項目
■ヨロン島
概要
地図
地図1:与論島位置地図
地図2:ヨロン島全島地図
地図3:キャンプ場周辺地図
■中継地沖縄
6月29日(水) 晴 (那覇市樋川1丁目・ドミトリー)
■ヨロン島・大金久(おおかねく)キャンプ場
1日目:6月30日(木) 晴 (ヨロン島再訪問)
2日目:7月1日(金) 晴 (島内1周ポタリング)
3日目:7月2日(土) 晴 (“むぎ”奄美大島に出発)
4日目:7月3日(日) 晴 (洞窟探検)
5日目:7月4日(月) 晴強風 (プロ写真家来訪)
6日目:7月5日(火) 晴 (ヨロン島歴史探訪)
7日目:7月6日(水) 晴 (子犬との悲しい別れ)
※本文中赤字は写真あり
■注
大金久(おおかねく)キャンプ場、大金久(おおかねく)海岸、皆田離(みなたばなり)、城跡(与論城跡)、サザンクロスセンター、奄水(あまんじょう)、赤崎御願(あーさきうがん)、按司根津栄(あじ・にっちぇ)神社、磯武里墓(磯振墓:いしゅぶりはか)、高千穂神社
■写真
那覇港、大金久キャンプ場1、2、大金久キャンプ場・炊事棟、大金久海岸1、大金久海岸2、自然探索路1、2、3、4、皆田海岸、皆田離(みなたばなり)、黒花海岸、寺崎海岸、宇勝海岸、ウドノス海岸、茶花海岸、兼母海岸・パラダイスビーチ、昇竜橋、昇竜橋東屋、城跡、サザンクロスセンター、赤崎鍾乳洞、サバニ、前浜海岸、ハミゴー草原、崖下墓、洞窟への道・縦穴、洞窟への道・横穴、洞窟1、2、シゴー・風葬墓、奄水(あまんじょう)の碑、赤崎御願、按司根津栄(あじ・にっちぇ)神社、磯振墓(いしゅぶりばか)、高千穂神社、屋井(やごー)入口、屋井(やごー)、網干し場、按司根津栄翁浜宿の跡碑、与論港、与論港上部の岩場一帯が遊歩道、与論港遊歩道、ヨロン駅、子犬
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与論島(よろんじま)
与論島はサンゴ礁が隆起してできた、奄美諸島に属する鹿児島県最南端の島。面積 20.8km2 海岸線長 23.5km 最高標高 98m 人口約6000人。「よろんとう」ともよばれるが、正式名称は「よろんじま」。「与論」という名前はかつて「ユンヌ」と呼ばれていたものが変化したもの。
南に沖縄本島最北端の辺戸岬が見えるほど沖縄県に近く、文化的にも沖縄に近い。
一島一町で、鹿児島県大島郡与論町。1983年にミニ独立国「パナウル王国」を建国した。主産業は農業と観光。
島の周囲はリーフで囲まれた、美しいサンゴ礁の島である。ギリシア・ミコノス市の風景と似ていることから、姉妹都市協定が結ばれている。
島で唯一製造されている黒糖焼酎「有泉」は、ほとんどが島で消費される。客人をもてなす時などは、与論献奉と呼ばれる島流の飲み方で有泉を飲む。
与論献奉(よろんけんぽう)
与論島への客人をもてなす習慣で、焼酎を人数分まわし飲みをする儀式。
最初に、親(ホスト)となる人が大きな杯に親が決めた量の焼酎を入れて、自己紹介を兼ねた口上を述べてから飲み干す(この時に、杯をひっくり返して残っていない事を見せる)。また、飲み干した杯に数滴残った焼酎を手のひらにとって自分の頭につけ、神(髪)に返す。次に、親が注いだ焼酎を子(ホスト以外の人)が飲み、杯を親に返す(このとき、子は受け取った杯を手から離して置いてはいけない)。親はこれを子の人数分繰り返し、それが終わると親が交代しこれを繰り返す(これと似たものに、宮古島の「オトーリ」がある)。
ただし飲酒を無理強いするものでは無く、親が焼酎を注いでいる時に「トォー(与論の方言でストップの意味)」と言えば注ぐのを止めるほか、飲めない場合は杯をそのまま親に返しても良い(その場合は親が代わりに飲む)。
元々は、琉球や薩摩から統治の為に送り込まれて来る役人への接待や情報を聞き出す為など、厳しい支配下に置かれる事の多かった与論島民が生き抜いて行く為の手段だったと思われる。また、親が最初に飲んで杯をひっくり返して見せるのは、毒物を入れていないことを役人に見せて安心させる為に行った名残りという。
公共施設
小学校は3校(茶花・那間・与論)、中学・高校は1校ずつ(与論町立与論中学校、鹿児島県立与論高等学校)あり、連携型中高一貫教育を行う。
郵便局は与論・朝戸・那間簡易の3局。
金融機関
奄美大島信用金庫与論支店
交通
【空路】:与論空港
日本エアコミューター(JAC)
鹿児島空港
沖永良部空港
※かつては奄美空港へも就航していたが現在は休止しており、沖永良部空港経由での利用で直行と同額の割引運賃が設定されている。
琉球エアーコミューター(RAC)
那覇空港
【航路】:与論港
マリックスライン・マルエーフェリー(2社で毎日運航)
鹿児島港(新港)〜奄美大島(名瀬新港)〜徳之島(亀徳港)〜沖永良部島(和泊港)〜与論島(与論港)〜本部港〜那覇港(那覇ふ頭)
所要時間:鹿児島より約20時間、那覇より約4時間40分
マルエーフェリー
神戸港(六甲船客ターミナル)〜大阪港(南港)〜宮崎港〜奄美大島(名瀬新港)〜徳之島(亀徳港)〜沖永良部島(和泊港)〜与論島(与論港)〜那覇港(新港ふ頭)
所要時間 神戸より約39時間、大阪より約38時間、宮崎より約20時間、那覇より約4時間
※奄美群島内の寄港地には寄港しないことがある。なお2006年10月以降、宮崎港への寄港は休止されている。
【料金】 (大人,2等)
鹿児島→ヨロン:13,000円(毎日運行)
那覇→ヨロン:4,100円(毎日運行)
東京→ヨロン:22,300円(約1週間に1度運行)
神戸・大阪→ヨロン:17,700円(約1週間に1度運行)航路・所要時間
観光
【イベント】
ヨロンマラソン(日本陸連公認)
毎年3月初旬に開催される。種目は、フルマラソン・ハーフマラソン・リレーマラソンがある。制限時間は7時間となっているが、コースで走っている限り止められる事はまず無い。
【名所】
百合が浜百合ケ浜
奄美十景の1つ。大金久海岸の約1.5km沖合に、干潮時に姿を現す砂浜。大金久海岸からグラスボートで約5分。(2000円:2007年12月現在)
大金久海岸
兼母海岸(サンセットビーチ)
与論民俗村
サザンクロスセンター
与論城跡
ヨロン駅
【特産品】
塩:沖縄との間の海域にて、水深500mからくみ上げた海洋深層水から作られた塩。(商品名「ましゅ」は、方言で塩の意)
きび酢:サトウキビの絞り汁を壷で発酵、長期熟成させて作る。
外部リンク
与論島観光協会:http://www.yorontou.info/
与論町役場:http://www.yoron.jp/
以上出典: フリー百科事典・ウィキペディア(Wikipedia)
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6月29日(水) 晴 (那覇市樋川1丁目・ドミトリー)
昨夜10時に宮古島平良港を出港フェリーは、定刻の朝6時に那覇新港に到着した。
今日は、東京の“ゲロミキ”(与那国島、石垣島、宮古島で行動を共にした元幼稚園の先生)が予約していた那覇市内のドミトリーで1泊してから、明日の朝に鹿児島方面に向かう予定。
下船し、待合所で朝食を摂ってから、那覇港に寄って、鹿児島行きフェリーの時刻表を貰い、宿泊予定地のドミトリーに行く。
ドミトリーは那覇高校交差点を西進して、次の開南交差点の南西角の一角に受付があった。夕食付で¥1,500と云う超安宿である。宿泊手続きをしてから、荷物満載の自転車にシートで覆い雨支度をして、国際通り近くのサウナ(入浴料¥950)に行く。
久しぶりの入浴。サウナでゆっくりとくつろぎ、心身共にリフレッシュ。国際通りをぶらつき、水着を買って、ドミトリーに帰る。
“ゲロミキ”は夕食付と云ってはいたが、若い女性用のサービスではないかとも思い、弁当とビールで夕食を済ます。
そんな心配を他事に、夕方“ゲロミキ”がバーベキューをすると云って呼びにきた。2階にある手造りのテラス風な所で、オーナーがバーベキューの材料を炭焼しており、若い女の子2人が手伝っていた。
バーベキューと御飯は無料だが、ビールは1杯¥200。夕食付は本当だった。
このドミトリーの宿泊者は女の子が多い。オーナーは神戸市灘区出身の男性で、阪神大震災後沖縄に来て当地で安宿を開業したらしい。若い子達に交ざって12時過ぎ迄楽しんだ。
途中“むぎ”(石垣島・楽園キャンプ場、与那国島で一緒だった19歳の女の子)から“ゲロミキ”に電話があった。
“むぎ”は、石垣島から、浦添市(沖縄県)で教師をする実兄の家に行っていたが、兄に自転車を買ってもらったので、明日の鹿児島行きフェリーに乗るとの事。那覇港フェリー乗場で落ち合う約束をする。
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1日目:6月30日(木) 晴 (ヨロン島再訪問)
4時30分に起床。5時過ぎに那覇港フェリー乗場に着いた。
次の旅の目的地は屋久島であるが、本年3月25日鹿児島県志布志港から、ヨロン島に寄ってから先島諸島に入り、ヨロン島から屋久島間の奄美諸島を飛ばしてきたので、今回は、沖永良部島〜徳之島〜奄美大島を経由して鹿児島から屋久島に行く計画を立てていた。
那覇港フェリー切符売場で、乗船券購入時、各島ごとに乗船券を購入するより、那覇から鹿児島間の乗船券を購入して、有効期間7日間で各島を訪問すれば安く付くことを聞いたので、鹿児島までの乗船券とヨロン島までの自転車運賃を支払い乗船手続きをする。
“むぎ”は、6時に、自転車の後部荷台に荷物を積んでヨタヨタする感じでやって来て、奄美大島までの乗船券を購入した。
那覇港を出港したフェリーがヨロン島に到着する間際になって、“むぎ”が船内案内所情報として、有効期間の7日間は那覇〜鹿児島間。つまり、那覇出港時を含め7日目に鹿児島に着かなければ無効になると云ってきた。
各島7日間の有効期間と勘違いをしていたので、予定が立たない。
船長に事情を説明して、那覇・鹿児島までの乗船券をキャンセルして、那覇・ヨロン島の乗船券を購入できるか問うたところ、船内でのキャンセル手続きは不可で、30日以内に発券場所の那覇港に直接出向けばキャンセル可との回答。
これから奄美諸島から屋久島、種子島等を回って30日以内に再度那覇に入るのは困難と判断して、乗船券の有効期間の7日間を勝手知ったるヨロン島で過ごすことに決定し、下船する。
前回ヨロン島は3月26日から4月4日までの10日間を過ごした。たかが10日間と云うなかれ、小さい島なので隅々まで散策したので我が家同然の島。但し夜のヨロン島は無知。
取敢えず、島の西端に在る与論港から東端の大金久(おおかねく)キャンプ場(注1)に向かう。約5キロ弱の距離だが単車から自転車に乗り換えた“むぎ”にはきつい距離だった。
何度かの休憩をしながら、大金久キャンプ場に到着。キャンプ場入口の「一休食堂」で使用料を支払い、それぞれの場所にテントを張る。“むぎ”は石垣島では“野の爺”のテントを借りていたが、今回は自前のテントを持参していた。
遠くから我々を見ている子犬がいる。
大金久キャンプ場の先住者で、塾の先生をしていたが退職して旅をしている30歳前後の男性に「あなたの犬ですか」と問うたところ、「あの犬は、この辺に住み着いている野良犬で、警戒心が強く、人には近づかない」との事だった。
この男性(命名:塾の先生)を交え3人で夕食をしてから、大金久海岸の浜に出て酒盛り。
深夜砂浜に寝転び空を見ると満天の星空が・・・南の島々は何処も星空が素晴らしいが、前回ヨロン島訪問時は夜空を見る機会が無かった(と云うよりも、暗くなる前に寝ていた)ので、今回ヨロン島の夜空の素晴らしさを改めて認識することが出来た。
相変わらず遠くから我々を見つめる、昼間の子犬が居た。
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2日目:7月1日(金) 晴 (島内1周ポタリング)
6時に起床。大金久キャンプ場は、ヨロン島で1番広い大金久海岸(注2)に隣接しており、また、海岸沿いのモクマオウの木の暴風林の中を縫うように、百合ケ浜自然探索路が通っている。
この自然探索路を散歩していると、後ろから子犬がついてきた。振り返ると子犬は止まり、子犬の方に近寄ると逃げる。
子犬は、人間に対し、10m程の距離を保っている様子。そんなに人間が怖いならば他に行けば良いのに、距離を保ってついてくる。
朝食時にも、こちらを見ている。動物には餌を与えないのが基本姿勢だが、朝食のご飯に味噌汁とおかずを入れて近づいてみたが、逃げてしまう。
過去に相当悲惨な目に会ったのか、異常な警戒心。何とか心を解してやりたい。取敢えず犬のご飯を置いておく。
今日は“むぎ”のガイド役。時計の反対周りに島を1周することにする。
まず、大金久キャンプ場仲間の“塾の先生”の情報によるシュノーケルポイント・皆田海岸に向かう。
皆田(みなた)海岸には小さな漁港と、沖合には皆田離(みなたばなり・注3)と呼ばれる小島があった。
皆田離付近でシュノーケリングをしてから、黒花海岸方面に泳いで行くと、沖合で停船中の漁船から、数人の人達がダイビングをしていたので、近づいて行き、周辺をシュノーケリングをしていたら、海中から突き出る塔のような柱を発見する。
“むぎ”が気持ち悪いので上がると云ったので、浜に引返し、寺崎海岸、宇勝海岸、品那海岸、ウドノス海岸、茶花海岸、兼母海岸・サンセットビーチをポタリング(自転車散歩)して、空港傍のレストラン・蒼い珊瑚礁で「もずくそば」で昼食。
食後、蒼い珊瑚礁下にある、ウミガメの産卵地パラダイスビーチを散歩して、与論島の南海岸沿いを走り、川ではなく崖に掛けられている昇竜橋の脇にある東屋(九州なのに何故か沖縄返還記念碑がある)で休憩してから、城跡(注4)琴平神社を経て、サザンクロスセンター(注5)に入館する。
入館者は我々2人だけ、5階展望台に居る時に、与那国島・どんぐりと山猫のヘルパーで、石垣島と宮古島で一緒だった“健ちゃん”から電話があり、名古屋で働くことになったが、その前に単車で、青森のねぶた祭りに行くと連絡があった。
話は逸れるが、南の島のキャンパーの多くは、冬の時期は南の島々でアルバイトをして過ごし、夏の時期には北海道に渡ると云った事を繰り返している。が、その人達の殆どが、北海道に渡る前に、青森のねぶた祭りに行くのが定型化している様子。なぜと聞いたことがあるが、その時の回答は、「青森のねぶたは、参加料さえ支払えば誰でも祭りに参加でき、ラッセ・ラッセの掛け声と飛び跳ねるだけの踊りの単純性から」だった。
サザンクロスセンターを出て、赤崎鍾乳洞に寄ってから、キャンプサイトに帰る。
キャンプサイトは大勢の人達で賑わっていた。サバニ(琉球列島の漁業従事者に古くから使われていた漁船)で広島を出発して、島伝いに航海して奄美諸島を経てヨロンに来たらしい。
男に交じって紅一点若い女性が居た。東京から自転車で日本一周中にサバニの男性たちと知り合い、意気投合してサバニ航海に参加しているとの事だった。
サバニの人達(男7人、女1人)以外に、新しい男女2人のキャンパーが来ていた。女の人は、西表島ミトレアキャンプ場、石垣島楽園キャンプ場で一緒で、与那国島(1回目訪問時)の民族資料館で、池間 苗おばあちゃんの説明を一緒に聞いた“静ちゃん”。本名なのか、静岡ナンバーの単車に乗っているからなのかは知らない。各所でパートナーが違うので、親しく話したことはない。明日ヨロン島を立つらしい。
テント前に子犬が寝ていた。何時もは炊事棟近くにいるが、今日は人の出入りが多いので、引っ越してきたのかなぁ・・・唯今と声を掛け近づくと後退りをする。警戒心は相変わらず。
キャンプサイトの炊事棟横に置いてあった犬のご飯は無くなっていた。子犬が食べてくれた。晩御飯も我々のテーブルの横で食べた。
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3日目:7月2日(土) 晴 (“むぎ”奄美大島に出発)
朝起きると、子犬はテントの横で寝ていた。浜辺の散歩にもついてくる。その距離は2〜3mに縮まっている。
大金久キャンプ場の浜辺側には、ハンモックの上に蚊帳代わりの覆いをして寝てる人達が居た。サバニの人達。さすがと思わず声が出る。
浜辺を北に行くと、コンクリート製の四角い小屋の上にテントがあった。凄い所にテントを張っていると感心していると、中から出てきたのはサバニの紅一点、東京の女性だった。
サバニの人達は、6時過ぎに浜辺に集まって来て、出発の準備をしていた。準備を終えたのに出発する気配が無い。東京の女性に聞くと、食料や飲料水を冷やす氷を買いに茶花市街地に行くがどこにも売っていないので、困っているとの事。
急いで近くの亀屋商店に行くと、シャッターは閉まっていたが、外に店の人が居たので、事情を話し、氷を分けてもらい、サバニの人達にプレゼントする。
船の安定性を高める為、船に平行にフロートが付いている(アウトリガーと云うらしい)2隻のサバニに乗り込んだ人達は、櫂(かい)を使って船を進め、沖合で帆を揚げ帆走状態になると、東京の女の子は立ち上がって何時までも手を振ってくれた。
思わずガンバレ!さようなら!と大声をあげていた。
ジーンとくる。涙もろくなった。
11時30分に与論港に行く。今度は“むぎ”と“塾の先生”の見送り。
出航間際に、キャンプ仲間の静ちゃんの同伴者の男性がやって来た。静ちゃんとは、途中まで一緒だったが、道を間違い、男性はUターン。静ちゃんは、同じ道を引き返さない主義なので、遠回りをしているとの事だった。
しかし、フェリーは何時までも待ってくれない。後部ゲートが閉まり、階段も取り外された時に、静ちゃんがやって来た。
どうなることと思ったが、再び後部ゲートが下りてきて、無事乗り込むことが出来た。どんなことがあっても来た道を引き返さない主義にあきれると同時に感心もした。
縁があれば、“むぎ”にも“静ちゃん”にも何処かで会えるでしょう・・・
キャンプサイトに帰ると、テント前で子犬が待っていた。
浜辺を散歩すると子犬が1m以内に入って来ているではないか。でも、手を差し出すと逃げてしまう。
夜は久しぶりに明るい内にテントに入った。
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4日目:7月3日(日) 晴 (洞窟探検)
昨夜は6時に就寝して、5時30分に起床。よく寝た。
今朝も子犬と散歩する。殆ど手が届くところ迄近づいてきた。ご飯もすぐ横で食べるようになった。でも手を差し出すと後退りする。
子犬は何処に行ってもついてくるが、ついてくる範囲がある事が分かった。キャンプ場を含め海岸沿いはフリーの様子。浜辺から暴風林を隔てて、大金久海岸に沿って道路が走っており、北の船倉の崎に入る角と南側のテニスコートの先に墓がある。南北の範囲は墓と墓の間。道路の西側には行かない。何故かは子犬に聞いていないのでわからない。
今日は、大金久キャンプ場に到着した時に居た、“塾の先生”に教えてもらった「洞窟」探検に行くことにする。
“塾の先生”が書いてくれた地図を頼りに、島の南にある風車を目印に、前浜海岸に行く。
前浜海岸の西側の岩場の先。道路から行くと、前浜海岸を通り越し、次の三叉路を海側に降りて、突き当り手前に、少し小高い丘の前に草原広場がある。ここがハミゴーと呼ばれる所か?
この広場では昭和の初期までは旧正月の五日から七日までの三日間、島内の多くの独身の男女が三線、太鼓を持ち寄り唄と踊りに酔い痴れ歌垣遊び(歌を懸け合って楽しむ遊びのこと)を行っていた場所。今風に云えば、合コンの場所でもあった。
この草原の先の崖下に墓があり、それを下がると、人一人が降りられる穴がある。その穴を下りると、横穴がある。その3m程の横穴の先に、洞窟があった。
この海食洞窟は、西向棚(いーむっけたな)とも、中棚岩穴(なかだないよー)とも云うらしいが、確認はしていない。
ヨロン島にこんな素晴らしい洞窟があるとは驚きと同時に、観光コースに入っていないことに疑問を感じた。
ただただ、教えてもらった“塾の先生”に感謝。
“塾の先生”からは、この洞窟だけでなく、この海岸の西側の岩を登っていくとアダンが密生しており、その道跡を抜けると、隣の海岸に行ける。この先が、シゴーと呼ばれる風葬墓のある場所と教わる。(未確認)
事実はともかく、久しぶりに探検気分を満喫できた。機会があれば、干潮時に前浜海岸から岩伝いや、泳いで行くコースに再挑戦したい場所でもあった。
大金久キャンプ場に帰ると、何時ものように子犬がテント前に居た。
夕食は、子犬と一緒に浜辺の東屋で摂る。食後子犬に手を差し伸べるが逃げない。体を撫でることはできないが、素早くタッチすることができ、子犬は初めて尻尾を振り、じゃれる仕草で自分の周りを飛び跳ねていた。
子犬と共に、浜辺の北から南迄散歩する。至福。
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5日目:7月4日(月) 晴・強風 (プロ写真家来訪)
朝から子犬と一緒に、百合ケ浜自然探索路や砂浜を散歩してから、キャンプサイトに帰ると、炊事棟横に大型テントが設営されていた。家族連れが来たものとばかり思っていたが、自転車の手入れしている最中にテントの所有者が、スズキのジムニー(軽自動車)に乗って帰って来た。
奄美大島で田代写真館を経営するプロの写真家の田代さん。
田代さんは、若いころは写真では食えないので、運転手や土方をしながら全国を旅し、山岳写真を撮っていたが、師になった人から、動物写真への転換を勧められ、それ以降、動物の写真が売れるようになり、曲りなりにも写真一本で生活できるようになった。
テレビ番組の収録で奄美大島を訪れ、国の特別天然記念物アマミノクロウサギの撮影に成功して以来、奄美に魅せられ、永住。
撮影助手だった女性とも結婚でき、一人息子にも恵まれ、息子は奄美高校の生徒だが、撮影助手をしてくれ、写真館は妻任せで、本人はキャンピングカーを使用して全国を回り写真を撮り、現在は風景写真家としてそれなりに名を馳せ、南西諸島の風景写真の注文が多く、今回も東京のカレンダー会社の依頼で、百合ケ浜の写真撮影に来たらしい。
その他、写真家の現況や写真の値段や写真協会の裏話等を聞いて半日が過ぎた。
夕方には、50ccの単車に乗る大阪の青年もやって来た。
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6日目:7月5日(火) 晴 (ヨロン島歴史探訪)
明日は、ヨロン島を出発するので、今日は実質最終日。最後を記念して、ヨロン島の歴史を探訪することにする。今回のコース情報は、一昨日の洞窟探検同様“塾の先生”からのもの。
身を清める意味もあって、早朝から百合ケ浜泳ぐ。子犬は海が嫌いなのか、浜辺で待っていた。
泳いだ後に子犬と朝食をして、歴史探訪に出発。子犬は何時ものように道路の墓横まで見送りに来てくれ、何処かに行ってしまった。
まず最初に、赤崎漁港に出る直前の道端にある、湧水場所の奄水(あまんじょう・注6)へ。
奄水(あまんじょう)から、与論民俗村の西、赤崎鍾乳洞の北側の小高い丘の中にある拝所・赤崎御願(あーさきうがん・注7)を参拝して、朝戸郵便局の北東にある、按司根津栄(あじ・にっちぇ)神社(注8)と、その周辺にある、磯振墓(いしゅぶりばか・注9)や、水汲み場で、向かい同士にある木下井(しーしちゃごー)、神井戸(かみごー)の2つの井戸を見てから、与論中学裏手にある高千穂神社(注10)を参拝する。
観光名所の琴平神社はパスして、神社山門から東に入り、城自治公民館の裏手にある湧水の井戸・屋井(やごー)見学し、一旦キャンプサイト帰り昼食。
昼からは、大金久海岸の北端の突起部の船倉の岬に行き、「網干し場」や「祭り石」。そして、網干し場の奥にある「按司根津栄翁浜宿の跡」の石碑を見学する。
この場所が旧暦3月3日には、祭祀が行われる黒花御願であると思われる。思われるのは、黒花海岸と聞いていたので、間違っているかもしれない。
この船倉には、海を見渡せる狭い広場にコンクリート製のテーブルとイスが設置されており、物思いに耽るには絶好の場所でもあった。
夕方、“むぎ”から、「徳之島を経て奄美大島に入ったが、自転車での移動は思ったよりハードで、今日はバイクの後部に乗せてもらって島を半周し、現在フェリー乗場に居る。今日の船で喜界島に渡り、その後屋久島に行く予定」と云う連絡があったので、明日の便でヨロン島を立つ事を伝える。
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7日目:7月6日(水) 晴 (子犬との悲しい別れ)
子犬は朝から元気が無い。昨日までは、朝のパンと牛乳は喜んで食べていたのに、今朝は口をつけずに座っている。
パンと牛乳から、ご飯とみそ汁に缶詰を混ぜるが食べない。今日の別れを知っているの・・・別れを悲しんで喉を通らないと云う風にも見え、悲しみが倍加。涙が出てくる。
犬側から云わせると、せっかく仲良しになれると思った人間が去っていく。新しく来た人間の正体は解らない、一からやり直しや・・・と考えているのではないかと思うと不憫でならない。
しかし、無理に一緒に連れて行くことは不可能。せめて、頭を撫でることを容認すれば、連れて行こうと決心したが、結果それもままならず。
写真家の田代さんに事情を話し、朝晩の餌をと頼むと、快諾してくれたので一安心する。それにしても子犬は食事をしない。子犬に謝罪する。
何処に行くにもついてきた子犬。今日は何処かに行ってしまったのか後を追ってこない。
子犬よ本当に御免な。
10時に与論港に到着。出航までの時間を利用して、与論港の北西に広がる珊瑚礁岩の遊歩道を散策し、パロデーのヨロン駅や廃校跡等を回って、12時30分定刻出航のフェリーにて、鹿児島に向かう。
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注1:大金久(おおかねく)キャンプ場
場所:鹿児島県大島郡与論町大金久(おおかねく)海岸
施設:水道、炊事棟、トイレ、シャワー、テントサイト18箇所、バンガロー2棟
料金:テントサイト(1人1泊¥350)、バンガロー(1人1泊¥610)
※水道、シャワー使用料¥100込み
問合せ先:与論町役場商工観光課 0997−97−3111
手続き代行:キャンプ場入口の「一休食堂」 注2:大金久(おおかねく)海岸
与論島で一番大きい長さ約2kmの白い砂浜で、1.5キロ沖合には、干潮時のみに姿を見せる百合ヶ浜があり、グラスボートで渡れ、海岸沿いにはモクマオウ林が続き、周辺にはキャンプ場やバンガローなどの施設がある。
大金久海岸入口には、一休食堂やテント張りの土産物店に百合ケ浜グラスボート事業組合の案内所がある。案内所では、グラスボートに乗って、名ガイドの船長が珊瑚礁の海を案内しながら百合ケ浜に渡る申し込みが出来る(料金は次の通り)。
料金
百合ケ浜送迎 2,000円
海中公園案内 2,000円
シュノーケルコース3,500円
貸切15,000円
また、入口手前には、民宿や喫茶店が、南側にはテニスコートやダイビングショップもある。
注3:皆田離(みなたばなり)
皆田海岸の沖合50m程のところにある離れ小島。潮が引くと海岸から歩いて渡れ、皆田離の周辺は遠浅で貝や魚、海藻などが多く、釣りやシュノーケリング、潮干狩りなどの遊びが楽しめる。
注4:城跡(与論城跡)
1405〜1416年の間に琉球北山怕尼芝王の三男の王舅(オーシャン)が与論之主として来島し築城を計画した。しかし、ほどなくして北山王が滅亡したために、未完成のまま200mあまりの石垣が残った。石垣は、大地に身を伏せて島を守る龍の姿にたとえて造られたという。
注5:サザンクロスセンター
南十字星が見える最北端の島なので、サザンクロスの名を付けられた、小高い丘に建つ一風変わった5階建ての建物は、与論の歴史、文化、自然が詰まった資料館。
入館料:大人200円、高大生150円、小中学生100円。
営業時間:9時〜17時30分。 休館日:月曜 注6:奄水(あまんじょう)
3000年程前、与論島に初めて人間が渡来した時に、わき水が出ていた場所(奄水)を発見し、そこに定住したのが島の始まりとされている。
注7:赤崎御願(あーさきうがん)
与論の祖先神、アマミク(天御子・女神)と、シニグ(稲穀の神・男神)という両神が仮の居所としたと云われ、神聖な場所としてシマンチュ(島人)に崇められている。
注8:按司根津栄(あじ・にっちぇ)神社
琉球王の侵略(1300年ごろ)に対し、果敢に戦い、与論を守り、戦死した英雄・按司(アジ=豪族)ニッチェーを祭る。境内には頭骨三体や遺品を安置する頭骨安置祠もある。
注9:磯武里墓(磯振墓:いしゅぶりはか)
初代与論王・花城真三郎(1512年〜)・2代・殿内与論主、7代・田畠首里主の三柱が祀られている琉球式の墓。
注10:高千穂神社
1870(明治2)年に、高千穂神社が建立されたが、観光名所にもなっている琴平神社に比べると、高千穂神社は与論中学校の裏手に建っていて場所的にも分かり難いいため、朝戸集落以外の人は御参りしない神社で、神社の裏手からは、島の北側を海まで眺めることができる。
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那覇港

大金久キャンプ場1

大金久キャンプ場2

大金久キャンプ場炊事棟

大金久海岸1

大金久海岸2

自然探索路1

自然探索路2

自然探索路3

自然探索路4

皆田海岸

皆田離(みなたばなり)

黒花海岸

寺崎海岸

宇勝海岸

ウドノス海岸

茶花海岸

パラダイスビーチ

昇竜橋

昇竜橋東屋

城跡

サザンクロスセンター

赤崎鍾乳洞入口

サバニ

前浜海岸

ハミゴー草原広場

崖下墓

ハミゴー縦穴

ハミゴー横穴

ハミゴー・洞窟1

ハミゴー・洞窟2

シゴー風葬墓

奄水(あまんじょう)

赤崎御願

按司根津栄(あじ・にっちぇ)神社

磯振墓(いそしんはか)

高千穂神社

屋井(やごー)入口

屋井(やごー)

網干し場

按司根津栄翁浜宿の跡碑

与論港

与論港上部の岩場一帯が遊歩道

遊歩道

ヨロン駅

子犬
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