項目
■宮古島
概要
地図
地図1:宮古島位置地図
地図2:宮古島全島地図
地図3:与那覇前浜周辺地図
■与那覇前浜キャンプ場
1日目:6月23日(木) 晴のち雨 (石垣島から宮古島へ)
2日目:6月24日(金) 小雨 (宮古島一周ドライブ)
3日目:6月25日(土) 晴 (与那覇前浜ビーチコンサート)
4日目:6月26日(日) 晴 (石垣島ポタリング)
5日目:6月27日(月) 晴 (伊良部島・下地島散策)
6日目:6月28日(火) 晴 (オトーリ体験)
※本文中の赤字は写真あり
■注
有村産業、与那覇前浜orキャンプ場、池間大橋(いけまおおはし)、八重干瀬(やびじ、やえびし)、東平安名崎(ひがしへんなさき)、マムヤの墓、上野ドイツ文化村、来間大橋(くりまおおはし)、竜宮城展望台、オトーリ(御通り)、伊良部島・下地島、下地島空港、通り池、久松五勇士顕彰碑(ひさまつごゆうしけんしょうひ)、漲水御嶽(はりみずうだき)、豊見親墓、人頭税石(じんとうぜいせき)
■写真
平良港、赤名宮、宮古島空港1、宮古島空港2、宮古島空港の道、島尻のマングローブ林1、島尻のマングローブ林2、島尻渡瀬(わたらせ)、狩俣遠見台登り口、狩俣遠見台、西平安名崎(にしへんなさき)展望台、池間大橋1、池間大橋2、池間大橋3、八重千瀬(やびし)、東平安名崎(ひがしへんなさき)灯台、東平安名崎(ひがしへんなさき)、マムヤの墓、保良漁港、多良川酒造本社、ドイツ文化村入口、ドイツ文化村博愛記念館、来間大橋、タコ公園入口、タコ公園、タコ公園横入江、竜宮城展望台、竜宮城からの前浜ビーチ、竜宮城からの来間大橋、竜宮城からの来間集落、博愛わいわいビーチ、イムギャーマリンガーデン1、2、3、4、ムイガー断崖、ムイガー展望台から見る七又海岸、湧水ムイガー標柱、ムイガーの湧水、新城(あらぐすく)海岸入口、新城(あらぐすく)海岸、平良港・伊良部島行きフェリー乗り場、伊良部島・佐良浜港、フナウサギバナタ1、2、佐和田の浜2、下地島空港正面、着陸する飛行機、通り池入口、通り池、牧山展望台、佐良浜港・フェリーゆうむつ、久松五勇士顕彰碑1、2、前浜漁港桟橋ダイブ、前浜ビーチの夕日、漲水御嶽1、2、仲宗根豊見親墓、知利真良豊見親墓、アトンマの墓、人頭税石、砂山ビーチ入口、砂山ビーチ洞窟、バイナガマビーチ、バイナガマビーチ(右下)と市街地、与那覇前浜ビーチ、ウィンディまいばま、与那覇前浜キャンプ場、テント場 WC・シャワー、遊歩道、テント場・ビーチ
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宮古群島は、北東から南西へ弓状に連なる琉球弧(りゅうきゅうこ)のほぼ中間にあって、北緯24度〜25度、東経125度〜126度を結ぶ網目の中に位置しています。沖縄本島(那覇市)の南西方およそ300Km、石垣島の東北東およそ130Kmの距離にあり、島全体がおおむね平坦で低い台地をなし、最も高い横竹山地で114mです。
地層はほとんど隆起サンゴ礁の琉球石灰岩からなり、砂岩と泥板岩が重なり合ったブロックで形成されています。土壌は弱アルカリ性または中性に適し、総面積の52%(約1万2千m2)が耕地面積です。
面積・人口
宮古群島は大小8つの島(宮古島・伊良部島・下地島・池間島・来間島・大神島・多良間島・水納島)からなり、その中でも最大の宮古島は圏域の70%を占め、群島の中心をなしています。
圏域の総面積は約225.86km(H13.3.31現在)で県土総面積の約10分の1を占めています。また、宮古島の海岸延長は、約131.2km(1998年離島統計年報)です。
人口は平良市(33,701人)城辺町(7,282人)下地町(3,157人)上野村(3,175人)伊良部町(6,899人)多良間村(1,331人)の計55,379人(平成12年国勢調査)で、平成13年3月現在、圏域内で過疎地域の指定を受けていないのは平良市のみです。
気候
宮古島地方は、高温多湿な亜熱帯海洋性気候に属し、四方を海に囲まれているため冬も比較的暖かく、夏は海から吹く風が炎暑を和らげてくれます。このため四季をとおして暖かい気候で年平均気温の平均値は摂氏23.3度、年平均湿度は79%となっています。
1〜2月がもっとも寒く、同月の最低気温の平均値は15〜16度、極値は6.9度(S42.1.16)が観測されています。5月中旬頃から6月下旬までは梅雨で、この時期に年降水量のおよそ20%が降ります。梅雨が明けると本格的な夏になり、9月頃まで連日最高気温30度以上の暑さが続きます。
夏秋季は台風シーズンで、特に9月頃強い台風が来襲する傾向があります。台風は恵みの雨をもたらしますが、反対に台風の少ない年は干ばつに見まわれる事が多いようです。昭和46年は3〜9月に186日もの間大かんばつとなりました。また、この期間内の降水量は162ミリで平年値(1300ミリ)の12%でした。
10月になると朝夕が涼しくなります。ちょうどこの頃宮古島の風物詩「サシバの群れ」が飛来して、秋の訪れを告げます。
観光
宮古を訪れる観光客は年々増加の傾向をたどり、平成14年には過去最高の340,792人に達しました。これは県内の「復帰30周年記念事業」や「だいじょうぶさ〜沖縄」等キャンペーンの宮古への波及効果や観光業界の集客活動が功を奏した結果によるものです。このような中で、下地町前浜や上野村宮国の大型リゾート施設のほかにも、宮古島マリンターミナル整備事業で建設された都市型リゾートホテルや、これに加え、うえのドイツ文化村、宮古島海宝館のオープン等、観光関連施設整備は着実に進展しており、今後の滞在型観光への展望が開けつつあります。
また、全日本トライアスロン宮古島大会が国際的規模のイベントとして定着し、プロ野球キャンプ等の開催及び各種スポーツ団体の合宿等、スポーツ・レジャーのメッカとする「スポーツアイランド宮古島」としての基礎固めが着実に浸透しつつあります。
観光資源としては、半島、湾入、砂浜など変化に富んだすぐれた自然景観に恵まれ、更にクイチャー、宮古上布あるいは多良間村の8月踊りなどに知られる民族芸能、伝統織物、伝統行事等、独特で豊富な文化的資産があります。
※以上観光協会ホームページ(http://www.miyako-guide.net/)より
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地図1:宮古島位置地図(離島マップ)

地図2:宮古島全島地図

地図3:与那覇前浜周辺地図

地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工 |
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1日目:6月23日(木) 晴のち雨 (石垣島から宮古島へ)
今朝3時に起床、宮古島に行く為、楽園キャンプ場でテントの撤収作業。
沖縄に出発する“むぎ”も4時に起きてきた。
与那覇医院に居る“スクーター組”は、9時05分発の飛行機で東京に帰るが、送迎は“野の爺”に任して、石垣港に向かう。
石垣港には、東京のヒッチハイカー“ゲロミキ”と名古屋の“健ちゃん”が来ていた。両名も宮古島へ。
有村産業のフェリ−飛龍(注1)は、出港予定の6時45分を40分遅れで石垣島を出港、13時前に宮古島の平良港に到着した。※石垣島〜宮古島間フェリー料金(2等運賃¥2,070、自転車¥1,780)
東京のヒッチハイカー“ゲロミキ”と名古屋の“健ちゃん”は、それぞれの予約の宿に、自分は、本日の野営予定地与那覇前浜に向かう。
石垣港の脇を通る国道390号を南下、約1キロ先右手にある、24時間コンビニ・ホット・スパーで弁当を買って、コンビニ前のバイナガマビーチで昼食。
バイナガマビーチは、市街地内のビーチなのに綺麗な浜辺と、東屋やトイレに無料のシャワー棟まで完備されており、ビーチからはつい先ほど下船した石垣港が見渡せた。
暫く休憩してから出発。宮古島は三角形の地形からか、方向が分かり難い。
国道390号も、ビーチから2〜300m行くと、三差路で直角に左折する。南進中に左折すれば東に向かうと思うがそうではなく、考えれば頭が混乱するので、ともかく国道390号を進む。
宮古島徳州会病院前を通り、宮古島空港方面三叉路を直進すると、道路左手に「沖縄製糖宮古工場」があり、工場前の、下地町の文化財「赤名宮」に参拝して、6〜700m先の上地信号で、国道390号は左折だが、直進をして県道191号に入る。
県道191号から、4〜500m先の3差路で、県道191号から分かれる左の道の県道235号を取り、約1キロ先の交差点を直進(県道235号は左折)、突き当りが与那覇前浜で、やっと目的地に到着。
宮古島の移動に際しては、方向感覚が失う恐を念頭に置かねばならない事を実感した。
目的地の与那覇前浜(地図3参照、注2)には、駐車場とトイレ、シャワー棟がある。西側には東急リゾートホテル、東側には、食堂兼ショップの「ウインディ・まいばま」がある。
ショップで、与那覇前浜キャンプ場でのテントの張り場所を聞くと、「東側なら何処でもOK」との事だったので、下見をする。
与那覇前浜ビーチの東の端に行くと、水場とトイレ、シャワー棟があり、隣接して駐車場や小さな漁港と桟橋があったので、水場横にテントを張る。他にキャンパーは居ない。
自転車で近くを散策。キャンプ場所の東側道路から、北に2キロ程行くと、小さな集落と信号があり、その角のJAおきなわ、ガソリンスタンドに隣接してAコープ下地店があったので、店内に入ると、酒類や弁当類等が充実していたので、当店での買い出しを決定する。※Aコープ下地店は、夕方6時頃になると弁当が半額になる。
近くにスーパーがあって一安心。ビールに食材を買ってキャンプサイトに帰り、夕食の支度をしているところに、“ゲロミキ”と“健ちゃん”が様子見に来たので、一緒に酒を飲む。
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2日目:6月24日(金) 小雨 (宮古島一周ドライブ)
昨夜は11時過ぎから雨が降り出して、雷の音で目が覚める。午前1時過ぎ。雷と大雨。テントの中に雨水が入ってくるが対処の仕様が無いので、水に浮かぶエアーマットの上で寝る。
朝から、テント内の水をタオルで拭き取る作業に終始。11時過ぎに、“ゲロミキ”と“健ちゃん”がレンタカー来た。一緒に宮古島空港に行く。
空港に来たのは、与那国島の民宿・どなん地球遊人の同宿者で、我々と入れ違いに北海道に帰った“陳君”が、南の島に魅せられ再来島するので、その出迎えである。
“陳君”は大きなザックを背負い、折りたたみ自転車を持ってやって来た。“陳君”の折りたたみ自転車を“ゲロミキ”の宿に置いてから、4人で、宮古島一周ドライブに出発する。
県道83号を北上、途中から池間大橋線の県道230号に入り、約3キロ先から島尻港方面に右折して、島尻のマングローブ林、島尻渡瀬(わたらせ)を見て、再び県道を北進する。
池間大橋の手前に在る狩俣集落の簡易郵便局と小学校の間の道を右に入ったところに在る、狩俣遠見台から、西平安名崎(にしへんなさき)の展望台によって、池間大橋(注3)を渡り、池間島を1周一周してから来た道を引き返す。※池間島沖合には、有名な八重干瀬(やびじ、やえびし)と呼ばれるサンゴ礁がある。
帰りは、県道83号の東海岸沿いを走り、比嘉ロードパークで小休止をしてから、吉野海岸に寄ろうと駐車場に入ると有料の看板(¥500)。
「宮古島のへんぴな海岸の駐車場が有料とは何事か!」と全員一致の掛け声で、Uターンして帰る。
そんな嫌な気分も、次に寄った東平安名崎(ひがしへんなさき・注4)の壮大な景色を見ることで吹き飛んでしまった。
東平安名崎に在る、マムヤの墓(注5)を参拝したり、保良漁港で遊んでから東平安名崎を後にし、多良川酒造本社で島酒を買って、ドイツ文化村(注6)に寄ってから、テントサイトに送ってもらう。
夕方、宮古島一周メンバーの3人がテントサイトに来て、夜遅くまで酒盛り。
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3日目:6月25日(土) 晴 (与那覇前浜ビーチコンサート)
今日は与那覇前浜ビーチで開催されるサッカー大会に出場予定をしていたが、締切日の勘違いでエントリーが出来なかったので、シュノーケリングをすることにした。
しかし、与那覇前浜ビーチは、砂浜や海は綺麗だが、サンゴもなければ魚も泳いでいない。何処に行こうか思案していると“健ちゃん”が、“野の爺”からの情報で、来間大橋(注7)を渡った所にシュノーケリングポイントがあるとの事だったので、“ゲロミキ”と3人で現場に行く。
来間大橋を渡った直ぐ左側に東屋があり、石畳の通路がある。その通路の突き当りの左側に大きなタコのモニュメントの「タコ公園」があり、突き当りの草むらを掻き分け下ると入江があった。
入江はタイトプール状(塩溜まり)になっており、生ぬるい海水と小さな魚が群がっている。外海に出ると岩礁の間に沢山の魚影を見ることが出来た。
昼からは、来間島の散策をしてから、竜宮城をイメージして造られた3階建ての展望台(注8)に行く。展望台は、標高60mの丘の上に立ち、階段で上るとサトウキビ畑が広がる来間島の風景をはじめ、対岸の宮古島や来間大橋、伊良部島などを一望できる。
左手には、伊良部島の空港でタッチ&ゴーの離着陸訓練をする飛行機が。右手には来間大橋。正面には、真っ白なパウダーサンドの前浜ビーチと、コバルトブルーの海が織りなす風景が広がり、満足する。
夜は全員で、与那覇前浜ビーチで開催された「バード」と云う女性のコンサートを観賞する。人気バンドなのか若者中心の観衆でビーチは混雑していた。観賞中から酒盛り、終わってからもテントサイトで酒盛りをする。
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4日目:6月26日(日) 晴 (石垣島ポタリング)
昨夜は記憶が無くなるほど飲んだ、気がつけばテント内で寝ていたおり、前日キャンプ場に来た、石垣島の楽園キャンプ場で一緒だった大分の単車の若者と、若者の知り合いの中年の男性が酒を飲んでいた。起きてから3人で飲み直す。
一昨日島内一周をしたが、車でのドライブは何かしら印象が薄かったので、今日はポタリング(自転車散歩)。
8時にキャンプサイトを出発。三角形の形をする宮古島の底辺部海岸沿いを東に走る。本来ならばキャンプサイトの北側を通る県道235号を走ればよいのだが、途中から県道235号は消えてなくなる。
ともかく、宮古島の道は複雑怪奇。余り考えないで磁石を頼りに東進する。ドイツ文化村を過ぎて、オトーリ(注9)発祥の地と云われる宮国にある人工ビーチ・博愛わいわいビーチで小休憩。
次に行ったのは、小高い丘の上の展望台の屋根の上に「黒い牛さん」がいるイムギャーマリンガーデン。
ここの散策路からの景色も素晴らしいが、入り江内は波が穏やかなので子供達の海水浴や初心者のダイビング講習の場として人気があり、思わずシュノーケリングをする。
続いて海岸沿いの曲がりくねった道を走ると、道端に数台の車が駐車している。ここが、ムイガー断崖の展望台だった。
展望台からは、七又海岸(高さ30mの隆起サンゴ礁の断層海岸)のダイナミックな海岸線を一望することが出来た。
また、道端に「湧水ムイガー」の標柱があり、その先の断層崖の下には、かつて島民の貴重な飲み水であったムイガーと呼ばれる湧き水があり、貴重な遺跡を見ることが出来た。
七又海岸を走って、一昨日訪れた東平安名崎(ひがしへんなさき)の入口から、県道83号を北上して、新城(あらぐすく)海岸に行く。
海岸の手作り東屋には、「無料・ご自由にご利用ください」の看板がある。隣の吉野海岸は有名だが、駐車場が有料(¥500)で観光客を食い物にする商法がまかり通っているのに比べ、ここ新城(あらぐすく)海岸は、無名だが心地よい海岸だった。
暫くシュノーケリングをしてから、県道83号を横切るように走る道路を通って、県道199号から、国道390号を走り、Aコープ下地店で、ビールと食材を買ってから、与那覇前浜キャンプ場に帰る。
夕方、“ゲロミキ”と“陳君”が宿泊するドミトリーの女の子を連れてビールの差し入れ。テント内で酒盛り。暗くなってから“健ちゃん”も加わった。
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5日目:6月27日(月) 晴 (伊良部島・下地島散策)
平良港の宮古フェリー乗り場で、8時25分発のフェリー「ゆうむつ」に乗船(運賃片道¥360、自転車¥350)。伊良部島(注10)に行く。
約25分で、伊良部島佐良浜港に到着。島内一周道路を時計と反対周りに走り、伊良部島を象徴する鳥であるサシバをかたどったフナウサギバナタ(宮古島の方言で船を見送る岬という意味)の展望台から雄大な景色を一望して、佐和田の浜に行く。
佐和田の浜は、ウッドデッキ三カ所・水洗トイレ・水シャワー・炊事棟・東屋と一通り最低限のものは揃っており、キャンプ可能なビーチである。※利用料:無料 開設期間:通年 連絡先:伊良部総合支所水産観光課 電話:0980-78-5513
また、佐和田の浜からほど近いホテル「てぃだの郷」ではホテルに宿泊していない人にも有料で自転車やスノーケルセットの貸し出しを行なっており、ホテル内のコインランドリー(200円)の利用も可能。
※てぃだの郷 電話:0980-78-5252
※この項は家出の手帳沖縄県のキャンプ場(http://tabinideyouze.blog106.fc2.com/blog-category-8.html)より転載
その、ホテル「てぃだの郷」の前を通り、下地島空港(注11)の北側を回って、通り池(注12)を見学してから、渡口の浜、牧山展望台(島で一番高いところにある展望台)を経て佐良浜港に着いた。
今回の訪島は、3時間余りで島を一周したが、機会があればゆっくりと滞在したい島であった。
12時35分のフェリー「ゆうむつ」に乗船する。
宮古島港から、与那覇前浜キャンプ場に帰る前に、石垣島で立ち寄った「電信屋」(石垣島編part3/6月4日)と関連のある「久松五勇士顕彰碑(注13)」に立ち寄る。
キャンプサイトに帰って、前浜漁港桟橋で、地元の子供たちの桟橋ダイブをしてから、石垣島楽園キャンプ場で一緒だった、大分の青年と夕日を見ながら酒を飲む。
東洋一のビーチに沈む夕日も素晴らしいが、山の無い平地の宮古島の星空も最高だった。
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6日目:6月28日(火) 晴 (オトーリ体験)
昨夜は、前浜桟橋で大分の青年と星空を見ながら酒を飲み10時に就寝した。
今日は、宮古島から沖縄に行く移動日。フェリーは18時出港予定なので、平良の市街地散策をすることに・・・8時に与那覇前浜キャンプ場を出発する。
国道390号平良交差点の直ぐ北側の漲水御嶽(はりみずうだき・注14)とその並びに在る豊見親墓(注15)を参拝してから、人頭税石(注16)を見て、海岸線を北上して砂山ビーチに行く。
砂山ビーチは、駐車場からの登り降りがちょっと大変だが、真っ白なパウダーの様な砂丘と、吹き抜けの洞窟が美しいビーチで、与那覇前浜でキャンプをしていた、長野の女性と男性2人が居たのでしばらく話をしてから市街地に戻る。
中心街のマクラム通りをぶらつき、ホームセンター・メイクマンで携帯コンロ用ガス口があったので購入する。
これまでは、キャンピングガスを使用していたが、カートリッジが高価なうえ、特に冬場に取り扱っている店を探すのに苦労したので、何処のスーパーでも置いてある携帯コンロ用のガスボンベを使用できるガス口を探していたが、やっと見つかった。
沖縄行フェリーの出航まで時間があるので、石垣港近くのバイナガマビーチでシュノーケリングをしてから、ハンモックで本を読みながらビールを飲んでいるところに、女4人、男2人の若者が1升瓶2本を持ってやって来た。1本は泡盛、もう1本は空瓶。
見ていると、空瓶に水を半分入れ泡盛を注ぎ、半分になった泡盛に水を注ぐ、都合2升の泡盛の水割りを作り、オトーリを始めた。
その様子を見ていると、女の子が一緒に飲もうと云ったので、ビーチ前のコンビニ・ホットスパーで1升瓶の泡盛を買って仲間に入ることにする。男女は地元の高校生だった。
女高生を酔いつぶしてやるとの助平根性で飲み始めたが、最初に男子学生2人がダウンして離脱。しかし、女達はすこぶる元気。一向に酔い潰れる気配はない。
聞いてみると、この子たちは物心ついた時から泡盛を飲んでおり、二十歳になったら酒はやめると、のたまう。
さすがに酔いが回って来た。これ以上付き合うと完全にダウンするので、女の子達に「フェリーの乗船時間が来たので」と云い訳をして座を抜ける。
宮古島フェリー乗り場には、“ゲロミキ”と“健ちゃん”“陳君”が居た。“ゲロミキ”は沖縄に、“健ちゃん”は名古屋へ、“陳君”は暫く宮古島に残留する。
一路沖縄へ。
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注1:有村産業(フェリ−飛龍、飛龍21)
会社破産に伴い、全ての航路は無期限運休中である。運航引き受け会社が現われない限り航路廃止となる見込みである。
2008年6月6日 - 全航路運航停止。
2008年6月23日 - 那覇地裁より更生手続き廃止決定を受け、事実上の破産、会社の解散が決定した。破産手続き開始決定は、2008年7月中の見込み。なお、2008年3月期現在の負債総額は約136億円。
注2:与那覇前浜
“東洋一の白い砂浜”がキャッチフレーズ。全長7qにもおよぶ純白の砂浜が延々と続き、ブルーの海とのコントラストが美しいビーチで、地元の人々の間では「マイバマ」と呼ばれている。ビーチ西側には来間島へと続く大きな橋が架かり、そこから眺める宮古島もまた絶景。透き通ったコバルトブルーの海とまぶしい白砂のコントラストは、ため息が出るほどの美しさだ。
ただし、浜辺でのんびりする、海水浴するのには最適ですが、海の中には魚も珊瑚も全くいないので、シュノーケリングには向いていません。それとトライアスロンのスタート・ゴール地点としても有名で、千人以上の選手がスタートする姿は壮観です。
キャンプ場
与那覇前浜の一部がキャンプ場として使えます。利用の際は下地町役場企画課(電話:980-76-6001)へ出向いて届け出が必要。利用料:無料、利用期間:通年
注3:池間大橋(いけまおおはし)
宮古島本島と池間島を結ぶ橋で1992年2月に開通しました。長さは1425mで、橋の上から見る海は思わず息を飲む美しさ。光線の具合で、特に午後には鮮やかなエメラルドグリーンに染まる。池間島の北には、日本最大級の珊瑚礁群「八重千瀬:やびじ、やえびし」がある。
関連:八重干瀬(やびじ、やえびし)
池間島の沖合い約5〜15kmほどに広がる浅瀬で、台礁というタイプの大小100以上のサンゴ礁からできている。旧暦の3月3日の大潮の干潮時に南北10キロ東西6キロにもおよぶ広い範囲(面積は宮古島の1/10程度にまでなる)が現れることから「幻の大陸」とも呼ばれている。その時期には、浜下り(宮古ではサニツという)の年中行事があり、何隻ものフェリーボートが大量のお客さんを連れて八重干瀬に横付けし、サンゴ礁に上陸する。何百人もの人達が、魚介類を捕りサンゴを踏みつける行為が「環境破壊」にあたるのか「伝統的な年中行事」なのか、地元でも議論が沸騰している。
注4:東平安名崎(ひがしへんなさき)
宮古島の最東端にある約2km・幅200mほどの美しい岬。右を太平洋、左を東シナ海に分け、断崖に荒波が押し寄せるさまは非常に迫力があり、日本都市公園百景にも選ばれている。また、整備された遊歩道の周辺では、県の天然記念物でもある天ノ梅やテッポウユリなど季節ごとにさまざまな花が咲き乱れる。
注5:マムヤの墓
マムヤという絶世の美女のお墓。マムヤは妻子ある男性と恋仲となるが、男性は妻を選んだため、絶望したマムヤは東平安名崎の断崖から身を投じたという言い伝えが残っています。
注6:上野ドイツ文化村
1873(明治6)年に上野村宮国の沖で座礁したドイツ商船ロベルトソン号の乗員を宮国村人が救助した。このような歴史的背景を基に、上野村はこの博愛美談を後世に語り継ぐため、1987(昭和62)年に建築構想を策定。平成4年に着工し、平成8年にグランドオープンした。
ドイツのマルクブルグ城を再現した「博愛記念館」はドイツ村のシンボルと言えるテーマパーク。お城ではチャペルウエディングも挙げられます。また「キンダーハウス」では子供用の遊具やドイツのおもちゃなどがあり、本物のベルリンの壁も展示してあります。
注7:来間大橋(くりまおおはし)
宮古島本島と来間島を結ぶ橋で1995年3月に開通しました。全長1690m、池間大橋と同じく、橋の上から見る海は美しく、時にはウミガメが泳ぐ姿が見えることもあります。
注8:竜宮城展望台
竜宮城をイメージして造られた3階建ての展望台。来間島で一番高い標高60mの丘の上に立ち、階段で上るとサトウキビ畑が広がる島の風景をはじめ、対岸の宮古島や来間大橋、伊良部島などを一望できる。正面に延びる真っ白なパウダーサンドの前浜ビーチと、コバルトブルーの海が織りなす風景は格別です。
注9:オトーリ(御通り)
車座になって泡盛を飲む酒宴での流行。参加者で「親」となるものが口上を述べた後、隣の参加者に自分が飲み使用したのと同じ杯に酒を注ぐ、注がれたものはその杯を飲み干す。それが、一巡すると「親」の隣の参加者が、新しい「親」となり、同じように口上を述べたあと、隣の参加者へと杯が続いていく。
起源は、16世紀頃に琉球王国の領地内で流行した中国式の乾杯である。その当時は、酒宴の開催者が来賓に酒を振る舞うために行っていたらしい。琉球王府時代、穀物の生産量が少なかったので、泡盛は首里でのみ製造を許可されていたため、庶民には非常に貴重品であった。そのため、量の少ない泡盛を酒宴の参加者に均等に分けるために行われた。
この16世紀頃の流行が、御嶽での祭祀の中に取り入れられ現代まで残ったと考えられる。この流行を起源とした風習は、宮古島の中でも限られた地域でのみ見られた。類似の風習が奄美諸島与論島にも残っており、与論献奉(よろんけんぽう)と呼ばれている。
近年になってから、泡盛の酒造メーカーが、泡盛の消費量を向上させるための宣伝で、居酒屋等でも行われるようになり全国に知れ渡った。
宮古地方には、泡盛のトップメーカー「菊の露」や「多良川」など全国的にも知名度の高い代表的酒蔵が多い。
注10:伊良部島・下地島
伊良部島は、宮古島から北西へ約4kmの海上に浮かぶ南方カツオ漁が盛んな漁業の島です。港のある佐良浜のほか、西岸に佐和田、長浜、国仲、仲地、伊良部の集落があります。
海岸線は伊良部島東側の牧山付近から北側の白鳥岬にかけて30m内外の海食崖がみられ、南側には岩礁海岸を埋めるように長山、渡口の浜などの砂浜が発達し、北西側には平成8年「日本の渚100選」に選ばれた佐和田の浜があり、美しい景観を作り上げています。また、佐和田の浜を包み込むように、沖合には 20キロの環礁が発達しており、昔より格好の漁場として重宝されています。毎年10月には、渡り鳥のサシバ(ワシ・タカの仲間)が飛来することで知られています。
下地島は、伊良部島の南西側に隣接する島。
両島間は水深2m〜4m、幅40m〜100m、長さ3.5km程の水道域が南北に走り、その上に6つの橋が架かっており、入り江には独特の景観が広がっています。
昭和54年に我が国唯一のパイロット訓練施設をもつ「下地島空港」が完成しました。また、島の西側海岸沿いにある浸食の池「通り池」は、沖縄県の天然記念物に指定されており、神秘的な雰囲気を漂わせています。宮古屈指のダイビングスポットとしても人気で、毎年多くの観光客が訪れます。
注11:下地島空港
日本唯一の民間パイロット訓練飛行場として、1979年(昭和54年)、公共用飛行場(第三種空港)として設置、羽田空港と同じ3,000mの滑走路が整備されている。
空港周辺は下地島でも有数のダイビングポイントが点在し、絵の具を流したようなその色に、飛行機ファンはもとより観光客も驚きの声を上げる、有数のポイントでもある。
訓練飛行場では、タッチ&ゴーの飛行機の姿が見えることからカメラを片手に多くの航空ファンも多い
注12:通り池
昔からいくつかの神話がある神秘的な池です。池は中でつながっていますが、空から見ると天然の石橋によって2つの池のように見えます。龍の目玉とも言われ、そのオリジナリティは全県的に有名です。池の大きさは海側が直径約75m、水深45m、陸側が直径55m、水深約25mです。神秘的な池の色と独特な景観が人気の的です。
また底は約10mの洞窟で外海とつながっており、そこを通って海面に出ることができます。絶好のダイビングポイントとしてつとに有名で淡水と海水の水質、温度差が作り出すサーモクラインと呼ばれる水中の現象は、刻々とその色を変化させる不思議な光景です。
注13:久松五勇士顕彰碑(ひさまつごゆうしけんしょうひ)
明治38年5月25日宮古島東方を北上している敵艦隊(日露戦のでロシアのバルチック艦隊)を発見したという情報を大本営と連合艦隊に報告することとなった。電信局は石垣島にしかなかったので、その報告書をそこに届けるよう依頼された宮古島松原、久貝の漁師5人が、石垣島まで170Kmの荒波の中をくり舟(サバニ)で命がけの航漕15時間、 陸上を5時間かけて石垣島電信局に至り電報を発信した。
しかし、電報は中継が多く連合艦隊に達したのは信濃丸の「敵艦見ゆ」の報告とは1時間遅れであり、あまり評価されることもなかった。 昭和の初期に至り、この事実が発掘され、中等国文教科書に「遅かりし一時間」と題する見出しで始めて世に紹介され、五勇士は沖縄県知事等から顕彰され、時の人となった。
注14漲水御嶽(はりみずうだき)
宮古島市平良(ひらら)地区の中心部にある宮古島創世の神話「人蛇婚伝説」が伝わる御嶽(うたき)。宮古島創造神の男神・古意角(コイツノ)と女神・姑意玉(コイタマ)が祀られており、宮古島全郡の信仰の中心にあたる聖域。ガジュマルの大木茂る境内を囲む石垣は1500年頃、仲宗根豊見親(なかそねとぅいみや)が築いたもの。
注15:豊見親墓
国指定重要文化財で、琉球王国時代から平良(ひらら)の頭職をつとめた忠導氏(ちゅうどうじ)一族ゆかりの墓三基(仲宗根豊見親の墓、知利真良豊見親の墓、アトンマの墓)のこと。
仲宗根豊見親は15世紀末〜16世紀初に宮古の首長をつとめた人物、知利真良豊見親は仲宗根豊見親の三男、アトンマは忠導氏一門の後妻(継室)のことである。
注16:人頭税石(じんとうぜいせき)
沖縄県宮古島平良字荷川取にある高さ143cmほどの石柱。他に「賦測石」(ふばかりいし、ぶばかりいし)などの呼び方がある。
薩摩藩が1609年に琉球王国を侵略し、1876年の琉球処分までの約270年もの間実質支配を続けていました。そして琉球王府に厳しい税を要求し、1637年、琉球王府は宮古八重山地方に重い人頭税を課すことになります。
石柱の高さ(高さ143cm)に身長が達すると、男性は 粟等、女性は上布の納税が義務付けられたと言われていますが、これは大正時代に民俗学者の柳田國男氏が「海南小記」という本に書いたことから有名になった説です。
しかしながら宮古島には1714年頃から正確な戸籍が記録されていたらしく、本当の所は、それ以前も役人が成人を見立てていて、それ以降は年齢を基準にして15歳 から50歳までの人々に人頭税を課税していたと言う説が有力です。
この石が、何のための石であったかについては、人頭税の課税の目安であるという説の他にも様々な伝承が残っており、いくつかの説が唱えられている。その中には、かつて蔵元(宮古島内の貢租を取り扱った場所)の中庭にあり、霊石信仰の対象であったとする説や、陽石、図根点とする説などがある。石垣島にも同様の形状の石がいくつか残っているが、農作業のための天体観測の基準点であるなどと伝えられている。
真実がどうであったにしろ過酷な重税に人々が悩まされていたことは史実で、それを忘れないため、そして将来もそのような事がないように記念碑として人頭税石があるのではないか。 |
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平良港

バイナガマビーチ

バイナガマビーチ(右下)と市街地

赤名宮

ウインディ・まいばま

与那覇前浜ビーチ・後方キャンプ場

与那覇前浜ビーチ・東急リゾート方面

与那覇前浜ビーチ・来間大橋方面

前浜キャンプ場テント場

前浜キャンプ場・WC・シャワー棟

前浜キャンプ場から見るビーチ

前浜キャンプ場・遊歩道

宮古島空港

宮古島空港導入路

島尻マングローブ林

島尻渡瀬(わたらせ)

狩俣遠見台入口

狩俣遠見台

西平安名崎(にしへんなさき)

池間大橋1

池間大橋2

東平安名崎(ひがしへんなさき)灯台

東平安名崎灯台からの景色・右保良漁港

マムヤの墓

保良漁港

多良川酒造本社

ドイツ文化村入口

ドイツ文化村博愛記念館

来間大橋

タコ公園入口石畳

タコ公園

タコ公園横入江

竜宮城展望台

竜宮城展望台から見る前浜ビーチ

博愛わいわいビーチ

イムギャーマリンガーデン・山頂左展望台

イムギャーマリンガーデン・展望台の牛

イムギャーマリンガーデン・展望台からの景色

イムギャーマリンガーデン・展望台からの景色2

ムイガー断崖

ムイガー展望台から見る七又海岸、真中左道路際の白い支柱が湧水標柱

ムイガー湧水標柱・草むらの奥が崖上

崖上から見るムイガー湧水

新城(あらぐすく)海岸1

新城(あらぐすく)海岸2

平良港伊良部島行き乗場

フナウサギバナタ1

フナウサギバナタ2

佐和田の浜2

下地島空港

着陸する飛行機

通り池入口

通り池

牧山展望台

フェリー「ゆうむつ」

久松五勇士顕彰碑1

久松五勇士顕彰碑2

前浜漁港桟橋ダイブ・後方は来間島

漲水御嶽1

漲水御嶽2

仲宗根豊見親墓

知利真良豊見親墓

アトンマの墓

人頭税石

砂山ビーチ入口

砂山ビーチ洞窟
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