畳の上で死ぬことを恥としたサムライが、微笑みながら、この世の生命を自ら消し去った崇高な儀式《切腹》・・・その切腹を実行に移した男の物語です。
写真
切腹の傷痕
診断書
五輪塔
三重城(切腹場所)
はじめに
T最終章
ここは精神病棟
死に場所はここと直感した
これがあの世の入口?・臨死体験
吸い寄せられた地
理想郷
訣別日の延期
乞食生活
U男にとっての切腹
V男の死生観
外部リンク

切腹の傷痕・上半身

切腹の傷痕・アップ
腹部切創。十二指腸損傷。胆嚢損傷(摘出)。軽度膵臓腫大。
切傷約20cm、深さ約15cm。腸管脱出。出血多量。
胃結腸間膜の損傷。同部位の動静脈が数ヶ所損傷。十二指腸の奨膜損傷。

自作の五輪塔(正面と背面)・遺髪
正面に「飄飄孤高和坊之霊」・大日如来に真言の梵字「アビラウンケン」を
側後面に般若心経を記入
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| 三重城(みーぐすく)祠 |
三重城(みーぐすく)切腹場所 |
三重城(みーぐすく)入口 |
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男は、昔から若死にすると思い込んでいた。それは、近隣の拝み屋さんから「この子は20歳までに死ぬ」といわれた。と、母親から聞いていたからである。
死ぬといわれた20歳を過ぎてからは、今後何のアクシデントもなく齢を重ね、干支が1回りする60歳まで長生きした場合、その時は、自らの手で自らの命を絶つという死の計画書を頭の中で描いていた。
そんな中、男は、新渡戸稲造の「武士道」の一説「武士道とは死ぬことと見つけたり」のフレーズと、作家三島由紀夫の切腹による壮絶な死に感化されてか、「切腹以外の死はありえず」の想いで生きてきた。
不思議と死に対する脅えや恐怖心はなかった。
今回の旅は、死に場所を探す旅でもあった。
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男は眠りから覚めた。身動きができない、周りに色々な機材や器具が見える。病院の集中治療室にいるらしいことはわかった。
生きているとつぶやいていた。
しばらくして、ベッドが動いた。エレベーターに2回乗って6階で止まって病室に着いた。
L字型の病室は個室。何も無い。窓はあるが埋め込みガラスで、開閉ができないようになっているらしい。
女の人が大声で「こんなところに居ると本当に気が狂いそうになるので家に帰る」とわめいている。
何か異常なものを感じた。
翌日、病室に若い女の人がきた。手に「この病室に私物の持ち込みは認めない。
また、外部との電話連絡は不許可で書簡は事前に検閲する」等の記載のある紙をかざして、一切の自由が無いことの宣言をされた。
そう、ここは精神病棟。
今の時代、こんな死に方を選ぶのは、精神異常者との烙印を押された。
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※三重城周辺地図リンク
男はある日、沖縄本島の那覇市にある三重城(みーぐすく)を訪れた。
三重城には、2〜3組の家族がいた。それぞれの家族は食事をしながら何かを燃やしている。
聞くと、先祖供養をした供え物等を燃やしているとのこと。
よく見ると、あちらこちらに黒い焼け跡が残っている。
三重城は、那覇港から東に約500m離れたロワジールホテルの裏手にある拝所である。
海に面した崖の上に、小さな祠があるだけの場所。
拝所からは、那覇空港を離発着する旅客機や、航空自衛隊の戦闘機が、また、那覇港や泊港、那覇新港に入港するフェリーや客船が見られる他、何よりも夕日が美しい場所である。
男は、「ここが死に場所」と直感した。
その後、三重城が旅先で死亡した人を拝む場所でもあることを知ってから、ますますその思いが深まっていった。
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男は、60歳の誕生日の4月3日を、「切腹でこの世と訣別する日」と決めていたが、その前から作成していた「和坊流宇宙」がなかなかまとまらず延び延びになっていた。
ところが、9月17日の朝起きると、頭の右上から声が聞こえてきた。
「今日死ねる」「今日死ねる」という声。
振り返っても誰も居ない。
でも、頭の右上からは「今日死ねる」「今日死ねる」との声がする。
男は、次の「切腹でこの世と訣別する日」を2日後の9月19日と決めていた。その日は父母の月命日。
でも、「今日死ねる」「今日死ねる」との不思議な声を聞いて、今日という日を過ぎれば永遠に死ねないのではとの思いがよぎった。
この世と訣別するそのときは、ビニールシートの上にタオルケットを敷いて、エアーマットを尻当てにし、ガソリンと灯油の混合物を頭からかぶり、切腹して火をつける。
と、頭に描いていたが、そんな準備をすることなく、切腹用のナイフを容れていたナップサックを持って、ふらふらと三重城に向かっていた。
そして、三重城で切腹によるこの世との訣別を実行した。(写真参照)
切腹用のナイフを購入して以来、就寝前に予行演習をしていた。
男は左利きなので、右腹に深く突き刺し、ゆっくりと左に引いて、さらに刃先の向きを変え、やや左上にはねる。
この動作を毎日1回することが、寝る前の儀式となっていた。
三重城では、何の躊躇も、恐怖心も無く、予行演習通り実行していた。
痛みは全く感じない。
腸が外に飛び出た。
大量の血液で周りは血の海。
体が句の字型に前に倒れる。
痛みが断続的に襲ってきた。
目の前が真っ黒になった。でも、心臓の鼓動と調子を合わせるようにドク・ドクと血が塊になって流れるのを感じる。感じる、感じる。
ゴー・ゴー、グゥオー・グゥオーと叫び狂う強風と、激しく揺れ動く空間を漂い、目の前の真っ黒い穴に、全身が溶けて、どことも知れず、押しつぶされるような感じで吸い込まれていく。
その先にきらきら輝く奥行きを感じない広い・広い静寂な空間が開けている。
が、意識(フニャフニャに溶けた塊のように感じるもの・体か)が無重力状態の中でふわふわと浮かんでいる感じで前に進めない。
体のようなものをクイィ・クイィと動かすと上に行くが前に行かない、必死にもがくが前には行かない。・・・
急に意識が戻った。
女1人と男2人が男を囲み、男の腹に何かサランラップのようなものを巻いたりしている。
それを 大勢の人達が見物している。警察官もいる。
それが終わると、女1人と男2人の3人組みは、男を横にある担架に移し、どこかに運ぼうとしている。
急に痛みが襲ってきた。
救急車に運び込まれたらしい。ピーポー、ピーポーのサイレンの音が聞こえた。
輸血2000cc、人工肛門という声。
意識が無くなった。
つぎに意識が戻ったのは、病院の集中治療室であった。
長い間、夢を見ていたと思っていた。
でも、あの夢が、臨死体験で「あの世の入口」でなかったのかと思うことがある。
今は、そう信じている。
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3年前の平成16年12月24日、「旅の終わりは死」と覚悟をして、自転車で放浪の旅に出立した。
四国、和歌山、九州、を経て沖縄の各離島を旅して、いったん鹿児島に戻り、屋久島とその隣にある口永良部島で1年2ヶ月余り過ごして、奄美大島、徳之島、沖永良部島を経て再度沖縄に入った。(旅の詳細はブログ・和坊放浪記に投稿中)
平成18年10月26日であった。
翌日には、座間味島に入り、阿真ビーチの青少年旅行村でキャンプ。
帰途、阿嘉島の北浜(ニシ浜))ビーチで知り合ったキャンパーから、那覇市の若狭海浜公園に、自転車で日本一週4回目の男性がキャンプをしているとの情報を得た。
その人は、驚くことなかれ、73歳。
11月10日、那覇に帰る。当日は、座間味島で知り合った人と、一泊1,500円の安宿「南風」に泊まる。
久しぶりの宿である。2〜3日泊まる予定をしていたが・・・
翌日、自転車で日本一週4回目の男性がキャンプをしているという若狭海浜公園に行く。
同地には、10張り程のテントが張られていた。でも、男性のテントは直にわかった。
テントの横に、自転車があった。自転車の後ろに、日本列島の地図が描かれた小さな看板がかかっていた。
テントの主は不在であったが、2度目の訪問時には在宅(?)していた。小柄で、何処にそんな馬力があるのか不思議な人物である。
とりあえず、テントを張ることにして、安宿「南風」の宿泊をキャンセルした。でも、同所にテントを張った2日後には、南大東島に移動していた。
南海の孤島・南大東島は、クレーンで吊った籠に乗って上陸する。その体験をしたくて訪れただけだった。
しかし、キャンプ場には、男の他に若い男性が居た。
若い男性は、男に、「東京のマンションの一室で瞑想をしていたが、瞑想の影響で上下階の住民に健康被害が発生したので沖縄に移住。
現在沖縄本島の一軒家を借りて瞑想教室を開く準備中で、ここ大東島には瞑想の修行にやってきた」と語った。
男は、若い男性から、2通りの瞑想方法を学んだ。
1つ目は、胸の中に色のついたテニスボールをイメージし、息を吐きながらボールを押し上げ、頭のてっぺんから大空にむかって、強く押し出し、息を吸いながらボールを元の位置に戻す。
次に、息を吐きながらボールを押し下げ、お尻から地中に向けて強く押し出し、息を吸いながら元の位置に戻す。これを繰り返す。
2つ目は、胸の中にそれぞれ違う色の二個のテニスボールをイメージし、息を吐きながら、一つはあげて、他方をさげる動作を同時にする。
息を吸いながら、その反対の動作をする。これを繰り返す。
この方法で瞑想をした。
南大東島に滞在した2週間の間、ただひたすら瞑想三昧に過ごした。
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※若狭海浜公園周辺地図リンク
これまで、何度となく那覇市を訪れている。各離島に渡る中継地として。
今回も、那覇市内は排気ガスで息苦しいので、大東島に脱出した筈なのに。
2週間後、本島に戻って、なぜか、吸い込まれるようにして若狭海浜公園でテントを設営していた。
若狭海浜公園内でのテントの設営は禁止されているが、公園内の海側沿いの部分は、臨海道路の敷地で、テントの設営が黙認されている。
その地帯に10張りほどのテントがあり、そのほとんどは、アルミ缶の収集等で生計を立てている人達である。
それ以外に、ベンチで寝ている人や、東屋の下の大きなテーブルに、布団を敷いて寝ている人達がいる、宮古島の人達とのこと。
同公園内には、水洗トイレが2ヶ所と水場、そして、那覇市内唯一のビーチ、波の上ビーチがある。
それら全てが無料で使用できる。
キャンプ代もいらない。徒歩圏内に食料調達のスーパーがたくさん存在する。
男は、母親から「小学生のころ熱中していた隠れ家的すまい、狭くて小さくて、手を伸ばせば全ての用が足せる家が理想の住まいや」と言っていたと聞かされた記憶がある。
よくよく見ると、公園での住まいは2〜3人用のテント。不満はない。
近くには、「ここが死に場所」と直感した「三重城」もある。
ここは理想郷や!!
しばらくすると、1週間の行動が固定化してきた。
月・木・土は奥武山公園にあるスポーツジム(火曜日休館)でウェート・トレーニング、水曜はサウナの日(かんぽレクセンターのサウナに行く)という具合である。
沖縄のトレーニングジムは安い、最初のジム、「兵庫・沖縄友愛スポーツセンター」のジムは、風呂がついて使用料150円。
ここは、3月末に閉館になったので、同じ敷地内にある、県立武道館内のジムに移った。使用料160円。沖縄は風呂屋が少ないので助かった。
旅をしている間、特に南西諸島の星空の美しさにひかれ、晴れの日は、夜空を見上げポケット宇宙図鑑と照らし合わせ、色々な星座を確認するのが楽しみの1つとなっていたこともあってか、ある日、本屋で宇宙関連の本を手にしていた。
そして、相対性理論や量子物理学、超ひも理論等の本を何度となく繰り返し読むうち、それらの不思議な世界(宇宙像のページ参照)を理解したとき、漠然ではあるが、量子物理学等の不思議な世界が般若心経の云わんとする世界とよく似ていると感じるようになり、それ以来、「和坊流宇宙」の構築に励むことになる。
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男は、60歳の誕生日の4月3日を、「切腹でこの世から訣別する日」と決めていたものの、「和坊流宇宙」がなかなかまとまらず、その日が過ぎた。
いつ完成するかわからない「和坊流宇宙」をまとめる傍ら、五輪塔(写真参照)の墓標制作に着手。
墓標は、5月25日に大日如来の真言「アビラウンケン」の梵字を書き入れ完成、5月31日には、大筋の「和坊流宇宙」もまとまったが、いま一つ不満。
同じ日、沖縄国際通りの米軍用品放出店2階で、以前から目に付けていた刃渡り20センチのナイフを18,900円で購入、翌日には、ガソリン缶と灯油缶を買って、間もなく迎える、であろう「切腹でこの世から訣別する日」に備えた。
ガソリン缶と灯油缶は、「切腹でこの世から訣別する日」に、ガソリンと灯油を買って、三重城に持ち込み肉体を処分するためのものである。
美しい夕日を見ながらあの世に移動したい。
でも、梅雨の最中のこととて、なかなか希望通りの天気に恵まれない。
6月6日には、旅に出て以来伸ばしていた髪を切って坊主にした。切った髪は遺髪(写真参照)として残した。
6月22日梅雨明けが発表された。
それと相前後して、もともとグラグラしていた奥歯が今にも抜けそうになる、死を覚悟しているのに奥歯が気になって仕方がないとは、不思議といえば不思議。
そんな思いを抱きつつ、日々が経過していく。
7月10日には、奥歯が抜けてすっきりしたものの、「和坊流宇宙」が未完成のまま。
その3日後には、超大型台風4号が上陸。この年は、台風の当たり年でもあった。24時間雨量が400ミリを超えるという、異常気象で、天候もすっきりせず、美しい夕日を眺める機会に恵まれないまま、時が経過する。
所持金が10万円を切った。
金が無くなったときが、「切腹でこの世から訣別する日」、訣別せざるを得ない日にした。
食生活に変化が生じた。
それまでは安い食料品をスーパーで買って自炊していたが、自炊をやめて、弁当や惣菜を買い、ビールも4〜5本飲むようになった。1日でも早くこの世から訣別するために。
7月27日、最後の一万円札を使った。
8月1日、水曜日はサウナの日。最後のサウナ、体重は61.85キロ。
8月4日、ジムで最後のトレーニングをする。終えてから、般若心経を唱え感謝の意を伝え、ジムを後にした。
ガソリンと灯油を各5リッター購入。灯油缶にガソリンを混ぜた。
8月5日、国際通りで、1万人エイサーを見物してから、夕方、三重城に行く。三重城の祠(写真参照)に賽銭として有り金の小銭全部入れる。
1円の金もない。
明日は、「切腹でこの世から訣別する日」。
天空には青空が広がっているのに、水平線上は厚い雲が。おまけに夕日の道には黒い雲。
最近は晴れていてもこのような状態で、夕日が見られない日が続いている。
しばらく見ていると、水平線と雲の間に、わずかな隙間ができた。
その隙間に夕日が落ちてきた。
周りが明るくなり、夕日の下辺の半円が出て水平線に、だるま落としの形になって、上辺の半円が現れ、そして、隠れていった。
瞬く間であったが、夕日が見られて満足しテントサイトに帰る。
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今日8月6日は、「切腹でこの世から訣別する日」。
日の出前にキャンプ地に隣接する「波の上ビーチ」の海に入って禊をして、シャツやタオルを置いた見張り台にいった。その下に何かが落ちている。
500円硬貨、よく見ると他に数枚の硬貨、100円硬貨、10円硬貨、合計1,200円。
無一文になった日が、「切腹でこの世から訣別する日」と決め、前日、全財産(といっても十数円)の小銭を賽銭箱に入れ、望み通り無一文になり、今日は決行日。
不思議な出来事、めぐり合わせ。
でも、これから先、2回同じ様なことが起きる。
2回目は、1,800円の現金。波の上宮の公園のベンチ下で。
3回目は、1,000円の商品券。りゅうぼうパレットのエスカレーターで。
全て、所持金が数十円になり、今日こそ実行日という日に限って、この不思議な現象に遭遇した。
それからというもの、公園や道路、砂場を、下を向き、キョロキョロしながら歩いていた。
毎日、毎日、毎日。
来る日も、来る日も、来る日も。
般若心経を唱えながら歩き回った。
スーパーや百貨店に入っても下を向いて歩いていた。
切腹でこの世から訣別するのを忘れ去ったように、歩き回った。
でも、金目のものは何1つ落ちていなかった。1円の金も落ちていなかった。
道端に菓子パンが落ちていた。
思わず袋を破いて口に入れた。
拾い食いをしていた。
食べ物は、毎週金曜日の午後1時前後に、教会(浦添市の嶺井第一病院近くにある)の山内さんという女性が、若狭海浜公園を訪れ、おにぎり1個と菓子類と飲み物1缶を公園内にいるホームレスの人に配り歩く。
その配給品で1週間を過ごしていた。
ウェート・トレーニングで鍛えていた体は、瞬く間に痩せ細っていった。
歩いていても、ふわふわと浮く感じになっていった。
こんな状態がいつまで続くのか。
切腹でこの世から訣別するための、理由付けが欲しかった。
「19日」は、父母の月命日。父は、10月(平成2年)、母は11月(平成14年)の同じ日に死んだ。
男は9月19日を選んだ。9,10,11と続くから。単純な選択だった。
ただただ死にたかった。
そして、その2日前の17日の朝、「今日死ねる」「今日死ねる」という不思議な声を聞くことになる。
この不思議な声は、精神病棟に収容されたときに「動けないのに何処でもいいよ」と聞こえ、また、一般病棟に移ったものの、満足に歩行できない状態で病院から退院を告げられた時。
着る服も、下着も、履物も、お金も何一つ無い状態で困惑しているとき「どうにかなるよ」との声が聞こえてきた。
霊魂の声ではないかと思っている。
※詳細は和坊放浪記・沖縄編で掲載予定。
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切腹を、精神病理学者たちは「苦痛に満ちた方法での自殺は、その99パーセントまでが狂信か狂気あるいは病的興奮による精神錯乱の結果と認められる」としている。
男が当初収容されていた精神病棟の院長も「切腹による自殺者は精神病患者」と断言した。
畳の上で死ぬことを恥としたサムライが、微笑みながら、この世の生命を自ら消し去った崇高な儀式・切腹は、狂信も狂気もましてや興奮など一切無い洗練された自殺であり、冷静な心と、沈着なる振る舞いが必要とされる儀式と確信している。
切腹による自殺を選択したときから、時代は違えども同じ日本人が行った行為、現在の日本男児も平常心で実行できるという自信はあった。
でも、頭の片隅にはやってみなければ判らないという感情もあったことも確かである。
実際に切腹を実践するに際して、気負いや興奮、脅え、恐怖心は全く無かった。
まるで、映像の中の男が切腹の儀式をするといった、他人事のような感じで行っていた。
以前は、領土問題(北方領土、竹島、尖閣諸島)や政治問題がらみの抗議の切腹の実行を考えていた。
しかし、後に残った人達に多大な迷惑をかけるには偲ず断念、今回のかたちの切腹になったものの、結局は多くの人達に迷惑をかけた。
心からお詫びをしたい。
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切腹自殺によって臨死体験した「あの世」界の入口の世界から、「この世」界に生還した今。
意識の中では、「この世」界は死後の世界で、「この世」界では死んでいるが、「あの世」界で生きている、と思っており、「この世」界は、生の世界に間違いないが、「あの世」界は、死んでから行く世界ではないのでは。
つまり、「あの世」界は、人間の「霊魂」(命)が、肉体から離脱して帰っていく自宅のある場所で、私(肉体)の本体は「霊魂」であることを実感した。
人間としてこの世に生を受けた限り、「死」は避けては通れない関門ではあるが、「死」とは、私(肉体)から「霊魂」が離脱して、本来の住処である「あの世」界の自宅に帰り、「あの世」界で生きていることであり、決して苦しいことや、悲しいことではなく、「死は楽しい」ということが解った。
だから、「毎日是終日」の思いで一日一日を大事に、また、楽しく生きようとしている。
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「切腹」フリー百科辞典Wikipedia
「三島由紀夫」 自決現場
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