





【評価 9】
広郭浅字
堂々とした大字書体でとくに通寶の2文字が巨大です。これは前期銭に通じる点です。通字しんにょうのうねりが力強く、その印象で分類するのが一番判りやすいと思います。大阪銭とされた経緯があるように市場には関西方面を中心に相当ばら撒かれたようです。そのあまりに堂々とした銭様から官炉(明治政府による貨幣司鋳造)と間違われたのもうなずけます。
書体はほぼ一手ですが、字画の小変化が多く、小頭通や縮保、離足寶、短尾通などが発表されています。
掲示品はほぼ未使用状態のもので、制作当時のやや白味の強い黄金色の輝きがそのまま残っています。
なお、薩摩の後期銭はすべて肥郭狭穿になります。
【評価 8】
広郭深字(両面深字)
輪際や背の地はかなり深いようです。広島鋳(仮)・・・とされたこともありましたが、根拠はほとんどありません。小川氏は不知品に仮の銭籍を与えることをよく行なっていましたので、これもその経緯から定義づけられたに過ぎないと思います。なお、深字としたものには背面だけ深くなったものや中間的なものも存在します。
画像の品は両面とも深彫りのもので、このタイプはやや少ないほうです。
薩摩後期銭は旧大阪銭とされていた広郭の類を充てています。このうち深字の方は新訂 天保銭図譜(小川浩編)では広島藩銭とされていましたが、同じ書体ですので同炉に戻します。旧大阪銭とされていたのは、あまりに存在が多く、密鋳銭にしては堂々と流通していたため官炉ではないかと思われたようで、薩摩と決定された根拠はやはり琉球通寶広郭との類似性と、倒幕を果たした薩摩藩の軍資金として大量に市場にばら撒かれたであろう・・・ことの推定からです。薩長土肥の軍資金として天保銭の密鋳は当然あったろうと思われ、中でも薩摩藩銭として割り当てられたこの類は非官鋳銭としては最多を誇ります。と、なると長州、土佐、肥前の軍資金が気になりますが、長州は曳尾や方字の類、土佐は額輪の類が割り当てられそこそこの存在量が確認されています。問題は肥前の国でして、未だに天保銭の密鋳に関する史実が出てきません。肥前は陶磁器の輸出などで軍資金を稼いだという仮説も成り立ちますが、やはり天保銭も密鋳したのではないでしょうか?
広郭浅字 広郭深字 などがあります。
※天保通寶と類似貨幣カタログの分類について
天保通寶と類似貨幣カタログでは薩摩広郭を、短尾通大字、同小字、美制、濶字、濶字手・・・等に細分類していますが、少々分かりづらく私はまだ自信がありません。そのため分かりやすいものを除いて旧分類に準拠した分類表示をさせて頂きます。
広郭背十進當(含白銅質)
背當の田の十の縦画が進むもの。この書体を天保通寶と類似貨幣カタログでは濶字手とするのですが、差異がほとんどないため、ここでは広郭浅字に包含しました。なお、掲示品はかなり白味の濃い銅質です。
【評価 2】
【評価 3】




離郭の輪幅のバラエティ → 離郭濶縁の再考察
離郭の製作には結構幅があるようです。肉厚も3㎜を超えるものがあり、銅質も黄銅質、赤銅質、なかには大珍品ですが純白銅質もあるとのこと。輪幅の広狭についても色々なタイプがあるようで、そのうちの珍品が離郭濶縁になります。
これは濶縁という名称の通り、輪幅が広いだけでなく文字もかなり縮小します。その一方で有識者の間では離郭中濶縁というものの存在も知られています。ただし、この分類については賛否両論があり大家であっても青寶樓氏は否定派、瓜生氏は肯定派だったそうです。
問題を難しくしているのが、縮小が大きい濶縁とその中間のものがあり、それに赤銅質と黄銅質の製作の異なるものがそれぞれあるからのようです。
①赤銅質系の文字縮小銭 → 文句なしの濶縁銭(鋳ホールのあるタイプ)
②赤銅質系の中間タイプ → 濶縁銭とされることが多いようです。
③黄銅質系の文字縮小銭 → 中濶縁と呼ばれることが多いようですがやはり濶縁でしょう。
④黄銅質系の中間タイプ → 濶縁手とされたり、あえて分類されないことも・・・。
銅質や製作を含めて分類名称がつけられているからゆえの混乱のような気もしますし、色々な母銭が作られたと考えられる経緯からあえて細かく分類しないというスタンスの方々もいらっしゃるようです。
現物主義的な考えから私見を言うと、①と③は濶縁銭で良いと思いますし、②と④は中濶縁あるいは濶縁手とすべきでしょう。もちろん後天的な加工による磨輪もありますし、文字の縮小しない大様銭もあると予測されます。
ここらへんは文銭の濶縁、細縁の名称談義と同じような展開になりそうです。仙人の天保銭段位認定の中に離郭10枚という高いハードルがあるのですが、その意味が少し理解できたような気がしました。
広郭手 細縁
長径48.2㎜ 短径32.1㎜ 銭文径41.2㎜ 重量18.8g
これは実にしっかりしたつくりで、一見だけでは本座銭との区別はつきません。ただ、全体に磨輪されて細縁になっていることと、寶足がちょっと長く見えます。銅色は本座の黄褐色とは少し異なるようにみえます。
※この品も明確な痩通ではなく、刔輪のためか細縁離足寶、長足寶気味になっていますが、銅色製作から同じ鋳造場所の可能性があると判断し、ここに掲示します。
岡藩銭に対してのひとつの意見
岡藩銭は通寶が細字になる・・・という特徴があるのは発見された現物から見て間違いはありません。
その一方で、全ての痩字通寶=岡藩銭というのは当てはまらないという意見があります。と、いうのも鋳写しなどで天保母銭を作る場合、字抜けの悪い通寶の2文字を加刀修正するのが通常で、そういう意味では岡藩銭にされているもののなかにかなりの別藩作成の天保銭が混じっていると考えられるからです。
【評価 8】
肥天痩通
制作はやや仕上げが粗いもののほとんど本座広郭と区別がつきません。わずかに通字が陰起して細くなる癖があり、これがシークレットマークなのかもしれません。鋳写しにしてはさして銭径や銭文径が縮まず、さりとて覆輪や刔輪の様子もないので、あっぱれな鋳造技術としか言えないものです。それだけ発覚を恐れて計画的に行なったものなのでしょう。存在は密鋳銭としては最多クラスで、雑銭からも良く拾い出せます。銭譜によっては通字のみ細いものとと通寶両方とも細くなるものを挙げていますが大同小異といった感じです。
また、水戸繊字とされるものに類似していますので注意して下さい。
これは資料と現品の出現から、鋳造地がほぼ確定されている天保銭です。岡藩と聞いてどこの地域か判る方はほとんどいないと思いますが、東九州の豊後地域、竹田市(大分県)といえば古寛永の収集を多少かじった方なら思い当たるでしょう。この地域には寛永通寶の鋳造で培った技術が営々と生きていたんですね。ところではじめて岡藩銭を見た方はその本座との類似性に驚かれたと思います。銅質はもちろん書体や寸法などほとんど本座と変わりません。まさしく鋳造技術の粋を集めての密鋳であり、その存在量から見ても藩を挙げての大作戦であっただろう事が伺えます。岡藩の場合、たまたま現品と資料が同時出現したため判別が可能になったのですが、本座と区別のつかない密鋳銭の存在もこれから見てあると思われます。
主な書体は 肥天痩通 です。
【岡藩銭】
筑前通寶(通用母銭)
平成19年度江戸コインオークションの目玉商品にしてこれ以上の品はないというもの。通常の筑前より大きく、天保仙人氏によると通用母銭というべき一品です。詳細は練馬雑銭の会に天保仙人氏が投稿しております。以下にその全文(一部編集)を転載させて頂きます。
(平成19年 江戸コインオークションカタログより)
※その後の報告でこれに対応する子銭が発見されたとのこと。仙人の眼力はすごいと思います。






離郭(広郭)赤銅質
赤黒い銅質のもの。離郭はかなり銅質に変化があり、黄褐色、黒褐色、赤褐色の他に純白のものもごく稀に存在するそうです。(暴々鶏氏談)
なお、本品は練馬雑銭の会の席において、天保仙人から譲り受けた由緒正しい雑銭です。このぬめぬめした鋳肌がたまりませんね。(だからどうした・・・と言われればそれまでです。)
母銭的な雰囲気もありますので・・・ひょっとしてなんてね。
【評価 大珍】
離郭(母銭)
かなり使用感のある母銭。全体に白っぽい光沢(白銅?)を持っています。
この品物は平成20年の練馬雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)



離郭(広郭非離郭)
離郭非離郭と言われるものは、保字の縦柱が太く、通頭のフ画横引も太くなっています。原品の郭はかなり肥大しています。つまり郭の周囲の加刀があまり見られないものということでしょうか?
この品物は平成20年の練馬雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
離郭(広郭)
かなり広郭で狭穿気味に仕上がっています。側面極印はきれいな六角形状です。
【評価 3】
福岡藩も天保銭の密鋳を行なっていたことは、稟議銭の筑前通寶の存在やその後の証拠隠滅の大騒動などからほぼ明らかです。その銭種の認定は筑前通寶の制作からあまり異論なく【離郭類】に決定されています。少し気になるのは輪極印に玉持極印と呼ばれるものが存在することです。また、離郭という特徴はあくまでも製造過程の郭修正から生まれたもので、離郭非離郭というわけの判らない銭名のものも存在するからやっかいです。
主な書体は 離郭 です。


【評価 1】
琉球通寶 大字狭貝寶桐極印
狭貝寶の類は大字という割にはおとなしい書体です。桐極印は対外取引用に使用されたともいわれており、製作の良い物がみられます。
薩摩前期銭とされているのは別名ガマ口の異名を持つ一群の銭貨です。根拠としては琉球通寶との類似性が挙げられていますが、確定的であるとはいえないかもしれません。ただ、制作が非常に堂々としている点から見て、かなり実力のある藩の鋳造と見ても大過ないように思えます。
横郭短尾通 長郭長尾通 とに大別されます。
【薩摩藩銭:前期銭】
琉球通寶 大字宏足寶肥郭
月刊収集2007年12月号で大字長尾琉黄銅とされたものです。たしかに水戸銭のような黄色ですが純黄色ではありませんでした。
銅替わりの一種でもありますが大騒ぎするほどでもないでしょうね。
文字はかなり大きくなります。


仰冠當タイプ(本体)
【評価 5】
横郭短尾通
実に堂々としたつくりで、書体は本座の長郭を真似ていると思われますが幅広く、とくに貝足のふんばりが広い点と通尾が短いのが目立ちます。また、銭形においてはサイドの曲線がやや緩いため全体に大きく感じます。
掲示品は未使用の美銭で、制作時の輝きがそのまま残っています。
※本品は多くのカタログでは本体銭とされるものですが、天保通寶と類似貨幣カタログでは仰冠當とされています。
額輪肥字小様
長径48.0㎜ 短径30.05㎜ 銭文径39.90㎜ 重量17.7g
銭文径がさらに縮んでいます。このサイズは孫写しになりますので、本座銭から改造原母銭をつくり、母銭を作ってから大量生産したものかもしれません。ただし、これだけ小さいとやや目立ちますので、末期の物だと思われます。銭文径が40㎜を切るものは少ないと思います。
小様は48㎜以下のもので47㎜台のものは珍しいと思います。


額輪肥字(未使用)
長径48.75㎜ 短径32.25㎜ 銭文径40.75㎜ 重量13.6g
額輪としましたが覆輪をあまり感じず、長径も48.75㎜としっかりあります。その一方で重量が13.6g、肉厚が2㎜強しかありません。
額輪なのか、他座なのか悩みましたが、砂目と極印から土佐としました。銭文径が大きめなのは肥字になっていることと、銭全体が押し広げられた可能性があります。
本銭は未使用銭だと思われ、きれいな金色が残っています。
右端は額輪の特徴を良くあらわしています。また、保点が湾曲するものが良く見られます。これは母銭の段階での修正によるもののようです。
なお、面背刔輪で當冠の前垂が外曲するものがあるという記事が天保堂の記事(天保通寶分類譜 第4回配本平成4年)に見られ母銭の図も掲示されていましたが、私にはどうも接郭の母のように見えます。
土佐通寶當二百(異百)
異百は百の字の首の部分が長いためにそのような呼称になっていて、通常品の後に掲載されているのですが、佐の書体は土佐官券十匁の書体とも通じるものがあるため、最初期の試鋳銭ではないかと推定されています。(佐の第3画横引端が第5画右端より左側にある。)
現存数は日銀蔵品を含めて2品のみです。なお、原品は母銭の肌の様子を如実に伝えていて、面側郭を中心として放射状にもタガネが走る痕跡が観察できました。このことから原品の母銭は木型ではないかと仙人は推定されていました。
この品物は平成20年の練馬雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)

土佐通寶當百(母銭)
製作精巧、面背の地に鋳ざらい痕跡のある見事な母銭です。
背の下部には明らかな刮去痕跡があり、天保仙人の解説によるとおそらく家紋を入れていたのではないかということでした。
昭和15年2月の貨幣第251号を飾った現品にして、母銭は今だ現存1品しか確認されていない天下の大珍品です。
この品物は平成20年の練馬雑銭の会において画像収録したものです。
(天保仙人提供)
土佐通寶(通用)
土佐通寶には意図的に流通したという痕跡があり、鋳造許諾のための稟議銭ではなく、藩内通用銭であったという仙人からのご教唆がありました。位置づけ的には地方貨ということになると思いますが、試作的な流通であったらしく存在量はごくわずかです。
(平成12年江戸コインオークションカタログより)
【評価 3】
【評価 1】
【評価 2】


【評価 4】
琉球通寶 中字長柱球
薩摩藩は文久2年(1862年)に琉球通寶の鋳造許可を取り付けています。その理由は琉球における英仏異人の滞留費に充てるということで、3年間に450万両の鋳銭許諾を得たといいます。ただし、それは天保銭密鋳のための隠れ蓑にすぎず、浅草橋場から鋳銭工を十数名招いて天保銭の密鋳のための技術を会得したと思われます。
輪側にはサの極印があり、薩摩を意味すると思われます。
なお、琉球通寶は当百とうたっていますが、触書による通用単価は124文とされたそうです。
※この書体は球の字の求の横引に爪があり爪球とも呼ばれます。背當の田画が大きく中の十字が進みます。
【評価 4】
【評価 大珍】
小字(短人タイプ)
別座の可能性もありますが、筆法が似ているため薩摩藩銭とされています。天の足の踏ん張り、保字の横幅、寶足の広がりとも広く、辵が気持ちよくうねります。背百字の爪がとても大きいのが目立ちます。通用の縦画が突き出る癖もあります。銭体の形状も上下カーブが緩やかで幅広に見えます。
(大和文庫ホームページより)
※不知のタイプと薩摩とされるタイプは書体や製作が違うようです。これは薩摩とされるタイプ。人偏が短く大型でやや白銅質調です。不知品は小様肥字とされ、人偏や背當冠、製作に違いが見られるそうです。
個人的な感としてには大型薩摩タイプの方が安心のような気がしますが・・・。




琉球通寶大字宏足寶(赤銅質)
穿内やすりが完全に中見切方式であることを示す山型を示しています。滑らか肌の異製作。


琉球通寶 大字平尾球(赤銅質)
平尾球にも赤銅質のものがあるようです。材料不足のためか、琉球には黒褐色、純黄色、淡茶褐色、赤褐色など様々な色彩のものがあるようです。極稀に白銅職のものもあると文献では読みましたが、私は見たことがありません。平尾球の純赤銅色を見たのもはじめてでした。







薄肉の薩摩広郭
ネットの掘出物。重さは13.8g。厚さは2.05㎜でした。重さは仙人宅で見た品の記録を塗り替えました。右は上の極厚肉との比較画像です。重さは半分以下ですので厚みも半分近い感じでしょうか?
薩摩広郭の加刀修正痕跡
薩摩広郭は独自の大量生産を行ったため、小さな変化が色々見られます。その原因のひとつに加刀修正があると思われます。
左は加刀痕跡の拡大写真で當上の輪の内側に加刀の溝が、さらに(画像にはうまく出ませんでしたが)文字と郭の周囲にはっきりとした加刀痕跡が残ります。
地肌には茣蓙目と呼ばれる皺もあって、この銭は製作の特徴をあらわす良いサンプルだと思います。
※刔輪などの痕跡がはっきりでているものは貴重な存在だと思います。
収集の2009年1月号に、天保銭四天皇の一人、青森の板井氏の記事で薩摩に刔輪なし・・・との一文が掲載されました。
説得力のある研究者の言なので、一目置かねばならないと思いますが、小足寶変化もあることから輪加刀も必ず見つかると思うのですが・・・。
超厚肉の薩摩広郭
画像では分かりませんが異常な厚さがあります。重さはなんと32g。肉厚は3.5㎜近くある感じでした。
なお、画像は省略しますが薄肉のものは厚肉より少ないそうで重さは15.2gしかありませんでした。広郭狭穿ぶりもみごとです。
面背逆製の薩摩広郭
仕上げやすりをかけるときに台に裏返しに置いたため逆台形になっています。鋳不足修正のためらしいのですがとにかくありそうでない大珍品です。側面にきちんと桐極印もあります。
※通常の面背逆製とは産出のメカニズムが違いますが、先人のつけた名称を尊重します。月刊天保銭47号(61年11月号:天保銭研究会)には奇しくも不知天保面背逆製と薩摩の面背逆製(逆斜面仕上げ)が掲載されています
左:背ズレ
右:背茣蓙目(広郭深字白銅質)
製造管理のいいかげんな例です。
左側は輪が完全に左方向へずれてしまい、右に余白部分がわずかに出てしまっています。
茣蓙目(ござめ)は地の部分に横じわが走る現象で、「鋳砂を平らにした箱(下枠)を縦に積んだ時、箱と箱の間に茣蓙(及びムシロ)を入れ、その跡が鋳写った」という説が有力だそうです。私は鋳皺の一種かと思っていましたが、良く考えると背にしか現れない現象なので、これは間違いでした。


【評価 1】
広郭浅字(白銅銭)
薩摩銭には白銀色の天保銭が存在します。白銅好きな私としては本来ならたまらない存在なのですが、なんとなく違和感を感じてしまってなかなか手が出ませんでした。これはついに好奇心に負けて手にしてしまったもの。かなり危ない品のような気がします。
※銀メッキによる贋作が横行しているそうです。純白に近いものほど注意が必要とのこと。これも純白に近い非常にきれいな品。発色、地の色は下の贋作に比べれば自然です。


額輪肥字濶縁赤銅質(称:南部民鋳)
鉛含有量の多そうな赤茶色で、この銅色はやや珍しい。昔は土佐額輪といっしょに南部民鋳とされていたそうですが、昭和52年の天保銭研究会において、故・沢文男氏によって額輪と分離されることが提唱されたそうです。
仙人の基準では銅質は茶~紅黒銅色で銭文肥字、輪がカマボコ状に丸みがあるのを南部民鋳とするそうです。
【評価 6】
額輪短尾通
額輪の枝銭の中にこの書体があったため、土佐藩に確定した経緯があります。額輪に比べてやや深字のような気がします。やはり制作は粗いのですが、通尾が極端に短く区別は容易です。やはり書体は本座広郭からの写しが原点でしょう。なお、短尾通にはやや尾が長くなるタイプも存在するようです。
【評価 8】
額輪本体(通用銭)
手ずれにより肌が滑らかになっていますが鋳肌はやや荒れ気味。覆輪ですが長径は縮み49㎜を切ります。銭文径は縮小して40.2㎜ほどしかありません。水戸接郭に非常に雰囲気は似ていますが、隔輪せず離郭の通常銭文径(39.8㎜)よりはわずかに大きい。
輪は外側に行くほどわずかに高く、内側がやや階段状に低くなります。極印は非常に小さな桐極印です。
→ 天保通寶極印図鑑
土佐藩銭のうち、額輪や短尾通などは地元の収集家の所蔵品などの傍証から、異論なく土佐藩のものとなったのです。
問題は有名な平通(現在は萩藩銭)です。こちらは土佐通寶との書体や制作の類似性からみて、土佐藩とされていたのですがなぜか途中から萩藩銭にくら替えされてしまいました。この点について疑問を述べたのはわずかに方泉處ぐらいだけです。頑固者私は長らく平通を土佐藩の欄に置いておりましたが、瓜生氏の『幕府諸藩 天保銭の鑑定と分類』の論を読み、ついに平通を萩藩銭に移動することにしました。
主な書体は 額輪 短尾通 です。
【土佐藩銭】
額輪肥字赤銅質
火中品でない自然な赤銅色は意外に珍しいと思います。やや刔輪の度合いが強いもの。

