●・祐ちゃんの純情!音楽遍歴〜!

部屋に電話が付いた。 
それは上京から3年たった頃だ。
真っ黒いダイヤル式の電話。
嬉しいウレシイうれしいウレシイ!

・・・・・電話の前に正座を組みベルが鳴るのを待つがウンともリンとも言わない。

「アホらしい〜!練習に行こう」と思った時に・・・・・
♪リーン リーン リリンリ リリリンリ〜ン♪
ベルが鳴ってユウジはビックリ!
慌てて電話に出る。「ナーンだ間違い電話か」ガックシ!
でも鳴ったという事は繋がってるんだ!
と、変なトコで感動しているユウジ。

「もしもし、saxの尾山だけどドラムの中野君?」
やっと掛かって来たぞ〜!しかも仕事のようだ、
「急なんだけど来月からハコの仕事(店に出ずっぱりの事)なんだけど空いてるかな?」、
スケジュールは見るまでもない。
「ちょっと待って下さい、今スケジュール帳を観てみます」
もったい付けることだけは忘れない。

「はい・・・・・空いていす」冷静を装う。
本心は・・・・・空いてます〜!空いてます〜!やったぁ〜!やったぁ〜!
それやりますオレやります・・・・・だからオレに決めてぇ〜! お願いだからオレに決めてぇ〜!・・・・・だ。

普通はここでギャラの交渉に入るらしいがそんな事をする余裕すらユウジには無い。
「ゼヒ演らせて下さい」という数人候補が有ったらしい、
が、このギャラの交渉しなかった事の印象が良く僕に決まった・・・・・と後で聞く。
実力じゃなかったのである。
それに今思うと、当時物凄くいい加減な自信こそあれ、実力なんてあるはずがない〜!
自信を持って言える。
今だって危ないんだから・・・・・ホットケ!

場所はというと 横浜はjazz老舗「エアジン」の直ぐ近く。 
しかもバンマスはBASSの栗田八郎と言ってjazz界では有名人らしい。 
らしいと言うのは僕は知らなかったからだ。

昔 白木秀雄(Ds)グループが国際的に有名なベルリンのJAZZフェスティバルでのレコード
(当時はレコード)にも参加しているというような、日本では屈指の人だったのである。
仕事場はライブハウスというよりも、
パブみたいな感じ、毎晩ハウスバンドの生演奏が聴きながらお酒を飲む、
可愛子チャンも何人かいて ゴージャスな一時を! 
と、そんな店だった。

メンバーは Bs 栗田八郎、TSax 尾山修、P 平原ナントカ(忘れた)
Ds 中野祐次 Vo フーチャン(ニックネームしか覚えていない)で、
ちなみにその彼氏がベース弾きで、ガンジーと呼ばれていて、
時たま遊びに来ては弾いて行った。 
これもニックネームしか分らない。 
だって今からもう・・・・・数え切れない年数が経つのだもの・・・・・と言い訳!
この頃の僕の実力は皆に及ばず迷惑を沢山かけたであろう事は容易に想像出来る。

その証拠は、行く度に文句(アドバイスと思いなさい)言われた内容から理解することと言えよう。 
ある日休憩中メンバーと一緒に話をしていたら「何してるんだ!you はそんな暇無いだろう、練習しろ!」
それからの休憩時間は練習パット持って外に出て練習。

悔しさをかみ締めながら、修行の日は過ぎて行った。
そんなある日、クサリかけてる僕の側に来てピアノの平原さんがこんな事を言うのだった。
「君は良いヨ、色々言われて、俺なんか何にも言ってくれないもんナー」
「悪い所が無いからじゃないですか?」と僕、
「それは違うよ、イントロもエンディングも皆一緒(決まったパターンしか出来ない、と言う事)諦められてんのサ!」

当時は良い悪いも分らなかったが、さすがに今は良く分る、
「この人良いな」と感じるプレイヤーはイントロやエンディングのパターンを幾つも持っていて、
曲に色んなバリエーションを付ける事が出来る。
「今日はどんな風になるのだろう?」
そうする事により心地良い緊張感生まれ、
「おぉ〜こう来たか〜!」
曲全体が生まれ変わるのだ。
たとえ同じ曲でも日によって気分は変わる。
したがってアプローチに変化が生じるのが自然なのである。
それが即興性の強いjazzの醍醐味なのである。
大いなる喜びでもある。
すたがって色んなアプローチの手法を手に入れ、
それを積極的に使っていくポジティブな姿勢がjazzには必要なのです。

そりゃ時々めげそうになるのだけれど、
色々言われる事、それは只の文句では無く、注文であり、
良くなってもらいたい!という親心から来ているのであろでしょうよ?
しかし余裕など内当時はそんな風に受け止めることなど出来ず、
至らなさの腹いせにおける悪口、ただの苦情にしか聞こえませ〜ん〜!
・・・・・だった。

後で考えると自分の至らない部分を発見することは、
自分が成長するためのとても良い機会であること、
またレベルが上の人とのplayから学ぶこと、
playにおける緊張感、危機感を知ることは後の音楽生活において大きなプラスとなることを、
このアップアップしていた若かった時の僕に理解することは出来なかった。

そう書いていると、そんなガミガミオヤジぐらいにしか思えていなかった、
栗田さんのボーヤを何回かやらせて頂いた事もあったナー。 
ある時はTV の撮り、それからレコーディングの時の様子も昨日のことのようにも思い出される。
それは森本洋子さんというピアニストのレコーディングだった。
 
「ウ〜ウ〜・・・・・ウアァ〜ア〜・・・・・」、
play中思わず声が出てしまうミュージシャンがいる。
栗田さんもその一人。
演奏しながらツイツイ唸ってしまう。
決して悪い事ではないと思う。 
歌いたい気持ちでプレイする訳だから声が出てしまうのも自然ではないだろうか?

現にキースジャレットを始め、菊池のプーさんなど、
演奏にまみれて聞こえるプレイヤーの声が入ったアルバムを知っている。

しかしこの時のプロデューサーのお気には召さなかったらしく、
「う〜ん・・・・・栗田さんの声がなぁ・・・・・栗田さん」
「はい」「次のテイクからマスクして演ってもらえます〜?」
「・・・・・マ・・・・・マスクですか〜?・・・・・は・・・・・はい」
栗田さんマスクを着けられて演奏する羽目になってしまった。 
特にベースソロの時など見ていて苦しそうだった。

頑固オヤジの一面もあれば優しい一面は・・・・・残念ながら記憶にはない。
ただ・・・・・プレイはヤバイながらも。まじめさが認められてか、
なんだかんだ言って可愛がられていたのかも知れないが、
しかし一番最初のギャラ日に言われた事は今でも決して忘れない。

栗田さんの口から「はっきり言ってyouにこのギャラを上げるのは惜しい」と言われた!
・・・・・でも・・・・・悔しいけど・・・・・本当のことだったから・・・・・。
ナニクソこれも発奮材料じゃ!
等と 当時思ったかどうか分らないが、
この純真・純朴なボクこと・・・・・キット落ち込んだに違いない。

そうした中この店のクローズが決まる。 
経営者の思惑通りにお客様の動員が難しかったようだ。
結局3ヶ月位しかもたなかったと記憶する。

でも「これで開放される!」、
内心ホットした気持ちも確かにあった。
 
でも又バイト探さなくては・・・・・。
またアルバイトニュース朝一で買って、電話して、
履歴書書いて・・・・・めんどくさいなぁ・・・・・。

半分腐っていた矢先にサックスの尾山さんから・・・・・
「どうせ〜来月も空いてるだろ?一緒に仕事するか〜?」、
どうせ〜 は、ないでしょ! などと反撃はせず、
「暇です!暇です!」しっぽをフリフリ仕事を頂く事になる。
「岡山だけどね・・・・・」
「お、岡山って・・・・・何区でしたっけ〜?」
「・・・・・」「山手線・・・・・何線ですかぁ〜?」
「・・・・・岡山は岡山!(キッパリ)岡山県のオーカーヤーマ〜!」
「ゲゲ・・・・・」
「しかも二ヶ月のハコだからね」
「長いすね〜」

当時も今も、
遠く離れて寂しくなる相手もいないし(ホットケ!)、
僕に迷うほどの選択肢はなかった。

かくして祐ちゃんは岡山に行くことになるのであった。
しかも2数ヶ月契約の筈が、
数ヶ月となってしまった・・・・・この後が又一波乱?

祐ちゃん岡山にて腱鞘炎になる”に続く!

■祐ちゃんの音楽遍歴”

岡山にあった現場。
それはグランドキャバレー「うるわし」という、
とにかくでっかいハコ(箱・店の佇まい)だった。
フィリピンのチェンジバンド(交替で演奏)までいた。
  
そして岡山への向かったメンバーと言うと・・・・・。
リーダーがvibraphone、トベさんこと水戸部氏、
guitarは、ハシやんこと、橋本信二氏、
bassは、トッペイさんこと、本田栄三氏。
saxは、オヤマサンこと尾山さん。
それにオレのdrumだ。

当時僕は22才くらい 当然回りは40近い皆大先輩。
やはりココでも文句・・・・・じゃないや、
数々のアドバイスの洗礼をありがたくも沢山受ける事になる。
あ〜りがたや〜アリガタヤ〜(皮肉も混ぜてます)。

「スイングしないな〜!」「ユウはホントにスイングしないね・・・・・」
さんざん言われかなり落ち込んだ思いがある。
「一体どうしたら良いのだろう〜?」
「どうしたら皆に褒められるようになるのだろう〜?」
「スイングって一体何〜?」
結構キツイ時代であったことは確かだ。

練習は寮の屋上で練習パットを組んでやったり、
店の人に頼んで早くに開けてもらってdrumセットを叩いたり。

ココ岡山でもユウジは頑張っていたようだ・・・・・最初のうちは・・・・・。

頑張りすぎて実は腱症炎になってしまったのはこの時の練習方に原因であった。
ちなみに健忘症は・・・・・元々である・・・・・ホットケ!
普段練習に使っているスティックの他に、
クラッシックの人が練習用に使っている太めのスティックを時として使うこともある。
太目の分重量があり、持久力が付く。
当然普段のスティックとはバランスが異なるので注意が必要である。
野球選手が打席に入る前に素振りしている重い練習用のバットと似た感覚であろう。
 
今回はそれに加え、秘密兵器を持参〜!
その秘密兵器とは・・・・・偶然新大久保の楽器屋で見つけたのは当時噂となっていたた練習用スティック! 
それは・・・・・な・・なんと〜!
ジュラルミンで出来ているのだ!  
「これだけ重たければ手は早く動くようになるだろう・・・・・」
早く上手くなりたいイコール取り合えず手が早く動く事。
教える立場である今のオレからは考えられない行動と感性である。

皆に早く追い付きたくて(音楽は追い付く追い付かないではない)頑張ったある日、
突然 左手首が痛くなった。
レギュラーグリップという特殊な持ち方で、
普段使わないような回転を必要とする練習は、
手首にかなりの負担が掛かる運動なのであった。
それを金属である秘密兵器で・・・・・

以前にも左の手首がおかしくなった時期があった。  
それはキャバレー「さくま」時代。
手の皮が破れ、化膿してしまった。
それでも練習し続けた。
痛いが頑張る!
「それが偉大なるミュージシャンへの道だ!」
若気の勘違い平行棒・・・・・。

今回もそのうち治るだろう、と練習を続けるも痛みが増し続け、
そのうち左手が痺れ出して初めて事の重大さに気付く。

後で分かった事だが、木のスティックは打った衝撃を逃がしてくれたのが、
ジュラルミンという材質は衝撃を全部手の中に封じ込めてしまう性質のものらしく、
手首に衝撃全部の負担が掛かってしまったらしい。

この痛みがこの後何年も(この時期からウン十年経った現在でも)続く事になる。

○カレー事件勃発!
さすがグランドキャバレー「うるわし」
寮も完備、食事も店が用意してくれてた。
ある日余りにも文句や苦情が多く、
僕はとても腹が立ち、
たまたまその日はカレーの日。
遅くまで飲んで騒いでいるオヤジどもより早く帰り皆の分の肉を食ってやった。

しかしバレタようだ!
「あれ〜? このレーカ(カレー)、ク〜ニ(肉)無いよ〜?」、
「ナカノー!お前ク〜ニ食ったロー」、
「知りません知りません、元々少なかったんですよ」、
「そんなワケないだろう〜!」・・・・・皆オトナゲ無いんだからモー。
     
○トイレ事件勃発!
ある日水戸部さんがトイレに行った。
大きな声で「何だこりゃー?」、
何かと思ったら、誰かが流すの忘れたらしいウ ○ ○、
しかも・・・・・でっかいヤツ・・・・・が便器に浮いてたそうな。

夜は毎日宴会、酔っ払いオヤジの集まりだ、あげくは犯人のなすりあい、
楽器の腕は一人前でも人間性は?  
・・・・・って僕も人の事は言えない、 
今はもうあの時のオヤジ達の歳に成った(厳密にはもっと経った)。
あの時のオヤジどもと大して変わらん。
オトナゲ無いユウジなのである。
    
そして後半・・・・・
あまりのプレッシャーからか、
アル中ユウジの顔が時々姿を見せるようにもなった時期でもある。
手首も痺れ、文句の絶えない毎日から逃れたくなったオレは、
練習もせず、昼間、景色の綺麗な近くの茶店でお酒を頼むようになった。
お昼寝をして現場へと向かう。

いわゆる現実からの逃避である。
・・・・・それでプレイは・・・・・良くなるわけがない。
どんどん相手にされなくなってきていたように記憶する。

その他・・・・・2ヶ月の契約の筈が4ヶ月になった事、
橋ヤン(ギター)がホステスとウマイことやったらしい(良いなぁ)。
美味しい魚を食わしてくれた行きつけの飲み屋のオヤジがアンコウに似ていた。
メンバーチェンジが少しあったこと・・・・・くらいしか記憶が無いので次へ進む。

このハコが終了し東京に戻る。
さんざん田舎の景色に触れ、田舎の空気を吸って、
大した成果も上げられないまま帰ってきた新宿。
都会の殺伐とした風が何故かとても懐かしかった。

当然仕事にあぶれ・・・・・少しの間・・・・・遊ぶ。
精神的にも疲れていたようだった僕は、
すぐさま仕事を探す気にはなれなかった。


「中野君この前はお疲れ様」
「あぁ・・・・・お疲れ様です。お世話になり有り難うございました」
「実は来月なんだけど空いてるかなぁ(自信たっぷりな態度)?」
「あぁ・・・・・ちょっと・・・・・空いてないです」
岡山で一緒だった水戸部さんから仕事の依頼が来たが断ってしまう。    
よほど岡山が堪えたというか、
根に持っていたのか?
もっともっとアドバイス(お小言)を頂いて大きくなろう〜!
といったポジティブなユウジでないのは・・・・・残念ながら今も続いている。

エート次は何だっけな? そうだった大宮のキャバレーだった。

岡山の後も色んなバイトと遭遇。
ある時は行くのがイヤになって泣きながら家に帰ってきてしまったこともあった。
アルバイトにも疲れていた。
もっと楽に生きたかった・・・・・。
やはり商売柄バンドマンがに合うのだろう。

このハコも大きかった。
3階と2階にそれぞれステージが有り、
jazz&Pops&時々演歌系、
それとディスコ&ロックやはり時々演歌系と、
それぞれに違うバンドが入っていた。
僕はとうぜんjazz系コンボ(小編成)の方。
もう一つは管楽器も入った9ピースのバンドだった。
空いてる時間、お互いのステージを袖から聴きあったり、
「オレにもジャズ演らせろや」
「ユーにジャズ出来のかぁ?」
「僕今日ちょっとロックブンキ(気分)、ワンステージ演らせて」、
なんてメンバーチェンジして遊んだ。

リーダーはアルトSAXのフィリー芹沢、
フィリー芹沢と名乗るこの髭オヤジも、
おそらくは世界的に超有名なアルト奏者フィルウッズから取ったと思われる。
ドラマーが「エルヴィン・ジョーンズにplayが似ているね」と言われて、
「いやぁ・・・・・それ程でも」といって愛想を崩すか?
「トニー・ウイリアムスみたいだね〜トニーって呼んでも良いカイ
「も・・・・・モチロンさぁ〜! イエイ〜!」と尻尾を振るように、
目標とするアーチストと同じようなplayを目標とする演奏家にとってそんな風に言われるのは名誉に近いのだ。
F・ウッズにサウンド、feelが似ているから〜? 誰からとなくそう呼ばれるようになった?
・・・・・イヤ〜!・・・・・僕が想像するに、おそらく自分で付けたんだろう。
そのフィリーからは「うちのバンドはシー調演らないから」という誘いだった。
このシー調とは・・・・・?
コマーシャル的な演奏を指す。
したがって髭オヤジフィリーは誇らしげげに「俺のところはモノホン(本物)だからなぁ」を指す。
行ってみると髭オヤジの言葉通り、
譜面台に乗っているスコアーは膨大な量で、
休憩時間に持ち出し、控え室でパラパラッとめくってみると・・・・・、
ウディーハーマンから佐渡ジョーンズ・・・・・ちがった、サドジョーンズ。
を始めマイルスの演奏で有名なdear old Stockholmなど、
スタンダードナンバーの他にちゃんとアレンジされたブツ(物)が結構あった。

でも・・・・・いくらスコアーが揃っていたとしても、
さすがフィリーの髭オヤジはまあまあとして、
演るメンバーが・・・・・ねぇ・・・・おイモちゃんじゃねぇ〜・・・・・。。

しかしこの髭オヤジが又もうるさい事ウルサイ事。
何かっていうと「youは、ネ− ガミガミ!」 
「だから言っただろーガミガミガミグミ!」
もう〜うるさいったらない。
休憩時間はサックスの新人がパ〜ァパ〜ァ練習してうるさいから外出するしかない。
としたら・・・・・飲み屋しかない。
飲み屋もよくしたモノで、
飲み残し、つまみの食いかけなど、そのまま場所を取っておいてくれる。

そして仕事が終わったら再び飲みに行く。
毎晩毎晩飲み屋に・・・・・こんな事で良いのだろうかぁ〜?
と疑問を持たないワケじゃない〜!
ただ・・・・・飲んで・・・・・しまうのだ。
モチロン健康に良いわけがない。
そんな事は知ってる。
でも止められな〜い・・・・・止まらない。
えびせん体質となってしまったようだ。

ホント!バンドマンは飲ンべだなー。
これじゃ金残らないし、第一体に良くない。   
分かっちゃいるけど辞められない。
アーソーレ、スーイスーイスーダララッタスラスラスイスイスイーーーっと♪  

「向上心の有る奴はこんな事してないだろうな〜ー?」 
「ヤバイな〜!」   
こんな事続けて良いのだろうか?   
と悩みはするんだガ、 
分かっちゃいるけど辞〜められない・・・・・アソ〜レ スーイスーイ・・・・・モ〜良い!  

何て思っていたらバンドが変わる事になった。
(店はある期間でバンドごとチェンジする)又バイトに戻るかぁ〜? 
キャバレーの仕事は本来自分の演りたい音楽等殆ど出来ず。
好きな筈のドラムが嫌いになり、
生活の為とはいえ大事な魂を安売りしているようなそんなジレンマ君が何時も心の中に居た。

好きな音楽を演る為に上京し、
楽しい筈の演奏が時に苦しく思える時がある。
そんな気持ちで音楽を演奏していたら、
ドラムセットに対しとても申し訳無い!
そんな気持ちで一杯になる時が実際あった。
例えばそれは立川の「火の鳥」だったかもしれない、
しかし経済状態は常に「火の車」だったからそれもしょうがない。

・・・・・ガ、しかし色んな気質のアルバイトをしてみて、
ただでさえ根暗な僕。
趣味も無く、音楽一筋の音楽バカ。
考え方も価値観も全然違う人種(職種の)との会話など弾みようがないではないか!
っと、いうような色んなしがらみがあって、やはりバンドマンも捨てがたい訳である。
考えようによっては練習にもなっているワケだし・・・・・時給を考えても楽なのだ。  

・・・・・イヤイヤ〜!
楽器は好きな音楽だけにして。
健全なバイトで汗を流した方が精神衛星上良いのではないか? 

・・・・・等と悩みながら再びビルのガラス掃除へ出戻り、
それからまたバンドマン。
再び煮詰まって遺跡の発掘のバイト。
から再びバンドマン。
また・・・・・宅配の仕事からはたまたバンドマン。
堅気の仕事と悪戯な仕事を行ったり来たりしたのだった。

そして次の悪戯なバンドマン家業。
大宮の次は松戸のキャバレーに行く事になる。  
今はもうすでに無いと思うが松戸にも当時キャバレーが有った。 

初日、演奏時間になってステージに向かう途中で聞えて来たのはお客とホステスの大合唱・・・・・、
「♪チ○○ー マ○○ー チ○○ マ○○〜♪」
「アッソレ チ○○〜 マ○○〜 ・・・・・♪」(とてもじゃないが・・・・・ここに書けません)
こんな歌聴いた事ナイワイ! 
何じゃ松戸の民族は!
(松戸方面の人居たらゴメン)リーダーはトランペットの人で結構上手かった。
アレは冬だったと思う。
精神的にも経済的にも寂しい冬だった。
・・・・・と書いていて・・・・・「今と変わってない〜!」ハタと気が付く。
これが我が人生ですか〜!
神さまぁ〜?

終電に間に合わないと家に帰れないのでラストステージが終わったと同時ダッシュして松戸駅に向かう。
たまにホームで一緒になるホステスさんがいて、
「♪ヒュ〜ルリ〜 ヒュ〜ルリ〜ララ〜♪」
その頃流行っていた越冬つばめもメロディーが思わず聴こえてきた。 
演歌嫌いの祐ちゃんもナゼかこの曲が心に染みた。
そして何回かホームで一緒になるそのホステスさんと・・・・・何時しか・・・・・話を交わす事になり、
・・・・・いい仲になって行くのはTVドラマでの話。
祐ちゃんの周辺は・・・・・ヒュ〜ルリ〜ララ〜なのだった〜!

結局ここもjazzの演奏できる割合がかなり少なく、
オレは機嫌を悪くして(お門違いだろ〜!)、
「オレもう辞めます!」
月の半ば強引に辞めてしまう。
これってホントは掟破りの筈・・・・・すみませんでした。


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