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第16章:徳之島編・part2


平成18(2006)年・備忘録


 目次

■地図
 ▶徳之島全島地図
■なごみの岬キャンプ場
 ▶12日目:10月14日(土) 晴   (徳之島ワイド祭り・前夜祭)
 ▶13日目:10月15日(日) 雨のち晴  (闘牛大会観戦)
 ▶14日目:10月16日(月) 晴   (3日連続フェリー平土野港へ)
 ▶15日目:10月17日(火) 晴   (沖永良部島へ)
※本文中赤字は写真あり。
■注
 ▶注24:徳之島ちゅっきゃい節記念碑
 ▶注25:徳之島ワイド祭りと闘牛大会
 ▶注26:なごみの岬公園
 ▶注27:伊仙町立歴史民俗資料館
 ▶注28:カムィヤキ陶器窯跡
 ▶注29:面縄(おもなわ)貝塚遺跡
 ▶注30:義名山運動公園
 ▶注31:徳之島町総合運動公園

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■地図


徳之島全島地図
徳之島全島地図

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■なごみの岬公園キャンプ場



12日目:10月14日(土) 晴  (徳之島ワイド祭り・前夜祭)


 朝3時に起床し、撤収準備。5時前に完了し、お世話になった炊事棟に般若心経を唱え、暗闇の中の出発。

 徳之島の東側にある亀徳新港のフェリー乗場に行くには、松原地区から轟木地区に抜ける山越えが一番の近道だが、夜明け前で不慣れな道は危険が伴うので、先日、尚子ロード一周で利用した県道80号を走る。

 島の西に位置する平土野の天城交差点から東側の花徳地区までは約7km弱なのに、荷物満載の自転車走行は体にこたえる。山越えをしなくて良かったと思いながら漕ぎ続け、花徳地区で夜が明けてきた。

 花徳地区の外れにある、スリバチを逆さにしたような宮城山(ミヤグスク)、別名スリバチ山を抜けると、海岸沿いに約4km続く母間(ぼま)地区内の花時名(ケドキナ)・大当(オオアタリ)・反川(ハンカワ)・池間(イケンマ)の4つの集落を通過。

 最後の池間集落の端にあった徳之島ちゅっきゃぃ節記念碑(注24)道標に従い、同記念碑を見てから、次の下久志(シモクシ)地区を過ぎ、神之嶺小学校下久志分校の先にある、下久志キャンプ場で小休止をする。

 同キャンプ場には、真新しい休憩所の他にトイレや水場もあり、このまま滞在したい誘惑に駆られるが、沖永良部島行きのフェリーに乗船予定なので、残念し出発する。

 下久志集落の次の井之川(いのかわ)集落は、横綱朝潮関の出身地で、朝潮相撲道場の看板のある建物内の稽古場土俵や、第46代横綱・朝潮太郎の銅像を見学後、井之川郵便局先の3差路から、県道80号を外れ、左手の海沿いの農道に入る。

 神之嶺(かみのみね)小学校を過ぎた農道沿いには、諸田浜(しょたはま)キャンプ場、神嶺浜(しんではま)キャンプ場があるが、立ち寄らずに先を急ぐ。

 亀徳新港の旅客ターミナルに7時過ぎに到着。旅客ターミナルの横に自転車を駐車し、近くのコンビニでおにぎりとお茶を買って朝食を摂る。

 亀徳新港旅客ターミナルに戻ると、フェリーの発券業務をしている西川運輸の担当者から、「今日は風が強いのでフェリーの入港は平土野港に変更」と告げられる。変更先の平土野から早朝出立したのにガッカリする。

 変更を告げた担当者から、近くの「なごみの岬公園」にキャンプ場があることと、今日14日と明日15日の土・日2日間は、亀徳新港旅客ターミナル前の亀津新漁港特設会場で、「徳之島ワイド祭りと闘牛大会(注25)が開催されるとの情報を得る。

 とりあえず、亀津新漁港特設会場に行くと、平土野のA-coop前で回転焼きを売っているテキヤの人が出店準備をしていた。挨拶をしてから、徳之島町役場に行く。

 役場は土曜日で閉っていたが、通用門脇の宿直室に清掃の女の人が居たので、キャンプ手続きの話をし、住所氏名を記載しているところに担当課長が来庁。ゴミを放置しない事を条件になごみの岬公園でのキャンプ許可を頂く。

 なごみの岬公園(注26)は、亀津新港ターミナルから北に約2km、亀徳集落の北端にある港ケ丘団地先から海側に入った突き当たりの岬の先端にあった。

 公園駐車場に男の人が居たので、役所の許可を貰ってキャンプをするのでよろしくと挨拶をする。この人は、公園前の喫茶店経営者で、若い時に神戸で働いていたらしい。徳之島の人は阪神間で働いていた人が多いと感心しつつ、公園下のキャンプサイトに行く。

 トイレ・シャワー棟裏手に、屋根のある三方が開けた広いスペースがあったので、この場所にテントを張る。役場の担当課長から、ゴミを放置しないと云われていたが、既にキャンプサイトはゴミだらけ。

 ゴミは、荷物の雨対策に持参の漬物用の大きなビニール袋2杯もあった。清掃後、徳之島一の繁華街の亀津地区の南端にあるサウナ・かめつ(入浴料¥700)に行く。

 サウナで、明日の闘牛大会に自分の牛が出場すると云う“ろばた焼・鳥金”の経営者と知り合い、闘牛大会の招待券を頂く。

 サウナを出て、近くのJAのA-coopで、弁当とビールを買って、亀徳新港旅客ターミナル内で食し、神戸の池尻6丁目に住んでいたと云う、ターミナル内の土産店の経営者から栄養ドリンクの差し入れがあった。

 食後、今夜5時、亀津新漁港特設会場で開演の徳之島ワイド祭り前夜祭のリハーサルを見てから、キャンプサイトに帰り、6時過ぎにテントに入る。

宮城(ミヤグスク)山、別名スリバチ山(里久浜からの景色)
宮城山、別名スリバチ山
ちゅっきゃぃ節記念碑の道標
ちゅっきゃぃ節道標
ちゅっきゃぃ節記念碑
ちゅっきゃぃ節記念碑
下久志キャンプ場
下久志キャンプ場

第46代横綱・朝潮太郎銅像
横綱・朝潮太郎銅像
神嶺浜(しんではま)キャンプ場案内板
神嶺浜キャンプ場案内板
亀徳新港旅客ターミナル
亀徳新港旅客ターミナル
ワイド祭り亀津新漁港特設会場ステージ
ワイド祭りステージ

なごみの岬公園・キャンプ場
なごみの岬・キャンプ場
なごみの岬公園景色
なごみの岬公園景色
サウナかめつ
サウナかめつ

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13日目:10月15日(日) 雨のち晴れ  (闘牛大会観戦)


 今日も、フェリーは平土野港へ。でもガッカリはしない。昨日頂いた闘牛大会の招待券があるので、大会会場の東目手久闘牛場に向かう。

 県道80号を南進、徳之島町から伊仙町に入ったかかりの南原集落県道沿いに、鳥居と3頭の牛と引き綱をもつ人物の像が目に付いた。鳥居の額には「横綱之地」とあり、優勝記念碑の石碑から横綱・喜和道一号のオーナー・福田喜和道さんが米寿を迎えた記念に、2003(平成15)年4月に建てたものとわかった。それにしても、横綱になった牛の記念碑とは、恐れ入りました。徳之島の人の闘牛に対する思い入れに感心しつつ、前進する。

 闘牛場は、伊仙町の南端・目手久地区の県道沿いに案内板が出ていたので直ぐに分かった。

 オープン会場の東目手久闘牛場は、10時の試合開始時には、3000人の観客で騒然となっていた。

 今日は、全島一優勝旗争奪闘牛大会で10番の取組みがあった。牛の入場の際には塩を撒き、牛の歩く道を清めていく。一族郎党は「ワイド、ワイド」という徳之島独特の掛け声をかけながらチヂンという島太鼓を鳴らし、ラッパを吹き、指笛(ハトと呼ばれている)を鳴らし、こぶしを握った両手を力強く上げ下げする手舞という囃子踊りを舞うことによって、人と牛が混然一体となった精神状態に昂っていく。この瞬間、牛は、単なる牛でなく、一族の名誉を担う象徴的な存在となり、目に見えない絆が生まれる。この精神的陶酔感を伴う同族意識の発露こそが、徳之島の闘牛が今尚人気を博している要因と思われた。

 注目の全島一決定戦は、5月の全島一優勝旗争奪戦のチャンピオン「丸正建設蟹(がさみ)号」を「大福環境開発1号」が1分34秒で退け新チャンピオンの座に着いた。全島一(横綱)になった、大福環境開発1号は、以前、八重山酋長という名前で沖縄チャンピオンだった有名な牛とのこと。

 取り組みの合間を利用して、ワイド節・作曲家の坪山豊氏の三味線で、伊仙町や喜念町婦人会によるワイド節が披露され、また、韓国青道郡闘牛友好協会交流団一行も踊りの輪に加わっていた。

 1時前に闘牛場を後にし、伊仙町立歴史民俗資料館(注27)に行く。

 同館は、伊仙町役場の手前(東)、県道80号沿いにあり、入館無料の館内は常設展示室、ホール特別展示室、大展示室に区分され、徳之島や伊仙町の歴史・民俗などに関する資料を展示しているが、目に付いたのが、1928(昭和3)年に、面縄(おもなわ)第一貝塚遺跡の洞窟内で、弥生時代の箱式石棺内に、完全な形の埋葬人骨(身長145cm、通称「弥生ちゃん」30代女性)が発見され、展示されていた。その他にも、1983(昭和58)年に、カムィヤキ陶器窯跡から発掘された、甕(かめ)、壷(つぼ)、鉢(はち)、椀(わん)の現物が展示されていた。

 カムィヤキ陶器窯跡(注28)は、伊仙町の総合運動公園(義名山運動公園)の北側のヒラスク山一帯。面縄(おもなわ)貝塚遺跡(第1~第4貝塚)(注29)は、県道80号沿いの面縄小学校一帯との情報収集後、義名山運動公園(注30)に向かう。

 同公園は、伊仙町役場から2km程北に上がった所にあった。公園内には、総合体育館と屋根付きの相撲場の他に、400mトラックを装備した運動場、ナイター設備のある野球場、弓道場、テニスコート、流れるプールやウォータースライダー装備のプール、遊具等豪華な総合運動公園。でも、人の気配は無かった。

 この公園の、北側一帯が、カムィヤキ陶器窯跡であることを確認する。近くには、縄文時代後期から、12~3世紀のカムィヤキ時代までの間、古代人が暮らしていたと云う「ヨヲキ洞穴」(カムィヤキ古窯跡群内西端の尺八池南にある)や、公園西側・上検福地区にある、全長2052mの銀河洞やその下の銀竜洞があり、洞窟探検に駆られたが、徳之島は南西諸島一のハブの生息地で、特に洞窟周辺に生息すると聞いていたので、半ズボン、サンダル履きの軽装では躊躇せざるを得ず、残念する。

 その代わりと云っては何だが、役場から公園までの間にある、義名山神社を参拝し、羽衣説話の類型である、水浴中に男に羽衣を隠された天女がその男と結婚、のち羽衣を発見して天上に帰ると云う、天人女房(てんにんにょうぼう、徳之島ではテンチアモレ)伝説の地に建てられた、羽衣を隠した高倉(伊仙町指定文化財・史跡指定)を見て、県道80号で引き返す。

 途中、面縄小学校付近の林や田園を見ながら、この付近が面縄(おもなわ)貝塚跡かと感慨にふけながら先に進み、闘牛場のある目手久集落の先の喜念浜海水浴場の案内板に従い海岸に出る。同海岸は、長さ1kmにわたる砂丘海岸で、シャワー・トイレ・休憩所等を備え、キャンプ場も兼ねていた。

 喜念浜海水浴場で小休止をしてから、キャンプサイトに帰る。フェリー寄港地の変更でおまけの探索だったが、徳之島滞在で一番充実した日だった。

横綱・喜和道一号記念物
横綱・喜和道一号記念物
東目手久闘牛場・全島一優勝旗争奪闘牛大会
東目手久闘牛場
伊仙町立歴史民俗資料館
伊仙町立歴史民俗資料館
義名山運動公園・グランド
義名山運動公園

義名山神社
義名山神社
天人女房伝説の地・高倉
天人女房伝説の地・高倉
喜念浜海水浴場
喜念浜海水浴場

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14日目:10月16日(月) 晴  (3日連続フェリー平土野港へ)


徳之島町総合運動公園 今朝の波の様子は微妙。一様荷物をまとめ、テント撤収の準備をして、8時に亀徳新港旅客ターミナルに電話をするが、今日も平土野港との事。3日連続の寄港地変更。

 キャンプサイトの前にある喫茶店のモーニング(¥300)で朝食を済まして、徳之島町の総合運動公園(注31)に行くことにする。特に、これと云った目的も無いが、徳之島3町の内、天城町と伊仙町の運動公園を見たついでである。

 キャンプサイトから、直線距離で、西方2km強の所にある。他の2町同様、公園内には、400mトラッのある多目的運動場、ナイター設備のある野球場、弓道場、テニスコート(夜間にも対応)以外に北側には、流れるプールやウォータースライダー装備のプールがあり、かつ、各施設には大駐車場も設置され、至れり尽くせり。でも、ここも、他の施設と同様に人の気配は無い。

 屋久島も屋久町と上屋久町の2町あり(現在は合併している)、同じ目的の箱物が2つ存在し、税金の無駄遣いを実感したが、ここ徳之島には、3つの町に豪華な箱物施設が存在する。早急に合併し、島の活性化に税金を投入すべき・・・

 徳之島には、観光名所史跡以外に、歴史的価値の高い遺跡・貝塚が多く、また、鍾乳洞・洞窟が多数点在するにもかかわらず、放置している。早急に合併し、これらを魅力ある状態に整備すると云った、島の活性化に税金を投入し、年間8万人程度しか来ない観光客を呼び込むべきと一人やきもきする。

 徳之島町総合運動公園を後にして、徳之島一の繁華街・亀津集落の南端にある、「サウナ・かめつ」でリフレッシュ後、近くのA-coopで、ヒレかつ巻寿司(¥360)とビールを買って、昼・夜兼用の食事を摂ってから、亀徳新港フェリー乗場の対面、旧亀徳フェリー乗場近くにある、ホームセンターを兼ねるスーパー・ニシムタに寄って、防水スプレー2本(¥2200)を買ってテントサイトに帰り、テントのフライシートに防水加工をする。

 台風18号の余波なのか、波は相変わらず高い、明日はどうなる事やら・・・

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15日目:10月17日(火) 晴  (沖永良部島へ)


 今朝も波が高く、おまけに波浪注意報が出ている、でも、今日は亀徳新港から出航する予感がしたので、荷物をまとめる。

 8時になったので、亀徳新港旅客ターミナルに電話をすると、予感が当たり、同港入港予定とのこと。キャンプサイトに元々あった大きなビニール袋2杯のゴミは、喫茶店の店主が処分してくれることになっているので現場に置き、キャンプサイトに般若心経を唱え出発する。

 フェリーは、9時30分の定刻に入港、船上からロープが投げられ、亀徳新港岸壁からに飛び乗れる距離まで接岸するが、波が高くなかなか着岸できない。何度も挑戦するが結果は同じで、船は岸壁から離れて行った。今日も平土野港に変更と諦めるが、ターミナルの土産物店主が、亀徳新港の対岸にある、亀徳港の旧フェリー乗場に接岸と教えてくれたので、急いで向かう。

 亀徳大橋を渡った先にある亀徳港旧フェリー乗場は、スーパー・ニシムタ前にあり、ここでも接岸が困難な状態だったが、やっと着岸が成功し乗船する事ができ、一路沖永良部島に向かう。

亀徳新港(中央は旅客ターミナル)
亀徳新港(中央が旅客ターミナル)
亀徳新港から見る亀徳港
亀徳新港から見る亀徳港(中央左は亀徳大橋)
亀徳大橋と亀徳港
亀徳大橋と亀徳港
旧フェリー待合所
亀徳港旧フェリー待合所

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■注


注24:徳之島一切(ちゅっきゃい)節記念碑


所在地:徳之島町母間本崎
備考:一切(ちゅっきゃい)とは、短い一節の意味。一切(ちゅっきゃい)節は、1905(明治38)年頃、母間地区の“成ちよ”さんが初めて歌い出した短い即興詩で、曲の区切りが短く軽妙であるところから名付けられた。節回しのよさ、歌詞の作り易さ等から、母間の「ちゅっきゃいぶし」と呼ばれ、徳之島は勿論、大島郡の全域で流行し、今もなお歌い継がれ、主に祝い事や宴会の席等で、男女掛け合いで唄われることが多く、毎年8月には母間新港で「ちゅっきゃい節祭り」が行われている。
【歌碑文】
「うしまっつくぬしま 十八里ちゅがや 十八里ぬ先なお みきゆるきぶしぐわ ありやわんかなしむが たぱくぬきぶしぐわ」
一切節は→http://www.youtube.com/watch?v=Q509lffgsR8&feature=related

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注25:徳之島ワイド祭りと闘牛大会


■第2回徳之島ワイド祭り
概要:三町合併問題徹底討論会や勉強会、各種シンポジウム等を主催する、NPO法人ワイド21が中心となって、徳之島3町と民間が一体となり、闘牛とワイド節を売り出す祭典で、今回が2回目の開催である。14日(土)の前夜祭は、徳之島のアマチュアバンドが中心。翌15日(日)の本際は、パフォーマンスコンテストやゲストライブ等の催しと同時に、年度最終の全島一優勝旗争奪闘牛大会が行われる。会場には、フリーマーケットや物産展、屋台、夜店が並び、多くの家族連れで賑わう。
主催:徳之島三町実行委員会
日時:平成18年10月14日(土)・15日(日)
会場:亀津新漁港特設会場
◇14日・前夜祭(17時~21時)
【徳之島アマチュアバンド祭】
出演者:キューピー(高校生バンド)・いきなりチャンプルー・うぎうぎバンド・じゅり・ヴェンデーヘン・MACBAND
ゲストミュージシャンライブ:Kiala、禎一馬、あずままどか
◇15日・本際(12時開場)
【島われんきゃぬ祭典】(14時~)
出演者:亀津小吹奏学部、幸徳保育園、神之嶺小学校夏目踊り保存会、三京三味線教室、始井三味線教室、黒組太鼓、内琉球舞踊教室、亀徳保育園、ダンスCORE、蔵越エイサー
【徳之島ミュージックフェスタ】(17時~)
出演者:黒潮太鼓・東ヒロミツ、吉田サトル、松本良作、うなり神、幸野泰士
【ワイド節パフォーマンスコンテスト】(18時30分~)
出場団体:徳之島高校音楽部、フラダンスエミコブルメリア、太組、舞遊会、徳之島闘牛太鼓
ゲストライブ:Kiala、あずままどか、禎一馬
三味線:坪山豊
結果:1位:徳之島闘牛太鼓チーム、2位:舞遊会チーム、3位:徳之島高校音楽部チーム
◇ワイドとは
闘牛の時に歌われるワイド節の事を指す。闘牛場で、牛に向かっての声援で「ワイド!」、勝負に勝った時にも「ワイド!ワイド!」と歓声をあげ、闘牛には欠かせない掛け声でもある。
◇ワイド節
1978(昭和53年)に作曲(作詞・中村民郎、作曲・坪山豊)された、歌詞が島口(島の方言)の徳之島民謡で、徳之島だけでなく、奄美大島でも有名な曲で、スーパーダイエーでは、タイムサービスになるとワイド節「ワイド、ワイド、わっきゃ牛しゃワイド~♪」が流れている。
【歌詞】
1.ワイド、ワイド、ワイド
我(わ)きゃ牛ワイド、全島一ワイド
三京(みきょ)の山風、如何(いきゃ)荒さあても
愛(かな)しゃる牛ぐゎに、草刈らじうかりゅめ
ウーレ、ウレウレ、手舞(ま)んけ、足舞(すねま)んけ
指笛(はと)吹け、塩(ましゅ)まけ、ウーレ、ウレウレ
我きゃ牛ワイド、全島一ワイド
徳之島民謡ワイド節は→http://www.youtube.com/watch?v=2l1cUguVO1o

■闘牛大会
 初場所(正月)、春場所(5月)、秋場所(10月)の年3回の全島大会が、また、全島大会と前後した日やお盆にも各地の闘牛場で闘牛大会が行われ、徳之島の7ケ所の闘牛場の観戦料は全島一大会が、大人3、000円、小人(中学生以下)1、000円、それ以外の大会は大人2、500円、小人(中学生以下)1、000円である。
 試合は、重量級の横綱、中量級(950kg以下)、軽量級(850kg以下)の体重別でタイトル戦が行われ(タイトルの最高峰は、横綱の中の横綱である「全島一横綱」である)、直径約20mの土俵(リング)内でぶつかり合い、勢子が牛と一体となって牛を叱咤激励し、突きや角掛け、懐に飛び込んでの速攻など技の応酬を繰り広げる。
【徳之島の闘牛(ウシトロシ)】
 牛は古くから農耕用として使用されていたが、農耕中や放牧の中で、牛が角を合わせて喧嘩をする姿を見た牛主達が、収穫が終わった時期に「なぐさみ(慰み)」として闘わせたのが始まりで、徳之島観光連盟発行のパンフレット「闘牛と長寿のふるさと 徳之島」には、藩政時代の頃、砂糖地獄に苦しめられた農民が、ようやくの思いで税として完納できた収穫の喜びを祝って行われた、島民の唯一の娯楽で、約500年の歴史があると記されており、戦前は奄美諸島全域でも行われていたが、現在、奄美諸島では徳之島だけに残り、独自の闘牛文化を築き現在に至っている。
 国内の闘牛は、沖縄県、愛媛県宇和島、島根県隠岐の島、新潟県小千谷市・山古志村で催されているが、鼻綱を鎌で断ち、自由に闘わせる本格的な闘牛は徳之島だけで、それ故か、勝敗にこだわり、熱狂的な応援と人々の熱気が徳之島の闘牛の特徴で、大会前日に親族一党が集まり勝利を祈って前祝い。当日勝利すると、試合場になだれ込み、牛を取り囲み、手舞い足舞いをして歓声・雄叫び・指笛で祝福し、祝賀会が朝まで開かれると云った具合である。
 ともかく、闘牛牛を所有することは、一族の宝であり、家の繁栄の象徴で、牛の散歩も日常的で徳之島の風物詩にもなっている。
 なお、闘牛は競馬と違い、血統は無いが、体型の大きい岩手産が人気を博し、訓練された闘牛は、3才位からデビューさせ、8~9才に円熟期を迎え、12才位で力が衰えていく。しかし負け癖がついた牛や見込みのない牛は、肉牛として売り払われる(今回の大会で負けた牛は1頭5万円と聞いた)運命にある。
 徳之島の闘牛は、牛主の名前や会社名を、沖縄では地名、新潟・隠岐は家の屋号を名乗る事が多い。
【闘牛の勝敗の決し方】
闘牛 両雄が土俵に入る。角を突き合わせ組み合った瞬間から対戦タイムが計られ(組むのを嫌がれば相手牛の不戦勝となる)、頃合をみて勢子(闘牛士)が鎌で鼻綱を切り、本格的な戦闘が開始される。
 牛の横に勢子(闘牛士)がぴったりとつき、「セイヤ、セイヤ」と掛け声をかけ、牛の体を叩いたり、足を強く踏み鳴らしたりして闘争心をあおり、また、時には、体をさすって平常心を取り戻させつつ、タイミングを見計らって攻撃の合図を送ると、牛は角を駆使して相手を攻撃する。
 攻撃は、①角掛け(自分の角を相手の角にかけて首を倒す)、②突き(顔面などに角を突き立てる)、③腹取り・速攻(相手のすきを見て腹部などに突進する)「腹取り(速攻)」の3つの基本技があり、勝負は、早くて数十秒、平均すると10~20分で勝負がつく。相手が尻を向けて逃げたら勝ちという、わかりやすいものである。長時間動きがない試合は観客の同意を得た上で引き分けとなる場合もある。

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注26:なごみの岬公園(富山丸慰霊碑・武州丸遭難者の碑)・キャンプ場


所在地:徳之島町亀徳
概要:1944(昭和19)年6月、大東亜戦争参加のため、鹿児島・都城・熊本、四国出身の将兵・乗組員約3800人が乗った「冨山丸」が徳之島亀徳沖で米軍の潜水艦に魚雷攻撃を受け撃沈し、3724人が戦死。同年9月、十島村中之島沖にて徳之島からの疎開船、「武州丸」が米軍の潜水艦の魚雷攻撃で沈没し、徳之島の学童ら148人(生存者6人)が犠牲になった。
米軍の潜水艦の攻撃を受けて亡くなった人達の慰霊を弔うため、1946(昭和39)年に沈没地点を望む丘に「富山丸慰霊碑」が、また、33回忌の1976(昭和51)年には、道路を隔てた場所に、「武州丸遭難者の碑」が建立され、これら慰霊塔周辺を整備したのが、なごみの岬公園である。
◇富山丸慰霊塔参道両脇には、黒御影石板14枚を屏風状に並べた、「なごみの碑」があり、表には犠牲者、裏には建設費を寄付した約二千人の遺族の名が刻まれている。
◇武州丸遭難者の碑文は次の通り
「太平洋戦争の激化に伴い、徳之島守備の高田部隊の要請により鹿児島県知事は徳之島の老幼婦女学童を本土へ疎開せしめんとして、古仁屋に集結させ、亀徳九十九名、井之川二十七名、山二十五名、尾母三名を輸送船武州丸にて送り出す。
大島郡十島村中之島沖を航行中の武州丸は昭和十九年九月二十五日敵の魚雷攻撃を受け疎開者の百四十八名は船と運命を共にして水漬く屍となる。嗚呼悼しきかな。
時あたかも三十三回忌にあたり、ここに碑を建て死没者名簿を鎮めて永く慰霊の誠を捧げる。
昭和五十一年九月二十五日 武州丸遭難者慰霊委員会」
◇キャンプ場には、トイレ・シャワー棟とバーベキューのできる囲炉裏あり。無料
富山丸慰霊碑となごみの碑
富山丸慰霊碑となごみの碑
武州丸遭難者の碑
武州丸遭難者の碑
キャンプ場
キャンプ場:右トイレ・シャワー棟

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注27:伊仙町立歴史民俗資料館


類須恵器(るいすえき)の陶器類所在地:伊仙町東伊仙
概要:館内は常設展示室、ホール特別展示室、大展示室に区分され、島民の昔の日常生活の様子や当事の衣類、文献、出土品等を展示している他、カムィヤキ陶器窯跡から出土した類須恵器(るいすえき)の陶器類や面縄(おもなわ)貝塚から見つかった、約2300年前の弥生人の人骨も保存しており、考古学研究者等の関心が高い資料が展示されている。
開館時間:9時~16時30分
休館日:月曜日と年末年始(12/29~1/31)
入館料:無料
電話:0997-86-4283

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注28:カムィヤキ陶器窯跡(カムィヤキ遺跡)


カムィヤキ陶器窯跡所在地:伊仙町伊仙
概要:1983(昭和58)年、伊仙町阿三の亀焼地内で古窯跡(こようあと)が発見され、その名称は、地名の「亀焼」を地元で「カムィヤキ」と称することに由来する。
 この遺跡からは、壷(つぼ)、甕(かめ)、椀(わん)鉢などの出土品が大量に出てきただけでなく、あまりにも大規模な陶器窯跡群で、出土した陶器の多くは、それまで生産地不明とされていた類須恵器(るいすえき)だったことから、南島考古学史上最大の発見と云われた。
 この類須恵器は、古墳時代~中世にかけて日本で使われた須恵器に似ていることからこの名前が付けられ、11世紀~14世紀頃に、南西諸島全域と南九州で、広範囲かつ大量に流通していた、灰色の素焼きの土器で、その一大生産地・供給地が、伊仙町阿三のヒラスク山を中心に、南北約800m、東西約1.5kmの範囲に扇状に点在する、100基を超える窯跡なのである。

参考:現地説明板内容(第2支群)
カムィヤキ陶器窯跡説明板「カムィヤキ古窯跡は本県を代表する窯跡である。カムィヤキは長い間、類須恵器と呼ばれ生産地不明の焼き物であったが、昭和58年にこの地で窯跡が発見され、伊仙町が一大生産地である事が判明した。
 カムィヤキ古窯跡群は、11~14世紀の南西諸島全域に流通した焼き物の生産地で、平成15年現在12支群が発見され、窯の総数は100基を超えるものと推測されている。
 この窯跡は南西諸島における当時の社会経済や海運流通活動を解明するうえで重要な遺跡として評価されている。またカムィヤキは琉球王国設立以前の九州、朝鮮半島、中国大陸との物流や技術的な関わりも指摘され、カムィヤキ文化の解明は南西諸島にとどまらず東シナ海を取り巻く地域の文化歴史の解明にも大きく貢献するものと考えられている。
 なお、出土遺物は伊仙町立歴史資料館に保管展示されている。
鹿児島県教育委員会・伊仙町教育委員会(平成3年3月22日県指定)」

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注29:面縄(おもなわ)貝塚遺跡


人骨所在地:伊仙町面縄小裏(面縄小学校一帯)
概要:1928(昭和3)年に発見後度重なる調査で、第1貝塚(面縄小学校の西約200m)、第2貝塚(小学校の東校庭)、第3貝塚(小学校の北東230m)、第4(小学校の北145m)の貝塚群が発見さ、縄文時代(約6000年前)から弥生時代(約2000年前)の遺物が出土し、狩猟時代の食べかすと見られるイノシシの骨や魚の骨、石器、貝製の装飾品や土器が沢山出土している。中でも第1貝塚・洞穴の箱式石棺内から、弥生時代(約2300年前)の埋葬人骨(身長145cmの30代女性で、通称・弥生ちゃん)は特に有名である。






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注30:義名山(ぎなやま)運動公園


 公園内には、総合体育館、屋根付きの相撲場、多目的運動場(陸上・野球場を含む)、テニスコート場、ゲートボール場以外に、プール、芝生のスペースや遊歩道もある。また、県推奨森林浴の森70選:野鳥・植物観察コースに選定されている。
所在地:大島郡伊仙町伊仙御前堂
営業時間:9時~22時
料金:無料
休業日:月曜日と12月29日~1月3日
駐車場:200台
連絡先:電話0997-86-3188(伊仙町社会教育課)
【プール】
設備:25m7コース、児童用プール
営業期間:6月上旬~9月30日
営業時間:9時~17時
休業日:月曜日と12月29日~1月3日
料金:大人¥200、小人¥100
相撲場と総合体育館
相撲場と総合体育館
ナイター設備のある野球場
ナイター設備のある野球場
遊具施設場
遊具施設場

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注31:徳之島町総合運動公園


徳之島総合運動公園所在地:鹿児島県大島郡徳之島町徳和瀬
陸上競技場:陸上400m×8レーン
多目的広場:サッカー1面(芝)・ソフトボール2面
健康の森野球場:両翼95m、センター120m
テニスコート:オムニコート4面
その他:弓道場、遊具施設、遊歩道
プール:ウォータースライダーや流れるプール、幼児用プールあり。料金:大人¥500、中学生¥300


続く:沖永良部島編



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