ホームレスや乞食生活を体験したあげく切腹による臨死体験で「あの世」の入口を見た男。その男が考えた、般若心経の解釈です。
はじめに
Ⅰ般若心経本文
Ⅱ般若波羅蜜多とは
Ⅲ呪文とは
瞑想体験
悟りの体験
真の悟り
瞑想方法
Ⅳ本文解釈要旨
六波羅蜜行
五蘊
空
色
十二処
十八界
十二縁起
四諦
外部リンク
男は、60歳を目の前にして過去から決別してホームレスとなって、自転車で放浪の旅に出る計画を立て、最初の訪問地、四国巡礼・遍路のため、CD付きの般若心経の解説本を購入し、朝晩般若心経を唱え、写経をし、解説本で勉強し、表面的な般若心経を理解してから今回の旅にでた。
四国霊場108ヶ寺(四国88ヶ所・四国別格20霊場)の巡礼・遍路中も、一日中般若心経を唱え続けていたものの、般若心経の内容には特に興味はなかった。
と言うよりも、解説本を読めば読むほど難解すぎて実感できないのが正直のところであった。
それが、薩南諸島(大隅諸島・トカラ列島・奄美諸島)、琉球諸島(沖縄諸島・先島諸島)からなる南西諸島を旅している間、その星空の美しさに驚嘆する日々を送っていたこともあって、自然に宇宙に興味が湧き、いつしか宇宙関連の本を手にしていた。
それらの本に書かれている量子物理学や超ひも理論の不思議な世界(宇宙の姿のページ参照)を知ったとき、初めて、般若心経の世界と量子物理学の世界が同じであることを発見した。
また、切腹(切腹のページ参照)によって臨死体験した「あの世」の入口の世界から、「この世」に生還した今、意識の中では、「この世」は死後の世界で、「この世」では死んでいるが、「あの世」で生きている、と想っている。
これもまた、般若心経の言わんとする世界ではないかと想いつつ和坊流解釈をした。
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| 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 |
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味觸法 無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明盡 乃至無老死亦無老死盡 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切 顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能徐一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶
※般若心経の経文にはもともと区切りはなく、解釈上の個人的なくぎりである。(唱え仮名は、本文解釈参照)
般若心経は、釈迦の死後、弟子たちが集まって、釈迦の説法を書き残した経典の中の1つであり、西遊記の三蔵法師で名高い玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)が漢訳した、大般若波羅蜜多経六百巻(60億40万字)を、本文262文字に要約したもので、非常に短い経典だが、大般若波羅蜜多経六百巻の濃縮されたエキスそのものである。
本文中には「無」「空」「呪」「般若波羅蜜多」の字句が多用されており、この4文字がキーワードと見る。
「空」(くう)を体得すれば、煩悩や苦厄はもちろん、身心を含む一切が「無」となる。
その「空」を体得するには、「般若波羅蜜多」の修行を実践しなくてはならない。
その般若波羅蜜多の実践を、「観自在菩薩」が行ったとき、「菩提薩埵」が行ったとき、「三世諸仏」が行ったときに、それぞれに結果が発生する。
そして般若波羅蜜多の実践には、聖なる「呪文」を唱える必要があり、その聖なる呪文とは、羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか)の18文字を特筆している。
般若心経の最大のテーマは、般若の智慧で波羅蜜多の世界(彼岸・あの世)が有ることを覚り、みんなで、此岸(しがん・この世)から彼岸(ひがん・あの世)に渡って幸せに生きようということであろうと解釈する。
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般若波羅蜜多と阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の2つの言葉は、原語を翻訳せずそのまま音写したもので、従来、波羅蜜多は「至彼岸」と訳され、般若によって彼岸(あの世)に渡ると解釈されてきた。
最近では、般若は「彼岸の智慧」、波羅蜜多は「到達する、完成する」で、智慧の完成と訳されることが多いが、ここでは、般若の智慧によって彼岸(あの世)に渡ることが可能となった、悟りの世界と解釈する。
また、和坊流宇宙の、「この世の世界の森羅万象のあらゆる出来事は、あの世(彼岸)に情報として全てたたみ込まれている」と言う立場から解釈すれば(宇宙像のページ参照)、あの世の情報に接続可能な状態になることが般若波羅蜜多(悟りの体験※2)で、全ての情報に自由に接続可能となることが、阿耨多羅三藐三菩提(真の悟り※3)である。
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「呪・じゅ」という言葉は、わが国では「のろい」という芳しくない響きがあるが、インドでの呪・マントラは、神々に捧げる歌一般を指しており、大乗仏教では、悪魔をはらうとか、天地の神々を招くという意味があり、仏の真実を伝える霊威ある言葉(真言)とされている。
般若心経も、心経そのものが呪文(真言・マントラ)であり、これらの呪文を一心不乱に唱え続けると、無の境地(空)にいたり、《私》(霊魂に肉体をまとったのが私、私はあくまでも脳の概念で、主体は私でなく霊魂である)が消え霊魂本体になりきる事ができ、瞑想体験(※1)が可能(瞑想の方法が呪文を唱えること)となる。
結果、悟りの体験(※2)(般若波羅蜜多)を経て、真の悟り(※3)(阿耨多羅三藐三菩提)に到達し、それによって彼岸(あの世)に渡れる。
尚、仏教での「南無阿弥陀仏」の念仏、「南無妙法蓮華経」のお題目も呪文の一種であろう(鎌倉時代の僧法然は一日に七万遍の念仏を唱えていたと言う)。
弘法大師空海は、「般若心経の真言は不思議な力を持っており、呪文の1字1字には無限の神秘な力が含まれており、日常の心に超然とした心境を持つことができるものである」と述べているとおり、呪文は、直接霊魂に響く力であり、波動である。
それは、耳だけでなく直接霊魂に訴える力を持っている。
この波動による効果は、古くはアフリカ原住民の木をたたく音や、太鼓の音。近代では音楽に至っている。
※1 瞑想体験
例えば、結跏趺坐(けっかふざ)をしたり、椅子に座ったりして背筋を伸ばし、呼吸を整え、呪文を唱えながら瞑想に入る。
その結果、肉体と心=意識が高レベルで統一されている時は、肉体の感覚や機能は心=意識の中に吸収され、心=意識が肉体を包み込む感覚になる。
さらに上昇していくと、肉体と心=意識が溶け合った状態(心身融合状態)となり、それが、1つの塊となって霊魂の中に吸い込まれていく感覚が現れる。
逆に、肉体と心=意識が低レベルしか統一できていない時は、心=意識は肉体から離脱しており、体に痛みや不快感等が発生する。
瞑想体験というのは、この高レベルの統合が一瞬にして消滅し、低レベルへ。また、低レベルから高レベルの統一といったことを繰り返している状態のことを言う。
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※2 悟りの体験
肉体と心=意識が高レベルで統一されている場合でも、肉体と心=意識が溶け合った状態(心身融合状態)の塊が、霊魂内へ入ったり出たりを繰り返されている。
つまり、霊魂を強く感じるか、心身を強く感じるかの違いであり、これは、霊魂と心身融合の塊が 、瞑想を媒介して対話を重ねている状態。
これが悟りの体験である(般若波羅蜜多)。
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※3 真の悟り
霊魂と心身融合の塊が、瞑想を媒介して対話を重ねていくうちに、霊魂の奥から光を放つ、燃えるようなエネルギーを感じる瞬間が訪れ、霊魂の中に肉体が溶け込んでいる自分を発見することが可能となる。
即ち霊魂本体になりきっている自分を発見できる。
これが真の悟りである(阿耨多羅三藐三菩提)。
尚、心身融合した塊が霊魂の中に溶け込むと、場が形成され、それまでは、霊魂核から生成されて自由気儘に飛び回っていた霊魂子は、場が形成されたことで足並みが揃い「この世界」と「あの世界」の架け橋に(道)なって、「あの世界」の情報に接続可能な状態になる。
が、この道は穴だらけのでこぼこ道で「この世界」と「あの世界」間を自由に行き来することは困難である。
しかし、霊魂との会話を重ねて、最高の真の悟りを得ると、「この世界」と「あの世界」を繋ぐ道は平坦になり、自由に行き来することができるようになる。
ということは、「あの世界」に可能性の数だけたたみこまれている、あらゆる情報に接続可能となる。
あらゆる情報に接続可能な状態になるということは、言葉を返せば、超能力者になれるということでもある。
キリストが、手かざしで病を治し。空海が、呪文や加持祈祷によって、常識では考えられない現世利益をもたらすことができたのは、「あの世界」の情報に接続可能となり、可能性の数だけたたみこまれている個人情報から最良情報を選択した結果であったといえる。(霊魂については宇宙像のページ参照)
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瞑想法(Ⅰ)
●座り方
原則的には、あぐらの状態から右足を左の太股の付根にのせ、次に左足を右の太股の付根にのせるのが、結跏趺坐(けっかふざ)だが、どちらの足が上でも構わない。体が固くて結跏趺坐は難しいという人なら、片方の足だけを組むのが半跏趺坐(はんかふざ)でも可。座禅の最中に足が痛くなった場合は、足を組み替えたり、結跏から半跏に直しても良い。要は安定した座り方ができればいいのであり、足を組めなければ正座でも構わないし、イスに姿勢を正して腰掛けても良い。
●手の組み方
法界定印(ほっかいじょういん)とよばれる組み方は、右手を組まれた足の上に置き、左の手のひらを右手のひらの上に置き、左右の親指の先をかるく触れ、できた輪の形を卵型にするが、左右の手の上下はどちらでもよく、また、左右の手を太股の上に置く(開いても握っても良い)だけでも可
●調身・身体を調える
足を組み手の位置が決まれば、上半身を振り子のように前後左右に揺すって、しっかりと腰の位置を決め、次に、上体だけをまっすぐに起こし、顎を引き肩の力を抜いてリラックスし、目は閉じず自然に軽く開け(凝視せずぼんやりと眺めるようにすれば、おのずと半分閉じた状態になる)、視線を1~2m前方のローソクの火を見る。
●調息・呼吸を調える 下腹に力を入れ、体内の濁気を口から短く2~3度吐き出す(最初のみ)。吐けば自然に吸う息となり、息を鼻から深く長く吸い込み、これを徐々に口から吐き出す。この深呼吸を数回行った後は、鼻呼吸にする。臍下の丹田に意識を集中し、「いーち」という感じで力まず息を深く長く吸いこみ、「にーい」と同じように細く長く息を吐き切る(体中の空気を全部出すつもりで)。これを繰り返して10まで到達したら、また1から繰り返す
吐く息を長く主にし、吸う息を従にした腹式・丹田呼吸をする。普段の呼吸回数は1分で17、8回だが、慣れると5、6回になる。
●調心・心を調える
雑念を払い欲望を捨て去り無心の状態に持っていくことは決して簡単ではないので、取敢えず、欲望・雑念・妄想・眠気・苛立ち・痛み・しびれ等心や体の感覚を頭の中で簡単な言葉で確認する。確認し続けることで、今という瞬間に意識が集中し、自分を客観的に“観る”ことが出来る。すると雑念が消え、瞬時に集中力が生まれ、だんだんと気持ちが落ち着いてきて、自ずと心も調ってくるので、焦らず行うことが肝心である。
●座禅瞑想の時間
10分から30分程が目安。座禅瞑想ははガマン大会ではないと云う事を心する事。
●終わり方
2~3回大きく深呼吸し、ゆっくり立ちあがり、首を回し、手足をブラブラさせ、体を脱力する。
注意事項
①身体を十分動かしてから取り組む事。
②幻覚が現れた場合、軽く眺める程度にして、興味を持ったり、追いかけたりしない事。
瞑想法(Ⅱ)
●胸の中に色のついたテニスボールをイメージし、息を吐きながらボールを押し上げ、頭のてっぺんから大空にむかって、強く押し出し、息を吸いながらボールを元の位置に戻す。次に、息を吐きながらボールを押し下げ、お尻から地中に向けて強く押し出し、息を吸いながら元の位置に戻す。これを繰り返す。
●胸の中にそれぞれ違う色の二個のテニスボールをイメージし、息を吐きながら、一つはあげて、他方をさげる動作を同時にする。息を吸いながら、その反対の動作をする。これを繰り返す。
※姿勢:座っても、立っても、横になっても可。自分にとって心地よい姿勢であれば可。
※呼吸:長く細い息遣いを心がける。例えば、数字を数える場合、「ひとー」と長く細く息を吐き、「つ」で息を吸い込む。次に、「ふたー」で吐き、「つ」で吸うというやり方で、4又は9まで数を数えて1に戻る、を繰り返す。
数字以外では、阿吽の呼吸の「あー」「うん」、キリスト教の「アー」「メン」、大日如来の真言「アービラ」「ウーンケン」でも、その他の造語(なるべく短い言葉)でも可。
要は自分にとって一番気分の良い言葉であれば何でも可。
●過呼吸(息を激しく吸ったり吐いたりする)・断食・音楽(木魚や太鼓)・身体の振動を組み合わせる。
過呼吸という方法は、人為的に脳内に酸素不足状況をつくり出し、脳死に近い状況が得られる。結果臨死体験ができる可能性がある。
●瞑想法の詳細は後述予定。
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※唱え仮名の長音は、心経を唱える際の調子である。ただし、宗派や人によって違いがある。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経・ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーしーんぎょう
仏様が説かれた、大きくて偉大な般若の智慧によって、彼岸(あの世)に渡るための大事な教え。 |
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時・かんじーざいぼーさー ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー
観世音菩薩(観音様)が「般若」の智慧(彼岸・あの世の智慧)によって「波羅蜜多」(彼岸・あの世に渡るための)の修行の実践(六波羅蜜行※1)で、深い行、即ち禅定(瞑想によって真の悟り)に入っている時に |
※1
菩薩の実行する修行で、以下の6つの行動のこと。
(1)布施:自分の財産や体、徳などを少しも惜しまず、快く施す姿勢のこと。
(2)持戒:自分を戒めること。(十の戒律)
行動の戒め:①不殺生(むやみに生き物を殺さない) ②不偸盗(盗みをしない) ③不邪淫(邪道のセックスはしない)
言葉の戒め:④不妄語(嘘をつかない) ⑤不綺語(べんちゃら言わない) ⑥不悪口(人の悪口を言わない) ⑦不両舌(二枚舌を使わない)
心の戒め:⑧不慳貪(必要以上に惜しまない) ⑨不瞋恚(むやみに腹を立てない) ⑩不邪見(間違った見方をしない)。以上10の戒めなので「十善戒」と言う。
(3)忍辱:他者から辱めを受けても耐え忍ぶこと。
(4)精進:一生懸命努め励むこと。
(5)禅定:瞑想をして心を落ち着けること。
(6)智慧:般若(彼岸の智慧=悟り)。
以上6つの波羅蜜行のうち、三学「戒(戒律)・定(禅定)・慧(智慧)」が特に重要で、その意味するところは、禅定(瞑想)は、戒律の裏付けによって充実し、般若(悟り)は、その禅定(瞑想)によって裏付けられる。と言うことである。
また、人は、戒律(持戒)を守ることで生じる気力を、禅定(瞑想)に取入れ般若(悟り)を目指すとき、その幸せを他人に分け与えたい気持ちになり(布施)、困難や侮辱も耐え忍ぶ(忍辱)ことができ、さらに、三学に意欲を燃やす(精進)という流れになる。
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照見五蘊皆空 度一切苦厄・しょーけんごーうんかいくー どーいっさいくーやく
心身を構成している五蘊(※2)をはじめ、全てのものが空(※3)だと解ったお陰で一切の苦厄から開放された。 |
※2
5つのものが集まったものの意、人間は、色(しき)という体と、受、想、行、識という心(精神)の5つが溶け合ったものである。
「受」は、暑いとか苦しいという感覚。
「想」は、想像力によるイメージ。
「行」は、何かをなそうとする意志。
「識」は、眼、耳、鼻、舌、皮膚や心によって知覚するもの
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※3
辞書には「空虚な状態、何の跡形も無いゼロの状態」「意識(色相)を超えて全てをゼロとみなす悟りの境地。
一切のものは因縁によって生ずるもので、不変の実体は無いと言う仏教の根本原理の1つ」とある。
ゼロは、釈迦の出身地・インドで発見された数学的概念であるが、ゼロは、何も無い意味のゼロではなく、幾何学の座標軸、X、Y、Zの各軸の交わる点のゼロ。
ゼロがなければ、XからYやZには行けず、プラスからマイナスにも行けない。
ゼロは、全てが集まる点でもあり、全てが生み出される点でもある。
ゼロ=空には、全てのものが集まり、ゼロ=空から、全てが生み出される。
また、「空」の原始的意味は「執著(執着)を離れる」こと、つまり、物事に執着することを捨て、欲望から離れ、心を安寧にして、正しい生活をしていくことが、「空の世界」即ち、「悟りの世界」に近づく道で、空=とらわれない心=無心=瞑想=悟り=彼岸(あの世)。とつながる。
すなわち、「空」とは、「彼岸・あの世」のことである。
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釈迦の10大弟子の1人で、1番の知恵者が舎利子。
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是・しきふーいーくう くーふ-いーしき しきそくぜーしき くうそくぜーしき じゅーそうぎょうしき やくぶーにょーぜー
色(※4)は空に異ならず、空も色に異ならない。色すなわち空であり、空すなわち色でもある。受、想、行、識という心(精神)も空である。 |
※4
人間の体を含む、あらゆる物質のことを色という。
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色は、この世のあらゆる物質は寿命が尽きれば、目に見えない空の世界に返るが、空の世界があるからこそ、この世のあらゆる物質が生まれることを、繰り返し強調している。
受想行識亦復如是の受、想、行、識はそれぞれの文字が前述の文字列の色と入れ替え記述するのを省いている。例えば、受想行識の「受」は、受不異空 空不異受 受即是空 空即是受となる。
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舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減・しゃーりーしー ぜーしょーほうくうそう ふーしょうふーめつ ふーくーふーじょう ふーぞうふーげん
聞きなさい。この世に存在する全てのものは、変化し流動する実体のない空相(仮の姿)で、全ての物質は本来の実相の世界(空=あの世)に返って行く。
生まれもしなければ、死にもしない、垢(けがれ)もせず、浄(きよらか)にもならず、減りもせず、増えもしない。 |
「生まれる、死ぬ、汚い、きれい、減る、増える」と感じるのは、脳と感覚機能の勝手な判断である。
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是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味觸法 無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故・ ぜーこーくうちゅう むーしきむーじゅーそうぎょうしき むーげんにーびーぜつしんにー むーしきしょうこうみーそくほう むーげんかいないしむーいーしきかい むーむーみょうやくむーむーみょうじん むーろうしーやくむーろうしーじん むーくーしゅうめつどう むーちーやくむーとく いーむーしょーとくこー
だから空の世界(悟りの世界)では、色という肉体も、受想行識という心もなく、十二処(※5)、十八界(※6)、十二縁起(※7)、四諦(※8)といったものもない。また、智者ぶることも、執着心もなくなった。 |
※5
眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの感覚器官の「六根」と、それぞれの対象となる色・声・香・味・觸・法の「六境」の総称。
これまでは、体を色という1字で表わしていたが、今度は色を、眼・耳・鼻・舌・身に分け、受想行識の心を「意」の1字で表わしている。
また、眼で色(いろ)を見て眼界(眼の世界)。意(心)が、法(思い)と出会い、これによって生まれるのが意識界(意識の世界)である。
尚、耳の世界、鼻の世界、舌の世界、身の世界を「乃至」のひとことで省略している。
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※6
眼耳鼻舌身意という6つの世界と、色声香味觸法の6つの世界、無眼界乃至無意識界という6つの世界を合わせて十八界という。
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※7
苦がどのような順番で発生するかを説明したもの。
その順番は、1無明(むみょう)、2行・業(ぎょう・ごう)、3識(しき)、4、名色(みょうしき)、5六処・六入(ろくしょ・ろくにゅう)、6触(しょく)、7受(あい)、8愛(あい)、9取(しゅ)、10有(う)、11生(しょう)、12老死(ろうし)で、本文の乃至は、2~11を省略している。
苦が発生する根本原因の「無明」は、空(悟り)を知らないための無知で、無知ゆえに、煩悩の巣窟で私を形成する「行・業」が生まれ、それに従って「識」である私が染まっていく。
私である「識」(意識)が、この世に存在する諸々の対象物(認識の対象や根拠となる形態や物質)である「名色」や、感覚機能(眼耳鼻舌身意)の「六処」と接「触」すると、知覚のもとの「受」が生まれる。
「受」が生まれれば、その中から、都合のよいものを選択してしまう盲目的な感情である「愛」が生まれ、それに執着する行動である「取」が発生する。
「取」という執着の行動が習慣になると、私の心に「取」が根付く、それが「有」である。
それを抱えたまま「生」が営まれ、「老死」にたどりつく。
尚、「老死」は生の後に諸々の苦が生じる四苦八苦も「老死」に含まれる。
逆に「無明」を無くせば、一切の苦がなくなると説く。
これ以外に、人間の受胎から誕生、そして生死の過程を述べた解釈もあるので、次に述べる。
1無明:生まれる以前の過去、つまり両親が無意識の中に持つわがまま、欲望のこと。
2行・業:両親を含む先祖達が無明という本能のおもむくままに行動すること。この行動が習慣となると、良い行動は善行として、悪い行動は悪行として業の種となって子孫に遺伝していく。
3識:母体に受胎(妊娠)したときのこと。受精卵の中には業の種が納められている。
4名色:名は精神、色は肉体を意味し、心と体ができかかる受胎後4週間位の時期のこと。業の種を背負った識は、色の世界・声の世界・香の世界・味の世界・觸という感触の世界・法という自然現象の各世界を認識する能力を備えてくる。
5六処・六入:受胎後5週間以降のこと。名色(知覚器官)という世界や識(認識器官)という世界が入ってくる窓口である、眼・耳・鼻・舌・身・意が形作られていく。そして、3ヶ月に入ると、9cm位になり完全なヒトといってもいい状態になる。
6触:外の世界に触れること。すなわち出産・新生児の誕生となる。
※母親の胎内は、原子動物から人類までの何億年間もかかった進化の過程を僅か10ヶ月ほどで完成さす驚異的な能力を備える小さな宇宙である。0,1~0,2mm(0,0015~0,003g)程の受精卵は10ヶ月後には何百万倍の3000g強になるということは、母親の胎内での1日は、生物史の何万年にも相当する。※精子は約0,06g
親はこの事実を知れば、おのずと1日の大事さを実感できるのではないかと思う。
7受:眼は色を、鼻は香りを、耳は声を、舌は味を、身(心)は法(自然)をそれぞれに受けつけるようになること。
そして、それらの行動は業の種となっていく。
8愛:成長と共に愛憎の念を抱くようになること。
9取:愛するものや好きなものを取ったり盗んだり、憎らしいもの嫌なものを捨てたり、傷つけたりすること。
10有:取の行動が習慣となって業の種として定着すること。
11・12生・老死は、未来の世界で、業の種が宿った新しい生命が誕生し、そしてやがて老い死んでいくという輪廻転生をあらわしている。
※輪廻転生観:宇宙のあらゆる物質は原子や分子で構成されており、人は死ぬと火葬され、体を構成していた諸元素のうち、あるものは火葬上の煙突から大気中に放出され、あるものは固体(白骨化)として残る。
例えば、炭素原子は酸素と結合して二酸化炭素となり大気中に広がり、光合成によって穀物や木(木の実や果物)や草や野菜等に利用されていく。
そして、それらを動物が食べ、その動物を人間が食べる。
また、穀物や野菜を人間が直接食べることによって、体の一部となって再利用されていく。
炭素原子や水素原子が我々の体を作り、寿命が尽きれば固体を離れ輪廻の定めに従って、新しい生命を育む旅に出掛ける。
これこそ輪廻転生と呼ぶべき大自然の摂理ではないかと思う。
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※8
苦を無くす為の四つの真理。
(1)苦諦:人生は苦であるという真理。(四苦八苦)
生(しょう)・生まれるときの苦しみ、これから生きていくことが苦しみとなる。
老(ろう)・老いの苦しみ。
病(びょう)・病の苦しみ。
死(し)・死の苦しみ。
愛別離苦(あいべつりく)・愛する人達と別離する苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく)・怨み、憎む人達と会わなければならない苦しみ。
求不得苦(ぐふとくく)・望み求めても得られない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)・肉体に生気がみなぎっているのにはけ口が無い苦しみ。
以上前半の「生・老・病・死」の四苦と、後半の四苦あわせて「四苦八苦」です。
(2)集諦:苦は何に基づいて生じるかという苦の原因となる真理。人間は生まれつき持っている、食欲、性欲、睡眠欲、財欲、名誉欲という5欲の他にも、色々な欲望があり、それらの欲望が集まって煩悩となり、苦しむことになる。
(3)滅諦:苦の原因を知ってそれを滅ぼす真理。苦しみの原因の欲望というものに執着する心、こだわる心を滅し「悟りの世界」に入る決心をすることが滅である。
(4)道諦:悟りの世界に到る実践の真理。悟りの世界に入る方法が、「八正道」を六波羅蜜行で実践することである。
その八正道とは、①正見(しょうけん)、②正思(しょうし)、③正語(しょうご)、④正業(しょうぎょう)、⑤正命(しょうみょう)、⑥正精進(しょうしょうじん)、⑦正念(しょうねん)、⑧正定(しょうじょう)で、要は、両極端(完全な否定や肯定)を避けた中道の在り方(考え方)、即ち、人間の持っている二元論的概念にとらわれることなく、自由な考えを持つことである。
※釈迦の最後の教えの中に、「八大人覚:はちだいにんかく」(大人・修行僧が守る八つの自覚)がある。①少欲(しょうよく):欲を少なくする。②知足(ちそく):足ることを知る。③遠離(おんり):俗世から離れる。④精進(しょうじん):一生懸命努力する。⑤不忘念(ふもうねん):恩を忘れない。⑥定(じょう):心の乱れを鎮める。⑦智慧(ちえ):全てを見通す見識を持つ。⑧不戯論(ふけろん):無意味な儀論をしない。以上の8項目である。
その中の少欲知足の教えでは、欲の少ない人は、その分苦しみも少ない。足ることを知る人は、たとえ貧しくとも安楽である。それに比べ、欲の多い人は、苦しみが多い。足ることを知らない人は、たとえ天国で暮らしても不満をもらす。といっている。
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菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故無有恐怖 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提・ぼーだいさったー えーはんにゃーはーらーみーたーこー しんむーけーげー むーけーげーこーむうくふ おんりーいっさいてんどうむーそう くーぎょうねーはん さんぜいしょーぶつえーはんにゃーはーらーみーたーこー とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい
菩薩は、般若の智慧によって彼岸(あの世)に渡ることが可能となったが故に、心に妨げるもの(執着心)が無くなった。心に妨げるものが無いので、恐れや、間違った考えや、妄想も無くなり、遂に迷いの無い安らぎの境地に到達した。
過去、現在、未来の三世に居られる諸々の仏達も、般若の智慧によって彼岸(あの世)に渡ることが可能となったが故に、真の悟りを得ることができた。 |
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故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能徐一切苦真実不虚・こーちーはんにゃーはーらーみーたー ぜーだいじんしゅー ぜーだいみょうしゅー ぜーむーじょうしゅー ぜーむーとうどうしゅー のうじょーいっさいくーしんじつぷーこー
故に、般若の智慧によって彼岸(あの世)に渡ることが可能になる、聖なる呪文があるとすれば、その言葉は、大いなる霊力を持った言葉であり、明白な言葉であり、最上の言葉であり、他に比べようが無い言葉である。だから、この呪文(マントラ・真言)を唱えると、一切の苦厄が除かれるというのは、真実であり偽りではない。 |
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故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶・こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー そくせつしゅーわつ ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーじーそわか
故に、般若の智慧によって彼岸(あの世)に渡ることが可能になるという呪文を説こう。即ちその呪文とは、往こう、往こう、彼岸(あの世)へ往こう、みんな一緒に彼岸(あの世)へ往こう、悟りの彼岸(あの世)に往き着こう。 |
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶」の18文字は梵語で、羯諦の原語は、gate(ガテー)で、呼びかけの語形。
「往(ゆ)ける者よ」と訳され「悟りの世界に往ける者よ」「悟りを体現している者よ」の意味。
波羅羯諦とは、「彼岸に往ける者よ」「彼岸に往けるとき」で、彼岸(あの世)即ち、悟りを体現した者への崇拝と、自らも彼岸(あの世・悟り)に到りたいとする願いが込められている。
波羅僧羯諦とは、「彼岸に一緒に往ける者よ」。菩提娑婆訶の菩提は、悟りの境地の世界。
娑婆訶は、成就する、完成するということ。
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「般若心経」フリー百科辞典Wikipedia
「瞑想ストレス解消法」
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