江戸末期から明治初年にかけては、地図・錦絵の
鳥瞰図が流行しました
蔦吉すなわち蔦屋吉蔵から安政年間に発行された
二代広重(重宣)の本図は双六として名所・旧跡を
辿れるようにしてあります。
日本橋を振出しにして駒を進め江戸を一巡して、
上がりとしての日本橋に戻ってきます。全体として
平面的な描写になってしまっていますが、眺めるだけ
のものではないところに注目すべきでしょう。
当社(石清水八幡宮、現・藏前神社)は双六のマス
とはなっていませんが、目印の一つとして、【八まん】
と掲載されていますので、ご参考までに供します。
ところで、当時の人々が江戸と認識していたエリアは、
東は本所深川、南は品川、西は新宿、北は王子あたりま
でと思われます。
本図は上空から町を一望する形の鳥瞰図であり、背景
には、富士の山が大きく誇張して描かれ、手前には
隅田川が流れ、水路とお堀が網の目のように入り組ん
でいます。