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第16章:徳之島編・
part1
平成18(2006)年・備忘録
目次
■徳之島
▶
地図
位置地図
全島地図
▶
概要
▶
交通
■与名間キャンプ場
▶
1日目:10月3日
(火) 曇一時雨 (徳之島上陸)
▶
2日目:10月4日
(水) 晴 (北部海岸散策)
▶
3日目:10月5日
(木) 晴、強風 (北西部海岸散策)
▶
4日目:10月6日
(金) 晴、強風 (南西部散策)
▶
5日目:10月7日
(土) 晴、強風 (天城町総合運動公園下見)
▶
6日目:10月8日
(日) 晴 (天城町町民体育祭)
▶
7日目:10月9日
(月) 晴 (与名間ビーチ・だるま夕日)
▶
8日目:10月10日
(火) 晴 (天城町南部・当部集落散策)
▶
9日目:10月11日
(水) 晴 (西郷南州関連地等散策)
▶
10日目:10月12日
(木) 晴 (尚子ロード一周)
▶
11日目:10月13日
(金) 晴 (職務質問)
※本文中
赤字
は写真あり。
■注
▶注1:
ユイの館
▶注2:
与名間海浜公園(与名間キャンプ場)
▶注3:
ホテルサンセットリゾート
▶注4:
尚子ロード
▶注5:
ムシロ瀬
▶注6:
手々永浜海浜公園
▶注7:
むちたぼり
▶注8:
アジ墓・淀大八目
▶注9:
高千穂神社
▶注10:
犬の門蓋(
いんのじょうふた)
▶注11:
天城大橋と秋利神(あきりがみ)架橋
▶注12:
犬田布騒動記念碑
▶注13:
犬田布貝塚
▶注14:
犬田布岬・戦艦大和慰霊塔
▶注15:
戸森の線刻画
▶注16:
秋利神(あきりがみ)キャンパスパーク
▶注17:
天城町総合運動公園
▶注18:
特攻平和慰霊碑
▶注19:
ビンジルガナシ
▶注20:
西郷公園
▶注21:
畦プリンスビーチ海浜公園・キャンプ場
▶注22:
天城クロスカントリーパーク
▶注23:
古玄泉(ふるげんごういじゅん)・松原神社
________________________________________
■徳之島
地図
位置地図
全島地図
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概要
鹿児島から南へ約470km、奄美大島の南西約90kmに位置する周囲89kmの奄美群島内で2番目に大きな島で、徳之島町、天城町、伊仙町の3町からなり、島の総人口は約2万6千人(平成16年現在)だが、若年層の島外流出は年毎に増加の傾向をたどっていることから、人口の過疎化と高齢化には歯止めがかからず、伝統行事やユイ(農家が労働力を貸し借りする風習)による農作業等の存続が危ぶまれている。
島の中央には、最高峰の井之川岳(645m)を始め、急傾斜の山々が走り、島を東西に分断し、海岸線は、断崖奇岩が各所に現れるなど変化に富み、ムシロ瀬、犬の門蓋、犬田布岬等の景勝地が多くみられ、沿岸にはリーフ(サンゴ礁の岩場)が発達する自然豊かな島である。
島の基幹産業であるサトウキビは、耕地面積、生産額共に奄美群島中最大であるが、藩政時代には、島津藩による圧政、つまり、当時徳川幕府の年貢の割合が6割が公儀、農民が4割の「六公四民」だったが、奄美諸島では、「八公二民」の年貢が課せられ、藩の「換糖上納制」による、年貢(黒糖)を納められない農民達は、不足分の黒糖を豪農から借りて上納していた。その為、ヤンチュ(家人)と呼ばれる制度があった。
黒糖を借りた農民は、豪農との間で、黒糖何斤(きん:1斤は600グラム)借用、金利○○として契約し、10年間、ヤンチュ(家人)として豪農の支配下(隷属)に置かれる、一種の債務奴隷(どれい)制度で、債務が解消されれば隷属(れいぞく)関係は消滅するが、消滅するのは稀で、それが故に、農民一揆の犬田布(いぬたぶ)騒動と云った解放闘争も発生した歴史がある。
なお、サトウキビの現況は(平成16年)、トン当たり4000円の市場価格(輸入価格)に、国からの交付金、1万6000円が上乗せされ、農家にはトン当たり2万円が支払われていると云う。
また、伝統文化でもある闘牛は、500年の歴史があり、島内に7つの闘牛場を有し、大相撲並みに、毎年1月の初場所、5月の春場所、10月の秋場所に優勝旗争奪全島一決定戦大会が開催され、年間20回程度の大会が島のあちこちで開かれ、掛け事の対象にもなっている。体重が1トンを超える闘牛が角を摺り合せる過激な戦いに熱中する島民性は、選挙戦でも発揮され、選挙に負けた陣営を応援した人や会社は、村八分的な扱いを甘んじなければいけないのも島の特性でもある。
【その他】
1、長寿の島として、ギネスの世界最高齢記録保持者の第2位(男性1位)・120歳の記録を持つ泉重千代氏は徳之島伊仙町出身で、銅像もある。
2、毎年6月に開催される「トライアスロンin徳之島」は恒例行事になっており、シドニー五輪金メダリスト高橋尚子がメダルに向けて練習をした道路は「尚子ロード」として記念碑が建てられている等スポーツが盛んであるが、奄美群島の各神社には必ず土俵が備え付けられている程相撲も盛んで、その中でも徳之島は、第46代横綱・朝潮太郎や南海のハブと云われた旭道山を輩出している。
3、島の総人口は約2万6千人(平成16年現在)にも係わらず、徳之島町、天城町、伊仙町の各町内には、体育館、野球場、陸上競技場、プール、遊具施設等を備えた総合運動公園があることに驚嘆すると同時に、その必要性と地域振興策による税金の無駄遣いを実感する。
4、徳之島には、観光名所史跡以外に、歴史的価値の高い遺跡・貝塚が多く、また、鍾乳洞・洞窟が多数点在するにもかかわらず、放置している。早急に合併し、これらを魅力ある状態に整備すると云った、島の活性化に税金を投入し、年間8万人程度しか来ない観光客を呼び込むべき。
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交通
◇フェリー
▼鹿児島~沖縄を結ぶ定期船が下り上りとも1日1回、東海岸の亀徳港に寄港。(15時間30分)
▼曜日によって鹿児島~徳之島を結ぶ平土野と鹿児島~徳之島~沖永良部島を結ぶ知名便が、西海岸の平土野港に寄港。※詳細は奄美大島編参照。
▼神戸~大阪~奄美~徳之島(34時間50分)
※注意事項
荒天の時は寄港地が、平土野港→亀徳港、沖永良部島・知名港→和泊港か伊延港に変更になることや抜港(寄港しないこと)もあり、同日でも下り便と上り便で違うこともある。
◇航空路線
▼鹿児島~徳之島間:午前往復1便・午後往復1便(1時間5分)
▼奄美~徳之島間:午前午後往復各1便(35分)
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■与名間キャンプ場
1日目:10月3日
(火) 曇り一時雨 (徳之島上陸)
裏航路のフェリーは定刻の13時過ぎに徳之島の西側にある
平土野
(へとの)
港
に到着した。空模様が怪しかったが、案の定上陸して直ぐに雨が降ってくる。
平土野港の奄美運輸の代理店である神田運送店で徳之島の情報収集をしてから、自転車を
フェリー待合所
の軒下に置き、徒歩で、リゾートホテル石から
平土野闘牛場
前を通りA-coop天城店に向かう。
同所では、奄美大島古仁屋のA-coop瀬戸内店前で回転焼きを売っていたテキヤの人(男性2人)が露店を出している筈。テキヤの本部は鹿児島にあり、定期的に鹿児島~奄美大島~徳之島~沖永良部島を回って商売をしている人達。
A-coop天城店は、平土野港から北東に直線距離で約500mの小高い丘に位置し、店の前にはテントの露店が出ているが、誰もいないので、路を挟んだ向かい側にある、天城町の図書館とユニークな建物の
ユイの館
(注1)
を訪問してから、露店に行くとテキヤのお兄さん2人が居た。
兄貴分の人が、港の神田運送店まで商売の材料を取りに行くついでに、自転車を置いているフェリー待合所まで送ってもらう。
待合所で、昼食を摂り間もなく雨が止んだので出発する。距離的には、A-coop天城店に行った道が一番の近道だが、急坂で荷物満載の自転車では困難なので、少し南に下がり、ガソリンスタンド角から東に入り、県道を左折し北に向かう。坂道を上り切った信号が天城の交差点で、左折すればA-coop天城店。直進し、離島で唯一の私立学校の樟南第二高前を通り、約9km先の与名間キャンプ場に向かう。
途中、徳之島空港の分岐や、
西郷隆盛の写真
が立っている公園の標識が目に付くが天候が不安定な為先を急ぐ。
与名間キャンプ場は、県道629号のホテルサンセットリゾートの看板から、海岸沿いに下った
与名間海浜公園
(注2)
の一角にあるが、シーズンオフの為か、管理事務所は閉鎖され、炊事棟の水も出ない。
飲料水の確保は出来ないが、シャワーやトイレは使用可で、管理棟前の水道も飲料不可との注意書きがあるが使用できるので、公園の一番端にある炊事棟の奥にテントを張る。
テントを張った東屋の北側は民間の「海の家」で、隣接して墓標とその横に「家」のような形をした木製の小屋が見られる。徳之島と同じ鹿児島県内の与論島では「龕(がん)」と呼ばれ、土葬で埋葬した上に被せる小屋だったのを思い出した。新しい小屋なので最近不幸があったと思われ手を合わせる。
夕食をするのには早すぎるので、公園の上にある日帰り入浴可(入浴料600円)の
ホテルサンセットリゾート
(注3)
に行き、久しぶりにサウナに入りリラックスする。同ホテルはトレーニングジムもあり、マラソンの高橋尚子や実業団の合宿に利用されているらしい。
入浴後は、キャンプ場から南に約1.4km離れた松原集落の港橋の角にある中島商店でビールを買って、与名間海浜公園の
東屋
で夕食を摂る。
平土野港
フェリー待合所
平土野闘牛場
ユイの館
西郷隆盛の写真
与名間海浜公園入口
サンセットリゾート玄関
公園の東屋
公園:左プール、右キャンプサイト炊事棟
公園:プールと炊事棟(中央奥)
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2日目:10月4日
(水) 晴 (北部海岸散策)
テントサイトの炊事棟は、電気は点かないが外灯が明るく、トイレ時のハブの脅威(徳之島はハブが多い)も軽減され、朝を迎え、食パンの朝食を終え、島北部の散策に向かう。
キャンプサイト前の県道629号の
尚子ロード
(注4)
を走り、約3km離れた
ムシロ瀬
(注5)
に行く。県道から海側に約700m入った入口には、
駐車場と円形のトイレ
、案内板があり、自転車をトイレ脇に置き、草むら道先の海際に広がる
奇岩
を探索して次に向かう。
ムシロ瀬から約3km東の手々(てて)集落から海側に入ったキャンプ場を兼ねる
手々永浜海浜公園
(注6)
は、専用のバーベキュー棟が何か所もあり、シャワー室やトイレを含む全体の整備も行き届き、
駐車場
から公園に入る入口には車いす用のスロープも設けられており最高の環境。
しかし、何も遮るもののない海側は、眺望は良いが、その分風も強く、台風時の避難場所が無い(与名間海浜公園は、更衣室に避難できる)。それと買出しが不便なのでキャンプは残念し、インスタントラーメンとコーヒーで昼食休憩をする。
帰途、駐車場で公園の草刈りに来た人と話をする。その人から、手々には、
むちたぼり
(注7)
と云う300年以上続いている行事やアジ墓、掟大八の力石、豊穀神社がある事を聞き、海岸沿いのグスク(城跡)にある
アジ墓
(注8)
や手々郵便局の隣にある手々小中学校の裏手の
掟大八の力石
、
豊穀神社
を見て回る。
そして、手々集落から県道629号を東進、徳之島の北東角に位置する金見崎に行く。金見崎には、集落の生活道路に蘇鉄が覆いかぶさる様な感じでトンネル状に群生している。元々は、畑の境界として植えられたものだが、今や、「
金見ソテツトンネル
」としてガイドブックにも載っている。
その樹齢300年を越すと云われる約200mの蘇鉄トンネルの先には展望台があり、先端の灯台をはじめ、金見崎海岸や奄美大島の眺望を堪能する。
予定では、東海岸の畦プリンスビーチ海浜公園のキャンプ場に行く積りだったが、気が変わり、来た道を引き返しキャンプサイトに帰る。
キャンプサイトの駐車場に、鹿児島ナンバーのワンボックス車が停まっている。テキヤの車に似ていると思い、テントを張っている炊事棟に行くと、案の定、テキヤの兄さんがいた。兄さんは、氷とビールを持参してくれていた。
テキヤの兄さんに、炊事棟北側の土葬墓の話をすると、興味を示したので案内をする。墓の横にミカンの木があり、実がたわわになっている。思わず口にすると美味しい。
テキヤの兄さんはビニール袋一杯にミカンを採り、その上、店先にあった夜光貝を3個持って帰る。唖然とするが、自分もミカンを食べたので同罪とあきらめる。
テキヤの兄さんが帰ってから、夕食の材料の調達の為、南に約1.4km離れた松原集落に出掛ける。
同集落を通る、県道629号の5~600mの両側には、昨日云った中島商店の他に、盛島豆腐店、文房具店・ヒラヤス、松原駐在所、大島松原郵便局、西元惣菜店、大丸武原理容、喫茶・たんぽぽ、JA(農協)、ウエダ自動車、城整備工場等の商店が点在し、その中でも徳田百貨店の看板が目に入る。百貨店とは・・・思わず店内に入る。食料品やガソリン、プロパンガスの販売をしている店だった。
同店で、食料品とビールを買いレジで精算。若奥さんと話をする。キャンプ地の海の家の所有者と親戚と判り、海の家にあるミカンとパパイヤは好きなだけ食べても良いとの了解を得、かつ、ミカンを袋一杯頂く。
尚子ロード記念碑前
ムシロ瀬入口とトイレ
ムシロ瀬の奇岩
手々海浜公園バーベキュー棟
手々海浜公園駐車場
手々アジ墓
掟(おきて)大八の力石
豊穀神社
金見ソテツトンネル
金見崎展望台景色・右奥奄美大島
金見崎展望台景色・灯台(中央)
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3日目:10月5日
(木) 晴、強風 (北西部海岸散策)
与名間ビーチに毎朝泳ぎに来る人が2人いる。1人は、近くの松原集落の住人で、阪神間で働いていた新田さん。1人は、義足の男性で平土野港の南、兼久集落の野村さん。2人は健康の為に殆ど毎日泳いでいるらしい。この人達と話をしてから、海岸沿いの散策に出掛ける。
与名間ビーチの北に広がる
海岸
沿いを歩く。砂浜や岩場、海浜植物等その景色は雑多。約2km先の
与名間崎灯台下
まで行って引き返す。途中、元学校の先生で区長も務めたと云う72歳の男性から、島の歴史や情報を聞き、また、釣り人と話をしたりして、キャンプサイトに戻る。
昼食後、午前中とは反対の南側の海岸を散策。その先は、
松原西地区生活館
(公民館)で、内部に人の姿が目に入ったので、中に入るが、婦人達が忙しく動きまわっていたので、声を掛けずにお暇し、
松原闘牛場
脇から、
県道629号
(松原闘牛場分岐)に出て、キャンプサイトに戻る。
夕食まで間があるので、
与名間ビーチ
でシュノーケリング。干潮で、外海のリーフまで腹が摺りそうな海。魚も少なく、シュノーケリングには不向きな海を実感する。
外海にウエットスーツを着用した男性が鉄砲ヤスを手に素潜りをしている。この人は猟師さんで、30cm大のイセエビと魚をゲットしていた。
夕方、キャンプサイト・炊事棟北側にある海の家に商品を運び入れる女性がいたので話をする。この店を経営するお姉さん。夫は猟師で、お姉さんは、平土野のコンビニでアルバイトをしている事や、海の家は、シーズン中だけ開店し、それ以外は要望があれば必要に応じて営業するらしいことが分かった。店舗前にある簡易水道は飲料可能で自由に使っても良いとの承諾を頂く。
海岸1
海岸2
与名間崎灯台下
松原西地区生活館
松原闘牛場
松原闘牛場・県道分岐
与名間ビーチ1
与名間ビーチ2
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4日目:10月6日
(金) 晴、強風 (南西部散策)
6時前にテントから出ると、炊事棟前の雲梯(うんてい・運動用具)で、毎朝泳ぎに来る野村さんが運動をしていた。野村さんは、兼久集落で奥さんと2人で、理容店を営み、子供3人の内、娘さん2人は東京、息子さんは大阪で暮している。自分の不注意で足を切断する羽目になったが社会に復帰後は、ここ与名間海浜公園で水泳や鉄棒をして体を鍛えている等々の話を聞く。
朝食後、ゴミを
空港
に捨てに行く。最近、離島のスーパーや公共施設からごみ箱が消えた。家庭ごみを捨てる人が多いのが原因らしい。ゴミの元を出しているスーパーの店先からゴミ箱が無くなるのは首を傾げざるをえない。それでなくても、道端や山の中にゴミが散乱しているのに、先が思いやられる。
ゴミを徳之島空港のゴミ箱に捨て、海岸沿いの道を通り、平土野のスーパー木村で弁当を買って、平土野港を見下ろせる高台にある、
高千穂神社
(注9)
に参拝してから、サトウキビ畑の中の道を通り、波により浸食された奇岩の
犬の門蓋
(いんのじょうふた)
(注10)
に寄って、県道83号に出て南進し、徳之島で一番大きい秋利神(あきりがみ)川に架かる
天城大橋
と
秋利神架橋
(注11)
に行く。
この2つの橋は、天城町南端・瀬滝地区と伊仙町北端・西阿木名地区の間にある渓谷を跨ぐバイパスで、中間部に展望公園が、橋の下の河川敷には、秋利神キャンパスパークと云う公園が設けられている。公園は帰りに寄ることにして、奄美十景の一つである犬田布(いぬたぶ)岬に向かう。
天城大橋から犬田布岬に行く道は色々ある。今回は、少し遠回りになるが、県道83号を犬田布地区まで行き、
岬入口バス停3差路
から犬田布岬方面の道路標識に従い右折し、途中、
犬田布騒動記念碑
(注12)
と縄文時代後期から弥生時代の終わり頃(約5500年前から1700年前)までの遺跡である
犬田布貝塚
(注13)
、海辺の岩礁のくぼみを利用して、自然に採れる塩に近い「ましゅ」と呼ばれるあら塩を作っている「
ましゅ屋
」の
塩田
を見学してから、犬田布岬に行く。
岬駐車場
の民宿・やまと横に自転車を置いて、アダンや海浜植物が茂る遊歩道を歩き、高麗芝が茂る
犬田布岬
(注14)
にある
戦艦大和慰霊塔
横の地蔵や左(南)約300mにある
御崎神社
の拝殿に般若心経を唱え、昼食休憩。平土野のスーパーで買った弁当を食べ高麗芝で寝転び、暫しうたた寝後、崎原地区を通り、糸木名地区に出て、県道83号を北上。
行きに通った、天城大橋と秋利神架橋のバイパスではなく、旧道に入り、右手の
戸森の線刻画
(注15)
への入口案内板(左手は採石場)に従い進んで、線刻画を見学してから、天城大橋と秋利神架橋のバイパス下河川敷にある
秋利神キャンパスパーク
(注16)
に寄ってから、キャンプサイトに帰る。
夜、テキヤの兄さんと弟分がビールを持参して訪ねてきた。外は強風なので、更衣室でビールと焼酎を飲み終わり、テントを張っている炊事棟に戻ると、北側の海の家に明かりが点いている。
海の家を覘くと、海の家の姉さんと仲間たちが飲んで歌っていた。姉さんの夫は、宴会の前に自分を呼んだが不在だった、今から仲間に加わるようにと云い、テキヤの2人と共にお邪魔をする。テキヤの人達は定期的に徳之島に来ているので、話はしたことがないが顔は知られていた。久しぶりの宴会に大満足。
徳之島空港
高千穂神社
犬の門蓋
犬の門蓋・メガネ岩
天城大橋
秋利神架橋
犬田布岬分岐・岬バス停
犬田布騒動記念碑
犬田布貝塚
ましゅ屋
塩田
犬田布岬駐車場
戦艦大和慰霊塔
御崎神社鳥居
戸森の線刻画
秋利神キャンパスパーク
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5日目:10月7日
(土) 晴、強風 (天城町総合運動公園下見)
昨日と一昨日は、強が強かった。台風の影響である。その台風は関東方面に逸れたのに、余波が強く、昨夜は一段と強い風が吹き荒れた。
何時もより遅い6時過ぎに目覚め、泳ぎに来ている散髪屋の野村さんから、明日の日曜日、徳之島3町(天城町、徳之島町、伊仙町)の体育祭が行われ、天城町は空港近くの総合運動公園が会場との事。
キャンプサイトの空き缶やペットボトルのゴミを集め空港のゴミ箱に捨てに行くついでに、
総合運動公園
(注17)
の下見をすることにする。
同公園は、徳之島空港に隣接(東側)する、陸上競技場、体育館、野球場等のある総合運動公園で、天城町の人口(7304人・平成16年現在)の割には立派すぎる施設に感嘆と同時に疑問も頭をよぎった。
そう云う思いはともかく、明日の体育祭の準備をする会場を下見して、同公園北東側で、
旧陸軍浅間飛行場跡
である1000mの直線道路の北端にある、
特攻平和慰霊碑
(注18)
に般若心経を唱えてから、キャンプサイトに帰り、ホテルサンセットリゾーで日帰り入浴、サウナでリフレッシュする。
天城町総合運動公園
公園・B&G海洋センター
旧陸軍浅間飛行場跡
特攻平和慰霊碑
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6日目:10月8日
(日) 晴 (天城町町民体育祭)
今日は、天城町町民体育祭の日。台風の影響に因る強風も治まり天気は快晴で絶好の体育日和。おにぎりを作って、
体育祭
の会場の天城町総合運動公園に向かう。
県道629号を南進、岡前小学校の前を通り、その先の交差点を右折し、北中学校前を経て、昨日下見をした会場に行く。
天城町総合運動公園の駐車場は勿論、周辺空き地は車・車・車・・・車だらけ。普段、車とすれ違うことは稀なので、びっくり仰天。勿論、会場の陸上競技場には天城町の全住民が集まっているのではないかと錯覚するぐらいの人であふれていた。
他の2町・徳之島町、伊仙町の体育祭会場もこの様な状態なら、徳之島の殆どの島民は体育祭に参加していることになり、不用心ではと有らぬ不安を感じた次第。
ともかく、離島の体育祭や運動会は、島民全員参加型の大規模なものであることを再確認。人に酔いそうなので、開会式を見てから会場を後にして、コンビニでビールと氷を買ってキャンプサイトに帰る。
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7日目:10月9日
(月) 晴 (与名間ビーチ・だるま夕日)
最近日課になっている、空港へのゴミ捨ての帰りに、キャンプサイトのビーチに毎朝泳ぎに来ている2人組の一人、新田さんの家に寄る。
新田さんの家は、松原地区のJAの近くで、県道629号沿いにあり、玄関前には貸店舗の看板が出ている。店の中は新装で、テーブルは勿論、おでんの器具や冷蔵庫等も完備されていた。でも、借手がいないらしい。新田さん自身で営業したらと提案するも、客商売には向いていないとやる気はないみたい。新田さんの神戸時代の話等を聞いてから、キャンプサイトに帰る。
昼過ぎ、小学生の女の子3人が、海の家の庭先に遊びに来た。海の家の姉さんの子供かと思い挨拶をする。姉さんの子供では無かったが、天城小学校4年生の子供達だった。今日は体育の日の休日で、親戚の家に遊びに来たらしく、色々な話をする。
子供たちが帰った後に、大型のビデオカメラ持参のグループがやって来た。与名間ビーチのサンセット(日没)撮影隊と判った。四国で見て以来、久しぶりに
だるま夕日
を見た。
与名間ビーチの夕日1
与名間ビーチの夕日2
だるま夕日
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8日目:10月10日
(火) 晴 (天城町南部・当部集落散策)
空港にゴミを捨ててから、キャンプサイトのビーチに毎朝泳ぎに来ている2人組の一人、散髪屋の野村さんの店に行くことにする。
平土野から県道83号を南下。天城中学を過ぎた兼久(かねく)集落の道路沿いに、理容・野村の小さな看板を見つけ、矢印方向の海側に入った先に、あたかも田舎の理容店と云った感じの店があった。それにしても、昨日訪問した新田さんの家の前も散髪屋。県道沿いや野村さんの店の近くにも散髪屋さんが何軒か目に付いた。徳之島は散髪屋さんが多い島だなと妙な関心を抱きつつ店内に入る。
野村さんは素足だった。素足で仕事をするらしい。暫くしてお客さんが2人来たのでお暇し、野村さんお勧めの当部(とうべ)集落を散策する事にする。
当部(とうべ)集落は、兼久(かねく)集落の東に約4km、滝瀬集落の県道83号から、軍事物資の輸送の目的に整備した鬼塚街道(奄美守備隊に属する独立混成隊の鬼塚義淳大佐率いる通称・鬼塚部隊が手作りで整備した為、その名で呼ばれている)の終点にある山間部集落である。
その鬼塚街道の終点看板のある近くに、ビンジルガナシと呼ばれる社殿と東又泉(アガリマタイジュン)と云う湧水施設がある。
道路沿い右手の階段を上がり、
鳥居
をくぐった小道の先の
ビンジルガナシ
(注19)
の
社殿
で、般若心経を唱えてから、その先の小さな広場奥手にある、
オキナワウラジロガシ
の大木を見る。
この木は、日本一大きなドングリの実がなることで知られ、また、その昔、この木の硬くて板状の板根(板状の根っこ)は、舵に使用されたらしい。同じ板根を持つ、西表島のサキシマスオウノキに比べるとやや迫力に欠けるが徳之島で見られるとは思わなかったので感動する。
しかも、当部(とうべ)集落の南東部に位置する、三京地区の山中の三京岳国有林(オキナワウラジロガシ、スダジイ、イスノキを主体とする天然林)には、樹齢200年以上と見られる、日本一大きいオキナワウラジロガシ(板根の高さ2.2m,根廻り14.8m,板根数8本)が確認されていると云う。
来た道を引き返し、道路から左手に入った突き当たりにある
東又泉
(あがりまたいじゅん)の湧水場所でペットボトルに水を補給する。同所は、当部(とうべ)集落の人達は勿論、近隣集落の人達からも重宝されていると聞く。
帰りに、日本一大きいオキナワウラジロガシがある三京岳に行こうと思ったが、道が判らず残念し、キャンプサイトに帰る。
キャンプサイトに、2人のキャンパーがやって来た。1人は、奄美大島・徳之島の固有種の昆虫採集をしている神戸の大学生。もう1人は、東京から鹿児島・志布志経由し、喜界島、奄美大島・ヤドリ浜から徳之島に入った単車の青年。情報交換をする。
ビンジルガナシ入口鳥居
ビンジルガナシ社殿
オキナワウラジロガシ
東又泉
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9日目:10月11日
(水) 晴 (西郷南州関連地等散策)
昨日やって来た、神戸の大学生は、昆虫採集へ、東京の単車の青年は、徳之島一周へ出掛けた。2人の青年を見送ってから、空港にゴミ出し。
空港のバスの運転手さんから、台風18号が発生したことを聞いたので、旅客ターミナル内の
観光協会
で台風情報を収集。この案内所では、インターネットで米軍・英語版の台風情報を見てくれた。それによると、13日に沖縄地方に接近予報との事だった。気象庁の台風予報は、3日間だが、米軍は7日間の進路予報がでるらしい。アドレスを聞いて今後の参考にする。
観光協会を後にして、空港旅客ターミナル南側にある
塩田発祥之地記念碑
を見る。空港がある一帯は塩浜と呼ばれ、塩田が広がっていたことから、それを記念する碑らしい。
その南側を流れる、湾屋川沿いにある
西郷南州翁上陸記念碑
を見て、岡前集落の県道629号沿いにある、西郷隆盛の写真が気になっていた
西郷公園
(注20)
に寄る。
西郷隆盛の写真
のある場所を右折した突き当たりの階段脇に自転車を置き、
木製階段
を上がった先が西郷公園。駐車場があると云うことは、車道が通じているらしいことが判った。駐車場には立派な
トイレと休憩舎
があり、その奥の、
西郷南洲翁謫居の跡
と
西郷南州顕彰碑
を見て回ってから、キャンプサイトに帰る。
キャンプサイトで自転車に異常が発生。タイヤのエアー漏れ。タイヤを検査すると、小さな金属片が刺さっていた。西郷公園に寄る途中、神戸市須磨区の自動車整備会社で働いていたと云うモーター屋さんで自転車のエアーを入れたとこだったのに・・・パンク修理をする。
空港の観光協会
塩田発祥之地記念碑
西郷南州翁上陸記念碑
西郷公園案内板
西郷公園入口階段
公園トイレ(右)・休憩所
西郷南洲翁謫居の跡
西郷南州顕彰碑
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10日目:10月12日
(木) 晴 (尚子ロード一周)
一昨日、キャンプ場にやって来た東京の単車の青年は、次の予定地・沖永良部島に渡る為、早朝キャンプ場を出発した。青年を見送ってから、尚子ロード一周に出掛ける。
尚子ロードは、キャンプサイトの南側に
記念碑
と
スタート地点
があり、空港のある半島西側の浅間地区から、時計回りに半島北部海岸に沿って東側の花徳(けどく)集落に至る県道629号(花徳浅間線)と、花徳から平土野港を経て空港に至る県道80号(伊仙亀津徳之島空港線)を結ぶ、31.2kmの起伏のあるコース。
日課のゴミ出しに空港に寄って、タクシーの運転手から、台風18号は奄美群島から逸れたとの情報を聞いてから、尚子ロードを反時計回りに辿る。
空港起点の県道80号を走り、平土野の天城交差点から左折(東進)する。同交差点を右(西進)に行けば、ユイの館とA-coop、直進(南進)は県道83号で天城大橋~伊仙方面。
県道80号は、天城交差点から東に延び、徳之島東側の花徳(けどく)集落
T字路
で北からの県道629号と交差し、南に折れ、伊仙町で県道83号と合流すが、尚子ロードは、T字路を県道629号側に北上する。
T字路角のスーパーで弁当を買って、北方約3kmの県道629号沿いにある、レストラン
島料理・畦
(徳之島フルーツパーク入口)から、海側に下り、
畦プリンスビーチ海浜公園
(注21)
内にあるキャンプ場の下見をする。
プリンスビーチ
は、1972(昭和47)年、当時皇太子だった現在の天皇皇后両陛下が遊泳されたことから命名されたビーチで美しいが、キャンプ場のシャワー施設は一部破壊され、トイレの状態も悪いのと、何より買出しが不便(お金持ちには、県道入口のレストラン島料理・畦が利用できる)なのが難点のキャンプ場の印象を得た。
キャンプ場の炊事棟で、先程購入した弁当を食べてから、次に向かう。
県道629号に出て、山(さん)集落の
海岸
沿いをしばらく走り、以前訪れた、金見ソテツトンネルから手々集落の中学校前を経て、キャンプサイトに帰り、尚子ロード一周が終了した。
何時ものことだが、徳之島は車が少ないのか、外に出ないのか車にすれ違うことは稀。“わ”ナンバーのレンタカー(観光客)など見たことがない。今日もご多分にもれず貸切状態。その上、1キロ毎に距離表示があり、マラソンの練習にはもってこいの環境を実感した。
尚子ロード記念碑
尚子ロードスタート地点
花徳(けどく)集落T字路:左畦、右亀徳
レストラン島料理・畦
畦キャンプ場・炊事棟
プリンスビーチ入口
プリンスビーチ
山(さん)の海岸
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11日目:10月13日
(金) 晴 (職務質問)
何時ものように、早朝水泳の2人組、新田さんと野村さんと話をして、これまた日課になっている空港へのゴミ出しに行き、一旦キャンプサイトに帰ってから近隣散策に出掛ける。
キャンプサイトから県道を少し南に下がった、
寝姿山
(妊婦が仰向けに寝ている姿に見える山)の南の山麓に芝生の道が東に延びている。ここが、
天城クロスカントリーパーク
(注22)
。
県道からサトウキビ畑を縫う様に東側に延びる立派な農道の先に入口があり、更衣室やトイレが完備する同施設は無料で利用できる。施設内を一回りして、農道を伝った先に、
松原神社
と昔の水の供給地であった
古玄泉
(ふるげんごういじゅん
注23
)があったので寄る。
先日訪ねた当部(とうべ)地区の東又泉(あがりまたいじゅん)の湧水場は現役であったが、この古玄泉は利用されていない様子。神社で参拝してから、川沿いの道を行くと、何時も利用する県道629号に出たので、県道沿いの徳田商店(百貨店の看板のある店で何時も買い物をしているところ)で聞けば、徳之島の各集落にこの様な泉が多数保存されているらしいことが判明した。
徳田商店で、夕食の材料とビール、氷を買って、キャンプサイトに帰ると、警察官が来ており、免許証の提示と携帯番号を聞かれた。俗に云う職務質問。旅に出て、2年弱で2度目の体験。明日徳之島を発つ決断をする。
寝姿山・岡前の戸之木橋より
クロスカントリーパーク入口
松原神社
古玄泉
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■注
注1:ユイの館
天城町の歴史・民俗・産業などを紹介する郷土資料館で、通路にはゴヤの「裸のマヤ」やピカソの「ゲルニカ」、ゴッホの「ひまわり」などの複製絵画も飾られている。「ユイ」とは、助け合いや励まし合いの精神のことで、昔から「ユイ」の労力を提供されたら、必ず「ユイモドシ」という労力を返すと云う習慣(労働力の交換)があった。
所在地:天城町天城439-1(平土野柚木商店前バス停下車、徒歩3分。県道83・80号天城交差点西入る)
料金:200円
時間:9時~17時
定休日:月曜(祝日の場合は翌日)
連絡先:電話0997-85-4720
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注2:
与名間海浜公園・キャンプ場
与名間ビーチは、夏期に海水浴やマリンスポーツで賑わうレジャースポットで、毎年6月に行われる鉄人達の島トライアスロンin徳之島大会のスイム会場でもある。公園内には、管理棟(事務室、男女更衣室シャワー、男女トイレ)や炊事棟(キャンプ場)以外に、町営バンガロー(※)の宿泊施設やレジャープール(ウォータースライダー)、遊具、B&G艇庫(ウインドサーフィン、カヌー、ヨット、マリンジェット、バナナボート他)、パターゴルフ等が併設されている。
所在地:天城町与名間596-1(徳之島空港より北に約5km、県道629号から西入る)
営業:通年(管理事務所は海開きの5月15日以降の営業と思われる。確認の事)
料金:無料
連絡先:電話0997-85-5149(天城町役場企画課)
※町営バンガロー:ウッドテラスがあるログハウス風コテージの2棟4戸。使用料6000円~(2名素泊まり)
駐車場
右:管理棟・シャワー・WC
更衣室、左・東屋
バンガロー
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注3:
ホテルサンセットリゾート
亜熱帯色豊かな楽園リゾート徳之島を存分に楽しめる、スポーツでの合宿に最適なコテージ。
所在地:天城町与名間610-1
連絡先:電話0997-85-2349
客室:70室
定員:120名
設備:レストラン・大浴場・サウナ・露天風呂・カラオケルーム・宴会場・コインランドリー(有料)・スポーツジム
駐車場:50台(宿泊者無料)
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注4:
尚子ロード
2000(平成12)年9月、シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子が練習していた天城町与名間を起点とする徳之島北部一周31.2kmのコースで、オリンピック前の4月に、尚子ロードと命名され石碑も設置された。尚子ロードは起伏の激しいコースだが、1キロ毎に距離表示が設けられ、かつ、車の通行量が極端に少なく絶好のマラソン練習コースである。
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注5:
ムシロ瀬
(むしろぜ)
所在地:大島郡天城町与名間(ヨナマ)字大石(県道629号線より700m海岸方向)
設備:トイレ、駐車場あり
備考:奄美十景の一つ
奄美群島国定公園(むしろぜ)徳之島の北西に位置し、その名のとおり海岸にあたかもムシロを敷き詰めたような巨岩が連なっており、珊瑚礁の岩の多い奄美群島では珍しく、花崗岩が広がり、壮大な景観である。付近には大島紬の染料に使う車輪梅(シャリンバイ)が多い。ムシロ瀬案内板より
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注6:
手々永浜海浜公園キャンプ場
所在地:鹿児島県大島郡徳之島町手々(手々小学校前バス停より徒歩3分)
設備:シャワー、トイレ、バーベキュー用のカマ
連絡先:電話0997-82-1111(徳之島町役場)
※写真説明:右の建物がトイレ・シャワー棟、左は管理棟
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注7:
むちたぼり
(むちたぼれ)
手々集落に300年以上伝わる伝統行事で、町の無形文化財にも指定せれており、昔にNHKの「ふるさとの歌まつり」で全国に紹介された事もあるらしい。この「むちたぼり」は、お盆の時期の祭りで毎年8月半ば頃に行われる。
「むち」は餅、「たぼり」は給(たま)うで、餅を作って配ると云った五穀豊穣を祈願した祭り。
白い布を頭からかぶり扇子と棒を手にした男性陣と、豆絞りの手ぬぐいで頭を覆った浴衣姿の女性陣が輪になって、三味線や太鼓を叩きアンゴー踊り(アンゴーとは、沖縄方言のアングヮ(娘)の訛ったもの)を踊りながら集落の一軒一軒を回る。男性がアンゴーと呼ばれる娘の恰好をして踊るのは、ノロ(神女)に扮して神々に捧げる豊作祈願の舞であるとも云われている。
※写真は南海日日新聞社・南海ドットコムより
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8:
アジ墓・掟大八目
(オキテ・フーハチムィー)
所在地:徳之島町手々(共同墓地)
備考:手々海岸に面した小高い丘陵のグスク(城)の入口に、石門のあるアジ(按司)墓は、琉球王朝時代の掟(今の区長)役であった大八(淀大八目の「目」は、目上や兄の意味)の墓で、その周囲には大八を守るように6個の墓石があり、これを総称して按司墓と呼んでいる。
大八は築城の術、特に石工としての技術に秀れており、首里城構築の際には、琉球王から唐焼の酒器を褒美に頂き、その酒器は手々村の保家の家宝として保存され、旧暦の正月元旦から七日にかけて拝観できるらしい。また、県道83号から豊穀神社方面に入り一辻目の庭に、大八が力試しに用いたと云う、重量八百斤(1斤=160匁=600g、800斤=480kg)の掟大八の力石(おきてだいはちのちからいし)がある。
石門
大八の墓を囲む6個の墓石
アジ墓説明板
掟大八の力石説明板
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注9:
天城高千穂神社
所在地:天城町平土野
高千穂神社・説明板内容(天城町教育委員会)
「明治二年、島詰官氏によって大隈国霧島神社から分社され、徳之島三間切(※)にそれぞれ建立、天城では阿布木名村(現在の楠南二高校)近くに建てられ、村民の氏神として二月九日、九月九日は全村民がお参りをした。
その後平土野原(旧役場駐車場)に、さらに同地に町役場が開設されたため現在地に移転した」
※三間切:当時の行政区分で、西目間切(現天城町)、東間切(現徳之島町)、面縄間切(現伊仙町)のことで、それぞれの間切に高千穂神社があり、西目間切の神社を天城高千穂神社、東間切の神社を亀津高千穂神社、面縄間切の神社を面縄高千穂神社と呼ばれている。
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注10:
犬の門蓋
(いんのじょうふた)
東シナ海に面したこの海岸一帯は隆起サンゴ礁が長年にわたる侵食により出来た洞門状のメガネ岩や奇岩・断崖が続く景勝地で、昔、大飢饉時、人畜に危害を及ぼした犬をこの場所から海に投げ込んだことから名前が付いたと云われる。
入口道路と案内板
メガネ岩入口
海岸
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注11:
天城大橋or秋利神(あきりがみ)架橋
天城町南端・瀬滝地区と伊仙町北端・西阿木名地区の間にある渓谷を跨ぐバイパスで、天城町側が天城大橋、伊仙町側が秋利神架橋である。
天城大橋の欄干は船を、照明灯は船のマストに見立ててデザインされている。天城大橋は全長245m、高さ90mの鋼アーチ橋。秋利神大橋は全長115m、高さ33mのコンクリート橋で、1996(平成8)年10月に開通した。
天城大橋と秋利神大橋の間には展望台があって、はるか彼方に犬田布岬が見え、眼下には公園・秋利神キャンパスパーク(注16参照)が一望できる。
写真説明:奥が天城大橋、手前が秋利神架橋、中間地点に展望所がある。
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注12:
犬田布騒動記念碑
所在地:伊仙町西犬田布(県道83号、岬入口バス停より800m岬寄り)
備考:犬田布騒動(いんたぶそうどう)は、1864(文久4・元治元)年4月23日に徳之島の犬田布村で起きた百姓一揆。
サトウキビを産する奄美諸島は当時の薩摩藩の過酷な砂糖政策により搾取を受けており、砂糖総買入制によって島民による砂糖の売買が禁じられており、騒動の発端は農民の一人新山為盛が砂糖の横流しの疑いにより捕らえられ拷問を受けたこととされている。同人救出のため犬田布の農民150人余は暴動を起こし、仮屋を包囲、役人を追い、森に7日間篭城した。
奉行所も村民全員を罪人にはできず、7人を島流しして無血解決した。この騒動は全島に知れ渡り、その後の砂糖取締りは大いに緩和されたと云われている。
その後、この騒動は島唄「徳之島節」の歌詞として歌われるようになり、1964(昭和39)年には犬田布岬において百年祭が挙行され、犬田布騒動記念碑が建てられた。また、これを題材として戯曲「犬田布騒動紀」が伊集田実により作られた。以上、出典:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)
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注13:
犬田布貝塚
(鹿児島県指定重要文化財)
所在地:伊仙町犬田布(犬田布騒動記念碑の裏手)
現地説明板内容
「この遺跡は縄文時代後期から弥生時代の終わり頃(約5500年前から1700年前)までの遺跡です。
1969(昭和44)年に最初の調査が行われ、1983(58)年に文化庁と鹿児島県教育委員会の協力を得て伊仙町教育委員会が発掘調査を実施しした結果、奄美諸島特有の土器・石器・シカやクジラの骨を利用した製品(骨角器)・貝輪・夜光貝製品などの道具や貝殻・獣骨(イノシシやアマミノクロウサギ)などが大量に出土した。これらの出土品から当時の人々の生活が想像できます。
この遺跡は、徳之島の歴史や文化を知る上で貴重であることから、鹿児島県の文化財に指定し、保護しています。
鹿児島県教育委員会・伊仙町教育委員会」
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注14:
犬田布(いぬたぶ)岬・戦艦大和慰霊塔
所在地:伊仙町犬田布岬(県道83号、岬入口バス停より北西に2.2km)
備考:島の南西部、東シナ海に向かって突き出た岬は、琉球石灰岩の海触崖と鋭く切り立つ断崖は、奄美十景のひとつ。岬の上は高麗芝が青々と自生し、中央には、戦艦大和の慰霊塔がある。
戦艦大和は、1945(昭和20)年4月6日、山口県徳山沖から沖縄に向け、水上特攻「菊水作戦」で、軽巡洋艦、駆逐艦8隻の計10隻で出撃。翌7日、鹿児島県坊岬沖約200キロで米軍艦載機の攻撃を受け、大和、矢矧、朝霜、浜風が沈没し、霞、磯風が航行不能となり、計約3700人が戦死した。
犬田布岬入口
犬田布岬景色
戦艦大和慰霊塔
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注15
:戸森の線刻画
(せんこくが)
所在地:天城町西阿木名秋利神戸森(秋利神架橋から直線距離で約280m東)
現地説明板内容
「こちらは、天城町秋利神川北岸の戸森である。
こちらには、御覧の様に東と西約20m隔てて、船と矢の掘り込まれた三畳敷ほどのキャンパスを拡げたような二個の巨岩が横たわっている.東位のものを第一線刻画、西位のものを第二線刻画と言っている。
このような岩が島内では天城町三京、伊仙町馬根、大田布丘山頂、徳之島町母間、国内では沖縄、北海道フゴッペ洞穴、国外ではフィラデルフィア、スカンズナビア半島、パルチック海、デンマーク、スエーデン、アムール河流城、韓国にもある。この線刻画葉は大正末期に発見されたが、これまで関心が薄く近年琉球大学本村氏、神戸商船大学松本氏、同志社大学の森氏等の調査によってこの遺跡の重要性が指摘された。天城町教育委貝会では梅光大学国分氏に調査を依頼した。
その結果、船や矢を岩刻した動機は、呪術的願望達成が動機であり線刻した道具は鉄利器で、線刻した人は島人(秋利神川周辺の住人)で、線刻した時期は、グスク時代であろうし一ヶ所に大小様々の三十もの多くの多くの船、矢が刻まれておりアジア地域で始めての発見で極めて重要で学術上価値が高いと所見を述べている。町教育委員会では、町文化財に指定し町ぐるみ島ぐるみで保護・活用をおこなっている。
天城町教育委員会」
写真説明:奥(東)の柵が第一線刻画、手前(西)が第二線刻画で、両方の大岩はいたずら防止の為、柵で守られているが、お賽銭が投げられている。
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注16:
秋利神(あきりがみ)キャンパスパーク・キャンプ場
所在地:天城町瀬滝
備考:県道83号・天城大橋下を流れる秋利神川河川敷を利用した公園で、野外ステージ、コテージ、多目的広場、釣り場以外にキャンプも可で、全施設無料で利用できる。
連絡先:電話0997-85-5373(天城町建設課)
キャンパスパーク全景
キャンパスパークと犬田布岬
キャンプ場から見る天城大橋
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注17:
天城町総合運動公園
所在地:鹿児島県大島郡天城町浅間総合運動公園内(徳之島空港に隣接)
体育館:1階にバレーボールコートとトレーニングルーム、2階に柔道・剣道・空手道等の武道館
野球場:両翼91m、センター120m、ピッチングマシン、室内ブルペン4組
陸上競技場:400m×7レーン・サッカー場1面・ソフトボール2面
テニスコート:クレーコート4面
屋内プール:25mコース6レーンと幼児プール
屋内ゲートボール場:2面
その他:B&G海洋センター(公園北端)
料金:野球場ナイター1時間2,000円、競技場ナイター1時間1,200円
連絡先:電話0997-85-5151(天城町社会教育課)
駐車場:200台
※実業団の陸上部やアマチュア野球、プロ野球選手の自主トレ等で利用されている。
入口
グランド
室内施設
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注18:
特攻平和慰霊碑・旧陸軍浅間飛行場
大東亜戦争(太平洋戦争)において、南方に向け出撃した鹿児島の知覧や万世の特攻隊が最後の補給基地として飛来したのが旧陸軍浅間飛行場で、その飛行場跡が徳之島空港の東側に広がる約1000mの直線道路にあたる。
特攻隊として戦火に散った若者の御霊を慰める為に建立された特攻平和慰霊碑は、直線道路の北端に南向きに立っており、その背後一帯には戦後間もない頃に近くの天城町立北中学校の生徒職員一同により防潮・防風目的で植えられたモクマオウ林が一面に広がっている。
※浅間陸軍飛行場は、1944(昭和19)年3月に完成した、長さ1500m・幅60mの滑走路を有する飛行場。
写真説明:赤の印が飛行場跡、右手の徳之島空港との中間に位置するのは徳之島総合運動公園
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注19:
ビンジルガナシ
所在地:天城町当部(とうべ)
ビンジルガナシ説明板内容
「仏教が伝来する以前のかなり古い時代の石の信仰に因んだもので、祭ってある石の軽量によって吉凶禍福を占う神様として村人に崇められ、村人のビンジルガナシへのお祈りは、家内安全、農作物の豊作、青少年団の競技の必勝、入試合格、戦時中は戦場に赴いた兵士の武運長久等祈願内容も多岐にわたり、村人のビンジルガナシへの信仰が厚かったことがうかがえる。
ビンジルガナシの初代神主は、松福嘉美といわれ爾来その子孫が、代々その神事を継承していたが、近年その継承者も絶えて、最近になって現在の場所に氏神として社殿を新しく作り、集落の守護神として人々から信仰されている。天城町教育委員会」
備考:ビンジルガナシの意味。
ビンジルは信仰の対象とされる霊石のことで、祈願したことの成否を占う為霊石をもちあげて、軽いと感ずれば吉を意味する石占で、一般には旧暦9月9日に例祭が行われる。徳之島では、天城町三京地区にもビンズルガナシが祀られている。
ガナシ=加那志は、昔、女性を呼ぶ場合に使用されていた敬称であるが、沖縄では、琉球国王を首里加那志(シュンジヤガナシ)、沖縄加那志(ウチナーガナシ)と呼んでいた。
また、ビンジルは賓頭盧(びんずる)に通じることからか、釈迦の弟子(東大寺大仏殿の前にある像が著名)で、撫でると除病の功徳があるとされる、賓頭盧(びんずる)尊者と関わりがあるとの説がある。
なお、石垣島を中心とした八重山諸島でビジリ・ビッチリ・ビディリなどと呼ばれる石は、田畑の神・牧場の神・屋敷神など地神を祀る石や、
石敢當
(いしがんとう)の類の魔除けの石を意味する。
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注20:
西郷公園・西郷南洲翁上陸地
所在地
①西郷南洲翁上陸地:天城町浅間字湾屋道(空港南の湾屋川に架かる西郷橋の海側にある)
②西郷公園(西郷南洲翁謫居跡・西郷南洲顕彰碑):天城町岡前
備考:徳之島へ遠島処分を言い渡された西郷南洲翁(西郷隆盛・当時36歳)は1862(文久2)年夏、藩指定の砂糖積み出し港であった、湾屋港(天城町浅間)に上陸し、港近くの湾直道宅に一週間滞在した後、岡前の松田勝伝宅に移り、69日間を過ごした。
これを記念して、湾屋港河口を湾屋川史跡公園として整備し西郷南洲翁上陸地の記念碑を、岡前の西郷公園入口に、西郷南洲翁謫居跡の記念碑、同公園内に、西郷南洲顕彰碑が設置されている。
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注21:
畦プリンスビーチ海浜公園・キャンプ場
所在地:徳之島町山(県道629号フルーツパーク脇から海側に入る)
料金:無料
連絡先:電話0997-82-1111(徳之島町産業振興課)
備考:公園は多目的広場・キャンプ施設・ビーチの3つに分かれており、ビーチは、発達したサンゴ礁に囲まれた白い砂浜が1.5km続き、1972(昭和47)年、今上天皇が皇太子時代に美智子妃殿下と一緒に遊泳されたことから命名された。多目的広場には展望所や野外ステージ、芝生スライダーがある。
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注22:
天城クロスカントリーパーク
所在地:天城町松原(寝姿山南山麓)
コース:芝舗装:2キロ、1キロ(照明なし)
設備:管理棟(更衣室・トイレ・身障者用トイレ)
営業期間: 無休
料金: 無料
連絡先:電話0997-85-5149(天城町商工水産観光課)
備考:実業団陸上長距離選手をはじめ、社会人野球チーム等の冬期合宿地として利用されている。
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注23:
古玄泉(ふるげんごういじゅん)・松原神社
所在地:天城町松原(県道629号・港川に架かる橋の南側を東に入る松原神社の境内)
古玄泉の由緒説明板の内容
「この泉は600年以前から徳之島の泉として北に位置し日本本土と中国大陸への海路の途中にあって水の供給地として重要な役割を果たしてきました。
特に航海安全の守り神として代々受け継がれて来た神の泉であります。
この泉は広く島民の命の源としてあらゆる事を願いし島民の信仰を厚くして来ました。天城岳の麓に位置する古い泉の源として古玄泉と称します。」
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