深字背太一文跳通
(2007年収集10月号の表紙より転載)
またまた新種(原種?)発見の報告。遥泉 和田勇氏が収集誌上に発表した今のところ一品物の深字背太一文の本体にあたるもの。2枚目の掘り出しができるか・・・ということで広く呼びかけられています。穴銭愛好家としてはうれしい発見です。
(詳細は収集2007年10月号をお読み下さい。)

【評価 3】
深字背小文入文
もともと深字背小文は入文気味なのだが、ごく稀に完全に入文になるものが見つかるようである。背郭がわずかに横長なことから、鋳型の横ずれ修正が発生に関与しているかもしれない。新寛永拓影集と新寛永泉志、文銭の耳より話には紹介されているが、他の銭譜には掲載されていないと思う。文ノ画により、最終画の下部が分断されるような癖がある。(交叉部が切れ目状の段差になる。)存在はかなり少ないと思う。
【評価 8】
深字背小文
寛冠の特徴は他の深字と同じであるが、永字はフ画が仰ぐ独特の書体。この特徴を覚えていれば分類は容易である。背文は正字背狭文に似て横引きが短くなっている離点文。
このように深字は書体の癖は似ているが、とくに背面においてはそれぞれ全く違う顔を持っている銭種である。
中字背広文(参考掲示)
一番上に掲示している画像もややそうなのだが、背文がさらに横広で深字にちょっと似た形状。背郭が横広であるため鋳型の横ズレで生まれたものだと思う。案外深字はこんな母銭の修正から生まれた・・・なんてことはないだろうか?
【評価 6】
深字背文
深字は存在が少ない上に、目立つ特徴が少ないので見落とされがちな銭種である。書体は正字に似ているが少しだけ内跳ね寛で正字に比べて寛冠の前垂れが外側に開く特徴がある。永点もやや長く、起き上がる感じ。文字は深彫り気味のものが多いが絶対的な特徴ではない。分類には背文を見ると一番分かりやすく、第4画が横引き先端の直下から出ているため前のめり気味に見える離点文である。
【評価 7】
【評価 3】
深字背太一文削画通
面文は本体銭とほとんど変わらないが、通の用画の跳ねが加刀によって失われている。(座は残っているので画像では跳ねているように見える。)背は横引きが太く独特。
掲示品は多少磨輪されているが彫りがとくに深く、仕上がりもきれいな美銭である。
畠山章弘氏所蔵の鋳ざらい母銭です。外径25.9㎜、内径20.8㎜と通常の母銭よりもひとまわり大きく、原母銭といってもおかしくはありません。大きさは拓図からも充分感じられます。
すべての文字が鋳ざらい加刀されていて、とくに永尾が鋭く尖るのが特徴です。
現時点では一品物の大珍品ですが、この子銭あるいは類似母銭をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?収集家としてはあこがれの逸品ですね。
(浅草古泉会3周年記念拓本図絵 拓本輯御蔵銭から)
すごい! 中字背文 跳永
【評価 9】
【評価 7】
【評価 6】
【評価 7】
【評価 4】
中字背文(白銅銭)
中字にも白銅質のものが存在する。画像ではわかりにくいが掲示品はやや黒味がかった白銅質である。存在は非常に少なく、納得のゆくものであれば評価はもっと上げても良いと思う。。
中字背欠叉残点文
背文の最終画の先端が点状に切れるもの。比較的存在は多い。
中字背奇文
背文の横引きに鋳切れがある。掲示品は切れ目がやや左気味の奇文だが、横引きのやや右側が切れる後奇文もある。(下写真)
このような変化は細字にもありそちらは有名品である。
中字背入文
背文の第3画の頭が短い。中字の入文は鋳型の縦ずれ修正が原因と考えられる。そのため背郭が縦長になる特徴を持つ。また、横引きの右側の下側がわずかに削られている。
中字背玉一文
中字は正字に比べて手替わりが少ないが、玉一文は中字にあって広く認知されている変種である。文の横引きの末画に玉状の筆どまりがある。
寛文期亀戸銭 【中字の類】

中字背文(初鋳)
中字は正字に比べてやや文字が小さく、そのためやや外輪が広くなる傾向がある。また、寛尾が内跳ねで筆勢や文字の太細に欠ける。背文は筆勢がなくなよなよした感じの離点文になる。
掲示品は直径25.3mもある初鋳品と思われるもの。しかし、母銭とするには内径が小さい。
【評価 10】


中字背文母銭(25.65㎜)
意外に思われるかもしれませんが、中字には大きなものは少ないのです。母銭とはいえ25.5㎜を超えるものは珍しく、25.6㎜を超えるこの品は大ぶり銭とされます。重量も4.1gとなかなか立派。全体的に黒く発色していますが、文字の際に地金の銅色が残っています。
※内郭が滑らかなので母銭としましたが、文字の立ち上がりなどからこれでさえ完璧な母銭とはいえないと思います。文銭に母銭なし・・・とは良く聞く言葉ですから・・・。
黄白(淡黄)色
新寛永 色見本
淡褐色
白銅(灰銀)色
濁青白色
黒褐色
茶褐色
紫褐色
赤褐(赤銅)色
淡黄(真鍮)色
黄褐色

| 新寛永 色彩分類表 | ||
| 銭名 | 主な色調 | 備考 |
| 寛文期亀戸銭 | 淡褐色~黄褐色~茶褐色 | 稀に白銅質あり |
| 正徳期亀戸銭 |
淡褐色~黄褐色~茶褐色 |
|
| 丸屋・耳白銭 | 淡褐色~黄褐色 | 黄色が強い |
| 佐渡銭 | 紫褐色 稀に白銅色あり 淡褐色~黄褐色 黒褐色・紫褐色~淡褐色・白銅色 淡褐色~濁青白色~白銅色 |
正徳期 享保期 元文期 明和期・寛保期 |
| 元禄期荻原銭 | 黒褐色~紫褐色~濁青白色 |
総じて暗い色 |
| 不旧手 | 紫褐色~白銅色 黄褐色系もあり 黒褐色・紫褐色~茶褐色 淡褐色~濁青白色~白銅色 |
折二様 七条銭・十万坪銭・藤沢銭 山城横大路銭・伏見銭・伏見手 |
| 四ツ宝銭(肥字類) 四ツ宝銭(細字類) 四ツ宝銭(幻足寛) |
黄褐色~茶褐色~赤褐色 黒褐色~茶褐色~淡褐色 黒褐色~赤褐色 |
黄色味が強い 跳永のみ赤褐色あり |
| 元禄期猿江銭 | 黒褐色~紫褐色~赤褐色 | |
| 仙台石ノ巻銭(背仙類) | 赤褐色~茶褐色 黒褐色・紫褐色~茶褐色・赤褐色 黒褐色 |
マ頭通背仙 重揮通類 コ頭通背仙 |
| 仙台石ノ巻銭(異書類) | 黄褐色 黒褐色・紫褐色 稀に白銅色あり 黒褐色・茶褐色・淡褐色・白銅色 |
異書短通大型銭 異書短通類 異書長通類(色彩変化多い) |
| 享保期難波銭 |
黒褐色~紫褐色 |
|
| 元文期和歌山銭 | 紫褐色~淡褐色 稀に黄白色 淡褐色~黄白色 |
狭穿大字・淋手 広穿小字 |
| 元文期秋田銭 |
黒褐色~紫褐色 | |
| 元文期亀戸銭 | 黒褐色~紫褐色 | |
| 元文期十万坪銭 | 淡褐色 黒褐色~茶褐色~淡褐色~白銅色 黒褐色~淡褐色 稀に白銅色 黒褐色~赤褐色 稀に白銅色 |
背十 輪十 含二水永 虎の尾寛類 |
| 元文期平野新田銭 |
黄白色~白銅色 紫褐色~淡褐色~白銅色 |
大字・中字・小字 十万坪手 |
| 元文期日光銭 | 黒褐色~紫褐色 | |
| 元文期一ノ瀬銭 |
黒褐色~紫褐色 | |
| 元文期小梅銭 | 黒褐色~紫褐色 | |
| 小梅手 | 黒褐色~紫褐色 紫褐色~淡褐色 茶褐色 |
仰寛・進冠小永・大永類 広穿 狭穿 |
| 元文期加島銭 | 黒褐色~紫褐色 | |
| 元文期藤沢・吉田島銭 |
黒褐色~紫褐色 |
|
| 元文期不知銭類 | 茶褐色 黒褐色~紫褐色 黒褐色・紫褐色~淡褐色・濁青白色 淡褐色~茶褐色 |
延尾永・短通 延尾永小字 細字跳足寶 膳所額輪類 |
| 寛保期高津銭 | 黒褐色~紫褐色 | |
| 寛保期足尾銭 |
黒褐色~紫褐色 |
|
| 明和期亀戸銭 |
淡褐色~黄白色 | |
| 明和期長崎銭 |
淡褐色~黄白色 | |
| 加護山(阿仁)銭 | 赤褐色 | 黒変することあり |
| 安南寛永 | 灰黒色(鉛色) 透明感のある紅色 淡黄色~黄褐色 |
永利手・郭抜寛永手 開元手 元隆手ほか |
| 明和期当四銭 | 淡黄色(青味かかた黄色) | 俗称:青銭 |
| 文政期当四銭 | 赤褐色(白味を帯びたものがある?) | 俗称:赤銭 |
| 安政期当四銭 |
黒褐色~紫褐色 淡黄色あり少ない | 変色多い |
| 文久様 | 灰白色~淡黄色 | 黒変することあり |
| 踏潰銭 | 黒褐色~茶褐色 | 多くは黒変している |
| 江刺銭 |
黒褐色(黒変)~紫褐色~黄褐色 | 表面がざらざらで変色多い |
| 浄法寺銭 | 黒く汚れた紅色~黒褐色(黒変) | やや白味を帯びた赤が地色 |
※色調については一般的なものを私の見解にて色彩表現していますので必ずしも合致するわけではありません。古銭の場合は保存状態によってその色調は大きく変化します。その点はご容赦下さい。
金属組成について(調査報告)
一般的に銅と錫の合金を青銅、銅と亜鉛の合金は黄銅(真鍮)と言います。
青銅は別に青い色をしているわけでありませんが、錆びは紛れもない青緑色(緑青)です。またアンモニアで酸化皮膜を形成することで発色できるようです。(→ 贋作の手法?)
錫の量により色調は異なり、錫が少ないうちは赤色であり、錫の量が増えるにしたがって黄銅色→白銀色へと変化します。古代の鏡は錫の含有量を意図的に増やしたものであったようで、寛永銭の白銅銭は錫の含有量(か鉄の含有量)が多いものが多いようです。
青銅は古代における画期的な発明でした。銅単体の融点は1083.4℃ですが、錫は約231℃で溶解します。溶解した錫に銅を入れると不思議なことに銅の融点に達する前(約800℃)で銅本体が溶け始めます。これは融点降下とか凝固点降下という現象で、これにより銅の加工は簡単、安全、低コストなものになりました。
※錫はいわゆる触媒のようなもの。煙草の火の温度程度と少量の錫で銅が溶解します。
黄銅(真鍮)銭が民間で広く普及したのは幕末以降になります。と、いうのも沸点の低い亜鉛(約900℃、銅2750℃、錫2270℃)を蒸散させずに精錬する技術が日本になかったためで、もっぱら原料輸入に頼らざるを得ない貴重な金属だったことにあります。
※亜鉛を精錬するには開放型の炉では危険のようです。あるホームページによると黄銅(真鍮)を坩堝で直接溶解しようとしたところ、突然溶解物が吹き上がり坩堝も破壊された・・・とありました。
※黄銅もまた融点降下によって亜鉛の沸点付近で銅が溶解し合金になります。
※真鍮の日本での歴史は400年ほどあるそうで、仏具や装身具など奢侈贅沢品が中心だったようです。もちろん、原料は輸入品です。絵銭の世界では紋切銭が真鍮でできています。
黄銅のうち亜鉛分20%以上のものは黄金色で一般に真鍮(しんちゅう)と呼ばれ 、亜鉛分20%未満の銅、亜鉛合金は丹銅(たんどう)と呼ばれ、赤みが強くなります。
組成によって全く色が異なる例として分かりやすいものでは、幕末の四文銭が挙げられます。
明和期・文政期の四文銭についてはその組成が鋳造時に定められていました。
明和期: 銅68% 亜鉛24% 錫・その他(= 白蝋)8% = 真鍮
文政期: 銅75% 亜鉛15% 錫・その他(= 白蝋)10% = 丹銅
明和期と文政期では成分が全く違う・・・と思われがちですが、単純に配合が変っただけであんなに色が異なるとは驚きですね。
この数値は『日本の貨幣』に記述されているものですが、実際の貨幣表面を分析した画像が方泉處19号に掲載されています。それによると明和期には鉄分が多く見られ、文政期には鉛の大量混入が認められます。
※白蝋とは普通は櫨(はぜ)の実から採取された蝋(ろう)をさらして白くしたものを意味しますが、ここでは当時の精製錫(といっても不純物が多かったようです)を意味します。
※真鍮に、鉛が加わると加工性が増し、錫が加わると耐腐食性に優れる合金になるそうです。 ただし鉛成分が多くなりすぎると、加工しやすくても粘性が失われたもろい合金になるそうです。
※一般的な白銅は銅、ニッケル合金のことを言いますが江戸時代はニッケル未知の金属だったと思います。
※官鋳天保銭についてもおおよその配合が分かっています。
天保銭: 銅78% 鉛12% 錫10%
天保銭事典によると 銅85%以上 錫12%以上で鉛含有量が少ないと白銅色を示すといいます。
※銅は合金としては非常に相性の良い金属で、金、銀、亜鉛、錫、ニッケル、アルミニウムなど様々なものと共晶をつくって一体化します。なお、鉄は銅とは共晶化しない(しづらい?)ようで、銅貨幣においては雑混入物として存在するようです。また、鉛も単体としては銅との化合はしないようですが、錫との相性は良く、錫とともに溶解することで銅と合金化すると思われます。
一般的な発色
純銅に近いもの 赤茶色。
銅・錫合金(青銅) 錫分が少ないと赤茶色、錫分が多いと黄白色から白銀色。
銅・亜鉛合金(黄銅) 亜鉛分が少ないと赤茶色(丹銅) 亜鉛分が多いと黄色から黄金色(真鍮)。
鉛の混入 多く混入されるほど黒っぽくなり、おおむね20%を超えると鉛そのものの色になる。鉛分が多く錫分が少ないと東北地方の密鋳銭独特の赤~赤黒い色調になる。
鉄の混入 合金化しないので多いと鉄そのものの色となるが、材質はもろくなると思う。
金・銅合金(赤銅:しゃくどう) まずないと思うが、通常は赤、酸化するとと青紫。
→ 白銅銭について → 浄法寺銭の金属分析
鉄と銅の合金について
明和期銭などにおいて、原料に鉄分を加える試みが行われたようにも聞きます。実際に方泉處19号に掲載されている明和期当四銭の表面の組成分析においては鉄分存在を如実に示しています。ただ、明和期当四銭の磁性はごく弱いものでしかなく、石ノ巻銭の白銅や白目の一部や、四年銭、佐渡銭などの例外を除き、含鉄銅銭の鋳造は積極的には行われていなかったのではないでしょうか。
鉄の含有が多いと白く発色するのは容易に想像できますが、実は鉄と銅を合金化するのは大変難しいことだそうです。その理由は銅と鉄の比重差によって溶解状態で鉄と銅が分離してしまうからで、混じり加減を調整できないからだそうです。
それでも含鉄銅銭が存在するのは、それなりの技術革新と銅の原料不足の背景があったからだと思います。したがって、含鉄銅銭の品質は決して高くなかったようです。
鉛合金化の効果
金属の専門書ではないので定かではないものの、天保銭の鑑定と分類には鉛にも融点降下作用があり、錫だけよりさらに100~150℃の融点降下(700~750℃での溶解)があったと記述されています。
銭の地の色について(雑銭の会掲示板の投稿記事からの引用:覚書)
青寶樓師がご健在の頃、ご自宅で『寶永通寶』の勉強会があり、その時に『銭地の黒色』について、話題が上がった事を思い出し、小生の持論と共に、お話したいと思います。 まず「寛永銭の地肌に黒漆を入れた」と言う言葉を、良く聞き又目に致しますが、これは調査をせずに、片聞きした為に起きた、勘違いと思われます。
浩泉丸氏の文中にもありましたが、銭座の職人(工人)が、通用銭の鋳銭作業に、このような余分な工程をするとはとても思えません。小生職業が金属関係で職人をしています、又宝飾学校も出ており、一応は金属の鋳造工程等は熟知しているつもりですし、漆も勉強した事があり、この様な手間の掛かる事は(漆は湿気を保ちながら、乾燥させ時間が掛かる:注)通用銭を作るにあたり、まず常識的に見て行わないと思うのです。
それでは何故この様な言い伝えが有るのか、それを説明するのに『寶永通寶』について学んでおかなければなりません。斯界の大先輩である、I県S氏は『寶永通寶』銭の地肌が何故黒いのか、それに関わる文献を調査し、おおよそ次ぎの様な説を出されました。
「『寶永通寶』銭は、銭文を解り易く、見栄えを良くする為に、黒漆を入れ磨き上げた」
この説については記録書もあるそうで、小生も賛同しております。
『寶永通寶』銭は、地肌も浅く、前評判も良く無かった為、印象に気を付け行われた工程が、黒漆入れでしたが、結局は短命に終わります。そしてこの説から「寛永銭の地肌に黒漆・・」が、生まれたようです。しかしこの説はあくまで『寶永通寶』銭についてであり、寛永銭とは別に考えるべきと、小生は思っております。
小生は地肌に黒色の物が入っているのは、古寛永・御蔵銭が一番最初ではないかと、思います。
御蔵銭は小生の調査では、橋場ではなく蔵前(御蔵前・現在の蔵前から鳥越の地。『仙人がゆく!』で解説)であり、小生の生国地です。その様な関わりから内地物を集めた処、母銭と通用銭とでは黒色に違いがある事に気が付きました。母銭では艶(つや)があり、通用銭では艶が無いのです。
結論から言えば 「御蔵銭の母銭の黒色は、黒漆であり、それは鋳浚い跡を隠し、鋳肌を滑らかにする為」と考えており、「御蔵銭の通用銭は、鋳銭時に鋳型(銭笵)を、乾燥させる為に使用した、材料(松と言われている)の煙煤か(この事については、浩泉丸氏の文中通りです)、笵と笵との間に蒔いた、離脱用の粉(名前を忘れた)が焼き付いた物」と思考しております。御蔵銭以降、寛永銭の殆どの黒色は、黒漆では無く、鋳銭時に焼き付いた物と思われます。この事は銭笵を乾燥させる技術向上に従い、無くなって行くようです。
一応ご参考までに。 天保仙人
注)漆漆器工芸の場合はこのような手法をとりますが、南部鉄器の場合は熱した金属の表面に直接漆を刷毛で塗ります。手間がかかることには変わりありません。
実は古事類苑の記事中に銭の地染めの工程の記述が残っています。古事類苑は明治12年から編纂が開始された百科事典ですので、文中の元文期の伝承が正確かどうかは不明ですが、かなり当時の工程が詳しく記述されているので信憑性は高いと思います。それによると古墨と油で煮る工程があるようです。
→ 翁草に記述された鋳銭の様子
→ 錯笵銭物語