テッド・バンディはアメリカの連続殺人犯である。正式な名前はセオドア。ロバード。バンディ(Theodore Robert Bundy)であるが、ここでは通称で、よく認識されているテッド・バンディと表記する。
彼は1946年アメリカ、バーモントで生まれている。母親の私生児として誕生したため、母親の両親(彼から見れば祖父母)の養子として育てられ、彼は実の母親を青年期まで姉として認識していたと言われている(彼が9歳の時に母親に連れられてタコマに引っ越し、程なく母親が再婚した際、再婚相手のバンディ姓に変わっている。彼の知性を考えるとこの説は個人的には信じられないが、認識ではなく感覚としてそう感じていたかも知れない。この認識と感覚のずれが後の犯罪に繋がったかもしれない)彼は高校生時代、ボーイスカウト活動などに熱心な学生であったが、性格は内向的で他人とのコミュニケーションを取ろうとしない人格であったらしい。高校卒業前から窃盗などの犯罪歴もあったと言われる。
大学進学後、彼はワシントン州共和党員となり選挙活動などにもボランティアとして参加し、周囲にも知的でで魅力的な男性と評価されるようになる。この時代のエピソードとして有名なのが、一度振られた女性と再度つき合い、婚約まで話が進んだにも関わらず彼の方から一方的に女性との縁を切ってしまった逸話である。自分の過去のコンプレックスを暗い欲望を実現させることにより埋め合わせようとする彼の犯罪に至る心理が感じられる。またこの女性の風貌が「黒髪を真ん中で分けた女性」であり、その後彼に殺害された女性の風貌と一致し、彼の犯罪の大きな心理的動機になったのだと思う。
彼の暴行性の犯罪でもっとも古い(立証された)ものは1974年に起こっている。この時の被害者は一命は取り留めるものの障害が残るほどの重傷を負う、この1974年一年間だけでも確認できているだけで13人(この時期の殺人数は正確な数字は分かっていない。30人前後に上るとも言われている)の女性を殺害している。この年の11月に拉致しようとした女性が危うく逃げ出し、その女性の証言からバンディは翌年逮捕されている。
しかしバンディは裁判の休憩中に出入りを許可されていた裁判所内の2階の図書館から逃亡、一週間後に再逮捕される。普通ならば厳重な対策を取られるはずであるが、バンディは独房の天井を隠し持っていた糸鋸で切り落とし、また逃亡に成功する。この不手際が更なる悲劇をもたらす。
逃亡したバンディはフロリダに潜伏、そこでさらに二人を殺害、二人に重傷を負わせる。さらに一人を殺害した後、盗難車を運転中に逮捕される。一回目の逃亡でしっかりと対応していれば防げた犠牲者だった(逃亡資金は脱走前に面会に来た友人が現金を渡していたといわれる)
裁判を受けることになったバンディであるが、すべての事件の自供と引き替えに死刑判決を避けるという司法取引を拒否、また国選弁護人がいるにも関わらず、自らが自分の容疑の弁護をするという日本では考えられない裁判となった。有罪が立証されれば死刑は免れない状況であったが彼は自分自身の弁護に十分な自信を持っていたらしい。しかし皮肉なことに被害者に残された歯形が決め手になり、彼には死刑判決が下される。
彼の行動はマスコミにも取り上げられ、多くの反響があった。彼には支援団体も結成され、ファンレターも届いていたという(獄中結婚もしている)精神的に歪んだ部分を持つ現代人が彼の行動に何かしらを感じたのかも知れない。1989年1月24日朝、彼は電気椅子による死刑の執行が行われ、絶命している。