
あとからわかったのは中学校の先生から推薦入学者(私の)データが流れていたということ。家が商売をしていたので、お金をだすだろうと目をつけられたんだそうです。
正義感に燃える両親は、このあとまた被害者がでてはかわいそうだと、高校側を相手取り、裁判で訴えたのです。裁判は高校生活3年間ずっと続きました。母は新聞社、雑誌社などに投書するが、高校側弁護士によりもみけされる始末。(法廷で争った結果、私のテストの結果は合格点に達していたと照明はとれましたが、学校側には腕のたつ弁護士軍団がついており、支払われていた入学金だけが返金されるというしょぼいものでした。)
うちは裕福なわけでもないのに、裁判により金銭的に大きな負担をかけているのもいやだし、親の精神的負担や疲労も見ていられない。裁判なんかしてほしくない!私はまるで何もなかったように過ごしたかった。この期間に「誰も信用なんかできない」という思いは私をすっかり飲み込み、救いも希望も全くないように思えました。どうして私にこんなことが起きるんだろう?なんで?なんで?なんで?どうして普通の人が普通にやっていることができないんだろう。ただ普通に普通の高校生活が送りたいだけなのに…息をしているのがやっとの状態でした。中学浪人をまぬがれ、やっと二次募集ではいった学校も厳しいだけで何一つ楽しめない。もちろん両親側のつらさや私を思いやる姿も全く受け取れず、不安と不満だらけ。
後になれば、この時期に強烈に自分の中にとじこもり、この世の常識ではなく自分自身のセンサーを使ってものごとを見るという部分を養ってきたように思います。サビアン占星学で私は人間の二面性と裏切り悲しみ、思うようにいかないことを強烈に体験して、感情全般やトラウマを再調整しアストラル体を修正し、更に霊的に求道に向かうことをプログラムしてきているということを知り、なんてうまくできているんだろう!と脚本家兼役者である自分に感心してしまいました。
この高校受験の件だけではなく、様々にあらわれてくる問題こそがまさに神様のシナリオ通り!なんて完璧なんでしょうか。
すべてひっくるめてパーフェクト!の思いを味わっているからこそ、光を実感しながらも闇に成長の種をみつけて育てていくることに自信をもてるようになりました。ただただ感謝です。その道はヘリコプターでびゅんと一足飛びに目的地に行った訳ではなく、自分の足で一歩一歩前進し、時には道に迷って遠回りしながらも確実に知恵を学び進んできたプロセスがあるからに他なりません。
そして、その道すがら人間不信の思いにまみれてきた私を励まし、笑わせ、横から支えてくれた多くの魂の仲間たちがいるからこそなんとか私も自分の足で立っていられるのです。ほんの少しでも私に関わってくれた方たちどうもありがとう!やさしく微笑んでくれた人、励まし育ててくれた人、そばにいて一緒に成長を目指してきた人はもちろんのこと、私を陥れたあなた、いじわるをしてくれたあなた、誤解によって離れてしまったあなたたちもどうもありがとう!あなたたちがいてくれたお陰で、なんとか進むことができました。問題が深くて閉ざしてしまった相手とは、実はとてもご縁が深いのだなーと思います。
本来の意図に繋がるとき、みんなひとつで仲間だった。みんなありがとー!大好きー!だけなのですねえ。人間不信のかぶりものを長い間かぶっていた私は、気がついてみたら、あら、なーんと大好きで大好きでたまらないのは人だったんだ!と、まるで夢でもみていたようなかんじです。
しかし三歩進んで二歩さがるとはよく言ったもので、いまでもまだまだぶーたれていることもしょっちゅうだし、苦手分野の課題も山積みです。それでもやはり前に進みたい。成長を願うこの想いは更に強くなるばかり。そして光も闇もすべてひっくるめて仲間たちとシェアし合いサポートし合いながらこの生命を味わいつくし、一緒に進んでいく。それが、私の願いです。
★23才で結婚。お年寄りが手をつなぎながら街をスキップする姿が印象的だった洗剤のCMがありましたが、年をとったらあんな夫婦になりたいねー!といっていた人と8年の結婚生活後離婚。
一生つきつめて研究していけることを仕事にしよう!とつねづね探し続けていたが、具体的にいうとそれって何だろう?
・好きで好きでたまらないことか?
・もしどんな職種でも同じ賃金同じ条件だとしたら何をやりたい?
・収入があってもなくてもそれ自体楽しくてよろこびを感じるか?
ちょうどその頃離婚を機にあらたな人生が始まる。
小さい頃から人を触ることがあまりに身近だったため、それを仕事にするという考えは目からウロコだったけれど、3つのポイントにぴったりあてはまり、自分がやっていることを思い浮かべただけで嬉しくなってしまったのが、ウイングスの構想。
どのセラピーもいいんだけど、しばらくすると、「ああ、ここをこんな風にしてほしいなー」物足りなさがでる。体・心・魂がそれぞれに実感のもてるワークがあったらいいのにという想いがどんどん大きくなり、結局はオリジナルのスタイルをつくることになりました。
刻々と変化するクライアントの状態に、より寄り添ったワークを組み立てていけるように自分の引き出しにいれておくアイテムを増やしたい。その想いとはうらはらに、仕事に追われる毎日。是非みてほしい!と依頼が増えるのはめちゃくちゃありがたいのですが、休みの日でも返上で緊急のクライアントへの対応…だんだんとおろそかになる自分のケア。あー、このままでは自分がすりへっていく。治療をする人たちを見ていくうちに、何故か大きな病気になっていく人が多いのに気付く。よく「もらう」というけれど、どうだろう?そもそもこの表現自体に抵抗がありますが、自分がクリアーならそもそも もらわないのでは?もらっても抜けるのも早い。まるでお部屋のお掃除と一緒。かたづけ終わったそばからゴミってでるし。じゃあ、まず自分のお掃除はきちんとしよう。お掃除のひとつとして、タイのバンコクに2ヶ月に10日ほどワークの研究とリフレッシュに。ボディワーク、エネルギーワーク、瞑想、たくさんの木々や南国のゆるゆるモードにサポートされ、自分の真ん中を思い出す。更に研究と自分のための時間をつくるためバンコクにベースを移し、月に1度日本に通いクライアントとのセッションを続ける。
・レイキ・サイキックサージェリー・パワーストーンセラピー ・チベタンベル・チベタンボウル・エドガーケイシー療法・クリスタルボウル・オーラカラーチャージ・温熱療法・ゲシュタルトセラピー・ロルフィング・シュタイナー思想・OSHO・ホロトロピックブレスワーク・アバター・オーラソーマ・ヨガ・ストレッチング・瞑想・イルカ・神智学・ディジュリル・キャンドル・エンジェル・アストロロジー(心理占星学・サビアンアストロロジー・小惑星)潜在意識アクセスツール(タロット・ユニコーンカード・セルフセラピーカード・ルーンなど)・チャネリング・スピリチュアルカウンセリング・ヒプノセラピー・クレヨンセラピー
・アロマセラピー・温灸・タイ古式マッサージ・スウェーディッシュオイルマッサージ・フット・ハンド・フェイスリフレクソロジー・心理学・イメジュリー・ブリージング・ハーブパック療法・ポラリティー・バッチフラワーレメディ・ホットストーンセラピー・などから助けられ、啓発され、パワーをいただく。
2006年3月 タイ・バンコクにて交通事故で右足骨折。治癒には3ヶ月かかるとの診断をされるも、その日のうちに骨がもとの位置に戻る。
2007年9月 左胸に指二本分ほどの腫瘍を発見。だんだんと指がしびれ、胸の塊から腕を伝わって左手指3本までに始終しびれをかんじるようになるが、同年10月後半、胸の腫瘍及び、しびれ消失。
他にも、2000年より3年半の間出続けた顔面いっぱいの吹き出物の治癒。
2007年5月、突然頭髪が抜け始め1ヵ月半後には4分の1が抜け落ちるが、みるみる間に再生。
など様々な治癒体験を経て、生命力、疾病の語る真の意味、そして治癒力とは?私たちの存在の本質など肌で感じた体験を生かした、そのときのその方のためだけのオリジナルワークを提供。
★エネルギー食
2007年2月よりエネルギーを取り入れる器官が自然に復活。
たまに食べ物を口にすることはあるものの、基本的には水のみ。
★通いの時期を含め、計約5年ほどのタイでの時間にピリオドをうち、2007年11月帰国。
現在、千葉県市川市にて
ヒーリングスペース スピリチュアルエナジーワークス=ウィングス=
体・心・魂を融合させより豊かに自分を創造するオリジナルワーク主催。
癒しのプロセスでは、その方の中の切り離されていた部分が回復し元に戻ると、必ず人とのつながりも蘇ってきます。
=ウイングス=では、まず人とつながり、癒しがおきてくる。そんなパワフルな場を目指しています。
about eating energy and healing
★エネルギー食について
よく「不食」と表現されますが、私はむしろエネルギー食と呼びます。
なぜなら、全く食べていないのではなく何をどう食べるのかがかわっただけなのですから。
たまに食べ物を口にすることはありますが、重くかんじるようになるため、しばらくするとまたエネルギー食に戻ります。水や白湯、外出時にはお茶を飲みますが濃く感じるので、水で薄めていただきます。食べたくはないのに口が味を欲しいとき、べっこうあめや薄めのしいたけ茶を少し。
どうしてこうした状態になったのかとよく聞かれますが、実のところ私自身もよくわかりません。ある日突然それはやってきました。急に高熱と下痢の症状がでて、その最中から食べ物が遠い存在になったような感じがしました。意識的に自分で望んでなった訳ではありません。食べるのも料理するのも好きだったので抵抗しましたが、体調はもちろんのこと感覚もどんどん楽になるのです。私の感覚としては、私達がみな、もともと持っていたエネルギーをとりいれる器官が復活したという感覚がありました。しかし、なんだか食べたいと思うときには食べていました。
一般の食事をとらなくなって一番きつかったのは、会食の場でした。おいしいものを食べさせたいと旬の材料を用意し、愛情たっぷりで作ってくれたご馳走など、食べられないと言うのも言い出しづらかったり、他の人もなんだか食べづらそうになって、せっかくの楽しい場の雰囲気を壊してしまうようで嫌でたまりませんでした。
食事をしなくなって、食事とは何なのかがようやく少し感じられるようになりました。食事とは、実は身体の栄養をとるというよりコミュニケーションとエンターテイメントの要素が強いように感じるのです。私も以前は習慣や惰性でなんとなく食べていたようです。これからもせっかく食べるときにはうんと味わって楽しんでしまおう!と思っています。
10年前から肉類、肉からのだし、揚げ物、牛乳、乳製品があわなくなり、断食も普段の生活をしながら、1週間〜3週間を定期的に行っていました。エネルギー食になってからの感覚は、断食最中のかんじとは全く違うのです。
こんな風になったのは2007年2月から。何がきっかけになったのかはよくわかりません。たまたまなのかもしれませんが、気に入った3kgのクリスタルのオベリスクを手にいれた次の日から急に高熱がでて下痢の症状がでました。ゆたんぽなどを使って熱をあげきることができたので半日で平熱に戻ったけれど、下痢が3日続きましたが、熱が下がった時点であまりに身体が軽くて普段以上に動けるので、何かの解毒のプロセスだと安心しきっていました。熱で頭が痛かったときはクリスタルを頭につけると不思議と楽になったのを覚えています。
二日目くらいから、まるでクリスタリボウルそっくりな音が聞こえるようになりました。それは耳元でに聞こえるのではなく、天から聞こえてきます。もともとある音なのにいままで私は気づいていなかったんだなと思いました。これは、場所によっていくつもの音階が重なって聞こえたりします。その当時タイのバンコクに滞在していましたが、あるお寺のお堂にいたときが一番たくさんのクリスタルボウルのような音がこだましていました。ねえ、聞こえる?と一緒にいた人達に聞いてみましたが、あまり反応はありませんでした。けれど、ボディワークやエネルギーワークをしていたときに聞こえた音を口に出してみたら、そばにいた人も同じ音が聞こえると言っていました。
そんな状態になって4日目に知り合いの人から連絡があり、チャネリングをする方に会うことになりました。はじめての方でお話もしていないのに、私が書いた絵をみて、【いま何かからだに変化がおきていますか?いま起きていることは、うながされて起きていることですから安心してください。ただ、自分はどうしたいのかをもう一度はっきりさせておくとよいでしょう】と言われ、自分の感覚とマッチしたメッセージだったので、ありがたくいただきました。
【より居心地がよくなったこと】
・いまいるべき場所とやるべきことがコレだ!という感覚とより強くつながれるかんじ。
・どんどん軽くて動けるようになり、一日にこなせる予定が多くなる。
・より自然の中にいたいと思うようになった。朝日、夕日をみたい。太陽の光をより浴びたい気持ちが強くなり、それらとなじみやすくなった。
・自分とまわりの境目の感覚がひろがる。
・体も頭も汚れが少なくなった。
【なかなか慣れないこと】
・口の中が気になり、何度も歯みがきしたくなる
・味覚がさびしい時がある
・食べ物を口にはしたいが体にはいれたくないかんじがある
・外出時に白湯だけ手に入るところが少ない
・においに敏感なった
このエネルギー食のシステムは、もともと私達の身体に備わっているものです。しかし、ずっと長いこと使わないでいるために退化してしまったのではないかと思われます。私はたまたまこの器官が復活してしまいましたが、それまでは、みなそれぞれにはそれぞれの信じるものがあわられているように見えます。餓死というのも、食べないと死んでしまうということを信じ、恐怖があったために死につながったのではないのでしょうか。
【食べないと生きられるはずがない】【それがいいと思い込んでいるだけじゃないのか】【いまは良くてもこれから先に身体が悪くなるに違いない】【食べないと必要な学びは行えない】などと心配していただく声も多々あります。私も突然あらわれた現象にどう扱っていいのかわからない時期もありました。もしいまのスタイルが不自然であれば、きっとうまくいかなくなるはず。不都合にはその時に対処していきましょう。ただただ私が信じるのは、自分の感覚です。居心地がよくていい状態があらわれるのならば、それが行き先を示すものだと感じています。
勝手にエネルギー食のシステムが復活してしまった方にはまだお会いしたことがありませんが、私にこの体験が訪れたくらいなので、きっと他にも多くいらっしゃると思います。私もまだよくわからないこともたくさんあり、進化の途中にいますが、更にエネルギー食についての観察を続けていきたいと思います。
★治癒について
私もまだまだわからないことだらけですが、いままで自らが体験した治癒のケースによって多少なりともおぼろげながらに見えてきつつあるものがあります。
はじめはクライアントの方にに突然あらわれました。
全ての人にというわけではありません。時が満ち、準備が整った方々だったのでしょう。
守秘義務に関わるため詳しくは書くことは控えさせていただきますが、その方たちとのセッションから教えてもらったことは数多くあります。治癒の瞬間は何らかの理由により断絶されていた回路がつながったように見えました。
症状はあなたに伝えなければならないことを内包しています。もしあなたが心の声で丹念に聞き取るならば、必ず変化は訪れます。そう、奇跡は日常的におきています。
セッションの中で私が受け取った情報は、クライアントご本人にお伝えさせていただきます。クライアントご本人は感性を駆使し、ご自身の中から浮かび上がってくる感情をひとつひとつ手にとり整理していきます。自分の中で理由はよくわからないが腑に落ちるなあという感覚を使うと徐々にいままでごちゃごちゃと集めたたくさんのパズルのピースがつながってきます。そしてそれらが繋がって形が見えてきたら、症状があなたに伝えたかったことや症状があるためにあなたが得ていたメリットも見えてくることでしょう。そうなった時にはじめて症状に振り回されることもなく、客観的にあなた自身を感じられるのです。病気や怪我などの症状は、あなたから切り離されていた部分が、もともとあった部分に戻りたくて訴えているのに長い間全くかまってもらえていない状態ともいえます。表面にどんなことが起きていようとも、本来は祝福でしかありえないのです。怖がることなどひとつもありません。ただ小さな子に聞くように、どうしたの?と手をあてて聞いてみてください。きっと応えてくれます。分離をつくったのが他の誰でもないあなた自身なのだと気づいた時にはじめて症状を消滅させることが、あなたの手でできるのです。いっぺんに全てが繋がることもありますが、時をへてあなたへ智慧が少しづつ訪れることも。全てのプロセスは、いまベストなタイミングでベストなことだけがもたらされます。
【好転反応初体験】 ・31歳から3年半も続いた顔面いっぱいのおでき
その当時民間療法の場で仕事をしていたので、様々な方法で解毒を行いました。はじめはお肌がつるつるになり、もう嬉しくてたまりませんでした。あまりに嬉しくて更に解毒をすすめると…でてくるでてくる、膿いっぱいのおできが顔一面にでつくしました。ちょっとよくなったなあと思うとまた今度は倍でてくる。お手入れをしてちょっとよくなってはまたでてきて、その繰り返し。
好転反応はみんなその人に弱いところにでます。私は何故顔だったのでしょう?私は自分の顔が好きではありませんでした。あの人みたいな顔だったなあと、散々いじめつくしたコンプレックスの象徴のような場所でした。
出始めた頃から好転反応だとはわかっていましたが、隠し様のない顔ですからいいようのない辛さがありました。ファンデーションをいくら厚塗りしても、いや厚く塗るから余計に目立ってしまう。余計醜くなってしまうのがわかっていてもやめられないんです。民間療法の場なので、様々な好転反応の方もいらしているので仕事を続けらましたが、プライベートではほとんど引きこもりのような状態でした。ちょっと状態のいい時に母に会った際には、【あなたが一生この顔だったらどうしよう】と泣かれてしまいましたし、まだ2才だった姪に【真実ちゃんどうしてそんなにぼつぼつなの?きもちわるい】と怖がられていました。
長い間続いたのはなぜでしょう?今だから思いますが、知識として好転反応だとわかっていても、初めての体験でおろおろしちゃっていました。もし、という仮定の話をしてもしょうがないかもしれませんが、これがもし私が顔のおできに【なるようになるんだ、大丈夫、出尽くしたらちゃんときれいになおる】と信じて、抵抗せずにいたら…少なくとも3年半もかからなかったのでは?と思うときもあります。とはいえ今現在は、しみやキメが気になる程度の肌でいられることは、なんともありがたい思いでいっぱいです。
2006年3月 バンコクにて交通事故 右足骨折
その瞬間がスローモーションのように見えたからでしょうか、私の足がまるで呼び込んだかのようにあっという間に黒い車が吸い寄せられてきました。それまでは、たいした事故も病気もしたことがありませんでした。もう20年ほどは病院にもいったこともなく過ごしてきた私にとっては、その日はびっくりの連続!でした。
あれーっと思ったら黒い車はあっという間にいなくなってしまい、血だらけの動かない足にどうしようかと思っているところで、我にかえりました。車は右足にぶつかり甲をよじっていきましたが、スピードがでていなかったため道路にたたきつけられずにすみました。
とりあえず車のこないところに移動すると、なんだひき逃げか?とまわりに人垣ができて警察はどうする?病院に連れていこうかと親切な人が言ってくれました。私は海外傷害保険の電話番号もしおりも部屋にあったのでとりあえずは部屋まで戻りましたが、まるで心臓が足にあるみたいに重い痛みが大きくなります。大抵のことは何とかなってしまうので病院には行く習慣がない私でも、今回はなんだか様子が違うなと思っていました。
タクシーで救急外来に行くと、傷の手当てのあとにレントゲンをとってくれました。骨は大丈夫と言われ、破傷風だけが心配ということで注射のあと念入りに傷の手当てをしてくれ3日ほど通う予約をいれてくれました。とはいえ、痛みはあるので病院内は車椅子、あとは松葉杖をついて部屋に戻りました。
やるだけのことをやったら不安はなくなったものの、痛みがだんだん大きくなっていきます。夕方から夜にかけてずきんずきんと圧迫され膨張するかんじが、どんどん大きく早くなってくると、あれ、おかしいなあと思いましたが、どうすることもできないので夜は早めに横になりました。リラックスしているはずなのに大きくなる痛みに、右足に話をしてみることにしました。深呼吸しながら手をあてて、耳をすませます。すると、心にわいてきた言葉がありました。【私の身体半分をもぎとられたみたい】その事故の3ヶ月ほど前に、その頃とてもご縁のあった人がいきなり私の前から姿を消しました。唐突な出来事だったので、私はとても気持ちの整理がつかずに苦しい思いをとじこめたままでした。それからはしばらくたっていたので、ずいぶん落ち着いた頃でしたが、事故のほんの1時間程前にその人から電話があり、具合が悪いという話を聞き、ぼーっとしていたときに車が吸い寄せられるようにぶつかってきたのでした。まるで私の感情体験を再現してあらわれたようなものです。私は【きみになんということをしていたんだろう、かわいそうに、よしよし、つらかったねー、ごめんね】とさすりながら話しかけました。涙があとからあとから流れてきます。そして、右足から伝わってくることはまだまだ溢れて、1998年の出来事にも繋がりました。私が初めて心から愛情を感じた人との間でおきた葛藤がでてきました。当時は、まだ出会ったことのないあまりに大きい渦巻状のエネルギーにどうしていいかわからない私がいました。ためらったあげく、大きく一歩を踏み出したときに階段を踏み外してくるぶしをひねったのです。このときはねんざ程度ですぐに痛みはなくなりましたが、何かあるとしくしくとうずく感じがありました。このように、表面上は治ったように見えるものも、どんなに時間がたっていたとしても、しっかりと記憶されています。
みなさんも何故か同じところにばかり怪我をしてしまうという経験はありませんか?
そこに蓄えてしまった感情をはきだし、きれいにお掃除してしまわない限り磁石のように同じようなことを繰り返すことになります。
さて、ひとしきり泣きながら足をさすり続けた時にふと、ずきずきが小さくなってきているのに気がつきました。うんと涙がでてすっきりしたこともあって、いつの間にか寝てしまっていました。
次の日に傷の消毒に病院に行った時、看護士さんに夜痛みが激しかったと伝えると、連れていってくれた先には昨日とは違う先生がいました。レントゲンを見た先生は、【きみ、これ折れてるよ。何を見落としてたんだろうね、すぐにギブスしなきゃ】といって症状を説明してくれました。折れていると聞いて、あの痛みはそうだろうなあと納得できましたが、先生が言うにはギブスをして治るまで個人差があるけど2−3ヶ月かかるというのです。私は2日後には日本に行って仕事をしなければなりません。どうしよう、今月は穴をあけることになるのか、飛行機の予約をキャンセルしなきゃならないし…うーん、決めなければならないことがたくさんでてきました。しかも、全ギブスにすると飛行機に乗れないというのです。そりゃそうですよね、今の状態だと気圧の影響を考えると1週間後に乗れたとしてもソフトタイプのギブスしかできないんだそうです。とりあえずソフトタイプを着けてもらって、スケジュールの調整次第ではハードタイプに変えてもらうということで決まりました。
ギブス装着後に状態をみるためにレントゲンをとったら終わりだよと言われ、レントゲン写真撮影後にもう一度先生のところへ呼ばれました。いま撮ったばかりの写真をみて先生が【ん?骨くっついてるなあ、なんで?】といって写真の名前を確認して私に見せてくれました。それを見ると、折れていたところに線はうっすらあるものの、骨は戻っていました。【やったー!】と叫ぶと、日本語がわからない先生は【なになに?】と聞きます。【先生、体がいってることを聞いてあげて、ごめんねって謝ったの。そしたら、戻ってくれたんだよ】というと、先生は【ふーん、まあ、この件はなんだかよくわからないけど、よくなったんだからまあいっか】といったかんじでしたが、私は、やったー!ちゃんと届いたんだ、仲直りできたんだな、この右足と!と嬉しくてたまりませんでした。
そのあと、無事に予定通り日本に戻り、その日のうちにギブスを外し、通常通りの仕事もこなすことができました。しかしすぐ骨がくっついても、羽化したての蝉のようにまだやわらかい状態でしたから、うずく感じは多少ありましたし、何よりも、怪我をしたときの心もとないかんじや、普段は何不自由なくできていることに人の手を借りなければならないもどかしさと同時に人がいるありがたさは短時間ながらもたっぷり感じることができました。
後日談ですが、それから一ヶ月後からヨガも復活して右足くんも絶好調。そして事故のあと数ヶ月たった頃、スーパーマーケットでやはり同じ人のことをぼーっと思い出していた時にいきなり後ろからガツンとカートがぶつかってきました。ああ、よりによってなんと同じ場所にです。しかもカートも車を象徴しているので、なんだかおかしくてたまらなかった。まるで執着に対して、ホラホラ!と教えられているような気持ちになりました。
この事故の間、何度も【あなたは守られているから安心して】というメッセージが様々な形で届いていました。
病気や怪我などの症状があらわれてくる以前を含めたプロセスそのものを大きな癒しのステージであったことを見るとき、愛情と祝福、シンクロニシティにはどれほど多くの存在がかかわっていたのか、ほんの一部を垣間見ただけだと思いますが、それでも驚きを隠せません。
2007年5月 頭髪が全体の4分の1抜け落ちる
急に抜け毛が多くなっても、最初はあまりおかしいと思いませんでした。というのも、もともと髪の毛がしっかりしていて多くて困るくらいだったので、美容院にいくといつもボリュームを調整してもらっていたからです。その頃は胸まで髪を伸ばしていたので一本一本が長くて抜けても目立つもんなーと思っていましたが、朝起きたときに枕にごっそり張り付いていたり、髪を洗ったとき排水溝にたまった本数が日に日に多くなり、私が歩いたところにいっぱい落ちているのを見つけてからは、さすがにもう見て見ぬふりをすることができなくなりました。抜けるにまかせて何もできないような気持ちになり、ため息をつく回数も増えていたに違いありません。
髪は女の命】といいますが、なんだか寂しい気持ちにもなりました。それに髪が長いだけに貧相に見えるかなあ…ドキドキハラハラ、抜け落ちた髪を見て、はあー、もうレディースマープで頭頂部だけでもかぶるしかないかとネットで調べはじめた頃、急に、【あれ?なんで5月から抜けたんだろう?】はたと思い当たることがありました。出会ってから10年以上にもなる大切な人とやっといい形で再会できるのが、勝手に5月なんじゃないかと思っていたところ、それが叶わなかったので、ショックを受けたようです。そしてショックを受けただけではなく、その原因は私にあると無意識に思い込み自分の女性性を否定していたのでした。もう自動的にスイッチがはいってしまうくらい無意識にやっていたことなので全く気がつきませんでしたが、それに気がついたとたん、頭の中にピンッという音がして電球がついたようでした。その時から抜け毛はストップし、いつの間にか頭髪も生えそろってきました。
2007年9月 左胸腫瘍
異変ははじめ、左側の首がやけにこっていることくらいでした。そして、首がおさまった頃に左肩甲骨周辺がぴりぴりと、たまに左腕の付け根の前側だけが引っ張られるようなかんじがありました。それらの不快感はいつもあるわけではありません。たまに、あれ?でてきたなーというくらいです。そしてある時、施術台にうつぶせに乗った時にいままでにない感覚で左側肩甲骨の横のぴりぴりが大きいことに気がつきました。なんだろう?こっているけど、いつもと違うんだなーと思いながらもボールを使ってほぐしていましが。けれど、気がつけば夜もなんだか寝苦しいのです。仰向けでも横向きでもなんだかはまらない。もぞもぞちょうどいい場所を探すのですが、なんだか息がしづらい。ん??なんだろう?
ちょうどその当時、乳がんとリンパ浮腫を抱えながらも真摯にご自身と向き合っていらっしゃる方を見に伺っていましたが、その方がおっしゃる症状と微妙にかぶるところもありました。それに思い当たったとき、頭の中でガーンという音がしました。もしかしたらこれはガン?いままで何人もガンを患っていらっしゃる方を見せていただいていましたが、その方達のショックがいかほどだったか!その当時、ちょうど私にはいくつもの乳がんに対するメッセージがはいってきていました。検査にいったほうがいいものかどうか、私は病院での治療を受ける気がないのに検査をうけてどうするんだろう?と、ずいぶん考えました。病院に行ったほうがいいのか、さんざん自分にも問いかけてみましたが、行かなくていいという答えは一貫していました。
そうこうしているうちに左胸には、いつの間にか指二本分のかたい隆起ができていました。鏡で裸をうつしてみると左右で明らかに乳房の高さが違うのです。とにかく触ってあげることにしましたが、だんだん左ひとさし指にしびれが走るようになりました。えー!しびれてる。正直いって、怖かったです。日を追うごとにしびれが大きく強くなってきていました。ひとさし指だけでなくて親指にも、そして、ピーク時には胸からずっと線をひいたように左指3本までが24時間しびれていました。そして、首だけ上を向くと左胸からひきつれたようにピーッとひっぱられる感覚まであったのです。
日中でも時間があれば横になって胸に手をあてていました。夜はやはり手をあてて声を聞くようにしましたが、実はとてもおもしろい感覚がありました。そのお陰で私は恐怖のほうに引っ張られることがなかったようです。胸に手をあててじっと耳を傾けていくと、とても躍動感にあふれるハートのダンスがそこにありました。いままで様々な誤解から自分自身のハートを散々傷つけてきたため、私のハートは固く鎧をまとい静かに沈黙をしてきたけれど、ようやくハートが動き出し、周りにあった厚い鎧がとれてしまった。けれど、自分から脱いだというよりいきなりくだけてしまったようなので、それらの破片が物質化して腫瘍の形になっている、といったようなものでした。
うーん、それにはとても納得できる感覚があります。私が頭で受けているショックと心の声で読んだ状態があまりに真逆にあることには、とても驚きました。なーんだ、やっぱり何も怖がることはないんだ。いままで私はお仕事でもプライベートでもたくさんの方々の状態を見せていただきました。よく自己治癒力が働けば治るという言葉をききますが、どの時点のことをいうのでしょうか?私が感じたのは、実は症状がでてこれるということ自体既に自己治癒力のなせる業だということ。力がないと表面にもあらわれることができない。病気そのものの捉え方がかわれば、この世の中の現状はかなり変わるでしょう。
もしかしたら病気である状態というのは、実は病気に対する考え方のことを指すのかもしれません。
私の左胸にあった塊は、結局1ヶ月半ほどで消えました。検査にも治療にも行かなかったので、ガンだったのかどうかもわかりませんが、この体験によって治癒について、私達という存在についてなど感慨深い思いを味わったことは確かです。何があってもなくてもそれでいて完璧である。ただ今を大切に味わいつくしたいとの思いがより大きくなりました。

★かなりかんの虫が強い子だったそうで、宇津救命丸(仁丹のような薬)をずいぶん飲まされました。3才のとき、あまりに手をやいた祖母と母が「この子はきちがいに違いないから菅沼さん(近所にあった脳外科)に連れてって脳をいじってもらおう」とこしょこしょ話しているのを聞いてしまい、びっくりして手術されないようにそのときから急にぼーっとしている子になってしまいました。写真を見ても顔が違うのです。そんな風に自分でぼーっとし始めたことはずっと長い間忘れていました。
★中学3年のとき、私立女子高に合格発表後に高校側教諭と校長よりから恐喝されるという
事件がおきました。
中学校より推薦入学でしたが、高校からは実は合格点がたりなかったのを恩情で裏口入学させてやったとお礼を強要してきたのです。ところが私も両親も頼んだ覚えが全くない。
訳もわからずおろおろしていると、中学校の先生から推薦入学者(私の)データが流れていたということが発覚しました。家が商売をしていたので、お金をだすだろうと目をつけられたんだそうです。入学金も払ったあとだし、中学浪人なんて単語がよぎり動揺したけれど、たまたま母の母校が開校以来の二次募集をしているとの新聞記事をみつけて受験、かろうじて合格しました。
ところが、部活の顧問の先生に呼ばれてこのままだと学校が困るので入学金を先生達で負担するので何もなかったことにして入学してほしいと告げられて、漠然とだが先生という立場の人を信じてきていたのに何だったんだろう?あまりの恐怖に何も感じなくなってしまいました。
片道2時間かかる高校に3年間皆勤賞で通ったことになっています。実は一回だけ裁判を傍聴するために早退したのですが、高校に情報を流した先生は嘘で通す姿を目の当たりにすることになりショック倍増。
正義感に燃える両親はこのあとまた被害者がでてはかわいそうだと、高校側を相手取り、裁判で訴えたのです。高校生活3年間ずっと続きました。母は新聞社、雑誌社などに投書するが、高校側弁護士によりもみけされる始末。高校生活はいつも心に重しがどっしりとのっているようだった。
めちゃくちゃ校則が厳しい高校で、私にしてみたら髪型だとか服装、表面的なことにばかり制限があって、どうでもいいことで何をこんなにめくじらたてているんだろう?不思議でなりませんでした。
うちは裕福なわけでもないのに、裁判により金銭的に大きな負担をかけているのもいやだし、親の精神的負担や疲労も見ていられない。裁判なんかしてほしくないのです。私はまるで何もなかったように過ごしたかった。この期間私は人間不信になり、どうして私にこんなことが起きるんだろう?訳が全くわからない。ただ普通に普通の高校生活が送りたいだけなのに、息をしているのがやっとでした。
そんな時私の支えだっのは小学校の頃から行っていたサマーキャンプ。富士山の麓で乗馬や様々な自然の中での4日間は普段の生活を忘れられる天国のようでした。ボランティアで子供達をお世話側でも参加するようになりました。夢のような時間の中でふとしたとき、ああ、いま地震がおきて何もかもなくなっちゃえば元の生活に戻らなくていいのに…何度も本気で思っていた感覚を覚えています。
後になれば、この時期に強烈に自分の中にとじこもり、この世の常識ではなく自分自身のセンサーを使ってものごとを見るという部分を養ってきたように思います。サビアン占星学で私は人間の二面性と裏切り悲しみ、思うようにいかないことを強烈に体験して、感情全般やトラウマを再調整しアストラル体を修正し、更に霊的に求道に向かうことをプログラムしてきているということを知り、なんてうまくできているんだろう!と脚本家兼役者である自分に感心してしまいました。
この高校受験の件だけではなく、様々にあらわれてきた問題こそがまさに神様のシナリオ通りに進んでいたということだったんじゃないか、完璧だったんだ!!
そんな体験をしたからこそ、光を実感しながらも闇に成長の種をみつけて育てることに自信をもてるようになったのです。ただただ感謝です。なぜならそれは、ヘリコプターでびゅんと目的地に飛んだ訳ではなく、自分の足で一歩一歩前進し、時には道に迷って遠回りしながらも確実に知恵を学び進んできたプロセスがあるからに他なりません。そして、その道すがら人間不信の思いにまみれてきた私を励まし、笑わせ、横から支えてくれた多くの魂の仲間たちがいるからこそなんとか私も自分の足で立っていられるのです。ほんの少しでも私に関わってくれた方たちどうもありがとう!やさしく微笑んでくれた人、励まし育ててくれた人、そばにいて一緒に成長を目指してきた人はもちろんのこと、
私を陥れたあなた、いじわるをしてくれたあなた、誤解によって離れてしまったあなたたちもどうもありがとう!あなたたちがいてくれたお陰で私はしっかりと学んでくることができました。本来の意図に繋がるとき、そこにはただただ感謝だけなのだということを肌で感じることができるのは何よりの歓びです。
しかし三歩進んで二歩さがるとはよく言ったもので、いまでもまだまだぶーたれていることもしょっちゅうです。それでもやはり前に進みたい。成長したいと願うこの想いは更に強くなるばかり。そして光も闇もすべてひっくるめて仲間たちとシェアし合いサポートし合いながら一緒に進んでいきたい。それが、私の願いです。
★23才で結婚。お年寄りが手をつなぎながら街をスキップする姿が印象的だった洗剤のCMがありましたが、年をとったらあんな夫婦になりたいねー!といっていた人と8年の結婚生活後離婚。
一生つきつめて研究していけることを仕事にしよう!とつねづね探し続けていたが、具体的にいうとそれって何だろう?
・好きで好きでたまらないことか?
・もしどんな職種でも同じ賃金同じ条件だとしたら何をやりたい?
・収入があってもなくてもそれ自体楽しくてよろこびを感じるか?
ちょうどその頃離婚を機にあらたな人生が始まる。
小さい頃から人を触ることがあまりに身近だったため、それを仕事にするという考えは目からウロコだったけれど、3つのポイントにぴったりあてはまり、自分がやっていることを思い浮かべただけで嬉しくなってしまったのが、ウイングスの構想。
どのセラピーもいいんだけど、しばらくすると、「ああ、ここをこんな風にしてほしいなー」物足りなさがでる。体・心・魂がそれぞれに実感のもてるワークがあったらいいのにという想いがどんどん大きくなり、結局はオリジナルのスタイルをつくることになりました。
刻々と変化するクライアントの状態に、より寄り添ったワークを組み立てていけるように自分の引き出しにいれておくアイテムを増やしたい。その想いとはうらはらに、仕事に追われる毎日。休みの日でも緊急のクライアントへの対応…だんだんとおろそかにな る自分のケア。あー、このままでは自分がすりへっていく。治療をする人たちを見ていくうちに、何故か大きな病気になっていく人が多いのに気付く。よく「もらう」というけれど、どうだろう?そもそもこの表現自体に抵抗がありますが、自分がクリアーならそもそも もらわないのでは?もらっても抜けるのも早い。まるでお部屋のお掃除と一緒。かたづけ終わったそばからゴミってでるし。じゃあ、まず自分のお掃除はきちんとしよう。お掃除のひとつとして、タイのバンコクに2ヶ月に10日ほどワークの研究とリフレッシュに。ボディワーク、エネルギーワーク、瞑想、たくさんの木々や南国のゆるゆるモードにサポートされ、自分の真ん中を思い出す。更に研究と自分のための時間をつくるためバンコクにベースを移し、月に1度日本に通いクライアントとのセッションを続ける。
・レイキ・サイキックサージェリー・パワーストーンセラピー ・チベタンベル・チベタンボウル・エドガーケイシー療法・クリスタルボウル・オーラカラーチャージ・温熱療法・ゲシュタルトセラピー・ロルフィング・シュタイナー思想・OSHO・ホロトロピックブレスワーク・アバター・オーラソーマ・ヨガ・ストレッチング・瞑想・イルカ・神智学・ディジュリル・キャンドル・エンジェル・アストロロジー(心理占星学・サビアンアストロロジー・小惑星)潜在意識アクセスツール(タロット・ユニコーンカード・セルフセラピーカード・ルーンなど)・チャネリング・スピリチュアルカウンセリング・ヒプノセラピー・クレヨンセラピー
・アロマセラピー・温灸・タイ古式マッサージ・スウェーディッシュオイルマッサージ・フット・ハンド・フェイスリフレクソロジー・心理学・イメジュリー・ブリージング・ハーブパック療法・ポラリティー・バッチフラワーレメディ・ホットストーンセラピー・などから助けられ、啓発され、パワーをいただく。
2006年3月 タイ・バンコクにて交通事故で右足骨折。治癒には3ヶ月かかるとの診断をされるも、その日のうちに骨がもとの位置に戻る。
2007年9月 左胸に指二本分ほどの腫瘍を発見。だんだんと指がしびれ、胸の塊から腕を伝わって左手指3本までに始終しびれをかんじるようになるが、同年10月後半、胸のしこり及び、しびれ消失。
他にも、2000年より3年半の間出続けた顔面いっぱいの吹き出物の治癒。
2007年5月、突然頭髪が抜け始め1ヵ月半後には3分の1が抜け落ちるが、みるみる間に再生。
など様々な治癒体験を経て、生命力、疾病の語る真の意味、そして治癒力とは?私たちの存在の本質な ど肌で感じた体験を生かした、そのときのその方のためだけのオリジナルワークを提供。
★エネルギー食
2007年2月よりエネルギーを取り入れる器官が自然に復活。
たまに食べ物を口にすることはあるものの、基本的には水のみ。
★合計約5年ほどのタイでの時間にピリオドをうち、2007年11月帰国。
現在、千葉県市川市にて
ヒーリングスペース スピリチュアルエナジーワークス=ウィングス=
体・心・魂を融合させより豊かに自分を創造するオリジナルワーク主催。
癒しのプロセスでは、その方の中の切り離されていた部分が回復し元に戻ると、必ず人とのつながりも蘇ってきます。
=ウイングス=では、まず人とつながり、癒しがおきてくる。そんなパワフルな場を目指しています。
