アニメーション・地球 ロゴ・和坊流宇宙
 
本文へジャンプ

第17章:沖永良部島編part1


平成18(2006)年:備忘録


 目次

■沖永良部島
 ▶地図
  位置地図
  全島地図
 ▶基本データ
  概要
  交通
  特産品
  年表概略
■笠石公園キャンプ場
 ▶1日目:10月17日(火) 晴     (沖永良部島・伊延港着)
 ▶2日目:10月18日(水) 晴     (島東部散策)
 ▶3日目:10月19日(木) 小雨のち晴 (島西部散策)
 ▶4日目:10月20日(金) 雨時々晴  (大山百合香・ライブリハーサル)
 ▶5日目:10月21日(土) 雨時々晴  (大山百合香・ライブ本番)
※本文中赤字は写真あり。
■注
 ▶注1:西郷隆盛上陸の地の碑
 ▶注2:笠石海浜公園・キャンプ場
 ▶注3:南州神社・西郷隆盛牢屋跡
 ▶注4:日本一のガジュマル
 ▶注5:フーチャ
 ▶注6:ワンジョ(湾門)
 ▶注7:世之主(よのぬし)の墓・世之主神社
 ▶注8:越山公園
 ▶注9:和泊町歴史民俗資料館
 ▶注10:タラソおきのえらぶ
 ▶注11:ウジジ浜
 ▶注12:浜倉
 ▶注13:昇竜洞
 ▶注14:大山植物公園・展望台or自然休養村・野営場(キャンプ場)
 ▶注15:ミュージック・オン・ティーヴィ(MUSIC ON!TV)

________________________________________


■沖永良部島


地図


 位置地図
沖永良部島位置地図


 全島地図
沖永良部島全島地図1・南州神社 2・西郷隆盛牢屋跡 3・みじらしゃ通り 4・タラソおきのえらぶ 5・Aコープ和泊店 6・喜美留暗川 7・日本一のガジュマル(国頭) 8・国頭岬灯台 9・岬大明神 10・ハマユウ群生地 11・フーチャー 12・西郷隆盛上陸の地の碑 13・ソテツジャングル 14・ワンジョ(湾門) 15:大和城(ヤマトグスク)跡、風葬墓(トゥール墓) 16・半崎 17・内城小学校 18・世之主の墓 19・世之主神社 20・越山公園 21・歴史民俗資料館 22・ウジジ浜 23・屋者琉球古墳墓 24・ジッキョヌホー 25・屋子母海岸・キャンプ場 26・浜倉 27・大津勘ビーチロック 28・屋子母セージマ古墳跡 29・四並蔵(よなみぞう)神社 30・住吉・暗川 31・住吉貝塚 32・住吉港 33・やっこの里正名字 34・田皆小学校 35・田皆岬・矢護仁屋埼灯台 36・沖泊海浜公園・キャンプ場 37・遠矢家の墓(新城花窪ニャート墓) 38・花神神社 39・中甫(なかふ)洞穴 40・アーニマガヤの墓 41・昇竜洞 42・航空自衛隊レーダー基地 43・大山植物公園 44・展望台 45・大山野営場・キャンプ場 46・40万年前の波打ち際と云われる3差路

↑ 戻る


基本データ


概要
 鹿児島市から南へ約500kmに位置し、東西に細長い(東西約20km、西辺の南北が約10km、周囲55.8km)の楽器のオカリナの形(人によってはスポーツ関連のナイキのマークに似ていると云う)をした隆起サンゴ礁の島で、和泊・知名の2町合わせて人口は約1万5千人、年間平均気温22度という温暖な気候に恵まれ、四季を通じて、熱帯・亜熱帯の花々が咲き誇り、特に、エラブユリの生産量は日本一を誇っている。

 同時に、日本で2番目に長い大山水鏡洞(おおやますいきょうどう・総延長10,294m)を筆頭に200~300の大鍾乳洞群があることから、「花と鍾乳洞の島」と宣伝しているものの、エラブユリの他、サトウキビやジャガイモ、エラブ牛(全国ブランド鹿児島黒牛の子牛)の飼育等の産業が盛んなことから、観光客の誘致にはそれほど熱心ではなく、隣の与論島に比べて知名度が低い。

 また、沖永良部島でもっとも高い山が南西に位置する大山で、その標高が245mしかないことからわかるように、全体的に平坦で、かつ、沖永良部島は島の殆どがサンゴ礁から出来た琉球石灰岩に覆われ、喜界島や与論島と同じく島全体が沈降・隆起を繰り返して出来た為、猛毒のハブがいない島でもある。

 なお、沖永良部島の呼称は「おきのえらぶじま」が正しいが、現地では「おきえらぶ」での表記や施設名も多く、会話の上では単に「えらぶ」と呼ぶ場合が多い。
出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)等

交通アクセス
◇船・フェリー
神戸~沖永良部島:約37時間
鹿児島~沖永良部島:約17時間30分
奄美大島~沖永良部島: 約6時間
徳之島~沖永良部島: 約2時間
◇飛行機(日本エアコミューター)
鹿児島~沖永良部島:1時間15分、一日往復3便
奄美大島~沖永良部島:35分、一日一便
与論島~沖永良部島:25分
その他、徳之島、沖縄便あり(第一航空)
※フェリーの時刻表は奄美大島編参照

特産品
 沖永良部島の基幹作物であるサトウキビ栽培は黒糖焼酎の原料で、島内には、稲乃露・魔峡の雫・えらぶ・はなとり・天下一・花恋慕・昇龍等の銘柄酒がある。また、搾りかすは生キクラゲの培養や肉用牛の飼料となっている。サトウキビ以外にも、沖永良部バレイショ「春のささやき」は“かごしまブランド産地"の指定を受けており、エラブユリ(鉄砲ユリ)に次ぐ島の主要産業に成長している。

年表概略
◇1266年:琉球の北山王朝に属す。
※琉球(沖縄)は、北山、中山、南山と呼ばれる3つの小国家に分かれ、3人の按司(アジ:支配者)が勢力争いをしていた内乱の時代。
◇1429年:琉球王朝統治(那覇世=ナハユ)
※中山の按司・尚巴志(しょうはし)が三山を統一し琉球王として那覇の首里城を居城とする。
◇1609年:薩摩藩支配(大和世=ヤマトユ)
※薩摩藩の侵攻により薩摩の直轄領となる。
◇1871年:廃藩置県により鹿児島県となる。
◇1946年:大東亜(太平洋)戦争の敗戦により米軍の占領下に入る。
◇1953年:本土復帰現在に至る。

↑ 戻る


■笠石公園キャンプ場



1日目:10月17日(火) 晴  (沖永良部島・伊延港着)


 やっとこさ徳之島から脱出し、フェリーは沖永良部島に接岸。何もない港だなーとの第一印象。その港に上陸し県道に出ると、空港方面は左手の道路標識。

 和泊港から本日の野営予定地・笠石公園に行くには、空港方面に間違いがないが、地図では右手方面になっている。どうも様子がおかしい。

 港に引き返し、コンテナ内で切符を取り扱っている代理店・山田海陸航空㈱の女性に聞くと、この港は伊延港。天候不順で和泊港から変更されたとのこと。

 フェリー内で変更のアナウンスがあったはずなのに気付かなかった。納得して、港近くの案内板に従い西郷隆盛上陸の地の碑(注1)を見てから、県道620号を横断し、島の北側の伊延港から南側の和泊港方面に向かう。

 和泊港から県道84号を空港方面に約1.5km走ると、喜美留(きびる)集落の道路沿いに、丸太に笠石海浜公園(注2)と書かれた案内ポールがあり、迷うことなく公園に到着した。

 公園は広くて手入れが行き届き清潔感があり、沖永良部島滞在の拠点とすることにする。「第25回花の島沖えらぶジョギング大会」のアーチが掲げられている公園入口駐車場近くで、花の手入れをしている女性に、公園の管理人の有無を問うたところ、同公園の責任者の男性を紹介してくれ、その男性から公園の管理者である町役場にも云っておくと云われた。

 キャンプサイトは、レストラン兼喫茶(ラウル?)の裏手にある炊事棟前付近だが、テントは、トイレ・シャワー棟と作業用具保管場所の建物横のブランコやジャングルジムの他にベンチがあるこじんまりした公園の片隅に設営した。

 テントを張ってから、和泊の市街地に出掛ける。キャンプサイトから県道84号に出て、最初の信号を左折して坂を下りた先が和泊港だが、信号を直進し、奥川に架かる南州橋の手前右側の南州神社(注3)で参拝してから、南州橋を渡って左側にある西郷隆盛牢屋の跡を見学する。

 こんな狭い中に閉じ込められていた歴史上の英雄を同情しつつ、南側の「みじらしゃ通り」の看板のある商店街を抜けた先にある社会福祉センターに行く。

 同センターに来た目的は入浴。同所は、和泊町の公共入浴施設。営業時間は16時から22時まで。営業開始の16時まで間があったので、近くの和泊町役場に行き、笠石海浜公園キャンプ場の利用手続きをすることにする。

 担当部署の企画課は、役場裏手の「サンサンテレビ」の建物の中にあり、担当の女性の指示に従い利用願いの用紙に必要事項を書き込み提出する。

 16時になったので社会福祉センターに行き入浴。サウナもあるが全体的に狭くて、入浴料金600円は高い印象を受け、明日からはキャンプサイトの無料の水シャワーを利用しようと思いながらセンターを後にする。

 保健センターを兼ねる社会福祉センターは、法務局や役場、議会議事堂、町民体育館等町の行政機関が集中している区画の外れにあり、これらの区画の北側に延びる商店街「みじらしゃ通り」とその近辺に各業種の店舗があるのが和泊町市街地の構成。その中の一つのショッピングセンター・ワコーで弁当を買ってキャンプサイトに帰る。

伊延港
伊延港
西郷隆盛上陸の地の碑
西郷隆盛上陸の地の碑(地図№12)
笠石海浜公園入口アーチ
笠石海浜公園入口アーチ
笠石海浜公園1
笠石海浜公園1

笠石海浜公園2
笠石海浜公園2
南州神社
南州神社(地図№1)
西郷隆盛牢屋の跡
西郷隆盛牢屋の跡(地図№2)
みじらしゃ通り
みじらしゃ通り(地図№3)

↑ 戻る


2日目:10月18日(水) 晴  (島東部散策)


 昨夜は熟睡、6時過ぎに目覚め朝食後、島の右半分の散策に出掛ける為、8時にキャンプサイトを出発する。

 県道84号を空港方面に進み、県道620号合流地点手前道路沿いの「国頭の日本一のガジュマルの木」の案内板に従い脇道に入り、和泊町立幼稚園と小学校の校庭に入る。校舎内では授業をしているが、部外者に対する警戒心は無い様子なので、日本一と云われるガジュマル(注4)を見てから、沖永良部空港に寄って、空港外周道路に進む。

 途中、鳥居と拝殿に久留磨照龍監嶽・岬大明神とある小さな神社らしき所を通り、国頭岬(くにがみみさき)灯台に寄って、海岸沿いの道を反時計回りに進む。

 海岸沿いの道路沿いに、ハマユウ群生地や「ペンションリゾート・フーチャランド王国」と不思議な表示のある海の家の前を通り、前方にゴツゴツした岩場が見えてきた。ここが、潮吹き洞窟・フーチャ(注5)で、道路際の廃屋から、海側に入り見学するが、潮が吹きあがる雄大な光景は見られず、次に進む。

 沖永良部島への上陸地・伊延港を右手に見て、一旦県道620号にでるが、ほどなくワンジョビーチの案内板に従い海岸沿いの坂道を降り、途中にある全長約500mのソテツジャングル遊歩道を散策してから、道路突き当たりのワンジョビーチに到着する。

 ワンジョ(注6)ビーチかかりにある休憩所に入る。休憩所前の食堂のおばさんと島の人がフェリーから降りた自分を伊延港で見たと話しかけてきて、しばし雑談する。

 地元の人達から、源為朝の子孫が構築したと云われる大和城(ヤマトグスク)跡や断崖にある自然の洞穴を利用した風葬墓(トゥール墓)の場所を聞き、それらを見学してから、ワンジョの墓から急坂を上り、海岸沿いの道路を伝って、切り立った崖が特徴的な岬・半崎に行き、伊延港から畦布地区(ワンジョビーチ)にかけての海岸線を振り返る。

 半崎から入り組んだ迷路のような道路を抜けて、県道620号に出て、越山公園に行くことにする。県道を横切り、奄美諸島で唯一の木造校舎で平成10年に創立100周年だった内城(うちじろ)小学校を左折し、県道621号の東7~800m先から北に入った世之主の墓(注7)と、墓から北約500mにある世之主神社を参拝してから、越山公園(注8)頂上に到着。

 頂上から、島の北東部先端(空港方面)を見渡し、戦没者慰霊塔や記念碑を見学し、昼食休憩。インスタントラーメンとコーヒーで昼食を済まし、歴史民俗資料館(注9)に行くが休館日(水曜日)だったので入館できず、前庭の高倉を見学し帰途につく。

 和泊で夕食材料の買い物をしてから、キャンプサイトに帰り、シャワーを浴びて夕食の準備中、公園作業者の中年女性から話しかけられる。

 島の人達は、阪神間特に神戸や尼崎市に出稼ぎ体験者が多く、この中年女性もご多分にもれず、学校卒業後、神戸市須磨区で島出身の男性と結婚し子供を儲けたが、7年前に主人の母親の看護の為、子供達を神戸に残して島に帰って来た等の話を聞く。

日本一のガジュマル
日本一のガジュマル(地図№7)
沖永良部空港
沖永良部空港
久留磨照龍監嶽 岬大明神
久留磨照龍監嶽 岬大明神(地図№9)
国頭岬灯台
国頭岬灯台(地図№8)

ハマユウ群生地
ハマユウ群生地(地図№10)
フーチャ全景
フーチャ全景(地図№11)
フーチャ入口廃屋
フーチャ入口廃屋
フーチャ入口
フーチャ入口

フーチャ
フーチャ
ソテツジャングル
ソテツジャングル(地図№13)
ワンジョビーチ
ワンジョビーチ:中央が休憩所(地図№14)
ワンジョ休憩所
ワンジョ休憩所

ワンジョ・大和城(ヤマトグスク)跡
ワンジョ・大和城(ヤマトグスク)跡(地図№15)
ワンジョ・風葬墓
ワンジョ・風葬墓
半崎
半崎(地図№16)
半崎から:左上伊延港、中央上ワンジョビーチ、下ドゥヌシの浜
半崎から:左上伊延港、中央上ワンジョビーチ

内城(うちじろ)小学校
内城(うちじろ)小学校(地図№17)
世之主の墓
世之主の墓(地図№18)
世之主神社
世之主神社(地図№19)
越山公園から空港方面の景色
越山公園から空港方面の景色(地図№20)

↑ 戻る


3日目:10月19日(木) 小雨のち晴  (島西部散策)


 朝食中、空模様が怪しくなってきた。案の定雨がパラパラ落ちてきたので、テント内に避難していたが、暫くして止んだので、7時過から島西部の散策に出掛ける。

 県道84号を通り、和泊市街地の外れに、大きな風力発電用の風車が回る施設に寄る。「タラソおきのえらぶ(注10)との看板がある。和泊町には失礼だが、近代的な施設。営業時間(10時オープン)前だが、玄関前に従業員らしき男性が居たので話を聞くと、昨年オープンした和泊町の第3セクターが運営する施設で、海の水を引いたプールを始め、エステやトレーニングジム等があり、プールの使用料は1000円だが、風呂だけならば500円で使用可との事。昨日行った福祉センターの600円より安いので、次回に利用させてもらうと伝えて男性と別れる。

 Aコープ和泊店前を通り、古里集落先の自然環境保護区(ウミガメが上陸する)の看板がある与和の浜から海岸沿いの道路(小米古里線)に入り、途中、「カナダ帆船漂着の地 ウジジ海岸・ウジジ浜公園(注11)の立て看板のある地で小休止をしてから、裏航路である奄美海運のフェリー寄港地・知名港に行く。

 港に、コーラル(珊瑚)素材のレンガを敷いた歩道の先にユニークな建物があった。何と公衆トイレで屋上にはベンチも設置されておりビックリする。その先にある派手なホテルがヨットの帆をコンセプトに設計されたおきえらぶフローラルホテル。何と、知名町振興開発公社が経営する国民宿舎、2度ビックリ。

 同ホテルに隣接する、フローラル館の地下にある「フローラル館の湯」は、日帰り入浴可(¥800・水曜定休)であるが、午後5時からの営業だったので、素通りして次に向かう。

 知名港から約2km先にある屋子母(やこも)海岸は、持参の地図にキャンプ場の印があるのでのぞいてみる。海岸に面した小さな公園内には、水道と古びたトイレ・シャワー小屋があるが、浜吹き抜けの公園はキャンプサイトには適していない。

 しかし、海岸入口には、旅館・屋子母は、素泊まり3000円(1泊2食付き¥ 6000、1泊朝食付き¥4500)のお勧め安宿があった。

 また、屋子母(やこも)海岸北側に は、浜倉(注12)と呼ばれる遺跡もあり、現地案内板によると、琉球王国時代の船着き場でもあったらしい。

 その先の、神野貝塚(知名町大津勘字神野)から海側に入った大浜海岸の大津勘ビーチロックに行く。同所は、砂やサンゴの破片などが固まって出来た石灰質砂岩が、長さ約200m、最大幅40mで地表に現れ(厚さ10~60cmの層が何層かに重なって出来ている)、知名町の指定文化財になっている海岸である。

 暫く岩の上を歩いて小休止後、一旦県道に出る。県道は620号。島北端にある空港から国頭を経て、島南岸を走る県道84号が知名町で合流し、北海岸から国頭まで続くのが県道620号。

 その県道の時徳(ときどく)地区交差点右手の、屋根付土俵がある四並蔵(よなみぞう)神社に参拝してから、昇竜洞の案内板に従い、標高240mの大山の頂上に向かって坂道を上がっていく。

 昇竜洞(注13)の入口は、喫茶・昇竜洞茶房の先にあった。昇竜洞の額を掲げた門をくぐった先の管理棟で入場券を購入するらしいが、全長3500メートルの内600mしか公開されていない鍾乳洞の入場料1000円は高すぎるので、内部見学は断念し、大山に向かう。

 大山山頂の、元米軍基地で現在航空自衛隊沖永良部分屯基地(レーダー基地)の中を通り(通行可)、アンテナ設備の先にある大山植物公園・展望台とその下の自然休養村・野営場(キャンプ場)(注14)を見て回り、キャンプ場下の40万年前の波打ち際と云われる3差路を経て、芦清良(あしきょら)集落まで下って、県道620号~84号で和泊へ。和泊のAコープで夕食材料を購入してからキャンプ場に帰る。

ラソおきのえらぶ
タラソおきのえらぶ(地図№4)
ウジジ浜公園立て看板
ウジジ浜公園立て看板(地図№22)
知名港
知名港
知名港公衆トイレ
知名港公衆トイレ


フローラルホテル
屋子母(やこも)海岸
屋子母(やこも)海岸(地図№25)
屋子母海岸キャンプ場1
屋子母海岸キャンプ場1
屋子母海岸キャンプ場2
屋子母海岸キャンプ場2

旅館・屋子母
旅館・屋子母
大津勘ビーチロック1
大津勘ビーチロック(地図№27)
四並蔵(よなみぞう)神社
四並蔵(よなみぞう)神社(地図№29)
四並蔵(よなみぞう)神社土俵
四並蔵(よなみぞう)神社土俵

昇竜洞入口
昇竜洞入口(地図№41)
大山野営場(キャンプ場
大山野営場(キャンプ場)1(地図№45)
大山野営場(キャンプ場)2
大山野営場(キャンプ場)2

↑ 戻る


4日目:10月20日(金) 雨時々晴  (大山百合香・ライブリハーサル)


大山百合香(おおやまゆりか)イベントポスター 昨夜からの雨で、テント下は水浸し。晴の合間にテントを移動させ乾かす。昼は、久しぶりにテントサイトでご飯を炊いて、ラーメンライスで昼食を摂る。

 午後は、Aコープ和泊店で買い物をし、夕食は、ニラレバ炒めを肴にしてビールと永良部の焼酎・稲の露(30度)を飲む。

 公園内では、明日21日行われる、歌手・大山百合香(おおやまゆりか)のライブの準備が急ピッチで行われている。

 夕方から始まったライブリハーサルは、途中から降り出した雨の為中止になった模様。

 大山百合香は、地元・和泊町出身で、10月18日にアルバムをリリースした記念の凱旋フリー・ライブがここ笠石公園内で行われる。

 同人の実家は、花の栽培農家(フラワーアイランド)で、父親は「うたしゃ」というライブハウスも経営しているらしい、そのせいか、街中にイベントポスターがやたら目に付いた。明日の本番は、テレビ中継もあるらしい。

↑ 戻る


5日目:10月21日(土) 雨時々晴  (大山百合香・ライブ本番)


 朝から小雨が降っていたが、大山百合香ゲスト出演するMUSIC ON!TVの番組Make On The Holiday(注14)初の出張生中継開始13時前から風雨が強くなり、生中継場の笠石公園の海岸にテントを張って放送が開始された。

 パックン・マックンと云う外人と日本人男性2人と司会役の女性アナウンサー3人でスタート。途中ゲストの大山百合香が登場し、18日にリリースしたファーストアルバムについて話しをしてから、「小さな恋のうた」「永良部の子守歌」「星の歴史」の3曲を生歌で披露。歌の後に、大山百合香を交えたトークが始まり、2時間の生放送が終了した。

 生放送終了後、サインをした番組のTシャツプレゼントのジャンケン大会や記念撮影が始まったので、現場を離れる。

 生放送中、降ったり止んだりの天候だったが、18時からの、大山百合香の凱旋ライブ前には雨が上がり、青空が現れて、ライブは快晴下で行われた。

 昼間の生放送は、雨の為か子供達が主体だったが、夜のライブには島にこんなに沢山人が居たのかと思うぐらいの人出(主催者発表3000人)。

 公園内に造られた特設ステージで歌う大山百合香やゲスト達の姿をテレビ中継のカメラが回る。そんな中、大勢の人達が楽しんだ一夜だった。

準備中の生中継現場
準備中の生中継現場
パックン・マックンと司会者
パックン・マックンと司会者
歌う大山百合香
歌う大山百合香

↑ 戻る


■注



注1:西郷隆盛上陸の地の碑(地図№12)


【備考1:碑文内容】
西郷隆盛は先に徳之島謫居(タクキョ)中の処、更に島賛の厳命に接し護送されて文久2年(1862年)閏8月14日、伊延港に着岸但し、牢舎の成るのを待つ為なお船牢に在って16日上陸

西郷隆盛上陸の地説明板【備考2: 西郷隆盛上陸の地説明板内容】
「史跡
西郷隆盛上陸の地
 文久2年(1862)閏8月16日薩摩藩島津久光公の怒りにふれ流罪となった西郷隆盛はこの地に上陸した。しかし沖永良部には西郷を囲う牢屋がなかったので牢ができるまでの2日間は船牢で過ごした。牢が出来上がって迎えに来た代官蔦原孫助や付役福山清茂、間切横目土持政照らが乗馬をすすめたが「いや私は牢に入る身、もう二度と土を踏むことがないと思いますのでどうか和泊まで歩かせてください」と言って和泊まで一里の道を歩いた。」

↑ 戻る


注2:笠石海浜公園・キャンプ場


所在地:和泊町喜美留544-10(和泊港から北東約1.5km)
営業期間:通年
休業日:無休
料金:無料
駐車場:50台(無料)
連絡先:電話番号 0997-92-1111(和泊町企画課)
概要:笠石海浜公園は、沖永良部島の北東部の和泊港に近い、美しいサンゴ礁の海岸沿いの公園で、珊瑚礁が浸蝕されて「笠」の形のようになった奇岩が海に突き出ているので、笠石と命名された。
 公園内には、キャンプ場の他に、野外ステージやバーべキュー施設、風葬墓もあり、エラブユリの形をしたシンボルタワーの展望台(通称・ゆりの塔)からは、公園全体や周辺の景色を楽しむことができ、展望台下の中心部が円形の広場になったフラワー園や公園周辺部の花壇には、ゆり・ブーゲンビリア・ハイビスカスなど南国の花々が植えられている。
 また、売店や喫茶、自動販売機の他に和泊町ふれあい交流施設・笠石相撲場がある。

公園とゆりの塔
公園とゆりの塔
ゆりの塔入口・右側に風葬墓
ゆりの塔入口・右側に風葬墓
ゆりの塔
ゆりの塔
ゆりの塔から見る公園・中央左上キャンプ場前海岸
ゆりの塔から・中央左上キャンプ場前海岸

キャンプ場前海岸
キャンプ場前海岸
海岸東屋
海岸東屋
笠石相撲場
笠石相撲場
公園内風葬墓跡
公園内風葬墓跡

↑ 戻る


注3:南洲神社・西郷隆盛牢屋跡(地図№1、2)


所在地:和泊町手々知名(和泊港近くの奥川に架かる南州橋を挟んで神社と牢屋跡がある)
概要:1858(安政5)年から翌年にかけて、江戸幕府の井伊直弼(いいなおすけ)が尊攘派に対しておこなった弾圧事件・安政の大獄(あんせいのたいごく)によって西郷隆盛は絶望し、僧・月照(げっしょう)と錦江湾に身を投じ自殺未遂をはかった。奇跡的に西郷のみが助かったものの、藩からの命令で3年間奄美大島にて潜居生活を送った。
 その後、召還命令によって再び藩士としての勤めを行うも、藩主の父・島津久光の上京計画の際、命令に背いたとして、再度、徳之島を経て沖永良部島に流罪となり、1862(文久2)年8月から1864(元治元年)2月まで1年7ヶ月の間、謫居(たっきょ:罪を受けてひきこもること)生活を余儀なくされたものの、その間、島民に、飢饉に備えて社倉法(※1)を教えたり、敬天愛人(※2)の思想のもと村の子弟の教育に尽力し、多くのすぐれた人材を輩出した。その南洲翁の遺徳を慕って村人達によって、1901(明治34)年に謫居記念碑を、翌年には南洲神社が建立された。

南州神社看板内容
「西郷南州翁の遺徳を偲ぶ為、南州翁を祭神として明治35年に建立された。南州翁は文久2年(1862)島津久光公の怒りにふれて沖永良部島へ流罪となり、1年6か月牢屋生活をされた。翁は常に牢中に正座して読書に耽り囲外に少年達を集め古今聖賢の道を談し、また、凶年に備えての社倉法を教えて島利民福をはかるなど偉大な余徳をとどめた。敬天愛人の思想は、この地で完成されたとその道の人々が伝えている。
和泊町」

西郷隆盛牢屋跡
西郷隆盛牢屋跡内部 牢屋は、4面に4寸角の格子をめぐらせた2坪程の広さで、中には西郷隆盛の座像がある。当時の西郷翁の生活ぶりは、「水を飲まず、湯を求めず、また喫煙を断ち、ただ朝1回牢番に飯を炊かせ、昼夜の2食は熱湯を残飯にかけて温め」という粗食の結果、衰弱し幽鬼のような形相になったと云われ、みかねた島の土持政照(つちもちまさてる)が代官の許しを得て小さな家を新築して提供した。新しい牢屋に移ってから、次第に体力を回復し、牢屋の外の集まってくる島の子供達に、学問を教えた。
 西郷翁から教えを受けた、操担勁(みさおたんけい)、沖利経(おきとしつね)、鎌田宗円(かまだそうえん)、矢野忠正(やのただまさ)、市来惟信(いちきこれのぶ)、町田順円(まちだじゅんえん)、沖緝賢(おきしゅうけん)といった島の少年達は、後に島の指導者となり、西郷翁の「敬天愛人」の精神を受け継ぎ、島の振興発展に大きく貢献した。

※1:社倉法
 社倉は窮民救済用貸籾の備蓄制度(主に麦を備蓄する)で、西郷は村民に対し、干ばつや、飢饉に備えて、豊年の時に、皆で米や麦などを高倉に蓄えと教えた。その教えに従い、1870(明治3)年、沖永良部島に社倉が設立された。当時、代官に提出された「社倉」設立願文の趣旨目的には、凶年に備えての食料の貯蔵以外に、教育費の補助や低利の融通等の記載があり、日本最初の協同組合と云っても良い組織が生まれたが、惜しくも1899(明治32)年に解散している。解散時の余剰金で西郷隆盛謫居之地の記念碑等が建てられた。
※2:敬天愛人
 流罪先の、沖永良部の過酷な牢獄生活のなかで精神が練磨され、自身の思想として完成させたのが「敬天愛人」(けいてんあいじん)で、以降「南洲」という称号を使い始めている。
 「敬天愛人」とは、「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也」。つまり、「何事でも道というものは天地自然によるものであり、人はこの道に沿って物事を行うべきものであるから、何よりも天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である」と云うことである。(西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』より抜粋)

↑ 戻る


注4:日本一のガジュマル(地図№7)


日本一のガジュマル所在地:和泊町国頭(くにがみ)
概要:ガジュマルは、幹が多数分岐して広がるクワ科の常緑高木で、和泊町の町木でもある。国頭(くにがみ)小学校にあるガジュマルは、1898(明治31)年の第1回卒業生が植樹した木で、樹齢100年を過ぎ、枝張り直径22m、高さ7m、幹周り6.33mに成長しており、1990(平成2)年には、枝張り日本一で、新日本名木百選に選定され、「この~木なんの木、気になる木♪」でもお馴染みのCMにも使われたガジュマルでもある。
 なお、このガジュマルは自身の枝を自分で支えるのが困難になってきているのか、所々、鉄柱で補強されている。

↑ 戻る


注5:フーチャ(潮吹き洞窟)(地図№11)


フーチャ所在地:和泊町国頭(沖永良部空港から西約2km)
概要:隆起珊瑚礁が東シナ海の荒波に浸食されて洞窟状になったのがフーチャで、荒天時には、フーチャから20~70mも潮が上空高く吹き上げることから「フーチャ」(琉球語で吹き上げるという意味)と呼ばれるようになった、いわゆる潮吹き洞窟のことである。
 しかし、海水が高く飛び散る影響で周辺の農作物に被害が及ぶ為、昭和38年に4ヶ所あったフーチャのうち3ケ所を破砕し、被害の少なかったものを観光用として残した。

↑ 戻る


注6:ワンジョ(湾門)(地図№14)


ワンジョビーチ概要:和泊(わどまり)町畦布(あぜふ)地区にあり、湾門と書く。
 この地は古く遣唐使の寄港や本土及び諸外国を結ぶ海上交通の要所で、保元の乱(1156年)に敗れた源為朝(ためとも)が沖縄の地で儲けた6人の子供の内の一人、舜天(しゅんてん)王統(※)の三代目・義本(ぎほん)王が、退位後、島の按司(アジ:統治者)としてワンジョに大和城(ヤマトグスク)を構築し、琉球との門戸を開いたので、この港を湾門(ワンジョ)と呼ぶようになったと云う。
 現在、港の機能は無いが、リーフに囲まれた浅瀬と砂浜が広がっていることから安全な海水浴場の穴場的場所である。なお、休憩所には、トイレ・シャワー・脱衣場が整備されている。
※舜天(しゅんてん)王統
琉球の最初の王統は天孫子(てんそんし)と云われ、その天孫子を滅ぼした利勇(りゆう)を倒して1187年に琉球王になったのが舜天(しゅんてん)で、この人物は、保元の乱(1156年)に敗れた源為朝(ためとも)が沖縄の地で儲けた6人の子供の一人と云わる。舜天王統は二代目・舜馬順熙(しゅんばじゅんき)王、三代目・義本(ぎほん)王へと続いて行く。

↑ 戻る


注7:世之主(よのぬし)の墓・世之主神社(地図№18、19)


所在地:和泊町内城(うちじろ)
概要:15世紀頃の琉球王朝時代、沖永良部島を治めていた島主(世之主)の琉球式のトゥール墓で、第1、2の石門をくぐった奥に、サンゴ礁をくりぬいてつくった納骨堂には、世之主・真松千代(ままちちよ※)、妻、子供と殉死した家来の四天王の4名(後蘭孫八、屋者真三郎、西目国内兵衛、国頭弥太郎)の厨子瓶(ずしがめ:骨壷)が安置されている。
※世之主・真松千代(ままちちよ)
 西目(現知名町下城・上城)の祝女(ノロ)の姪で、沖野家(ウキヌヤ)の娘が、琉球にグムチ(年貢)を収めに行った時に、北山王に見初められ身籠り、誕生したのが、北山王・次男の真松千代である。
 真松千代17歳時、北山王から次男として認められ、沖永良部島の世之主(島主)となり、城を構え、中山(ちゅうざん)王の姫(真照間慕之前)と婚姻し嫡子を儲け、優秀な四天王と呼ばれる4人の家来にも恵まれ、民衆からも慕われていた。
 この頃の琉球は、世之主の父である北山王が治める「北山」、妻の父親が治める「中山」、そして沖縄南部に位置する「南山」の3つの王朝があったが、1416年、北山が、1429年、南山が中山王によって滅ぼされ、琉球王国が誕生。
 琉球王の座に就いた中山王は、娘婿である世之主・真松千代が治める沖永良部島に和睦船を遣わしたが、それを、中山王の来襲と勘違いした世之主・真松千代は、島の人々を救う為に、妻子を道連れに自害してはてた。
 島の人達は、島の人々を救うために自害することを選んだ世之主を手厚く葬ったのが世之主の墓で、
和泊町内城(うちじろ)の古城祉に1871(明治4)年に建立されたのが世之主神社である。
 なお、世之主・真松千代の生誕地である和泊町下城には、産湯を炊いた竈石(かまどいし)を御神体とする同名の昭和2年に建立された世之主神社があり、1月の第2日曜日に世之主神社大祭が行われている。
 その他、知名町徳時(とくどき)には、家来の四天王を祭る、四並蔵(よなみぞう)神社。知名町新城(しんじょう)には、世之主の生母(沖祝女グジ)を祭る花沖神社がある。

【参考】
世之主の墓・第2の石門にある説明板内容
世之主の墓・第2の石門にある説明板「世之主の墓沿革
この墓を方言でウファと称している。西暦紀元1400年頃琉球国には中山、南山、北山の三王が割拠し、本島は北山王の領分に帰していた。始めて沖永良部世之主(島主)となった人は、この北山王の二男真松千代と申じている。その奥方は中山王の姫で名前を真照間兼之前と称した。琉球三山は威勢を争い、たびたび合戦のすえ中山王は南山を陥れ、北山も攻め滅ぼした。世之主は頼りない沖永良部でうつうつと過ごされていたところへ中山王の和睦の船が数艘与和の海に来航した。世之主は北山王の二男であるから、これはてっきり中山王の軍船であると考え違いをし小島をもって大国には敵し難いと直ちに奥方を始め嫡子と差し違えて御自害されたと言われている。この墓は世之主と奥方、嫡子の墓で、中央に3名が並び、四隅には家臣の四天王、後蘭孫八、屋者真三郎、西目国内兵衛、国頭弥太郎の遺骨が納められている。お墓の造り方は方形納骨堂で純琉球造りである。けれども石工その他については古文書もなく詳かでない。昭和四十年十二月十日重要史跡として鹿児島県文化財に指定される。
和泊町教育委員会」

世之主神社祭神説明板内容
世之主神社祭神説明板「世之主神社の祭神について
西暦1400年ごろ琉球国には中山、南山、北山の三王が割拠し、本島(沖永良部島)は北山王の領分であった。当時、百(男)祝(女)の祭職を各村において祭事に当たらしめ、祝に毎年北山王に参候することを例とした。たまたま祝某が姪を伴って王に参候したが王はこの姪の容色を愛し納れて妾御とした。中に王子が生まれ、これを真松千代と命名した。真松千代が成長して沖永良部の世之主となった。世之主は始め玉城の金の塔(ふばじょ)に館を構えていたが、後蘭孫八に命じて内城のこの地に城を築かせてここに移った。当時琉球においては北山、南山共に中山に攻め滅ぼされていた。
 世之主は頼りない沖永良部でうつうつと過ごされていたところへ中山王の和睦の船が数艘与和の海に来航した。これはてっきり中山王の軍船であると考え違いをし、小島をもって大国には勝てないと判断し難いと直ちに奥方を始め嫡子と差し違えてご自害されたと伝えられている。この神社は居城跡に明治四年に建立されたものであり、昭和三十八年コンクリート造りに改築された。
和泊町指定文化財(史跡)和泊町教育委員会」

知名町下城・世之主神社看板内容
知名町下城・世之主神社看板「世之主神社
 世之主とは、沖永良部の領主のことで、琉球が三つの領地に分かれ争っていた十三世紀の頃、北山王の二男として生まれたと言い伝えられています。
 世之主神社は当地下城と和泊町内城の二か所にありますが、下城世之主神社は世之主が誕生した場所に建てた神社で、内城は居城址だと言い伝えられています。
 下城の世之主神社の御神体は、昔からニュウマ屋敷内(神社敷地)に「イビ」と呼ばれていた小屋があり、その中に「ウヮマ石」と言う三つの石が大事に保管されており、この石は雨ざらしにしたりすると、たたりがあるとの言い伝えがありました。
 昭和二年十二月二十四日の建立の際に、そのウヮマ石を御神体としていただき、翌年旧暦の正月十三日に初祭典を催し、又、新月と言われる一月、五月、九月の十三日を祭典の日と定めていましたが、現在は、字区長を中心に年一回一月の第二日曜日に大祭典を行っている。
知名町教育委員会」
墓:下第1石門、中央第2石門、上納骨堂
墓:下第1石門、中央第2石門、上納骨堂
墓:第2門と説明板
墓:第2門と説明板
墓:第2門から納骨堂を見る
墓:第2門から納骨堂を見る
墓:納骨堂
墓:納骨堂

神社がある古城祉
神社がある古城祉
神社入口階段
神社入口階段
神社鳥居
神社鳥居
神社拝殿
神社拝殿

↑ 戻る


注8:越山公園(地図№20)


越山公園山頂所在地:大島郡和泊町根折
連絡先:電話番号 0997-92-1111(和泊町企画課)
営業:通年
料金:無料
駐車場:50台
概要:標高188mの同公園頂上には、大東亜(太平洋)戦争時、陸軍の陣地(※)が置かれていた関係からか、1980(昭和55)年に、町制施行40周年を記念して建てられた「和泊町戦没者慰霊塔」がそびえ、その脇には、1991(平成3)年、町制施行50周年を記念して、地元出身の彫刻家・重村三雄氏が製作したモニュメントが置かれており、その他、和泊町が1985(昭和60)年に「非核宣言の町」を宣言したことを記念して建てられた石碑や終戦50周年記念事業実行委員会が建てた歌碑がある。
 また、公園内には、世之主の墓・世之主神社(注6参照)や歴史民族資料館、テニスコート等の施設があり、キャンプも可能な公園である。
【写真説明】
手前のモダンな塔は、和泊町戦没者慰霊塔、奥のねじり飴のような形をしたものは、町制施行50周年モニュメント。

沖永良部島守備隊越山陣地配置図沖永良部島守備隊越山陣地配置図立て看板内容
「太平洋戦争において、米軍が南方方向に侵攻するや、昭和19年6月に沖永良部守備隊が派遣された。
 上陸攻撃に対しては、水際で撃退するのが最良であるが、米軍は豊富な物資にまかせて、上陸地付近の地形が変わるほど壮烈な砲爆撃した後に上陸を敢行するので、海岸や平地での遊撃は不可能であったため、越山と大山に洞窟陣地を構築した。」


↑ 戻る


注9:和泊町歴史民俗資料館(地図№21)


歴史民俗資料館所在地:和泊町根折
時間:9時~17時
料金:大人¥200、小人¥100
休館日:水曜、祝日
電話番号:0997-92-0911
概要:「ユリの世界」「沖永良部の自然と出土品」「沖永良部の民俗」の3つのコーナーに分かれている。沖永良部の島史とユリとの関わりをはじめ島のさまざまな情報が入手でき、前庭には、南島独特の穀物倉庫・高倉がある。

↑ 戻る


注10:タラソおきのえらぶ(地図№4)


タラソおきのえらぶ所在地:和泊町和泊135
営業時間:10時~22時
休館日:第2・4火曜(喫茶は火曜)
電話番号:0997-92-3002
料金:プール(大人¥1000・中高生¥800・子供¥500)、タラソテラピー(エアロゾル¥500・バンジェ¥2000・アルゴパック¥3000など)
概要:2005年4月にオープンした、和泊町の第3セクターが運営する、タラソテラピーと云う海洋療法をとりいれた施設。
 タラソテラピーとは、海水や海藻などのさまざまな海洋資源を活用して、人が本来持つ自己治癒力を高めていこうという自然療法のことで、沖永良部島の海水を利用したジェットバスでの全身マッサージや、ブルターニュ産の海藻を使った温熱刺激のパック以外に、海水を使って、疲労回復や、筋肉の血行促進などの効果があるプールやサウナなどがある。

↑ 戻る


注11:ウジジ浜公園とカナダ帆船慰霊の地(地図№22)


所在地:知名町芦清良(あしきよら)
【備考:カナダ帆船看板内容】
「歴史に学ぶ心の交流
(トゥループ号110年祭)
 このウジジ浜海岸は、1890年(明治23年)9月22日、カナダの帆船リジー・C・トゥループ号が長崎から米国に向かう途中、台風に巻き込まれて座礁・難破した地である。多国籍の乗組員22名のうち10名が行方不明、12名が地元住民の必死の救助活動によって救出されたが、船長と水夫は間もなく死亡。残り10名の生存者は地元住民の17日間にわたる手厚い治療と介護を受け無事帰国の途についた。
 カナダ政府は島民の献身的な介護に感謝して、1892年8月、望遠鏡と42ポンドを当時の村役場と救助介護に当たった村人に贈った。
 2000年9月、トゥループ号遭難から110年にあたり、風光明媚なこの地に記念公園を整備した。」
カナダの帆船と説明板
カナダの帆船と説明板
ウジジ浜海岸
ウジジ浜海岸

↑ 戻る


注12:浜倉(地図№26)


所在地:知名町屋子母字源手名(屋子母海水浴場北西部)
概要:1416年~1609年までの約200年間、琉球王国の支配が続いたが、その琉球王国との交流が盛んな時の船着き場の一つが屋子母海岸で、交易物資を格納する倉庫・浜倉が作られ、明治時代まで交流が続いていたと云う。
 また、屋子母には次の遺跡が見られる。
セージマ古墳跡(知名町屋子母字妻々)、塩津類ビ(知名町屋子母字塩津類ビ)、泊り原(知名町屋子母字泊り原)、川春(知名町屋子母字川春)。
【参考】
浜倉の説明板内容は次の通り。
「浜倉」の位置する屋子母付近の海岸は、「イノー」と呼ばれるサンゴ礁に囲まれた浅い海が発達し、小型の舟艇の碇泊地として最適な場所であり「ヨンドメ」(ヨーム泊)と呼ばれていました。
 伊平野・沖縄・与論島に面しているという立地条件から両方との交易に極めて便利で、琉球服属時代には南の島々や遠く中国などとの交易が行われていたと伝えられています。「浜倉」は琉球服属時代の倉庫群の一部と考えられ、その規模は構造から港の出船入船にまつわる海洋神を祭って倉庫の守り神とした祭壇のあった場所であろうと推定されます。このほかには、琉球王朝との交流を司る事務所跡といわれているシューミヤ原の「ヤマガマ」があります。薩摩藩時代になっても交易は盛んで、明治頃まではその面影を残していたようです。
昭和五十五年六月三十日
知名町指定史跡
知名町教育委員会

↑ 戻る


注13:昇竜洞(地図№41)


所在地:知名町住吉字吉野平川(徳時バス停徒歩15分)
営業時間:9時~17時(入洞は16:30まで)
休業日:無休
料金:大人(高校生以上)¥1000円、小・中学生¥500
駐車場:30台(無料)
概要::昭和38年に発見された昇竜洞は、上洞・主洞・中洞・下洞の4つの洞穴が、直線状に連なる全長3500mの鍾乳洞で、その内の600mが一般公開されている。
 内部は、「クリスマスツリー」「金銀の瀧」「ダイヤの御殿」「音楽堂」「銀のすだれ」「横綱の化粧まわし」等々色々な名称がつけられ、内部には神社の鳥居もあり、鹿児島県の天然記念物に指定され、また、映画・八ツ墓村の撮影で使われた鍾乳洞である。
 なお、大山山麓の標高100m以高の地域には、日本で2番目に長い大山水鏡洞(すいきょうどう・総延長10,294m※)を筆頭に200~300の大鍾乳洞群があるが、観光用に一般公開されているのは、昇竜洞だけである。
※大山水鏡洞は大山の東斜面にあり、その入口は、久志検(ぐしけん)地区と下平川(しもひらかわ)地区の境界部を中心に7~8ヶ所あると云われる。

【参考1:昇竜洞内部案内図
昇竜洞内部案内図2 昇竜洞内部案内図1

【参考2:沖永良部島の洞窟順位
 総延長1kmを越える規模の洞窟ランクキング上位100洞中に入る沖永良部島の洞窟。
2位:大山水鏡洞(10294.0m)
17位:小池の穴(3000.0m)
18位:銀水洞(2903.6m)
27位:鳳雛洞(2191.0m)
32位:昇竜洞上洞(2047m)
42位:白鳳洞(1586.0m)
55位:インガマゴー(1352.0m)
58位:昇竜洞下洞(1300.0m)
66位:和の穴(1108.3m)

【参考3:ケイビング(洞窟探検)についての手続き(昇竜洞以外の洞窟探検)】
 沖永良部島においては、大学等のケイビングクラブ(洞窟探検部)がサークル活動の一環として入洞しているが、大学・一般を問わず入洞する際には、洞窟探検計画書を警察署、消防、役場に提出する必要がある。
◇洞窟探検計画書
・入洞の目的
・日程
・行動計画
・入洞者名簿(自宅の電話番号まで)
・責任者の電話番号(携帯電話番号まで)
・宿泊場所
・緊急時の連絡先(学生の場合は学校住所、電話番号まで)
※提出先
・沖永良部警察署:和泊町和泊120、電話0997-92-0110
・消防署(沖永良部与論地区広域事務組合):知名町余多1319、電話0997-93-5181
・知名町役場(企画情報課): 知名町知名307、電話0997-93-3111

↑ 戻る


注14:大山植物公園・展望台と自然休養村・野営場(キャンプ場)(地図№43、44、45)


大山植物公園
所在地:知名町黒貫溝川(大山自衛隊バス停より徒歩5分)
概要:島で一番高い、大山の頂上一帯に拡がる、ハイビスカス、デイゴ、ゴムノキ、フクロホヤシ類などの自然林の中の公園で、螺旋階段を上っていく展望台からの眺め(好天時には与論島や沖縄まで望める)を楽しむ以外、特に見るべきものはないが、同公園から坂道を下った所には、自然休養村・野営場がある。

自然休養村・野営場(キャンプ場)
所在地:知名町芦清良
連絡先:電話番号 0997-93-3111(知名町産業政策課)
営業期間:通年
休業日:無休
料金
①キャンプ入場料:大人¥400、小人¥200
②テント持込料:1張¥400
②テント貸出:5人用¥1000、持ち込み5人用¥400
ロッジ使用料:(町内)大人1名¥1600、小人1名¥800 (町外)1泊大人1名¥2000、小人1名1000円
備考:場内には、キャンプ場以外に、平和の塔9本柱高倉野外ステージ、遊具、テニスコート、グラウンドゴルフがある。また、近くには、知名町の総合グラウンドもある。
平和の塔
平和の塔
9本柱高倉
9本柱高倉
野外ステージ
野外ステージ
ロッジ
ロッジ

↑ 戻る


注15:ミュージック・オン・ティーヴィ(MUSIC ON!TV)


MUSIC ON!TVの番組Make On The Holiday
◇MUSIC ON! TV(ミュージック・オン・ティーヴィ)は株式会社ミュージック・オン・ティーヴィ(ソニー・ミュージックエンタテインメントの連結対象会社)が運営する音楽専門チャンネル。通称「M-ON!」(エムオン)。
 スカパー! スカパー!e2およびケーブルテレビで視聴可能である。
邦楽・洋楽を交え、最新ミュージック・ビデオやライブコンサート等の映像を24時間放映している。キャッチコピーは「愛そう、好奇心のおもむくままに。ミーハー魂!」。
◇Make On The HolidayはMUSIC ON! TVのレギュラー番組。音楽、チケット予約、映画、グルメ等、エンターテインメント情報を紹介する公開生放送番組。
 音楽はもちろん、素敵な休日を過ごすための提案をパックン・マックンのナビゲートでお届けする生放送公開番組。毎週土曜日SHIBUYA BOXX((しぶやぼっくす:東京都渋谷区にあるライブハウス。)横のオープンカフェ『shibuya@future』からオンエア。
出典:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)等から抜粋。


▲ページの先頭


| 放浪記・トップ | ▶沖永良部島編part2


   
リンクを含め全て自由
和坊流 宇宙