所在地:徳之島町母間本崎
備考:一切(ちゅっきゃい)とは、短い一節の意味。一切(ちゅっきゃい)節は、1905(明治38)年頃、母間地区の“成ちよ”さんが初めて歌い出した短い即興詩で、曲の区切りが短く軽妙であるところから名付けられた。節回しのよさ、歌詞の作り易さ等から、母間の「ちゅっきゃいぶし」と呼ばれ、徳之島は勿論、大島郡の全域で流行し、今もなお歌い継がれ、主に祝い事や宴会の席等で、男女掛け合いで唄われることが多く、毎年8月には母間新港で「ちゅっきゃい節祭り」が行われている。
【歌碑文】
「うしまっつくぬしま 十八里ちゅがや 十八里ぬ先なお みきゆるきぶしぐわ ありやわんかなしむが たぱくぬきぶしぐわ」
一切節は→http://www.youtube.com/watch?v=Q509lffgsR8&feature=related
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■第2回徳之島ワイド祭り
概要:三町合併問題徹底討論会や勉強会、各種シンポジウム等を主催する、NPO法人ワイド21が中心となって、徳之島3町と民間が一体となり、闘牛とワイド節を売り出す祭典で、今回が2回目の開催である。14日(土)の前夜祭は、徳之島のアマチュアバンドが中心。翌15日(日)の本際は、パフォーマンスコンテストやゲストライブ等の催しと同時に、年度最終の全島一優勝旗争奪闘牛大会が行われる。会場には、フリーマーケットや物産展、屋台、夜店が並び、多くの家族連れで賑わう。
主催:徳之島三町実行委員会
日時:平成18年10月14日(土)・15日(日)
会場:亀津新漁港特設会場
◇14日・前夜祭(17時~21時)
【徳之島アマチュアバンド祭】
出演者:キューピー(高校生バンド)・いきなりチャンプルー・うぎうぎバンド・じゅり・ヴェンデーヘン・MACBAND
ゲストミュージシャンライブ:Kiala、禎一馬、あずままどか
◇15日・本際(12時開場)
【島われんきゃぬ祭典】(14時~)
出演者:亀津小吹奏学部、幸徳保育園、神之嶺小学校夏目踊り保存会、三京三味線教室、始井三味線教室、黒組太鼓、内琉球舞踊教室、亀徳保育園、ダンスCORE、蔵越エイサー
【徳之島ミュージックフェスタ】(17時~)
出演者:黒潮太鼓・東ヒロミツ、吉田サトル、松本良作、うなり神、幸野泰士
【ワイド節パフォーマンスコンテスト】(18時30分~)
出場団体:徳之島高校音楽部、フラダンスエミコブルメリア、太組、舞遊会、徳之島闘牛太鼓
ゲストライブ:Kiala、あずままどか、禎一馬
三味線:坪山豊
結果:1位:徳之島闘牛太鼓チーム、2位:舞遊会チーム、3位:徳之島高校音楽部チーム
◇ワイドとは
闘牛の時に歌われるワイド節の事を指す。闘牛場で、牛に向かっての声援で「ワイド!」、勝負に勝った時にも「ワイド!ワイド!」と歓声をあげ、闘牛には欠かせない掛け声でもある。
◇ワイド節
1978(昭和53年)に作曲(作詞・中村民郎、作曲・坪山豊)された、歌詞が島口(島の方言)の徳之島民謡で、徳之島だけでなく、奄美大島でも有名な曲で、スーパーダイエーでは、タイムサービスになるとワイド節「ワイド、ワイド、わっきゃ牛しゃワイド~♪」が流れている。
【歌詞】
1.ワイド、ワイド、ワイド
我(わ)きゃ牛ワイド、全島一ワイド
三京(みきょ)の山風、如何(いきゃ)荒さあても
愛(かな)しゃる牛ぐゎに、草刈らじうかりゅめ
ウーレ、ウレウレ、手舞(ま)んけ、足舞(すねま)んけ
指笛(はと)吹け、塩(ましゅ)まけ、ウーレ、ウレウレ
我きゃ牛ワイド、全島一ワイド
徳之島民謡ワイド節は→http://www.youtube.com/watch?v=2l1cUguVO1o
■闘牛大会
初場所(正月)、春場所(5月)、秋場所(10月)の年3回の全島大会が、また、全島大会と前後した日やお盆にも各地の闘牛場で闘牛大会が行われ、徳之島の7ケ所の闘牛場の観戦料は全島一大会が、大人3、000円、小人(中学生以下)1、000円、それ以外の大会は大人2、500円、小人(中学生以下)1、000円である。
試合は、重量級の横綱、中量級(950kg以下)、軽量級(850kg以下)の体重別でタイトル戦が行われ(タイトルの最高峰は、横綱の中の横綱である「全島一横綱」である)、直径約20mの土俵(リング)内でぶつかり合い、勢子が牛と一体となって牛を叱咤激励し、突きや角掛け、懐に飛び込んでの速攻など技の応酬を繰り広げる。
【徳之島の闘牛(ウシトロシ)】
牛は古くから農耕用として使用されていたが、農耕中や放牧の中で、牛が角を合わせて喧嘩をする姿を見た牛主達が、収穫が終わった時期に「なぐさみ(慰み)」として闘わせたのが始まりで、徳之島観光連盟発行のパンフレット「闘牛と長寿のふるさと 徳之島」には、藩政時代の頃、砂糖地獄に苦しめられた農民が、ようやくの思いで税として完納できた収穫の喜びを祝って行われた、島民の唯一の娯楽で、約500年の歴史があると記されており、戦前は奄美諸島全域でも行われていたが、現在、奄美諸島では徳之島だけに残り、独自の闘牛文化を築き現在に至っている。
国内の闘牛は、沖縄県、愛媛県宇和島、島根県隠岐の島、新潟県小千谷市・山古志村で催されているが、鼻綱を鎌で断ち、自由に闘わせる本格的な闘牛は徳之島だけで、それ故か、勝敗にこだわり、熱狂的な応援と人々の熱気が徳之島の闘牛の特徴で、大会前日に親族一党が集まり勝利を祈って前祝い。当日勝利すると、試合場になだれ込み、牛を取り囲み、手舞い足舞いをして歓声・雄叫び・指笛で祝福し、祝賀会が朝まで開かれると云った具合である。
ともかく、闘牛牛を所有することは、一族の宝であり、家の繁栄の象徴で、牛の散歩も日常的で徳之島の風物詩にもなっている。
なお、闘牛は競馬と違い、血統は無いが、体型の大きい岩手産が人気を博し、訓練された闘牛は、3才位からデビューさせ、8~9才に円熟期を迎え、12才位で力が衰えていく。しかし負け癖がついた牛や見込みのない牛は、肉牛として売り払われる(今回の大会で負けた牛は1頭5万円と聞いた)運命にある。
徳之島の闘牛は、牛主の名前や会社名を、沖縄では地名、新潟・隠岐は家の屋号を名乗る事が多い。
【闘牛の勝敗の決し方】
両雄が土俵に入る。角を突き合わせ組み合った瞬間から対戦タイムが計られ(組むのを嫌がれば相手牛の不戦勝となる)、頃合をみて勢子(闘牛士)が鎌で鼻綱を切り、本格的な戦闘が開始される。
牛の横に勢子(闘牛士)がぴったりとつき、「セイヤ、セイヤ」と掛け声をかけ、牛の体を叩いたり、足を強く踏み鳴らしたりして闘争心をあおり、また、時には、体をさすって平常心を取り戻させつつ、タイミングを見計らって攻撃の合図を送ると、牛は角を駆使して相手を攻撃する。
攻撃は、①角掛け(自分の角を相手の角にかけて首を倒す)、②突き(顔面などに角を突き立てる)、③腹取り・速攻(相手のすきを見て腹部などに突進する)「腹取り(速攻)」の3つの基本技があり、勝負は、早くて数十秒、平均すると10~20分で勝負がつく。相手が尻を向けて逃げたら勝ちという、わかりやすいものである。長時間動きがない試合は観客の同意を得た上で引き分けとなる場合もある。
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注26:なごみの岬公園(富山丸慰霊碑・武州丸遭難者の碑)・キャンプ場
所在地:徳之島町亀徳
概要:1944(昭和19)年6月、大東亜戦争参加のため、鹿児島・都城・熊本、四国出身の将兵・乗組員約3800人が乗った「冨山丸」が徳之島亀徳沖で米軍の潜水艦に魚雷攻撃を受け撃沈し、3724人が戦死。同年9月、十島村中之島沖にて徳之島からの疎開船、「武州丸」が米軍の潜水艦の魚雷攻撃で沈没し、徳之島の学童ら148人(生存者6人)が犠牲になった。
米軍の潜水艦の攻撃を受けて亡くなった人達の慰霊を弔うため、1946(昭和39)年に沈没地点を望む丘に「富山丸慰霊碑」が、また、33回忌の1976(昭和51)年には、道路を隔てた場所に、「武州丸遭難者の碑」が建立され、これら慰霊塔周辺を整備したのが、なごみの岬公園である。
◇富山丸慰霊塔参道両脇には、黒御影石板14枚を屏風状に並べた、「なごみの碑」があり、表には犠牲者、裏には建設費を寄付した約二千人の遺族の名が刻まれている。
◇武州丸遭難者の碑文は次の通り
「太平洋戦争の激化に伴い、徳之島守備の高田部隊の要請により鹿児島県知事は徳之島の老幼婦女学童を本土へ疎開せしめんとして、古仁屋に集結させ、亀徳九十九名、井之川二十七名、山二十五名、尾母三名を輸送船武州丸にて送り出す。
大島郡十島村中之島沖を航行中の武州丸は昭和十九年九月二十五日敵の魚雷攻撃を受け疎開者の百四十八名は船と運命を共にして水漬く屍となる。嗚呼悼しきかな。
時あたかも三十三回忌にあたり、ここに碑を建て死没者名簿を鎮めて永く慰霊の誠を捧げる。
昭和五十一年九月二十五日 武州丸遭難者慰霊委員会」
◇キャンプ場には、トイレ・シャワー棟とバーベキューのできる囲炉裏あり。無料

富山丸慰霊碑となごみの碑 |

武州丸遭難者の碑 |

キャンプ場:右トイレ・シャワー棟 |
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所在地:伊仙町東伊仙
概要:館内は常設展示室、ホール特別展示室、大展示室に区分され、島民の昔の日常生活の様子や当事の衣類、文献、出土品等を展示している他、カムィヤキ陶器窯跡から出土した類須恵器(るいすえき)の陶器類や面縄(おもなわ)貝塚から見つかった、約2300年前の弥生人の人骨も保存しており、考古学研究者等の関心が高い資料が展示されている。
開館時間:9時~16時30分
休館日:月曜日と年末年始(12/29~1/31)
入館料:無料
電話:0997-86-4283
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所在地:伊仙町伊仙
概要:1983(昭和58)年、伊仙町阿三の亀焼地内で古窯跡(こようあと)が発見され、その名称は、地名の「亀焼」を地元で「カムィヤキ」と称することに由来する。
この遺跡からは、壷(つぼ)、甕(かめ)、椀(わん)鉢などの出土品が大量に出てきただけでなく、あまりにも大規模な陶器窯跡群で、出土した陶器の多くは、それまで生産地不明とされていた類須恵器(るいすえき)だったことから、南島考古学史上最大の発見と云われた。
この類須恵器は、古墳時代~中世にかけて日本で使われた須恵器に似ていることからこの名前が付けられ、11世紀~14世紀頃に、南西諸島全域と南九州で、広範囲かつ大量に流通していた、灰色の素焼きの土器で、その一大生産地・供給地が、伊仙町阿三のヒラスク山を中心に、南北約800m、東西約1.5kmの範囲に扇状に点在する、100基を超える窯跡なのである。
参考:現地説明板内容(第2支群)
「カムィヤキ古窯跡は本県を代表する窯跡である。カムィヤキは長い間、類須恵器と呼ばれ生産地不明の焼き物であったが、昭和58年にこの地で窯跡が発見され、伊仙町が一大生産地である事が判明した。
カムィヤキ古窯跡群は、11~14世紀の南西諸島全域に流通した焼き物の生産地で、平成15年現在12支群が発見され、窯の総数は100基を超えるものと推測されている。
この窯跡は南西諸島における当時の社会経済や海運流通活動を解明するうえで重要な遺跡として評価されている。またカムィヤキは琉球王国設立以前の九州、朝鮮半島、中国大陸との物流や技術的な関わりも指摘され、カムィヤキ文化の解明は南西諸島にとどまらず東シナ海を取り巻く地域の文化歴史の解明にも大きく貢献するものと考えられている。
なお、出土遺物は伊仙町立歴史資料館に保管展示されている。
鹿児島県教育委員会・伊仙町教育委員会(平成3年3月22日県指定)」
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所在地:伊仙町面縄小裏(面縄小学校一帯)
概要:1928(昭和3)年に発見後度重なる調査で、第1貝塚(面縄小学校の西約200m)、第2貝塚(小学校の東校庭)、第3貝塚(小学校の北東230m)、第4(小学校の北145m)の貝塚群が発見さ、縄文時代(約6000年前)から弥生時代(約2000年前)の遺物が出土し、狩猟時代の食べかすと見られるイノシシの骨や魚の骨、石器、貝製の装飾品や土器が沢山出土している。中でも第1貝塚・洞穴の箱式石棺内から、弥生時代(約2300年前)の埋葬人骨(身長145cmの30代女性で、通称・弥生ちゃん)は特に有名である。
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公園内には、総合体育館、屋根付きの相撲場、多目的運動場(陸上・野球場を含む)、テニスコート場、ゲートボール場以外に、プール、芝生のスペースや遊歩道もある。また、県推奨森林浴の森70選:野鳥・植物観察コースに選定されている。
所在地:大島郡伊仙町伊仙御前堂
営業時間:9時~22時
料金:無料
休業日:月曜日と12月29日~1月3日 駐車場:200台
連絡先:電話0997-86-3188(伊仙町社会教育課)
【プール】
設備:25m7コース、児童用プール
営業期間:6月上旬~9月30日
営業時間:9時~17時
休業日:月曜日と12月29日~1月3日
料金:大人¥200、小人¥100

相撲場と総合体育館 |

ナイター設備のある野球場 |

遊具施設場 |
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所在地:鹿児島県大島郡徳之島町徳和瀬
陸上競技場:陸上400m×8レーン
多目的広場:サッカー1面(芝)・ソフトボール2面
健康の森野球場:両翼95m、センター120m
テニスコート:オムニコート4面
その他:弓道場、遊具施設、遊歩道
プール:ウォータースライダーや流れるプール、幼児用プールあり。料金:大人¥500、中学生¥300 |