所在地:知名町屋者勝丸
備考:世之主の家来で、四天王と呼ばれた中の一人、屋者真三郎(やじゃマサバル)の墓だと云い伝えられている。崖を利用した破風型で、玉陵にも通じる琉球様式のトゥール墓であるが、屋根は日本式切妻型になっており石畳式に葺かれている。これは、現在沖縄に残っている亀甲形の墓よりも古い形式である。
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所在地:知名町瀬利覚(県道84号沿い)
【備考】
ジッキョヌホーは、瀬利覚の川と云う意味の湧水場。同所は、知名町の有形文化財・瀬利覚字指定民俗文化財に指定されており、水道が普及する昭和30年代以前は、集落の水源(暗川・あんごう※)として利用されていたが、現在では、農業用水や子供達の親水広場としての利用が主であると同時に、例年7月には、ホーへの感謝をこめたホー祭りも行われている。
※暗川:地下河川を伴う石灰岩洞穴のこと。
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所在地:知名町屋子母字妻々(県道620号沿い)
この古墳は、自然石灰岩をくり抜いて造られた風葬洞穴(トゥール墓)で、隣接して、仏教の影響を受けた本土型の墓地があり、その墓石には天正年間(1573~90年)の年号が刻まれており、トゥール墓から日本式の墓に変わっていく途中を知る資料として学問的に重要な場所であると云う。
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所在地:知名町住吉前間当り(住吉小学校北)
概要:暗川(クラゴウ)とは,地下河川を伴う石灰岩洞穴のことで、石灰岩層が発達している沖永良部島では、降った雨は地下の洞窟へ流れ込み、その洞窟の一部に穴があき、地下水がくみ取れる場所が暗川であるが、暗川が鍾乳洞や単なる石灰岩洞穴と根本的に異なる点は,水を得る水源地として利用されるだけでなく、地域の人々の社交の場としても利用されていたことである。
住吉暗川(クラゴウ)は、620号脇から海側に降り、水神様の碑の先に直径5~6m程の暗くて大きな洞窟がある。洞窟の中には、急な階段があり、懐中電灯を頼りに、高低差約20mの石段下っていくと、3m幅で30cmほどの深さの川が流れている。
簡易水道ができる1963(昭和38)年まで、生活用水、飲料水として利用していたと云う。この急な道を不安定な水桶を頭に載せて一日に何回も往復するのは女性の仕事で、水汲みをした後に女性らが休憩していたとされる9本柱の高倉は、大山野営場(キャンプ場)に移築されている。
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注20:住吉貝塚(地図№31)
所在地:知名町住吉字兼久
概要:遺跡は、海岸崖上標高約12mの緩やかな南西向き斜面地に位置し、晴天時には南に与論、沖縄、南西には伊平屋島を望むことができる、縄文時代後期から弥生時代初期(約4000年から2000年前)にかけた竪穴住居跡で、遺跡の規模は東西120m、南北100m。
発掘調査では14棟の竪穴住居(全体で50棟ほどになると推定)と貝塚が確認されている。貝塚から、昔の人々が琉球列島を島伝いに行き来していたことが推定できる、鹿児島や沖縄を中心として見つかっている土器(黒川式土器の搬入品や、黒曜石製剥片)が確認されている。
また、住居跡の竪穴の中から貝や魚骨、ウミガメ、動物骨(主にリュウキュウイノシシ。以外にクジラ、イルカ、犬の骨)、炭化した木の実など多くの遺物が出土、当時の人達の生活が偲ばれる。
なお、出土した骨は、知名町中央公民館に保管されている。 【写真説明】
赤丸印が貝塚。中央上・住吉港、港から延びる道を右斜め下方面に行くと県道620号沿いの住吉集落。
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所在地:知名町田皆(田皆バス停下車、徒歩約30分)
概要:地元で、矢護仁屋(ヤグニヤ)岬とも呼ばれる田皆岬の断崖は、恐竜が栄えた約2億年前にできた古い地層(基盤岩)の上に、哺乳類が定着し始めた約180万年前頃、沖永良部島が海面上に出て形成された隆起サンゴ礁の地層からなっており、その基盤岩と隆起サンゴ礁の接地面(不整合面という)が見られる貴重な場所で、周辺は、奄美群島国定公園に指定され、奄美十景の一つに数えられる景勝地である。
なお、田皆岬突端には、白亜の円塔形コンクリート造りの矢護仁屋(ヤグニャ)岬灯台と、その左奥には、皇居玄関や国会議事堂に使われたトラバーチンという大理石が採取されていた「石切場」がある。
【参考:現地案内板内容】
ようこそヤグニャへ! 感謝とご案内
☆広い海、高い空、澄んだ空気、地表のみどり、太陽からの豊かな贈り物、ヤグニャの自然のロマンをゆっくりお楽しみください。
ヤグニャ岬(通称ヤグニャファンタ)は、鹿児島から南へおよそ540km、北緯27度24分、東経128度40分、知名町の再北端に位置し、東シナ海に突き出しています。「ヤグニャ」のヤは岩、石のこと、グは小さいこと、ニャは火田のことで、「岩のある小さな焼畑」という意味になります。
水平線に沈む真っ赤な夕日、亜熱帯ならではのサンゴ礁、小鳥、風にそよぐキビの穂波、アダンやソテツなど亜熱帯の植物群。そして、高さ40mから50mにも及ぶ他に類を見ない、紺碧の黒潮の東シナ海の大空に凛と突き出すサンゴ礁の絶壁。まさしく沖永良部島観光のエースです。
◎地球の息吹を語るヤグニャ岬
ヤグニャの断崖は、億・千万年地球生命体の歴史と躍動を語り伝えています。沖永良部島は、長い年月を重ねた地殻の変動の隆起によって大深海の太平洋(深さ約6000m)と東シナ海(深さ約2000m)の真っただ中に浮かぶサンゴ礁の島です。(図Ⅱ)
ヤグニャの断崖は、大きく2つの時代の地層からなっています。「基盤岩」“恐竜”などが栄えた時代、「中生代ジュラ紀・白亜紀」(約2億年前)にできたきわめて古い地層であり、その上の「隆起サンゴ礁」(琉球層群=琉球石灰岩)は、哺乳類の栄え始めたころ、「新生代・第四紀・更新世」(約百八十万年から)に沖永良部島が海面に出て、サンゴ礁が形成された頃の地層です。(図ⅠⅡⅢA・B)
「ヤグニャ」は、数千年の間、黒潮に洗われ、風波や風雨に耐えて年輪を重ね、この息を呑む断崖、りりしい断層、点在する奇岩怪石をはぐくんできました。
この周辺一帯は、浸食された石灰岩の石塔原(カレンフェルト)で代表される「カルスト地形」(凹凸・すり鉢型・鍾乳洞)の発達が見られます。(図Ⅰ)
また石灰岩が変化(再結晶)して、「トラバーチン(大理石様の石灰岩)」となり、我が国の貴重な石材として皇居玄関(戦前:国会議事堂 戦後:有名デパート)内装などに活用されたと記録にあります。地質鉱物学や岩石の生成、風化などを知る貴重な場所なのです。(図1C)
ヤグニャ岬カルスト地形
知名町指定天然物(昭和四十一年八月二十六日)
奄美群島国定公園(昭和四十九年二月)
平成十五年三月 知名町教育委員会
図Ⅰ 図Ⅱ・Ⅲ
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所在地 :知名町下城
期間:通年
料金:無料
施設:炊事棟、シャワー室、更衣室、トイレ、東屋
特徴:公園遊歩道から各施設・セクションへは全てアプローチスロープが設けられている。
ビーチ:長さ250m、奥行50m
連絡先:電話0997-93-3111(知名町役場産業政策課・企画課)
概要:沖泊海岸は、イノー(礁池※)、自然海浜、海浜植生(アダン自然林※)及び隆起断崖がひとまとまりとなって維持され、ウミガメの産卵地としても知られており、観光資源及び環境教育の場として価値が高い所と考えられている。キャンプ場は、石灰岩の断崖とアダン林の間に造られている。
※礁池(しょうち):外礁(サンゴ礁の縁)に囲まれた礁の内部のこと。
※アダン自然林:タコノキ科の熱帯植物で暖かい地方の海岸や砂浜などによく自生しており、潮風に強いアダンは、暴風・防潮・砂防樹として利用されていた。沖泊崖下のアダンは面積も広く貴重なものとなっている。
その他:①沖泊海浜公園に隣接する漁港前の沖泊公園には、休憩所と水のみ場が設置されている。②海浜公園は、平成6年の映画「ゴジラVSスペースゴジラ」の中で、ゴジラが無人島に上陸する場面で使用された撮影地。
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◇遠矢家の墓(新城花窪ニャート墓)
所在地:知名町新城
概要:この墓は、沖永良部の代官として赴任した鹿児島の城下士、遠矢金兵衛が妻子のために造ったものだと云われている。丘陵斜面を利用した横穴式屋根型で前庭があり、石壁で囲まれた入り口は鳥居型の石門がある。
◇アーニマガヤの墓
所在地:知名町赤嶺字マガヤ
概要:アーニマガヤとは、地名で、知名町赤嶺(アーニ)字マガヤにある墓と云う意味の共同墓である。墓は、南方を向いた斜面に石灰岩をくり抜いて造られ、岩屋(玄室)内部の三方には、洗骨(土葬後の骨を洗ったもの)後の骨壷を安置していたらしい棚段が造られており、入口の玄関型の屋根は沖縄の亀甲墓の屋根に似ていなくもないが、本土系の様式である寺院正面の唐破風型に近いのが特徴的である。
また、入口の両側に「天保」年間などの文字が刻まれていたことから、薩摩藩時代に本土から渡って来た石工によって造られた墓と考えられている。
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所在地:知名町久志検字水窪
概要:昭和57年に縄文時代早期(6~8000年前)の爪型式土器の発見で、奄美最古の遺跡として注目された。同時に、3200年以上前の弥生時代の人骨(頭蓋骨を真上から見た形が楕円形に近い形をしている長頭型の女性:約142cm)が発見された。人骨は、横臥屈葬で埋葬され、遺体を囲むように珊瑚礁の礫(れき:小石)が置かれたが発掘されて、沖永良部島には紀元前から人が住でいたことが実証された。
【参考1:奄美諸島の発掘人骨】
①面縄第一貝塚人(弥生人)
発掘地:伊仙町(徳之島)面縄小裏(面縄小学校一帯)
備考:弥生時代(約2300年前)の埋葬人骨(身長145cmの30代女性で、通称・弥生ちゃん)。
※第16章:徳之島編part2・注29参照。
②宇宿貝塚人(弥生人)
発見場所:奄美市笠利町大字宇宿(ウシュク)大籠
備考:弥生時代の母子人骨(約145cmの20歳前後の女性と見られ、股間からは胎児の骨も出土)。
【参考2:日本最古の人骨】
◇間接測定1位:山下町第一洞穴人
発見場所:那覇市山下町
備考:旧石器時代(約3万2000年前)の8歳程度の女児と推定される人骨の一部が出土。
◇間接測定2位:港川人
発見場所:沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の八重瀬町字長毛)
備考:人骨が出土した地層に含まれる炭化物の年代を測定する間接的な方法では、沖縄本島の八重瀬町の「港川人」が約1万8000年前の地層から発見された9体の内の保存状態の良い港川人1号は、153cmの男性で、縄文人の平均身長(157~159cm)より低い。
なお、港川から人工物は発見されていないが、丸木舟を利用して、沖縄から北上し、後の縄文人になった可能性が指摘されている。
※年代測定の間接測定とは、人骨が出土した地層に含まれる炭化物の年代を測定する方法。
◇直接測定1位:浜北人
発見場所:静岡県浜北市(現浜松市)
備考:1960年代(昭和35年~)に見つかった約1万4000年前の「浜北人」の骨は、直接測定した人骨の国内最古例。
◇直接測定新1位:白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人
発見場所:沖縄県石垣市白保(新石垣空港建設地内・通称C1洞穴)
備考:2010(平成22)年2月、旧石器時代の人骨が発見され、放射性炭素年代測定を行ったところ、20代~30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、性別不明の成人の中足骨が約1万8千年前、成人男性の腓骨が約1万5千年前のものとそれぞれ判明した。
直接測定できた人骨では、浜北人を6千年さかのぼる国内最古を更新した。また、20代~30代の男性の頭骨片は、測定データの解釈によっては、約2万4000年前の可能性もある。 |