| 14~1500万年前 |
海底の隆起によって海面に岩塊の一部が現れ、屋久島の原形がつくられた。 |
| 約7000年前 |
屋久島に人が住むようになる。島内数箇所に分布する縄文・弥生遺跡から推測される。 |
| 607(推古15)年 |
中国の歴史書『隋書』に、「夷邪久(いやく)国」の記述で屋久島の名が文献に登場する。 |
| 616(推古24)年 |
日本書紀に掖久(やく)人30名が帰化したとあり、以降、日本の歴史に「掖玖」・「夜句」・「邪久」として登場する。 |
| 753年(天平勝宝5)年 |
唐の高僧で律宗の開祖・鑑真和上(がんじん わじょう)一行の遣唐使船が薩摩坊津(現在の鹿児島県南さつま市)に到着前に、屋久島南部の原・尾之間に上陸する。 |
| 1185年(元暦2)年 |
平家滅亡後、平家落人(おちうど)が屋久島に移り住む。 |
| 1488(長享2)年 |
京都本能寺の日増上人が来島。妙法法華経を唱えることで、山の鳴動を収めた史実から、屋久島の全集落に法華経の寺院が建立され、布教のために京都本能寺、尼ケ崎本興寺から多くの僧侶が来島し全島が法華宗となる。 |
| 1543(天文12)年 |
種子島に鉄砲が伝来。同年3月、大隈の禰寝(ねじめ)氏と種子島氏との間の屋久島の戦で初めて鉄砲が使用され、禰寝氏が勝利、屋久島を領有する。 |
| 1586(天正17)年 |
豊臣秀吉による京都方広寺の大仏殿の建立用材献上の命によって屋久杉が建材に採用される。豊臣秀吉が屋久杉の存在を知ったのは、布教の為屋久島を訪れた僧侶達からと云われる。 |
| 1595(文禄4)年 |
太閤検地により屋久島・種子島・口永良部島は、島津氏が領主となる。公儀(幕府)や島津氏が材木を必要とする以外の伐採を禁ずる「屋久島置目」が出され、屋久島奉行所が置かれる。 |
| 1640(寛永17)年頃 |
屋久島安房の出身、泊如竹(とまり じょちく)は、島津家第19代当主光久に屋久杉の活用について進言、以後屋久杉の一般的活用が始まる。 |
| 1708(宝永5)年 |
イタリア人宣教師ショバンニ・シドッチが侍の姿に変装して屋久島・小島の浜に潜入上陸する。薩摩藩はこれを機に、外国船や密輸船の監視の為、宮之浦、一湊、安房に番所(番屋)を設置する。なお、同人は、翌年江戸に護送され、切支丹屋敷へ幽閉され、1714(正徳4)年獄死したが、その時語った世界情勢を、シドッチの尋問を担当した新井白石が「西洋紀聞」を著し、日本が外国に目を開くことに繋がった。 |
| 1869(明治2)年 |
屋久島奉行が廃止され、明治5年、各村の庄屋も副戸長と改称される。 |
| 1879(明治12)年 |
地租改正の結果、屋久島山林の殆どが、国有地となった。以後その帰属をめぐり国と島民との長い争いが生じる。 |
| 1891(明治24)年 |
国は、栗生、尾之間、安房、宮之浦、一湊、永田に山林監視所が設け、伐採行為の取り締まりを強化する。 |
| 1904(明治37)年 |
村が国を相手に国有山林下戻請求の行政訴訟を提起し、16年余に亘る訴訟も1920(大正9)年、国の勝訴に終わるが、以後も民有隣接国有林の処分等の陳情、嘆願が継続する。 |
| 1921(大正10)年 |
国は、地域特別法「屋久島国有林経営の大綱」(屋久島憲法)を定め、国有林を地元住民の利益となるべき取り扱いをする。 |
| 1923(大正12)年 |
国は、「屋久島国有林施業計画」を決定することで、本格的な国有林経営が開始される。これに先立ち、大正11年に小杉谷に至る森林軌道工事に着手し、小杉谷に屋久杉伐採のための事業所が開設され、同時に沿岸林道工事が着手された。結果、森林軌道(約16km)は、1923(大正12)年末に、沿岸林道は、下屋久線(延長41.8km)が1930(昭和5)年に、上屋久線(延長38.8km)が1932(昭和7)年に完成した。※1970(昭和45)年には事業所が閉鎖された。 |
| 1924(大正13)年 |
屋久島スギ原生林が天然記念物に指定。また、1954(昭和29)年には、特別天然記念物に指定されている。 |
| 1964(昭和39)年 |
霧島国立公園に追加編入され、霧島屋久国立公園の一部となる。 |
| 1966(昭和41)年 |
縄文杉が発見される。 |
| 1971(昭和46)年 |
伐採の中止を求める「屋久島を守る会」が結成され、1980(昭和55)年に入り、屋久杉の伐採が禁止された。※ただし、屋久島では、縄文杉に代表される樹齢1000年以上の杉を「屋久杉」、1000年未満の杉を「小杉」、人工的に植林された杉を「地杉(じすぎ)」と呼称し、屋久杉以外の杉は伐採搬出が続いている。 |
| 1971(昭和46)年 |
「ヤクスギランド」完成。 |
| 1975(昭和50)年 |
自然環境保全法に基づく屋久島原生自然環境保全地域に指定される。 |
| 1981(昭和56)年 |
屋久島杉原生林がユネスコの人間と生物圏計画の生物圏保護区に指定される。 |
| 1992(平成4)年 |
林野庁による屋久島森林生態系保護地域に指定される。 |
| 1993(平成5)年 |
亜熱帯から亜寒帯までの植物が海から山頂にかけて植生の垂直分布が見られ、樹齢1000年以上の杉と共に、豊かで美しい自然が残されている事が評価され、島の中央部の宮之浦岳を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の面積の約21%がユネスコの世界自然遺産に登録された。※世界遺産への登録は1993年、姫路城・法隆寺・白神山地とともに日本初。 |
| 2005(平成17)年 |
島北西部・永田地区の砂浜である前浜といなか浜が「屋久島永田浜」という名称でラムサール条約登録湿地となる。 |