

【評価 大珍】
旧石ノ巻反玉寶(鋳放銭)
石ノ巻といえば鋳放の覆輪銭というイメージが私にはあります。寶王画の上部にも加刀があり、これは代表的な石ノ巻銭の風貌です。
(平成14年銀座コインオークションカタログより)
※私見ながら何品か石ノ巻銭を拝見するに及んで、同品は明治期の民間作である感を深くしています。これは、同銭の肌が浄法寺の仕上げ銭の肌に似ているとある大家からの言を聞き及んだこと、また、金質がかなり真鍮質で純粋な江戸期のものとは考えがたいからです。今後の研究によってはあるいはかなり時代が下がるかもしれません。
仙台藩石ノ巻銭として紹介されている例が多いのですが、その後の研究によって南部地方の室場鉱山における私鋳銭との説が有力になっています。色は黄褐色で未仕上の覆輪技法による鋳放銭がほとんどです。寶字の王画下辺が反り返り尓の前の点と連なります。不知品で連玉寶になる加刀銭(不知銭長郭手連玉寶)もあるので、見極めには有識者の意見を聞いたほうが無難でしょうね。
M県のN氏から、旧石ノ巻銭の鑑識ポイントについてアドバイスを頂きました。(ありがとうございます。)
1.王画の第4画は下から突き上げるように入り、王縦画(第2画)のところで中折れし、以降は水平に伸びて尓と連なります。
不知銭長郭手連玉寶は王と尓は連なっていてもこの特徴がありません。
2.天上と背當上が卵型に刔輪されています。しかも面背とも向かって右側の方が多く削られる傾向を持っています。
3.輪幅が向かって左側が幅広になる傾向があります。(なっていないにしても左右が同じくらいの幅)
この傾向は面背ともに現れます。
4.背當の第1、2画が長く、第3画だけが短くなります。不知銭長郭手連玉寶は背當の第1~3画全てが短くなります。
長足寶小様
覆輪後の刔輪で寶足が伸びているだけでなく、天の上画を太くしてごまかそうとしているのが笑えます。
【評価 大珍】


【評価 大珍】
覆輪広郭
寶足が少し長いくらいですが、鋳肌は仙台銭です。郭が反り返る癖があります。
(平成17年銀座コインオークションカタログより)

【評価 大珍】
大濶縁とその鋳肌の拡大図
仙台大濶縁は天保通寶の三種の神器と言われる大珍銭です。方泉處のこの写真は魚子肌(ななこはだ)と言われる仙台天保の特徴を良くとららえています。覆輪痕も生々しく残っています。
(季刊 方泉處1995年秋号(11号)より)
仙台銭については私は所蔵品がありません。非常に珍しい存在なのですが、最近はオークションなどにも少しずつ姿を見せはじめています。特徴はその鋳肌で、松葉でつつかれたようにぶつぶつと小さな穴が空きます。古寛永のように覆輪や刔輪の技法を使って鋳造したようで、濶縁長足寶傾向になるものが多いようです。参考に他文献からの引用をさせて頂きます。関係者の方、お許し下さい。
(平成17年銀座コインオークションカタログより)



工藤氏所蔵
小字の3態
浄法寺は材質、製作が劣り、極印も正様桐極印ではありません。山内銭は変形桐極印ですが私炉銭は桐とはかけ離れた形状になります。
左の例の場合、正座はきれいな桐、山内は変形はあるものの桐状極印ですが、私炉銭は〇に葉脈らしき筋が漢字の小のようにある極印です。なお、小字の山内銭は大変希少なものだそうです。
浄法寺天保の成分分析票
(天保銭事典より)
銀(Ag) 銅(Cu) 亜鉛(Zn) 鉛(Pb) 錫(Sn) 鉄(Fe) ニッケル(Ni) マグネシウム(Mg) アルミニウム(Al) ビスマス(Bi)
亜鉛含有量が当時の常識外の数値です。銀も珍しい。
※銀は秋田天保にも含まれているそうです。
【評価 2】
本座写広郭手(穿内鋳放)
穿内の見仕上状態がなければ、本座銭と間違えるほどの上出来な浄法寺銭です。色は明るい赤黄褐色。輪極印は形状こそはっきりしないものの深く打ち込まれています。私の印象ですが金質には硬さを感じ、ぶつけると軽く高い音がします。
【評価 1】
本座写細郭写(穿内鋳放)
浄法寺銭には南部藩以外の写しも存在します。本座写しでは長郭が一番多く見られ、細郭や広郭は比較的珍しい存在のようです。銅色は本座に近い黄褐色なのですが、わずかに赤味が加わり、かつ白味というのか明るい輝き色が加わる感じです。輪側面は仕上られていて釘穴のような極印が深く打ち込まれています。なお、本銭は郭幅から見て中郭にも見えますが、一般には細郭の写しと呼ばれています。
※背輪の右上部に必ず凹みがあり、面郭の右上部が細くなる癖があります。
南部藩大字写母銭
浄法寺大字の真正母銭です。
この品物は平成20年の練馬雑銭の会において画像収録したものです。(工藤氏提供)
【評価 少】
南部藩大字写(鋳浚改造母銭)
浄法寺大字写を鋳浚い処理しているもので、面背ともやや濶縁気味です。輪、穿はやすり仕上げされており、面背の地の部分は削られ滑らかになっていて、文字付近は未使用の銅色が残っています。残念ながら輪側には極印が打たれていて、改造母銭だという確証に欠けますが、非常に貴重なものだと思います。密鋳銭の技術を見る良い参考資料です。なお、通用銭をこのように改作することは技術的には容易ですので、購入する場合は慎重に・・・。(と、いっても私は真贋の区別は判りませんが・・・。)
銅山手写(左内反郭)
これも浄法寺銭です。郭内の左側が弓状に歪む特徴があり、左内反郭の名称が与えられているようです。
なお、この画像は都内に住むN氏からの投稿です。(感謝!)
【評価 3】
南部藩大字写(穿内鋳放銭)
本銭の大字の入手は非常に難しいのですが、浄法寺銭についてはまだ入手が可能です。文字が大きく通字のしんにょうの折れの先端が鉤爪状になります。背の花押も大きく、頭の部分が太くなるのも特徴です。
シークレット的なマークで寶前足の輪の内側、背花押の前部の輪に瑕、歪みがあります。
【評価 3】
銅山手写
非常に粗いやすり目で、仕上げも雑です。銅色はやや赤銅質ながら硬さを感じます。すすけて黒くなっているものが多いようです。
※天第二画先端の割れ、天末尾上の鋳だまり、保字人偏の上の瑕、面輪下部寶後足付近の小鋳だまり、背輪内側下部の小鋳だまりなど上掲と同じ特徴。当百銭カタログ77ページ掲載品も同じ特徴です。
盛岡銅山
背の【通用】の文字に注目!この書体の癖が南部盛岡藩銭の銭籍を決定付けました。
(平成12年江戸コインオークションカタログより)
盛岡銅山(初鋳大様)
平成19年度の江戸コインオークションの目玉商品のひとつ。大きくて赤くてきれいだった。初出のものは百字の横引きの手前に鋳走りがあります。
(平成19年江戸コインオークションカタログより)
【評価 2】
銅山手
銭径が萎縮していますが標準銭はこの程度の大きさです。個性溢れる書体で、文字は全体に大きくなります。とくに通字が巨大なため寶字が圧迫されるように縮みます。有名な盛岡銅山の書体とほぼ癖が一致しています。掲示品は珍しく黄褐色ですが、やや赤味を帯びているものが多いようです。(長径48.0㎜)
【評価 少】
小字
通字が扁平で通頭が長いのが特徴です。
(平成15年銀座コインオークションカタログより)


【評価 1】
大字
横広の文字が銭面を占拠しています。通辵の折頭にカギ爪があるのが最大の特徴です。なお、本銭は初鋳のもので銅色は紫褐色を呈しています。
(平成17年銀座コインオークションカタログより)


南部盛岡藩の地方貨としては盛岡銅山が有名で、この銭に書体が酷似するものが南部盛岡藩銭銅山手として認定され、さらにそれと制作の類似する銭貨群が南部盛岡藩銭として確定されるに至っています。鋳銭地はこれまた寛永銭の密鋳地として有名な浄法寺地区で、ここで大量の天保銭が藩の黙認のもとで密鋳されたと推定されています。
さらに明治時代には民間でも密鋳が行われるようになったようです。これら民間で密鋳されたものは昭和49年になってから民家解体の際に大量発見され市場に流出しています。浄法寺地区内の合名沢、飛鳥、焼切の隠し炉で密鋳された・・・という調査記録があるようですが、現在は【浄法寺銭】として別種に扱われるようになっています。
主な書体に 銅山手 大字 小字 があります。また、それぞれに 浄法寺銭 が存在します。
【南部私鋳銭:浄法寺銭】
浄法寺銭というのは南部地方で私鋳された銭貨で、大きく分けて2系統に分類されるそうです。そのうちのひとつが【浄法寺山内私炉黙許銭】で、もうひとつが【浄法寺盗鋳隠し炉私鋳銭】です。
【浄法寺山内私炉黙許銭】
天保銭事典によると浄法寺内には複数(発見は14箇所)の私炉址が確認されているそうです。そのはじまりは慶応3年(1867年)秋と言いますからまさに明治時代前夜といったところです。藩の家老、楢山佐渡の言いつけで浄法寺村民35、6名で鋳造を開始したようで、原料の銅は尾去沢銅山から家老の配慮で取り寄せられ冥加金を上納するシステムもあったらしく、私鋳といってもこれはもうはなから藩公認(黙認)といって良い事業だと思います。慶応4年春になり不手際から藩の別の役人露見し取調べをうけることになりましたが、鋳銭場の取り壊しは行われず首謀者とされる松岡練治が閉門(外出禁止)というごく軽い処罰で済まされたそうです。さらに5月には家老の言いつけで鋳銭が再開され、7月まで鋳銭が続いたそうです。このタイプの天保銭は肌がやや粗く銅色は黄褐色~赤褐色で銭径はむしろ大ぶりのものが見られます。特徴は輪側面の仕上げで面から背に向けて輪が傾斜(台形)に仕上げられています。
【浄法寺盗鋳隠し炉私鋳銭】
現在、浄法寺銭としてもっとも流通しているのがこのタイプで、浄法寺村飛鳥部落で鋳造されたと推定されることから浄法寺飛鳥銭といわれることがあります。非常に肌が粗く質の悪い銅から鋳造が行われたと思われます。湯道が太く、やすり目が粗く、鋳放し銭も非常に多く見られます。最近の研究ではこの手のものの多くが、明治期にある寺の参道でお土産として売られていた絵銭ではないかと言われるようになっています。
秋田小様(中様タイプ)
外径47.7㎜の秋田小様。一番上のものより外径はもちろん、銭文径も大きくなっていますが、極印や制作、銅質は秋田小様で間違いありません。
このサイズは天保通寶母銭図録では母銭のサイズ。
でも、どう見ても通用銭です。こんなものもあるんですね。




称:秋田本座写(赤銅)
赤い秋田本座写ははじめて見ました。白っぽいものよりかなり少ないそうです。
平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(N氏 所蔵)
※この品が上のものといかなる位置関係になるのか・・・砂目が違うのでなんとも言えません。
称:秋田本座写
秋田の本座写しは赤い・・・と思ったら大間違い。ポイントは砂目。ざらざらぶつぶつの独特の荒れ肌と面背のやや粗いやすり目。むしろこのような色あいの方が多いのではないでしょうか?
※秋田では仕上げ用の良質の砥石の入手が難しく、そのため輪側面は砥石仕上げではなく、荒やすり仕上げになるそうです。銅色は例外があるようなので判断にはその点とざらざらした砂目がポイントになるようです。存在はかなり多いようです。
※天保通寶と類似貨幣カタログでは異制として本座に包括されています。実際に銭文径を計測するとほぼ本座と同じ。極印も同じ・・・と、いうことは・・・???
参考画像 → 広長郭白銅母銭 と 小様母銭
※無断借用画像になって申し訳ありませんが、銅色の参考のため掲載させて頂きました。白銅母銭は迫力がある名品で、三桁の価値はある逸品です。小様母も大珍品でしょう。
銭の道
2001.4号表紙より
旧南部民鋳銭:秋田本座写について
秋田小様と呼ばれるものは、長径が45.5㎜~47㎜程度で、本座銭より2㎜以上縮むのが普通です。その前段階で本座銭を鋳写したものも(旧:南部民鋳)存在します。こちらは小様よりひとまわり大きくなりますが製作は小様そのものです。銅色は加護山独特の色になるようです。さらに秋田本座写という類もここに包括してありますが、製作が全く異なるので本来は別種でしょう。
【評価 少】
秋田小様
本座広郭の写しです。長径46.9㎜で小様としては標準サイズです。掲示品は郭や輪に鋳不足はあるもののなかなかの美銭。銅色も異論をはさむ余地のないもの。こんなに肌のきれいな秋田小様があるんだ・・・と思い高額だったのですが購入してしまいました。元々は南部民鋳とされていたものだそうで、そのなかから銅質から阿仁鉱山製だと推定された経緯があります。
称:秋田本座写の誕生の謎
秋田銭の白銅母銭の発見により、白銅質=秋田にされた時期がありました。すなわち、もともとは秋田本座写は白銅の広郭のこと・・・佐渡本座写のことを指したようなのです。
しかしながら白銅質のもの以外にも、本座とは言い切れない異制のものが存在していて、それらが混同されて現在に至っているようです。したがって、称:秋田本座写については現在も完全な結論がついていません。
①秋田藩鋳説 これは現在否定されています。
②仙台藩鋳説 膨大な数量、鋳銭技術と実績から。秋田のM氏が収集誌上で仮説を立てたもの。
③本座異制説 幕末から明治にかけて、房州砂の調達ができず、王子産の鋳砂を用いたことによるもの。称:秋田本座写の規格は本座と変わらず、しかしながら製造過程には省略が見られます。これは幕末から明治期にかけての混乱によるものと考えられるのです。


細郭(黄銅質)
広郭と同じ書体で郭が細くなるもの。これは黄褐色のもので、細郭はこの方が一般的でしょうか。背の花押が大きいのがわかるでしょうか?
※細郭は黄色が一般的で赤いものは背広郭気味になり少ないらしい。
(平成17年銀座コインオークションカタログより)


【評価 4】
短貝寶
銅色純赤で銭径や肉厚にかなり差があるといいます。書体は本座銭を意識しているもののオリジナルで、全体的に丸みを帯び縮小しています。地肌はややざらついて仕上げは少し粗めです。彫りが深く全体に素朴な感じがあって制作の割りに悪い印象を受けません。
最近は輪幅が広く文字が細く陰起するものを会津濶縁短貝寶として別種にするようです。
会津藩は幕末の戊辰戦争の際の幕府側の主力になった勢力であったため、幕府側も会津藩の天保銭密鋳については積極的な取締りができなかったのでは・・・と、推定されます。文献などはほとんど残っていませんが試鋳貨などから推定されて割り当てられています。これらの銭貨は大胆にも江戸深川十万坪にある会津藩邸内においても慶応3年頃から製造されたと推定されています。
主な銭種に 長貝寶 短貝寶 濶縁 萎字 があります。また、会津の旧家から出現した試鋳貨として大頭通などが知られていますがこれまた大珍品です。
長貝寶
文字通り貝が長く、長寶、小頭通になるもの。銅質が会津特有の赤銅質。掲示品は2007年の国際コイン・コンベンションでの掘り出し物。長径48.7㎜でこの手のものとしては標準サイズですが文字周囲に未使用色が残る極美品です。
※天保銭研究会誌88年4月号によると長貝寶には滑らか肌の小極印銭(異制品)が存在するようです。

細郭(赤銅質)
赤い銅質の秋田細郭。細郭は黄銅質が一般的で赤いものは少ない。ただし、広横郭や広長郭の郭を削った変造品が存在します。広長郭は書体が異なるので判別は容易ですが広横郭を削ったものは、郭の内側をよく観察しないとわかりません。
ポイントは鋳肌。細郭は母銭のときから郭が細いので、穿内にも鋳肌が必ず残ります。穿内全体にやすりや砥石がかかっていたら変造贋作です。
私はこれまでに2品変造品を見ていますので、かなり存在していると考えたほうがよろしいでしょう。

【評価 3】
【評価 4】
広横郭
書体は非常に近似していますが、面郭がほぼ正方形です。短柱保で背の當の田も横幅が広がります。通字もわずかに扁平です。
これも赤銅色が普通で稀に黄褐色のものもあるそうです。また、極厚肉銭も存在するようです。
※秋田藩銭の母銭には白銀色に輝くものがあります。それは阿仁からは天然の白銅(この場合は白い銅の意味:自然銅)が産出したからで、それを原料として母銭が作られたからです。白銅の主な成分は、銅、錫、銀だと推定されます。(おそらく錫がかなり多いと思います。)
広長郭
銅色は純赤ですが非常にしっかりしたつくりです。文字、背花押とも大きくオリジナル。しかも気持ちよいほど伸びやかです。通字のしんにょうのうねりが大きく尾が長いのが目立ちます。面郭は縦長です。秋田天保は錫分が極端に少なくなって鉛が6~7%とのこと。鉛が多いという解説記事をときどき見かけますが、鉛はむしろ本座より少なめです。純銅の比率が高いのです。
※赤い肉質のものが多いようですがやや黄色い品もあるようです。
また、秋田天保は背郭上辺が反るものが多いそうで、これは鋳造時の癖のようです。(母銭を砂型から取るときに下から上に向かってはがすようにして押し付けた?)
新種発見か?
勇文手短貝寶(仮称)
都内在住のN氏からの投稿画像です。会津短貝寶のようですが、天前足と保の人偏が異様に長い。拡大画像を見ると、文字の際に加刀の痕跡が見えますがむしろ自然な感じです。勇文に似ていますが微妙に違います。(保口が退く。)
もしこれが泉界で認められたら昨年の短尾寛方冠寶通用銭以来の大発見だと思います。皆様のご意見をお待ちしております。
なお、名称はこれこそ勇文手としたいのですが、先客がいますので勇文手短貝寶と仮称します。
濶縁
参考追加画像。ネットオークションでの拾い物です。ただし、こちらはさほど濶縁ではありませんが制作はまさに会津といったところです。こうやってみると旧譜の正字反郭濶縁という名称は当を得ています。
背花押の角が丸くなるのも特徴です。
※水戸銭の項でも追記しましたが、会津と水戸は江戸において技術交流があり、鋳造技術においては兄弟のような関係にあるとのことでした。したがって、初期の頃のものは明確に区別する方法はないようです。銅色はやや黄色いものも多く、判別は砂目で見るしかないようです。
※会津の短貝寶かとも思いましたが背郭が違います。雰囲気は絶対会津で仙人もOKを出してくれましたが、まだ一抹の不安があります。(極印がやや大きいような気がします。)
濶縁(覆輪)
本座の覆輪鋳写しですね。したがって文字に陰起があるとはいえ短貝寶ほどの素朴さは感じません。銅質は赤銅質ですが、掲示品は上の短貝寶より少し黄色味を帯びています。これでは石持桐極印銭の正字濶縁背異替とどこが違うの・・・といいたくなりますが、それもそのはず小川譜(天保銭図譜)で銭籍が異動され、会津にされたものです。(旧譜では水戸銭正字反郭濶縁)ただし当百銭カタログでは水戸と会津の両方に掲載されていて、銅質と文字の陰起の違いで分けているようです。
掲示品の銭文径は40.7㎜で短貝寶に比べて大きくなります。
→ 石持桐極印銭



短貝寶陰起通
通字の辵点と通頭が陰起しているもの。


濶縁(強覆輪)
見事な大濶縁です。銭文径は40.2㎜で下の濶縁より小さい。類似カタログでは再覆輪の名前ですが、覆輪したものを写したか、覆輪が強烈で思いっきり縮んだのか・・・。現在調査中です。

