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【しし座の流星群】 ****2002年2月、ミニコミ紙に掲載されたものを加筆して掲載**** 『印刷したい方はこちら(PDFデータ)』 |
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2001年11月19日未明の「しし座の流星群」は多くの人を感動させた天体ショーとして記憶に鮮明です。 私は、この「しし座の流星群」を、珍しい天体ショーとしての興味だけでなく、幼い頃から特別な思いを抱きつづけていました。 どこの小学校の図書館にも背表紙が黒い、ハードカバーの講談社の本が児童文学図書としてあるはずです。これらの本の中にドイツ児童文学でアグネス・ザッパー(1852〜1929年)著の「愛の一家」(1906年)という本がありました。この物語は、「グリム童話」に並ぶドイツ児童文学のひとつです。 ![]() 内容は、音楽教師の厳格な父と愛情細やかな母、それに男の子4人、女の子3人、計9人家族の物語です。 物語の中の父親は、才能が充分認められていない、実直で不器用な人生を歩む登場人物として描かれています。子沢山も手伝って決して裕福な家庭ではありません。 私は子供の頃、この物語をそれほど深く理解していたわけではないのですが、貧しくも礼節と愛情にあふれたこの家族像を愛し、繰り返し読みふけりました。まさに「清貧」という言葉がそのまま当てはまる家族の物語です。 物語は、才能を認められた父親が、音楽学校の校長として迎えられるくだりで終わっています。 実はこの物語に「しし座の流星群」が登場するのです。 子供達は夜中の「しし座の流星群」見物を父親に許されて外出するのですが、不審者の物音と勘違いされて、同居する大家に締め出されてしまいます。すぐ家の中に入れてはもらうのですが「しし座の流星群」を不良グループの名前と勘違いされたため、大家から家の退去を言い渡されます。誤解はすぐ解けて、大家とは元の良好な関係が修復されるのですが、はらはらする場面ではあります。 「しし座の流星群」の登場はこのシーンだけですが、凍てつく深夜、子供心を捉えて感動させたこの天体ショーの事は、疑似体験として私の心の奥深くに定着していたものと思われます。すっかり忘れていた1998年。「しし座の流星群」の流星雨について大きな報道がありました。少年時代の想いが突然強く湧き上がり、当日は雲の切れ間を探して私達夫婦は市境の峠を越え、山越えの隣町へと車を移動しました。 ご存知の様に、この時は前評判ほど流星雨が見られませんでした。私の想いはどこか完結感の無いものとして終焉しました。 もう生涯見ることも無いとあきらめていたこの流星雨を体験するチャンスが再びめぐって来たのが2001年の11月なのです。 私の期待は再び高まりました。今回も前評判は高かったのですが、再度期待はずれということもあり得る上、月曜日の明け方ということもあり、妻は誘わず一人で見ることにしました。 高台の墓地の駐車場に2時少し過ぎに到着すると、既に星は流れ始めていて、遠くの人々の歓声が風に乗って聞こえてきました。火球も混じる流星雨は、思いのほか、近く、まるで無音の花火のようです。 ![]() 場所柄なのか、周りに人は誰も居ません。 充分と思った身支度ですが、身体はたちまち冷え切ってしまいます。しかし、間断の無い星たちの明滅は、寒さも、時間の経過も忘れさせてくれました。 天空のほころびから注入されるように、光の糸が降り注ぎ、流れて大気に溶け込んで霧消する光景は、記憶の底に置き忘れていた、少年時代の、憧れながら欠けていた何かを埋め合わせてくれます。 瞬く間の一時間半を過ごし、足りなかったジグソーパズルの最後の一片を私は手に入れたのです。 ジグソーパズルは完成しました。 「完成」とは、もう埋め合わせるべきものがないということです。 私の少年時代は終わったのです。 天体ショーはまだ続いています。 かすかな興奮の余韻の尾を引きながら私は帰宅しました。 区切りとして、光のスラッシュ(/)を浴びながら。 |
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