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第15章:奄美大島(加計呂麻島)編


平成18(2006)年9月20日~10月3日


 目次

■奄美大島
 ▶地図:位置地図・全島地図
 ▶概要
 ▶交通:鹿児島~奄美各島~沖縄間の定期船運航
  奄美海運(大島運輸の子会社)
  マックスライン
  大島運輸
■奄美大島・小浜キャンプ場
 ▶1日目:9月22日(金) 晴      (喜界島上陸残念し本島上陸)
 ▶2日目:9月23日(土) 晴      (金作原原生林散策)
 ▶3日目:9月24日(日) 雨のち晴  (大浜海岸でサンゴ礁シュノーケリング)
 ▶4日目:9月25日(月) 晴      (奄美大島南部に移動)
■奄美大島・ヤドリ浜キャンプ場
 ▶5日目:9月26日(火) 晴      (周辺散策)
 ▶6日目:9月27日(火) 晴一時雨  (出発延期)
 ▶7日目:9月28日(木) 晴      (古仁屋周辺散策)
 ▶8日目:9月29日(金) 晴      (加計呂麻島散策)
 ▶9日目:9月30日(土) 雨のち晴れ (出発延期)
 ▶10日目:10月1日(日) 晴     (自転車整備)
 ▶11日目:10月2日(月) 曇り一時雨  (完全休養日)
 ▶12日目:10月3日(火) 晴一時雨   (加計呂麻島から徳之島へ)
■注
 ▶注1:奄美十景
 ▶注2:西郷南洲謫居(たっきょ)跡
 ▶注3:大浜海浜公園小浜キャンプ場・奄美海洋展示館
 ▶注4:金作原(きんさくばる)原生林
 ▶注5:道の駅・奄美大島住用
 ▶注6:マングローブ原生林
 ▶注7:ヤドリ浜キャンプ場
 ▶注8:古仁屋港
 ▶注9:諸鈍芝居(じょどんしばや)
 ▶注10:安脚場戦跡(あんきゃばせんせき)公園
 ▶注11:ムチャカナ公園
※本文中赤字は写真あり

_______________________________________


■奄美大島・奄美諸島


地図


 位置地図
南西諸島地図(奄美大島)

 全島地図
奄美大島・加計呂麻島地図

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概要


 奄美大島は、鹿児島本土から台湾にかけて、約1200kmに渡って飛び石のように連なる島々の中程にある奄美諸島・喜界島(きかいじま)、奄美大島(あまみおおしま)、加計呂麻島(かけろまじま)、与路島(よろじま)、請島(うけじま)、徳之島(とくのしま)、沖永良部島(おきのえらぶじま)、与論島(よろんじま)の8つの有人の島の主要島である。

【歴史】
 奄美諸島は、日本書紀や続日本紀の歴史書に海見嶋、阿麻弥人、菴美、奄美と云った文字で登場。733(天平5)年の第10回遣唐使は奄美を経由して唐へ向かっており、古くから日本本土との交流が伺え、大宰府の管轄地でもあった。

 しかし、遠い離島と云う土地柄もあって、政治的には中央から見放され、1266(文栄3)年から343年間、琉球王国(沖縄本島を中心に存在した王国)の統治下に入っていたが、1609(慶長14)年、江戸時代の幕開けと同時に、薩摩藩は琉球王国から奄美諸島を分離・割譲し、直轄地として代官や奉行所を設置して薩摩の領土とした。

 明治維新後の廃藩置県により薩摩藩が廃され鹿児島県に編入され、大東亜戦争(太平洋戦争)では、奄美大島南部の瀬戸内町付近は要塞化(奄美大島要塞※)されていたが、連合国軍の上陸は無く、防空戦闘程度で終戦を迎えた。※奄美大島要塞の一部は、加計呂麻島東端にある安脚場(あんきゃば)戦跡公園になっている。

 終戦直後の1945(昭和20)年9月2日、沖縄諸島は琉球人と云う少数民族の住む地方なので、琉球人の独立を促す為日本本土から分割され、米軍の統治下に置かれたが、奄美諸島も北部琉球でもともとは琉球の領土として、翌1946年2月2日 北緯30度(屋久島を境に)以南の奄美諸島(トカラ列島の十島村の下7島を含む)が日本の行政権から切り離され、米軍の統治下に入る。

 同年10月3日には米軍占領下の奄美諸島における行政機構・臨時北部南西諸島政庁が設立。同庁は、1950(昭和25)年11月25日に奄美群島民政府に改称され、奄美を含め、沖縄、宮古、八重山の4つの群島に分けられていた民政府の群島知事選の結果は、すべて「日本復帰の実現」を公約にした候補が当選した為、占領軍は群島政府の廃止を決定し、1952(昭和27)年4月1日に琉球中央政府を設立。その主席は公選ではなく占領軍の任命で選ばれ奄美の行政は沖縄と一体化することになった。

 その間、1951(昭和26)年9月8日サンフランシスコ平和条約が調印されたが、調印を前に分離直後から始まっていた奄美群島祖国復帰運動は激しさを増し、14歳以上の住民の内99・8%もの署名が集まり(沖縄本島では72%)、数千人規模で村ぐるみの断食祈願(ハンガーストライキ)が繰り返され、小中学生が血判状を提出する過激な事態も発生した。

 この頃には、米国が施政権を保持するのは、終戦当初の「少数民族である琉球人の独立のため」から、「朝鮮戦争における軍事拠点を確保するため」になっていたこともあって、軍事基地がない奄美諸島を占領し続けるメリットはないと判断し、奄美諸島の統治を諦め、1952(昭和27)年2月10日トカラ列島十島村の下7島を、翌1953(昭和28)年12月25日に奄美諸島が返還された。米国側はこの返還を「クリスマス・プレゼント」だと自画自賛した。

 本土復帰後の奄美諸島は、日本の南国として観光客で賑わう時期があったが、奄美諸島復帰19年後の1972(昭和47)年5月15日の沖縄復帰以降は観光客が激減し現在に至り、また、奄美群島の人口も若者を中心に減り続け、本土復帰時の半分の12万人になっており(2008年現在)、公共事業依存の第3次産業に特化したいびつな産業構造から脱皮する為、健康長寿・いやしの島を核に国際港湾の整備によるクルーズ船誘致など観光での地域振興を模索しているのが現状である。

【文化】
 奄美諸島は鹿児島県に属するが、同じ鹿児島県の大隅諸島以北に比べると、距離的に沖縄県の方が近く、奄美大島から与論島に南下するに従って琉球文化の色彩が濃くなっていくが、時代により薩摩や琉球、中国大陸、東南アジアなどの影響を受けてきており、島を代表する生産品である黒砂糖や大島紬は中国大陸から、焼酎(黒糖焼酎)やチヂン(奄美大島独自の太鼓)、高倉(高床式の建物)は東南アジアから伝えられたと云われる。

 食に関しては、歴史的経緯から沖縄料理・薩摩料理との共通点が多いが、奄美諸島の名物料理としては鶏飯(ご飯の上に蒸した鶏肉や具材をのせ、熱いだし汁を注いだもの)、油そうめん(茹でた素麺を油で絡め味付けをして具材を盛り付けたもの)等があり、名産品としては黒糖焼酎、がじゃ豆(名産の落花生に黒砂糖をコーティングした豆菓子)がある。

 また、伝統工芸の大島紬は和服用の生地として極めて評価が高いが、和服を着る習慣の衰退と韓国・中国産の紬の影響で、最盛期の売上から見て1/10程度まで落ち込んでいる。

【宗教】
 島内の集落ごとに江戸時代(薩摩藩政時代)に設立された比較的新しい神社が見られるが、仏教寺院は極端に少ない半面、島北部を中心に明治以降に設立されたカトリック教会が32もある。また、ノロやユタ(※)と呼ばれる民俗信仰も残存している。
※ノロ・ユタ:神事を司る女性(巫女)達のことで、この2つの違いは明確ではないが、ノロは神事を司り、ユタは神様のことばを語る人の事だと云われている。奄美大島を含む南西諸島には、沖に浮かぶ「立神」と云う小島があるが、この立神は、海の彼方の理想郷ニライカナイから神様がやって来て最初に立ち寄る場所で、信仰の対象としてノロやユタが祈りを捧げていたと云う。

【文化財】
 加計呂麻島(かけろまじま)の諸鈍(じょどん)集落には、毎年旧暦の9月9日に重要無形民俗文化財の諸鈍芝居(じょどんしばや)が行われる。これは、1185(文治元)年の壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びてきた平資盛(たいらのすけもり)により伝えられたものである。

【天然記念物】
 国特別天然記念物・アマミノクロウサギと鹿児島県鳥で、国天然記念物・ルリカケス、同じく国天然記念物のオーストンオオアカゲラ、オオトラツグミの生息地である。

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交通:鹿児島~奄美各島~沖縄間の定期船運航


(1)奄美海運(大島運輸の子会社)

「フェリーあまみ」「フェリーきかい」の2隻で運航。船体側面中央には赤字で「A"LINE」の愛称が書かれ、船首には3本の青線と赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が描かれている(いずれもマルエーフェリーと共通)。

▼運行路線
鹿児島本港北埠頭⇔喜界島⇔名瀬(奄美大島)⇔古仁屋(奄美大島)⇔平土野(徳之島)⇔知名(沖永良部島)

▼時刻表・下り便
【フェリーあまみ】
・平土野便(金曜日)
鹿児島 喜界 名瀬 古仁屋 平土野
出17:30 翌日入04:30出05:00 入07:00出07:30 入09:40出10:00 入12:15

・知名便(月・水曜日)
鹿児島 喜界 名瀬 古仁屋 平土野 知名
出17:30 翌日入04:30出05:00 入07:00出07:30 入09:40出10:00 入12:15出12:35 入14:40

【フェリーきかい】
・平土野便(火・木曜日)
鹿児島 喜界 名瀬 古仁屋 平土野
出17:30 翌日入05:30出06:00 入08:10出08:30 入10:50出11:10 入13:35

・知名便
鹿児島 喜界 名瀬 古仁屋 平土野 知名
出17:30 翌日入05:30出06:00 入08:10出08:30 入10:50出11:10 入13:35出13:55 入16:15


▼時刻表・上り便
【フェリーあまみ】
・平土野便(土曜日)
平土野 古仁屋 名瀬 喜界 鹿児島
出12:45 入15:10出15:30 入17:40出18:40 入20:20出20:50 翌日入08:00

・知名便(火・木曜日)
知名 平土野 古仁屋 名瀬 喜界 鹿児島
出14:55 入17:00出17:15 - 入20:35出20:50 入22:50出23:10 翌日入10:20

【フェリーきかい】
・平土野便(水・金曜日)
平土野 古仁屋 名瀬 喜界 鹿児島
出13:55 入16:20出16:40 入19:00出19:20 入21:30出21:50 翌日入09:50

・知名便
知名 平土野 古仁屋 名瀬 喜界 鹿児島
出16:30 入18:50出19:00 - 入22:30出22:45 入00:55出01:15 翌日入13:20

※荒天時の注意事項
喜界島・湾港、徳之島・平土野港、沖永良部島・知名港では荒天の時は寄港地が、喜界島・湾港→早町港、徳之島・平土野港→亀徳港、沖永良部島・知名港→和泊港か伊延港に変更になることや抜港(寄港しないこと)もあり、同日でも下り便と上り便で違うこともある。
▼連絡先
奄美海運株式会社 099-226-4141(鹿児島)
ホームページ(大島運輸): http://www.aline-ferry.com/


(2)マックスライン

「クイーンコーラル」「クイーンコーラル8」の2隻運行。

▼運行経路
鹿児島新港⇔名瀬(奄美大島)⇔亀徳(徳之島)⇔和泊(沖永良部島)⇔与論⇔本部(沖縄)⇔那覇(沖縄)

▼時刻表・下り便
【クイーンコーラル】
鹿児島 名瀬 亀徳 和泊 与論 本部 那覇
出18:00 翌日入05:20出05:50 入09:30出10:10 入12:00出12:40 入14:20出14:40 入17:20出17:35 入19:30

【クイーンコーラル8】
鹿児島 名瀬 亀徳 和泊 与論 本部 那覇
出18:00 翌日入05:00出05:50 入09:10出09:40 入11:30出12:00 入13:40出14:00 入16:30出16:50 入18:40

▼時刻表・上り便
【クイーンコーラル】
那覇 本部 与論 和泊 亀徳 名瀬 鹿児島
出07:00 入08:55出09:10 入11:50出12:10 入14:00出14:30 入16:30出17:00 入20:40出21:20 翌日入08:30

【クイーンコーラル8】
那覇 本部 与論 和泊 亀徳 名瀬 鹿児島
出08:00 入09:50出10:10 入12:40出13:00 入14:40出15:10 入17:00出17:30 入20:50出21:20 翌日入08:00

▼連絡先
マリックスライン株式会社 099-225-1551(鹿児島)、098-862-8774(那覇)
ホームページ: http://www.marix-line.co.jp/


(3)大島運輸

「フェリーあかつき」「フェリーなみのうえ」の2隻で運航。船体側面中央には赤字で「A"LINE」の愛称が書かれ、船首には3本の青線と赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が描かれている。(奄美海運の親会社)

▼運行経路
鹿児島新港⇔名瀬(奄美大島)⇔亀徳(徳之島)⇔和泊(沖永良部島)⇔与論⇔本部(沖縄)⇔那覇(沖縄)

▼時刻表・下り便
【フェリーあかつき・フェリーなみのうえ】
鹿児島 名瀬 亀徳 和泊 与論 本部 那覇
出18:00 翌日入05:00出05:50 入09:10出09:40 入11:30出12:00 入13:40出14:00 入16:30出16:50 入18:40

▼時刻表・上り便
【フェリーあかつき・フェリーなみのうえ】
那覇 本部 与論 和泊 亀徳 名瀬 鹿児島
出08:00 入09:50出10:10 入12:40出13:00 入14:40出15:10 入17:00出17:10 入20:50出21:20 翌日入08:30

以上マックスラインの「クイーンコーラル」「クイーンコーラル8」と大島運輸の「フェリーあかつき」「フェリーなみのうえ」が1日置きに出航。利用者は毎日乗船する事が出来る。


(4)その他

▼神戸六甲アイランド発【琉球エキスプレス】:神戸⇔大阪⇔宮崎⇔名瀬⇔亀徳⇔和泊⇔与論⇔那覇

▼東京有明埠頭発【フェリーありあけ】:東京⇔志布志⇔名瀬⇔与論⇔沖縄

▼連絡先
大島運輸 099-226-4141(鹿児島)、098-861-1886(那覇)、078-857-3901(神戸)
ホームページ: http://www.aline-ferry.com/
※途中下船
島巡りをする為に、途中下船することが可能。最終目的地まで切符を買って、下船毎に船の中で手続きする。

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■奄美大島・小浜キャンプ場



1日目:9月22日(金) 晴  (喜界島上陸は残念し本島上陸)

 5時10分フェリーに乗船、船酔い対策を兼ね直ぐに横になる。5時30分の出航時にはすでに熟睡していたのか気付かず、午前4時過ぎにフェリーが喜界島港に入港時に目覚める。

 途中下船不可なので、港の景色だけを楽しむ。定刻に奄美大島・名瀬港に到着。

 名瀬港2階待合室でパンの朝食を摂ってから、鹿児島・種子島から続く国道58号を島北部方面に約17km走り、龍郷(たつごう)町役場のT字路に出る。

 左に取れば、県道81号を走り、西郷南洲謫居(たっきょ:罪を受けてひきこもっていること)跡に行けるが、とりあえず、右の国道に進路を取り、約5km先の東シナ海側の赤尾木湾(隕石が落下して出来た直径3.2kmの円形湾で、別名「奄美クレーター」とも呼ばれている)沿いから右折南進して県道82号に入り、1km程走ると太平洋側に出て、海岸沿いの「ばしゃ山村」と云う看板がある付近で小休止。

 この付近は用安(ようあん)海岸と云うらしいが、「ばしゃ山村リゾート」の方が有名なので、用安海岸よりも、ばしゃ山海岸・ばしゃ山海水浴場の方が判りやすいと云う。

 この海水浴場を経て、節田小学校先に入口がある奄美パークに寄る。同パークは、旧奄美空港敷地内に2001(平成12)年オープンした総合テーマパーク。奄美の自然と暮らしを模型や映像で紹介する「奄美の郷」、日本画家・「田中一村記念美術館」があるが、有料なので入口付近の野外ホールで小休止。

 奄美パークを出て、奄美空港を過ぎると、県道82号は、左側から来る県道601号と合流するので、そのまま県道601号に入り、大瀬海岸を経て、島一番の美しい海岸と云われる土盛(ともり)海岸からあやまる岬に到着。

 奄美十景(注1)の一つであるあやまる岬の景色を楽しみ、展望台や海側の公園、ソテツジャングルを散策してから来た道を引き返し、国道58号・龍郷(たつごう)町役場の3差路を直進、龍郷湾沿いの県道81号を走り、西郷南洲謫居(たっきょ:罪を受けてひきこもっていること)(注2)に行く。

 西郷南洲謫居跡も有料なので見学はせず、背後にある長雲峠(標高280m)に登る。集落外れの道路標識に従い曲がりくねった舗装された登山道を登り切った交差点から、自然観察の森方面に進む。

 自然観察の森は、長雲峠(ながくもとうげ)の森の中に作られた自然公園で、ここから見る龍郷湾の景色も、奄美十景の一つである。

 自然観察の森から、龍郷湾や集落の右端にある西郷南洲謫居跡を確認してから、名瀬市に戻り、大浜海浜公園(奄美十景)内の小浜キャンプ場に向かう。

 持参の地図には名瀬市とあるが、今年・2006(平成18)年3月、名瀬市と住用村・笠利町が合併して奄美市になっている。その奄美市の国道58号から名瀬港をUターンして県道79号に入り、スーパータイヨウ・朝仁店で夕食材料とビールを買う。

 スーパータイヨウ先の150m程のトンネルを抜け、500m程走り山越えの急坂の途中に、大浜海浜公園への案内板があり、この先に大浜海浜公園小浜キャンプ場(注3)があった。

 大浜海浜公園は日本の渚百選に選ばれているだけあって絶景。公園内の海洋展示館でキャンプ手続きをしてからキャンプサイトに行き、管理等と炊事棟の間にテントを張る。奄美大島の初夜は貸切り。東洋一のサンセットと云われる夕日を見る。

喜界島港
喜界島港
名瀬港
名瀬港
赤尾木湾(奄美クレター)
赤尾木湾(奄美クレター)
ばしゃ山村
ばしゃ山村

用安(ようあん)海岸
用安(ようあん)海岸
奄美パーク
奄美パーク
土盛(ともり)海岸
土盛(ともり)海岸
あやまる岬
あやまる岬

あやまる岬公園
あやまる岬公園
西郷南洲謫居跡
西郷南洲謫居跡
自然観察の森
自然観察の森
長雲峠から見る龍郷湾
長雲峠から見る龍郷湾

大浜海浜公園
大浜海浜公園
小浜キャンプ場
小浜キャンプ場への通路
小浜キャンプ場キャンプサイト
小浜キャンプ場
大浜海浜公園サンセット(日没)
大浜海浜公園サンセット

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2日目:9月23日(土) 晴  (金作原原生林散策)

 朝の散歩時、キャンプサイトから大浜海浜公園に繋がる通路が海水で浸水しているのを目撃する。通路から潮が引くのを待って名瀬市街地(持参の地図では名瀬市になっているが、本年・2006(平成18)年3月に名瀬市、笠利町、住用村が合併し奄美市が発足している)の散策に出掛ける。

 小浜キャンプ場から県道79号を名瀬方面に走り、奄美市役所東側交差点から南約300mの小高い丘の上にある「おがみ山公園」に上り、名瀬港の展望を楽しんでから、金作原(きんさくばる)原生林(注4)に向かう。

 県道79号・名護新港フェリーターミナル前の名護港湾労働者福祉センターと金久中学校の間から、旧道に入り、約1.5km先の3差路で左折し、さらに約4.5km進むと3差路に出て、金作原(きんさくばる)の標識に従い右折し奄美中央林道に入る(直進は国道58号朝戸トンネル方面)。

 奄美中央林道から約2km先の3差路は小宿方面(小宿小学校、同中学校の間を経て、キャンプサイト東側の県道79号に出る)の分岐。8~9km先の3差路が知名瀬林道との分岐(左・金作原、右・知名瀬の標識あり)。この場所から約2.5km先が目的地の金作原(きんさくばる)原生林のT字路

 入口にある、鹿児島森林管理所長名の「希少野生動植物種保護管理事業」の説明板から散策路(約2km)に入る。

 帰りは、知名瀬林道に入る。知名瀬川沿いの林道は全面舗装されており、金作原(きんさくばる)原生林行きのお勧めコース。県道79号角の知名瀬教会を右折しキャンプサイトに帰る。

おがみ山公園
おがみ山公園

おがみ山公園から名瀬市街
金作原T字路
金作原T字路
金作原散策路のヒカゲヘゴ
金作原散策路ヒカゲヘゴ

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3日目:9月24日(日) 雨のち晴れ  (大浜海岸でサンゴ礁シュノーケリング)

大浜海岸 昨夜は6時に就寝。9時に一度目覚め曇り空の間に星が出ていたが、明け方から雨が降り出した。その雨は9時前には上がった。

 雨は止んだが、キャンプサイトから出る通路は波がかぶって通行不能なのでシュノーケリングに出掛ける。大浜海浜公園近辺のサンゴ礁を半日かけて見て回る。石垣島に勝るとも劣らない素晴らしいサンゴ礁群を堪能する。それにしても日本人より外人が多いのが目立った日だった。テントサイトは2日連続貸切り状態。

 夕方、スーパー・タイヨウで食料品と地元の焼酎・浜千鳥の詩を買って帰り、久しぶりの焼酎で酔った。

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4日目:9月25日(日) 晴  (奄美大島南部に移動)

 朝4時から撤収準備。お世話になった炊事棟に般若心経を唱えてから、5時40分キャンプサイトを出発する。出入口の通路に波が打ち寄せていたが何とか通過して、大浜海浜公園から県道79号に出る急坂を上り、フェリー乗場を通過して、国道58号を南下する。

 約23km先の道の駅・奄美大島住用(注5)に9時前に到着。館内の自動販売機でホットココアを購入し小休止。この道の駅一帯は、マングローブ原生林(注6)が広がっている。

 隣接する公園にはマングローブ館があるが有料なので、同所より南に約400m離れた所にある、観光案内所・マングローブ茶屋(奄美市住用町役勝、電話0997-69-2189)横からマングローブ原生林に下り、遊歩道を散策。マングローブは西表島で嫌というほど体験してきたので、早々に引き上げ、本日の野営地・ヤドリ浜に向かう。

 しかし、この先からは、行けども行けども、坂また坂の連続。水場や休憩地は全くない。約10kmの登り坂の頂上が網野子峠。「標高360m・瀬戸町まで11km」の標識が見えてきた。ここから先は下り坂。眼下に網野子集落や伊須湾を見ながら、阿木名(あきな)集落に入り、コンビニで弁当と牛乳で昼食休憩をする。

 こんなに疲れたのは初めて、休憩場所が無いのでコンビニ先の道路際にシートを敷いて横になり、1時間30分もの長時間休憩してから出発。次の地頭峠(標高180m)も緩い上り、トンネルを抜け、やっと国道58号の奄美大島側の終点・古仁屋に到着した(国道58号は沖縄本島に続く)。

 名瀬港の国道58号から朝戸峠(標高240m)の朝戸トンネル(1725m)、スタル峠(標高310m)の新和瀬トンネル(2435m)、三太郎峠(標高360m)の三太郎トンネル(2027m)と同国道の奄美大島本島部分でトンネル工事をされていない最後の峠である網野子峠(標高360m)を越え、5つ目の峠・地頭峠(標高180m)の地蔵トンネル(1065m)から古仁屋までの57kmを走り終えた。アップダウンの連続と、長い登り坂に二度と奄美には来ない(自転車では)と叫びながらの道中だった。

 古仁屋の町で、夕食用の巻寿司と朝食用のパンを買って、野営地・ヤドリ浜キャンプ場に向かう。古仁屋から東に10km弱の距離。海岸沿いなので平坦路と思ったが、3つの峠越えがあり、再度奄美には来ないと叫んでいた。

 古仁屋から3つの峠を越え、大島最南端の集落・蘇刈(そかる)の先にあるヤドリ浜キャンプ場(注7)に5時前に到着した。炊事棟のあるキャンプサイトの芝生に、ハブに注意の看板がある。蛇が苦手なので、大きな東屋の片隅にテントを設営し、ビールが無いので、自動販売機のサイダーをビール代わりに巻寿司で夕食を済ませ6時に就寝する。

道の駅・奄美大島住用
道の駅・奄美大島住用・裏手に公園がある
マングローブ茶屋
マングローブ茶屋・右側に原生林への下り口がある
マングローブ原生林
国道58号から見るマングローブ原生林
網野子峠
網野子峠頂上標識

網野子峠からの景色
網野子峠景色
国道58号の奄美大島側の終点・古仁屋
国道58号の奄美大島側の終点・古仁屋
ヤドリ浜キャンプ場・右東屋、左炊事棟
ヤドリ浜キャンプ場・右東屋、左炊事棟
ヤドリ浜キャンプ場東屋
ヤドリ浜キャンプ場東屋

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■奄美大島・ヤドリ浜キャンプ場



5日目:9月26日(火) 晴  (周辺散策)

 昨夜、真夜中にフクロウの泣き声で目覚める。久しぶりのフクロウの泣き声。うるさくもあり懐かしい音でもあった。

 今日は、奄美横断の疲れもあって、遠出は控えて近隣散策をすることにした。キャンプ場は、古仁屋から出ているヤドリ浜行きのバスの終点に位置しており、隣接して、レストラン&ライブハウス「いそしぎ」とトレーラーハウス「海音フィールド蘇鉄」、ホテル「マリンスティション奄美」がある。そして、炊事棟の横にあるバラックの建物は夏休み期間だけ営業の売店(古仁屋市街の土産物屋・伊藤商店経営)らいいが、閉店中で自動販売機だけが稼働している。

 レストラン&ライブハウス「いそしぎ」の建物は傾いている。目の錯覚かと思ったが、後日判明したことであるが、元沼地跡に建築した為地盤沈下で傾いたことが分かった。

 これ以外に、少し離れた所に民家らしい建物が一軒あるだけで、集落は、古仁屋方面に1.5km程引き返した所に蘇刈(そかる)集落がある

 午前中は、キャンプサイトから蘇刈(そかる)集落に行く途中にある、車エビの養殖場から案内標識に従いホノホシ海岸に行く。

 ホノホシ海岸は、日本でも指折りの星空の美しい場所であるらしい。キャンプ可能との情報があるので、下見を兼ねて出掛ける。トイレと水場、東屋がある。

 ここのトイレを清掃していたおじさんが居たので、挨拶をして話しかけると、このおじさんは、昨日、草刈り作業中に、国道58号で自転車を押し上げている自分を目撃したとの事。加計呂麻島出身者で役所の臨時職員で、道路脇の草刈りや、公園のトイレの清掃管理を担当しており、ヤドリ浜キャンプ場の管理人でもあった。

 この人が云うには、ホノホシ海岸はキャンプ可能だが、太平洋に面した広場は吹きさらしで強風に見舞われるので、テントを張るなら、台風時、船舶が避難する場所でもある大島海峡に面したヤドリ浜キャンプ場を勧められた。昨日はそこでキャンプをしたことを話すと、何時までも好きなだけ居て下さいと云われた。

 ホノホシ海岸を後にして、キャンプサイトに一番近い蘇刈(そかる)集落に行く。県道626号沿のペンション&マリンスポーツ「そらい」前を通り、県道から集落に入る。集落内唯一の食料品店でビールと缶詰を購入。かなり割高だが仕方が無い。

 午後、キャンプサイトに隣接するヤドリ浜海水浴場でシュノーケリングをする。ヤドリ浜海水浴場は貸切状態で美しい海を独り占め。透明度の高い海中には多くの魚が見られ、屋久島で見たより大きなウミガメにも遭遇し、大満足する。

レストラン・いそしぎ、奥トレーラーハウス
レストラン・いそしぎ
マリンスティション奄美
マリンスティション奄美
休業中の売店
休業中の売店
ホノホシ海岸入口
ホノホシ海岸入口

ホノホシ海岸1
ホノホシ海岸1
ホノホシ海岸2
ホノホシ海岸2
ヤドリ浜海水浴場1
ヤドリ浜海水浴場1
ヤドリ浜海水浴場2
ヤドリ浜海水浴場2

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6日目:9月27日(火) 晴一時雨  (出発延期・シュノーケリング)

 早朝4時起床。ホノホシ海岸の星空を見る事は残念したが、テントサイトの星空も素晴らしい。出発延期を決め、8時前に食料品調達の為、奄美大島第2の町である古仁屋に出掛ける。

 一昨日、奄美横断後の古仁屋からキャンプサイトまでの3つの峠越えは地獄と感じたが、今日は空の自転車(荷物を積んでいない状態)の精もあってか、楽な感じで走れた。

 古仁屋港(注8)は、加計呂麻島に渡るフェリーや海上タクシーと呼ばれる漁船が多くみられる雑多な環境。乗船券販売所はスーパーA-COOP瀬戸内店の入口横にあった。ここは、町営定期船古仁屋待合所を兼ねている。

 A-COOP前で回転焼きを売っているテキヤのお兄さんと話をしているうちに、ビールを冷やす為の氷が無いので困っていると云ったところ、氷はスーパーに大量にあるので、店長に掛けあってやると云われ、店長から持参の冷蔵保存用トートバックに氷を頂く。

 氷を頂いた為ではないが、同店で、野菜炒めの材料とビール3本。それに、関西地方以外で殆ど見る事が無かったエースコックのワンタン麺があったので3個購入してから帰途に就く。

 キャンプサイトに張ってある洗濯物用のロープにA-COOPで購入した食料品を結わえて、炊事棟で料理の下ごしらえを終え、テントに戻ると先ほどA-COOPで購入した貴重な(?)ワンタン麺が食い散らかされていた。犯人はカラス、見事にやられた、3個全滅。

 昼から、ヤドリ浜海水浴場でシュノーケリング。昨日同様ウミガメに遭遇。そのウミガメを追跡しているうちに、沖に浮いているブイを越えた先の海中に小山の様な岩礁を発見。近づくと、岩礁の周りには無数の魚が泳ぎまわっている。思わず“ウオー”と声をあげていた。場所は、ヤドリ浜海水浴場北の蘇刈(そかる)集落側半島の沖に浮かぶブイの先付近であった。

 昨日同様大満足して、キャンプサイトに引き上げ、昼食兼夕食を終えた4時から1時間近く雨が降った。

古仁屋港
古仁屋港
A-COOP瀬戸内店
A-COOP瀬戸内店
町営定期船古仁屋待合所・乗船券販売所
定期船古仁屋待合所

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7日目:9月28日(木) 晴  (古仁屋周辺散策)

 ヤドリ浜キャンプ場管理人から、シャワー棟の管理室(物置)の掃除道具の使用許可を貰ったので、朝から東屋の掃除をする。

 掃除が終わる頃に外人ペアーがやって来た。挨拶をすると、種子島で会ったとの事。そう云えば、千座の岩屋の先にある熊野自然レクレーション村キャンプ場に行った時、キャンプをしていたサーファーが居たことを思い出した。

 外人ペアーは、昨日遅くヤドリ浜に到着し、昨夜は、トレーラーハウスで泊まったが、今日はテントを張ると云っていた。

 炊事棟近くにテントが一張り。こちらは若い日本人ペアーだった。

 朝食後、周辺散策に出掛ける。古仁屋からキャンプサイトに至る道中の途中。詳しくは、古仁屋から1つ目の峠を越え、清水(せいすい)集落。2つ目の峠を越え、嘉鉄(かてつ)。3つ目の峠を越えれば、蘇刈(そかる)集落だが、その3つ目の峠の途中に、国道58号に繋がる道がある。

 今日は、その道に入り、太平洋に面した伊須集落から伊須湾沿いの海岸線を走り、阿木名(あぎな)集落から国道58号を左折し、古仁屋方面に向かう(名瀬方面からヤドリ浜キャンプ場に行く場合は、この道の方が近い)。

 阿木名集落から古仁屋には、地頭トンネルを抜けるが、トンネルに入らず、高知山(こうちやま)・油井岳(ゆいだけ)方面の道路標識に従い地蔵峠の旧道に入り、高知山の駐車場に行く。

 駐車場に自転車を置いて、整備された階段状の小道を歩き、森を抜けた先に高知山展望台がある。らせん状の階段を登って、大島海峡の東西を見渡す絶景を堪能する。ここは、駐車場にトイレと水場があり、野営地として最適の場所と思った。

 高知山から、油井岳(ゆいだけ)に寄る予定だったが、事前情報では、油井岳より、高知山の方が展望が良いとの事だったので、油井岳には行かずに、来た道を引き返し、古仁屋のA-COOPで買い物をしてから、キャンプサイトに帰る。

 キャンプサイトの東屋に、サーファーの外人ペアーがテントを張っていた。

地蔵峠の旧道
地蔵峠の旧道
高知山展望台
高知山展望台
高知山から見る古仁屋市街
高知山から見る古仁屋
高知山から見る久根津集落
高知山から見る久根津

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8日目:9月29日(金) 晴  (加計呂麻島散策)

 明日、徳之島に移動予定なので、今日は、加計呂麻島に出掛ける事にした。古仁屋港で、フェリー「かけろま」は、ドッグ入りのため、9月24日(日)~10月8日(日)の15日間も運休している事が判明。その間代船が出ているが、自転車は乗せる事は出来ないらしい。

 海上タクシーの関係者が、自転車を運ぶと云ってくれたが、料金を云わないので、丁寧にお断りをする。

 古仁屋港の隣の須手(すで)港から、瀬戸内フェリーが出ているらしいが、加計呂麻島の瀬相港行きで、目的地の生間港ではないので、自転車を置いて加計呂麻島に渡ることにする。

 自転車は、先日知り合った、スーパー・A-COOP店先で屋台の回転焼きを売っているテキヤの人に頼んで近くに置かしてもらい、A-COOP入口横にある町営定期船古仁屋待合所・乗船券販売所で、加計呂麻島・生間港間の往復乗船券(¥500)を購入し、8時過ぎの代船に乗船し、加計呂麻島に渡る。

 加計呂麻島・生間港に船が着き下船の際、ヤドリ浜キャンプ場でテントを張っていた若い日本人ペアーと出合った。彼らは、レンタカーで島を回るらしい。

 当方は、徒歩なのでお先に失礼して、まず、島の南側の諸鈍(しょどん)に向かう。諸鈍は、「男はつらいよ」の寅さんシリーズ最終回(第四十八作)のロケーションが行われたことで有名になったらしいが、それ以外に、旧暦9月9日に大屯(おおちょん)神社で、国指定重要無形民俗文化財・諸鈍芝居(しょどんしばや 注9)が行われる地でもある。

 生間港から、少し坂を上り、15~20分程歩く山を越えると、諸鈍集落に着く。集落入口にある平資盛(すけもり)を祀る大屯(おおちょん)神社を参拝してから、長浜公園の東屋で小休止。この小さな公園には、トイレとシャワー施設があり、キャンプ可であるが、シーズン外なのか、トイレとシャワー施設には施錠されていた。

 長浜公園先のデイゴ並木の入口に、「たこやき」の出店があったので、「たこやき」で早めの昼食をしてから、瀬戸内町の文化財に指定されている、樹齢300有余年の85本のデイゴ並木(説明看板から)を見て回り、途中、「男はつらいよ」に出てきたというリリーの家(映画では浅丘ルリ子さん)を見る。

 諸鈍芝居(しょどんしばや)が行われるならいざ知らず、それ以外に特に興味も無いので、一旦、生間(いけんま)港に戻る。

 港にランドクルーザー40が停まっている。以前自分も乗っていたが、都会では排ガス規制で検査が受けられないので、廃車にした代物。懐かしくなり、車の側で赤ちゃんをあやしていた女性に声を掛けた。

 女性は、大阪豊中出身の田中さん。赤ちゃんの名前はMonicaちゃん。小学生の男の子がいるらしい。ご主人で、車の所有者、フランス人のPatさんはヨットを磨いていた。

 Patさんは、ヨット好きで、15年間乗ったヨットを売って、磨いている現在の艇に乗り換えたが、譲ってくれと云う人がいるので、引き渡しの為に整備を兼ねて磨いているらしい。整備が終われば、愛知県蒲郡の買主の元へ運ぶらしい・・・生間(いけんま)集落の自宅には五右衛門風呂があるので、何時でも利用してもよいと電話番号の交換をする。

 そうしているうちに、同じ船で加計呂麻島に渡った、ヤドリ浜キャンプ場でテントを張っている若いペアーがレンタカーでやって来た。島の西側を回ったが退屈なので帰って来たらしい。

 東側に行っていないとの事だったので、車に同乗して、加計呂麻島東端の安脚場戦跡(あんきゃばせんせき)公園(注10)駐車場(ロータリー)へ。

 ここから、琉球松、アダン、ソテツなどが密生している遊歩道を歩き、大東亜(太平洋)戦争当時の弾薬庫跡金子手崎(かねこてざき)防備衛所跡、兵舎跡、ログハウス(元司令官官舎で現在は管理棟)などの建物や砲台跡を見て回る。※安脚場戦跡(あんきゃばせんせき)の写真は、注10にあり。

 若いペアーは、自然に余り興味がなさそうなのと、レンタカーの制限時間があるので、渡連(どれん)集落手前の3差路で下車し、自分1人で、集落の案内板のある3差路から、Uターン気味に集落内に入り、相撲の神様の権現様の祠に寄る。

 渡連(どれん)集落の海岸には、海上タクシーで上陸できる、木製の桟橋が海に突き出ている船着場があり、砂浜を歩いて、県道614号にでる。

 海岸の外れ(生間港側)の県道に面したところに「来々夏ハウス」と云う看板が目に付いた。「ココナツハウス」と読む、食事だけでも可能な民宿(ペンション)だった。

 その民宿の前を通り、赤い鳥居が入口のムチャカナ公園(注11)で歌碑・祠をみてから、生間(いけんま)港に到着。今日は、加計呂麻島の東側のほんの一部の散策で、なごり惜しかったが、フェリー代船の最終便に乗船して、加計呂麻島を後にする。

 ヤドリ浜のキャンプサイトに帰ると、管理人が居た。管理人には、息子さんが居り、尼崎市の立花に3人、武庫之荘(自分が居住していた所)に1人の4人の息子さんが住んでおり、来月6日にその内の1人の結婚式があるので大阪に行く等々の話をする。

生間港
生間港
大屯(おおちょん)神社
大屯(おおちょん)神社
長浜公園東屋
長浜公園東屋
長浜海岸
長浜海岸

諸鈍デイゴ並木
諸鈍デイゴ並木
リリーの家
リリーの家
安脚場戦跡(あんきゃばせんせき)公園駐車場
安脚場戦跡公園駐車場
渡連(どれん)集落案内板
渡連集落案内板

渡連集落権現様と土俵
権現様と土俵
渡連集落海岸
渡連集落海岸
来々夏ハウス
来々夏ハウス
ムチャカナ公園入口
ムチャカナ公園入口

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9日目:9月30日(土) 雨のち晴れ  (出発延期)

 早朝から降雨。今日徳之島に出発予定だったが中止、火曜日に延期する(次のフェリーは火曜日発)。

 9時前に雨が上がったので、3日分の食料買出しに、古仁屋のA-COOPに行く。店内は混雑している。明日、古仁屋の運動会なので混雑しているらしい。

 キャンプサイトに帰り、エースコックのワンタン麺で昼食を摂ってから、シュノーケリング。3時から夕食の準備をして、5時にテントに入る。

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10日目:10月1日(日) 晴  (自転車整備)

 加計呂麻島から徳之島への出発準備の為、朝から自転車の整備とタイヤ交換をする。終了後、古仁屋の町に自転車部品の調達に出掛ける。

 古仁屋の町は、10時を過ぎているのに、殆どの店が閉まっている。そう云えば、昨日A-COOPで買い物の際、今日は運動会とか云っていたのを思い出す。運動会の時は、町は廃墟となるらしい。

 勿論、自転車屋も閉っていた。さすがに、スーパーのA-COOPは営業していたので、買い物をしてから帰途に就く。

 途中、嘉鉄(かてつ)集落手前で、黒崎の東側の峠道にあるマネン崎展望所に立ち寄る。同所は絶好の休憩地なので、キャンプサイトの往復時には何度も立ち寄っていた。展望所は大島海峡の東側を眺める絶好の場所にあり、キャンプサイトのヤドリ浜も見渡すことが出来る。

 加計呂麻島の海はどこも美しいが、この展望所から真下の海には、グラスボートが停泊している事が多かったので、今日は、その海に潜る事にする。

 展望所前奥の空き地から海に下りる踏み跡があるので、そこから下りて海に突き出た小さな島に渡り、周辺をシュノーケリングしてから引き上げる。

 キャンプサイトには、加計呂麻島の友人を訪ねてきた、屋久島の青年がテントを張っていた。

マネン崎展望所
マネン崎展望所
マネン崎展望所からの景色
マネン崎展望所・景色
マネン崎展望所前
マネン崎展望所前

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11日目:10月2日(月) 曇り一時雨  (完全休養日)

 明日は徳の島への旅立ち。今日は英気を養う為完全休養日にする。昼ごろ一時的に雨が降ったが1日を通じて曇り空。空模様が気になる。

 夕方、大島海峡に海上自衛艦が入って来た。イージス艦をはじめとする形の違った護衛艦が1隻、2隻・・・次から次へと入ってくる。合計5隻の船団が一定の距離を保ち航行して来た。

 古仁屋には、海上自衛隊奄美基地があるので、古仁屋港に接岸すると思ったが、各艦は海峡の中で停船して錨を下ろした模様。最後の日に珍しい光景を目にすることが出来た。

 夕方、1番近い蘇刈(そかる)集落でビールを2本買って夕食時に飲む。前後して、2組のキャンパーがやって来た。

イージス艦
イージス艦
護衛艦
護衛艦

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12日目:10月3日(火) 晴一時雨  (加計呂麻島から徳之島へ)

停泊中の自衛艦 シャワー棟の管理人室にお世話になったお礼のメモを置き、8時前にキャンプサイトを出発。9時過ぎに古仁屋に到着。瀬戸内町役場南側にある古仁屋・船津港の奄美海運代理店・中村運輸で乗船手続きをする。

 裏航路と呼ばれる奄美海運のフェリーは定刻の10時45分に出航。いつもなら船酔い対策で、フェリー乗船と同時に寝る事にしていたが、大島海峡は台風時でも安心な海峡で、船舶の避難場所になっている海峡。南の島に来て初めてデッキに出て景色を楽しむ。

 海峡には、昨日の自衛艦が停泊しており、その脇をかすめるようにフェリーが進んで行く。間近で自衛艦を見ながら、フェリーは奄美大島本島と加計呂麻島の間を縫うように進行し、東シナ海に抜け、一路徳之島へ。

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■注


注1:奄美十景

(1)百之台(ひゃくのだい):喜界島(喜界町)
 《聖なる台地》喜界島中央部に隆起サンゴ礁がせり上がって出来た島で1番高い標高204mの台地。防風林や畑、集落の家々、リーフにふちどられた海岸線の眺望は絶景。
(2)あやまる岬:奄美大島(笠利町)
 《亜熱帯のおおらかさ》太平洋につき出した岬のこんもりと丸い地形が綾に織りなす「てまり」に似ていることからその名がついたと云われる。東の水平線に浮かぶ喜界島、北はトンパラ岩を望み、岬の回りはサンゴ礁が広がり、眼下にはソテツジャングルが亜熱帯の風情を醸し出している。
(3)長雲峠から見た龍郷湾:奄美大島(龍郷町)
 《幻想の海の彩り》入り組んだ湾内に、サンゴ礁とブルーが美しい神秘的な海が広がる景観は驚異的とも云える。
(4)湯湾岳から見た焼内湾:奄美大島(宇検村)
 《霊峰からみる夕景》奄美諸島の最高峰・湯湾岳(標高694m)は島建て伝説の舞台となっている霊峰で、湯湾岳から見る夕景は特別美しい。付近一帯は国指定特別天然記念物・アマミノクロウサギの生息地でもある。
(5)油井岳から見た大島海峡:奄美大島(瀬戸内町)
 《壮大な島影》油井岳(標高483m)からは、加計呂麻島、請島、与路島や徳之島までも見渡すことができ、奄美大島南部を代表する景勝地。
(6)大浜海浜公園:奄美大島(奄美市名瀬)
 《東洋一のサンセット》日本の渚百選に選ばれている大浜海浜公園展望台から見る東シナ海の壮大な海。ここから見るサンセット(日没)は東洋一とも云われる。
(7)犬田布岬:徳之島(伊仙町)
 《荒々しさとやさしさと》徳之島東部に突き出た犬田布岬は、東シナ海の荒波に浸食され、鋭く切り立つ断崖になっており、岬の周辺には、緑の芝生が広がり、海岸植物のアダンの群落が見られる。また、昭和20年に沈没した戦艦大和の慰霊碑もある。
(8)むしろ瀬:徳之島(天城町)
 《天地創造の夢》徳之島北西部にある海岸に、東西150m、南北100mに渡り、ムシロを敷いた様に巨岩が連なり、その雰囲気は奄美の天地創造を想わせる。
(9)田皆岬:沖永良部島(知名町)
 《日の出と日没の名所》日の出と日没が同じ場所から見られ場所で、40mの切り立った断崖からは、北に徳之島、南に与論島、東に国頭(くにがみ)岬を眺める事の出来る景勝地でもある。
(10)百合ヶ浜:与論島(大金久海岸)
 《熱帯魚も遊ぶ砂地》大金久海岸の沖合に干潮時に浮かび上がる神秘的なまでに美しい純白の砂浜。

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注2:西郷南洲謫居(たっきょ)跡

西郷南洲謫居(たっきょ)跡場所:鹿児島県大島郡龍郷町龍郷
料金:入館料¥200
備考:1859(安政6)年1月、奄美に配流になり3年余り過ごした。その間、西郷は流罪先の龍郷(たつごう)村の名家・龍家一族の娘・愛加那(あいかな)と結婚した。西郷33歳、愛加奈23歳であった。
 西郷南洲謫居(たっきょ)跡は、島妻(西郷は妻帯者なので)愛加那と過ごした場所で、一男一女(息子・菊次郎と娘・菊草)を儲けていたが、1861(文久元)年に薩摩藩への召還命令が下り、西郷は家族を残して藩に戻るが、4か月後に藩主島津久光の怒りを買い2度目の奄美配流となったが、配流先は龍郷ではなく、徳之島に93日、沖永良部島で1年7か月を過ごし、愛加奈と一所に暮らすことはかなわなかった。
 息子・菊次郎と娘・菊草は西郷本家に引き取られたが、愛加那は生涯一人で謫居の家で暮らし、1902(明治35)年、65歳で亡くなった。
 龍郷の謫居跡には、当時の木造家屋が復元され、1898(明治31)年に勝海舟の筆による記念碑が建てられ、邸内には西郷自筆の書や、愛用の机、枕、食膳などが公開されている。
※見学予約連絡先
電話:0997-62-3368(龍昭一郎宅)または、0997-62-2972(龍マサ子宅)

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注3:大浜海浜公園小浜キャンプ場・奄美海洋展示館

場所:鹿児島県奄美市名瀬小宿字大浜(大浜公園入口バス停より徒歩15分、名瀬港から7km)
受付時間:8時30分~17時(奄美海洋展示館)
電話:0997-55-6000(奄美海洋展示館)
期間:通年、無休(荒天時は休業の場合あり)
料金:1日300円。
設備:シャワー、トイレ、炊事棟、東屋あり。
備考:大浜海浜公園は奄美群島国定公園で、日本の渚100選、日本の水浴場88選に選定されており、海岸はウミガメの産卵場所であり、サンセット(日没)は東洋一と云われ、奄美十景の一つでもある。また、半島を取巻くサンゴ礁は必見の価値あり
その他:公園内に自動販売機、食堂あり
注意事項:満潮時キャンプサイトの唯一の出入口である海沿いの通路が浸水するので注意
浸水する通路・奥キャンプ場
浸水する通路・奥キャンプ場
手前・東屋、右・炊事棟、奥管理棟(シャワー・トイレ)
手前・東屋、右・炊事棟、奥管理棟(シャワー・WC)
海岸から見る東屋と管理棟の屋根
海岸から見る東屋と管理棟の屋根
炊事棟内部
炊事棟内部

奄美海洋展示館
奄美海洋展示館管理者:(株)道の島公社
開館時間:9時30分~18時 (入館は17時30分まで)
休館日: なし(年中無休)
料金:大人500円、小人300円
問い合わせ:電話0997-55-6000  HPhttp://www.synapse.ne.jp/kaiyo
備考:1階入口そばには、水深5mのサンゴ礁水槽があり、奄美近海に棲息する100種類の魚、30種類のサンゴを飼育展示している。水槽横の階段をあがるとともに、水深が浅くなり、サンゴ礁を横から見る様になっており、サンゴ礁の海底から砂浜、浜辺の森までを再現している。2階では、奄美の海洋自然に関する展示や映像体験コーナーがある。

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注4:金作原(きんさくばる)原生林

場所:鹿児島県奄美市名瀬朝戸石峰山原(行き方は数通りあり)
備考:奄美大島を代表する森で奄美市名瀬から宇検村に至る奄美中央林道の奄美市名瀬と住用町(旧・住用村)と大和村の境に位置し、樹齢130年といわれるイタジイ(※1)イジュ(※2)イスノキ(※3)等の広葉樹や巨大なヒカゲヘゴ(※4)が道沿いにそびえたつ亜熱帯性原生林である。また、国指定天然記念物のルリカケスオオストンオオアカゲラオオトラツグミや沖縄県天然記念物のアマミヤマシギ等の希少野生動植物が生息いている。なお、これらの動植物は、1975(昭和50)年、金作原国有林のほぼ半域にあたる125ヘクタールを自然観察国有林に指定して保存している。
※1:イタジイ
ブナ科シイ属の常緑広葉樹で、別名スダジイ。果実(椎の実・ドングリの実)は食べることができる。
※2:イジュ
ツバキ科の常緑高木で 沖縄と奄美諸島に固有種
※3:イスノキ
暖地に自生する常緑高木。葉の面に多数の小型の突起状の虫こぶ(ひょんの実)が形成されるのが特徴で、虫こぶ(ひょんの実)は大きくなり、成熟すると表面が硬く、内部が空洞になるので、出入り口の穴に唇を当てて吹くと笛として使える。
※4:ヒカゲヘゴ
奄美大島以南に生息する大型の常緑木性シダで、日本では最大のシダ植物である。
イタジイ
イタジイ
イジュ
イジュ
イスノキの実
イスノキの実
ヒカゲヘゴ
ヒカゲヘゴ

ルリカケス
ルリカケス
オオストンオオアカゲラ
オオストンオオアカゲラ
オオトラツグミ
オオトラツグミ
アマミヤマシギ
アマミヤマシギ

※鳥の写真は「野鳥の窓」等から

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注5:道の駅・奄美大島住用(すみよう)

道の駅・奄美大島住用(すみよう)場所:奄美市住用町石原(名瀬フェリーターミナルから約23km。奄美大島本島を縦断する国道58号沿い)
営業時間:9時30分~18時
備考:鹿児島県内の離島で、唯一の道の駅で、隣接する公園・黒潮の森マングローブパークには、マングローブ館や交流広場、遊具施設、展望台の他に、マングローブの原生林を探検出来るカヌーツアーも行っている(入園料¥500、カヌーツアー¥1500)。

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注6:マングローブ原生林

マングローブ原生林西表島に次いで国内2番目の規模のマングローブ原生林で、役勝川と住用川が合流するデルタ地帯(71ヘクタール)にはメヒルギ・オヒルギを中心に南方系の樹木約30種以上が混成し、野鳥の宝庫となっている。また、絶滅の危機にさらされている、天然リュウキュウアユ等さまざまな生物が生息していることから、1974(昭和49)年、奄美群島国定公園特別保護区に指定されている。

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注7:ヤドリ浜キャンプ場

場所:鹿児島県大島郡瀬戸内町ヤドリ浜(古仁屋よりバスで30分、ヤドリ浜バス停すぐ。約10km)
料金:無料
期間:通年営業
電話:0997−72−1111(瀬戸内町役場)
設備:シャワー、トイレ、炊事棟、東屋。
備考:隣接して、レストラン&ライブハウス「いそしぎ」とトレーラーハウス「海音フィールド蘇鉄」、ホテル「マリンスティション奄美」がある。ホテル「マリンスティション奄美」で日帰り入浴と1階のレストラン「ゆうな」利用可。自動販売機は炊事棟横と、ホテル側にある。
大きな東屋
大きな東屋・左手が海岸
キャンプサイト
キャンプサイト・左奥にマリンスティション奄美がある
炊事棟
炊事棟・奥左いそしぎ、右奥トレーラーハウス
シャワー・トイレ・管理棟
シャワー・トイレ・管理棟

※レストラン「いそしぎ」、「マリンスティション奄美」の写真は本文5日目・9月26日の項にあり。

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注8:古仁屋港

古仁屋は瀬戸内町の中心街で、古仁屋港には、バスターミナルや加計呂麻島・請島・与路島の離島と奄美群島の他の島への航路があり、奄美大島南部の玄関口となっている。

◇加計呂麻島便(フェリーかけろま)
古仁屋⇔瀬相(4便/日、所要時間20分)
古仁屋⇔生間(3便/日、所要時間20分)
※運賃:大人260円、小人130円
※運行表は、本文・奄美大島・交通の項参照

◇請島・与路島便(フェリーせとなみ)
古仁屋⇔請島(請阿室)⇔与路島(1便/日、所要時間:古仁屋から請島(請阿室)1時間、与路島1時間45分)
以上乗船場は古仁屋港大湊(Aコープ横)
連絡先:瀬戸内町役場古仁屋待合所 0997-72-3771

◇マルエーフェリー
鹿児島港(本港)⇔喜界島(湾港)⇔名瀬港⇔古仁屋港⇔徳之島(平土野港)
※時刻表は前述の奄美大島の項(交通:鹿児島~奄美各島~沖縄間の定期船運航)参照
乗場は古仁屋港船津(瀬戸内町役場南、海上自衛隊奄美基地分遣隊の西)
奄美海運株式会社(古仁屋連絡先:中村運輸 0997-72-1151)

◇海上タクシー
古仁屋港・海上タクシー事務所古仁屋~加計呂麻島は海上タクシーが運行しており、運賃は船長と交渉次第で一般的に金額は高いが時間が有効に使え、人数が多ければ得なケースもある(チャーター料1隻:古仁屋~与路島で15,000円、古仁屋~生間で2,500円程度)。これ以外に定期便の海上タクシーもある。




【海上タクシーの定期船】
定期船運行表(古仁屋~生間)
種別 古仁屋発 生間発 備考
海上タクシー 7:30 7:10 でいご丸(日曜日なし)
海上タクシー 7:55 でいご丸(日曜日なし)
フェリー 8:10 8:40
海上タクシー 10:15 10:30 エリザベス号(日曜日なし)
フェリー 11:40 12:15
海上タクシー 14:15 14:30 エリザベス号(日曜日なし)
フェリー 15:25 15:55
海上タクシー 17:15 17:30 でいご丸(17:30 日曜日なし)
海上タクシー 17:30 かもめ丸
海上タクシー 18:00 でいご丸(日曜日なし)
海上タクシー 19:00 19:15 エリザベス号
海上タクシー 21:00 21:15 エリザベス号
料金:大人250円

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注9:諸鈍芝居(しょどんしばや)・大屯(おおちょん)神社

大屯(おおちょん)神社・拝殿と土俵 1185(元暦2)年、壇ノ浦の戦いで破れた平家の落人・平有盛(ありもり)、平行盛(ゆきもり)、平資盛(すけもり)ら3人は、喜界島から奄美に逃げのびた。平有盛は奄美市名瀬浦上、平行盛は龍郷町戸口に、加計呂麻島の諸鈍には平資盛(平清盛の嫡男・平重盛の次男)がそれぞれ居を構えた。
 大屯(おおちょん)神社はその平資盛を祭った神社である。同神社で、旧暦9月9日に行われる重要無形民族文化財・諸鈍芝居(じょどんしばや)は、シバヤニンジョと呼ばれる男性達がユニークなお面をつけて踊る村芝居であり、平資盛が土地の人達と交流を深めるために教えたのが始まりと云われている。
 なお、平有盛(ありもり)、平行盛(ゆきもり)は、その名を冠した平有盛神社、平行盛神社が、それぞれが居を構えた集落に存在する。
※諸鈍芝居(しょどんしばや)は、写真の拝殿と土俵の間で行われる。

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注10:安脚場戦跡(あんきゃばせんせき)公園

 大島海峡は、西は東シナ海、東は太平洋の外海に抜けられる、水深が深くて東西に細長く、連合艦隊の避難港であると同時に、南方に侵攻する拠点として重要視されていた海峡で、旧日本軍はこの海峡を防衛する為、西側にある薩川湾は軍港として、東端の安脚場には要塞施設を造った。
 1920(大正9)年に、旧日本陸軍が設置していた砲台や、小銃、機銃の弾薬を格納する為の弾薬格納庫を、1941(昭和16)年に海軍によって再整備されると同時に、防潜網や管制機雷を遠隔操作する金子手崎(かねこてざき)防備衛所が構築された。
 戦後、連合軍によって武装解除を受けたが、残存していた弾薬庫や防備衛所、兵舎、ログハウス(司令官官舎)などの建物や砲台が設置されていたコンクリートを残し、戦跡公園として整備されたものである。
弾薬格納庫跡
弾薬格納庫跡
金子手崎(かねこてざき)防備衛所跡
金子手崎防備衛所跡
弾薬庫跡
弾薬庫跡
砲台跡
砲台跡

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注11:ムチャカナ公園

ムチャカナ公園:歌碑・祠美人で、島唄と三味線の上手な生間集落の住人・浦富(うらとみ)を、薩摩藩の役人が島妻(本妻ではなく、島だけの妻)にしようとしたが、本人がかたくなに拒み、小舟に乗って島を脱出し、喜界島の小野津へ漂着した。浦富は村人と結婚し、娘を儲ける。その娘・「むちゃ加那」も村一番の美人だった為、
女友達から嫉妬され、アオサ(青海苔)採りの最中に、海へ突き落とされ溺死してしまう。この事件でショックを受けた、母・浦富も入水自殺をした。この物語を島唄にしたのが、むちゃ加那節(うらとみ節)で、ムチャカナ公園には、この歌碑と遺品を祀ったがある。
※写真は、本文8日目:9月29日で。


続く・徳之島編



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