項目
■中継地・石垣島
5月16日(月) 晴一時雨 (石垣島・民宿「旅の宿」)
■日本最南端の地:波照間島
概要
地図
1日目:5月17日(火) 晴 (日本最南端の地・高那崎or南十字星観測)
写真
日本最東端:北海道・納沙布岬
日本最西端:与那島島・西崎
日本最南端:波照間島・高那崎
日本最北端:北海道・宗谷岬
星空1、2、3
南十字星
2日目:5月18日(水) 晴 (島内探索)
3日目:5月19日(木) 晴一時小雨 (波照間島から石垣島へ)
※本文中赤字は写真あり
■注
高那崎、北(ニシ)の浜、スイジガイ(水字貝)、星空観測タワー、学童慰霊碑、コート盛、波照間酒造所、オヤケアカハチ生誕の碑、シムシゲー(古井戸)、ぶりぶち公園、下田原(しもたばる)貝塚、イノーサヒ(イナサヒ)
■写真
フェリー乗場、フェリー・はてるま、波照間島港、民宿・西浜荘1、民宿・西浜荘2、蛇の道、日本最南端之碑、高那崎の景勝地、青空食堂、北(ニシ)の浜、北(ニシ)の浜夕日、北(ニシ)の浜・東屋、スイジガイ、フェリーターミナル、泡波、星空観測タワー1、星空観測タワー2、コート盛、アカハチの碑、シムシゲー(古井戸)、ぶりぶち公園、イノーサヒ(年貢集積所)
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5月16日(月) 晴一時雨 (石垣島:民宿・旅の宿)
フェリー「よなくに」は14時30分、定刻に石垣島に入港する。
与那国島に出発する前、予約してあった民宿「旅の宿」に入る。前回と同じ部屋だった。
何と、隣の部屋には、西表島ミトレアキャンプ場に居た、大阪から来た折りたたみ自転車の男性(命名・大阪のおっちゃん)こと徳さんがいた。
徳さんの案内で、100円飲み屋に行く。5時からの2時間、店のメニューが全て100円との事。サービス時間帯の2時間、腹一杯飲み食いをしたのに、宿に帰っても酒盛りをする。
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波照間島(はてるまじま)は、沖縄県の八重山諸島にある日本最南端の有人島。面積12.7km2、標高59.5m、人口600人弱。周囲14.8km。住所は郵便番号907-1751、沖縄県八重山郡竹富町波照間。
石垣島から飛行機で25分、高速船で約60分、フェリーで2時間の距離。波照間とは「果てのウルマ(サンゴ礁)」のことで、その名のとおり美しいサンゴ礁に囲まれた島で、2月から6月にかけては南の水平線上に南十字星を見ることができる。
主な産業はサトウキビ栽培と製糖である。また、島内の酒造所では、沖縄の焼酎(泡盛)の中でも、製造量が少なく入手困難なことで有名な「泡波」という銘柄を生産している。
有人島として日本最南端の島であるとともに、一般の民間人が行くことのできる日本最南端の地でもある。なお、無人島も含めた日本最南端は東京都小笠原村の沖ノ鳥島(北緯20度25分31秒)であるが、一般の民間人が訪れることはできない。
緯度が低く、日本国内では南十字星を好条件で観測できる数少ない島であり、高那崎に程近い島の南海岸には星空観測タワーが立っている。周囲に人工的な灯りが極めて少ないため、他の場所では見えにくい星を肉眼で見ることができる。星空観測タワーには200mmの屈折式天体望遠鏡やプラネタリウムがあり、観光客も見学可能である。
島の周囲にはニシ浜、ペー浜、ペムチ浜など白砂の美しい砂浜が多いが、ニシ浜以外は基本的に遊泳禁止である。
波照間島のさらに南に「南波照間島」(パイパティローマ)があるという伝説がある。重税から逃れるため、1648年に島人が南波照間島に渡ったという伝聞が、琉球王府の記録である『八重山島年来記』に記されている。
波照間島にはハブは生息していない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』等
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波照間島地図

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1日目:5月17日(火) 晴 (日本最南端の地or南十字星観測)
7時30分に、石垣島の与那国島・波照間島行きフェリー乗場に行き、8時から切符売場で、往復運賃¥3,960(片道¥2,080)と自転車運賃¥640を支払い乗船手続きをしてから、波照間海運のフェリー「はてるま」に乗る。
乗船後は、何時もの様に毛布で寝床を作ってから、就寝する。
約2時間後、波照間島入港のアナウンスがあったので、デッキに出ると、与那国島の民宿・ふくやまの同宿者で、夜中に帰って来て、ゴキブリと奮闘。一睡も出来ず、予定を変更して宿を出て行った、愛知県の21歳の別嬪の女性が近づいてきて、「与那国島出発の時、リエ姉が見送りに来て、あなたを探して、出港後もずっと岸壁にいたよ」と話を聞き、涙が出るほど嬉しかった。
フェリー「はてるま」が波照間島港に入港。下船すると、胸の前に「西浜荘」の看板を持った女の人がいた。
波照間島はキャンプ禁止なので、その女の人に声を掛けると、宿泊代は¥2,000との事。ラッキー。その場で予約をして、場所を聞く。
愛知県の女の子は、宿泊費用が無いので、レンタバイクで島内を1周して、午後の便(15時)で帰ると、慌ただしく出掛けて行った。
民宿・西浜荘(沖縄県八重山郡竹富町波照間405、電話0980-85-8290、昔の名前は「ぺ〜ヌ島貸部屋」)は、港から延びる3差路の、右の登り坂の途中にあった。案内された部屋は、出入口のみで窓の無い6畳間で、扇風機が1台置かれているが、暑そう。基本は、ドミトリー(相部屋)なので、混んで来たら相部屋を願いますと云われた。
その他に、WCとシャワールームが数か所と、談話室を兼ねる炊事場がある。炊事場には、大小2つの炊飯器があり、ご飯が食べ放題。炊飯器のご飯を最後に食べた人が、次の人の為にご飯を炊くのがルール。楽しそう。
一通り施設内を案内されてから、波照間一周道路の西側道路を走り、「日本最南端之地」の碑がある、高那崎(※注1)に行く。
高那崎入口には、沖縄返還に際し、全国の青年が持ち寄った各地の石を使って作られた2匹の蛇が絡み合ったような形をしている小道(蛇の道)がある。
蛇はそれぞれ沖縄と日本本土を意味し、二度と離ればなれにならないという思いを表している。
その横に、日本最北端之地・宗谷岬の派手さに比し、何処が最南端の地か探さなければ分からない程の遠慮深さで、ひっそりと「日本最南端之碑」が建っていた。
これで、東(北海道納沙布岬・北海道根室市)、西(与那国島西崎・沖縄県与那国町)、南(波照間島高那崎・沖縄県竹富町)、北(北海道宗谷岬・北海道稚内)4つの日本の端を踏破した事になる。
写真
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北海道
納沙布岬 |
与那国島
西崎 |
波照間島
高那崎 |
北海道
宗谷岬 |
※日本の端(与那国島編に続いて再掲載)。本文中の端は、人間が住んでいる日本の東西南北の端であるが、日本が主張する領土上の東西南北の端は、@日本最北端:択捉(えとろふ)島・カモイワッカ岬
(北海道択捉(えとろふ)郡蘂取(しべとろ)村)、A日本最東端:南鳥島(東京都小笠原村)、B日本最南端:沖の鳥島(東京都小笠原村)、C日本最西端:与那国島西崎(沖縄県与那国町)で、@は、北方四島でロシアが実効支配。A、Bは無人島。Cの、日本最西端の地・西崎(いりざき)だけが、一般の人間が自由に行ける唯一の地である。
「日本最南端之碑」の南側には、鋭くえぐられて、トゲトゲした石灰岩の岩場が続いている。その先端に行ってみると、日本最南端之地の碑からは、全く想像できない、断崖絶壁の雄大な景色、高那崎の景勝地が目に入る。この場所こそが日本最南端之地の碑に相応しい場所と直感した。
和坊歌
日本最南端岬の先に建ててくれよと嘆く碑
日本最南端之地の碑から、星空観測タワー迄の遊歩道を歩く。途中、東屋を占領する野生のヤギを見たり、観光客と話をしてから、来た道の一周道路を引き返す。
民宿・西浜荘に帰る前に、青空食堂で野菜そば定食(¥600)の昼食を摂る。
昼食後、沖縄で1番美しいと評判の北(ニシ)の浜(※注2)に行く。
ニシの浜は、民宿・西浜荘から坂を登りきった先に在る一周道路の手前から浜側に降りる道の突き当りにある。
途中展望が開けた場所から、ニシの浜を見ると、ブルーの濃淡が連続して七色に変化する何とも云えない不思議で素晴らしい海が目に入ってきた。
「評判通りの海だぁー」と思わず声を張り上げる程美しいニシの浜に着き、東屋に入ると、砂浜から女の子が駆け上がってきた。
何と、西表島ミトレアキャンプ場に居たキャンパーで、ジャングル探検に一緒に行き、また、与那国島で泊まった民宿・ふくやまの“おじい”が、三線の師匠だった。と、何かと縁のある“三線弾きのミキちゃん”だった。
“ミキ”ちゃんは、これ又偶然、同じ宿に彼氏と逗留していた。しばらく話をしていると、ミキちゃんの彼氏が、スイジガイ(水字貝※注3)を獲ってきた。彼氏は、三重県出身の宮川君。父親から譲り受けた、30年前の「CB750Four」を大事に乗っている若者。
獲ってきたスイジガイは、お別れする友達へのプレゼントらしい。でも、生のスイジガイは、匂いが強烈なので処理(どのような処理かは、忘れた)をしてから手渡すらしい。
今夜は、宴会をする約束をして、波照間港に行く。15時出港のフェリー「はてるま」に乗る“愛知県の別嬪の女の子”の見送りと、お土産の絵ハガキを手渡すため。
“愛知県の別嬪の女の子”は、フェリーターミナルにいた。レンタバイク屋に行って、お金が無いのでバイクで島内一周をして午後の便で帰ると云ったら、車で案内してくれたと喜んでいた。
フェリーターミナル土産店に、幻の泡盛と云われている「泡波」の2合瓶が、Tシャツとセットで、何と¥5,000で売っていた。地元の人は3合瓶を¥650で買える。良心が痛まないのか。
一旦、民宿・西山荘に帰り、夕食を食べてから、南十字星観測の為、星空観測タワー(※注4)に向かう。途中、民宿・西浜荘に居た女性1人を含む3人組を追い抜く。どこに行くのと聞くと、目的地は同じだった。
星空観測タワーには、我々しかおらず、7時30分に入館(入館料¥300)。貸切と思っていたが、時間が経つに従い人数が増えてきて、屋上は満員状態になってきた。
屋上から、らせん階段を上ると、コンピューター制御の200ミリ屈折望遠鏡がある。そこで、土星や月を間近に見せてもらってから、屋上で、星空を見ていると、星空観測タワーの受付に居た男性がやってきて、懐中電灯を夜空に照らし、南十字星の方向と場所の説明(星空の観測会)をしてくれたが、区別が付かない。
その内に、普通の8倍望遠鏡を三却に固定して、見るように勧められたので、望遠鏡を覗くと、十字に輝く星が見えた。
不思議なもので、望遠鏡の南十字星を見てから、肉眼で夜空を見ると、ハッキリと南十字星が確認された。万歳。
屋上に上がって来ている人達と話をすると、南十字星を見る為石垣島で観光しながら待機。今夜は見えるかもしれないとの情報でやってきたと云う人が多かった。
それに比べ、行き当たりばったりで波照間島に入って、その日に南十字星が見られたことはラッキーの一言に尽きる。再度万歳。
星空観測タワーは、10時までの営業であるが、大満足をして9時に帰る。民宿・西浜荘に帰ってから、与那国島の“リエ姉”に電話をして、見送りのお礼を云う。
夜は、ミキちゃんと彼氏。星空観測タワーに行った男女3人組。屋久島のウミガメ観察員等、十数人で玄関口にシートを敷いて、大宴会をする。
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星空2
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星空3
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南十字星は南十字座の最も明るい四つの星を指す。十字の縦の星、ガクルクス(Gacrux)と、アクルクス(Acrux)を4.5倍伸ばした辺りに天の南極点があると言う事で,中世の大航海時代以来,船の向かうべき方角を見定める上で非常に重要になり、大海原の中,命を掛けて航海をしたキリスト教徒にとっては,有難い神の道標として眺められてきた。
南半球では常に見えているけれど、北半球は見えない場所が多い。日本では北限が与論島あたりといわれるが(このため与論にはサザンクロスセンターという建物が建っている)、当然、南に行けば行くほどよく見える。
とはいえ、日本最南端の波照間島でさえ、実はよく見えるとまでは云いづらい。なぜかというと、南十字星の十字でいちばん南(水平線側)に位置するα星の南中高度(水平線からの高さ)は、波照間でもわずかに3度。つまり、いちばん高いときでも水平線からさほど離れないということだ(波照間の緯度ほぼ24°に3°を足した27°付近に出る)。水平線近くは雲が出やすいし、透明度も低く空がもやっているから、残念ながら「波照間へ行けば南十字星を高確率で見られる」と云うものでもない。
なを、南十字星のすぐ北に、上半身が人間,下半身が馬の姿をした半人半馬のケンタウルス族をかたどったケンタウルス座がある。本州では上半分しか見ることが出来ないが、沖縄では何とか星座全体を見ることがでる。その手には長い毒やりを持ち、東隣のおおかみ座を突き刺している姿が描かれている。
ケンタウルスの前足に相当する部分には、わずか5度の間隔で2つの1等星が並んでおり、このうちα星であるアルファ・ケンタウリは、太陽系に最も近い恒星として知られている。また、腰の部分にはオメガ星団という見事な球状星団がある。
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2日目:5月18日(水) 晴一時小雨 (島内探索)
昨夜、宴会が終わったのが午前3時だったにもかかわらず、今朝は6時に起床。朝飯を食べてから、島内探索に出掛ける。
しかし、波照間島の道は、複雑で分かり難い。迷いに迷って中心街をくまなく走りまくった。そのお陰で、共同売店や民宿、公共機関の場所も頭に入った。
学童慰霊碑(※注5)、コート盛(※注6)、波照間酒造所(※注7)、オヤケアカハチ生誕の碑(※注8)を見学し、郵便局に寄って、中心街を抜け、南の浜(ペムチ浜)の出店の女の子と話をしてから、空港に寄るが、人っ子一人いない。波照間空港の便は、近々廃止になるらしい。納得する。 中心街を抜けて、南の浜(ペムチ浜)の出店の女の子と話をしてから、空港に寄るが、人っ子一人いない。波照間空港の便は、近々廃止になるらしい。納得する。
空港から、島一周道路を走り、シムシゲー(※注9)、ぶりぶち公園(※注10)、下田原(しもたばる)貝塚(※注11)を経て、波照間港に出る海岸沿いの道にある、イノーサヒ(※注12)周辺を探索してから、宿に帰る。
昨日も行った、青空食堂で食事をしてから、昼寝をし、 午後は、歩いて街中を散策する。夕方にパラパラ雨が降ってきたので、炊事場を兼ねる談話室で、昨夜に続き宴会をする。
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3日目:5月19日(木) 晴 (波照間島から石垣島へ)
波照間島の滞在予定は7〜10日であったが、南十字星も見られたし、狭い島を何周もし、行くところが無いので、今日の便で石垣に出発することにする。
朝、自転車の整備中、ミキちゃんの彼氏から、土産物店・モンパの木で買ったと云う、日本最南端のシールを貰い、自転車の前籠に張る。
フェリーの時間まで間があるので、ニシの浜を散歩。奥の方に進んでいくと、砂浜沿いの丘で、三線の練習をする女性が居たり、砂浜から、岩伝いの先に「浜シダンの碑」をも発見したりして、時間を潰し、15時発のフェリー「はてるま」に乗る。
フェリー「はてるま」の乗客は、石垣島伊野田キャンプ場から来た単車の2人組。愛媛県の女の子と足首に刺青をしている男性、顔の長いおとなしそうな男女3人組。大阪出身で与那国島に行くバックパッカーの青年ら、民宿・西山荘の連中の貸切状態で出港した。
港には、ミキちゃんと彼氏が見送りに来てくれた。
フェリー「はてるま」は、定刻17時に石垣港に入港した。
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※注1:高那崎
波照間島の南東側にある、荒々しい断崖が1kmに亘り続く景勝地の中で、1番突き出た所が高那崎である。このあたりは琉球石灰岩が侵食されてできた地形で、トゲトゲした岩場で歩き難いところであるが、ここを慎重に歩いて、岩の先端に行ってみると、岩礁に荒波が押し寄せ波飛沫が舞い上がる豪快な景色が見られ、波穏やかな八重山の海ではめずらしい光景です。
※注2:北(ニシ)の浜
波照間言葉で、東(あり)、西(いり)、南(ぺー)、北(にし)と云い、ニシの浜は北の浜と書く。
※注3:スイジガイ(水字貝)
沖縄諸島や先島諸島では、先史より装飾品として利用された。また、火難除けや魔除けとして家の玄関や家畜小屋に吊す風習があった。現在も沖縄などで土産物として販売されている。また、沖縄県の名護市と宮古島市において、シンボル(市の貝)として採用されている。出典: フリー百科事典・ウィキペディア(Wikipedia)
※注4:星空観測タワー
世界有数の条件で観測できる、日本で一番宇宙に開かれた観測所、波照間島の星空観測タワー。
日本最南端の天文台として1994年、コンピューター制御の200ミリ屈折望遠鏡やプラネタリウムを備えた星空観測タワーが誕生した。
偏西風や貿易風の影響を受けず、人工の明かりもほとんどない島は絶好の天体観測地。全88星座のうち、南十字星を含む80を超える星座が観測できる。
タワーを管理する新城さんが休館日を除く連夜、観測会を開き、星空の魅力を紹介してくれる。休館日は月曜、祝日、年末年始。
※注5:学童慰霊碑
波照間島の住民は第二次世界大戦末期、西表島の南風見田に強制疎開させられた。学童323名中66名がマラリアで死んでいった。
西表島の南風見田海岸には先日見に行った「忘勿石(わすれないし)」があるが、ここ波照間島には南風見田海岸に向かって「学童慰霊碑」が建てられている。
※注6:コート盛
波照間港から集落中心部に至る道(祖平花道)の途中に珊瑚石を積み上げてつくられた見張り台「コート盛」(高さ3.9m、直径9.9mほど、2層の渦巻き状となっている。)がある。波照間北側の海全体への眺望に優れており、その目的は外国船や琉球から中国への進貢船、大和の船の通行を監視し、烽火(のろし)により、その通行を石垣島にある蔵元(八重山をとりまとめる役所)に通報することにあった。
波照間からは対岸に見える西表島南風見村の遠見台と烽火で連絡を取り合い、南風見からは小浜島の大岳経由で竹富の「クースクムイ(小城盛)」に合図が送られ、そこから石垣島にある蔵元に連絡された。
オヤケアカハチ生誕の碑。波照間は、八重山の英雄オヤケアカハチの生誕の地とされている。人頭税に反対して謀反を起こしたと言う説もあるようだ。石垣に渡って大浜地区で勢力を持っていたと言う。
「アカハチの乱」というと、宮古の歴史にも名前が出てくる。八重山各島の歴史が相互に絡んで来るので興味深い。
※7:波照間酒造所
昭和28年島民の共同事業として創業を開始した波照間酒造所は、現在波照間島でただ一つの酒造所。幻の泡盛「泡波」を作っている酒造所で、少量生産でしかも流通は島の人のみということなので、幻の泡盛と云われる所以である。フェリーターミナルの喫茶コーナーのイーノー(海畑)で提供されている。
※注8:オヤケアカハチ生誕の碑
15世紀の終わり頃、尚真王の時代、波照間島から石垣島に渡り、同郷の長田大主らと共に八重山をまとめ、首里王府に対し革命の反旗を揚げたとされる英傑。1500年に琉球政府に討伐されてしまうが、地元では有志の豪傑として今でも尊敬されている。現在その生家跡に家屋はなく、記念の碑と碑文だけが残る。
※注9:シムシゲー(古井戸)
波照間島の北端にかつてあった集落「シムス村」の古井戸の史跡。牛が掘り当てたという伝説が残り、島の他の井戸が枯れた旱魃の際も、この井戸だけは豊かな水を湛え、島の人々を支えたと言われる。
※注10:ぶりぶち公園
島一周道路を港方面から東へ進行すると、史跡・下田原城跡の標識を北(海側)に入り、急坂を下って行くと、右手に池があり、鬱蒼とした森の奥が「下田原グスク」と呼ばれる城跡のぶりぶち公園である。公園の前方に崖があり、左手には崖の上に続く崩れかけた石段がある。よくみるとこの崖の上に人工的な石組(城壁の一部)みがあることがわる。
※注11:下田原(しもたばる)貝塚
下田原貝塚は、ぶりぶち公園前の道を更に北(海岸)のほうに行った左手にある。約3700年前、紀元前1800年の遺跡で“下田原式土器”なる独特の土器や、石器、石斧、骨製品、貝製品等が数多く出土した。
貝塚の東側の大泊浜は船の接岸に便利な地形で、かつては港であったと云われている。そして、この一体は湧水が得られる数少ない場所でもあり、こういった恵まれた立地条件により波照間に辿り着いた人々はここで暮し始めたと思われる。
※注12:イノーサヒ(イナサヒ)
波照間港の左手道路に沿って歩いて行くと見えてくる茅葺きの建物。ここは琉球王朝時代の年貢の集積所であったという。壁は石積みで、入口は3カ所。拝所にもなっている。現在は規模を小さくして再建されている。
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フェリー乗場

フェリー・はてるま

民宿・西浜荘1

民宿・西浜荘2

蛇の道

日本最南端之碑

青空食堂

北(ニシ)の浜

北(ニシ)の浜・夕日

ニシの浜・東屋

スイジガイ

フェリーターミナル
泡波

星空観察タワー1

星空観察タワー2

コート盛(見張り台)

アカハチの碑

シムジゲー(古井戸)

ぶりぶち公園

イノーサヒ
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