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第17章:沖永良部島編part2


平成18(2006)年:備忘録


 目次

■地図
 ▶全島地図
■笠石公園キャンプ場
 ▶6日目:10月22日(日) 曇り時々小雨 (和泊港散策)
 ▶7日目:10月23日(月) 晴      (島北西部散策)
 ▶8日目:10月24日(火) 晴      (出発延期)
 ▶9日目:10月25日(水) 曇り     (ロウニンアジの釣り見学)
 ▶10日目:10月26日(木) 曇り一時雨 (沖縄本島へ出発)
※本文中赤字は写真あり。
■注
 ▶注16:屋者琉球古墳墓
 ▶注17:ジッキョヌホー
 ▶注18:屋子母セージマ古墳跡
 ▶注19:住吉暗川
 ▶注20:住吉貝塚
 ▶注21:田皆岬・矢護仁屋岬灯台
 ▶注22:沖泊海浜公園・キャンプ場
 ▶注23:遠矢家の墓・アーニマガヤの墓
 ▶注24:中甫(なかふ)洞穴

________________________________________


■地図


全島地図
沖永良部島全島地図1・南州神社 2・西郷隆盛牢屋跡 3・みじらしゃ通り 4・タラソおきのえらぶ 5・Aコープ和泊店 6・喜美留暗川 7・日本一のガジュマル(国頭) 8・国頭岬灯台 9・岬大明神 10・ハマユウ群生地 11・フーチャー 12・西郷隆盛上陸の地の碑 13・ソテツジャングル 14・ワンジョ(湾門) 15:大和城(ヤマトグスク)跡、風葬墓(トゥール墓) 16・半崎 17・内城小学校 18・世之主の墓 19・世之主神社 20・越山公園 21・歴史民俗資料館 22・ウジジ浜 23・屋者琉球古墳墓 24・ジッキョヌホー 25・屋子母海岸・キャンプ場 26・浜倉 27・大津勘ビーチロック 28・屋子母セージマ古墳跡 29・四並蔵(よなみぞう)神社 30・住吉・暗川 31・住吉貝塚 32・住吉港 33・やっこの里正名字 34・田皆小学校 35・田皆岬・矢護仁屋崎灯台 36・沖泊海浜公園・キャンプ場 37・遠矢家の墓(新城花窪ニャート墓) 38・花神神社 39・中甫(なかふ)洞穴 40・アーニマガヤの墓 41・昇竜洞 42・航空自衛隊レーダー基地 43・大山植物公園 44・展望台 45・大山野営場・キャンプ場 46・40万年前の波打ち際と云われる3差路

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■笠石公園キャンプ場



6日目:10月22日(日) 曇り時々小雨  (和泊港散策)


 朝7時頃から小雨が降った。その後も、晴れたと思うと雨が降るといった空模様。晴れ間を見計らい、和泊港にゴミ出しに出掛ける。

 港には、釣り客が大勢いた。その中の一人、神戸にて50年間生活、帰郷後は釣り三昧の男性と雑談してから、Aコープで弁当を買って昼食を摂り、キャンプサイトに帰る。

 夕方、キャンプサイト近くの県道84号沿いにある店にビールを買いに行く。その店内で、笠石公園の清掃を担当している女性と遭遇。世間話の中で、この店に隣接する喜美留(きびる)公民館前に、暗川(くらごう)と云う昔の湧水場があることを聞き案内してもらう。暗川の看板には「地下を流れる川のこと」とあった。昔、島には、この様な湧水場が集落ごとにあったらしい。

和泊港岸壁
和泊港
和泊港フェリーターミナル
和泊港フェリーターミナル
喜美留暗川案内板
喜美留暗川案内板(地図№6)
喜美留暗川内部
喜美留暗川内部

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7日目:10月23日(月) 晴  (島北西部散策)


 明け方テントの外に出る。満天の星空。高い山がない分空の隅々まで星であふれていた。

 朝食後、島の北東部散策に出掛ける。県道84号を西進、前回19日は、古里集落の与名浜から海岸線(小米古里線)に入ったが、今日はそのまま84号を走る。

 途中、屋者(やじゃ)集落のガジュマル辻と云うけったいな名前の三差路近くにある、世之主の四天王の一人、屋者真三郎(マサバル)の墓と云われる、屋者琉球古墳墓(注16)を見学してから、知名港へ向かう。

 知名市街地手前の瀬利覚(せりかく・ジッキョとも云う)集落県道沿い下方に、水場がある。降りてみると、ジッキョヌホー(注17)との看板。瀬利覚集落の湧水場で、昨日、キャンプサイト近くの喜美留(きびる)公民館前にあった暗川(くらごー)と同じものだった。

 ジッキョヌホーでしばし休憩後、知名市街地を抜け、県道84号は620号に合流し、屋子母(やこも)集落の外れの県道沿いに、屋子母セージマ古墳跡(注18)の案内板が出ていたので、古墳跡にある風葬洞穴を見る。

 この約1km先が、徳時(とくどき)集落の県道沿いに土俵のある四並蔵(よなみぞう)神社。この交差点を右に行けば昇竜洞。左は大津勘ビーチロック。どちらも前回立ち寄ったので、先に進む。

 この先からが今日の散策目的地。徳時の次の集落は住吉。この集落内には、暗川と住吉貝塚がある。

 住吉小学校先に住吉暗川(注19)の看板があり、そこから下に降りて行くと住吉暗川の入口。さらに階段を下りた先に川が流れる水汲み場が現れる。

 昔の人達は、ここで水汲みをした後に、近くにあった高倉で休憩していたらしい。なお、その高倉は、大山野営場(キャンプ場)にある9本柱の高倉(注14:大山野営場参照)で、昭和50年代に住吉から移築されたもの。

 ともかく、生活用水の為約20mの距離を毎回行き来していた苦労を感じながら、暗川を後にして、縄文時代の住居跡が見つかった貴重な史跡の住吉貝塚に向かう。

 住吉貝塚(注20)は、住吉港近くの共同墓地の手前にあると聞いているが、現地に行っても何もないので、住吉港から貝塚の全体を見渡しながら小休止をする。

 休憩後、県道620号を走行、道路際に「やっこの里正名字」の看板。「やっこ」とは、正名(まさな)集落に伝わる「正名ヤッコ踊り」のことらしい。このやっこの里の次の集落が田皆(たみな)。

 田皆(たみな)集落の県道沿いの田皆小学校(隣が中学校)の横から左折(北)した先の海岸が田皆岬。県道沿いに廃墟になった建物がある。そう云えば、フーチャーの入口にも同じような廃屋があった事を思い出す。どちらもレストランか土産物店のようだが商売にはならないのかなァと思いながら岬に入る。

 田皆岬(注21)は、奄美十景の一つに数えられる景勝地で、田皆岬突端に立つ矢護仁屋(ヤグニャ)岬灯台。そして、皇居、国会議事堂に使われたと云うトラバーチンと呼ばれる縞模様のある白く美しい大理石を産出した石切場を見て回ってから、来た道を引き返し、海岸沿いの道に入り、沖泊(おきどまり)海岸に向かう。

 途中、田皆岬の景色を振り返りながら、沖泊港に着く。港前の階段を上がった所に東屋があるが、ここは沖泊公園。この先に、沖泊海浜公園の看板が設置されており、細い道の先に沖泊海岸と沖泊海浜公園が、さらに奥にキャンプ場(注22)がある。

 キャンプ場には炊事棟と綺麗な水洗トイレとシャワーの設備があり、段差にはスロープが設けられ、キャンプサイトとしては最高の部類。食品調達の不便さを除けばであるが。

 海浜植生(アダン自然林)及び隆起断崖がひとまとまりとなって維持され、ウミガメの産卵地としても知られる沖泊海浜公園で昼食休憩をしてから、同じ下城集落内にある島主・世之主の生誕地に建立された「世之主神社(注7参照)と世之主の生母を祭神とした新城集落の花沖神社、そして、花沖神社近くの県道沿いから見える、石壁で囲まれ入口に鳥居型の石門のある遠矢家の墓(新城花窪ニャート墓 注23)にも立ち寄り、各所で般若心経を唱える。

 お墓に参ったついでと云っては失礼だが、赤嶺(アーニ)集落の共同墓。アーニマガヤの墓(注23)にも寄る。この墓は、先日(10月15日)島西部散策時に通った、世之主の墓に行く手前の内城(うちじろ)小学校から県道622号(内城下平川線)を南に約500mの位置にあった。

 アーニマガヤの墓に参ってから、6~700m西に行った久志検(ぐしけん)集落外れにある、3500年以上前の縄文人の人骨が発見された中甫(なかふ)洞穴(注24)を見学してから、内城小学校まで引き返し、県道621号(瀬名和泊線)を走り、キャンプサイトに帰る。

 夕食準備中に警察官が来て、名前と生年月日を聞かれた。明日天気が良ければ沖縄へ出立しようと思う。

屋者琉球古墳墓
屋者琉球古墳墓(地図№23)
ジッキョヌホー
ジッキョヌホー(地図№24)
セージマ古墳跡
セージマ古墳跡(地図№28)
住吉・暗川(地図№30)
住吉・暗川(地図№30)

住吉貝塚
住吉貝塚(地図№31)
やっこの里正名字の看板
やっこの里正名字(地図№33)
田皆小学校
田皆小学校(地図№34)
田皆岬入口の廃墟
田皆岬廃墟(地図№35)

田皆岬
田皆岬
トラバーチン石切場
トラバーチン石切場
矢護仁屋(ヤグニャ)岬灯台
矢護仁屋岬灯台
田皆岬遠景
田皆岬遠景

沖泊港と海岸(中央左上砂浜)
沖泊港と海岸(中央左上砂浜)
(地図№36)
沖泊キャンプ場・東屋、WC、滝(中央部)
沖泊キャンプ場東屋、WC
滝(中央部)
沖泊海岸から見るアダン林と滝(中央右上)
沖泊海岸とアダン林
滝(中央右上)
下城(生誕地)・世之主神社
下城(生誕地)・世之主神社

花沖神社
花沖神社(地図№38)
遠矢家の墓(新城花窪ニャート墓)
遠矢家の墓(地図№37)
アーニマガヤの墓
アーニマガヤの墓(地図№40)
中甫(なかふ)洞穴
中甫(なかふ)洞穴(地図№39)

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8日目:10月24日(火) 晴  (出発延期)


和泊港フェリーターミナル 朝から米2合を炊いて、卵焼きと味噌汁、サバの缶詰の豪華朝食。朝食中、犬3匹を連れて散歩に来る、近所に住まいのある四国・八幡浜出身のヒロノさんが訪ねて来て、今日の夕方酒を持って来るとのこと。

 ヒロノさんは、島に入った初日に世間話をして、島の情報を話してくれた人。無下に断る訳にもいかず、今日の出発は延期する。

 ゴミ捨てに行った和泊港の岸壁に珍しく女性の釣り人が居たので話をしていると、車でやって来た老人が、マグロの頭を餌にした仕掛けを海に投げ入れ、違う竿でヒラアジやムロアジを釣り、釣りあげたムロアジを生餌にして竿を出している。

 その老人と話をする。マグロの頭もムロアジの生餌もロウニンアジ(宮古島ではガーラ)を釣り上げる為の餌で、ヒラアジは食用にするとの事。

 また、この岸壁は、近所の魚屋が店で処理した魚の残骸の処分地で、それを狙ってロウニンアジが湾に入ってくる。先日は、36kgのロウニンアジやロウニンアジを餌にするサメも釣ったと、ビデオを見せてくれた。

 岸壁に大勢いた釣り人達は、フェリー入港時間になったので、一斉に引き揚げ始めた。それにしても、島の人達は、海に何でも捨てるのが気になった半日だった。

 フェリーの接岸を見てから、Aコープ和泊店で、買い物をして、再度和泊港に戻り、フェリーターミナル2階で、ビールとツマミで昼食を済ましてからテントサイトに帰る。

 夕方、朝の約束通りヒロノさんが焼酎と肴持参で来訪。しばらくして、トミタさんも加わる。トミタさんは、日本国内やヨーロッパを中心に自転車旅行をし、その旅の中でこの島を気に入り、日本一のガジュマルのある和泊町国頭に民家を借りて住む画家で、以前からテントサイトに来て話をしていた人。

 この3人で久しぶりの酒盛り。

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9日目:10月25日(水) くもり  (ロウニンアジの釣り見学)


 朝食後、大物のロウニンアジが釣れる瞬間を見たさに、昨日同様和泊港岸壁に出掛ける。昨日の老人は1番乗りで岸壁にやって来た。

 何時も来るメンバーに、岡山ナンバーの車でやって来た倉敷の人も加わったが、誰一人ヒットせず、フェリー入港時間になったのでキャンプサイトに引き上げる。

 夕方、ヒロノさんが犬4匹(何時もは3匹)を連れて現れ、公園内にある喫茶兼レストランで生ビールを御馳走してくれる。その間犬は放し飼いで、公園を訪れる人に吠えまくっていたが、ヒロノさんは気にせず飲んでいた。

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10日目:10月26日(木) くもり一時雨  (沖縄本島へ出発)


 朝から撤収準備をし、今日も犬4匹を連れて散歩に来たヒロノさんに別れの挨拶をして、公園作業室は無人だったので、出入口に、四国巡礼の納札(霊場・札所に詣でた証として納めるお札)に住所・氏名とお礼の言葉を書いて張り、和泊港に向かう。

 和泊港岸壁では、何時もの釣り人が居たがので、フェリーが接岸するまで釣り見学。最後にロウニンアジが釣れる劇的瞬間を期待したが成果なし。フェリーは1時間以上遅れて入港。一路沖縄へ。

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■注


注16:屋者琉球式墳墓(地図№23)


所在地:知名町屋者勝丸
備考:世之主の家来で、四天王と呼ばれた中の一人、屋者真三郎(やじゃマサバル)の墓だと云い伝えられている。崖を利用した破風型で、玉陵にも通じる琉球様式のトゥール墓であるが、屋根は日本式切妻型になっており石畳式に葺かれている。これは、現在沖縄に残っている亀甲形の墓よりも古い形式である。

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注17:ジッキョヌホー(地図№24)


ジッキョヌホー所在地:知名町瀬利覚(県道84号沿い)
【備考】
 ジッキョヌホーは、瀬利覚の川と云う意味の湧水場。同所は、知名町の有形文化財・瀬利覚字指定民俗文化財に指定されており、水道が普及する昭和30年代以前は、集落の水源(暗川・あんごう※)として利用されていたが、現在では、農業用水や子供達の親水広場としての利用が主であると同時に、例年7月には、ホーへの感謝をこめたホー祭りも行われている。
※暗川:地下河川を伴う石灰岩洞穴のこと。

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注18:屋子母セージマ古墳跡(地図№28)


屋子母セージマ古墳跡所在地:知名町屋子母字妻々(県道620号沿い)
 この古墳は、自然石灰岩をくり抜いて造られた風葬洞穴(トゥール墓)で、隣接して、仏教の影響を受けた本土型の墓地があり、その墓石には天正年間(1573~90年)の年号が刻まれており、トゥール墓から日本式の墓に変わっていく途中を知る資料として学問的に重要な場所であると云う。



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注19:住吉暗川(クラゴウ)(地図№30)


所在地:知名町住吉前間当り(住吉小学校北)
概要:暗川(クラゴウ)とは,地下河川を伴う石灰岩洞穴のことで、石灰岩層が発達している沖永良部島では、降った雨は地下の洞窟へ流れ込み、その洞窟の一部に穴があき、地下水がくみ取れる場所が暗川であるが、暗川が鍾乳洞や単なる石灰岩洞穴と根本的に異なる点は,水を得る水源地として利用されるだけでなく、地域の人々の社交の場としても利用されていたことである。
 住吉暗川(クラゴウ)は、620号脇から海側に降り、水神様の碑の先に直径5~6m程の暗くて大きな洞窟がある。洞窟の中には、急な階段があり、懐中電灯を頼りに、高低差約20mの石段下っていくと、3m幅で30cmほどの深さの川が流れている。
 簡易水道ができる1963(昭和38)年まで、生活用水、飲料水として利用していたと云う。この急な道を不安定な水桶を頭に載せて一日に何回も往復するのは女性の仕事で、水汲みをした後に女性らが休憩していたとされる9本柱の高倉は、大山野営場(キャンプ場)に移築されている。
県道沿い案内板
県道沿い案内板
暗川入口
暗川入口
暗川内部
暗川内部
暗川・水神様
暗川の水神様

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注20:住吉貝塚(地図№31)


住吉貝塚(赤丸)所在地:知名町住吉字兼久
概要:遺跡は、海岸崖上標高約12mの緩やかな南西向き斜面地に位置し、晴天時には南に与論、沖縄、南西には伊平屋島を望むことができる、縄文時代後期から弥生時代初期(約4000年から2000年前)にかけた竪穴住居跡で、遺跡の規模は東西120m、南北100m。
 発掘調査では14棟の竪穴住居(全体で50棟ほどになると推定)と貝塚が確認されている。貝塚から、昔の人々が琉球列島を島伝いに行き来していたことが推定できる、鹿児島や沖縄を中心として見つかっている土器(黒川式土器の搬入品や、黒曜石製剥片)が確認されている。
 また、住居跡の竪穴の中から貝や魚骨、ウミガメ、動物骨(主にリュウキュウイノシシ。以外にクジラ、イルカ、犬の骨)、炭化した木の実など多くの遺物が出土、当時の人達の生活が偲ばれる。
 なお、出土した骨は、知名町中央公民館に保管されている。
【写真説明】
赤丸印が貝塚。中央上・住吉港、港から延びる道を右斜め下方面に行くと県道620号沿いの住吉集落。

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注21:田皆(たみな)岬・矢護仁屋(ヤグニャ)岬(地図№35)


田皆岬地層所在地:知名町田皆(田皆バス停下車、徒歩約30分)
概要:地元で、矢護仁屋(ヤグニヤ)岬とも呼ばれる田皆岬の断崖は、恐竜が栄えた約2億年前にできた古い地層(基盤岩)の上に、哺乳類が定着し始めた約180万年前頃、沖永良部島が海面上に出て形成された隆起サンゴ礁の地層からなっており、その基盤岩と隆起サンゴ礁の接地面(不整合面という)が見られる貴重な場所で、周辺は、奄美群島国定公園に指定され、奄美十景の一つに数えられる景勝地である。
 なお、田皆岬突端には、白亜の円塔形コンクリート造りの矢護仁屋(ヤグニャ)岬灯台と、その左奥には、皇居玄関や国会議事堂に使われたトラバーチンという大理石が採取されていた「石切場」がある。

【参考:現地案内板内容】
田皆岬案内板ようこそヤグニャへ! 感謝とご案内
☆広い海、高い空、澄んだ空気、地表のみどり、太陽からの豊かな贈り物、ヤグニャの自然のロマンをゆっくりお楽しみください。
ヤグニャ岬(通称ヤグニャファンタ)は、鹿児島から南へおよそ540km、北緯27度24分、東経128度40分、知名町の再北端に位置し、東シナ海に突き出しています。「ヤグニャ」のヤは岩、石のこと、グは小さいこと、ニャは火田のことで、「岩のある小さな焼畑」という意味になります。
水平線に沈む真っ赤な夕日、亜熱帯ならではのサンゴ礁、小鳥、風にそよぐキビの穂波、アダンやソテツなど亜熱帯の植物群。そして、高さ40mから50mにも及ぶ他に類を見ない、紺碧の黒潮の東シナ海の大空に凛と突き出すサンゴ礁の絶壁。まさしく沖永良部島観光のエースです。
◎地球の息吹を語るヤグニャ岬
ヤグニャの断崖は、億・千万年地球生命体の歴史と躍動を語り伝えています。沖永良部島は、長い年月を重ねた地殻の変動の隆起によって大深海の太平洋(深さ約6000m)と東シナ海(深さ約2000m)の真っただ中に浮かぶサンゴ礁の島です。(図Ⅱ)
ヤグニャの断崖は、大きく2つの時代の地層からなっています。「基盤岩」“恐竜”などが栄えた時代、「中生代ジュラ紀・白亜紀」(約2億年前)にできたきわめて古い地層であり、その上の「隆起サンゴ礁」(琉球層群=琉球石灰岩)は、哺乳類の栄え始めたころ、「新生代・第四紀・更新世」(約百八十万年から)に沖永良部島が海面に出て、サンゴ礁が形成された頃の地層です。(図ⅠⅡⅢA・B)
「ヤグニャ」は、数千年の間、黒潮に洗われ、風波や風雨に耐えて年輪を重ね、この息を呑む断崖、りりしい断層、点在する奇岩怪石をはぐくんできました。
この周辺一帯は、浸食された石灰岩の石塔原(カレンフェルト)で代表される「カルスト地形」(凹凸・すり鉢型・鍾乳洞)の発達が見られます。(図Ⅰ)
また石灰岩が変化(再結晶)して、「トラバーチン(大理石様の石灰岩)」となり、我が国の貴重な石材として皇居玄関(戦前:国会議事堂 戦後:有名デパート)内装などに活用されたと記録にあります。地質鉱物学や岩石の生成、風化などを知る貴重な場所なのです。(図1C)
 ヤグニャ岬カルスト地形
 知名町指定天然物(昭和四十一年八月二十六日)
 奄美群島国定公園(昭和四十九年二月)
 平成十五年三月 知名町教育委員会
図Ⅰ 図Ⅱ・Ⅲ

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注22:沖泊(おきどまり)海浜公園・キャンプ場(地図№36)


沖泊周辺所在地 :知名町下城
期間:通年
料金:無料
施設:炊事棟、シャワー室、更衣室、トイレ、東屋
特徴:公園遊歩道から各施設・セクションへは全てアプローチスロープが設けられている。
ビーチ:長さ250m、奥行50m
連絡先:電話0997-93-3111(知名町役場産業政策課・企画課)
概要:沖泊海岸は、イノー(礁池※)、自然海浜、海浜植生(アダン自然林※)及び隆起断崖がひとまとまりとなって維持され、ウミガメの産卵地としても知られており、観光資源及び環境教育の場として価値が高い所と考えられている。キャンプ場は、石灰岩の断崖とアダン林の間に造られている。
※礁池(しょうち):外礁(サンゴ礁の縁)に囲まれた礁の内部のこと。
※アダン自然林:タコノキ科の熱帯植物で暖かい地方の海岸や砂浜などによく自生しており、潮風に強いアダンは、暴風・防潮・砂防樹として利用されていた。沖泊崖下のアダンは面積も広く貴重なものとなっている。
その他:①沖泊海浜公園に隣接する漁港前の沖泊公園には、休憩所と水のみ場が設置されている。②海浜公園は、平成6年の映画「ゴジラVSスペースゴジラ」の中で、ゴジラが無人島に上陸する場面で使用された撮影地。
沖泊海浜公園入口
海浜公園入口
沖泊海浜公園
海浜公園
沖泊海岸
海岸
沖泊アダン林内部
アダン林内部

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注23:遠矢家の墓・アーニマガヤの墓(地図№37、40)


遠矢家の墓(新城花窪ニャート墓)
所在地:知名町新城
概要:この墓は、沖永良部の代官として赴任した鹿児島の城下士、遠矢金兵衛が妻子のために造ったものだと云われている。丘陵斜面を利用した横穴式屋根型で前庭があり、石壁で囲まれた入り口は鳥居型の石門がある。
アーニマガヤの墓
所在地:知名町赤嶺字マガヤ
概要:アーニマガヤとは、地名で、知名町赤嶺(アーニ)字マガヤにある墓と云う意味の共同墓である。墓は、南方を向いた斜面に石灰岩をくり抜いて造られ、岩屋(玄室)内部の三方には、洗骨(土葬後の骨を洗ったもの)後の骨壷を安置していたらしい棚段が造られており、入口の玄関型の屋根は沖縄の亀甲墓の屋根に似ていなくもないが、本土系の様式である寺院正面の唐破風型に近いのが特徴的である。
 また、入口の両側に「天保」年間などの文字が刻まれていたことから、薩摩藩時代に本土から渡って来た石工によって造られた墓と考えられている。

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注24:中甫(なかふ)洞穴(地図№39)


所在地:知名町久志検字水窪
概要:昭和57年に縄文時代早期(6~8000年前)の爪型式土器の発見で、奄美最古の遺跡として注目された。同時に、3200年以上前の弥生時代の人骨(頭蓋骨を真上から見た形が楕円形に近い形をしている長頭型の女性:約142cm)が発見された。人骨は、横臥屈葬で埋葬され、遺体を囲むように珊瑚礁の礫(れき:小石)が置かれたが発掘されて、沖永良部島には紀元前から人が住でいたことが実証された。

【参考1:奄美諸島の発掘人骨】
①面縄第一貝塚人(弥生人)
発掘地:伊仙町(徳之島)面縄小裏(面縄小学校一帯)
備考:弥生時代(約2300年前)の埋葬人骨(身長145cmの30代女性で、通称・弥生ちゃん)。
※第16章:徳之島編part2・注29参照。
②宇宿貝塚人(弥生人)
発見場所:奄美市笠利町大字宇宿(ウシュク)大籠
備考:弥生時代の母子人骨(約145cmの20歳前後の女性と見られ、股間からは胎児の骨も出土)。

【参考2:日本最古の人骨】
◇間接測定1位:山下町第一洞穴人
発見場所:那覇市山下町
備考:旧石器時代(約3万2000年前)の8歳程度の女児と推定される人骨の一部が出土。
◇間接測定2位:港川人
発見場所:沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の八重瀬町字長毛)
備考:人骨が出土した地層に含まれる炭化物の年代を測定する間接的な方法では、沖縄本島の八重瀬町の「港川人」が約1万8000年前の地層から発見された9体の内の保存状態の良い港川人1号は、153cmの男性で、縄文人の平均身長(157~159cm)より低い。
 なお、港川から人工物は発見されていないが、丸木舟を利用して、沖縄から北上し、後の縄文人になった可能性が指摘されている。
※年代測定の間接測定とは、人骨が出土した地層に含まれる炭化物の年代を測定する方法。
◇直接測定1位:浜北人
発見場所:静岡県浜北市(現浜松市)
備考:1960年代(昭和35年~)に見つかった約1万4000年前の「浜北人」の骨は、直接測定した人骨の国内最古例。
◇直接測定新1位:白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人
発見場所:沖縄県石垣市白保(新石垣空港建設地内・通称C1洞穴)
備考:2010(平成22)年2月、旧石器時代の人骨が発見され、放射性炭素年代測定を行ったところ、20代~30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、性別不明の成人の中足骨が約1万8千年前、成人男性の腓骨が約1万5千年前のものとそれぞれ判明した。
 直接測定できた人骨では、浜北人を6千年さかのぼる国内最古を更新した。また、20代~30代の男性の頭骨片は、測定データの解釈によっては、約2万4000年前の可能性もある。


続く:座間味島・阿嘉島編



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