●・祐ちゃんの純情!
●「祐チャンの純情・音楽遍歴」
10年近い昔に書いた日誌が見つかって、
それが面白く感じで書き直したりして当時を振り返ってみたりして悦に入っているのであった・・・・・。
別に本になるワケでもないのに・・・・・そんなことしてどうするの〜?なんて聞かないでくれ〜・・・・・。

Intro

ユウジの生い立ち&原稿ネタ・groove&swingへの追求は永遠に…

○「祐チャンの純情 その1」
1955年3月11日長野県塩尻に生まれる。
生まれた瞬間落雷があったそうな!
1955年3月12日チャーリーパーカー死して落雷あり。
もしかして生まれ変わり? 日付が違うって?だって時差が!

ガキ(小学校高学年)の頃より音楽好きで、
始終ラジオ(9500万人のポピュラーリクエスト・当時の人口・・・・・)
を聴いてはヒットチャートをノートに書き込みチェックしていた。
演歌よりも洋楽の方がお好みの、
ませたガキだったってワケだ。

膝を叩いてはドラムごっこ、
「うるさい!静かに食え!」と怒られながらも、
ご飯の時には箸で茶碗をドンチャンドンチャカ、
今でこそ笑い話。

2階にはなんとドラムセット、
は無理だからして桶を何個か縛り付け、
ドガチャカドガチャカ!
ハイハットの代わりは道に落ちてたホイールさ!

自分で買うのが恥ずかしいドラムのオモチャを見付け、
弟に金を渡し買わせた。
そ〜して・・・・・やっぱりドガチャカドガチャカ〜!

なぜか兄貴がドラムセット購入、
オイラが中学二年の時だった。
でもアニキ、正直言うけど下手だったゼイ。

そんな下手くそな兄貴の横で、
「次ぎ貸してネ、次貸してね!」と手薬煉引いて待っているオイラ。
やがて叩き飽きたのかイスから立ち上がったノリオ。
ドラムの椅子に猛突進…すかさず座り直し「まだまだズラー!」、
ちっ フェイント掛けやがった「セコイ事するなよーバカ兄き〜!」。

ようやく上手く叩けないドラムに飽きた兄貴はオイラと交代。
すると割とすぐに思い通りのパターンが即叩けた。
その頃の狙っていたリズムはと言うと・・・・・
「ズンズンターツタツタツッター」という当時はシェイクと呼ばれていたリズムだ。
シャカシャカカシャシャカシャシャカシャカシャカ・・・・・カウンターの向こう側、
ボーイさんの振るシェイカーの音から来ている・・・・・と言うのはオイラの説だから当てになりません。

この頃よく聴いていたのはGS・ジーエス、
GSったってガソリンスタンドじゃ〜ない! 
グループサウンズだ。 
歳がばれるが、そんな事はもうどーだって良い年寄りだ・・・・・ホットケ!

今だもってこのリズムパターンは良く耳にする。
ただしネーミングが変わってファンク、又はヒップホップ。
カッコ良いリズムはファッションと同じで良いモノは巡り巡って繰り返されるのである。

最初難しいと思っていたシェイクのリズム。
これがファーストコンタクトで出来ちゃったもんだからもうオイラは有頂天。
ハッキリこの時は「俺って天才かも〜!」と正直思った。
天才ではなく、天災の方が近い人生を歩むことになるのを若き日のオイラは知るよしもない。

なぜ出来たのだろうか?今考えてみるに、
聴こえてきたパターンを歌って覚え、
そのパターンを歌いながらの膝叩き、
これこそが良いシュミレーションとなり、
この時にインディペンデンス(手足の分離)のシステムが出来たんだと強く思う。 
右手の8分音符を左手、右足のパターンが変わっても止めない意識が神経の分離(INDEPENDENCE)へと繋がったわけだ。
それが後々色んなリズムパターンを演奏する為のとても良いsimulationとなっていたのだと今にして強く思う。

セットに拘るだけが練習じゃないよん・・・・・皆さん。

play出来ない→ビジョンの薄さ→歌えない。
play出来るようにする→確固たるビジョンを持つ→歌えるようにする

したがって・・・・・歌う→playする。
歌える→play出来る。

今でこそこの辺の法則を生徒達にも口酸っぱく言って聴かせているが、
この若き時代の体験が確信となって生きているのだと言えよう。

中学二年のこの時、
兄貴のドラムを叩いたこの時「オイラはこれで食っていこう〜!」
と決めた記憶は今でも時々思い出す。
「それって才能〜?」 ・・・・・それも少しはあったかもしれない。
この場合才能というのは・・・・・好きこそものの上手なれ・・・・・であり、
他人にはない秀でたモノ・・・・・ではなく、
「プロになったら・・・・・もう勉強しなくて済む〜?」
の意識が働いていたのが正直なところであったぁ・・・・・あぁ〜!

「足が・・・・・足が痛ぇズラ」と言ってはバスケットクラブ(どうせ下手ッピーで補欠)を早退し、
ピアノ殺人事件などとは無縁など田舎、
何れ上京するのを視野に入れ、
毎日ドラム叩きに明け暮れていた。
漠然と・・・・・このまま高校に通っていてもダメなんじゃないかな〜?
等と思いながらネクラな青春を送っていたようだった。
・・・・・いまでもそのネクラは変わりないが・・・・・ホットケ!

自慢ではないが(自慢でもある)、
オイラの初ステージ、
しかもそれは大舞台でのデビューだったから自分でも驚きだ。
それは16歳!高一の時の話で、
真面目な割には、悪い仲間が周りにいて(ただ若干社会からドロップアウトした感のあるユニークな奴ら)、
愚連隊・・・・・と言う表現がピッタシな悪仲間達はなんとロックコンサートを松本市民会館で主催してしまったのだ。

当然当時お遊び半分で結成していた自分たちのバンドや、
ユニークな仲間達だけじゃ動員は難しく、
松本地区で当時有名だったRock・Band、
それからアマチュアでも知名度のあるバンドを見繕って開催された。
(ちゃんとギャラ払ったのかナー?)。
途中この催しには問題有り!
松本警察とイザコザ等があったりして、
決してスムーズでは無かったにしろ何とかやり遂げることが出来た。

「なんて言うコンサートにするだぁ?」、
タイトルはシンプルにロックコンサートだって」
今思えば(早く気付いても良さそうなもんだ)チケットを一杯売って一儲けをたくらんだのは悪仲間のリーダー小林さん。
まさに素人集団がたくらんだコンサートチケットに書かれた文字は・・・・・
「LOOK FESTIVAL」・・・・・観てどうするズラ・・・・・小林さん後で皆の笑いモノとなる。   

数日後パチンコ屋で(お前も悪じゃのう)ママポリ(婦人警官)と遭遇。
「あなたぁ・・・・・未成年でしょ?ちょっとこっち来なさい〜!」
そして捕まる・・・・・。
ジャジャジャ〜ン・・・・・左胸ポケットを指指し「それ出して〜!」
さすがプロのママポリ〜たばこが入っているのを言い当てる。
・・・・・でも最終的には「ドラム頑張ってね」と言われ、見逃してくれた。
もしも見逃してくれなかったら・・・・・停学〜?
それとも退学・・・・・〜?
もっとも・・・・・名門(?)松商学園は1年で卒業となる。
自願退学・・・・・という形で・・・・・。

後に母ちゃんから聞いたところ、
このコンサートに担任も聴きに来ていて、
「どうにか退学を止めてくれや先生〜!」
「あれだけ巧かったらしょうがねえズラ・・・・・諦めるズラ」
という会話があったことを知る。

この退学には当然親戚一同からは批判が飛び交い、
ユウジは孤立。
これも後で聞いた話だがユウジは出入り禁止状態だった・・・・・らしい。
「プロになりたいんだもん・・・・・しょうがないジャン」
と一人居直るがそんな簡単にプロになれるワケはなく、
案の定・・・・・学校も行かず、仕事もせず、ただドラムをぶっ叩いている。
という中野家の厄介者ユウジ。
正に「ドラ息子」状態は、
世間体的にも人間的にもあまり良い状況とはいえない時期であった。

そうこうするうち愚連隊の悪仲間、
かつ大親友でもある伊藤トモが持ってきた話によって大きな転機を迎える事となった。

「信濃大町のキャバレーでドラマーを探しているってさ、
うちの親父がそこでバンマスやってるんだ、中野やらね〜か〜?
ボーイも探しているっていうからオレも行こうと思ってさぁ、
どうだ、一緒に行かね〜か?」

信濃大町と言えばここから通える距離ではない。
一人暮らしへの不安、
プロになれるかどうかへの不安は無いワケじゃない。
それよりも中学二年の時の夢が叶う期待の方が勝って大町行きを決める。
・・・・・まだオーディションに受かったワケではないのだが・・・・・
17歳の自分にとって決して小さくない決定が、
プロドラマーを目指すという、
同級生や、一般社会の人達と、
幸福度、収入など、若干違ったストーリーとなるドラマへと突入するイントロだったわけだ。


オレが17歳の時。
田舎は長野県信濃大町(実家からはチョット遠い)にあったキャバレー『さくま』・・・・・
っと、こう描いただけで懐かしき心がついつい疼いてしまうオレの青春の思い出!
プロとしての、又一人暮らしの始まりでもアル。
それは1972年夏の暑い日、
ユウジのドラマーになるためのドラマが始まったのであった。

サー・・・・・困ったゾ! 
オーディションを取り敢えずは合格した。
が、今思うと数年後、やはり大きな夢を胸に秘め上京するのを急ぐオレのケースと全く状況は同じように、
そのときの先輩ドラマーだった丸山省吾は、
即決、バンマス(バンドマスター、要するにリーダー )に進言し、
数日間引き継ぎのようなことをして早々と上京して行ってしまった。
17歳にてプロドラマーのスタートが決まったのだった。

さて、何が一番困ったかって?
それは譜面である。
そんな簡単に読めて即座に演奏出来るワケがない。
キャバレー『サクマ』のドラマーの座を引き継いだ後、
必死になりながらも、勉強していくうちに自分流ではあるが、読み方を習得していったようだ。
早く読めて、良いプレーヤーにならないと・・・・・といった危機感を感じながら、
練習時間をたくさんとって、
まさに実践を伴う毎日は否応でも上達は早くなるというものだ。

現在も実際教室のレッスンでもやっている、
出てきた音符を、ただ ただ、歌いながら、
実際声を出して叩いていく。
その方法で結構短時間で修得出来た。
イヤ!修得しなければいけなかったのだ。
なにしろ田舎のキャバレーといえども毎日ショウがあるからネ〜!

キャバレー『サクマ』に元々所属している専属歌手が二人、
菊姉さんと前川さんが歌う他には、
あの憧れである東京の事務所から、
歌い手さんやら踊り子さん、踊り子さんといえば殆どがヌードである。
ウッシッシ・・・・・失礼・・・・・

はたまた色んな芸人さんが来るのであった。
時にマジックもあれば無茶苦茶ゴイス(凄い)なドラマー
(もの凄いスピードで叩く、歌、笛をうまく駆使しながら、やはりもの凄い早さでドラムを叩く)が来たり、
漫才コンビもあった。
ビートキヨシも来た。
そのときの相方はタケシではなかった・・・・・と思う。
店が終わってから一緒に飲んだ。
ホステスとくっついた、
これホント、まだ売れる前の話である。

金粉ショウなんてのもあった、
これには笑えない、ケド笑える話があって・・・・・、
全身に金粉を塗って踊る。
皮膚呼吸の関係で、ある一定の時間までに体を洗い流さないと危険な状態となるらしい。
渡された譜面 にもテンポが記入されていて、
普通にいけば余裕で時間内に終わる筈であった!
筈であった!・・・・・ということは、普通でなかった一日が存在したことを意味するのです。

今に思うと当時のバンマス伊藤のオヤジ。
割といい加減な所があって、
「ありゃ〜? こんくらいだっけな・・・・・テンポ・・・・・まぁいいや、
アァ〜 ワ〜ン・・・ァ・・ツ〜・・・・ァ・スリー・・・・ァ・ホー・・・・・」
すごく遅いテンポで出てしまったからダンサーはたまったもんじゃない!
ショウがスタートして4分後あたり・・・・・金粉ダンサー顔色が変わった(金粉で見えるか)!
金粉兄ちゃん手を小刻みに振り振りしてバンドマンに何かアピール。
バンマスはもうお酒が入っていてウトウトしかかってるし、
他のメンバーは目は譜面に釘付け、たまたま目があった金粉野郎とオレ。
手の振り振りが上に向けてだと、「テンポ上げヨッ!」の合図、
手の振りが下へだと「テンポ下げて」なんていう合図をしょっちゅう目にするのはもっともっと後のことである。
このときのユウジはまだまだ初心者の時期だったようである。
「伊藤さん伊藤さん!」バンマスに異変報告。
ようやく伊藤のオヤジは異変に気づき、
テンポを急激にアップ、無事(?)事なきを得た(?)。
控え室で「あぁ・・・・・悪い悪い・・・・・ゴメンゴメン(オレを指さし)・・・・・こいつ新米でね・・・・・」
「・・・・・え・・・・・えぇ・・・・・〜?」
「よ〜よ〜〜!頼むよ〜 シャレになんないんだから・・・・・よ〜〜!」
「どうも・・・・・すみませんでしたぁ・・・・・」
後で金粉兄ちゃんに怒られるのはバンマスではなく新米のオレなのであった。

ショウと言えば比較的多いアレ、あれ、それはお馴染みストリップ!
ショウによってはもの凄く難しいスコアーの時もあれば、
メモリー(適当にスタンダードを演奏して良いよって事。
これだと譜面 見なくて良いので、ストリップに集中でき・・・)も有り、

ショウの初日にはどんな譜面と遭遇するのか?
怖いような、楽しみなような。
「どうか難しい譜面ではありませんように・・・・・神様ぁ〜!」
だった最初の頃に比べ、
譜面が少しずつ読めるようになってくると
しかし次第に譜面が読めるようになってくると、
メモリーや簡単な譜面にはガッカリするようになって行くのにさほど時間はかからなかった。
(ガッカリしながらも・・・・・目は・・・・・ダンサー・・・・・失礼)
ホンのたまぁに素晴らしいアレンジに出くわす事もあって、
譜面の右上を見るとNORIO ・MAEDA なんてサインが見えたり・・・・・。
そんな時は ミュウジシャン冥利に尽きる訳でございます。

そしてなんと言ってもショウとしての頻度が高いのは歌い手さんである。
お客はスケベ〜な男が多いからやはり女性歌手に限られる。
「なんだトコオ(男性)かよ〜!」
一度男性歌手がショウに入ってきたが三日で帰されたこともある。

ジャンルはもちろん演歌、ポップス etc.
当然譜面を手にいろんな人が来ました。
約2週間単位で交代していく、
というスケジュールが多かったのです。

このころ、オレは沢山練習したなー!
朝は家で分厚い板を音楽に合わせて叩いた。
当時練習パットなんて洒落たものなど無く、
あったとしてもとても高価だし・・・・・こちとら田舎だし・・・・・で、
どこかで拾ってきた分厚い板。
それを毎日毎日コツコツと・・・・・。
小さなことからコツコツと・・・・・なぁ〜んて・・・・・失礼。

当時ロック野郎だったオレはいつの間にやらジャズに染まり。
ジャズならレギュラーグリップでしょう!ってんでリギュラーグリップの練習に明け暮れた。
午後は店に行ってセットで練習。
それから銭湯に行って汗を流す。
飯を食らっていざ本番の毎日!

店が終わってから今度は付き合いで酒飲みの世界。
そのうち店に入る前から行きつけの店「シャモニー」に寄って、
ボトルキープ(サントリー・whiteしかも大ボトル)を出してもらい一杯引っかけから店に入って演奏。

知っている人も多いと思いますが、おイらは酒好きです。
毎晩毎晩、ボーイさんや、友人、
バンド仲間等、毎晩毎晩飲みに連れられて行ったのが、
今となって思うと毎晩飲むのが習慣になってしまった要因であり、
アル中症候群の始まりが、
このかなり早い時期にあったのは後で思うといかがなモノだったのであろうか?

とうか、もともと好きで強かったと言う事もありますが・・・・・。
何時の間にやら毎晩酒飲み、
一日で日本酒なら一升、ウイスキーならば一本。
その前食前酒にルービ(ビール)は当たり前〜!
アル中の一丁上がり〜!
あ〜ぁ・・・・・二十歳前からこれだもの!

そして恋らしき恋をしたのもこの時。
自分で言うのも何だが、
それはそれは、まるでTVドラマのようなストーリーなのだったのである。

ショウと言えば比較的多いアレ、あれ、それはお馴染みストリップ!
ショウによってはもの凄く難しいスコアーの時もあれば、
メモリー(適当にスタンダードを演奏して良いよって事。これだと譜面 見なくて良いので、ストリップに集中でき・・・)も有り、
ショウの初日にはどんな譜面 が来るのか、怖いような、楽しみなような。
しかし次第に譜面が読めるようになってくると、
メモリーや簡単な譜面にはガッカリするようになって行くのにさほど時間はかからなかった。
(ガッカリしながらも・・・・・目は・・・・・ダンサー・・・・・失礼)
ホンのたまーに素晴らしいアレンジに出くわす事もあって、
そんな時は ミュウジシャン冥利に尽きる訳でございます。

そしてなんと言ってもショウとしての頻度の高いのは歌い手さんである。
お客は男が多いからやはり女性歌手に限られる。
もちろん演歌、ポップス etc.
当然譜面を手にいろんな人が来ました。
約2週間単位で交代していく、というスケジュールのようでした。

このころ、オレは沢山練習したなー!
朝は家で板を叩いて。
当時練習パットなんて洒落たものなど無く、
どこかで拾ってきた分厚い板。
それを毎日毎日コツコツと・・・・・。
小さなことからコツコツと・・・・・なぁ〜んて。

ロック野郎だったオレはいつの間にやらジャズに染まり。
ジャズならレギュラーグリップでしょう!ってんでリギュラーグリップの練習に明け暮れた。
午後は店に行ってセットで練習。
それから銭湯に行って汗を流す。
飯を食らっていざ本番の毎日!
店が終わってから今度は付き合いで酒飲みの世界。
そのうち店に入る前から行きつけの店「シャモニー」に寄って、
ボトルキープ(サントリー・whiteしかも大ボトル)を出してもらい一杯引っかけから店に入って演奏。

知っている人も多いと思いますが、おイらは酒好きです。
毎晩毎晩、ボーイさんや、友人、バンド仲間等、毎晩毎晩飲みに連れられて行ったのが、
今となって思うと毎晩飲むのが習慣になってしまった要因ではないでしょうか、
というか、もともと好きで強かったと言う事もありますが・・・・・。
でもソレジャ アル中ジャン! はい!
今は控えて、ビールなんか飲んだりして・・・たまに抜いたりする時期もあったんだけど、
いつのまにか毎晩、か、ナー。 あーあ、二十歳前からこれだもの!

そして恋らしき恋をしたのもこの時。
自分で言うのも何だが、
それはそれは、まるでTVドラマのようなストーリーなのだったのである。



●【祐チャンの純情〜?】TOP