだろう。
 移動する間、浮かぶのは二人の男の顔だ。
 先ほど戦いを終えた相手は、ダイ達に立ち去るよう促した。
 死に近づく姿を見られたくないのだろう。
 仲間と同じことを言ったのが自分でもおかしかったのか、面白そうに笑っていた。己の体が少しずつ崩壊していくのもかまわずに。
 確実に死ぬとわかりきっている、もはや闘志も敵意も失せた相手にとどめを刺すことはできなかった。

 浮遊感に包まれた後、足の裏に確かな感触を覚える。
 帰還はあっけなく、明るい日差しを浴びれば魔界での一時は夢のようだ。
 まずはレオナやアバンに全員の無事を知らせる。攻撃を受けるどころか、わずかながらも力を取り戻したヒュンケルにラーハルトとエイミが安堵した。
 数日も経っていないが、ずっと気を張っていたのだろう。安否を確認した瞬間エイミの体から力が抜けたのがはっきりとわかった。
 ラーハルトは険しい表情のままだが、主君と戦友が戻ってきたことをどう思っているか、物腰から窺えた。
 拉致されたヒュンケルはもちろん、魔界に行ったダイ達も休むよう勧められ、大人しく従った。大魔王を倒した時と違い、盛大に祝うような空気は漂っていない。
 ラーハルトは浮かない顔の小さな勇者に言葉をかけようとして思いとどまった。事情を知りたいが、自分から話そうとしないことをあれこれ聞くのもはばかられる。主従としての関係にこだわるならば、なおさらだ。
 それを見て取ったヒュンケルは、日が落ちるまで休んでから寝床を出た。

 魔界とは異なる薄暗さに包まれた世界は穏やかだった。
 ゆっくりと、地面を確かめるような足取りで進んでいく彼の傍らを、半魔の青年が歩む。
 散歩と呼ぶには重い雰囲気が漂う中、ヒュンケルはラーハルトに何があったかを話した。
 閉じ込められていた間のダイ達とユージアの会話など、合流するまでの出来事は、魔法陣に向かうまでの間互いに話していた。
「……相手が、地上の勇者一行だったからか」
 ヒュンケルは沈黙で応じた。
 名前も知らない元・地上の勇者の境遇が重りになっているのは確かだった。
 化物じみた力は持たない人間が、手柄を立てたというだけで疎まれ、呪われた。人となりをよく知っているはずの故郷の住人すら受け入れず、去る羽目になった。
 デルムリン島のような場所に隠遁するという選択肢もあったが、そうしなかった。
 人間に嫌気がさしたわけでも地上に絶望したわけでもないとユージアは言い、ネロは皮肉で返していた。本心は今となっては誰にもわからないが、仲間とともに魔界に行くことを選んだ理由や心境を想うと、胸を痛めるのも無理からぬことだった。
 勇者の姿を模したユージアが挨拶に来た時の言葉は、どちらの本音も含まれていたのだろう。
『戻りたい場所があって、帰りを待つ人々がいる……とても素晴らしいことだ』
 ダイにはどちらもある。魔界の勇者達には無かった。自分達が失ったものを失わずにいる相手に、彼らは何を思ったか。
 部下を作りたがらないのも、平気で禁呪法を使うのも、諦めや絶望があるからかもしれない。
 ヒュンケルは歩みを緩め、心を探るように瞼を閉じた。
 浮かんできたのは、勇者を演じてきた男の動揺。
 友好的に振る舞ってきた男は、人間を怖がっていると指摘され、飄々とした態度を崩していた。
『争わないのは、人間が、好きだから……! 恐れてるはずがないんだ!』
 悲鳴に近い叫びは、何よりも雄弁に内心を語っている。
 正義を振りかざす人間に親を殺されたと思い込み、ヒュンケルは憎しみに駆られた。
 親とともに迫害されたラーハルトは怒りに身を燃やした。
 もう少し状況が違えば恐怖に慄いていたかもしれない。

 ざわり、と体の奥でうねりが生じた。
 体内を流れる血が凍りついたような感覚に襲われる。
 昔の勇者の辿った道を考えれば、最悪の未来を想像してしまう。平静さを取り戻すべくわずかに息を吐き、虚空に目を向ける。
 夜気が心地よい空間で、呪いのように毒々しい声が蘇った。
『……無様だな。肝心な時に戦えん戦士に何の価値がある』
『戦えない戦士など死んだも同然』
 聞かされた時は、憎しみのこもった台詞に立ち向かうべく精神を奮い立たせようとしたが、今となってはそんな気も湧かない。
(誰に言っていたんだ)
 風にのせた問いは届かない。
 あれほど憎悪をぶつけてきた理由も、ヒュンケルには薄々見当がついていた。自分も同じようなことを考えるかもしれないのだから。
 もしかすると、大魔王との戦いの中で力が及ばず敗北し、仲間が全滅する未来もあり得た。
 そうなった時、似たような道を歩みはしないと言い切れない。
 大切な者を喪い、それを奪った世界と己の無力さが憎かった時期がある。
 案じる者を切り捨て、戦いのみに身を捧げ、生涯を終えたかもしれない。
 守るべきものも、勝ち取りたいものも、存在しないまま。
『自分を責めて何の役に立つ?』
『今更言っても仕方のないことだ』
 過去を悔やむ仲間にそう言いながら、本人も実行できてはいなかった。
 悔恨の炎に焼かれながら数百年を過ごしてきたのは二人とも同じだ。
(戦えない戦士など死んだも同然、か)
 「死んだ」男は竜の力を与えられ、魔を呪いでつなぎとめ、人間の体を捨ててでも戦士であろうとした。
 危うい、どこで違えるかわからない道。
 それを辿った男。
 一度死に、人でなくなっても捨てきれなかったものがある。
『仲間が戦っている中で自分が動けなければ……貴様はどうする?』
 投げかけられた言葉がズシリと響く。
『力を取り戻す手段があれば、どれほど危険でも選ぶのか。さらなる苦痛が待つとわかっていても戦おうとするか?』
 今思えば、質問ではなく確認の意図があったのかもしれない。
 血を与えると決めたのは、仲間を手にかける前からだろう。
 同じ道を歩ませないように。
 守りたいものを守れなかったと、己を呪うことが無いように。

 自らに呪いをかけた男は、世界に呪いを振りまくと宣言した者は、こう尋ねていた。
『人と魔の狭間にいる者よ。人と魔の違いは……境界はどこにある?』
 力を求めただけならば、呪いで境界を崩し理想が叶うと確信しているならば、そんなことは気にしないだろう。
 あれほどハドラーに関心を示したのも、自身と似た体になったためだ。
 超魔生物と混ざり物の我が身を重ね、戻れなくなってまで力を求めた彼がどこまで行けるか胸を躍らせた。高みへ上ることを我がことのように望み、喜んだはずだ。
 同時に、ミストバーンについて語ろうとしなかったのも納得がいく。
『ミストバーンか……正体を知ってしまうと――』
 ヒュンケルの闇の師について言葉を濁していたのは、力を手に入れた経緯が引っかかっていたからだ。
 それまでの積み重ねとは異なる力を、他者のおかげで手に入れたから。
 違いは、十分に発揮できるか否か。その力で守りたいものを守り通せるか。
 なおも足りない力を得るために手段を講じた彼の目には、大魔王の半身と呼ぶにふさわしい力を手に入れた存在がどう映ったか。
『俺が、恐れているだと?』
 日頃理性の侵食に脅かされているならば、魂を砕こうとする存在は脅威に映るのだろう。
 怖い。魂を崩し精神を黒く塗りつぶす衝動が。
 恐ろしい。己の姿をしたモノが、仲間にすら牙を剥くことが。
 内面を塗り替える存在に立ち向かうのは至難の技だ。完全に呑まれれば、戻ることは叶わない。
 そして、正体を知れば、連想せずにはいられない。
 宿主の体を奪う性質が、別人の姿を纏い行動する親友と。
 数多の思念から生まれた身が、複数の生物の血肉から成り立つ己と。
 正反対なのがユージアだ。恐怖を感じるどころか関心を抱き、嬉々として語っていた。
『私は正体を聞いて興味が湧いたのに……信じられない! 疲労や痛みを感じない体。食事や睡眠を必要としない体。どんなものだろうね』
 人間でありながら数百年生きてきた。本人は詳しく語らなかったが、肉体がどんな状態か想像がつく。
『それより気になるのは……精神だよ! 多くの思念から生じたなら記憶は? 自我は? 自分が自分でなくなる可能性は!?』
 精神が蝕まれていたのはネロと同じだ。ユージアも近いものを感じたからこそ、あれほど関心を見せたのかもしれない。
『忘れていくんだよ。どんどんおれが消えていく』
 自分が自分でなくなった時、戦えるか。己に問うたヒュンケルはうすら寒いものを感じた。
 バランによって記憶を失ったダイは、戦えない子供になった。
 記憶を徐々に削られていく中で戦い続ける日々を想像すると、声が出ない。

 闘う前にダイ達が聞いた、挑発するような台詞が脳内を巡る。
『代替品と本物の距離を測る気はないのか。証明したくないのか?』
 現在の地上の勇者――ダイが本物で、魔界の勇者は模倣品と言いたかったのではない。
 勇者だった親友にどこまで近づいているか。
 どれほど演技を続けられるか。
 結局、答えは決まっていた。
『貴様は勇者などではない』
 そう告げて凶刃を振るったネロに、約束を破るのかと憤りを覚えた。
 今ようやく、約束の真の意味がおぼろげながら見えてきた。
『片方が戦おうとしている時は、どんな相手だろうと力を合わせる。最後まで運命を共にする』
 それに加えて語られなかった部分があると、ヒュンケルにも見当がつきつつある。
 ユージアが刺された時、驚きはあっても悲しみや怒りは無かった。仲間が力を貸してくれるというだけの内容ならば裏切られたも同然だが、そういった感情は見当たらなかった。過去を想起し、傷つき絶望してもおかしくないというのに。
 ならば、あの結末も約束に含まれていたのかもしれない。
 ユージアが驚いた理由は、勇者一行の前で実行したこと。
 二人だけの約束に他人を巻き込んだからだ。
 その後、戦うのは自分のためだと言っていたが薄らとわかる。
 きっとユージアの存在も理由に含まれていたのだろう。
 だが、「魔界の勇者の仲間」という立場を捨てておきながら名前を出すわけにはいかない。
 約束にしても、経緯を知らない相手に内容を明かせるはずがない。何故そんな約束を交わすに至ったか説明する気も、納得させる気もないだろう。
 ヒュンケルの推測を聞いたラーハルトは、釈然としない様子で尋ねた。
「何故わざわざ目の前で……」
 突然の凶行も約束の内という推測が当たっていた場合、ダイ達の前で実行した理由がラーハルトには理解できなかった。
 彼の行動はダイ達を警戒させ、戦闘態勢に入らせることとなった。単に全力を引き出したかっただけなのか。
 ヒュンケルは首を横に振る。
『神に祈っても届かなかった』
「……天に届くかもしれない。そう思ったのかもしれん」
 神の涙で奇跡を起こした地上の勇者達が想えば、あるいは。
 武骨な鎧や大剣といった印象の強い姿からはつながりにくい感傷だが、笑い飛ばせる心境ではなかった。
『残念、だ。剣を使う貴様と……戦って、みたかったよ』
 自然と拳に力がこもる。
 歴史の側で生きてきた、狭間に消えゆく者達の証明。
 それは確かに、ヒュンケルが――ダイ達が目にした。

 ラーハルトが目に鋭い光をみなぎらせて尋ねた。
「これからどうする」
「奴の遺した『呪い』は有効だ」
「呪い?」
 ヒュンケルは動くようになった手足を眺め、歩き出す。
 相手の血も、心も、内に残っている。
「旅をするつもりだ」
 世界を巡り、大戦の傷を少しずつでも埋めていく。勇者に呪いをかけた輩のような連中が出ないか知るためにも。
 体が動くようになった以上、何もせずにいるつもりはなかった。
 ダイの傍にいて支えるのと同様に、離れたところで動く人間も必要になるだろう。
 ラーハルトが携行している武具に目をやり、真剣な面持ちで口を開く。
「……オレの役目は、ダイ様の槍となり敵を倒すこと」
 何か言おうとしたヒュンケルを遮るように、言葉を続ける。
「障害を排除するのは、部下であるオレのすることだ」
 主の害となる者は排除する。
 それがたとえ主君の顔を曇らせる行為であっても、成し遂げねばならない。
「地上を去らないようにするのは、仲間の役目だ」
「……ああ」
 状況は違うが、同じ道を辿ることが無いように。
 それが自分達の、歴史に残らなかった勇者達への証明になると信じて。

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