●・祐ちゃんの純情!
○「祐ちゃんの純情!2」
   
いつものように店で「ドッシャァ〜ン バシャァ〜ン〜!(周りには雑音に聴こえるらしい)」、
練習していると「リンリンリリ〜ンリ〜リリリリ〜ン♪」店の入り口付近に置かれている黒電話が鳴った。
いつもならスケベ専務が出るはず。
でなければ二階に住んでいいるパパこと宮下社長?
ママと呼ばれ皆に愛されているスケベ社長の奥さん?
あるいは一緒に住んでいる息子たち?
もしくは居候している指名番号27番あつ子か誰か?
が出るのに不思議と誰も出ないようなので僕が出た。
「さくまです」
「歌手の〜〜です。今大町駅に着いたんですけど迎えの人がいないんですけど」、
「あれ〜?専務がお迎えに行ってないですか〜?」
いつもならば専務が迎えに行っているはずなのにな〜あのスケベ専務が〜・・・・・
「じゃ今から迎えに行きます駅の前で待っててくれますか?」
そんな訳でオイラが駅にお迎えに行くことに相成りました。
これがすでに運命めいていませんか?・・・・・でもない?・・・・・そうですか・・・・・

いつもショウのお迎えは専務、あのスケベの・・・と決まっているはずなのに今回に限っていない!
駅に到着し、大きなバックと田舎では余りお目に掛からないファッション。
一目でショウ関係だと判るいでたちであり、
近くでお見受けするに・・・・・アラマ!綺麗なお方。
ちょいとドキッ・・・・・なのであった。
取り合えず店のほうにお連れして色々とお話など。
結構気が合うズラ(ズラは長野弁)。    

彼女が歌うナンバーも比較的多くて僕にとっても退屈な演歌ではなく、
好きなポップス系、しかも結構・・・・・上手い。

そんな経緯もあってこの日のショウは、今までになくドキドキ。
無事ショウが終わり 店をはねてお客もいなくなると、
片付けの終わった店の一角で店に残った者で飲む事がある。
スケベ専務、それと、どスケベ社長もいつもは居たりするのだが、
その日は偶然小人数だった。
そこにショウの人(彼女のレパートリーからシバの女王と命名された)も加わって良い感じで飲み会がスタートした。
そして・・・・・恋に落ちる・・・・・?祐ちゃん・・・・・?

控え室に寝泊まりするショウの人達。
控え室はステージのワキに作られた小部屋。
毎日の練習は欠かせないユウジ。
「いないと良いけど・・・・・」
ドンチャンドンタタバシャドシャドンタン・・・・・〜!
気にしながらも午後2時頃からはユウジの練習は始まる。
慌てて控え室から飛び出し、店の外へ向かう顔に笑顔はない。
あったとしても・・・・・
「頑張ってるねぇ(本心は・・・・・うるせーだろこの野郎〜!)」的苦笑いだぁ。

ところがシバの場合は〜?
控え室から出てくると「一緒に弾いても良い〜?」
ピアノを弾き始めた。
時々「フフッ・・・・・」と笑ったシバに、
「どうしたの?」
「だって今のフィル・・・・・何か変だったんだもの」
「・・・・・へ・・・・・変って?」ユウジ怒り気味。
「なんて言うか・・・・・お祭り太鼓みたいで面白かった〜!」
「・・・・・」ユウジ機嫌を悪くするも相手は大人の女性。
そのうちデートをするまでに発展していったのだ!
そしてなんと!・・・・????


●「一時話題を変える」
音楽の趣味がjazzに突入した一番大きなきっかけ、
それはMilesDavisの来日だった。

それも1970年代マイルスがエレクトリックになった頃のバンドだ。
キャバレー演奏の合間にテレビ観戦!
ベースの堀内などと「マイルステレビでやるってぞ」「観るズラ観るズラ」。
ヤマハのスピーカーがドォーッンと並び、
ロックのリズムが展開しされながら緞帳が少しずつ上がってメンバーを捕らえていく。
「す、すげ〜」「ほんとすげぇ〜」「これって・・・・・ジャズなの〜?」
「マイルスだもの・・・・・ジャズ・・・・・ズラ〜?」
「・・・・・ところで・・・・・マイルスってどの人〜?」
・・・・・メンバーは一人としてマイルスを知らなかった。

という・・・・・今だから笑える話なのである。
これにはホント・・・・・まいるス・・・・・失礼〜!
がしかし!この時の熱き演奏にはとても衝撃を受けたユウジだった。

それまでNKFMなどのラジオ結構ジャズjazz番組は多かった。
名盤の放送間はもとより、日本人プレーヤーの演奏も取り上げられていて、
ある日この周波数にチャンネルを合わせると、
大野雄二トリオのスタジオLiveの模様が流されていたりしたのだ。
この時のベースが本田栄三、
数年後この本田氏とは岡山で仕事をご一緒させていただく事になろうとは・・・・・。
ちなみにこの時、岡山で数ヶ月のための臨時に組まれたのメンバーも結構良かった・・・・・若手だったオイラを除いて・・・・・。
ギターが橋やんこと橋本信二。
バイブが水戸部さん。サックスが尾山修氏だった。
全員大先輩だった。
いじめられた・・・・・いや・・・・・可愛がっていただいた・・・・・?
その話もいずれ出てくるであろう・・・・・元に戻して、

jazzってどんなの〜?
なんとなしに気になっていたオレは時々ジャズ番組をチェックしてはいた。
しかし耳に入ってくるのはスイングスタイルの古いモノやPiaoトリオ等、
オーソドックスなスタイルが多く、
ドラムはチーン、チキチーン、チキ・・・・・とトップシンバル(ライドシンバルの古い言い方)でレガート打って・・・・・、
ジャズビートを今でこそ尊敬し、崇拝し、スイングを手に入れるための努力を怠らない今の自分と違って、
当時のオレには比較的穏やかに感じられて、
「これは男の音楽じゃないなー!ロックの熱さが一番!」
等と無知なる発想が当時は支配していた。

しかし!この時のマイルスバンドは、
何とロックのあの熱いエネルギーを用い、
ロックのbeat0を使ってアドリブしていたのだ!
「ロックのリズムでハチャメチャにやっても良いんだ!」
と、とても共感したその瞬間からジャズを聴き直していくのである。
jazzって? もっと深く知りたい欲望は、70年代から時をさかのぼって60年代のマイルスへと、
時を逆流する事となる。
そしてそこに若干18歳の天才ドラマー、Tony williams が存在した、
あの黄金期のquintet時代を知るところとなる。
トニーこそが、最も影響受けた人の一人。   
我が音楽人生において、とてつもないほどな刺激を受け、
影響を受けた純真な時代でもあった。

あらためて今思いつく祐ちゃんの影響されたドラマーbestを挙げてみたいと思う。
トニーウィリアムス、エルヴィンジョーンズ、ヴィニーカリウタ、
デイブウェックル、ビリーコヴハム、スティーヴガッド、
オマーハキム、アルフォスター、オラシオヘルナンデス、フィリオバレット(ゴンサロのバンド)、
ジョージ大塚,日野元彦、ポンタさん、駄 目だ!一杯居すぎて。
まだ出て来るロイヘインズ、フィリー、マックス、ジョージョーンズ・・・・・こう見てみると派手好きなオイラ。 
地味なドラマーが一人も出ていない、
ではもう一人挙げよう、ジミーコブ(地味ー・・・・・失礼)しっかりジャズに目覚めたユウジなのであった。

そして我が青春の地。
長野は信濃大町の田舎にもジャズ大好き夫婦が営業していた、
「かつき」というJazz喫茶が白塩町アーケード街にあって、
ここでいろんなレコードを聴きまくり、いろんなジャズ情報を仕入れることが出来た。
ここで耳にした数々の名盤を紹介しよう。
後に上京して教えを請う事に成る、
ジョージ大塚のアルバムで特に印象的なのはドラマーのジャックディジョネットがピアノを弾いた「ジャッキーボード」、
鈴木勲「ブロウアップ」もタイコはジョージ氏、これも大名盤だと思う。
大ファンである日野皓正は「イントュエターティニー」(二枚組)
「ジャーニーイントュマイマインド」共に愛聴盤であり後にCDも購入。
今は亡き トコさん(日野元彦)に「あれは名盤ですよねー」っ、
とお聞きした所「ウーン、一杯レコーディングしたから覚えてないんだよー!」
チャンチャン!

そして上京後とてもお世話に成る今田勝さんの色んなアルバムもこの時によく耳にした。
この頃良く聴いて好きだった曲にポピーという美しく凛々しいワルツの名曲があって、
まさか後にこの曲を今田さんのトリオで一緒に演奏するようになるとは・・・・・!

「かつき」さんは今思うと、結構日本のジャズが好きだったみたいだ。
オレも時々日本の人のジャズを聴きたくなることがある。

そして外国モノではやはり「CTIレーベル」。
jazz界ではメジャー級であるblue noteレーベルよりも何故か印象が強い。
恐らくjazzに興味を持った時期に関係があると思われる。
CTIが自分にとってリアルタイムなのだから・・・・・。
蒼々たるメンバーで結構な枚数リリースされた名盤の数々。
そして 当然 マイルスデイヴィス。 
特に聴いた印象的なモノと言ったら・・・・・
「フォア&モア」
「マイファニーバレンタイン」
「マイルスイントーキョー」。
そしてここに!あの、トニーウィリアムスがいたのです。
それから大尊敬の名ドラマー、
エルヴィンジョーンズとの出合いはコルトレーンとの出会いと一緒にしかも衝撃的にやって来た!
一時期どれを聴いてもエルビンに聴こえてしまうという(冷静に聴いたら全然違うサウンドなんだけれども)自称、
エルビン病にかかったのは上京後。

勿論コルトレーンの名盤は沢山有るが、
その出会はやはりジャズ喫茶「かつき」でかかった名盤、
コルトレーンの「Live At The Village Vanguard」
エルビンがドラム、エリックドルフィーもいる、
一曲目スピリチャルが掛かった瞬間「何ですかこれ?」
かつきさんの元に急いだ。
B面はブルース一曲のみ。
チェイシンザトレーン((動き回りながら吹きまくるコルトレーンを、
マイク係の人が追っかけて録音した事からこのタイトルが付いた)がまた凄かった〜!
この辺からコルトレーンにまっしぐらだった。

何しろこの頃のジャズは熱かった!
たまたま休日が取れて山の中の田舎から上京、
そしてライブ巡り。
この時のjazz界は正に熱かった〜!

まずは土曜日。
その日の出演はジョージ大塚クインテット!
oh イエー〜!
超満員札止め熱気はムンムン。
座ってる人以外は総立ち!・・・・・人のネタカヨ〜!
モン凄く素晴らしい演奏にビックリ「こりゃヤバイ、早く東京さ行くだ」

今は無くなってしまったが新宿にあった「タロー」。
ここも上京後には出演する事となります。
タローといえばどうしても思い出される事があるのです。

歌舞伎町内にあって、狭い階段を上がって行くとタローがあった。
有名なバンド以外はお客さんの入りが少なく、
ある日お客ゼロの日があり、
帰りの階段を下りていくとそこに●ジキが寝ていた・・・・・
と言うことも有ったがこんな事も・・・・・!

土井一郎trio で出演中、
「いっしょに演って良いかなー!」と言う声が客席から届いた。
「随分ずーずーしい人がいるモンだ」いぶかしげに客席を観るも暗くて見え難い、
そしてその本人は!「日野だけど!」
なんとあのトランペット日野皓正(tp)が土井さんの「どうぞ」の言葉も終わらぬうち、
トランペットをあわただしくケースから出したと思うとステージに上がってきた。
「何やる〜?」「Maiden Voyage 」「OH〜 良いねぇ」例のピアノイントロから始まる。
やや無難気味にこの曲は終了。
すると・・・・・「チュラタタ〜チュラタラララ〜ン・・・・・チュラチュラパラチュラ〜ン」
日野さんが吹き出す。
それはstraight no chaserだった。
即座に2コーラス目から付ける。
日野さんニヤッとする。
もちろん打ち合わせなどしていない。
メディアムだったテンポは次第に熱くなっていくgig!
何かきっかけを感じた瞬間日野さんが指を二本上げるのが見えた。
親指を一本下に下げるのは・・・・・勘弁してほしい。
中指を一本上に上げるのもご勘弁を・・・・・、
これは倍テンに行こう! 
の合図と気付かないほどのボンクラユウジではない!
即付ける。
ドンドン仕切って行っちゃう日野さん、
神経を集中していないと置いてきぼり食ってしまう、
終わってから 「スイングしていて良かったよ!」と社交辞令を頂きシェイクハンド・・・・・良い思い出が!
・・・・・素人・・・・・みたい〜?
終わってから「日野さんと出来て良かった、良い冥土のみやげが出来ました」土井さんに言ったら・・・・・、
「バカかお前は〜? そんなこと言ってるようだともう一緒に演らんぞ〜!」と怒られた。

次の日はやはり老舗は新宿の「ピットイン」へ、
こっちは日野皓正グループ、
早めに着いたがすでに店の前には行列が出来ていた。
演奏の熱さと音楽の熱さに興奮度は急上昇〜!
「こりゃヤバイ、早く東京さ行くだ」
日野さんは元よりドラマーのトコさん(日野元彦)の大ファンになった。

後に三回移転することとなるピットイン。
今の新しい場所になって疎遠になってしまったのが少し寂しい筆者である。

jazzLiveハウス界の三大老舗・ピットイン・タロー、そして横浜エアジンに出演することが、
jazzミュージシャンのステイタスであり、目指すところでもあった。

しかし・・・・・jazz界のステータスでもあるこれらの店に出演することと、
収入がそれに反映されるとは限らないことを一般の人達にも理解して頂きたい。

ある日の一日3ポイント・・・・・。
そんな忙しい筈のないスケジュール。
たまたま三本が重なった日があった。
新宿Pitinn朝の部(当時は・朝の部・昼の部そして夜の部と三部性だった)を藤陵雅祐クインテットで出演。
そのまま居続けで昼の部が佐藤達哉グルーブ。
そして夜が横浜のエアジン。
これは・・・・・佐藤春樹バンドだったかしら・・・・・?
どれもギャランティーは歩合制で、
まずは朝の部・・・・・メンバー一人のギャラ・・・・・630円(お恥ずかしい)
そして昼の部のギャラ・・・・・830円也。
もっとも朝や昼の時間帯に来られる状況はそういないとしても・・・・・。
大の大人が2ポイントで稼いだ額が1460円也。
夜はエアジン、横浜は新宿から近いとは言えない距離である。
昼の部終了は6時チョイ前位?
エアジンのスタートは客の入りなど状況によるが8時には余裕で音が出せる状態が望ましい。
「中野さんシ〜メ行く?」「オレ夜エアジンなんだよ、だからもう行かなきゃ!」
「忙しいね・・・・・それにしても・・・・・稼ぐねぇ〜?」
「何言ってんの」本当の意味を知っていると達哉がニヤ・・・・・。

少しでも早く着かなきゃ〜!という思いから首都高を使う・・・・・マイナス400円也。
この老舗で大どんでん返し〜、お客様は神様だぁ〜!がわんさか入ったとしたら、
一日3ポイントお疲れ様、ちょいと美味いモノでも・・・・・と相成るのだが、
悲しくもあり得ないことを知っているオイラは期待することさえ致しません。
この日のク〜キャ(客)は?10人未満。
この店は最低保障があって、例え客が0でも、メンバーに2000円が支給されるという嬉しい店である。
何人以上で幾ら?とい約束が合ったはずだが、
その数値に達したことが無く、2000円以上頂いた記憶が無い。
もっとも人気のあるバンドはこの比ではないのは言うまでもない。
さぁて、お暇な人は、大の大人が一生懸命働いて稼いだ額、
中野祐次の一日の収入を計算して……?
みなくても良いです。
大事な事は、お金を儲ける手段としてdrumを選んだのではなく、
「好きなんだからもうしょうがないじゃん〜!」的発想は、
純粋にjazzを愛している証拠だと思えるのです。
人生における選択肢は〜?
何をしたいか〜?
まぁ正直なところ、時々不安に駆られる事もあるのですが…。
さてこの日ユウジの純益は… もういいか。

○そして・・・・・再び・・・・・「祐ちゃんの純情」

約二週間の契約で、
大町はキャバレー『サクマ』、
地元ではキャバレー悪魔と呼ばれていた・・・・・そのココロは〜?
「もう帰るズラ、マキ勘定してくれ」「もう変えるだか〜? えぇ〜と3万9千8百60円だって〜」
「えぇ〜!相変わらず高ぇ〜なぁ〜、サクマは・・・・・サクマじゃねぇ・・・・・まるで悪魔だぁ〜!」・・・・・で、悪魔。
その悪魔・・・・・じゃなくてサクマに歌手として来ていた「シヴァの女王」と僕、
何故かお互いが次第にひかれ合って行くのにそう時間は掛からなかった。

「二十歳になったら上京するんだ!」
うら若き祐ちゃんのツブラナ瞳で(今は濁ってる・・・・・ホットケ!)相談に乗ってもらったり。
いつものように店で練習しているとシヴァは控え室から出てきてピアノを弾いて一緒にアンサンブルしたり・・・・・。
夜は店が終わってから一緒に飲んだり、
昼間待ち合わせて公園に行ったりもした。
世間的に言う デート、ってやつだ。

まさに18歳の純情!
シヴァは今思うに当時30歳位 だったかナー・・・・・??
今オレは50過ぎだから〜・・・・・シバは・・・・・考えるのよそうおっと。

そして楽しかった2週間も過ぎ、
いよいよ楽日(業界用語興行の最終日の事、千秋楽でラクビと読む)を迎えた。
次の仕事場へと向かう為その日の出演を終えたシヴァ、
夜中発の列車に乗るため我々が演奏中にステージ脇をすすり抜け、
出口に向かう時に目で交わした挨拶は僕にとってとっても悲しい感情を演奏中にもたらせてくれた。
イチマツの寂しさを胸にステージを降り、
店の出口付近を通り抜ける瞬間電話のベル。
「中野、お前にだ」ドスケベー社長から受話器を渡される。

「今から電車に乗るの」シヴァからだった。
「楽しかった」と言う事と・・・・・
「今電車に乗る所、明日の仕事はキャンセル出来るけど これに乗った方が良いかなー」
・・・・・「仕事はちゃんとしないと駄目だよ」と僕・・・・・、
「分かった、さよなら」
・・・・・もちろん 本音はもっと一緒にいたかった・・・・・である。 
強がりしか出せなかった当時ユウジはとっても純情なのであった。
今もそうだが・・・・・???

今のオレだったら「分かった、すぐそっちに向かうから」なのにネー。
それからしばらくの間 哀愁が僕の周りに住み着いた。
辛い事があっても、いずれ時間がそれを忘れさせてくれる。
それだけを信じて・・・・・。

恋愛に関してどうにか少しくらい積極になれるようになるにはかなりの時間を要した。
イケネ・・・・・余計なことを・・・・・。

そして、正常になり掛けた数ヵ月後!
再び僕の前に・・・・・あの シヴァが!

そして・・・・・????

○祐チャンの純情

そうそうあれから数ヶ月後にシヴァが来たんだ!
お客さんに飽きられない為に、
普通一回出演するとサイクル的にも1年はスケジュールは組まれない事になっている。 
シバに久しぶりで逢う。
聞くと自分から『サクマ』に行きたい!
っと事務所に志願して来たそうだ。

人と話す時は目を見て話そうとする僕は、
シヴァに見つめられるとつい目を反らしてしまう。
皆は信じてくれないが、俺、ジャなくて、僕 は純情なのだ!
しかもシャイだ!(同じ意味だって)
今だにその本質は変わらない(マジです)。  

ただ、人間 慣れもあって、年齢と共に自分の気持ちを素直に出せるようになっては来たつもりだ。
当然それは態度にも表われる事となる。

一回目の出逢いに比べたら、二回目の方がどうやら積極的になれた。
前の時、「ユウジは明日何やってるの〜?」
「別に・・・・練習して・・・・それから・・・・」
「それよりどこか連れてってよ」
「・・・・う〜ん・・・・」
「はい!決まり、じゃ11時にマツヤ(1Fがパチンコ屋、二階が喫茶店)ね!」
「・・・・わかった・・・・」

デートしたり誘ったりするのは自分からでなく、
殆どシヴァが先導してくれていたのだが、
「ねぇ、明日木崎湖でも行こうか〜?」
今回は自分から誘う事が出来た。
チョット大人に成ったのですね!

積極的になれて祐ちゃん、
このころは祐チャンじゃなく「ユウジ」って呼ばれていた。
なんか恥ずかしいようなくすぐったいような、
しかし、決してイヤではない感覚だったであろうことは容易に想像できる。

ユウジの積極性に驚くもシヴァは嬉しそうだった。 
練習は欠かさなかったが、デートも良くした〜?
(実は練習を欠かさないとデートなんか出来ない) 

この頃 既に店では我々のことが噂になっていてそれをからかう者もいた。
真面目な僕は赤い顔になりながら「そんな事無いヨー、そんな事有るモンカー!」、
等と しらじらしくバックレるのだが、あまりにもバレバレ!
デモ、内心はかまってくれて嬉しかったりして。

じつは・・・・・初恋はムチャクチャ早く、幼稚園の時だった。
「あっチャン」 って子で、この頃すでに確か胸の痛みを憶えている。
小学校は・・・・・って、子(この辺からキットばれるので名前はカンベン)。
中学は・・・・・って子。
けっこう恋多き純情だった。
でも積極的には出られないでいた・・・・・そうユウジは記憶する。
その積極性の無さは・・・・・残念ながら今もであり・・・・・もう遅いという声さえも聞こえる・・・・・ホットケ!
ワァ〜ン・・・・・!

そしてこれが生まれて始めての、相思相愛? 
今から思うと、シヴァにとってはもしかしたら遊びだったかも知れないけど。
演奏していても控え室でシヴァが聴いていると思うと・・・・・シンミリ。
あるいは張り切りすぎて「中野〜 ウルサイ!」バンマスに怒られたり。

・・・・・ステージに出て来てきて、歌う合間に目と目が合ったり、わざと外してみたり!
もの凄い充実感。
ユウジ本気になっちゃうゾ〜(もう十分なってるって)!

店から歩いて3分くらいの所に「やち」という飲み屋さん(今も帰ったら寄る事にしている)があって、
演奏の合間にそこで良く飲んだ。
それはある日シヴァをその店で待ち合わせした時の話だ。
僕等より少し早く終わったシヴァは先に「やち」へ、 
僕もラストステージを済ませ、急いで着替え「やち」へまっしぐら! 
ドアを開けると当然シヴァは居たのだが、
他のお客さんと仲良く飲んでいた場面を観る。
まだまだ大人に成り切れてないユウジは・・・・「ムッ」としてしまった。
そう! jealousy・・・・しかも強力な・・・・

僕以外の男と仲良くするのが!(まだ青二才のユウジ、ヤキモチは・・・・・じつは今も変わらなかったり・・・・・
相手がいないって?・・・・・だからホットケ!)、
僕的には許せなかったのだ、

みるみるユウジは不機嫌になって行く。
でもその気持ちはシヴァには伝わらないようだった。
ブスっとして無口になって、やがてユウジはムクレ、
一人帰ってしまった・・・・。
白塩町にあった「さくま」の寮へ・・・・。

●「話が変わって」
そして・・・・・大町時代に曲を作った記憶がある。
キット変な曲だ!それは保証する。

正直言うと未だに良く理解出来ないのが、キー!である。
(音楽家として知らなきゃイケナイ事、恥ずかしいので内密に)解る範囲で、
幼稚な頭で超!簡単に説明してみると。
男性の音階と、女性の音階は当然違う。
体の造りというか声帯が違うからだ。
カラオケに行って歌う。
この曲は高いから半音下げよう。
(別に半音で無くても良いが)音楽的に言うと「キーを半音下げる」 と使う。
その人によって、又は楽器によってキーを変えたほうが歌いやすかったり演奏し易かったりする事が有るらしい。
キーを変える事を移調(ここでギンナンが頭に浮かぶようではダメダ!)という。
もっと詳しく知りたい方は専門書へ! 

なぜこんな話をしたかと言うと、
楽器によってキーが違う事を始めて知ったのがその時!
曲を作った時なのです。
その頃『サクマ』での楽器の編成は何かというと・・・・・、
ドラム、ベース、ギター、それから・・・・・アコーディオン。
横森リョウゾーもビックリ(古いって)、
あのバンドネオンっていうか、タンゴで弾かれている物ではなく、
電子アコーデオンといって、何種類もの音が出るらしいが、
よく使われていた音色はエレクトーンみたいな音だったと記憶する。
弾くのはバンマス、伊藤のオヤジだ。

いつもは、やはりスケベな伊藤のオヤジ(スケベばっかりが出てくる、そういうオレだって・・・・・)が控え室に出向き、
曲の打ち合わせをしていたが、年取ったヌード、おばちゃん演歌歌手などの場合は「中野行ってこい」
次第に任されることが多くなった。

打ち合わせを任されたオレは控え室に行く。
「打ち合わせに来ました。ドラムの中野です、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしま〜す、じゃ譜面出しますね、パートを教えてください」
「はい・・・・・ベース」「はいベース」「ギター」「はいギター」「ドラム」
「はいドラム」普通だったらその後は「ピアノ」「はいピアノ」なのが
「アコーデオン」「はいアコー・・・・・(こける)???」
今時アコーデオンかよ!・・・・・殆どの場合皆こける。

そして時々著名な人がショウの場合はテナーサックスやらアルトサックスやら、
トランペットなど編成が増えたりして豪勢な編成となった。
そんな時はまるでビックバンドにたいなサウンドが嬉しくってしょうがなかった。
豪華なショウも1週間で終了。
元のアコーディオンバンドに戻って音が出た瞬間の、
なんと侘びしいサウンドか・・・・・。
ガックリきたものだ。

そんな関係で、たまたま共演したりして顔見知りとなった管楽器(サックス、トランペット)の人達と、
たまに集まって練習する事が曲を作るきっかけだった。
前にも書いたが例の変な曲だ!

あの頃は良くラジオNHK・FMでJazz番組が結構あり、
その影響をもろに受けたようだ。
幸い中高校時代に女子にもてようと思って少しだけフォークギターを演っていたのでコード感は些少なりとも有る。
時間を掛けてコードとメロディーだけを書いた譜面を皆に配った。
テナーサックス、トランペット、ピアノ、ベース、ギター、ドラムだ。 
颯爽とユウジのカウントが入る。
「1 2 3 4」
・・・・・グチャグチャ!ゲチョガチョ!
「チョット待って!何か変だぞ・・・・・中野、これってちゃんとキー変えて書いてある?
「キーって・・・・・何〜?」とオレ。

サックス、トランペットはキーが違うので1音上げて書かなければならないのをこの時の体験から知った。
何とか書き直して演って見た。
「どうせならお客さんの前で演りたいなー」等と考えていたら、
割と近い時期にその機会は訪れた!
 
バンマスが、喘息歌手・・・・・じゃなかった専属歌手、
前川ひろしを売り込みに東京のテイチクレコードへ行くこととなり、
1日だけ店に出られない時があって、
オレがその日1日バンマスに任命されたのだ。

いつもより多めにジャズを演るチャンスと共に、
あの、オリジナルが御披露出来る・・・・・ウッシッシ。

ガ、しかし、ここはキャバレー『サクマ』の客はバンドの放つ音楽なんかに興味は薄く、
ネーチャン目当て、スケベなだけで それは専務や社長やついでにオレも皆同じ。

シカシ!
「今日は俺がバンマス、ナニ演ったって良いモンにー!」と開き直ろうとするも、
そこは小心者!
全部ジャズは流石に出来ず、
しょうがないから歌謡曲も、演歌もまぜこぜし、
そしてジャズも演りました演りました!

そしてあのオリジナルも、本邦初公開!
オリジナルがお客さんがいる前に響き渡る。
もう格別です。

気持ちはもう・・・・・ジョージ新大塚! 

エ!   お客の反応?
良いワケござんせん。
だって皆すけべなんだよん!
マスターもバーテンもスケベなんだよん!
ついでにオレもだけど・・・・・。

実はこの日の演奏録音したのであった。
そしてその日帰って聴きました。
どきどきしながらカセットテープを回すと音が・・・・・出てきた出てきた・・・・・。
「やったー!これオリジナル、ウイスキーソングだ!」、
興奮しながら聴いていると数分もしないうちから客席がざわついてきた。
演奏に負けないくらいのスケベ客の声が!
やれ「うるせーんだよ!」、
ヤレ「もっと静かにヤレー!」
やれ「永げーんだよ!」。
等など、誹謗中傷だらけ・・・・・。   
確かに永かったと思う。
皆でソロを回す。当然ドラムソロも「我こそは〜ジョージ南大塚なり〜!」
ここぞとばかりに叩きまくるしで、
俺がモシ客だったら言うだろーナー、
ヤレ「話しが出来ねーじゃねーカー!」
「訳のワカンネー音楽こんなトコで演るんジャネーよー!」
皆さん怒っていらっしゃる!
でもね〜!  
どうしても演りたかったんだって〜!


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