Sol Naciente
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FMいみず 2009年9月22日(火)
富山県のFMいみずに出演しました。青年海外協力隊を始めとする海外ボランティアについて、ボリビアやドミニカ共和国の事など、約30分間お話してきました。  番組後の記念撮影です。富山県国際協力推進員の宮本さんとお子さんの沙良ちゃん、青年海外協力隊富山県OB会会長の大角(おおかど)さん、そしてFMいみずのスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。



グアテマラ大使館 2009年10月10日(土)
 グアテマラ大使館で、「在日グアテマラ人の会」の皆さんと交流会を行いました。交流会にはグアテマラ大使夫妻、領事夫妻が出席された他、コスタリカ大使、ハイチ大使も足を運んでくれました。 交流会では、グアテマラ料理や地ビールが振る舞われた他、プレゼント抽選会が行われました。Sol Naciente代表の神谷は、ガジョ(グアテマラのビール)のロゴマークが入った帽子をゲットしました。また交流会では、スペイン語でスピーチの機会を頂きました。
   


ヒューストン視察 2010年3月1日(月)
ベリーズへ向かう途中、米国のヒューストンに滞在しました。約10年ぶりのヒューストンは以前より洗練されおり、住みやすくなった印象を受けました。ダウンタウンは思ったより閑散としており、郊外へのドーナツ化現象を感じました。 ダウンタウンを走るLRTです。10年前にはまだありませんでした。ヒューストン市内では、ヒスパニック系の住民がかなり増えており、英語よりもむしろスペイン語の方が普及しているようでした。街の案内板も全てスペイン語併記でした。
   


ベリーズ臨時支部 2010年3月4日(木)
ベリーズ最大の街ベリーズシティーや首都ベルモパンでの省庁表敬を得て、ようやく支部のあるプンタ・ゴルダへ到着しました。およそ1年にわたり、ここがSol Nacienteの活動拠点となります。 プンタ・ゴルダはベリーズ・トレド州の州都です。州都といっても小さな自治体で、日本の感覚では村といったところでしょうか。マヤ系の住民やガリフナ族と呼ばれるアフリカ系の人たちが多く住んでいます。
   


トレド・コミュニティ・カレッジ運動会 2010年3月5日(金)
友好団体トレド・コミュニティ・カレッジの運動会に監視員として協力しました。参加住民や生徒との触れ合いを楽しみました。こちらは槍投げのようす。 会場はカレッジに隣接するサッカー場で行われました。こちらはリレーのようす。イベント中何度かにわか雨が降ってきましたが、無事全ての日程を終えて閉幕しました。
   


『マンガ「古事記」を世界に広げよう!』プロジェクト in ベリーズ 2010年3月16日(火)
株式会社Cosmo-Earthさんとのプロジェクト『マンガ「古事記」を世界に広げよう!』の一環として、カレッジの図書館にマンガ「古事記」を寄贈しました。日本文化紹介や芸術科のドローイングの授業に活用して頂きます。 右の男性が学長のチャンさん(※中国系ではありません)、左の女性が図書館長さんです。
   


トレド高校芸術祭 2010年3月17日(水)
ベリーズ・トレド州の高校による芸術祭がプンタ・ゴルダの中央公園で催されました。トレド・コミュニティ・カレッジの芸術科も、絵や詞などを寄せイベントに参加しました。 トレド州各地の学校から、バスでイベントに足を運ぶ子供たち。小さなイベントですが、現地の人にとっては大切な催し物です。
   


サン・ペドロ・コロンビアとルバアントゥン視察 2010年3月29日(月)
プンタ・ゴルダの町から車で約1時間の距離にある、マヤ系住民のコミュニティー、サン・ペドロ・コロンビア。マヤの伝統家屋が建ち並んでいます。 サン・ペドロ・コロンビアから砂利道や獣道を進むこと約30分。日本ではまだ無名のマヤ遺跡、ルバアントゥン(Lubaantun)に到着。以下、遺跡の写真です。
   
   


インディアン・クリークとニム・リ・プニッ視察 2010年3月30日(火)
プンタ・ゴルダから1時間。高速道路を途中下車し、インディアン・クリークという集落に到着。ここから農道を奥に進むとニム・リ・プニッ(Nim Li Punit)というマヤ遺跡に到着します。 ニム・リ・プニッもまだ日本では無名のマヤ遺跡です。ルバアントゥンよりやや小ぶりで遺跡の保存状態も悪いですが、石版や石室などを見ることができます。プンタ・ゴルダ周辺にはこれら2つの他にも小規模な遺跡があるそうです。
   
   


ショート・トリップ〜インデペンデンスとプラセンシア 2010年4月17日(土)、18日(日)
ベリーズ南部の町インデペンデンス。自治体の格付けとしては村(Village)ですが、近隣の村と一体的に町を形成しています。長距離バスや飛行場があり、交通の要所として発展してきました。 インデペンデンスからボートに乗って、ベリーズ第3のリゾートとして開発中のプラセンシアへ向かいます。
   
プラセンシアのビーチです。色合いを見ると、日本人が思い描く典型的なカリブ海のイメージとは少し違うかもしれませんが、泳ぐのにちょうど良い深さで快適です。 写真を見て分かるように、プラセンシアはまだリゾートとしてはそれほど開発されておらず、ひと気も少ないです。静かな環境でのんびりしたい人にとっては満足できる所です。
   


ベリーズ・シティー視察 2010年5月18日(火)、19日(水)
ベリーズ最大の都市で旧首都のベリーズ・シティー。こちらに来てから市内をゆっくりと見る機会が無かったため今回、ドミニカ出張の前に改めて視察してきました。写真はベリーズ博物館。刑務所として使われていたそうです。 ベリーズ・シティーの中心地に架かるスイング橋。真ん中で警察官が交通整理をしています。
   
ベリーズの最高裁判所。イギリス統治時代の名残を感じる美しい建物です。 ベリーズの歴史地区に建つセント・ジョンズ・カテドラル。イギリス様式の建築です。
   
現在は文化会館として使われている総督官邸。残念ながら修復中のため内部には入れず。 ここは観光客が集まるエリアで土産物屋が並んでいます。アメリカからクルーズで訪れる人が多く、馬車なども走っています。
 


ドミニカ共和国 出張・視察 2010年5月20日(木)〜24日(月)
ドミニカ共和国を訪れるのは5年ぶりです。首都サント・ドミンゴは大発展しており、スペインの某地方都市のようなおしゃれな広告塔がたくさん設置されていました。 大通りの中央分離帯もこのようにベンチが設置され、スタンプコンクリートによる遊園地のような舗装がされています。
   
新しいモニュメントや銅像もたくさん設置され、文化レベルの向上が伺えます。車も良いものに乗るようになりました。新型プリウスなど、今の日本人よりも良い車に乗っている人がたくさんいます。 これは5年前にもありましたが、ビール会社によって設置された看板(?)で、ビール用の大型冷「凍」庫を模しています。たまに開いて蒸気を噴出します。
   
その冷「凍」庫の脇に新しいものを発見。「あと何秒」表示の信号です。青(緑)信号の時は数字も緑に変わります。街の要所要所に同様の信号が設置されるようになりました。 街頭も新しくなりヨーロッパの雰囲気を醸し出しています。日本が停滞・衰退している間に、諸外国が日本を猛追していることを強く実感しました。
 
5年前にあったかどうか記憶にありませんが、旧市街にあるハードロック・カフェです。新興リゾートの「プンタ・カナ(同国東端)」にも支店があるそうです。六本木のしょぼいハードロック・カフェを思い出すと恥ずかしくなります。 この辺り、5年前は粗末な中華食堂が数件ある粗末なスラムでした。中国政府による援助でおしゃれな中華街に大変身しました。日本も海外にもっと日本庭園などを作って存在をアピールしたいところです。
   
新しく設置された中華街の門。道の反対側にももう一つ門があります。きれいな舗装がされて、中国人の銅像もたくさん設置されています。 旧市街の観光エリア。現代的なモニュメントが新たに設置され、新旧調和のとれたヨーロッパのような雰囲気となっています。
   
宿泊したホテルの向かいに建てられた近代的なオフィスビル。この他にも街の至る所に近代的な商業・オフィスビルが建てられ、日本の凋落ぶりと対照的です。 昔よく歩いていた界わいです。新しく建てられた白いマンション群の辺りにはかつて貧困地区がありました。
 
かつて3年間住んでいたアパートは既に取り壊されていました。再開発で新しいビルが建てられるようです。 都心の交差点。渋谷のような大型スクリーンが3つほどあり、都会度がアップしています。5年ぶりのドミニカ共和国は、もはや「発展途上国」と呼ぶのが失礼な国になっていました。
 
地下鉄1号線の駅。現在2号線を工事中で、6号線まで作る計画です。地下鉄の車両はスペイン首都マドリードと同型のものとなっています。 駅構内の様子。モニュメントも設置され、完全にスペインです。ドミニカ共和国の発展におどろくと同時に、日本の現状がとても心配になった有意義な出張でした。
 


『マンガ「古事記」を世界に広げよう!』プロジェクト in ドミニカ共和国 2010年5月22日(土)
サント・ドミンゴ日本語学校。Sol Naciente代表の神谷は、かつて半年間ほど、付属する日本人補習授業校で国語を教えていました。 日本語学校の校長先生にマンガ「古事記」を手渡してきました。マンガを通じて、日本語学校の学生が日本の歴史・古典に親しむことを期待しています。
   


『第一回ラテン x 日本音楽フェスティバル』 2010年5月23日(日)
ユネスコの「国際異文化理解の日」にちなんだ音楽イベント『第一回ラテン x 日本音楽フェスティバル』を企画しました。写真は、会場となったドミニカ共和国国立劇場の外観です。 イベント共同代表のローサ博士と。イベントの意義や目的についての説明をしています。
   
会場内のようす。ピーク時にはおよそ250人ほど収容可能な会場が満席となり、立ち見客も20人くらいとなりました。 開会の挨拶。ドミニカでの思い出話なども話し、たくさんの拍手を頂きました。
   
ピアノ発表会のようす。イベントにはドミニカ共和国内の音楽学校9校が参加しました。 バイオリン・アンサンブルのようす。
 
ギター・リサイタルのようす。 合唱(ピアノ伴奏つき)のようす。
   
ディプロマ授与式。JICAの協力のもと、専門家として参加学生や学校、担当教授にディプロマを認定しました。 右下に漢字でサインが入っています。
   
このイベントを切っ掛けに学生のモチベーションが高まれば嬉しく思います。 表彰式のようす。プレートを頂きました。
 
懇談会のようす。教え子家族が会いに来てくれました。お父さんはかつて福井大学に研修生として留学した経験がある親日家です。奥さんと共に建築家です。 記念撮影会。大きくなった教え子たちと。
 


マイアミ視察 2010年5月24日(月)
およそ10年ぶりにマイアミへ行きました。10年前は「不法移民の巣窟」のような治安の悪い街でしたが、10年を経て「おしゃれな高給リゾート」に一変していました。 ホロコースト記念碑もきれいに整備されていました。日本にはアメリカや中南米のような立派な記念碑が少ないと思います。この点は逆に開発途上国を見習いたいですね。
   
10年前は「地方都市の商店街」のようだったリンカーン・ロードもおしゃれなブティックが並ぶ繁華街となっていました。 マイアミ・ビーチの広大な砂浜。メキシコ湾の原油流出の被害がでるのはこれからでしょうか。
   
マイアミでは高級車や大型バイクがたくさん走っており、治安も随分向上しているように感じました。ヒスパニックの多さは相変わらずですが、皆おだやかになっていました。 日本が20年間停滞・衰退している間に、世界はどんどん発展を続けているようです。日本が如何に世界から取り残されているかということを強く実感した旅でした。
 


ショート・トリップ〜キー・カーカー 2010年6月19日(土)〜21日(月)
ベリーズ第2のリゾート、キー・カーカーです。ベリーズ・シティーからボートが出ています。 プラセンシアよりも観光化が進んでおり、アメリカからの若い観光客が多かったです。
   
周辺は藻が生い茂っており、単純に泳ぐだけならプラセンシアの方が楽しめます。フィッシングやボートが好きな人は、こちらが向いているでしょう。 キー・カーカーは最初から観光向けに開発されたカリブの典型的なリゾートとは違い、「観光地化された漁村」といった感じです。
 

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